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立岩 真也 20070910 ◆横塚 晃一 20070910 『母よ!殺すな』,生活書院,432p. ISBN9784903690148 10桁ISBN4903690148 2500+ [amazon] ※ *初版1975年すずさわ書店、増補版1981年すずさわ書店 お買い求めくださいませ→[amazon] 解説:pp.391-428 □1 不思議に明るい本 □2 差別は遍くあり、特異にもある □3 何がよいのか、はあなたの思いと別にある □4 だが、示すならわかるはずであること □5 解決の怪しさを知りながら、得になることをする □6 時代が支え、そして残したこと □7 馴れ初めと成り立ちについて ■1 不思議に明るい本 この本は、前の世紀に出た最も重要な本の一冊であり、再刊が長く待たれていた。 そしてこの本は、重めでそして暗くもある本である。しかし同時に明るい。どうなっているのだろう。そしてこの本は、今読むからかもしれないが、当然のことが書いてあるようにも思える。しかし、今でもなのか今だからなのか、鋭い、重要なことが書いてあるようでもある。どうなっているのだろう。以下、このことについて書いてみようと思う。 ここに書けないことは「解説」である。 著者である横塚晃一は、一九三五年十二月七日、埼玉県に生まれた。脳性マヒ者だった。一九七八年七月二〇日に亡くなった。四二歳、がんで亡くなった。その他最低限の情報は「著者紹介」のところに記されているが、さらに伝記的な事実を記せたらよいと思う。けれども私は知らない。本書にも追悼文の幾つかは収められたが、他にもある。そして実際に知っている人もいる。それらが集められ、まとめられるのはまた別の機会となるだろう。 そしてこの本は障害者運動の中にあった本ではあるから、その解説をすべきなのだろう。その頃、またその後のことを調べてまとめる必要もある。ただ、ずっと以前にすこし記した以上のことを調べる余裕もなく、ここで繰り返しても仕方なかろう。その運動について研究もいくらかなされているようになっている。(荒川・鈴木[1996]、鈴木[2003]、山下[2004][2005]、田中[2005]、定藤[2006][2007]、廣瀬[2007]、等。横田弘、小山正義ら、当事者たちの著作はここでは略。より詳しい情報は「生存学創成拠点」のHPhttp://www.arsvi.com→「索引」→「青い芝の会」、「人」→「横塚晃一」)。それらの成果も含め、これも別に本が作られたらよいと思う。とはいえ、ほんのすこし。 横塚は「青い芝の会」(「日本脳性マヒ者協会『青い芝の会』」)という組織で活動した。東京で始まったその組織は以前からあったが、そして「政治的主張」もそれなりにしていたのだが、基本的にはおとなしい性格のものだった。本書に記される、横塚らの「『青い芝の会』神奈川県連合会」(神奈川にいくつかあって、それが集まったのでこんな名称になった)の活動によってその性格は変容していき、一九七〇年代以降の障害者運動を牽引する一つの流れとなった。横塚はその「全国連合会」の会長を、亡くなる年まで三期連続して務めた。また一九七六年に結成された「全国障害者解放運動連絡会議(全障連)」の最初の代表幹事でもあった。 その変容の画期をなすのは、一九七〇年、横浜での障害をもつ子を母親が殺した事件に際してなされた減軽歎願の運動への反対の運動だった。「母よ!殺すな」という題もここから来ている。家族は、子ども思いのよい家族だとしても、時にだからこそ、よくないことがある。横塚の文章の一つひとつは短い。そして口述筆記だったという。にもかかわらずなのか、だからなのか、強く、すっとする部分がある(次の引用は土屋[1999]にも引用されている)。 「泣きながらでも親不孝を詫びながらでも、親の偏愛をけっ飛ばさねばならない」(二七頁) では代わりに施設があればよいか。いやそれは相手方がもう言ったことだ。施設がもっと整えられていればよかったのに、と言われた。いやそういうことではないだろうと、横塚たちは言った。ちょうど同じころ「府中センター闘争」(七八−七九頁、等)が起こっている。この闘争は青い芝の会が主導したのではなく、むしろそこで様々な葛藤もあり、このことについては三井絹子の著書(三井[2006])でもふれられている。それでも、基本的的に、その頃ようやく始まった施設で暮らさせようとする動きに反対した。 例えばそのようにまとめれば、「自立生活(運動)」と呼ばれるものは、具体的・即物的には、「家と施設から出ること」(のための運動)であったのだが、この会の活動はその先駆だとも言える。そして時をおかず、優生保護法の改訂に反対する運動に関わる。(この辺のことは森岡[2001]でも取り上げられている。また松永[2001]、立岩[2007]。)そして養護学校の義務化に反対しもする。みな説明しなければならないのだが、いずれも長くなる。 そしてその人たちは、まじめで一所懸命な家族や施設やリハビリテーションや医療や福祉や教育を批判したし、あまり素性の正しくない人たちと徒党を組んでいるようにも思われていたので――これは誤解に近いところがある――きちんとした社会福祉の本などにはあまり出てこない。言っていることのよしあしはさしあたり別にしても、それはよくないだろうと思ったから、その人たちのことを書いた(このことについてはこの文章の終わりにすこし説明しよう)。そういう「文献」はすくなくとも以前にはあまりないから、その書き手である私は、そちら側に位置づくことになるのかもしれない。それでかまわない。だが、同時に、その書きものを見ていただければわかるはずだが、青い芝の会という組織がここ数十年に果たしてきた役割はかなり限定的なものだったとも思う。その運動は全体の中の一つであり、その後の運動の実際の大きな部分を導いてきたのは青い芝の会ではなかった。そのことはこの間のことに関わりその様子を知っている人たちは知っている。そのことを――解釈する意味があるとして――どう解釈するのかもまた別途、長い話になりそうだ。 ここでは以上を略し、あたり前のような変なようなこの本について、暗いような明るいようなこの本について、考えてみたことを書くことにする。 ■2 差別は遍くあり、特異にもある 差別をどのように捉えるのか。横塚は普遍性・不変性と社会性・時代性の両方を言う。 一方で差別は、時代性 社会に規定されたものだともされるし、支配者・権力者のものであるとも言う。 「全ての障害者施設とは、高度経済成長を支え、現社会体制を維持していくために、また一般庶民にマイホームの幻想を募らせるためにこそ「必要」なのであり」(一〇五頁) 「生産第一主義の社会においては、生産力に乏しい障害者は社会の厄介者・あってはならない存在として扱われてきたのですが、この法律は文字どおり優性(生産力のある)者は保護し劣性(不良)な者は抹殺するということなのです。つまり生産性のないものは「悪」ときめつけるのです。」(一二九頁) 「我々を、不幸な、恵まれない、かわいそうな立場にしているのは権力であり、今の社会であります。」