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生死の語り行い・3

――1980年代・2000年以降――

立岩 真也 2022/12/30- Kyoto Books


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◆立岩 真也 20221230- 『生死の語り行い・3――1980年代・2000年以降』,Kyoto Books
 本書は『唯の生』の第2章〜第4章を再録し、さらに記述やリンクを足していくものです。

◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』 生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※
◆立岩 真也 2017/08/16 『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』Kyoto Books

 ※『良い死』と『唯の生』の一部を合わせたものを2022年に文庫版で刊行。『唯の生』第1章「人命の特別を言わず/言う」は大幅に書き足し書き換えて1冊に。
◆立岩 真也 2022/12/10 『良い死/唯の生』,筑摩書房,ちくま学芸文庫
◆立岩 真也 2022/12/20 『人命の特別を言わず/言う』,筑摩書房
文献表(総合版) (別頁)

◇立岩 真也 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 [amazon][kinokuniya]
◇立岩 真也 2009/03/10 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 [amazon][kinokuniya] d01.et.,

表紙写真をクリックするとその本の頁に行きます

立岩真也『良い死/唯の生』表紙 立岩真也・有馬斉『生死の語り行い・1』表紙 立岩真也『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』表紙 立岩真也『人命の特別を言わず/言う』表紙
立岩真也『良い死』表紙 立岩真也『唯の生』表紙


■唯の生 目次

序1

◇第1章 人命の特別を言わず/言う15
 ※大幅に書き足し書き換えて以下の本に。
◆立岩 真也 2022/12/20 『人命の特別を言わず/言う』,筑摩書房
1 新しいことは古いことと同じだから許されるという説17
1 伝統の破壊者という役17
2 既になされているからよいという話20
2 α:意識・理性…25
1 α:意識・理性…25
2 それは脱人間中心主義的・脱種差別的な倫理ではない28
3 それは人の生命の特別を言わない30
4 ただそれが大切だと言っているがその理由は不明である31
3 関係から33
1 〈誰か〉への呼びかけ33
2 関係主義の困難38
3 かつて親などというものはなかったかのように43
4 別の境界β:世界・内部46
1 世界・内部46
2 人間/動物49
3 復唱55

第2章 近い過去と現在 71 →本書
1 二〇〇五年・尊厳死法案 [2005.5] 72
1 患者の意思による、について 72
2 不治で末期に限る、について 75
3 伝統ある動きであることについて 78
2 一九七八年版/二〇〇三年版 [2005.6] 79
1 二つの法案 79
2 太田典礼 83
3 変容? 87

第3章 有限でもあるから控えることについて――その時代に起こったこと 99 →本書
1 その時代に起こったこと、のために100
1 はっきりした早くよくわからない変化100
2 短絡103
2 一九八〇年代106
1 老人病院批判106
2 寝たきり老人のいない国113
3 もう一つの発見116
4 要約119
3 確認122
1 なおす/とどまる:本人において122
2 なおす/とどめる:援助者他において126
3 寝たきり/自立130
4 控える本人と控えさせない家族という図133
4 「福祉のターミナルケア」137
1 「福祉のターミナルケア」137
2 集会/番組/国会142
3 批判した人たち146
5 限られた場所への移行149
1 医療の経済149
2 結果、生ずること153
3 あらかじめ限られている福祉への移行154
4 結果、生ずること157
6 大勢の形成158
1 調査158
2 「たんなる延命」161
3 苦痛166
4 票の差173
5 職業人たち175
6 家族/市民179
7 人間学182
7 経済183
1 経済的でない人々の賛同183
2 無駄が無駄であることを承諾すること185
3 それを仕事とする人たち187
4 改革が節約になると言ってしまうこと188
5 保険として主張し実現されることの制約190
6 「後期高齢者」191
7 やはり基本をはっきりさせる200

