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Achmat, Zackie

ザッキー・アハマット


◆アフリカ日本協議会+三浦藍 編 2005.9 『貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ──アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争 第2部 先進国・途上国をつなぐPLWHA自身の声と活動』,<分配と支援の未来>刊行委員会,66p. \500
 http://www.arsvi.com/b2000/0509aj.htm
◆2001/04/21 「南アフリカの信念にあふれた力」
 フィナンシャル・タイムズ
 by David Pilling and Nicole Degli Innocenti, Apr 21 2001 00:00:00
 http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/db-infection/2001042101.html ◆「いまアフリカは =地球環境サミット= 下」
 『読売新聞』2002
◆2002/08/16 「ザッキーは怒っている、でも絶望しているわけではない」
 Zackie is angry, but not bitter
 Cape Argus, August 16, 2002, p.11
 http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/db-infection/2002081601.html
◆2002/09/11 林達雄
 「ザキに会った」
◆2002/10/10 「A great story about Zackie Achmat」
 Mandisa Mbali 12/10/02 12:14PM
 http://www.arsvi.com/2000/021010az.htm
◆2002/12/10 「良心の男」
 Mandisa Mbali 米ボストン・グローブ紙 12/10/2002
 http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/db-infection/2002121001.html
◆2003    ムベキ大統領への手紙
◆2003/03/04 Namibia Starts Moving on Treatment
◆2003/03/20 Zackie Achmat "Dying for Treatment -TheTAC Civil Disobedience Campaign"
 TAC Briefing Document on the Civil Disobedience campaign
◆2003/07/16 エイズ治療・予防を含む包括的な保健医療へのアクセスこそ持続可能な成長への唯一の道
 「世界エイズ・結核・マラリア対策基金を支援する国際会合」におけるスピーチ
 フランス共和国パリ市 パレ・デ・コングレ
◆2003/08/02 ザッキー・アハマット氏が抗エイズ治療を再開
 http://www.arsvi.com/2000/030802az.htm


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斉藤さんより

昨年5月に翻訳・紹介した英フィナンシャル・タイムズによる彼の紹介記事を再掲します。

 南アフリカの信念にあふれた力
 フィナンシャル・タイムズ
 by David Pilling and Nicole Degli Innocenti, Apr 21 2001 00:00:00

 ザッキー.アハマットは、政治や企業関係者にとって、最も危険な人物といえるだろう。高いモラルを持つ人、それが言いすぎならば、豊かな感情を持つ人と言える。全ての南ア国民が抗レトロウィルス薬を入手出来るようになるまで、その服用を拒むHIV陽性の活動家。そして、蔓延しているにもかかわらず、口に出すことが未だタブーとされる病気のシンボルとなった人である。
 このような立場が、彼に大きな力を与えた。ANC(アフリカ国民会議、南アの政権与党)のメンバーであり、少年の面影を残す、反アパルトヘイト活動家であったアハマットは、政府にとって、この病気に対して自分達がいかに無策であったかを思い知らせる、歩く批判塔である。
 製薬業界にとっては、彼はさらに手強い敵である。安価なHIV治療薬を求める理論的な活動家であり、製薬会社の今週の稀有な撤退を後押しした運動の先鋒でもある。
 南ア政府が、特許権を無効にできる法律を施行しようとしたことに対抗して、製薬会社は、その差し止めを求めて訴訟を起こしていたが、それを今週取り下げた。製薬会社が訴訟を取り下げた大きな理由は、エイズという病気が人々の感情を揺り動かしたからに他ならない。アハマットが1998年に創設したエイズ治療実現キャンペーン(TAC)は、裁判との関わりの中で病気によってこうむるダメージを明らかにしてきた。
 マレーシア系で、同性愛者であることを公言しているアハマットが、この問題に足を踏み入れたのは、西側の人間にとってHIV感染がもはや死を意味するものではないことを知った時である。「南アで、エイズ治療問題を口にしたとき、人々は私が狂っているのではないかと思いました。私は、ただ単に貧しいという理由だけで、人々が毎日死んでいくような世界に生きていたくはないのです。」
 ほとんど手におえない状況にまで至っているこの感染症に対処するために苦闘している南ア政府も、そして、自分達が寄りかかっている特許システムを守ることに奔走している製薬業界も、アハマットの考えを単純すぎると考えている。しかし、470万人と推定される南アのHIV陽性者を代表している人物に、誰が石を投げられるだろう。
 「残念ながら、私はHIV陽性者を代表する顔になってしまいました。」そう言いながら、彼は、HIV陽性である事を理由に、自分達の町を追われた人たち、−白人、黒人、カラード、−そういった人たちの話を語った。
 アハマットの活動は、彼が、衣料品店に勤める母親と叔母によって育てられたケープ.タウンに始まる。1976年にアパルトヘイトに反対する学生運動に身を投じたアハマットは、18歳になるまでに、何度も収容所を出たり、入ったりすることになる。彼によれば、刑務所にいた約10年前にHIVに感染したとの事である。
 1998年、彼は、免疫システムが弱ってきた人を襲うカンジタ症を発症した。抗レトロウィルス薬が開発されるまで、西側でも、カンジタ症の発症は生命に関わるものだった。アハマットは、ファイザーの特許薬であるジフルカンによる治療を受けたが、抗レトロウィルス薬での治療は拒否した。なぜなら、抗レトロウィルス薬での治療は1ヶ月4000ランド(500米ドル)もかかり、ほとんどの南ア国民にとって手の届くものではなかったからである。
 貧しい人たちと連帯するために、治療を受けないことにしたという自らの決心について語りながら、アハマットは続けた。「子供の頃、空腹のままベッドに入ることがありました。でも、叔母も母も物乞いをするようなことはありませんでした。そんなことは、自尊心が許さなかったでしょう。私は、貧しい人たちが、薬を手に入れるために、物乞いのようなことをしなければならないなんてことは、絶対に間違いだと思います。」
 それからまもなくして、彼は、タイでジフルカンのコピー薬が、南アでのジフルカン販売価格の10分の一の値段で売られていることを知ることになる。
 その後、ファイザーは寄贈プログラムを始めた。このことによって彼は、企業が主張していることに反して、特許権が、入手可能な価格で医薬品を販売するための障害となっていることを確信する。
 多くの活動家と同じように、アハマットも製薬会社による最近の医薬品寄贈や、原価でのエイズ薬販売の申し出は、裁判で彼らの評判が地に落ちたことによるものだと考えている。このことがなければ、また南アが彼らの知的所有権を脅かさなければ、製薬会社が同じような行動をとることはなかっただろうし、今でさえ、こういった申し出には、条件がついていることが多いのだと彼は語った。
 アハマットの闘争心は、製薬会社との戦いに限られたことではない。今月、彼は、その手が子供達の血で濡れていると、政府のエイズプログラム責任者のノノ.シメレラを徹底的に批判した。これは、HIVの胎内感染防止に効力を持つ、ネヴィラパイン薬に特別許可を与えるかどうかについての政府の鈍い対応を批判したものである。
 アハマットは、シメレラ博士のような役人は、政府によって身動きできないようにされていると考えている。タボ・ムベキ大統領の伝記を研究しているジャーナリストのマーク・ゲヴィセールは、最近、何故政府が麻痺しているように見えるのかについて、彼らの立場にたって、考えてみた。「何十年にも渡って、民主主義を勝ち取るために戦ってきた私たち指導者が、勝利を収めた瞬間に、死にかけた人々、答えのない疫病に直面してしまうなんて、なんて事なんだろう。」
 アハマットは、このように考えれば、ムベキのエイズの原因に対するあいまいな態度、(出来ればアフリカ的な)魔法の解決策が見つかることへの希望、国防費の15分の一にも満たないこの病気への政府予算といった事柄も理解しやすい、と語った。
 アハマットは、政府がこの流行病としっかりと向き合わない限り、破滅が訪れることになると思っている。「これだけの数の日和見感染症を治療することは不可能になってきます。何百万という人が肺炎に罹り、脳膜炎に苦しむでしょう。」
 今週まで彼は政府と休戦し、協同で製薬会社との法廷闘争にあたってきた。しかし、今、彼は、政府が抗レトロウィルス薬の使用を開始しなければ、安いエイズ治療薬の密輸を始めると警告している。
 「私たちと政府との同盟関係が、終わってしまったわけではありません。どんな結婚でもそうであるように、場合、場合に応じて、私たちは第一の支援者となり、率直な批評家となるのです。」とアハマットは語った。


