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Althusser, Louis

ルイ・アルチュセール


アルチュセール勉強会


*◆Althusser, Louis 1965 Pour Marx, Francois Maspero=1968 河野 健二・田村 俶 訳 『甦るマルクスI』『甦るマルクスU』,人文書院  千葉教養E360,=19940615 河野 健二・田村 俶・西川 長夫 訳 1965 『マルクスのために』 平凡社,平凡社ライブラリー1553,529p. 1553 ※

◆1970 "Ideologie et appareils ideologique d'etat", Pensee 1970-6=1972 西川長夫訳,「イデオロギーと国家のイデオロギー装置──探求のためのノート」,『思想』577(1972-7):114-136,578(1972-8):126-146 ※ →1975 『国家とイデオロギー』、福村出版 1975
 =1993 柳内隆訳,Althusseur et al.[1993:7-111]<253>
◆1978 『自己批判──マルクス主義と階級闘争』 福村出版,192p. 西川長夫訳 1500 千葉社1728
◆1989 『資本論を読む』 合同出版 5000 千葉社4556
◆1993 『アルチュセールの<イデオロギー>論』 三交社,225p.


Baribar, Etienne 1991 Ecrites pour Althusser, Editions La Decouverte
 =19941025 福井和美編訳 『ルイ・アルチュセール──終わりなき切断のために』,藤原書店,432p. ISBN:4-938661-99-3 \4,660 ※


■ルイ・アルチュセールについて日本語で書かれたもの

◆1970
◇本田玄伯「アルチュセールのマルクス」
 『研究西日本哲学会会報』西日本哲学会 第18号 1970.7 p13〜16

◆1974
◇河野健二「L・アルチュセール「政治と歴史」ほか――社会科学の精密な探求に向かって」
 『朝日ジャーナル』朝日新聞社 16(32) 1974.8.16 p55〜57

◆1975
◇竹内良知「今村仁司著「歴史と認識」――アルチュセールを読む」
 『現代の眼』現代評論社 16(8) 1975.8 p184〜187

◆1976
◇大枝秀一「現代哲学とアルチュセール問題――政治‐哲学‐科学の関係構造をめぐって」
 『現代と思想』青木書店 23 1976.3 p98〜129

◆1977
◇田畑稔「アルチュセール覚え書き――マルクス主義の体系性をめぐって」
 『富山大学教養部紀要 人文・社会科学篇』富山大学教養部10 1977 p19〜42

◆1978
◇山本晴義「若きマルクスに関する一考察―4―ルイス―アルチュセール論争を中心に」
 『大阪経大論集』大阪経大学会 121・122 1978.3 p251〜270
◇加藤晴久「アルチュセ-ルと知識人党員の「造反」」
 『朝日ジャーナル』朝日新聞社 20(23) 1978.6.9 p91〜93
◇平田清明「フランス左翼の自己革新―3―「政治学批判」としての国家論を―アルチュセールの共産党批判」
 『エコノミスト』毎日新聞社 56(33) 1978.8.22 p108〜114
◇今村仁司「マルクス主義哲学の死と実現――L.アルチュセールの場合」
 『理想』理想社 544 1978.9 p59〜72
◇山田満「イギリスにおけるアルチュセール学派の形成と定着」
 『千里山経済学』関西大学大学院経済学研究科院生協議会 第12‐2号 1978.12 p59〜108

◆1979
◇石堂清倫「危機はどこにあるか――L.アルチュセール「共産党の中でこれ以上続いてはならないこと」,G.モリナ/Y.ヴァルガス「革命か改良か」」
 『朝日ジャーナル』朝日新聞社 21(23) 1979.6.15 p65〜67
◇山本哲士「他律文明に対する自律文化を考えるためのノート――イリイチ、ハバーマス、アルチュセールをめぐりながら」
 『新日本文学』新日本文学会 34(9) 1979.9 p42〜51

◆1980
◇山田満「イギリスにおけるアルチュセール学派の形成と定着〔II〕」
 『千里山経済学』関西大学大学院経済学研究科院生協議会 第13‐1・2号 1980.3 p127〜149
◇高須賀義博「「資本論」の世界――アルチュセールの「資本論」解釈をめぐって」
 『一橋論叢』日本評論社 83(4) 1980.4 p482〜498
◇佐藤俊一「アルチュセリアンの階級理論――L.アルチュセ-ルからN.プルランツァスヘ」
 『法学新報』中央大学法学会 87(1・2) 1980.5 p321〜351

◆1981
◇渡部徹・山田慶児・阪上孝「随想(印象に残ること、図形思考、アルチュセールの狂気)」
 『人文』京都大学人文科学研究所 第23号 1981.3 p2〜6
◇平田清明「アルチュセールの悲劇」
 『経済評論』日本評論社 30(3) 1981.3 p84〜89
◇柳内隆「フランスにおける現代国家論の一潮流――L.アルチュセール、J.ランシェール、E.バリバールを中心に」
 『法と政治』関西学院大学法政学会 32(1) 1981.3 p293〜340

◆1982
◇山田満「アルチュセール的認識論の種別性」
 『千里山経済学』関西大学大学院経済学研究科院生協議会 第16‐1・2合併号 1982.12 p57〜119

◆1983
◇秋永雄一「<教育的な関係>の特質について――アルチュセールとブルデューの批判的検討」
 『東京大学教育学部紀要』東京大学教育学部 23 1983 p287〜296
◇浅田彰「アルチュセール派イデオロギー論の再検討」
 『思想』岩波書店 707 1983.5 p38〜65

◆1984
◇浅田彰「報告 アルチュセールとポスト構造主義〔含 質疑応答〕」
 『社会思想史研究』学文社 8 1984 p59〜65
◇A. デミロヴィチ、古賀暹(訳・解説)「 哲学の戦場――アルチュセールの哲学的戦略と哲学のヘゲモニー的位置」
 『思想』岩波書店 718 1984.4 p329〜347
◇鷲田小彌太「現代家族論の背景――浅田彰からイバン・イリイチまでの距離」
 『円卓会議』1(3) 1984.7 p168〜71

◆1986
◇今村仁司「現代ヨーロッパ思想への視点――ポスト構造主義の台頭が意味するもの」
 『エコノミスト』64(5) 1986.2.4 p77〜83

◆1987
◇富山太佳夫「「大きな物語」再考―ポスト・モダニズムとマルクス主義」
 『思想』 754 1987.4 p8〜28

◆1988
◇清水誠「エピステモロジーの系譜――バシュラールからアルチュセールまで」
 『思想』岩波書店 764 1988.2 p60〜76
◇古賀暹「グラムシとアルチュセール派――デミロヴィチの科学論をめぐって」
 『現代の理論』現代の理論社 25(3) 1988.3 p40〜49
◇廣松渉・最首悟・今村仁司「パリ五月革命から20年――転換への太い流れの始まりかあるいは結局は「ゼロ」なのか(座談会)」
 『朝日ジャーナル』30(24) 1988.6.10 p74〜8
◇河村望「アルチュセ-ルの構造主義と国家論の批判」
 『季刊科学と思想』新日本出版社 69 1988.7 p66〜83
◇向井俊彦「アルチュセールのイデオロギー論についての批判的検討」
 『唯物論と現代』文理閣 第2号 1988.9 p19〜46
◇田代忠利「マルクスに「裏切られた」アルチュセール――『資本論を読む』における認識論の問題」
 『季刊科学と思想』新日本出版社 70 1988.10 p440〜468

◆1989
◇山本哲士「社会科学の方法としての<理論的デプラスマン>――「ルイ・アルチュセールを読む」―1―」
 『信州大学教養部紀要』信州大学教養部 23 1989.2 p63〜83
◇上野俊樹「アルチュセールの認識論とイデオロギー論―1―」
 『季刊科学と思想』新日本出版社 73 1989.7 p167〜192
◇田代忠利「アルチュセールの国家論における古さと新しさ――「国家=生産関係再生産の保証」説の批判的検討(ネオ・マルクス主義批判―3―)」
 『季刊科学と思想』新日本出版社 74 1989.10 p353〜381
◇池田信「イデオロギー論についての若干の考察――アルチュセル対ハースト―1―」
 『経済学論究』関西学院大学経済学研究会 43(3) 1989.10 p371〜388

◆1990
◇石井潔「英国におけるアルチュセ-ル理論の一展開――P.ハーストの場合」
 『静岡大学教育学部研究報告 人文・社会科学篇』静岡大学教育学部 41 1990 p63〜74
◇上野俊樹「アルチュセ-ルの認識論とイデオロギー論―2―」
 『季刊科学と思想』新日本出版社 75 1990.1 p720〜746
◇池田信「イデオロギー論についての若干の考察――アルチュセル対ハースト―2完―」
 『経済学論究』関西学院大学経済学研究会 43(4) 1990.2 p57〜71
◇浜田正「ルイ・アルチュセールと哲学」
 『白山哲学』東洋大学文学部哲学研究室 24 1990.3 p94〜114
◇上野俊樹「アルチュセールの認識論とイデオロギー論―3―」
 『季刊科学と思想』新日本出版社 76 1990.4 p1244〜1279
◇上野俊樹「アルチュセールの認識論とイデオロギー論―4完―」
 『季刊科学と思想』新日本出版社 77 1990.7 p295〜318