(一四一−一四二頁) 障害学はそんなことを言うだろう。社会学者もそうだ。つまり社会的な要因を言う。それ以外のことは言わないようにしている。ただ横塚は、そのように言わなければならないと教えられたりしていない。彼はもっとすなおに考える。不変のものがあると言う。ぬぐいがたい「業」のようなものがあって、なくなることはない。差別するのは人間の本質、宿命だと言う。 「人間とはエゴイスティックなもの、罪深いものだと思います。」(三七頁) 「人間の差別意識というものは動物的・本能的なものであり」(一四七頁) 聞いたことがある話がなされているように見えるかもしれない。違う性格のものが並べられ、すっきりしないではないか、場所場所で違っているではないかと思われるかもしれない。 この種の運動に関わった人たちは多くの場合に左派であり、差別の由来が「資本主義」などで説明されても不思議でない。いやそんなことの前に、明らかにこの社会の「経済」のもとで損をしているという実感、現実がある。それはまったく間違いではないだろう。 他方、例えば部落差別についてはどうか。前近代的な意識によって説明される場合もある。その場合には近代化が解放の鍵になるのだが、そう簡単なことでもないように思われる。となると、やはり資本主義などと言ってみようか。しかしそれも強引に過ぎるよううに思える。どこかもっと深いところにあるように思える。そのことも言われる。 当時、だいたいそんな具合になっていたと思う。となると横塚は当時あった話の両方をしているということか。そんなふうにも思える。しかしそういうことではないと思う。 まず障害に関わり、差別に関わる契機を二つに分けることもできる。一つに動いたり働いたりすること(それができないこと)関わるところがある。一つにそれだけで説明できない部分がある。同じ身体なのだが、できない身体と、異なる身体と、二つの面がある。横塚は両方を言っている。それは重いものだという。 「差別意識というようななまやさしいもので片付けられない何かを感じたのである。[…]重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか」(八〇頁) 脳性マヒは様々な現われ方をするが、身体の形や動きがかなり派手に違うことはある。そのことが異なりについて気になることに関わっているだろう。 差別するときに、そのもとになるものはなんでもよい、なにもなくてもよい、ということはあるだろう。そのような意味で恣意的であることはある。たとえば部落差別にはそんなところがある。ただ障害者の場合にもそれだけなのか。身体の差異も恣意的であり、それ自体はなんでもない。そう言えるか。言えるようにも思える。実際には、同じものが嫌悪され、しかし、ささいことでそれも変わりうること、慣れもするのだということ、そんなところでよくはないか。ただ横塚はそうも言えないと思っているようだ。身体にこだわってはいる。ただ、なまやさしいものではないという以上のことはここでは述べていない。そのことをどう言えばよいのか、私にはもっとわからないけれど、なにか言いようがあるのかもしれないと思う。ないのかもしれないとも思う。このことは、ここではここまで。 次に前者、「(非)能力」について。それはなにかと考えてみる。すくなくとも障害者差別に関しては「経済」が絡んでいること、これは明らかである。雇ってもらえない、賃金がろくに払われないことがある。この経済のもとで損をしているという現実は確かだ。資本主義の経済のもとではそうなってしまうとも言える。しかし、資本家が儲けようとしなければ違うかもしれない。消費者がものを安く買おうとしなければ違ってくるかもしれない。労働者が働けない人をおおめに見れば違ってくるかもしれない。すると基本は同じだと、つまり、それは「資本主義」の問題でもあり、また人間の「業」の問題でもある、と言える。だから横塚が言っていることは、折衷的でもないし、どっちつかずでもない。 このように考えてみるなら、むしろ二つを違ったものとして考える方が間違っているということになる。どのように間違ってきたのか。一つには労働者の捉え方だろう。「資本制」を言う人たちは多く、労働者を被害者として、体制に対抗する勢力として捉えてきた。しかしそうだろうか。格別の悪意をもっていなくても、足手まといであるなら遠ざけようとするのではないか。すると、むろん、経営の合理化を進めているのは経営者であり、そのためにやむをえず、という言い方はあるだろう。それは当たっているだろう。しかしそれだけでもないだろう。消費者はどうか。施設の労働者は施設でどのように振舞うか(四四頁等)。だから、横塚たちの言い分は基本的には正しい。 そしてこのことは「優生思想」についても同様だ。それで益を得るのは、「資本家」「国家権力」だけではない。「うちなる優生思想」という言葉は以後よく使われるのだが、それは障害者自身にも、その思想・意識があることを言うのでもあるが、より基本的には、それ以前に、誰にでもあるものだという認識を示している。。 ただ、その上で、まるで同じなのかと考えていく、その道筋があるはずだ。すると、まったく同じではない、すべてをいっしょくたにしない方がよいようにも思える。そしてそのことも、じつは示されている。二つが並行して示されているからである。ではどのようにつながり、どのように分かれているのか。「合理」性の求められ方は経済のあり方によって違ってくる。そしてこの社会の仕組みから皆が同じように利益を得ているわけではない。ようするに、能力/非能力(障害)に関わって損得が違ってくるということであれば、それはすべての人に関わることであるともに、損得の分布は一様でないのである。 こうして同じであるとともに、違うところがある。同じ欲望を有していても、それが大きく現れることと、そうでないことがある。だからやはり、社会の仕組み・仕掛けのことを、それはそれとして考えねばならない。これはそれなりに細々と考えねばならないことだから、学者の分析対象であるはずだ。しかしそう分析されていると思えない。それが課題として残される。しかし、そのようにして分析されるべきことが、この本において言われている。 ■3 何がよいのか、はあなたの思いと別にある では次に、代わりに何がよいのが。それは単純なものである。それは、今まで扱われてきたように扱われないこと、今扱われているように扱われないこと、生きていけることである。そこから、そのようにこの社会がなっていないこと、人の「業」が自分たちを生きていけるようにしないことが批判されるのである。 しかしそれが難しい。この運動は少数派の運動としてある。関係して、「社会的合意」とか「合意形成」といった言葉が頻繁に使われる。どうやって同意、合意をとりつけるのだと、よく聞かれる。なぜいつもそのように言われるのか、問われて答を言わなければならないのか。そうも思う。ただそれは自らが気になるところでもある。なぜ自分たちの言うことは受けないのだろう。これはたいていの社会運動が抱える問題である。そこで暗くなってしまう。 だがここで終わることはない。横塚の本を読んで考えると、三つはある。一つに、本当に理解や合意は必要なのかである。