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◆斉藤さんより

斉藤@足立区です。

Zackie Achmatさんが読売新聞の地球環境サミット関連記事の中で紹介されています(セネガルのワド大統領のインタビューも読売新聞に載りました)。
事務局に記事本文が届いていますので、転送します。

これまでZackie Achmatさんの名前を
Subject: [ajf-info] エイズ治療薬と特許、続報
Date: Sun, 29 Apr 2001 23:56:40 +0900
および
Subject: [ajf-info] フィナンシャル・タイムズから「 南アフリカの信念にあふれた力」
Date: Thu, 3 May 2001 17:53:44 +0900
では、ザッキー・アハマットと表記し、
また、
Subject: [ajf-info] 南ア政府、主要エイズ治療薬供給を義務づけた判決にアピール
Date: Mon, 21 Jan 2002 07:58:50 +0900
の中では、ザッキー・アクマットと表記していますが、読売新聞は、ザキ・アハマットとしていますね。

いまアフリカは =地球環境サミット= 下

 ある男性エイズ患者の容体が今、南アフリカで注目されている。ケープタウンのザキ・アハマットさん(40)。すべてのエイズ感染者・患者に治療薬を、と訴える民間活動団体「治療活動キャンペーン(TAC)」の代表だ。
 アハマットさんは「目標が実現されるまで(エイズの進行を遅らせる)薬は飲まない」と宣言している。このため、末期のエイズ患者に特有の肺疾患が今年6月ごろから現れ、病状が悪化している。
 「ザキが死ぬのが先か、政府が行動するのが先かの闘いだ」。TAC全国事務局のノンコシ・クマロ広報担当は話した。
 マンデラ前大統領が先月27日、病床のアハマットさんを訪ねた。「全国9つの州にあらゆるエイズ患者を無料で治療できる病院を作ってほしい」。前大統領は、アハマットさんの命をかけた願いを、早速、ムベキ大統領に伝えた。
 アハマットさんがこれほど注目を集めるのは、南アのエイズ政策の転換点ともいえる実績を二つ、残したからだ。
 一つは昨年4月、英グラクソ・スミス・クラインなど大手製薬企業29社が、南ア政府を相手に起こしたエイズ薬訴訟。南アが安価なエイズ薬を並行輸入したり、特許薬を複製したいわゆる「コピー薬」を使用したりできるよう薬事法を改正したことに対し、製薬企業側が「特許の侵害に当たる」と訴えた。新薬開発にばく大な研究費を投じる企業が、特許の保護を求めるのは当然ともいえる。しかし、アハマットさんらは「人命は特許に優先する」と訴え、安価な薬の入手を求めるキャンペーンを展開。その結果、イメージダウンを恐れた企業側が訴えを取り下げた。
 もう一つは先月、TACが南ア政府を相手取り、母子感染の予防薬をすべての公立病院で使用するよう求めた訴訟で勝ったことだ。政府は、母子感染予防薬は「安全性が証明されていない」などとして認めていなかったが、TACの勝訴により、すべてのエイズ感染の妊婦が治療を受けられる道が初めて開けた。
 しかし、クマロ広報担当は「どちらもその後、政府の取り組みは非常に遅く、実質的には何も変わっていない」という。
 南アのエイズ感染者は、世界最多の約500万人。妊婦の4人に一人が感染者で、毎年7万ー10万の新生児がエイズに感染して生まれてくる。エイズ治療薬は毎月約5000ランド(約6万円)かかるが、人口の8割を占める黒人の平均月収は3000ランド程度だ。ミルクさえ買えない母親たちは母乳で育てるため、乳児感染率が高まる。
 深刻なのは南アだけではない。世界のエイズ感染者の7割はサハラ以南のアフリカに集中し、特にアフリカ南部は、ボツワナで成人感染率が38%に達するなど深刻だ。「音のない戦争」とも言われ、国全体が崩壊の危機に直面している。
 一昨年の沖縄サミットで、5年間で総額30億ドル(約3500億円)の感染症対策支援を表明した日本は、ザンビアの首都ルサカの大学教育病院ウイルス研究所で、エイズ検査技師の育成事業などを行い、大きな成果をあげている。
 事業の実施に当たっている国際協力事業団の横井健二さん(47)は、「必要なのは金だけではない。エイズ対策でリーダーシップを取ることのできる人材だ」と強調した。
 リーダーシップを発揮する人材が、命を犠牲にして病とも政策の遅れとも闘っているのが南アの現実だ。 (南アフリカ・森 太)

AJFが事務局を努めて進行中の保健分野NGO研究会では、11月に開催する国際シンポジウムにできればZackie Achmatさんを呼びたい、と連絡を取っているところですが、彼の出席はまず無理のようですね。TACの他のメンバーから南アでの感染者自身の取り組みと、それに連帯する市民運動のようすを報告してほしいと希望しています。


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◆斉藤さんより(20020910)

斉藤@AJF事務局です。

来週月曜日に予定されている保健分野NGO研究会企画「南部アフリカ・エイズ禍
を生きる人々」(詳しくは別便参照)に向けた資料作成の一環として、8月27日
に「[ajf-info] Zackie Achmatさんを取り上げた読売新聞の記事!」で紹介した
Zackie Achmatさんへのインタビュー記事を、南ア滞在中の牧野さんが訳してく
れました。
牧野さんは、Johannesburgに「ヨハネスブルグ」と訳語をあてていましたが、ポ
スト・アパルトヘイトの南アには「ジョハネスバーグ」の方がふさわしいと考え
ますので、訳語を変えてあります。
タイトルは、僕が訳してみました。もっとふさわしいタイトルを考えて、このML
に投稿してください。

◆ザッキーは怒っている、でも絶望しているわけではない
 Zackie is angry, but not bitter
 Cape Argus, August 16, 2002, p.11