◆1991
◇阪上孝「孤独と狂気――アルチュセールを悼む」
 『思想』岩波書店799 1991.1 p4〜15

◆1992
◇大谷遊介「アルチュセール理論の全体像」
 『東経大論叢』東京経済大学大学院経済経営研究会 第13号 1992.3 p1〜30
◇田中宏「構造―イデオロギー関係の転換――アルチュセールの社会構想とその批判的乗り越え」
 『思想』岩波書店 818 1992.8 p79〜99
◇丹生谷貴志「老いの言葉―5―アルチュセールの言葉から」
 『現代詩手帖』思潮社 35(9) 1992.9 p162〜167

◆1993
◇宇城輝人「国家のイデオロギー装置について――アルチュセールにおける闘争・社会契約・再生産」
 『ソシオロジ』社会学研究所37(3) 1993.2 p77〜93
◇市田良彦「未来は永く続く――アルチュセールのヨーロッパ」
 『文芸』河出書房新社32(4) 1993.11 p323〜328

◆1994
◇伊藤高史「アルチュセールのイデオロギー論とディスクールの理論、およびその方法について」
 『マス・コミュニケーション研究』日本マス・コミュニケーション学会 44 1994.3 p1〜14
◇池田清「アルチュセールにおける「徴候的読解」について――問いと答えのズレの反復/更新/統一(第53回〔日本哲学会〕大会一般研究発表要旨)」
 『哲学』日本哲学会 44 1994.4 p104〜106
◇馬淵浩二「「主体も目的もない過程」と自然史――アルチュセ-ルからマルクスへ」
 『文化』東北大学文学会 58(1・2) 1994.9 p36〜53

◆1995
◇池田清「アルチュセ-ルにおける「徴候的読解」について――問いと答えのズレの反復/更新/統一」
 『哲学』日本哲学会 4 5 1995.4 p292〜301

◆1996
◇山田正行「生涯学習の実践論における政治と哲学――アルチュセールのマルクス理解への批判の比判を通して」
 『秋田大学教育学部研究紀要 教育科学』秋田大学附属図書館 49 1996.3 p75〜86
◇酒井隆史「「物質性」とその消去――アルチュセール派イデオロギー論による「自明性」の考察とその限界」
 『年報社会学論集』関東社会学会 9 1996.6 p163〜174
◇大中一弥「ルイ・アルチュセールの国家とイデオロギーの理論――『再生産について』を中心に」
 『早稲田政治公法研究』早稲田大学大学院政治学研究科 53 1996.12 p261〜292

◆1997
◇沢里岳史「前期アルチュセールの科学哲学について」
 『哲学世界』早稲田大学大学院哲学院生自治会「哲学世界」刊行委員会 20 1997 p77〜88
◇馬淵浩二「イデオロギーと想像的なもの――アルチュセールのイデオロギー論をめぐって」
 『倫理学年報』日本倫理学会 46 1997 p203〜217
◇杉山吉弘「ルチュセ-ルにおける適用理性主義と認識生産の理論」
 『札幌学院大学人文学会紀要』札幌学院大学人文学会 60 1997.3 p93〜110
◇細谷実「フェミニズムとアルチュセール」
 『理想』理想社 659 1997.6 p53〜63
◇吉川信「モリーと家族とイデオロギー―アルチュセールからの批判」
 『中央英米文学』中央英米文学会 第31号 1997.12 p15〜25

◆1998
◇池田清「アルチュセールにおける読解の循環性について――弁証法的循環と自己言及的循環の混同の分析」
 『Etudes francaises』大阪外国語大学フランス語学科研究室 31 1998 p93〜118
◇マウリチオ・ラッツアラ-ト、アンヌ・ケリアン、市田良彦訳「「未来は長く続く」とルイ・アルチュセールはいった。今日、トニ・ネグリはこの未来の征服 に再び旅立った」
 『インパクション』インパクト出版会 106 1998.1 p93〜96
◇今野 晃 19981122 「Sur Reproduction──もう一つのアルチュセール・イデオロギー論」
 日本社会学会第71回大会報告 ※
◇岩尾竜太郎「アルチュセールのEdde homo『未来は永遠に続く』」
 『現代思想』青土社 26(15) 1998.12 p179〜195
◇石井潔「アルチュセール、ドラキュラの友」
 『現代思想』青土社 26(15) 1998.12 p222〜229
◇十川幸司「城の外に出ること アルチュセールと精神分析」
 『現代思想』青土社 26(15) 1998.12 p196〜212
◇Francois Matheron、守永直幹「ルイ・アルチュセールにおける真空の回帰」
 『現代思想』青土社 26(15) 1998.12 p112〜131
◇今村仁司・市田良彦「討議 アルチュセールのアクチュアリティ」
 『現代思想』青土社 26(15) 1998.12 p68〜92
◇上野修「アルチュールとスピノザ」
 『現代思想』青土社 26(15) 1998.12 p213〜221
◇阪上孝「アルチュセールをはじめて読んだ頃」
 『現代思想』青土社 26(15) 1998.12 p94〜97
◇市田良彦・佐藤吉幸訳「ルイ・アルチュセールにおける時間と概念」
 『現代思想』青土社 26(15) 1998.12 p162〜178
◇Jacques Ranciere、篠原洋治訳「テクストの舞台」
 『現代思想』青土社 26(15) 1998.12 p132〜148
◇毛利嘉孝「文化と過剰決定 アルチュセールとカルチュラル・スタディーズ」
 『現代思想』青土社 26(15) 1998.12 p98〜111

◆1999
◇目黒強「「児童の発見」再考――イデオロギー装置論(アルチュセール)にむけて」
 『児童文学研究』日本児童文学学会 32 1999 p40〜52
◇今野晃「理論について/実績について――アルチュセール・イデオロギー論再考」
 『情況 第二期』情況出版 10(4) 1999.4 p95〜122
◇Judith P. Butler、伊吹浩一訳「良心がわれわれみなを主体にする――アルチュセール」
 『情況 第二期』情況出版 10(8) 1999.9 p49〜70
◇仲正昌樹「アルチュセールとデリダ――二つのマルクス読解」
 『情況 第二期』 情況出版 10(8) 1999.9 p27〜48
◇的場昭弘「アルチュセールとマルクス――「沈黙」と「不在」、そして生きられたマルクス」
 『情況 第二期』情況出版 10(10) 1999.11 p93〜117
◇中谷陽二「犯罪者が語り始めるとき――アルチュセールのクリミノグラフィー」
 『日本病跡学雑誌』剛出版58 1999.12 p24〜30

◆2000
◇浜田正「若きアルチュセールのプロブレマティック〔含 質疑応答〕」
 『社会思想史研究』北樹出版 24 2000 p50〜52
◇澤里岳史「アルチュセールのルソー読解」
 『フィロソフィア』早稲田大学哲学会 88 2000 p93〜107
◇伊吹浩一「主体と主体性をめぐって――サルトルとアルチュセール」
 『理想』理想社 665 2000 p15〜25
◇上野 修 20000305 「書評:ルイ・アルチュセール『哲学・政治著作集』,藤原書店』 『思想』909(2000-03):094-098 ※
◇伊吹浩一「アルチュセール・イデオロギー論、そのマトリックスと帰結するもの――精神分析とイデオロギー装置」
 『情況 第二期』情況出版 11(2) 2000.3 p84〜113
◇Yann Moulier Boutang、市田良彦訳「インタヴュー ヤン・ムーリエ・ブータンに聞く 『Multitudes』/移民運動/アルチュセール」
 『批評空間 2期』太田出版 25 2000.4 p132〜146
◇宇波彰「アルチュセールと現代思想」
 『アソシエ』御茶の水書房 3 2000.7 p159〜164
◇箱田徹「アルチュセールと後期フーコーの主体化論における理論と実践」
 『国際文化学』神戸大学国際文化学会 3 2000.9 p91〜104
◇福井和美「「新しい」アルチュセール―「理論」と「自伝」のあいだ」
 『環』藤原書店 3 2000.10 p250〜263
◇Louis Althusser、福井和美訳「マキャヴェリの孤独」
 『環』藤原書店 3 2000.10 p232〜249
◇Judith Butler、井川ちとせ(訳)、竹村和子「テクスト 良心がわたしたち皆を主体にする――アルチュセールの主体化/隷属化(サブジェクション)〔含 解題〕」
 『現代思想』青土社 28(14) 2000.12 p84〜103