一つに、(正面から言うべきことを言っていった時に)その主張は本当に通らないのかである。そしてもう一つ、実際にどの程度「理解」は必要であるのか、必要ではあるとして、それをどのように得ていくかである。三つとも違う。そのことがわからないと妙なことになる。不要に暗くなる。この本がなんだか明るいのは、横塚がそのことをわかっているからだと思う。 一つめについて。横塚が言うには、自らが主張することは、誰かがそれを認めるから、正しいのではない。それ以前に、正しい。それは多数決でどうというものではない。それは譲れないことである。この世でどれだけの人が賛成しようがしまいが、そのことと、基本的には、関係のないことだ。優生保護法について、厚生省に横塚たちは次のように言った。 「物事にはやっていいことと悪いことがある。人の命に係わることはそれがたとえ多数の意見であっても行うべきではない。」(一三四頁) 三つの三つめに関わり、同意は必須でないにしても、有用である。だが、それが仕方なく必要である事情をふまえず、とにかく「ひとさまにわかってもらわねばならない」と思うなら、それは違う。理解してもらわねばならないと思うこと、思わせられることはときに辛いことだ。それは、本当は、いらない。 「私達障害者の間でどうしたら理解して貰えるかとか、そんなこといったら理解して貰えなくなるとかいう言葉をよく聞くのですが、これ程主体性のない生き方があるでしょうか。大体この世において四六時中理解して貰おうと思いながら生きている人がいるでしょうか。」(六五頁) これは自分たちの主体性を形成・確保しようというきまじめな呼びかけでもある。ただ同時に、人々におもねることはないというのでもある。これは大切なことではなかったか。 「脳性マヒは増えているのである。社会性もなく何をやらせても採算ベースにのらず、これまでの社会常識ではあてはめようのない存在として増えているのである。一般常識にあてはまらないからといって人間の存在を否定することは本末転倒といわなければなるまい。」(九一頁) ここで終わり、本来、それ以上に積極的な根拠を必要としない、必要としてはならないものだと横塚は言っている。一番基本的なところでは、一人ひとりの「価値」や「好み」の問題ではない、と言っている。これは大切なところだ。たしかにこの世の中が、人々の価値や好みによって動いていること、変わっていくことは事実だ。そして、自分の価値や好みによって人のことを左右してならないと思うことも、その人が思うことの一部であり、その人の価値のありようであるとは言える。その意味では、すべては人の思いである。しかし、自分たちの好みで決めてならないと人が思う中で作られる社会と、好みを集計し調整したものが社会だと思うのと、違うということだ。差別は全てにあり、自分たちの中にある、と横塚は言う。その限りでそれは、価値を社会的な歴史的なものとして「相対化」しようという流れと違っていて、重く、悲観的である。しかし、それを人が思い、自分が思っていても、受け入れることはない。そんな苦しいことをすることはないと横塚は言うのだ。 このときに障害者であることはどんなことであるか。まず、自らに対する否定が自分に折り畳まれてあるのだから、それを解くこと、そこから放たれることは必要だ。自分が自分を否定しているのだから、これは損である。だからやめよう。そこに立てば、堂々と、方向を間違えることなく、自らを示すことができるだろう。そうすれば楽になるはずなのだ。このような言葉を聞いてから、もうしばらく経っているから、そうは驚かない。私もそんなことを言う人たち――つまり、横塚の弟子筋の人たちといってもよい――との付き合いが多いから、慣れているのかもしれない。しかし、これはやはり、強い、肯定的なメッセージだ。健常者並みになろうとしたってなれないのだから、そんなことはやめようと横塚は言う。 ■4 だが、示すならわかるはずであること たださらに横塚は、障害者が存在していることはどんなことなのかを人々に示すのだと言う。すると、これが二つめだが、人々はわかるべきことがわかる、あるいは、人々はあらかじめわかることができる、そのように横塚は考えている。 「障害者はその症状形態から画一的合理化をする事が無理であり、むしろさまたげになります。故にますます現在の社会から疎外されているのです。しかしある意味では画一化されたトロッコに乗せられなかった事が、自由な素晴らしい事だといえないでしょうか。とにかく障害者は不合理な存在の典型であり、だからこそ人間とは何かという事を振り返るには格好の材料であり、生きた具現者である筈です。[…]そうする事が我々重度障害者の使命であり、最も有意義な社会参加だと思います。」(八四−八五頁) このように横塚や他の人たちが言うとして、それに「効果」があるのだろうかと思う人たちがいるはずである。「社会常識」に合わない人たちが存在しているというその事実、そしてその存在がそこに現れることが、社会常識に働きかけ、人々を納得させ、その常識を改めさせるものであるかどうか、それはわからない。むしろ、それはノイズであり、そんな変な人たちを遠ざけようとする力を強くすることも考えられる。なら、それはかえって「逆効果」ではないか。結局「理解してもらえない」ではないか。たしかにそんなことがあるような気がする。いや実際、その活動は、様々なところで人を充分にうんざりさせたり苛立たせてきたと思う。 けれども、それでも、横塚は示せばよいのだと言う。ここでもまず、事実はこうなのだから、人間はそうなのだから、そのことは示してよい、示すしかないということが一つあるだろう。これは効果と別のことである。もう一つ、ノイズであるとしても、示すことか逆効果であることがあることを認め、そのことを含めても、よい、と思っていたのだと思う。伝わるべきだし、伝わるはずだと思っていたと思う。 人は、結局のところ、肯定するだろう。そして、実際そんなことがあることを知ってもいた。「人間とは何か」がわかるはずだ、そしてそれはよいことだ。その人たちに即するなら、その人たちにとってよいことであるはずだ。人間は「合理的」ではないことがわかった方がよいのだ。横塚はそう言っている。 「障害者運動とは障害者問題を通して「人間とは何か」に迫ること、つまり人類の歴史に参加することに他ならないと思う。」(一二三頁) こんな大仰なことを、恥ずかしいから、私たちはあまり言わない。けれども、まっとうなことを言っていると思う。 このとき、障害について、なにか格別な、積極的なものがいるだろうか。いらないように思える。格別になにか称揚されるものを探してもってこなければならないことはないように思える。そもそも、障害あるいは障害がある身がなにかすばらしいから、自分らの存在を晒すことに意義があるというようには横塚は言っていない。 ただ、横塚は他方で、なにか自分たちに固有な積極的なものを見出そうとしているように書いてあるところがある。それを「拠点」にしようと述べているところがある。 「人々の考え方は、社会制度、宗教、階級などそれぞれの属してきた生活環境により異なるのだが、最大の生活環境は人それぞれの肉体であり、この環境はどこへ行こうと一生ついてまわるのだから、人はこの環境に最も多く規制される筈である。 