第4章 現在まで 225 →本書
1 二〇〇五年春・夏 [2005.11]226
1 復唱・他226
2 四月の集会229
3 六月の集会233
2 二〇〇六年三月 [2006.3]234
1 集会と事件234
2 意識がない(とされる)場合のこと240
3 自分のこと242
3 二〇〇六年夏 [2006.7]244
1 事件後244
2 詮ない仕事249
4 倫理委員会で252
1 倫理委員会で・二〇〇七年一月 [2007.1]252
2 何を伝えるか253
3 倫理委員会で・二〇〇八年七月 [2008.7]260
5 日誌263
1 二〇〇五年264
2 二〇〇六年266
3 二〇〇七年270
4 二〇〇八年275

◇第5章 死の決定について [2000.10]287
 →立岩 真也 2022/12/10 『良い死/唯の生』,筑摩書房,ちくま学芸文庫
1 書かれていないが前提されていること289
2 私・対・私たち、でなく294
3 決定を駆動するもの296
4 変更すること・言うこと300
[補] 小松美彦の本 [2004.08]306

◇第6章 より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死 [2004.11]311
 →立岩 真也 2022/12/10 『良い死/唯の生』,筑摩書房,ちくま学芸文庫
1 積極的行為/消極的行為の区別は怪しい↓賛成313
2 緩和のために死が早くなることは認める↓賛成316
3 緩和のための死/死のための死の区別が有効である↓反対319
4 生と生の間の選択と生と死の間の選択は違う325
5 まとめ327
[補] 近刊の教科書から [2005.07]333
[補] 書評:清水哲郎『医療現場に臨む哲学U―ことばに与る私たち』 [2000.10]339

◇第7章 『病いの哲学』について341
 →立岩 真也 2022/12/10 『良い死/唯の生』,筑摩書房,ちくま学芸文庫
1 何か言われたことがあったか342
2 死に淫する哲学347
3 病人の肯定という試み353
4 病人の連帯356
5 身体の力を知ること359
[補] 死/生の本・2 [2004.11]371
 
◇おわりに377

索引
文献


>TOP ▽071

  第2章 近い過去と現在




 ▽072 *この章では、私自身もいくらか関わりがあってしまったこと、そのことに関わって一九七〇年代から八〇年代にあったことについて書く。
 二〇〇五年の春から二〇〇七年の二月まで、一八回、筑摩書房の『webちくま』で「良い死」と題した連載をさせてもらった([2005-2007])。その一部は『良い死』の第2章と第3章の一部に、また本書第7章になったのだが、それらをはさみながら、その時々のことを書いた。その連載は本にするために始まったのだが、結局、その時々のことについての書きものという性格が強くなった。その時のなりゆきで書いてしまった部分もあるのだが、書いた時のそのまま掲載する。
 初出の時には、関連するホームページへのリンクというかたちで註を置いたが、再掲にあたっては、註は新しく作成した。関連する文献もこちらにいくらか挙げておく★01。また、本文の記述を補足した部分は〔 〕に囲んだ。

1 二〇〇五年・尊厳死法案[2005.5]

 1 患者の意思による、について
 「尊厳死とホスピスを推進する与党議員懇話会」が発足する予定で、「尊厳死法案」が国会に上程されようとしていると、この〔二〇〇五年〕一月のはじめに『東京新聞』『中日新聞』が報じ、さらに他紙からも報道があって、どうも本当らしいということのようだ。すぐに法律ができるというようなことにはならないと私は思っているのだが、それでもこれから様々に熱心な活動が行なわれるのだろう。
 ▽073 私はこれに賛成できない。ただ法案に反対するのはそう難しくないが、これを支持する人、反対しない気持ちの人に何をどう言うかはそう簡単ではない。この法案を考えた人が戦略家で賢かったということではまったくないのだが、安楽死・尊厳死の思想はうまくできている。様々に考え方が違う人たちが、これについては賛成してしまうような仕掛けになっている。そこで、このような法律ができることについて、かなり多くの人はあまり問題を感じない。だから、幸か不幸かこんな法案に問題を感じてしまう人は、問題であるというその感じを共有してもらうには、それなりの工夫がいるということでもある。安楽死思想は不死身、とは言わないまでもなかなか打たれ強いのだ。このことはしばらく後に書くが、それを書かねばと思って、このようにこの連載を始めるのでもある。〔そのことを書いたのは、『思想』に三回にわたって書いた文章([2005-2006]の第一回であり、それは『良い死』の序章に収められた。〕
 ただ、先方が急いでいるから、こちらとしてもまず言えそうなことを言っておこう。
 報道によればその法案は以下のようなものらしい。