◆2001
◇浜田正「初期アルチュセールのマキャヴェッリ論、そして偶然的唯物論(〔社会思想史学会〕第二五回大会記録――自由論題)」
 『社会思想史研究』北樹出版 25 2001 p79〜83
◇千脇修「ル・ゴフとアルチュセール ジャック・ル・ゴフ著(立川孝一訳)『歴史と記憶』(法政大学出版局、1999年)への書評に代えて」
 『西洋史論叢』早稲田大学史学会西洋史部会 第22号 2001.1 p9〜20
◇高橋順一「『フォイエルバッハ・テーゼ』の言語=理論――革命的位置について アルチュセールからの視角」
 『情況 第三期』情況出版 2(6) 2001.7 p184〜189
◇今野晃「アルチュセール アルチュセール・イデオロギー再考―理論と実践」
 (情況出版編集部編『社会学理論の(可能性)を読む』情況出版 2001.7 p129〜)
◇石井潔「レヴュー・エッセイ 残されたテキスト――アルチュセール『哲学・政治著作集1・2』を読む」
 『唯物論研究年誌』唯物論研究協会 6 2001.10 p313〜320
◇伊吹浩一「主体も目的もない過程としての歴史――アルチュセ-ルのマルクス学位論文の言及をめぐって」
 『情況 第三期』情況出版 2(8) 2001.10 p212〜226

◆2002
◇岩本一「アルチュセ-ルのディスク-ルの理論について」
 『言語と文化』東洋大学言語文化研究所設置準備委員会 2 2002 p35〜44
◇山本雄二「教育知と主体の問題」
 『関西大学社会学部紀要』関西大学 34(1) 2002.12 p185〜206

◆2003
◇山家歩「アルチュセール国家イデオロギー論の再検討――最終審級をめぐる問題を中心として」
 『現代社会理論研究』「現代社会理論研究」編集委員会事務局 13 2003 p342〜353
◇大中一弥「ポスト・アルチュセールの政治思想――エティエンヌ・バリバール著『我らヨ-ロッパ市民?』からの一考察」
 『情況 第三期』情況出版 4(1) 2003.1 p203〜220
◇伊吹浩一「アルチュセールの唯物論」
 『情況 第三期』情況出版 4(1) 2003.1 p221〜243
◇的場昭弘・仲正昌樹「今、アルチュセ-ルを開く」
 『情況 第三期』情況出版 4(1) 2003.1 p167〜188
◇柳内隆「スピノザというレンズ――アルチュセールのなかのスピノザ」
 『情況 第三期』情況出版 4(1) 2003.1 p189〜202
◇佐藤嘉幸「精神分析理論から構造変動の理論へ――アルチュセールにおける構造変動と偶然性」
 『思想』岩波書店 950 2003.6 p130〜148
◇佐藤紀子「サルトルとアルチュセールの階級に関する認識論的立場」
 『聖心女子大学大学院論集』聖心女子大学 25 2003.7 p94〜77

◆2004
◇桑野弘隆「国家とイデオロギーについて――アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」をめぐる思想史的一考察」
 『社会思想史研究』藤原書店 28 2004 p99〜115
◇大中一彌「政治に出会う理論は可能か――晩期アルチュセールという対象」
 『理想』理想社 673 2004 p59〜68
◇立木康介「質料と偶然――アルチュセールの「出会いの唯物論」について、そしてアリストテレスの自然学について」
 『人間存在論』京都大学大学院人間・環境学研究科総合人間学部「人間存在論」刊行会 10 2004 p117〜131
◇佐治孝夫「アルチュセールとポスト近代的マルクス主義――L.アルチュセールの政治思想(1)」
 『社会とマネジメント』椙山女学園大学現代マネジメント学部 1(2) 2004.3 p37〜56
◇宇城輝人「『マルクスのために』Pour Marx(1965) ルイ・アルチュセール(1918-1990)(ブックガイド60)」
 『現代思想』青土社 32(11臨増) 2004.9 p198〜201
◇植村邦彦「重層的決定と偶然性――あるいはアルチュセールの孤独」
 『関西大学経済論集』関西大学経済学会 54(3・4) 2004.11 p337〜354

◆2005
◇松浦寿輝「文化季評(6)アルチュセール、アーレント、パース」
 『UP』東京大学出版会 34(4) 2005.4 p43〜47



●アルチュセールとフーコーの関係についてのメモ●

□アルチュセール研究
■今村仁司19930810『アルチュセールの思想』講談社

「ヘーゲルは常識の線で言えば、西欧形而上学の、とくに近代哲学の総合的完成者であるということになっているが、アルチュセールの観点で言えば、ヘーゲルはむしろ現代の思想、とりわけマルクスとハイデガーから開始する「主体なき過程」の哲学の真実の開拓者であると見なすことすらできるのである。フーコーもドゥルーズもデリダもヘーゲルをこのようには規定しないだろう。かれらはむしろヘーゲルを伝統的見解にしたがって「西欧形而上学の最後の哲学者」とみなしている。だからこそ、とくにフーコーとドゥルーズはヘーゲルを批判するために、そしてついでにマルクスから身を引き離すために、ニーチェに頼らざるをえない。しかしそうなると、ヘーゲルはいずれにせよ「過去の思想家」として博物館入りさせるほかはなくなるのだ。そんなことでいいのだろうか。事態はそれほど簡単ではない。けれどもアルチュセールは、すでに見たように、ヘーゲルとマルクスとの種差を明示することで、かえって新しい仕方でヘーゲルのアクチュアリティーを取り出すことができたと言えよう。」(p.28)

「(…)フーコーやブルデューは決してそんな部類に入らないが、それでも彼らはアルチュセールの影響ないしインパクトを最小限に限定しようとする「フランス知識人的傾向」から免れていない。フーコーは『知の考古学』以来、「ディスクルシーヴ」(言説的)な形成体」という用語を使っている。この「言説形成体」を通して権力的な支配の効果が社会のすみずみまで浸透していく事態を彼は説明している。彼の言う「言説形成体」の具体化は、『監視と処罰 監獄の誕生』のなかでは、学校、監獄、工場、病院、軍隊という装置である。そこでは言説形成体によって、「自発的に服従する主体」が形成される。これなどは議論の核心のみを取り出せば、まさにアルチュセールの理論そのものであろう。勿論、フーコーならではの記述と絢爛たる描写をこそ賞賛すべきではあろうが、しかし理論的な方向はアルチュセール的であることは否定しようもない。ところが誰もフーコーとアルチュセールとの継承関係を語ろうとせず、アルチュセールを忘れたがっているみたいだ。(フーコーを巧みに利用して「オリエンタリズム」を論じたサイードですら、アルチュセールの理論には全く無関心なのだ。他は推して知るべし。)フーコー自身は決して理論の人ではないから、ときに概念規定が曖昧であり、理論的に語るべきところを歴史的記述か社会学的説明で満足するところがある。だからこそ、フーコーの優れた仕事を理論的に更に深めたり、彼がわずかにしか触れていないが大切な事柄を蘇生させていくためにも、アルチュセールのイデオロギー論は不可欠なのである。
 (…)アルチュセールが「イデオロギー的主体の形成」を「国家装置」論でやったことを、フーコーは「訓練装置」の具体的な歴史記述によって、ブルデューは身体的なハビトゥスの場面への「信念」の刷り込み(これがブルデュー的な「主体の形成」論である)を微細に記述することによって、それぞれに固有の仕方で豊かに展開していった。(…)」(p.45-46)

「例えばミシェル・フーコーの一種独特の認識論的見解も、一見バシュラール的立場から遠くへだたるごとくであっても、彼もまたバシュラールの哲学的地平においては自己の出発点を確立することができなかったと思われる。かえってフーコーの科学史・思想史に関する歴史観(アルケオロジー論)とバシュラールの正統的担い手たち(カンギレーム=アルチュセールの弟子たち)との論争自体が、実はバシュラール的問題設定の上でこそ可能であったのであり、またこの論争自体がバシュラールの拓いた道を豊かに発展させていくものと期待されるのである(…)。」(p.106-107)

「したがって、われわれは一巡して、再び理論的実践=科学的認識そのものの研究に直面せざるをえない。なぜなら、理論的実践=科学的認識を、他の諸々の実践(イデオロギー的、政治的、その他)との関係において研究することなしには、理論的階級闘争の働きの場所さえ見出すことができないであろうからである。そして、この研究領域は、マルクス主義のなかでも最も遅れている場面であり、また「マルクス主義はこの領域で一度も見るべき仕事をしたことがない」とフーコーが批判する場所であるだけに、アルチュセールの開拓的な認識論的研究は、高く評価されねばならない(フーコーの批判は少し大げさだが、アルチュセールよりも具体的にこの領域で仕事をしたひともすでにある。例えば、ルフェーブルとJ.T.デザンティ)。」(p.121-122)

□今村仁司19970210『アルチュセール――認識論的切断』講談社

「(…)カントなら拒否するようなアプリオリ=アポステリオリという逆説的事実こそ、歴史的現実である。それをアルチュセールは「経験的な超越論的なもの」(le transcendental empirique)とよぶ。(フーコーは『言葉と物』のなかで、近代的主体における経験的なものと超越的なものとの二重態をさすために、アルチュセールのこの用語そっくり同じ言葉を使うが、ひょっとすると、アルチュセールからの口頭による示唆があったかもしれない。)(…)」(p.106)