 ミュイゼンバーグのメイン・ロード32番地。34番地にあるトリートメント・ア
クション・キャンペーン(TAC)のオフィスから道一本隔てたところで、ザッキー
・アハマットはベッドに横たわっている。いつも欠かせない「HIV-positive」と
書かれたTシャツを着て、乱れ髪で、もうほとんど40になろうというのに、少年
のように見える。
 赤みがかったオレンジ色の壁のその部屋は、いい具合に散らかっており、両側
に本が並び、そこらじゅうに友人たちや家族の写真が飾られ、そしてテレビに占
領されている・・・ザッキーは映画が大好きなのだ。
 自分がHIV陽性だと知った1990年、ザッキーは3カ月の間、深い否認(denial)
状態に落ち込んだ。そして、死ぬ前にビデオ店にあるすべての映画を制覇しよう
と決めたのだった。
 疲れを知らない人権活動家、社会主義者にして決して原則を曲げない男、そん
なザッキーですら、放縦と逃避の日々を経験していると知ると、ほっとする。
 しかし、それは全体のほんの一部のことなのだ。ザッキーのアクティビズムは
早くも1978年に始まる。そのとき彼は16歳にもなっていなかった。当時、黒人学
校のボイコット運動が起きていたが、カラードの学校は教室に戻ることを選んだ
ため、彼は自分が通っていたソルト・リバー高校を焼き払おうとしたのだ(注:
ザッキーはカラード)。
 それから10年の間、ザッキーは反アパルトヘイト運動にすべての時間を注ぎ込
み、労働運動や学校ボイコット、ANC青年同盟への関与のために、拘禁も何度か
経験した。
 放火事件のせいでザッキーはトカイにあるポーター・スクール少年院で、「人
生で最悪の経験」をすることになるが、その前にすでに、ムスリムである彼の家
族に、自分がゲイであることを伝えていた。彼の両親、スレイマンとミモエナの
関係がうまくいっていなかったので、ザッキーは叔母のファリエダ・タリエプと
母方の祖父母のもとで育った。
 「刑務所にいる間、家族には随分と助けられた。しかし、私がゲイであること
を隠そうとしなかったことで家族の間に大きな緊張が生じ、私は家族と一緒に暮
らせなくなった。刑務所から出た後で、3ヶ月もの間、路上生活をしなければな
らなかったこともある」とザッキーは語る。
 「私はまだ子どものときに自分がゲイだと気がついた。そのような衝動や男性
への気持ちを持ちつつも、私は信心深い子どもでもあった。私が感じることと、
モスクや学校で聞く話とは一致しなかった。私は自分の気持ちを正当化し、説明
をつけようとした。家族にも早い時点で打ち明けた。私について現実的な期待を
してほしかったし、そのことについて私と話をしてほしかったから。」
 「私はいつも母や叔母と大人のように話すことができた、姉妹のミディと私が
6人の子どものうちの最年長で、子どもながらに、兄弟姉妹について責任をもっ
ていたから。」
 「しかし、彼らとは話にならなかった(shut down)。そのことは、私と家族
との関係を一生にわたり変えてしまった」
 1979年、17歳のときに、ザッキーは初めての長期にわたるパートナー、研究者
であり映画製作者でもあるジャック・ルイスと出会う。二人の関係は1987年に終
わったが、ルイスの家をザッキーは今も共同使用している。
 「私はいつもラッキーだ。私は受けるべき教育を受けていないが、いろんな意
味で、もっと豊かな教育を受けている。ジャックは経済史の博士課程をやってお
り、当時私はマルクス主義者だった。彼は私の経済についての考え方に影響を与
えた一人だ」
 「さまざまな経験を積み、良質の教育を受け、何かよいことをするために自分
たちの歴史的特権を用いたいと考えている人々と友達になり、彼らからいろいろ
と学ぶことができたのは、ありがたいことだ」
 ザッキーには現在、パートナーはいない。
 「最後のボーイフレンドは、2年つきあったあとで、『TACか私か、どちらかを
選ばないとだめだ』」と言った。私には理解できた。私のような人間とつきあう
のは簡単なことではない。一緒に山に登ろう、と約束していたのに、誰かが緊急
の電話をしてきて、『ごめん、一緒に行けない』と言ったりする。あるいは、今
晩料理しようと言っておきながら、午後11時に帰ってきたりする。だから、心は
痛んだけれど、耐え難い辛さではなかった」
 彼はエイズと呼ばれる病気についての騒ぎを1982年頃に初めて耳にした。
 「レーガンが大統領だった頃のことで、ゲイとして、個人的には、そんな馬鹿
なことがあるか、と思っていた。ゲイと黒人とセックス・ワーカーがかかる病気っ
て? これは右翼による陰謀だ、レーガンのオーガズムだ、と」
 「だから私はほとんど注意を払わなかった。意識しはじめたのは1987年に、友
達の友達が死んだときからだ。そいつは非常に健康な、気のいいベジタリアンの
一人だった。私はそんな人たちを避けていたくらいだったのに! それが、死ん
でしまったんだ。それで私はすごく心配になった」
 「次に、進歩連邦党と鉱山会議所がマラウイ人の出稼ぎ鉱山労働者にHIVテス
トを受けさせることを主張し、鉱山から締めだそうとした。それら/彼らはいろ
んな意味でこの国の富だった(They were our country’s wealth in many ways)」
 「そういうわけで、私がHIVのことを理解したのは1980年代末のことだ。1985
年には私たちはベルヴィル・コミュニティ・ヘルス・プロジェクトを開始し、
HIVの問題に介入し、対処しはじめなければならないと人々に言い始めていた」
 「すると、1990年に、自分がHIVに感染しているとわかった。医者は私にこう
言った。『この病気については我々もよく知らないのです。あと6カ月かもしれ
ないし、3年生きられるかもしれません』」
 彼のくすくす笑いに、ついこちらもつられてしまう。
 「想像してみてよ。私ほど人生を愛している人間も多くないと思う。読書、議
論、したいことのあれこれ。それが、そんなことを言われて・・・それに、その
年は南アフリカへの、体制移行への希望が出てきた年なんだ。打ちのめされたよ」
 3ヶ月間の映画三昧のあと、反アパルトヘイト闘争も勝利が見えてきたことも
あり、彼は自分のアクティビズムを暫くあとまわしにして、映画製作を学び、英
語の学位(BA Honours)をとるため大学院に行くことにした。彼は大学を出てい
なかったが、試験によって入学を許可され、恋人のいるヨハネスブルクに移らな
ければ、修士課程にも進んでいただろう。ヨハネスブルクで彼はエイズ・ロー・
センターのパラリーガルとしての仕事を得た。
 「1年たたないうちに、私はそこのヘッドになった。HIV/AIDSをもつ人々の権
利を守り、政府に人道にかなった対応をさせる、という仕事に没頭した」
 「エイズ・ロー・プロジェクトで働いていたときの出来事でよく覚えているの
は、非常に高いレベルの管理職ポストのオファーを受けたアフリカ人女性のこと
だ。彼女は自分がHIVに感染していることを知っていた。彼女は私のところに来
て言った。「私には2人の子どもがいますが、子どもたちにHIVのことを知られた
くありません。もし私がテストを受けたら、私はこの仕事を得られず、子どもた
ちはその理由を知りたがるでしょう。私は誰にもその理由を知られたくない、いっ
たん誰かに知られたら、コントロールがきかなくなるから」
 「私は衝撃を受けた。なぜHIVについてこんな風に隠さなければならないのだ
ろう? プライバシーの権利は非常に重要だ。自分で決心がついたら人に話せば
いい。しかし、恐怖心のために隠さざるをえない、というのはよくない」
 「もちろん、当時、楽観的な見方も非常に強かった。新しい政府のもとで、全
国エイズ計画が提案され、HIVの感染率は5%程度にとどまる。全国エイズ計画に
よってエイズの拡大を防げるという希望があった」
 以来、政府が不気味に迫る破滅を見ないふりするなかで、彼が経験してきた落
胆と幻滅は、彼を怒らせるが、苦々しい気分にはさせない(made him angry,
but not bitter)、と彼は言う。
 「マンデラ前大統領がやっていることが、我々にとって最後のチャンスだと思
う(注:マンデラがTACと政府の対話の仲介を申し出たことを指す)。もし彼ら
がマンデラまでも拒絶するのであれば、いったい何が彼らを動かしうるだろう?
 何万人もの人たちが町中に繰り出すしかない」
 「私たちはできるかぎり穏健にやってきた。ヨーロッパのエイズ活動家が彼ら
の政府にやっていることを見てごらんよ。私たちは穏健さのモデルだ。」
 「個人的には、大統領が立場を明日変えてくれれば、まだ許す余地があると思っ
ている。しかし、時間がたつほど溝が深まり、今すぐに対処しないと橋渡しのし
ようがなくなってしまう」
 彼自身の健康も危ない状況が続いている。
 彼は免疫システムが弱まっていることを示す胸部の感染症を何とか克服し、抗
レトロウィルス薬の服用を今も断りつづけている。
 しかし、彼の活動レベルは落ち、いつも休みをとることを余儀なくされている。
たくさんすべきことがある人間にとっては辛いことだ。しかし、抗レトロウィル
ス薬についての彼のスタンスは揺るがない。
 「抗レトロウィルス薬を飲まない、という私の決意について最も重要なことは、
それによって良心のレベルで、状況に対処するための冷静さを保てるということ
だ」
 「自分の体や、体に何が起きているかについての恐怖心という意味では、不安
はある」
 「毎時間、誰かに薬を飲め、と言われて、プレッシャーはある。でも同時に、
私が知っている誰もが、私のしていることを受け入れてくれていると思う」