 「(1)患者が不治で末期状態となった場合、人工呼吸器などで生命を維持するかどうかを患者自身が決める権利を持つ(2)患者らの意思を受けて過度な延命措置を停止した医師は、法的な責任を問われない――を明記する方向で調整が行われている。」

 いまはこのような文章がはびこっているので、とても自然な文章に読めてしまうのだが、そうではない。まずとりあえず言うべきことを、長い注釈は抜いて、書いておこう。
 まずここで「患者自身」という「本人」がどのようであるのかである。反対する人、疑問を呈する人たちがずっ▽074 と言ってきたことは、とりわけ「死にたい」という言葉はじつにしばしば本人を裏切っているということである。つまり、人は、様々な事情があり、思いがあって死にたいと、呟いたり、大きな声で訴えたりする、しかし死にたくはないのだということだ。
 言うべきことは、本当は、ほぼこのことに尽きる。ただ、ずっとこのことを言っていると、自分でも本当だろうかと思うこともある。そう言わねばならないから言っているのではないかと思うこともある。実際のところがわからない人にとっては、この指摘がそう強くは響かないのである。そんなことが気にもなっていて、私は、昨年〔二〇〇四年〕の末に出版された『ALS――不動の身体と息する機械』([2004f])に、実際に安楽死・尊厳死を考え、その意思を表明したこともある人、しかしその後もものを書いた(書く時には生きていなければならない)人たちの文章を連ねた。とくにその第7章・第8章をともかく読んでもらいたいと思う。その二つの章では、川口武久が遺した著作からの引用を連ねている。
 まずこれを読んで、そこに書かれていることについて、書いている人に対して、何が言えるのか、言えることをその人に言ってもらいたい、と思う。つまり、死のうと思って、そう言って、しかし止められて、それで生きていて、それでよかったと思っている人や、自らは「無駄な延命」をきっぱりと断わりつつ、しかし、その方針が、いろいろ考えてみても、また自らの欲望に照らしてもおかしな方針であることをよくわかっていて、しかしその方針を曲げなかった人に何を言えるか、言ってほしい、と思う。その答が納得できるものでなかったら、やはりこの話には乗れない、そう言うしかないと思う。
 むろん、「理論的」に点検しておくべき論点はたくさんある。私は、それらをみな検討した上でも、批判する側がずっと変わらず言っていること、死なされてしまうのだという指摘は、結局、やはり当たっていると思う。そんなことがなくなるまでは――なくなることがあるのだろうかと、思ってしまうのだが――法律を作るなどしないで▽075 もらうという主張は、理として弱そうに思えるだろうが、しかし強いことを言えるはずだと思う。その上で論点をあげる。
 これは「人格の同一性と責任」といった主題に関わってはいる。また、一つ認めるとどんどんと危ない方に滑っていってしまうという「滑り坂」論、あるいはだから「くさび」を打っておくべきだという「くさび論法」の評価にも関わる。これは、このような批判の仕方はずるい、説得力がないと多く評されるから、この指摘をどう考えるかという問題でもある。さらに、かつて死にたいと言ったが今は生きている人に聞いたら、生きていてよかったと言うのは当然ではないかという指摘もあるだろう。これらについて論じている本を、あとで、検討しようと思う★02