「ここで構造と主体に関するある種の誤解を指摘しておきたい。例えば、六〇年代から現在まで、構造と主体は正反対であり、構造は主体を放棄したり、主体を消滅あるいは死滅させると言われてきた。例えば、フーコーは「主体ないし人間の死」を語った。彼がかたっている「主体」とは、近代哲学が作ってきた「人間的主体」のことである。それは特定の時代の産物であり、それは遠からず消滅するだろうとフーコーは言う。近代哲学の「主体」が世界構成の原理であることの不可能性を語る限りでは、フーコー的表現も正しいが、それを一般化して、構造は主体を死滅させるとか、構造と主体は相いれないと語るのは錯覚である。
 構造は主体を排除するどころか、主体を要求し、かりに主体が存在しなければ無理にも出作りだす。アルチュセールはまさにこの事実を洞察したが、これは彼の傑出した理論的貢献である。彼が言うように、構造(社会的)は必ずそれ固有の主体/主観性の形式を算出し、この主体/主観性に構造の担い手の機能を担当させる。」(p.272-273)

□フーコー研究
■中山元19960620『フーコー入門』筑摩書房

「マルクス主義のアルチュセールのイデオロギーの理論は、イデオロギーを信じる主体がいかにして形成されるかという視点をそなえていた点で、マルクス主義の権力論としては例外的なものであった。しかしこのアルチュセールのイデオロギー論も、社会の主体は外部からイデオロギー(虚偽意識)によって統制されると考えるものであった。
 これに対してフーコーの権力論は、権力を虚偽意識の観点からではなく、主体の内部から機能する力として分析するものである。フーコーはそれまでの権力論を批判する――これまで権力は「排除する」「抑圧する」「隠蔽する」「取り締まる」などの否定的な用語で考えられてきたが、権力は主体の内部から、現実的なものを生み出している力として理解する必要があるのではないか。
 フーコーが権力を、このような外部からの強制や抑圧としてではなく、主体の内部から働く力として、複数の人間の間に成立する力の場として考えたことによって、権力の理論に新たな可能性が生まれた。
 まず、権力の理論をマルクス主義的な階級の抑圧理論として捉えるのではなく、社会の内部で普遍的に働くものであると考えることによって、権力の行使に関する微細な分析が可能となった。階級対立論では、アルチュセールのようにブルジョワ階級あるいは国家による権力の行使は分析できても、学校や会社やさまざまな制度と組織の内部での権力の装置の微細な分析は、そもそも必要と考えられなかっただろう。
 権力が、これまでのように抑圧的なブルジョワ権力や、革命的なプロレタリア権力のようなイメージではなく、真理を語ると自称する者とその真理を信じる者、教師と生徒、上司と部下、男性と女性、父親や母親と子供といった日常生活のすみずみに張りめぐらされた人間の間の力関係の網の目として理解されるようになることによって、現実の生活の場での社会批判の視点が確保されるのである。」(p.136-137)

■関良徳20010405『フーコーの権力論と自由論』勁草書房

「法や政治に関する理論の領域では、これまで概説してきた法的権力モデルという視座から権力の問題を理解することが自明の真理として通用してきた。これに対し、フーコーは、そうした定式の裏面に捉えられた現実の権力現象を捉えようとしている点でL.アルチュセールら同時代のマルクス主義者から影響を受けていたことは間違いないだろう(14)。しかし、マルクス主義者が権力の問題を階級構造や社会的矛盾として再発見しながら、それを再度これまでの法的権力モデルの中で解決・解放しようとしたのに対し、フーコーは従来の権力概念そのものを問題化しようと試みる。その意味で、両者の間には大きな隔絶があるといえよう。ここでは近代以降の権力の在り方に焦点を合わせ、法的権力モデルの有する諸特徴が現実の権力との間にいかなる関係性を有するのか、そのモデルが近代以降の権力現象を十分に映し出しているのか否かといった問題を検討する。」(pp.10-11)

(14)桜井哲夫[1996]二一二-二一六頁(=桜井哲夫『フーコー――知と権力』講談社)

「このようなフーコーの記述から、多くの論者は支配階級のイデオロギーを下部構造との関連において発見し、その虚偽性を批判しようとするマルクス主義的なイデオロギー論を想起した。フーコーが近代立憲主義を支配階級のイデオロギーとして捉えていることを指摘した人々は、法的思考枠組みが現実の身体的権力を覆い隠す役割を果たしてきたとする彼の歴史認識を批判の中心に据えた(25)。法の排除論を提起した人々は、この「法=イデオロギー」論を取り込むことで、フーコーと法との間に乗り越え難い「断絶」をつくりあげようとしたのである。しかしながら、このような批判は簡単な誤解と根深い偏見のうちに生み出されたものである。フーコーとアルチュセールのようなマルクス主義者との関係を指摘する研究も存在しているが(26)、フーコー自身は基本的に「イデオロギー」や「抑圧」といったマルクス主義の概念に対して批判的であり、そうした概念を基礎に思索を構成したとは考えられない(27)。そして、前述した通り、彼は「法」を単なる規律権力への「覆い」として理解する立場を離れ、近代社会の権力を構成するもう一方の還元不可能な要素として認識している(28)。法的権力として表象された「法」は、それ自体として私たちの現実的行為と結び付いた思考枠組みを産出しているのである(29)。このような議論の帰結として、フーコーを規律権力中心主義に位置付けるのは不可能であろう。」(pp.144-145)

「(27) Foucault [1977a] pp.146-149(八三-八六頁)。「イデオロギー」という概念を用いようとしない理由として、フーコーは次の三つを挙げている。@イデオロギーは常に「真理」と潜在的に対置されている。Aイデオロギーの観念は、必ず「主体」に準拠している。Bイデオロギーは、その下部構造に対して一歩退いた位置にある。」

■桜井哲夫20010510『知の教科書 フーコー』講談社

「ところで、周囲の人間たちは、フーコーが資格試験に失敗したのはその直前のフランス共産党入党のせいだと語っていたと言います。口述試験の試験管たちの政治的な偏見ゆえではなかったのか、というのです。むろん真偽は定かではありません。アルチュセールも恋人のエレーヌの影響で入党していましたので、アルチュセールに影響されたのかもしれません。(…)」(p.24)

「『狂気の歴史』は、アルチュセールやカンギレム、フェルナン・ブローデルらの絶賛を浴びますが、フーコーが期待したように、論壇で賞賛されるという事態にはなりませんでした。」(p.33)

「1980年初めにイタリアの雑誌に掲載されたフーコーへのインタビュー記事のなかで、トロンバドリは、六八年の学生反乱の際にフランクフルト学派のテーマが、いわば学生たちの合い言葉のようになっていたことを指摘しています。そしてその事実とフーコーとの関係について質問します。これに対して、フーコーは、次のように答えています(以下は、翻訳ではなく要約です)。
(…)
これに対して、トロンバドリは、しかし、フランクフルト学派は、たとえばアルフレート・シュミットなどのように、レヴィ=ストロースやアルチュセールの仕事を論評しながらフランス構造主義そのものを批判しているではありませんか、と問いかけています。
 フーコーは、次のように答えます。
 彼らは、フロイト的概念やらマルクス主義ヒューマニズム(疎外論)に染まっているところがあるので、我々が、失われたアイデンティティの回復だの、囚われた本質の解放だのをめざしていないということを理解できないことはわかっています。たとえば、マルクスに戻れば、彼の言う「人間が人間を生産する」という言葉をどのように理解すべきなのでしょうか。価値の生産や富の生産と同じように人間による人間の生産が行われると考えているフランクフルト学派の人々に私は同意できません。彼らの、この人間による人間の生産についての考え方こそが、合理性に結びつけられる抑圧的システムないし階級社会に結びつけられる搾取システムにおいて、人間をその本質から疎外するものすべてから解放する必然性がある、という議論を形づくっているわけなのです。
 フーコーは、彼らの、完全な人間の回復(疎外からの解放)という、ありもしないファンタジーにとらわれていると批判するわけです。続けてフーコーは、フランクフルト学派の人々の歴史に対する考え方は、自分が彼らに失望した部分だったと述べています。」(p.130-132)