健全者といわれる人達と我々脳性マヒとは明らかに肉体的に違いがある。つまり私のもっている人間観、社会観、世界観ひいては私の見る風景までも、他の人達特に健全者といわれる人達とは全然別なのではあるまいか。」(五八頁) 身体からは逃れられない。それはそうだ。障害者に固有の世界があるだろうと述べる。あるかもしれない。横塚は、例えば脳性まひ者は「社会性がない」と繰り返す。これは隔離のせいで、でなければ社会性を身につけることができる、このように考える方が普通だろうに、またそのように述べているところもあるのだが(一二五頁)、そう自慢できそうにないものにこだわっているように読めるところもある(倉本[1997][1999]、杉野[1997])。 「私達脳性マヒ者には、他の人にない独特のものがあることに気づかなければなりません。そして、その独特の考え方なり物の見方なりを集積してそこに私達の世界をつくり世に問うことができたならば、これこそ本当の自己主張ではないでしょうか。」(六六頁) そうして集合性、文化的同一性が獲得される、か。その可能性があるのかどうか、私にはわからない。あまりないような気がする。そしてそれは自らによって否定もされている。脳性マヒの自分にはなにか独自のものがあるはずだと思ってカメラをもってみたのだが、そんなものがあるのか、はっきりしなくなった。それはわからないという終わり方になっている。ともかくたたかい続けるのだと書いてある。(六一−六二頁) 結局、横塚は、障害自体をプラスの価値のあるものとすることをしない。その思考の本筋から行ってもそうなるはずだ。しかし、横塚たちの写真を見て、私、あるいは私たちはよいと思う。いったいそれがどこから来るのか、よくはわからない。思い入れというものかもしれない。ただ、たしかに私には身体がつきまとう。それはときにやっかいごとを引き起こす。そのような存在がいて、しかしそのことに文句を言うな、いや文句は言ってよいとして、生きさせろと言う。あるいは、言葉において言わないとしても、そのようにして存在している。そのことが肯定的である。そして、人がそのように受け止めてしまうことを、横塚は信じている。信じられると思っている。 そのことを言おうとして、よく、大切なのは障害ではなく、人間であることだと言われる。それはその通りだとして、しかしその人間は、まとわりつくものを除去した、除去した後の、つまりは「普通」の人間であるのかである。そんなことはないだろう。知的障害であれ身体障害であれ、様々をまとっている存在である存在を肯定せよ、と言う。それ以前に、肯定的な存在として存在している、それを知っているだろう、知らせるように晒してよいのだと言うのである。 横塚は差別することは人間の本質なのだと、本能なのだと言い切ってしまう。ではだめなのか。そんなことはないはずだ。つまり、欲望は複数である。否定しようと思う人が、同時に、そうでない思いをもつことがある。それは不思議なことではない。 「どんじりを抹殺したところで次から次へとどんじりは出来て来て、それはこの世に人間がたった一人になるまで続くでしょう。」(一三二頁) 実際にそうなるかどうかはわからない。どこまでもは続かず、あるところで止まるかもしれない。ただ可能性としてはすべてに及ぶということはある。どんなであっても生きていられることは、皆にとってよいことではないか。自らの何かが評価されることは避けられず、そしてそれは苦痛とともに快をもらたすものでもあるだろう。けれども同時に、それらと関わりなく存在できることを望んでいる。またそのような存在として人があることを私たちは認めたいとも思っているはずだ。 しかし、たしかにそのための支払いはある。人が生きるためのことをしなければならない、手を貸さねばならないということだ。そして多くの人は、それをさぼることができる。今のままでも実際にやっていける人は今のままでよしとする。それではやっていけない人のことは見ないことにして、見ないで、やっていけているのだろうと思うことにする。すると、自らは支払わずにすむ。ただこのことは、その人たちもまた、実際には生きることを肯定しているのだから、本当は、その人たちも別の陣営にいるわけではない。ただいくらかずるいというだけだ。だからそのことをわかれ、ずるいことをするなと言うことになる。 それを言われるのはうっとおしくはあり、いつも聞いていたいと人は思わない。しかし実際、自分たちは損をしている。今の状態で生き難いのはまったく事実なのであるから、ずっと主張していくことになる。それは正攻法ではあり、同情を買ったりすることの方が多くを得られることがあるだろう。しかしそれは自分たちを辛くするものでもある。とすれば、その方法は使わない。使うにしても、それから距離をとっておいた方がよい。そうした場合に、楽にその方法を使うこともできる。 ■5 解決の怪しさを知りながら、得になることをする 一つ、誰が何を言おうが、誰に何を言われようが、よいものはよいと横塚は言った。次に一つ、それはじつは人がわかるはずのことなのだと、わかっているはずのことなのだと言った。しかし、いずれももっともであるとしても、そのことが結局は伝わるはずのことであるとしても、実際には対立がある。実現されねばならないものがある。生きるための手段が必要で、それを得るためには「現実的」に対するしかないではないか。具体的にどうやって世間に対していくのか。これが三つめである。 青い芝の会の人たちは様々に反対した。しかたのないところもある。先方がいろいろと新しくよけいなものを作るというので、反対せざるをえない。それで反対したり阻止したり、そんなことばかりしなければならないことになる。そして反対したり阻止したりすることだけしていてかまわない。とくに他の組織が他のことをやるのであれば、それでよい。反対しかしない組織があってわるいわけではない。 だがそれがうまくいったとして、現状が維持されるだけで、多くの場合は反対しても結局は通ってしまう。疲労感と敗北感だけが残るといったことになる。それでも運動を続けるのはそういう変な人たち、疲れたり負けたりすることに快を感じたりする人たちだということになる。このようにまとめてしまうその括り方に悪意を感じつつ、全面的に否定しようとは思わない。そんな部分はあるとしよう。ただ、横塚自身の姿勢・戦術は、もっと実際的であリ「建設的」なものだった。そしてその手前で、というかそのために、原則的だった。 「我々が[…]問題提起をした場合、まだ討議もされないうちに『じゃあどうすればいいのか』という言葉が返ってきます。この場合私は、そんなに簡単に『じゃあどうすればいいのか』などと言うな、と撥ね付けます。」(三一頁) この文章は、横田弘が書いた「われらかく行動する」が載ったのと同じ号の機関誌『あゆみ』に掲載された。その横田の文章はやがて青い芝の会の「行動綱領」になったのだが、そこに「われらは、問題解決の路を選ばない」とある(市野川・立岩[1998]で立岩が言及)。これは「非建設的」なことだと思える。実際、その後の推移をみれば、仕掛けを作っていくことにこの人たちはあまり力を注がなかった。 