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青木 健

あおき・けん

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last update: 20160529


・1980 東京大学理科T類入学
 時代錯誤社入社『恒河沙』編集に携わる http://koukasha.net/
・東京大学大学院(都市工学)修士課程修了
・日経BP社勤務
・ケンプラッツ:http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/
・20090112逝去(享年48歳)

■弔辞 合原亮一 http://wiredvision.jp/blog/gohara2/
 2009/01/20 告別式・於:五反田・桐ヶ谷斎場

 青木君。今こうして君の葬儀に参列していること自体が、まだ信じられない思いです。癌に蝕まれていることは、君自身の口から直接知らされていたし、病状が大変なことも知ってはいたのだが、もう少し生きていてくれると思っていました。薬石の功なく、という言葉や、天命という言葉は知っていますし、仕方のないことだと思おうとしていますが、どうしても不条理に感じられてなりません。ご遺族の方々の無念なお気持ちは私以上と拝察しますので、お悔やみの言葉が見つかりません。
 青木君。縁あって君とは高校大学とも同じ学校い通いました。僕の方が3年先輩だったはずなのですが、僕がぐずぐずしている間に段々追いつかれてしまい、君は理系で僕は文系だったけど、東大時代には一般教養で同じゼミで学んだこともありました。当時から君は真面目で、居眠りばかりしている僕はよく怒られていました。
 大学では、僕たちの世代が、キャンパスマガジン『恒河沙』を発行するために作ったサークル、時代錯誤社に参加してくれました。当時はまだできたばかりで小さかった時代錯誤社を、青木君が頑張って大きくしてくれたおかげで、30年経った今でも時代錯誤社は存続していて、『恒河沙』の発行も続いています。当時一緒に活動した仲間たちも、今日ここに集まってくれました。海外に雄飛している仲間たちからも、お悔やみのメールが届きました。最後に君を囲んで集まることができなかったことが、悔やまれてなりません。  大学を卒業してからも、分野は違っても、同じインターネット関係の仕事をしている関係で、オフィスにお邪魔したこともありました。君が担当している『ケンプラッツ』の「ケン」って、青木健の「健」かなあ、などと、無駄話をしていたころの元気な君を思い出します。僕が自分の手で家を建てたいと、無理な相談を持ちかけたときも、嫌な顔もせずに付き合ってくれました。家は1年ぐらい前に完成しましたが、丁度その頃病気がわかり、ついに君に家を見てもらう機会がなかったことも心残りです。スタイリストの君は、病気になっても決して弱音を吐かず、僕を家に呼んでくれたりしました。最後の正月を家族で迎えられたのは何よりだったと思いますが、残されるご家族のことを思って、本当に無念だったと思います。僕も微力ながら残されたご家族のお手伝いをさせてもらいます。もう心配しないで、安心して安らかに眠ってください。

 同じゼミ=見田宗介氏のゼミ

◆斉藤 龍一郎 i2019 インタビュー 2019/11/02 聞き手:立岩真也 於:御徒町・焼肉明月苑/アフリカ日本協議会事務所 
立岩:『恒河沙』っていう雑誌やってるところがあって、

斉藤:ミニコミをやってた。

立岩:ミニコミ、ちっちゃい、東大で今でも作ってるんだけど、そういう学生が作る50ページとか100、そういう雑誌を作ってたのね。で、雑誌は別に障害者とはあんま関係ないんだけど、それに関係してるそういうの…雑誌を作ってた人たちってのがいてね、その人たちとその高橋さんっていう僕と同じ、歳も僕と同じだったと思うけど、その彼がたぶん高校の時の知り合いだな、あれはしゅうねんって筑駒なのかな? なんかどこの学校とか聞いたことある?