●アルチュセールとブルデューとの関係についてのメモ●

□ブルデューによるコメント
■ピエール・ブルデュー(著),加藤晴久(編)19901100『ピエール・ブルデュー―超領域の人間学』藤原書店

「(…)アルチュセールの功績は、マルクスをデカルトやカントのように普通の哲学者として扱ったこと、マルクスの非物神化を行ったこと、スターリン主義、思想的テロリズムのもとになった神秘主義的なマルクス観を打破したことにあります。
 一緒にやった共同ゼミナールは、彼が『資本論を読む』のグループをつくる一つのヒントになったのではないかと思います。アルチュセールの世代にとっては、いや私の世代にとっても、共同研究なるものは存在しなかったのです。(…)私は社会学で、トゥレーヌ式の、霊感に導かれたかのような社会学、あれも変る、これも変る、大いにけっこう式の社会学に対立していましたし、アルチュセールは歴史的必然性とか構造とかのセンスを持ち合わせていましたから。
 ただ、その後、構造主義的マルクス主義なるものがもてはやされるようになると、彼自身は決して人を攻撃したりすることはなく、彼の弟子たちが……いや、彼も一度、ある序文のなかで「いわゆる〈社会〉科学なるもの」という言い方をしたのですね。これはちょっと許せないと思いましたね。そうしたことで何度か議論したことを覚えています。結局、アルチュセールには親しみを持っているけれども、アルチュセール主義には批判的といってよいでしょうね。」(p.35)

□アルチュセール研究
■今村仁司19930810『アルチュセールの思想』講談社

「他方、ブルデューはどうかといえば、彼には『再生産』や『ディスタンクシオン』という書物がある。ブルデューは決して誰かの「影響」を受けて追随するひとではないが、彼の理論的関心はおどろくほどアルチュセールと重なる。彼がある時期からバシュラールの「認識論的切断」を問題にし始めたり、象徴的暴力論による再生産論を議論したり、象徴資本論による階級分析をおこなうなどといったことは、アルチュセールの理論的刺激なしには考えられない。人類学的フィールドで社会の再生産を研究してきたブルデューは、独自の構想をもっていて、例えばウエーバーのエートス論をハイビトゥス論に改造して独創的な理論構成と社会学的記述をおこなう。この方面では、アルチュセールにはない豊かな内容がブルデューにはあるのだから、われわれにとってはむしろ、アルチュセールとブルデューとの結合こそが生産的になるだろう。アルチュセールが「イデオロギー的主体の形成」を「国家装置」論でやったことを、フーコーは「訓練装置」の具体的な歴史記述によって、ブルデューは身体的なハビトゥスの場面への「信念」の刷り込み(これがブルデュー的な「主体の形成」論である)を微細に記述することによって、それぞれに固有の仕方で豊かに展開していった。(…)」(p.46)


●アルチュセールとグラムシの関係についてのメモ●

□アルチュセール研究
■今村仁司19930810『アルチュセールの思想』講談社

「(…)社会構成の再生産過程は、無数の「イデオロギー装置」によって支えられる。こうした問題意識は、よく知られているように、グラムシの「市民社会」論と「ヘゲモニー」論から強い影響を受けている。グラムシの言いたかったことも、「市民社会」の再生産は、特定の支配階級のイデオロギー的ヘゲモニーが市民社会のすみずみまで浸透することなしにはありえないというものであった。しかしアルチュセールの関心は、このグラムシ的ヘゲモニーが社会のなかでどのように効果を発揮するのかであり、この効果のメカニズムを概念にまで仕上げることにあった。ここでアルチュセールはグラムシから離れる。アルチュセールは問題の所在をグラムシから学んだが、その問題への接近はむしろ独自の構想による。」(p.42)

「なぜマルクスに対して批判的読み方をおこなわねばならないのか。その理由として若干の例を挙げておこう。マルクスは古典派を批判する場合に、古典派の経済学的諸カテゴリーが、「非歴史的」、「永遠的」、「固定的」、「抽象的」であるという批判を加えている。そうなると、マルクスの理論的立場は、「歴史的」、「非永遠的」、「具体的」等々の用語をもって特色づけられよう。こうした判断――歴史的か非歴史的か、固定的か運動家か――は、マルクスと古典派との差異、マルクスの理論的革新性をくもらせてしまう。この種の考え方は、マルクス自身においても『哲学の貧困』以来一貫して存在しているが、その後の解釈者たちにおいては更に拡大されてマルクス経済学と哲学の中で支配的な力をふるっている。このような考え方は、同時に、マルクスとヘーゲルとの関係、とりわけ弁証法の特質の問題と深くかかわっているけれども、それらの問題の適切な理解を不可能とする傾きがある。マルクス主義への敵対者についてはさておくとしても、マルクス主義の立場に立つ多くの論者、とくに「急進的(根源的)歴史主義」の特徴づけによってまとめられる思想家たち(例えば、ルカーチ、コルシュ、グラムシなど)は、この種の見解を徹底的におしすすめ、ひとつの重要な理論領野を切り拓いた。しかし、彼らの理論的研究とその成果は、その最深部においては重大なマルクスへの誤解をひそめている。アルチュセールは、この点で彼らと決定的に対立し、「急進的歴史主義」の根源を理論的にあばこうとする。」(p.74)

「マルクス=『資本論』において、《理論》と《歴史》とが問題となるとき、その理論とは経済の抽象的一般的理論であり、その歴史とは人間が生きる実在的・具体的歴史である、というのが一般的了解事項であろう。そして、マルクスにおける資本主義経済の抽象理論と実在的な資本主義経済の歴史との関係は、ヘーゲルにおける哲学と哲学史との関係に比定される、というのがシュミットの見解である。ところが、アルチュセールは、このような形式での《理論》と《歴史》との関係づけを否定した。アルチュセールによれば、この種の理論−歴史関係の問題は、第二インターの主要な思想家たちの経済主義的問題設定(抽象理論の歴史への適用という形での両者の関係づけ)に基づくか、あるいはグラムシ、ルカーチ、コルシュ等の歴史主義的問題設定(歴史と論理〈理論〉との歴史哲学的=実践哲学的統一)に基づいている。経済主義と歴史主義に共通の考え方は、理論という思考過程と歴史という人間によって生きられた―生きられる実在的過程とを同一平面で結合できるとすることである。一方の項に《理論》があり、他方の項に《生きられる歴史》がある、この両項をうまくつなぐ解釈方式を見つけ出すことがそれぞれの理論の課題となる。一方の理論は、経済学とその外捜法、他方の理論は形而上学的歴史哲学。
 アルチュセールが主張したことは、科学的認識過程(思考過程=理論)と実在的社会史的過程とを直接的に連関させることは、認識論的には不可能である、というのであった。(…)」(p.286-287)

■ジャック・ビデ1995→20050520「序文にかえて」(アルチュセール『再生産について』平凡社)

「アルチュセールがここでグラムシから自分の着想の一部を得ていることは知られている。グラムシは、「市民社会」――「政治的社会」すなわち、狭義の国家の行政諸機構と対置される――の名のもとで、私的であれ、公的であれ、それらを通じて、指導的な階級のヘゲモニー、彼らのイデオロギーの優位が実現される諸制度の総体を指し示す。しかし、グラムシは、世界観、知、文化、倫理といった広い意味を、このイデオロギーの概念に与え、市民社会という場では上昇階級、すなわちプロレタリアートによる漸進的闘争が行われ、ヘゲモニーの獲得と同一視された革命的プロセス自体が進行する、と考える。それゆえ、アルチュセールは、ブルジョアジーが自らの支配を保証するための手段である国家機構の諸要素として、諸制度の総体を示すことによって、この考えを転倒させる。」(p.14)


●アルチュセールとフーコーとの関連についてのメモ●

□アルチュセールのフーコーへの言及

■1967-1968「哲学についてのノート」(19990720『哲学・政治著作集U』藤原書店)

「理論的生産関係(定義が必要である。しかし、以下の結合関係を含んでいなければならない。マルクスの「モデル」におけるのと同様、理論的生産諸力のなかに現れる諸要素が、交差したかたちで現れること。ただし、異なる構造的関係を結んで現れること。本質的な要素としては、科学的であり理論的であるもの/イデオロギー的であり理論的であるもの、という対である。つまり哲学−効果である。)
 注意。理論的生産関係は、フーコーがエピステーメーという逸脱した用語で行っている空しい探求ともかかわる。しかし我々は原理上、彼よりはるかに進んでいる。」(p.914)

■1995→2005『再生産について』

「(…)封建制、およびその教会を筆頭とする国家の諸装置により行われた、こうした「イデオロギー的」階級闘争の信じがたい暴力のことを考えていただきたい。こうした階級闘争は、禁止や異端放棄の誓いだけでなく、拷問や火刑に満ち満ちている。ガリレイとジョルダノ・ブルーノ、この二人の名前しか挙げないが、それ以外にも宗教戦争(国家の宗教的イデオロギー装置の内部で、異端と正統のあいだで争われた激しい階級闘争)で虐殺された無数の人びと、また刑罰や〈大監禁〉に見舞われるよう運命づけられた多くの「悪魔憑き」、「魔女」、そして「狂人」たちがおり、これについてミシェル・フーコーは、フランスにおいて初めてひとつの考えを公にする勇気をもった(97)。(…)」(p.227)