しかし、この本のその後に書いてあることを読んでみよう。すると、横塚はどうすればよいかという問いを回避していない。むしろまったく正面からこの問題を扱っている。そして「解」を示している。 「「施設は必要と考えるか否か」という問いが出されました。その時私は「そういう設問の仕方はまちがっている。[…]設問のように必要かどうかということで必要という答が出た場合には、施設そのものが正義とされ、正義の名において人権蹂躙が行なわれる危険性が生まれてくる」と答えました。」(三二頁) 基本的な立場は明確である。既にある選択肢のどちらにするのだと問われて、いずれでもない、どちらもとらないと言うべきだということだ。施設は――ある形態の施設は、と言うべきだろうが(一二四−一二七頁)――ない方がよい。であるにもかかわらず、ない方がよいようなものであっても必要とさせてしまっている状況を問うことなしに、代わりに行く場もないままなくしてもよいのか、それともあきらめてそこに暮らすのかと迫るのはまちがっているということだ。だから、まともな問題解決の道を行こうということである。姑息にことを納めてしまうなと、もっと普通に、基本的なところから考えろというのである。 そこに既にある現実はある。また、横塚の言うように、常数のように、生きることを困難にさせている事情があるかもしれない。もう一人の前の世紀の偉人であった高橋修についての文章(立岩[2001])にも書いたことだが、障害者の運動は、原則的でありながら現実的でもある。あらざるをえない。そこが傍目にもおもしろい。この社会の原則的なところとそりが合わないのだから、原則的であらざるをえない。同時に、この世で生きていくなら、霞を食っていくわけにはいかなのだから、この世とどう折り合っていくかを考えざるをえない。その緊張を持続せざるをえない。それは困難なやっかいなことである。見ている分にはおもしろいとしても、たいへんなことだ。 横塚はやれるところとはやることを言い、そのように行動した。 「組織活動としては我々の活動を正しく受け止めてくれる限り、いかなる団体個人とも接触を持つということが原則である。」(一三六頁) まだその頃はそこそこ強かった労働組合の全国組織「総評」とも、醒めてはいつつ――「自分達だけの賃上げ闘争にある種の後ろめたさを感じたのか、はたまた仏心を発揮して下さったのかわからないが」(一四三頁)――やれるところとはやる。考えてみればそうまじめにやってくれないだろうと思いながら、そしてその結果はまったく芳しくなかったのだが、やれるところとやる。 一定の人たちの支持は必要である。しかしその数は場合によって異なる。得られるものも異なる。間接民主制の政体をとる以上は、議会で決まることについては、多数派を動かさねばならないとして、政権党に近づくことはできないということもある。あるいは、作ったものを市場で買ってもらうためにも、人々の理解は必要だということになる。ここでは買う人の数だけ売れる。しかしその総額はいかほどになるか。あるいは行政というルート。ことのよしあしは別として、その裁量によって決まってくる部分は事実ある。それを使ってやれることをやってきた。それは時と場合によって中央官庁であったり地方行政の現場であったりした。一人を説得すれば得られるものがあることもある。そして、それで一定のものを獲得してきたことは事実だ。「障害者自立支援法」という法律はその「既得権」に対する反動でもあった(立岩[2006])。とすると、結局立法あるいは司法に訴えざるをえない場面も出てくる。 こんなことを考えなければならないし、考えてもどうにもならないこともある。ただ一つ、ここは、まずきちんと勘定することであり、それを自らの原則に照らし合わせることだ。例えば、自発性に依拠するとはどんなことか、希望者だけに払わせるとはどういうことか。こうしてそれは、税に依拠することをどう評価するかを考えることにつながる。(立岩[2004]等でこのことについて書いた。) 次に、運動の「主体」について。横塚は疑いなく優れた指導者だった。運動が個人の資質、才能に負う部分はある。その横塚は、言うべきことをうまく言えないとしても、主導権を自分たちが、障害者がもたねばならないと言う。河野秀忠(後に『そよ風のように街に出よう』を刊行、横塚についての記述を含む障害者運動の歴史についての著書に河野[2007])宛の書簡でもそのことは言われている(三〇六−三〇七頁)。ただ例えば事業をかなりの規模で行なっていく事業体の事務局長の仕事は、すこし希少な才能を要したりもする。当人が一番よいとは必ずしもならない。本人主導がよいとして、また利点はあるとして、他に要するものもある。様々を勘案するとどうなのか。 正解はない、ということになってしまう。ただ、ここで私たちは、「そういう設問の仕方はまちがっている」という横塚の言葉を思い起こす。 組織をきりもりしていく。それにはたしかに才能が必要である。しかしそんな組織があり活動があり、そのための才能をもつ人がいなければならないということが、本当はおかしいのだと考えてよいということだ。厳しい状況であるから、対抗する側も有能である必要があり、ときに「健常者」の方がよいことはある。だが、ここでも私たちは、横塚のように、「できる」「健常者」と諸般の事情であるいはたまたまさほどの力量を持たないでない「本人」と、いずれかを選ばねばならないこと、横塚のような立派な指導者がいなければならないことが、基本的には、間違っていると答えることができる。それは、どの人が組織を担うのかという問いに対する具体的な答を与えない。しかし、その答を出しにくい理由を教えてくれる。そして、もしなんとかやっていけるのであれば、これが本人たちのことであるのは間違いないのたがら、できるだけ本人たちがやっていけたらよい、そのために工夫をしていけばよいことを教える。 ここにも、困難とともに、同時に、明るさがある。一つ、なんと言われてもこれでよい、と言う。そして一つ、このことは本当は皆がわかるはずだ、と言う。一つ、しかし具体的に様々せねばならないことがあって、厄介ではあるのだが、その厄介さがどこに発するのかを確認しよう。そうすれば、すくなくとも深刻になりすぎることはない。 「はやく・ゆっくり」というまったくできすぎた横塚の遺言はそのことを言っている。得るものを得るためにははやくせざるをえない。しかし、本当は、ゆっくりでよいし、ゆっくりがよい。二つは矛盾する。しかしそれには理由がある。仕方がない。それがわかると、わからないより、よい。 ■6 時代が支え、そして残したこと その思想はどこから来たのか。この時期にいわゆる新左翼の運動がある。そしてその後、衰退に向かったことになっている。何があったのかについていくつも本が出ている。ただ、どことどこが喧嘩をしていたといったことに紙数が割かれていて、障害者運動との関わりについて書かれているものはほとんどない。 それは基本的には学生、大学生の運動だったから、横塚たちがその運動に直接に関わったわけではない。しかしそちらからやってきた部分がある。まず運動に利用しようとした人たちがいる。この本で幾度か語られ非難されているのは、党派による「引き回し」である。 