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◆2002/11/22
 [viva_hiv_aids] ザッキーさんを撮ったドキュメンタリー・ビデオ

斉藤@足立区です。

先日、林さんが日本政府代表団の一員としてジョハネスバーグ・サミットに参加した際、ザッキーさんと会って話をしてきています。
その際に、ザッキーさんを中心に南アフリカ共和国の特許権裁判・エイズ治療薬めぐる裁判の意味を浮き彫りにしようとするドキュメンタリー・ビデオ「It's My Life」と、TACの活動・主張を紹介するビデオ「Patient Abuse」を入手してきています。
日本のテレビ規格にコンバートしたビデオ・コピーが用意できたので、見てみたいという人は連絡下さい。本編だけで何の解説もついていないビデオですので、資料を読み込みながら見てもらうことになります。
僕自身は、発せられていることばはほとんど判らなかったのですが、映像だけでも見ることができて、すごく臨場感を感じました。
8月に行った「エイズ・結核・マラリアと闘う世界基金に円を!」キャンペーン呼びかけ人の一人で、このMLの参加者でもある西浦さんからは

"It's My Life"はさすがにドキュメンタリー監督が撮っただけあってよくできていましたね。ザッキー・アハマットさんの情熱がほとばしるビデオでした。ただ、1時間10分程と少し長いことと、一般の日本人にとっては背景説明をしないとよくわかりにくいかなと感じました。その後にもう一本のTACビデオを見ると、TACの活動内容がつたわってきて理解が深まりました。TACのキャンペーンの様子や南アの状況など日本語でまとまっているものはありますか(と私が今更尋ねるのも失礼な話ですが・・)。『アフリカ・レポート』の今春号で牧野さんが少し触れていましたが、まとまったものがあればそれと一緒にビデオを見ると理解が深まっていいかなと思いました。

という感想をもらっています。
関連資料としては、上記で紹介した林さんのザッキーさんとの対話記録、今回のシンポジウムに向けて作られた「地球的規模のエイズ問題を考える10日間資料集」、保健分野NGO研究会の南アフリカ共和国関連企画の資料などが該当します。これらは、必要な人に添付ファイルで送信します(プリント・アウトされた資料はもうほとんどないのです)。

今日、明日は神戸です。
明日は、世界基金フィーチェム事務局長との懇談も予定されています。
フィーチェム氏は、25日には東京・日比谷の日本プレスクラブでのHIV研究会(連絡先・エイズ&ソサエティ研究会議・宮田一雄さん)、26日にはFASIDで講演される予定です。
斉藤 龍一郎


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◆2002/12/10 「良心の男」
 Mandisa Mbali 米ボストン・グローブ紙 12/10/02
 http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/db-infection/2002121001.html

 ザッキ−・アハマットは空腹でないにもかかわらず、チョコレートケーキをほおばり続ける。彼はHIVポジティブだが、延命のための抗エイズ薬を拒否している。そのかわりに、彼はプロテインで免疫系を高める。チョコレートケーキはそのプロテイン摂取のために食べるのだ。
 アハマット氏は貧しくて薬に手が出ないわけでも、エイズに関して非主流論者で薬が毒だと信じているわけでもない。気が触れているわけでも、自殺願望を抱いているわけでもない。ネルソン・マンデラの言葉を借りれば、彼は国民的英雄なのだ。この極普通の男の、人並み外れた、命がけの決意が無数のアフリカの命を救おうとしているのだ。
 先週、ヨハネスバーグで開催されたレセプションで、元大統領がアハマット氏に向き直り、カメラの見守る中、抗エイズ薬を勧めた。「薬を飲むと、この老人と約束してくれはしないか。」いつものようにTシャツとジーンズ姿の英雄は「No」と答えた。彼がこうした申し出を断るのは初めてではなかった。
 数日後、ヨハネスバーグ近郊の庭でケーキをほおばりながら彼は薬を拒む理由を語った。「個人的な、良心の問題だよ。私は中産階級に生まれてきた。仲間たちは労働者階級だ。HIVに感染したのが彼らだったら、薬に手が届かない。」
 12年前にAIDSを引き起こすHIVに感染していると診断され、余命六ヶ月と言い渡されて以来、アハマット氏は自らの命を政府に抗う武器としてきた。生涯権力を相手取ってきた彼だが、ANC(アフリカ民族会議)の仲間達や、ともに選挙を闘い抜いたムベキ大統領と対立することになろうとは思いも寄らなかった。
 この戦いが命を賭したものとなることに懸念を抱いているのはマンデラ氏だけではない。数ヶ月前、40歳のアハマット氏が息も絶え絶えになりつつも、友人らの「薬を」との頼みを拒んだとき、南アフリカの国中が、彼を追悼する覚悟をした。
 彼は死を免れ、回復どころか太りさえした。でも、時折手が震え、疲れやすくなった。「自分のしていることを他人に勧めようとは思わない。それに、これ以上、こんなことをする必要もないよ。」
 その必要がなくなったのは、彼が議長を務めるトリートメント・アクション・キャンペーン(TAC)が戦いに勝利を収めつつあるからだ。製薬会社が薬価を下げ、政府が抗エイズ薬の処方を約束したのだ。ただし、この約束が果たされるまで、アハマット氏は薬を飲まない。
 長きにわたり法廷、病院、内閣会議で繰り広げられたこの戦いは筆舌に尽くし難い。しかし、何より異彩を放つのはアハマット氏自身の波乱に満ちた生涯だ。十代にして服役を強いられた反逆者、売春を生業としたこともあるゲイの指導者が、いまやある人びとにとっては救世主なのだ
 その人生のピークでアハマット氏が当惑しているのがジョハネスバーグでは見て取れた。700人の医師、企業幹部、ジャーナリストがスタンディングオベーションをおくる中、彼はぎこちなく足を引きずって歩き、やわらかだが早口のケープタウン訛りで、多くの人々、とりわけマンデラ氏が戦いに加わったことを述べた。
 この戦いには、莫大な数の命がかかっている。HIV/AIDSは少なくとも450万の南ア国民に感染しており、他のどの国よりも感染者が多い。36万人に上る昨年の死亡者数も、これから訪れる働き盛りの世代を奪い、何百万もの子どもたちから親を奪う、死者急増の前触れに過ぎない。
 類を見ない、複雑な危機である。数十年におよぶアパルトヘイト(人種隔離)政策に蝕まれた社会と経済が厳しい打撃を受けるのは当然のことであった。しかし、ここまでひどく痛めつけられるはずではなかった。約7万人の新生児がHIVを持って生まれるヨハネスバーグでは、死体を安置する場所が不足している。伝えられるところでは、廃坑を埋葬所として使用することが検討されている模様だ。
 ムベキ大統領はHIVがAIDSの原因よりもむしろ、利益を追求する薬品会社の陰謀だとみなしたことで、国家のウィルス対策の足を引っ張ったと非難されている。毒性が強すぎるとして、抗エイズ薬をはじめとする薬品の処方を禁じたのだ。
 1999年、6月の大統領就任当時は、アハマット氏がムベキ大統領の政敵となるとは思いも寄らないことであった。衣服職人の母と家具職人の父との間に生まれた混血児、ザッキ―・アハマットの政治活動は、アパルトヘイト教育に対する蜂起の最中、自分の学校に放火したことに端を発する。このとき、彼は14歳だった。
 暴力と混乱の時代、塀の外では、道端や他人のベッドで夜を明かした。保守的なイスラム教徒の家庭に生まれた彼は言う「そう、私はセックス・ワーカ―だった。隠したことはないよ。」
 HIVに感染している、と診断されたのは1990年、公然活動に登場し、トロツキストから社会民主主義へと転換したときだった。「医者は余命六ヶ月といったんだ。家に帰ってフイルムを撮りまくったよ。映画を撮影するのが夢だったからね。だが、病状は悪くなるどころか、快方へと向かったんだ。」
 小康状態を保ちつつ、アハマット氏はゲイ・ライト・キャンペーンに精を出し、ウェスタン・ケープ大学の英語学位を取得、そしてマンデラ氏がANCの指導者の座を退く際、その後任にムベキ氏を据えるべく活動した。「彼は良き指導者になると思ったのさ。」
 1998年11月、日和見感染症の口腔カンジダ症にかかり、病状が深刻化。炎症に体重激減、食べ物を飲み込めなくなった。友人らが資金を募り入手した薬で命を取り留めた。
 その後、医師に抗エイズ薬の永続服用を勧められるが、この頃ちょうどムベキ大統領のエイズ政策というより失策が問題となった。「はじめは、具合も悪かったこともあって投薬を承諾したが、少し考えてやっぱり断ったよ。」彼がともに育ってきた人々が同じ病に倒れても、薬を買ってくれる中産階級の友人はいない。自分だけが特別でいいはずないと思った。
 TACは法的かつ倫理的論戦を挑み、多国籍製薬企業に南アが特許薬の安価なジェネリック薬を輸入することを承認させた。ついに、延命治療薬が数百万のエイズ患者に行き渡るという希望がみえてきた。
 しかし、戦いはまだ終わってはいない。ムベキ大統領がHIVの母子感染を半減させるネビラピンなどの薬を公的企業の手から遠ざけたのだ。
 「主な問題は政治的意志の欠如にある。」とアハマット氏は言う。「どうして大統領はこんなことするのか」―笑顔でスプーンを弄びながら続ける―「あいにく、存在しない神に答えは見出せない。われわれ人間が答えにたどり着くことはないよ。」
 ムベキ氏がエイズの原因についてあれこれ言うのは、非主流論者にそそのかされたせいだという説や抗エイズ薬を購入するとなると国庫にかかる負担が余りに大きいことに腹を立てているのだという説が行き交うが、 アハマット氏の見解はというと―「大統領はアフリカでセックスが盛んに行われていると信じたくないのさ。」
 理由はどうあれ、TACは政府の申し立てるあらゆる異議に反論し、資金についても正しい使い方をすれば現状のままで十分な措置ができると主張している。ムベキ大統領は活動家との対談は避けたものの、今年はじめにマンデラ氏が病状悪化で自宅に伏せるアハマット氏を訪ねてからというもの、公式な中傷は控えている。
 「非常に苦しい立場にあった我々を援護してくれたのさ。私たちのためだけにじゃない。ネルソンは政府に楯突こうなんて思っちゃいないよ。ただ、正しい事をしたいと思っているだけさ。」感謝しつつも、アハマット氏はこの老人の薬を飲んでくれと言う頼みを二度とも断っている。
 国際的な非難に方向転換を強いられ、今年(2002年)4月、南ア政府は、(公共医療機関への)抗エイズ薬供給を約束するに至った。アハマット氏によれば役人が大統領を恐れ未だに薬の出回っていない州もあるというが、問題は薬の件だけではない。看護婦や医師の育成や検査の奨励など、他のアフリカ諸国に出遅れた国家レベルのHIV対抗策が必要なのだ。
 ごく最近、TACは政府の公約履行の動きを認めて批判の声を緩めてはいるが、2月のデッドラインまでに本質的な変化がなければ反政府運動が展開されることになっている。
 (TACの)議長にとって、この闘いへの関与はもやは個人的な問題ではない。 納得して薬を飲む条件を尋ねると、彼の体はこわばり、笑顔は消えた。「そのときがくればすぐに。」―計算されたあいまいな答えが返ってきた。彼の死は政府にとって国際関係上大きなダメージになる。この次に彼が倒れれば、おそらく死にいたるということは政府も心得ているところだ。その死によって彼の称号は反逆者から殉教者へと変わるであろう。