「(97)Histoire de la Folie, Plon [『狂気の歴史』、田村俶訳、新潮社、一九七五年]。われわれの資本主義的な社会構成体において、国家の「医療的」イデオロギー装置と呼ぶ権利があると考えられるものについて、われわれはこれまで沈黙してきた。この装置は、それだけで一個の研究全体に値するものであろうが、われらが〈医学界の権威〉たちによって無視されたフーコーのこの注目すべき著作(残念ながら、われらが〈権威〉たちは、もはやこうした著作を燃やしてしまうことができないのだ)は、この装置にかんする重要な諸要素の系譜学を、われわれに与えてくれる。じっさい、ピネルの〈ヒューマニズム〉やドレーの薬理学によって緩和されたとはいえ、依然として一個の抑圧の歴史である〈狂気〉の歴史は続いている。そしてこの歴史は、多くの医師たちが自分たちの便宜のために「狂気」と呼ぶものを、きわめて大幅にはみ出している。」(p.420)

□フーコーのアルチュセールへの言及
(とりあえずミシェル・フーコー『思考集成』からアルチュセールについて直接的に言及している部分を抜書き)

■37「マドレーヌ・シャンプサルとの対談」

「――これらの饒舌にして、理論的且つ実践的な試みは、人間を救うこと、人間のうちに人間を再発見することなどなどを目的とし、たとえばマルクスとテイヤール・ド・シャルダンを折り合わせようとする(こうしたヒューマニズムに充ち溢れた試みが知的作業の総体をもう何年も麻痺させているのです)。私達の課題はヒューマニズムから完全に自由になることで、その意味で私達の仕事は政治的なのです。なにしろ、東西の諸々も政治体制が、その出来の悪い商品を、ヒューマニズムのパヴィリオンに持ち込んで通過させようとするのですから……こうした迷妄の数々を告発しなくてはなりません、たとえば現在、共産党内部でアルチュセールとその勇敢な仲間が「シャルダン−マルクス主義」と戦っているように……」(U,p.332-333)

■48「歴史の書き方について」

「――あなたがおっしゃる歴史研究の新しさは正確にはどこにあるのでしょうか。

――これらの研究の特徴をいささか図式的にですが、次のように整理することができるでしょう。
(1)こうした歴史家たちは時代区分という非常にむずかしい問題に取り組んでいます。(…)
(2)それぞれの時代区分は、歴史におけるある一定の水準の出来事を切り取っているわけですが、逆に、出来事をなす層のそれぞれが固有の時代区分を必要としてもいる。(…)
(3)人間諸科学と歴史学の昔ながらの伝統的な対立(前者は共時的なものと非−進化的なものを研究し、後者は絶えざる大変動の次元を分析する)がなくなりました。(…)
(4)歴史学的方法や定義するものと考えられていた普遍的な因果関係よりも、ずっと多数の関係のタイプや結びつきの様態が、歴史分析に導入されています。
 こうして、たぶんはじめて、記号、痕跡、制度、実践、作品といったかたちで時間の流れのなかに堆積されてきた素材の総体が対象として分析されうることになったわけです。これらの変化には、二つのはっきりとした重要な動きが見て取れます――
・歴史家たちの側では、ブローデル、ケンブリッジ学派、ロシア学派等々の仕事、
・他方では、『「資本論」を読む』の冒頭でアルチュセールが展開した歴史という概念の実に見事な批判と分析、です。

――あなたはご自分の仕事とアルチュセールの仕事との間には直接的な親近性があるとお考えなのですね?

――かつてかれの生徒であり、かれに多くを負っているので、たぶんわたしはかれが非難するであろうような試みまでもかれの影響だと言いがちです。だからかれの側でどう考えているかについてはお答えできません。いずれにしても言えるのは、アルチュセールの著作をひもといて下さい、ということですね。
 とはいえ、アルチュセールとわたしのあいだには、はっきりとしたちがいが一つあります。かれはマルクスについて認識論的切断という言葉を用いるのですが、わたしの方は逆にマルクスは認識論的切断を代表してはいないとはっきりと言っています。」(U,p.432-433)

■54「ミシェル・フーコーとのインタヴュー」

「――まずはじめに、レヴィ=ストロース、ラカン、アルチュセール、バルト、そしてあなた自身といった研究者の間には、なにが共通しているのでしょうか?

――構造主義を攻撃している人々に尋ねると、彼らはわれわれ全てのうちに或る共通の特徴を見ており、それが彼らの不信と怒りを招いているような印象を受けます。それに対して、レヴィ=ストロースやラカン、アルチュセール、或いは私自身に聞いてご覧になれば、われわれはそれぞれ、自分と他の三人の間には共通なものはなにもない、またこれら三人の間にも何も共通なものはない、と明言するでしょう。(…)この人間主体、意識、実存の排除が、現代の研究を、おおまかに、否定的な仕方で特徴づけているように思われます。肯定的には、構造主義はなによりも無意識を探求する、といっておきましょう。現在ひとが解明しようとしているのは、言語や文学作品、認識の無意識的構造なのです。第二に、本質的に研究の対象となっているのは、形式や体系であり、つまり言語やイデオロギー(アルチュセールの分析のように)、社会(レヴィ=ストロースにおけるように)、或いは異なった認識の領野――これが私自身取り組んだことでした―― に属する数多くの要素の間に存在する、論理的な相関関係を浮き出させるべく努力がなされているといってよかろうと思います。おおまかに言えば、構造主義とは、それが生じえたとこではどこでもなされうる論理的構造の研究である、と記述できるでしょう。」(V,p.41-42)

「(…)サルトルやガロディといった人が、さまざまな知的潮流間の、こうした平和共存のために働いているのは明らかですし、彼らはまさしく、ヒューマニズムを放棄するべきではないし、テイヤール・ド・シャルダンも放棄すべきではない、また実存主義もいくらかは正しいし、教条主義的ではなく、具体的で世界に開かれてさえいれば構造主義もそうだ、というふうに言っているのです。共存を前面に押し出したこうした流れの対極に、「右寄りの人々」が教条主義的、新スターリン主義的で中国的と呼ぶ流れがあります。フランス共産党内部でのこうした傾向は、一貫した、イデオロギー的に受け入れうる、マルクスの教義と合致した政治、科学、哲学のマルクス主義的理論を再び確立しようとする試みです。現在、共産党内の左翼に属する共産主義的知識人らによって行われているのはこの試みであり、彼らは多かれ少なかれアルチュセールのまわりに集結しています。この構造主義的なグループは、左寄りなのです。(…)」(V,p.47- 48)

■55「フーコー、サルトルに答える」

「――構造主義は、今日どのように定義なさいますか?

――「構造主義者」という項目の下に分類される人たち、レヴィ=ストロースでもラカンでもアルチュセールでも、また言語学者など、誰でもいいのですが、この人たちに尋ねてごらんになれば、彼らは、自分たちには互いに共通なものなど全くない、或いはほんのわずかしかない、と答えるでしょう。構造主義というのは、他の人のために、そうでない人のために存在するカテゴリーなのです。この人とこの人、そしてこの人は構造主義者だ、などと言えるのは、外部からに限ります。構造主義者の何たるかは、サルトルに聞くべきです、というのも彼は、構造主義者(レヴィ=ストロース、アルチュセール、デュメジル、ラカンそして私)が一貫したグループ、一種の統一性を構成するグループをなすと考えているからですが、この統一性というのが、いいですか、われわれには、見えてこないのです。」(V,p.57-58)

■85「ミシェル・フーコーとの対談」

「S.P.ルアネ――やはりマルクス主義に関して、もう一つ別の質問をさせていただきたいと思います。『言葉と物』のなかで「経験的=超越論的二重体」について語りつつ、あなたは、現象学とマルクス主義とが、ポジティヴィスムあるいは終末論のいずれかへと必然的に導く振り子運動の単なる異本に過ぎない、とおっしゃいました。一方、アルチュセールの思考は、一般的に言って諸々の構造主義の側に、そしてしばしばあなたご自身の仕事と同じ側に分類されます。あなたは、アルチュセール的マルクス主義について、それがポジティヴィスムと終末論によって限界づけられた知の布置を乗り越えているとお考えになりますか。あるいはそれとも、アルチュセールの思考もやはり、そうした布置の内部に位置づけられると考えていらっしゃるのでしょうか。