他方、運動から離脱してやってきて、そこに居ついた人たちがいる。他国の新左翼的な運動はどんな経過を辿ったのか。よく知らない。その一部が「エコ」の方に「地域」の方に流れていったことは共通している。そして「弱者」の方に向かうことも、どこにでもある程度はあるのかもしれない。反体制の運動には常に、判官贔屓というか、そんなところがある。ただそれにもしても、この国では障害者運動の方に関わった部分が、全体のうちではわずかであるにしても大きいように思える。いくらか不思議なことだ。 負けたからだという答えはとりあえず一つあるだろう。することがなくなって撤退するのだが、その人たちに必要とされる場所はない。だが、介助・介護の場は、必要とされるかもしれない少ない場所である。そしてそこに入ることは、その「理論」に矛盾しない。現代社会の問題がそこにあるということになる。それは自らの主張に反しない。 そして、「全体」に対する反対を維持しつつ、同時に、「自分」を問題にするところに共振したのでもあるだろう。これは社会の部分的な問題でないという認識とともに、その全体の内部にいる自分、一人ひとりの自分における意識を問い質すこと、そんな「倫理」的な部分がうまくはまったのだとも言える。そして、同時に、体制をどうにかにするといった話がどうもうまくいかなくなって、変革についての大きな話が疑わしくなり、そんな話をしたり聞いたりすることに飽きたり、飽きる前に疑って、さしあたりするべきことをしようということになる。 ただ、私が横塚の本から受け取るのは、全体としておかしいこと、「根」からも問題にしてもよいということだ。今までよいことにされてきたことがよくはないと考えてよく、言ってよい。そのような「風潮」は、対談(横田・立岩[2004])をさせてもらった横田弘からも聞いたことだが、青い芝の会の人たちにもいくらか力を与えたようだ。対抗文化・反近代・反体制が、律儀な戦前生まれの身体を経由して、現われる。そして、横塚自身は、茨城のお寺で大空(おさらぎ)という坊さんと数年を暮らした影響は大きかったと言う(大空と青い芝の会の人たちについて岡本[1988]がある)。それはそのままに受け取ってよいだろうと思う。 価値を与えられないものから別の価値を見出すのとも、価値を反転させるのともすこし違う。最も虐げられたり苦難の状況に置かれるものが、その苦難によって肯定されるべきなのだという話とも異なる。健常に価値を与えてしまうことを事実として認めつつ、しかしそれは、名前のないしかし具体的な存在・身体・生存を凌駕することはないと言う。 これは間違っていないと思う。一九七〇年前後にあって、障害者の運動に残り、継がれたものは、その騒々しくも冴えない動きから受け取るべきは、そのぐらいのものではないかと思うぐらいだ(立岩[1998])。それは、例えばイタリアやフランスの哲学者たちでそんなことを主張したいように見える人たちの主張さえもが、どこか中途半端な感じがするのと比べて、単純だが、はっきりしている。同じようなことを言いたいとしても、なにか苦労して、なにか難しい言葉とともに、そのことを言おうとするのに対して、直截である。そのあまりに単純な居直りの具合が、それでよいのか、という感じはしないでもない。一度聞いたフレーズを繰り返せばよい。労が少なすぎる気はする。しかし、基本的には、それでよいのだろう。 ただそのこと自体は、誰かが代理する必要なく、本人が、横塚が言ってきたし、示してきた。その上で、遺された者たちがするべきことは、二者択一の罠にはまらないようにしながら、しかたなく、しかしいくらは楽しみながら、こずるく、ちまちまと、こまごまと考えていくことだと思う。そしてその場面になると、横塚たちの時代を生きてきた人々は、内省的で一本気な人々は、いささか頼りにならない。そう思える。 例えば、さきほどすこしふれかけた「お金」のことについて。介助、その有償/無償、介助における本人と介助者との関係は、例外的によく語られてきたといってよいと思う。ただ、もっと考えてもよい。横塚たちは、もちろん、主体性は障害者の側にある、あるべきだと述べる。同時に、横塚は介助する人たちとの「心の共同体」を語ったという(二六六−二六八頁)。両方が述べられる。そして横塚の没後も様々があった。青い芝の会の――その小さな全体の中の「主流」――は、しばらく有償の介助に積極的ではなかった。友人でありそして/あるいは(障害者と健常者との「関係性」を理解した上で)「手足」になるべきだという理念があっただけではない。金を得られ生活を保障されるその人たちが力を持つことになることが懸念された。しかし同じことについて、他方の側にも言い分はあった。無償の行為に頼るなら、それではかえって介助する人に依存することになるというのである。これももっともだ。例えばこんなことをどう考えるのかである。私なりに考えてはみた。基本的には、社会に義務はある、しかしすべてが実際に行なわなくてよい、その時に、金を出し、暮らせる金を実際に仕事する仕組みはよい、それを基本に考えてはいけないのかということだ(立岩[1995][2000a])。つまり義務の履行のあり方として有償性を肯定する。それでも別の論点は残る、まだ終わらないという人もいるだろう。まだ考えてもよい。考えたらよい。 また労働について。がんばって人並みになろうとしてもどうせ人並みにはならない。ならば撤退してしまえばよいと言う。同時に、横塚は次のように書く。 「寝たっきりの重症者がオムツを替えて貰う時、腰をうかせようと一生懸命やることがその人にとって即ち重労働としてみられるべきなのです。」(五六−五七頁) 「ウンコをとって貰う(とらせてやる)のも一つの社会参加といえるのではないだろうか。」(八九頁) 「働かざるもの…」と言われて育って、それを坊さんの力も借りて、そうは思わなくよいということにしたものの、実際よく働いた人の生真面目さがある。そうなんでも労働と言わなくてもよいとも思う。しかし、それは苦労して行なうことであって、そして生きていくためには必要なことであるとしよう。これは大切なことだ。では、結果がでなくても、同じぐらいの苦労をしているということが大切なのだろうか。では、結果がでるでないに関わらず、どれだけの結果がでるに関わらず、同じ労苦をしていることが大切なことであって、例えばそれに見合った収入が得られたらよいということか。しかしそれはなにか不都合な気がする。労多くして益少ないことはしなくてよいようにも思う。ではどう考えたらよいのか。うまい具合に市場で労働を売れないとして、だが完全にあきらめもしないなら、いったいどうしたらよいのか。このような議論を私たちは十分にしてきたか。そしてそれは落ち着くところに落ち着いたのか。そんなこともない。 これらは社会の仕組みや仕掛けについて考えることだから小賢しさがいる。しかし遺された人たちはそんなことをしたらよいと思う。私はそう思った。そして繰り返すが、そうしたこまごまとしたことを考える時に、基本をどこに置くのか、つまらない択一しか見えていないのではないか、そのことを考えるためのものを、横塚たちは与えてくれている。 ■7 馴れ初めと成り立ちについて この本は、一九七五年にすずさわ書店から刊行された。この年に彼は四〇歳。彼が亡くなった後、増補版が一九八一年に出された。収録された文章は、一九七〇年以降、神奈川県連合会の機関誌『あゆみ』などに掲載された文章が多い。また、内容的にはかなりの部分重なっている『CPとして生きる』が青い芝の会から一九七二年に発行され、増補版が七七年に出されている。これはその運動の中でテキストのように使われていたようだ。すずさわ書店からの本はあとがきにあるように本田勝一の口ぞえがあって出されたようだ。本多は同じ出版社の『貧困なる精神』シリーズなど多くの著作で知られた人だが、横塚や青い芝の会についての文章も書いている(本多[1979]等)。また、彼の妹の本多節子はずっと長野県にいて、長野青い芝の会を作り活動した人でもあり、著書がある(本多[2005])。 つぎにわたくしごとを。東京に出てきたのは、そして障害者運動というものがあることを知ったのは一九七九年のことで、その時には横塚はもう亡くなっていた。そしてその後も、青い芝の会という名は聞いたことがあったにせよ、具体的に何かを知ることはなかった。横塚たちの一九七〇年代を直接に知っている人たちの後、何も知らないまま、しかし継続している運動をいくらか見聞きした。そして一九八六年頃から、その事情は略すが、聞き取り調査を始めた。その中で青い芝の会の話が時々出てきた。それで資料を集め出した。研究文献はなく、専門書にも一般書にもほとんど言及はなかった。図書館にあるような雑誌に掲載されたのは、ここにも収録されている『ジュリスト』に横塚が書いた文章ぐらいのものだった。神奈川県社会福祉協議会の図書室などで機関紙をコピーしたりした。そうした時期に、すずさわ書店版のこの本も、どのように入手したのか、入手できた。まだ品切れにはなっていなかったようにも思う。(ただ誰かが借りていってしまったらしく、なくしてしまった。今手元にあるのは生活書院の高橋さん――以下敬称あり――から貸りているものだ。)そして、ごく短くだが、この時期のことを書いた。『生の技法』(安積他[1990]、増補改訂版が安積他[1995])に収められているその章(立岩[1990])の題は「はやく・ゆっくり」で、これは横塚の遺言であり(二四八頁)、また死後、自費出版された「介護ノート」(介護ノート編集委員会編[1979])の題ともなった。この言葉については日本ALS協会の山梨県支部で話させていただいたときに言及したことがあって、その記録が本に収録されている(立岩[2000c])。 そして、『現代思想』が身体障害者を特集した時(一九九八年)であったかもしれない、その雑誌の編集者を長くしている池上善彦さんから、この『母よ!殺すな』を再刊したらとよいと、それも文庫で再刊したらよいと言われた。それはよい案だと思った。ただ具体的に出版社に働きかけることは何年かしなかった。 そのうち『思想』に幾度か原稿を書くことがあり、その岩波書店から本(立岩[2004])を出してもらった。また、中西正司・上野千鶴子の岩波新書『当事者主権』(中西・上野[2003])の編集者とも話をすることがあった。それで、どうせなら岩波文庫で、と思った。古今東西の名著と横塚の本が一緒に並んでいるのを見て、ほくそえんだりしたいと思った。これはよい考えだと思い、そこで打診してみた。すると、しばらくの後、新しい本については岩波現代文庫で出しているからそちらを検討してみるとのことだった。私にとってはおもしろみが減った気はしたか、それでも検討していただくことにした。これは結局実現しなかった。 そんなことがあった間のいつ頃だったか、当時明石書店に勤めていた高橋さんが出版社を立ち上げるという話があり、前後して、この本の再刊の話をした。じつは他に、二〇〇五年に一つ、二〇〇七年に一つ、二つの出版社から、それまで存じあげなかった編集者の方から、再刊の提案があった。続くときには続くものだと思った。 そして生活書院から刊行されることになった。再刊の許可、伝説の映画『さようならCP』のシナリオの転載、等々に関わるすべての交渉を高橋さんが行なった。最もふさわしい出版社から、最も相応しい編集者の手によって再刊がなったことを喜びたい。この本は、この本がいらなくなるまで、読まれるだろう。そしてその時は来ないだろう。しかしそれを悲観することはない。争いは続く。それは疲れることだが、悪いことではない。そのことを横塚はこの本で示している。 ■文献(著者名五十音順) 安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店→1995 増補改訂版 荒川 章二・鈴木 雅子 1996 「1970年代告発型障害者運動の展開――日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」をめぐって」,『静岡大学教育学部研究報告(人文・社会科学篇)』47:13-32 石川 准・長瀬 修 1999 『障害学への招待――社会、文化、ディスアビリティ』、明石書店 市野川 容孝・立岩 真也 1998 「障害者運動から見えてくるもの」(対談),『現代思想』26-2(1998-2):258-285→立岩[2000b:119-174] 岡崎 伸郎・岩尾 俊一郎 編 2006 『「障害者自立支援法」時代を生き抜くために』,批評社 岡田 英己子 2002 「戦後東京の重度障害者政策と障害者権利運動に見る女性の役割(1)――身体障害者療護施設の設立経緯を通して」,『東京都立大学人文学報』329:1-46 岡村 青 1988 『脳性マヒ者と生きる――大仏空の生涯』,三一書房 倉本 智明 1997 「未完の〈障害者文化〉――横塚晃一の思想と身体」,『社会問題研究』47-1 ――――― 1999 「異形のパラドックス ――青い芝・ドッグレッグス・劇団態変」,石川・長瀬編[1999:219-255] 倉本 智明・長瀬 修 編 2000 『障害学を語る』,発行:エンパワメント研究所,発売:筒井書房 河野 秀忠 2007 『障害者市民ものがたり――もうひとつの現代史』,日本放送出版協会 定藤 邦子 2006 「大阪・兵庫の障害者自立生活運動の原点」,『Core Ethics』2:129-140(立命館大学大学院先端総合学術研究科) ――――― 2007 「大阪における障害者自立生活運動――1970年代の大阪青い芝の会の運動を中心に」,『Core Ethics』3:183-196 杉野 昭博 1997 「『障害の文化』と共生の課題」,青木保他編『異文化の共存』(岩波講座文化人類学8),岩波書店 鈴木 雅子 2003 「高度経済成長期における脳性マヒ者運動の展開」,『歴史学研究』2003-8 全国自立生活センター協議会編 2001 『自立生活運動と障害文化』,現代書館 田中 耕一郎 2005 『障害者運動と価値形成――日英の比較から』,現代書館 中西 正司・上野 千鶴子 2003 『当事者主権』,岩波新書 三井 絹子 2006 『抵抗の証・私は人形じゃない』,「三井絹子60年のあゆみ」編集委員会ライフステーションワンステップかたつむり,発売:千書房 森岡 正博 2001 