UP: 200208 REV:1222,20030212,15


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稲場さんより(2003/02/08着)

皆様 こんにちは。

 以下はTACのザッキー・アハマットからのメールですが、内容は、ナイジェリ
ア北部にあるケビ州のPHAの団体「ケビ州PHA連盟」(Kebbi Alliance of
Positive People: KAPOP)から、ムベキ大統領に宛てた、「わが辺鄙な片田舎で
も、みんな薬を飲んで治っている。あなたはグッドマンだが、薬をみんなに与え
てベストマンと呼ばれるようになりなさい」という趣旨で書かれた手紙です。
 ケビ州というのは、ナイジェリア北西部にあり、ベナンとニジェールに国境を
接する、ナイジェリアの中でもさびれた地域と思われます。ナイジェリア政府が
最近、全国100箇所にエイズ治療薬のセンターを設置するという、ブラジル・タ
イプの試みを開始したというニュースを見ましたが、この手紙にあるように、実
際にケビ州のような僻地においても治療薬の導入が開始され、ごく普通の人と思
われる人たちが薬にアクセスし始めたとすれば、なかなか驚くべきことです。
(逆にケビ州は人口が少なく、PHAの人口も少ないので、こうしたサービスの実
現が他の地域よりも容易なのかも知れませんが……)。

 とりあえずご参考まで。

稲場 雅紀

Dear Mr. President,
It saddens our heart that you have still not decided to let your people live.We who write this letter love you so much and you are a hero to us. We are a small group of People Living With Aids who would all have died a long time ago but our President, Chief Olusegun Obasanjo gave us Anti Retrovirals and we are all living our normal lives.The medicines do a great wonder in the fight against Aids.Like our friend Mr. Nasko; he was carried on a stretcher into the doctors office and given these medicines, yesterday he took the stairs two at a time and came to visit us, he had returned to his job as small time trader. So also Mr. Ambursa, he was taken for dead and wheeled into the doctors office, just six moths after, he too is back at his job. The medicines are so easy to take and have no side effects that have made any of us uncomfortable whatsoever. About two hundred of us here in this poor, illiterate North of Nigeria are taking these medicines very easily. Just three in the!
m!
orning and three in the evening. They are subsidized for us and we all can afford the 10 dollars every month that we are required to pay.Families have been re-united, even Lami and Rueben have got married. Lami wrote her will a few months before getting the medicines.
You are a good man, President Mbeki, just save the lives of your people and be the 'BEST MAN'
Our best regards
Samaila Garba
Kebbi Alliance Of Positive People (KAPOP).


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Date: Tue, 04 Mar 2003 08:18:43 +0200
Subject: [viva_hiv_aids] FW: [CCS-l] Fwd: Namibia Starts Moving on Treatment

ナタール大学CCSのMLへのZackieの投稿を転送します。牧野

------ Forwarded Message ------
From: "Centre for Civil Society Centre for Civil Society"
Date: Tue, 04 Mar 2003 07:09:54 +0200
To:
Subject: [CCS-l] Fwd: Namibia Starts Moving on Treatment


"Zackie Achmat" 03/03/03 03:30PM
Dear All

Let's hope Namibia moves forward. Anything we can do to help?

Regards

Zackie

The Namibian 28 February 2003

Govt to Supply Drugs to HIV Patients


Max Hamata


GOVERNMENT is to start providing anti-retroviral drugs for everyone infected
with the HIV virus, Health Minister Libertina Amathila said yesterday.


Amathila told The Namibian that Government has already awarded a tender to an
international company to supply the drugs within two months.


Amathila was reacting to Congress of Democrats (CoD) Rosa Namises' appeal for
Government to provide anti-retroviral drugs, especially to rape survivors and
HIV positive pregnant women.