M.フーコー――第一の答えを選びたいと思います。この問題に関して、私は自己批判を行わなければなりません。『言葉と物』のなかでマルクス主義について語った際、私は、自分が何を言おうとしているのかということを十分に明確にしませんでした。この本のなかで私は、自分の歴史的分析が、ある特定の期間、すなわち、おおまかに言って一六五〇年から一八五〇年まで、もしくはせいぜい十九世紀末に至るまでの期間についてのものであり、また、言語、生命、労働に関する諸科学によって構成される特定の領域についてのものであるということを、はっきりと示したつもりでした。この本のなかでマルクス主義について語ったとき、私は、このテーマに過大な重要性が付与されていることは知っていたわけですから、そこで問題にしているのがせいぜいヨーロッパにおいて十九世紀の初めまで機能したものとしてのマルクス主義である、ということを、断っておくべきでした。また、この点が私の失敗であったのですが、問題になっているのが、例えばエンゲルスのような、マルクスを注釈している幾人かの人々のうちに見いだされるものとしての特定のマルクス主義である、ということも、明確に示しませんでした。そして、そのようなものとしてのマルクス主義はまた、マルクス自身のうちにも見いだすことができます。私は一種のマルクス主義的哲学のことを考えているのですが、私の考えではこれは、マルクスの歴史的社会的分析とその革命的実践とから派生したイデオロギー的付随物であり、マルクス主義の中心的思想ではありません。マルクス主義の核心を、資本主義社会の分析とそうした社会における革命的行動の図式として考えるならば、私はマルクス主義について語ったのではなく、一種のマルクス主義的ヒューマニズムについて語ったということになります。イデオロギー的付随物、哲学的バックグラウンド・ミュージックとしての。
J.G.メルキオール――「マルクス主義的ヒューマニズム」という表現をお使いになることで、あなたの批判は自動的にひとつの理論的領域へと向けられることになり、それによってアルチュセールは、あなたの批判を免れることになります。
M.フーコー――はい。私の批判は、例えばガロディのような著作家に対しては依然として有効であると思われますが、アルチュセールのような知識人に対しては適用されません。」(W,p.55-57)

■103「歴史への回帰」

「現象学者や実存主義者によってとなえられた異議は、一般に、ある種のマルクス主義者たちがそのまま彼らに向けたものにほかなりません。もっともここでいうマルクス主義者は、いわば大ざっぱで短絡的なマルクス主義者、いいかえれば自分たちの準拠する理論としてマルクス主義そのものをとりあげるのではなく、まさに現代のブルジョワ・イデオロギーによりかかっている連中というくらいの意味なのですが。逆に、より真剣なマルクス主義、いいかえれば真に革命的なマルクス主義の側からも異議がとなえられています。彼らが申し立てる異議は、次のような事実にもとづいています。すなわち、学生や知識人のなかで起こった、あるいは今なお起こりつつある革命運動は、構造主義運動にほとんどなにも負っていないということ。この原則に関して例外というべきケースは、おそらくひとつしかありません。アルチュセールの場合です。マルクスのテキストを読み、これを分析するにあたって、アルチュセールは構造主義的方法とみなしうるものをいくつか適用したマルクス主義者であり、彼の分析はヨーロッパにおけるマルクス主義の最近の歴史のなかで、きわめて大きな重要性をもっていたといわなければなりません。その重要性は次にような事実と結びついています。つまりアルチュセールは伝統的なマルクス解釈を、あらゆるヒューマニズム、あらゆるヘーゲル主義、さらには重くのしかかっていたあらゆる現象学から解放し、そのかぎりにおいて彼は、大学人のそれではないマルクスの読み方、純粋に政治的な読み方をふたたび可能にしたのです。しかしながら、最初はどんなに重要だったにせよ、アルチュセールの分析は革命運動自体によってたちまち乗り超えられてしまいました。その革命運動は、周知のように学生層・知識人層のなかで起こった運動でありながら、本質的に反理論的な運動でした。そのうえ、最近世界中で起こった革命運動の多くは、レーニンよりローザ・ルクセンブルクに近いものでした。いいかえれば、これらの運動は理論的分析より大衆の自発性により多くの信をおくものだったのです。」(W,p.205-206)

■119「アルケオロジーからディナスティックへ」

「――わたしは、ヨーロッパのある種のマルクス主義者たちが歴史分析を実践する場合、その彼らのやり方というものにおそろしく腹をたてています。また、彼らがマルクスを参照する場合のやり方にも、ひどく腹をたてているのです。
 何が癇にさわるかといえば、その第一のものは、彼らがマルクスを参照する場合のやり方ということになりましょう。わたしは最近、「パンセ」誌に掲載されたある論文を読みました。決して駄目な論文ではない。むしろ大そう美しい一篇の論文なのです。それは、実はわたし自身とも面識のある青年によって書かれたもので、アルチュセールの協力者としてよく知られているバリバールの手になるもので、マルクス的概念による国家とその変換をめぐる目ざましい研究になっています。」(W,p.400-401)

■139「真理と裁判形態」

「(…)誰かが、人間の具体的本質は労働だ、と言いました。実を言えば、このテーゼは何人もの人が口にしました。それはヘーゲルにも、ポスト・ヘーゲル派にも、またマルクスにも見られます。アルチュセールなら、ある時期のマルクスと言うでしょうが。私は誰が言ったかということに関心があるのではなく、言表の機能に関心をもっていますから、誰がいつ言ったかといったことには重きを置きません。(…)」(X,p.187)

■160「精神病院、性、監獄」

「(…)私がサン・パウロ大学の講座で説明しようとしたのは、ナチズムとスターリニズムの終焉以来、資本主義および社会主義社会の内部での権力機能が問題になってきたということです。ただし私が権力の機能と言うときには、単に国家機構、支配階級、覇権的な特権階級といった問題だけを指すんではなく、むしろ末端付近の微細なところで働いている一連のミクロ権力、つまり個人個人の日常行為はおろか身体そのものにまで及んでいく権力を指しているんです。我々は権力の策略の網にからめ捕られて生活している。私が言うのはそういう意味での権力です。ナチズムとスターリニズムの終焉以降、誰にとってもそれが問題になっている。今日きっての大問題です。
 付言しておけば、この問題に関しては従来二つの考え方、解き方があって、それはそれなりに面白いんですが、そのいずれも私の見解とは全くことなっています。一つは正統的とも伝統的ともいえるマルクス主義的見解で、これらの問題はすべて昔ながらの国家機構の問題に含めて考察するといったやり方。「国家のイデオロギー装置」という概念を打ち出したアルチュセールの試みがこれに当たります。二つ目のものは構造主義、言語学、記号学といった流派で、この問題を全て「意味するもの(シニフィアン)」の次元で公式化して片付けるやり方です。第二次大戦以後に生じた具体的な問題全体をあっさり単純化してしまうやり方として、このように片やマルクス主義的な、片やアカデミックな二つの方法があるわけです。」(X,p.399)

■219「フーコーによる序文」

「その結果ひとつの逆説が生まれる。カンギレムの作品は飾り気がなく、科学史のある特定の領域にあえて注意を集中させている。いずれにせよ科学史などはおもしろおかしい学問としては通用しないのだが、そのカンギレム自身がおよそ参加しようなどとは思っていなかった議論に顔を出す破目になったのである。だがカンギレムを消し去ったら、アルチュセールもアルチュセール主義もよく理解できないし、フランスのマルクス主義における一連の議論もすべて理解できなくなってしまうだろう。またブルデュー、カステル、パスロンといった社会学者たちの特殊性も、社会学の分野で彼らの影響を際だたせているのがなんなのかもわからなくなるだろう。精神分析家とりわけラカン主義者たちの理論的研究の一側面もまったく見逃してしまうことになる。そればかりではない。一九六八年の運動の前後の思想的論争において、多かれ少なかれカンギレムの教育を受けた者を位置づけることは簡単なことなのだ。」(Z,p.4)

■234「哲学の舞台」

「このような〈主体〉の非根底的・非根源的性格こそ、構造主義者と呼ばれた人々に共通のものだった。それが先行世代にとって、極めて不愉快なことだったわけですが、ラカンの精神分析にせよ、レヴィ=ストロースの構造主義にせよ、バルトの分析、アルチュセールの仕事、あるいは私の仕事にせよ、私達はすべてこの一点については意見が一致していた。すなわち、デカルト的な意味での〈主体〉、そこからすべてが生まれてくるような根源的な点としての〈主体〉から出発してはならない、ということでした。そして第三には、〈主体の解体〉を通じて、ニーチェへと導かれたことです。」(Z,p.178-179)

■281「ミシェル・フーコーとの対話」

「――共産党におけるこの短い経験が終了した後は、けっして政治活動には参加されなかったのですか。

――参加しませんでした。私は学生時代を終えました。この時期わたしは、フランス共産党で活動していたルイ・アルチュセールと頻繁につきあっていました。そもそも、入党したのは、少しは彼の影響からでした。そして、離党したとき、彼からはなんら破門制裁(アナテマ)はありませんでした。離党したからといって、彼は私との関係を絶とうとはしなかったのです。

――アルチュセールとあなたとの絆、あるいは少なくともお二人の一定の知的類縁関係は、一般に知られているよりも遠い起源をもっていますね。私が言いたいのは、とりわけ、一九六〇年代フランスで理論的議論の舞台を支配した構造主義をめぐる論争において、あなたの名が何度もアルチュセールの名に結びつけられていたという事実ですが。アルチュセールはマルクス主義者で、あなたは違います。レヴィ=ストロースその他もそうではありません。批評は、あなたがた全員を多かれ少なかれ「構造主義者」というタームのもとにまとめました。それをどうやって説明されますか。そしてあなたがたの探求に共通な下地、そういったものがあるのならばですが、それは何だったのでしょうか。