『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』,勁草書房 立岩 真也 1990 「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」,安積他[1990:165-226→1995:165-226] ――――― 1995 私が決め、社会が支える、のを当事者が支える――介助システム論」,安積他[1995:227-265] ――――― 1998 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ISBN-10: 4380882179 ISBN-13: 978-4380882173 1400 倉本 智明 1997 「未完の〈障害者文化〉――横塚晃一の思想と身体」,『社会問題研究』47-1 ◇――――― 19990331 「異形のパラドックス ――青い芝・ドッグレッグス・劇団態変」、石川・長瀬編[1999:219-255] ◇倉本 智明・長瀬 修 編 2000 『障害学を語る』,発行:エンパワメント研究所,発売:筒井書房,189p.,2000円+税 ◇河野 秀忠 20070110 『障害者市民ものがたり――もうひとつの現代史』,日本放送出版協会,222p. ISBN-13: 978-4140882108 ASIN: 4140882107 735 [amazon]/[boople] ※ b ◇定藤 邦子 2006 「大阪・兵庫の障害者自立生活運動の原点」,『Core Ethics』2:129-140(立命館大学大学院先端総合学術研究科) ◇――――― 2007 「大阪における障害者自立生活運動――1970年代の大阪青い芝の会の運動を中心に」,『Core Ethics』3:183-196 ◇杉野 昭博 1997 「『障害の文化』と共生の課題」,青木保他編,『異文化の共存』(岩波講座文化人類学8),岩波書店 ◇鈴木 雅子 200308 「高度経済成長期における脳性マヒ者運動の展開」,『歴史学研究』2003-08 ◇全国自立生活センター協議会編 2001 『自立生活運動と障害文化』,現代書館 ◇田中 耕一郎 20051120 『障害者運動と価値形成――日英の比較から』,現代書館,331p. ISBN: 4768434509 3360 [boople]/[amazon] ※, ◇中西 正司・上野 千鶴子 20031021 『当事者主権』,岩波新書新赤860,214+2p. 700 ※ ** d ◇三井 絹子 20060520 『抵抗の証・私は人形じゃない』,「三井絹子60年のあゆみ」編集委員会ライフステーションワンステップかたつむり,発売:千書房,299p. ISBN-10: 4787300466 ISBN-13: 978-4787300461 2100 [amazon] ※ b d ◇森岡 正博 20011110 『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』,勁草書房,477+17p. ISBN:4-326-65261-6 3990 [amazon]/[boople]/[bk1] ※ ◇立岩 真也 19901025 「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」,安積・尾中・岡原・立岩『生の技法』,第7章 pp.165-226 ◇――――― 19980201 「一九七〇年」,『現代思想』26-2(1998-2):216-233(特集:身体障害者)→[2000:87-118] ◇――――― 20000301 「遠離・遭遇――介助について」,『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[2000:221-354] ◇――――― 2000g 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』,青土社 ◇――――― 20001127 「手助けを得て、決めたり、決めずに、生きる――第3回日本ALS協会山梨県支部総会での講演」,倉本・長瀬編[2000] ◇――――― 20010501 「高橋修――引けないな。引いたら、自分は何のために、一九八一年から」,全国自立生活センター協議会編[2001:249-262] ◇――――― 20040114 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店,349+41p.,3100 [amazon]/[boople] ◇――――― 2006 「障害者自立支援法、やり直すべし――にあたり、遠回りで即効性のないこと幾つか」, 岡崎・岩尾編[2006:43-54] ◇――――― 20070331 「障害の位置――その歴史のために」,高橋隆雄・浅井篤編『日本の生命倫理――回顧と展望』,九州大学出版会,熊本大学生命倫理論集1,pp.108-130 ◇土屋 葉 199907 「全身性障害者の語る「家族」――主観的家族論」の視点から」,『家族社会学研究』11:59-69 ◇廣瀬 俊輔 2007 「「青い芝の会」における活動と思想の変遷に関する研究――自立生活運動の源流として」,同志社大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻修士論文 ◇本田 勝一 1979 『貧困なる精神 第9集』,すずさわ書店,230p.,980(「二重の責苦で死んで行った「青い芝の会」会長・横塚晃一氏」) ◇本多 節子 20050201 『脳性マヒ、ただいま一人暮らし30年――女性障害者の生きる闘い』,明石書店,262p. ISBN-10: 4750320390 ISBN-13: 978-4750320397 2100 [amazon] ※ b d d00h ◇松永真純 200112 「兵庫県「不幸な子どもの生まれない運動」と障害者の生」,『大阪人権博物館紀要』5:109-126→○ ◇山下 幸子 200403 「健常者として障害者介護に関わるということ――1970年代障害者解放運動における健全者運動の思想を中心に」,『淑徳大学社会学部研究紀要』38→ 『闘争と遡行・1――於:関西・+』に収録 ◇山下 幸子 20050825 「障害者と健常者、その関係性をめぐる模索――1970年代の障害者/健全者運動の軌跡から」,『障害学研究』01:213-238 ※ ◇横田 弘 20040125 『否定されるいのちからの問い――脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』,現代書館,262p. ISBN:4-7684-3437-1 2200+税 [boople]/[amazon]/[bk1] ※ ◇横田 弘・立岩 真也 20040125 「差別に対する障害者の自己主張をめぐって」,横田[2004:005-033] UP:20071103 REV: ◇障害者(運動)史のための年表 ◇身体×世界:関連書籍 ◇書評・本の紹介 by 立岩 |