Amathila dismissed the CoD's motion on free anti-retroviral drugs as
"opportunistic" because, she charged, "they knew that we are about to provide
the drug very soon", "They are jumping the gun to make it seem that they (CoD)
have forced us to provide the drugs," said Amathila.


"The patients are going to get it free of charge and our specialists are
working on a treatment schedule," she said.


She said anti-retroviral therapy will be provided at hospitals countrywide.


"This is a sophisticated treatment and can only be done by specialists," she
said.


She said Government's two pilot programmes on anti-retroviral drugs for
mother-to-child transmission of HIV at Katutura and Oshakati hospital will
also be rolled out countrywide.


It is expected to cost Government N$7 000 per patient a year to provide
anti-retroviral therapy.


Namises said yesterday that other developing countries are starting to provide
the drugs to their people despite having poor infrastructure.


She said small pilot programmes in Uganda, Cote d'Ivoire, Senegal and South
Africa and wide-scale treatment programmes in Brazil and other Latin American
countries had demonstrated that Namibia could start treatment programmes
"today".


"The rationale is that it is more cost-effective for the Government to spend
up to N$3 500 to prevent a rape survivor or medical worker from contracting
HIV than to allow this person to eventually contract HIV, become ill, and to
possibly transmit this virus to other people before passing away," she said.


"We need to ensure that this medication is available in all our State
hospitals and women and child protection units countrywide to prevent our
doctors, nurses and rape survivors from contracting this disease".



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*稲場さんより

 以下は、TACが市民的不服従キャンペーンを開始するに当たっての、ザッキー・ア
ハマット(TAC議長)の声明です。今回の「治療準備度サミット」を3月21日の市民
的不服従キャンペーンの直前に開始することで、TACは全世界の患者・感染者の支
援、および国際社会のサポートを取り付けることに成功しました。TACからのニュー
スは、AJFの事務所にメールで随時入ってきます。これを翻訳し、市民的不服従キャ
ンペーンの進行状況を逐次、日本社会に提供していく必要がありますが、その作業を
やってくれる方はいますでしょうか?(翻訳スタッフを募集します)

稲場 雅紀

*********************

SOUTH AFRICA: DYING FOR TREATMENT -THE TAC CIVIL DISOBEDIENCE CAMPAIGN
Issue date: 2003-03-20

This Briefing document is intended to help TAC activists and supporters to
understand the background to TAC's decision to embark on a civil
disobedience campaign in March 2003. Hundreds of pages could be written
about TAC's efforts to persuade government to work with civil society on an
HIV/AIDS treatment programme - but this is just a summary. In addition,
although there is a great deal of independent research and information that
could be cited to support TAC's demands, in this document we refer only to
government's own research and policy statements to show how, in reality,
the reluctance to commit to a treatment plan, including anti-retroviral
medicines, contradictsits own findings, policies and constitutional duties.


Dying for Treatment -TheTAC Civil Disobedience Campaign
- Zackie Achmat, SA
***************************************

TAC Briefing Document on the Civil Disobedience campaign
March 2003

This Briefing document is intended to help TAC activists and supporters to
understand the background to TAC's decision to embark on a civil
disobedience campaign in March 2003. Hundreds of pages could be written
about TAC's efforts to persuade government to work with civil society on
an HIV/AIDS treatment programme - but this is just a summary.

In addition, although there is a great deal of independent research and
information that could be cited to support TAC's demands, in this document
we refer only to government's own research and policy statements to show
how, in reality, the reluctance to commit to a treatment plan, including
anti-retroviral medicines, contradicts its own findings, policies and
constitutional duties.

What are TAC's two main demands?

1.That government make an irreversible and unequivocal commitment to a
public sector ARV programme.

2.That government return to the negotiations at Nedlac and make a
commitment to signing a Framework Agreement with business, labour and
community on a National HIV/AIDS Prevention and Treatment Plan.

What is the background to TAC's Civil Disobedience campaign?

1.Why we are calling for a National Treatment Plan?

The HIV/AIDS epidemic is a crisis that threatens South Africa's
reconstruction and development. Up to five million people are infected
with HIV and AIDS is now killing approximately 600 people every day.

In late 2002 an investigation by Statistics SA, titled Causes of Death in
SA, 1997-2001 found that:

"Throughout the study period, the emergence of HIV, TB and influenza and
pneumonia as the main causes of death is observed. Female South Africans
in the age category 15-39 died primarily as a result of HIV infections.
The data show a unique racial topology of mortality in the registered
deaths."

Dealing effectively with a crisis of this scale requires a recognition
that HIV/AIDS is an emergency as Cosatu, the religious sector, business
and the international community has demanded. It requires mobilization of
all of society and a plan to save lives.

South Africa has a five-year HIV/AIDS and STDs Strategic plan, which was
adopted in 2000. TAC is not calling for this plan to be scrapped, or
replaced. We are calling for a National Treatment and Prevention Plan to
strengthen the Strategic plan, which says very little about treatment
generally and nothing about anti-retroviral treatment. We are calling for
firm targets and timeframes and for all sectors of society to take
responsibility for meeting those targets.

This is why TAC and COSATU supported by more than 500 organisations
including FEDUSA and NACTU decided to take our call for a National
Treatment Plan to Nedlac. Nedlac is a statutory body that has a
responsibility to create a forum for negotiation and agreement between
labour, business, community and government on issues to do with labour,
the economy and development. Among its functions are:

"Seek to reach consensus and conclude agreements on matters pertaining to
social and economic policy." And "to encourage and promote formulation of
co-ordinated policy on social and economic matters."

HIV/AIDS is an epidemic, disproportionately affecting the labour market
and the poor. It clearly has a major impact on social policy.

Between October and November 2002 a senior HIV/AIDS task team at Nedlac
jointly developed and negotiated a 'Framework Agreement for a National
HIV/AIDS Prevention and Treatment Plan.' In this document there are major
areas of agreement.

Originally the aim was to sign the agreement by December 1st 2002, World
AIDS day. However, government and business requested additional time.
Business has now completed its consultation and supported the document. To
date, however, government has not returned to Nedlac. Instead it has used
the media to try to discredit and misrepresent the process.

TAC does not agree that it is forcing the government to make 'policy
choices' at Nedlac. We do believe that the government has a Constitutional
duty to act and take effective measures against this epidemic. This is
because it must "respect, protect, promote and fulfill all people's rights
to equality, dignity, and life. This can be done by improving access to
health services in general, and HIV/AIDS treatment in particular.

2. Why is TAC demanding an ARV programme?

TAC has been accused of being only interested in anti-retrovirals. This is
not true. The Nedlac Framework Agreement, for example, deals with many
interventions that must be improved. But for those people with HIV who are
dying ARVs are an absolute and urgent necessity.

In considering TAC's demand for an ARV programme the following points need
to be borne in mind:

-Anti-retroviral drugs, including generics are registered by the Medicines
Control Council. This means, like all other medicines, they have been
approved for use in SA and are considered safe and effective.

-In 2002 the World Health Organisation (WHO) strongly recommended the
scaling up of ARV programmes in poor countries, so that people with AIDS
in Third World countries could have the same benefits from medicine as
people in Europe and America. Many countries with less resources that SA
have heeded this call, including Botswana and Namibia.

-In South Africa several conferences organised by the Department of Health
have recommended that there should be ARV treatment. The National Health
Summit, in November 2001, called for pilot projects on ARVs. The draft
report from the National Scientific Consultative Forum on HIV/AIDS in
August 2002 stated:

"As far as anti-retroviral therapy is concerned, there was complete
consensus that anti-retroviral programmes are efficacious, and therefore
carry the potential to keep many people with HIV alive for many more years
than would be possible otherwise. .. unanimous on the need for the DOH to
develop a more pro-active plan for the =
implementation of ARV programmes."