――ここ十五年間、「構造主義者」と呼ばれてきたけれども、もちろんレヴィ=ストロースを除いて、構造主義者ではなかった人びと、すなわちアルチュセール、ラカン、私、これらの人びとのあいだに一つの共通点があります。実際のところ、この収斂点は何だったのか。それは、主体の問いを別の仕方で問いなおすこと、フランス哲学がデカルト以来けっして放棄することがなく、現象学によって強化されたあの基本的公準から自由になることです。精神分析から出発して、ラカンは、無意識の理論は(デカルト的意味ばかりではなく主体という語の現象学的意味においても)主体の理論とは両立不可能であることを明らかにしました。
(…)アルチュセールは、主体の哲学を問いなおしましたが、それはフランスのマルクス主義が現象学と人間主義によっていささか浸透されていたからであって、さらに疎外の理論が人間的主体をして、マルクスの政治的−経済的諸分析を哲学的な語彙に翻訳することを可能にする基盤となしていたからなのです。アルチュセールの作業は、マルクスの諸分析をやりなおし、それら分析のなかに、たとえばロジェ・ガロディのような一部マルクス主義者の理論的立場が依拠する、あの人間的本性、主体、疎外された人間といった考えが現れているかどうかを問うことに存していました。アルチュセールの答えが完全にネガティヴであったことはよく知られたことです。」([,p.208-209)

「――けれども、奇妙なことに、ルイ・アルチュセールもそうした破門譴責の対象となりましたね。彼の探求は十全にマルクス主義と自己同一化し、マルクス主義のもっとも忠実な解釈たろうとしていたというのに。というわけで、アルチュセールもまた、構造主義者のうちに位置づけられました。では、『資本論を読む』のようなマルクス主義の作品と、あなたの『言葉と物』といった書物、これらは六〇年代中頃に刊行され、とても異なった方向をもっていたわけですが、これらが反構造主義の同じ論争の標的になったということを、どうやって説明されるのでしょうか。

――アルチュセールについては、正確に申し上げることはできません。(…)」([,p.226-227)

■336「スティーヴン・リンギスによるミシェル・フーコーへのインタヴュー」

「――パリでのあなたの学業について少しお話し頂けますか。今日あなたがなさっているような仕事について、誰かが特定の影響を及ぼしているのでしょうか。あるいは、個人的な理由から、あなたが感謝の念を抱かれている教授はおられますか。

――いいえ。私はアルチュセールの生徒でした。そして、当時、フランスにおける主要な哲学的趨勢はマルクス主義、ヘーゲル主義と現象学だったのです。むろん、私はそれらを学びましたが、初めて個人的な仕事をやり遂げようという欲望を抱いたのはニーチェの読解を通じてでした。」(\,p.430)


●ドゥルーズのアルチュセールへの言及●

■ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ1972→19860510『アンチ・オイディプス』河出書房新社

「コード化と公理系との相異
何故、資本主義は、たんにひとつのコードをいまひとつの別のコードに代えているだけなのだといってはいけないのか。あるいは、資本主義は、たんに新しい型のコード化を実現しているだけなのだといってはいけないのか。それは、そういい切ることができない二つの理由があるからである。そのひとつは、いわば道徳的にいって、いまひとつは、むしろ論理的にいって不可能であるという理由からである。(…)間接的、質的、限定的といった、コードの関係にかかわる諸性格はすべて、コードが決して経済的なものではなく、また経済的なものではありえないということを余すところなく示している。むしろ、コードは、次のような外見上の客観的運動を表現しているのである。つまり、あたかも、登記の土台や動因をなす超経済的な決定機関〔審級〕から流出してくるものででもあるかのように、種々の経済力と生産的接続とがこの超経済的な決定機関に帰属しているようにみえる客観的運動を表現しているのである。このことは、アルチュセールとバリバールとが極めて明確に指摘していることである。かれらは、例えば封建制の場合において、いかにして法律的政治的諸関係が支配的であると規定されるのかということを指摘している。何故なら、ここでは剰余価値の形態としての剰余労働は、労働の流れとは質的にも時間的にも区別される流れを構成するものであり、したがって、非経済的な諸因子を含む質的な複合物そのものの中に入るべきものであるからである(98)。あるいはまた、かれらは、いわゆる原始社会においては、いかにして、縁組と出自との土着的諸関係が支配的であると規定されるのかということを指摘している。この社会においては、種々の経済力と種々の経済的な流れとが、大地の充実身体の上に登記され、この身体に帰属しているからである。アルチュセールとバリバールが指摘していることは、こうした点である。要するに、反生産の決定機関〔審級〕としての充実身体が経済の上に折り重なり、経済を自分のものにしてしまうところにしか、コードは存在しないのだ。(…)したがって、コードの関係は、当該社会が存在し存続する条件として、ひとつの共同の評定評価の体系といったものを前提としている。つまり、ひとまとまりをなしている知覚器官を((あるいは、もっと正確にいえば信仰器官を、といってもいい))前提としている。」(p.296-297)

「(98) Cf. Marx, Le Capital, V, 6, ch. 24, Pleiade U, p.1400.
「このような条件のもとにおいて、名目上の土地所有者のための労働をかれらに無理やりに実行させるためには、いかなる性質のものであれ、経済外的な理由がなければならない。」大月書店版『マルクス・エンゲルス全集』廿五巻b、一〇一四頁。」(p.503)

「では、何故に劇場であるのか。なんと奇妙であることか、この劇場の無意識は。この紙粘土の無意識は。劇場が生産のモデルとして理解されることになるとは。アルチュセールにおいてさえ、ひとは次のような操作に立ちあうことになる。すなわち、まず、「機械」あるいは「機械機構」としての社会的生産が発見される。この社会的生産は、客観的表象(〔前に立てるという意味での〕Vorstellung〔表象〕)の世界には還元されないものである。ところが、すぐさま、機械が構造に還元される。生産が構造論的劇場的表象(〔そこに置くという意味での〕Darstellung〔上演〕)に一体化される(26)、というわけである。」(p.363)

「(26) Louis Althusser, Lire le Capital, U,pp.170-177.(〈不在−現在〉としての構造について)。」(p.508)

■ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ1980→19940930『アンチ・オイディプス』河出書房新社

「(…)権力の超越的中心などもう必要ではなく、むしろ「現実」と一体になり、正常化によって進展する内在的権力が必要となる。奇妙な発明がそこにはある。あたかも二重化された主体が、その一つの形式においては、さまざまな言表の原因となるようだ。ところがこの主体は、もう一つの形式においては、それ自身このような言表の一部をなしているのである。それはシニフィアンの専制君主にとって代わった立法者としての主体のパラドックスである。つまり、きみが支配的な現実の言表に従えば従うほど、きみは心的な現実における言表行為の主体として命令するようになる。なぜなら、結局きみが隷属するのは、きみ自身以外のものではない。きみは、きみ自身に対して隷属するのだ。それでも理性的な存在として命令するのはきみである。新しい奴隷制の形態が発明された。自分自身の奴隷であること、あるいは「純粋な」理性、コギトであること。純粋理性ほど情念的なものがあるだろうか。コギトよりも、冷たく、極端で、私心にみちた情念があるだろうか。
 アルチュセールは、社会的個人がこのように主体として成立することを的確に指摘したのである。彼はこれを「尋問」と呼んでいる(「おい、そこにいるおまえ」)。彼は、主体化の点を絶対主体と呼ぶ。彼はさまざまな主体の「鏡像的二重化」を分析し、そしてそれを神と、モーゼと、ユダヤ人の例について論証する(23)。バンヴェニストのような言語学者はコギトに非常によく似た興味深い言語学的な人称を指示することができるが、それ以上に、各人がそこから自分を主体として構成するような一つの主体化の点を示している。言表行為の主体としての「私」は、言表におけるそれ自体の使用を言表し反映するような人称を示しているのであり(指示的でない空虚な記号)、それは「私は信じる、私は仮定する、私は考える」のようなタイプの命題に現われる通りである。最後に、言表の主体としての私があり、これはいつも「彼」に置き換えることのできるようなある状態を示しているのである(「私は苦しむ、私は歩く、私は呼吸する、私は感じる……(24)」)。といっても、問題は言語の作用ではない。なぜなら、一つの主体は決して言語の条件でもなければ、言表の原因でもないからである。主体は存在しない。ただ言表行為のさまざまな集団的なアレンジメントが存在し、主体化はその一つにすぎず、このようなものとして表現の形式化あるいは記号の体制を指示するのであって、言語の内的条件を指示するのではない。かといって、アルチュセールのいうような、イデオロギーを特徴づける一つの運動が問題になるのでもない。記号の体制あるいは表現の形式としての主体化は、アレンジメントにかかわる。つまり、すでに経済の中で十全に機能している権力の組織にかかわるのであり、この権力の組織は、最終的な審級にほかならない現実として定義された内容や内容の関係に新たに付け加えられるものではない。資本とは、何よりもまず主体化の点なのである。」(p.151-152)


*作成:立岩 真也橋口昌治
UP:20051005 Rev:20051024, 20060703
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