山口の第◆章を読んで、そんなにこちらでもがんばらなくても、すくなくともいくらかのものは残るのだと思って、すこし安心するところはある。中井の第◆章を読んで、自分たちの力でみなを集める、などとてもとてもととても思っていたが、そうでもないかもしれないと思ったりする。そんなことをいくらは気にしながら、これまで私がある個人が遺したものの全体を残すことに関わってきたのはたった3件だ。なお以下、以下に出てくる人たちにについてのより解説は「HP・画像・映像――生を辿り途を探す:身体×社会アーカイブの構築」(http://www.arsvi.com/a/arc-s.htm)からリンクされるページにあるから以下はごく簡単に。
まず、西尾等(1949〜2002)「鳥のように風のように」。直接の面識はなかった。2003年7月。私が作業した。そんなにたいへんなことはなかった。私たちのサイトには人の頁を集めたディレクトリ(フォルダ)があって、○人ほどの人たちの頁があるのだが、基本的には、一人について一つの頁。ただ、フォルダを作り、もともとの構造に模して移植した。私が本『ALS』(立岩[])を出版する後のような気がしていたが、そんなことはなかった。その前年のことだったようだ。
佐々木公一。
斉藤龍一郎(1955〜2020/12/19)。長い文章は書かない人だった。しかし/だから、聞きたい知りたいことがあったから、インタビューをさせてもらった(斉藤[])。アフリカ日本協議会の近くにあって長年通ってきたが、来週閉店するという明月苑という焼肉店で話を聞き、その後アフリカ日本協議会の事務所に移って続きを聞いた。肝臓ガンであることを知っていたが、思うよりずっと早く、○○年に亡くなって、斉藤が遺した……の保存をアフリカ日本協議会など関係者から依頼された。この時には大学院生の岩ア弘泰さんにアルバイト作業を依頼した。転載の記述は2021年2月16日となっている。
橋本操は1953年3月15日に生まれた。橋本みさおの名前を使うことが多かった。ALSを発症したのが1985年。その人生・活動についてはここでは略。2022年8月9日に亡くなった。享年69歳。「はてなダイアリー」に『ポンちゃん的ALS』があった。『ポンちゃん的ALS』:https://joec0315.hatenadiary.org/。(当初の名称は○○★教えてください。)ポンちゃんは橋本が飼っていた小型犬(犬種★)で、橋本はずいぶんそのポンちゃんをかわいがり、○○年に亡くなった時にはずいぶん悲しんだそうだ。私が覚えているのは、大学に来てもらった時、私たちが日頃使っている創思館という建物――アーカイブの書庫のあるのもその建物だ――の教室でポンちゃんがしっこをしたことだった。飼い主の橋本は、短い、そして受け取りようにはよっては「深い」言葉を発した。また時には「○○を刺してこい」――○○はのちに盗作を指摘されることになる、なにかというと国の審議会等に出てくる社会保障・社会福祉業界の「大物」という人だった――などどいった言葉を発するのだった。そういう橋本にとって、HP、ブログといった媒体はなかなかに好適なものであったと思う。橋本について書いた本もあるにはあるが(山崎[])、彼女自身の言葉のほうがずっとおもしろい。
橋本のブログはここのところずっと更新されていなかった。1997年頃から2000年頃にかけての文章が多い。私はそれから多くのことを知った。そして著書に引用した。その箇所の全部は頁に引用してある。その本は、多くの人の文章が出てきて、ゆえに、私の本としては読みやすいなどど言ってもらえるのだが、そこでインタビューはまったく使っていない。とても時間がかかること、なかなかに困難であることを知っていたからでもあるが、その手前で、紙の本であれ、またHPであれ、当人によって書かれたものがずいぶんたくさんあることを知ってはいて、「まず」それから、と思ったからだった。鈴木が第◆章で紹介している闘病記古書店「バラメディカ」からまとめてダンボール箱1つ購入した。とくに紙の本がたくさんあることはかなり特異なことではないかと思い、その事情の一端についてもいくらかのことを記している(立岩[2004])。
ただ、一箇所だけ、私が直接に聞いたところがある。正確には、2002年の夏――この年の春、私は立命館に移ったから、その時には京都と東京を往復したことになる――うかがって、インタビューする了承を得て、その前日にメールを送ると、翌日回答が文章で用意されていた。その質問と回答はそれとして、本に記している(その本は、すべての引用に番号がふされているのだがその410番と411番)。さらに橋本の自宅で、私はその文章を読みながら、一つ質問加え、そして橋本はそれに直接に答えた。それが413番。
《「小学生のように聞きますけど、身体が動かないっていうのは、退屈ですか?」/橋本「かんがえごとができていいよ。」/[…]「ちょっとそういうこと思ったことがあって[…]今わりと頭一つあればできる仕事をやってるんで、やれるかなと思って。」/橋本「できます。ふふ」》」(立岩[2004])
ちなみに、2003年に川口に会っているのだが、その時にはまったく動かなくなったら、音楽をずっとかけているからだいじょうぶと答えた。それに対して川口はむっとしたようだ。むっとしたのは知らなかったが、そう思っていたから言ったのは覚えている(立岩[2022])。CDの連続演奏はそう続かないが、今は音源をダウンロードして、それをランダムに演奏させたりできるから、始めれは1週間操作する必要がないといったことも容易にできる。
ブログのいくつかは運営者によって閉鎖されたといったことも聞いていた。橋本は文章を書いたが、そのブログを管理していたのは別の人で、今は橋本と直接的な関係のない人でもあった。家族にそれを継承してもらいずっと継続してもらうことも確実ではなかった。まずそうした事情があって、これからなるのだろうという漠然とした心配はあった。まったく知らない相手でもない私に依頼しそのサイトに収録することに抵抗はなかった。
加えてちょうどその頃、中井がブログを集めること、その手間がいかほどかかるのかを調べていることを知っていた。計算するとしかじかほどの手間だとは原稿に書いてあったが、例えば私が知っているしかじかについてはどんな具合だろう。それを直感的にわかるかんじで知りたくもあった。そこで中井に依頼した。そんな経緯だ。
■文献
橋本
中井
西尾
斉藤
立岩真也 2004 『ALS』,医学書院
―――― 2022 ,
立岩真也・伊東 編 2023 『』,
山口
山崎