-Most importantly the Cabinet Statement of April 17th 2002,recognised that
anti-retrovirals work when used according to internationally accepted
protocols.

TAC believes that the delay by government in acting on its own policies
and recommendations is leading to immense suffering and loss. It is also
creating new inequalities in SA. MPs have access to ARVs. People with
medical aid have access to ARVs. Parastatals such as Transnet and Eskom
provide employees with ARVs. The SANDF is designing an ARV programme. It
is only the poor, those employed in the informal sector and small and
medium sized enterprises, and the unemployed - ie those who are totally
dependent on the public health service - who, as a matter of policy are
denied these medicines.

The government has said that we must wait until April or May, when the
report of an investigation into the costs of an ARV programme is complete,
before a decision is made. TAC disagrees with this. TAC says a policy
decision and commitment must be made now.


The history of TAC's discussions with government, particularly the Deputy
President;

The TAC has been accused of being anti-government. This is not true. The
TAC supports this government, and its agenda to reconstruct and develop
SA, to eradicate poverty and create equality. It is because we support
this agenda that we demand an end to political denial about HIV. Our
demonstrations, petitions, court cases etc are all an affirmation of the
rights we won under our new Constitution.

TAC was founded in December 1998. From that moment on we have led the
march for access to treatment, including ARVs, for people with AIDS. Our
first march to Parliament to call for a National Treatment plan was in
2000. Since then Memos have been written and marches organized that have
repeated the call for a National Treatment Plan. The last was our march on
Feb 14th 2003 of 20,000 people.

But in addition to demonstrating we have made many other efforts to assist
government to overcome the barriers to treatment. These have included:

-Our intervention in the PMA case, which led to the pharmaceutical
companies withdrawing;
-Our campaign against Pfizer which led to to the multi-million Rand
Diflucan donation to the SA government;
-The research we have commissioned into the costs and impacts of
treatment;
-Our complaint to the Competition Commission regarding excessive pricing
by pharmaceuticals companies;
-The community based 'treatment literacy' programmes we run to improve
knowledge of HIV.

This contribution was recognised by the Deputy President, Jacob Zuma, when
TAC met with him in October 2002. The Deputy President agreed the Nedlac
process was important, but said that the government may need until
February 2003 to sign any agreement. "However, both parties recognized
the need for urgency based on the impact of the disease and the suffering
and death in communities."

The Nedlac negotiations went extremely well and consensus was reached
within the HIV/AIDS task team on most areas of the Framework Agreement,
including the principles and challenges of ARV access. Unfortunately
though the Nedlac process has now been de-railed by political opposition.
From the optimism of the negotiations we now feel that we are back in a
dark and difficult situation - once gain charcterised by political denial
about HIV. President Mbeki's refusal to recognize gravity of the HIV
epidemic in his State of the Nation address seems to be proof of this.

Why did TAC and COSATU organize the 'Stand up for Our Lives' march at the
opening of Parliament on February 14th?

The agreement with Deputy President Jacob Zuma did not include a promise
by TAC to cease social mobilization for its demands, although TAC did
decide not to proceed with its threatened civil disobedience campaign. It
was in this spirit that the TAC NEC decided to organise a "Stand Up for
Our Lives" march on the opening day of Parliament 2003.

The purpose of this march was to link the year's most important political
event with one of the country's most important social challenges,
HIV/AIDS, and to demonstrate to our MPs the strength of feelings that
exist behind calls for treatment and a treatment plan.

The march turned out to be the largest march in the history of the AIDS
epidemic, not only in South Africa but in any developing country. It
involved people of all races and classes as well as all faiths; it was led
by people living with HIV and AIDS; it included 650 delegates who traveled
on a train from Johannesburg. The demonstration was
disciplined and peaceful and, as we said repeatedly, it was not an
anti-government demonstration but a demonstration to show government what
could be mobilized with TAC support to prevent and treat HIV.

A memorandum was handed over to government representatives from the
Presidency, Deputy Presidency, Health Portfolio Committee and Finance
Committee. The memorandum was respectful and requested a response by the
end of February to its demands. Those who received the memorandum
publicly stated that it would be given serious consideration. But, to
date, there has not been any response from the government.

What is meant by civil disobedience?

For the most part, the TAC is committed to lawful protest. Our short
history bears testimony to this.

We wish to state clearly: the TAC civil disobedience campaign is not
promoting ungovernability. It is not promoting gratuitous law-breaking. It
is not calling for the overthrow of the government!

The aim of the campaign is to demonstrate anger and compel our political
leaders to deal with our demands. For millions of people AIDS is a
personal and community crisis. It must be felt by our politicians as a
political crisis. If there is time to negotiate on behalf of Burundi and
the Congo (which we support) - there must be time to resolve policy
questions on AIDS.

This year our Minister of Health has had time to go to Iraq, Switzerland
and the United States. She has not had time to take a decision on ARV
treatment. This is immoral.

As will be seen, this campaign will follow in the traditions established
by the ANC and United Democratic Front in their protests against unjust
laws. However, our protest is against political negligence and unjust
policies which willfully withhold life-saving medicine and other resources
from people in desperate need.

AIDS in South Africa has created a social crisis that is being felt in
millions of households. This crisis has to be addressed visibly, urgently
and at the highest possible levels of political leadership.This is not
happening at the moment. The TAC's actions are intended to draw renewed
attention to this crisis.

In conclusion, we state plainly that government can avert this campaign by
responding to our cries. Partnership is our strongest desire. We end with
a repetition of TAC's two reasonable demands:

1. That government make an irreversible and unequivocal commitment to a
public sector ARV programme.

2. That government return to the negotiations at Nedlac and make a
commitment to signing a Framework Agreement with business, labour and
community on a National HIV/AIDS Prevention and Treatment Plan.

We ask you to support this campaign. Stand up for Our Lives!

Zackie Achmat
Email:zackie@pixie.co.za

[このメッセージのテキスト以外の内容は省略されています]


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ザッキー・アハマットのスピーチ
7月16日パリ「世界基金支援国際会合」

*アフリカ日本協議会より

皆さま こんにちは。

 7月16日、フランス・パリ市で「世界エイズ・結核・マラリア対
策基金(GFATM)を支援する国際会合」がフランス共和国政府およ
び基金理事会の主催で開催されました。アフリカ日本協議会からは、
代表の林達雄ほか二人を派遣しました。また、川田悦子衆議院議員
も参加しました。

 この会合に、南アフリカ共和国で抗エイズ治療へのアクセスを求
めて闘うHIV感染者・AIDS患者のNGO、「治療行動キャンペーン」
(TAC)の議長、ザッキー・アハマット氏も出席、第一セッション
でスピーチを行いました。このスピーチは、他のスピーチと同様、GFATM
のホームページで聞けるようになっています。

http://www.globalfundatm.org/

 これについて、保健分野NGO研究会事務局のボランティアの皆さ
んの協力を得て、講演採録および翻訳を行いました。それが以下の
ものです。

 この会合では、日本を含む先進国の、基金への拠出の拡大が強く
要求されましたが、ザッキーさんはその中でも強力に、日本、ヨー
ロッパ連合、湾岸諸国等の世界基金への拠出を要求しています。ぜ
ひとも、目を通していただければ幸いです。

稲場 雅紀

***************

☆…━☆★☆━…☆…━☆★☆━…☆…━☆★☆━…☆…━☆

エイズ治療・予防を含む包括的な保健医療へのアクセスこそ
持続可能な成長への唯一の道

☆…━☆★☆━…☆…━☆★☆━…☆…━☆★☆━…☆…━☆

〜「世界エイズ・結核・マラリア対策基金を支援する国際会合」に
おける南アフリカ共和国「治療行動キャンペーン」議長ザッキー・
アハマット氏のスピーチ〜

2003年7月16日 フランス共和国パリ市 パレ・デ・コングレ

■1.はじめに

 スピーチを始めるに当たって、本会議の議長と世界基金の事務局
長に敬意を表します。もう一つ、メッセージがあります。これは、
私たちの組織、南アフリカ治療行動キャンペーンからのメッセージ
です。私たちの組織のメンバー全員から、1ユーロずつを世界基金
に拠出することを約束します。私たちのメンバーは一万人以上はい
ます。(拍手)