斉藤:あいつは、

立岩:教育大付属でしょ。

斉藤:筑波。今の教育大付属大塚のほう。

立岩:大塚のほうか。誰だろ、合原ってのがいたんだけど。

斉藤:ああ、そうだろうね、合原もそうだろうな。

立岩:あのへんだね。青木健というのも。

斉藤:僕はなんかそのへんは知らないな。合原君っていうのはちょっと間接的に、あのへん界隈でけっこう知ってて、よく名前を聞いてる。本人に会ったことはない。

立岩:ああ、そうか。合原はいっぱい浪人して3浪ぐらいで入ってるから、歳はけっこう上なんだけど、その雑誌でずっと仲間で。彼は川崎製鉄かなんかに就職したんだが、大学出てね。で、そこを辞めて、今、長野県の上田に住んでて。そこで、ガリレオっていうね、学会の運営をサポートしてそれでお金もらってっていう会社、日本社会学会なんか契約してるんだけど、そこの会社の社長になってて、会社を作ってやってるんだ。障害学会、今年からそこにお願いすることになって、妙な縁なんだけども。たぶん高校の時の付き合いだったのかな。それで、合原と青木健っていう、青木は同じ歳、同じ年に大学に入った同じ歳で、そのあと彼は都市工学のほうに行って、その建築関係の日経BPとかいう日本経済新聞社系の建築関係の雑誌の編集に関わって。で、そいつが一番仲良かったかな。それがね、でもね、2010、今から8年前かな、進行のすごい早い癌になっちゃって、ここか、咽頭癌っていうのかな。で、2009年の正月に年賀状が来てさ、「今年は厳しい年になりそうです」みたいなことちょろっと書いてるわけ。「何が厳しいだろう」ってわかんないじゃん。で、俺ってあんまり人情がない人なのねっていうか、そういうのわかんなかったしね。結局会いもしないまま、欲年の1月に亡くなって、それで葬式があって、それでその葬式の時に久しぶりに『恒河沙』っていう雑誌で一緒にやってた連中4、5人にも20年ぶりとかに会ったけどね。青木っていうのは子どもがまだ小学生とかでさ。でね、これも不思議なことに青木健っていう健康の健って書く奴なんだけど、青木のその妻、奥さんっていうのが東洋大学の障害者のバリアフリーっていうかさ、そっちの高橋儀平さんってのがいるんだけど、そのチームのボスみたいな人、有名な人ですよ。70年代、80年代ぐらいからずーっとその建築関係のバリアフリーのことをずーっとやってる人。

斉藤:ふんふん、川口のね。こないだ定年で辞めたんだな。

立岩:うん。そこのチームっていうかその研究室にいる研究者なのね。その人、それを初めてその葬式の時に知ったけどさ。たぶん青木と高橋しゅうねんは同学年で同じ高校でそれで知ってて、それでそういう繋がりで僕は青木とか合原とかのサークルに入ったんで、それでしゅうねん知り合ったのかな、たぶんそうだと思う。で、富士学園もその年に行って、ってことだと、それが大学1年だったのか2年だったのか、そりゃ調べりゃわかると思うんだけど。斉藤さんがそのしゅうねんのことでなんか覚えてる、それからもう一つは、その時に聞いたのは、しゅうねん、なんで高校の時からいわゆる政治闘争っていうか、に、けっこう入ってるわけじゃない。東京の進学校ってさ、わりとそういうところがあった学校もあったじゃない。そういうこともあったんだろうけども、一つ僕が聞いてたのは高橋の父親っていうのが公安のなんか偉いさんだって話聞いたことない?


◆青木 健 2002/07/16 「都市再生で不動産市場は再生するか」
 『建築・住宅』2002/07/16
 http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/column/20020716/105852/

◆青木 健 他 2004/03/15 「2003年度委員会活動成果報告」
 http://news-sv.aij.or.jp/academic/03seika/I060.pdf

◆青木 健 2004/12/24 「真鶴町がマンション計画で条例に基づく初の公聴会開催へ」
 『建築・住宅』2004/12/24
 http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/column/20020716/105852/

◆青木 健(日経BP社 建設総合サイト KEN-Platz副編集長〉 2004/12 「景観緑三法を機に議論を期待」,『JIA Bulletin』2004年12月号
 http://www.jia-kanto.org/members/bulletin/2004/06/10.html(全文)
 http://www.jia-kanto.org/members/bulletin/main2004.html

◆青木 健(日経アーキテクチュア副編集長) 2005/08 「Great Streetの条件――銀座通りの超高層化構想をめぐって」,『地域開発』2005年8月号(通巻491号)
 http://www.jcadr.or.jp/kaihatsu/mokuji/mokuji_2005/mokuji_0508.htm

◆青木 健(日経アーキテクチュア副編集長兼マンション新時代WEBマスタ) 2006/02/28 パネリストとして報告
 日経BP社セミナー「ブロードバンドが実現する快適なマンションライフ・住環境係」
 http://ac.nikkeibp.co.jp/na/bb/

◆青木 健 2006/05/30 「村井忠夫さんに多岐にわたるテーマを語っていただきます」
 『マンション管理』2006/05/30
 http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/mansion/20070412/506502/

◆村井 忠夫・青木 健(聞き手) 2006/06/05 「「管理の語り部」として――村井忠夫氏と語る 第1回」
 『マンション管理』2006/06/05

◆村井 忠夫・青木 健(聞き手) 2006/06/12 「狭さをめぐるトラウマ――村井忠夫氏と語る 第2回」
『マンション管理』2006/06/12
 http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/mansion/20070412/506522/

◇村井 忠夫 2008/12/18 「15人との対談がもっと多くの人との対話に広がることを期待しながら」
『マンション管理』2008/12/18
 http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/mansion/column/20081215/528881/
 「この企画の初期段階で対談の方向を確かなものに設定していただいた青木健氏にも、あらためて感謝の念を深くする。」


UP:20090120 REV: 20160529, 20191216
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