■2.希望はどこにある

 なぜ、私たちが世界エイズ・結核・マラリア対策基金を必要不可
欠な存在だと信じているか、ということから話を始めたいと思いま
す。

 ここに同席している全ての皆さんは、WHO(世界保健機関)の報
告書などにあるいくつかの報告をお読みのことと思います。それら
の報告書には、人々がヘルス・ケアへのアクセスを確実に得ていく
こと、また、プライマリー・ケアや、HIV、結核、マラリアを含む
数多くの病の予防・治療などへのアクセスを確実に得ていくことな
しには、開発や成長を得ることはできない、と書かれています。

 私たちの組織に、すでに 50歳を越えた一人のお母さんがいます。
彼女の名前は、オドゥワと言います。彼女は、20歳になる自分の娘
を、エイズで亡くしました。彼女は看護師でした。彼女は私たちに
言いました。「私は看護師として、自分の娘を救うことができなかっ
た。私はもう看護師をやめます。」そして、彼女の18歳の息子は、
娘が亡くなった数日後に死にました。なぜ死んだか。自分もHIVに
感染していることを知ったからです。

 彼を殺したのは何だったか。「エイズには治療法はない」という
メッセージでした。彼は母親への手紙で、「母さんはエイズに治療
法はないと言っていたね。ぼくはお姉ちゃんと同じ死に方をしたく
ない」と書き残したのです。

 「そこにはもう希望はない」というメッセージは、私たちの政府、
国際機関、そして他ならぬ私たち自身によって、とてもひんぱんに
表明されるものです……この病との闘いに、自らの国の資源を活用
するために、何らの行動も、何らの誓約も、そして自分自身を関与
させることもしないで。

 「国境なき医師団」は、ケープタウンのタウンシップの一つであ
るカエリチャという地域で抗エイズ治療のプロジェクトを行ってい
ます。そこに、ある若い男性がいました。エイズによって死に瀕し
ていて、仕事ができなくなりました。妻や娘も、体調を崩してしま
いました。そこで、彼は薬を飲み始めました。そして今、彼は、フ
ルーツショップを開いています。彼は妻や娘の生計を支えるために
働いています。彼は今や、自分たちのコミュニティの生産的なメン
バーになっているのです。

 私は、ボツワナの保健大臣に対して、南部アフリカ諸国において
治療と予防を実施するためのリーダーシップを取ってくれているこ
とに感謝を表明したいと思います。しかし一方で、私たちの国だけ
で、毎日、600人が死に、1500人が新しく感染しているのです。

 今、私たちに必要なことは何でしょうか。その最大のものは、全
てのレベルにおける政治的なコミットメントです。しかし、よく知
られているように、私たちの大統領や政府は、HIVがエイズの原因
であるということに関して疑義を呈するといった形で、問題に正面
から取り組もうとせず、不誠実な態度をとってきたのです。

■3.日本よ、あなたの10億ドルはどこにある

 私たちが世界基金を通して受け取っている、また、世界基金が資
金拠出の制約を受けた額というのは、世界基金の次の申請期間を通
じて必要とされる額の4分の1程度に過ぎません。このことについ
て、私たちは強く要求していきたい。まずヨーロッパ連合から始め
たいと思います。世界基金は、資金を説明責任ある方法で活用する
ことのできる、とても利用価値の高い組織だと思います。ヨーロッ
パ連合は、自らが行った約束を果たしていません。私たちは、ヨー
ロッパ連合に対して、少なくとも10億ドルの供与を要求します。
(拍手)

 次に、世界第2の経済力を持つ大国、日本についてです!私たち
は次のように言わねばならない、あなた方の資金はどこへ行った?
と。アジアにおけるエイズ!東欧におけるエイズ!そして、カリブ
海におけるエイズ!これらの感染拡大はまだ始まったばかりであり、
私たちは共に、それに向かって取り組まなければなりません。日本
よ、あなたの10億ドルは、どこにあるのですか?

 しかし、それだけではありません。私たちは、アラビア湾岸にお
ける戦争をこれまで、見てきました。クウェートやそれ以外の湾岸
諸国は、軍拡のために40億ドルを費やしています。私たちは湾岸諸
国に対して主張します。あなたたちの貢献は、どこに行ったのか?

 私たちは、世界基金に対して次のように言いたい。私たちは、基
金と共にあると。しかし、この世界にある政府や国際機関は、今の
ところ、世界基金への貢献を果たしていません。

 私は米国政府に対して、祝福の意を表明したい。私はアメリカを
ほめることは、普段はあまりしないのですが。私はアメリカ合州国
政府に対して、一定額の拠出を約束してくれたことを祝福します。
しかし、資金は確実に届けられなければなりません。私は、合州国
保健省長官であるトミー・トンプソンさんに要求します。少なくと
もある程度の割合の資金が世界基金にまわることを確実にしてくだ
さい。なぜなら、私たちは世界市民として、多国間協調のしくみが
真に重要であると考えているからです。多国間協調こそが、人間の
安全保障と地球規模の安全保障を確実なものとするからです。

 それゆえ、私は要求します。アメリカ合州国の国際エイズ対策資
金のうち、ある程度の量の資金、すなわち30億ドルを世界基金へと
回すことを。

■4.保健医療へのアクセスこそ持続可能な成長への唯一の道

 最後になりますが、私はこれまで、延々と資金要求のリストを読
み上げてきました。しかし、私は、物乞いをしたいのではありませ
ん。私は物乞いをすることを嫌悪します。私がここにいる皆さんに
対して本当に言いたいのは、次のことです。

 私たちすべてが、この感染症に責任を負っています。

 「治療行動キャンペーン」に関わる立場から、私はここにいる南
アフリカの大司教とともに、私たち全員で、南アフリカ政府に対し
て、正しい政策をとるように、説得しなければならないと考えます。
現在、南アフリカ共和国政府が行っている政策は、貧しい人々、と
くに黒人に対するホロコーストであるといっても過言ではありませ
ん。沈黙を続けることは、世界全体にとって悪いことであると考え
ます。

 私たちがターボ・ムベキ・南アフリカ大統領に対して「あなたの
国民に治療を!」と要求しているとき、ブッシュ大統領はこの同じ
人物と握手をしました。トニー・ブレア首相も同罪です。ブレア首
相は、統治に関する会議において、ムベキ大統領に対して「あなた
の国民に対する治療と予防の計画をきちんと実行しないのはなぜで
すか」と問うかわりに、ムベキ大統領を支持し、その統治を「良き
統治」であると賞賛したのです。

 私たちアフリカに住むものは、物乞いになることを望みません。
ヨーロッパ、アメリカ合衆国、日本の皆さん、私たちはあなた方に
対して、世界基金を支援することだけではなく、次のことを要求し
たいと思います。私たちは自分たちの成長を確実に達成しなければ
ならない。9月にメキシコのカンクンで開催される世界貿易機関
(WTO)の総会において、私たち途上国の人間に対して、以下のこ
とを保証してください。すなわち、私たちには貿易を行う権利があ
ること、そして、私たちには、すべての必須医薬品にアクセスする
権利があること。なぜならば、それが持続可能な成長を遂げるため
の唯一の方法であるからです。

 皆さん、ありがとう。あと、私はこの会議の休憩のときに会議場
外で行われる抗議行動に対して、皆さんを招待いたします。どうも
ありがとう!

(以上)


UP: 2003 REV:..20030219,25,0323,0806 .. 20050922 20071121 20090825
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