 2 不治で末期に限る、について
 次に、このように言うと、それは心配のしすぎだと、読んでのとおりこの法律は「不治で末期の状態」に限っているのであり、末期の状態でない人はここには入っていないと言われるはずである。そのようなことがあってはならないから、要件をはっきりさせるためにもこのような条件設定が、条件を明記した法律が大切なのだと言うだろう。この案があまり心配されないのは、一つに、末期の人に限っているからだいじょうぶだと思われているからだろう。例えば、何年も何十年も生きられるALS(筋萎縮性側索硬化症)の人たちのことなどは入っていないと言うだろうし、言われるとそう思う人もいるかもしれない。
 しかし「不治で末期状態」という、それ自体は意味のはっきりしている言葉はここで不思議である。すぐには不思議に思えないのだが、やはり妙である。
 まず「不治」が決定的な条件ではないとは誰もが思うだろう。もちろん、不治の場合に限るという条件の設定は、▽076 治るものは治せばよいのだから、問題は治らない場合だという限りでは、わかる話ではある。しかし、もう一つもちろん、このことは、不治の人であれば尊厳死の対象になることを意味しない。たくさんの不治の人たちが生きている。そのことは否定されえないだろう。治らない病気などいくらでもある。今現に生存しているすべての障害者は、治らなかった人たちでもある。
 とすると、「末期」が重要な言葉であり、必要条件であると読むべきである。(病が末期だが不治ではないということは、これらの言葉の普通の使い方からはありえない。)もちろん、ここで末期の状態と末期でない状態とをどうして分けられるのかという疑問が出される。ここではそれを問わない。もちろん予期は外れることもあるが、あと数日かそれとも数週間かというところでは、たしかに勘のようなものではあるのだが、わかるものだと医療者は言う。そうかもしれない。
 しかしこのように認めた上でも、妙ではないか。末期とするのであれば、なぜ短い時間のことをそう急ぐのか、不思議ではないか。つまり、そう時間はないのだったら、「延命措置」をやめなくても亡くなるはずだ。ならばゆっくりすればよいではないか、急いで何かをするのをやめる必要はないではないか。すこし考えてみよう。
 まず「過度な延命措置」という言葉がよくわからない。「無駄な延命措置」という言葉もよく使われる。これらは延命のために無駄な措置、役に立たない措置ということだろうか。実際にはそんなことがしばしば行なわれているのだが、それはただ無益で、ゆえに行なうべきでないことを行なっているということであり、そんなことはしなければよいのであって、わざわざ法律を作る必要はない。
 とするとここで想定されているのは延命のために無駄な行ないではない。延命措置が無駄なのである。つまり、その延命措置自体は延命のためには有効であり、その有効な行ないが無駄だと(法制定を主張する側によれば、「本人」が)判断しているということである。だからその延命措置を行なえば、その人は末期ではないということにな▽077 る。この意味では、ここで想定されているのは末期の状態ではない、すくなくとも相当の時間がある場合を想定していることになる。末期が、亡くなるまでの短い時間という意味の言葉であるなら、言葉としておかしいのだが、ここでは末期が長引くことが恐れられているのである。
 ではその短いあるいはそう短くはない時間に、なぜ措置をやめようとするのか。苦しいということがあるかもしれない。そこで苦しいことはせず、その結果として生きられる時間が短くなる。このような場合は認めうる〔このことについては本書第6章〕。しかしこの法はそのことを言っているのではない。苦しい措置を行なわないのではなく、あるいは苦痛を軽減する措置をするというのではなく、延命措置を行なわないとなっている。理由は身体の苦痛と別の理由であるかもしれず、それを排除していない。それは本人が決めることとされる。
 以上、ここで末期という限定は実際には限定する働きを果たさず、延命措置の停止という行ないは――様々な事情でたしかに死にたいと思い、死にたいと言うだろう、その――本人がよいと言えば、それでよい、ということになる。
 以上のようなことを書くのは、実際、すこしも末期でないものが末期とされてきた過去があるからでもある。これも『ALS』([2004f])で書いたことだが、ALSの場合、自らの身体の呼吸機能が弱くなって、生きるには呼吸器をつける必要が出てくる。つければ多くは何年何十年と生きられる。だがこういう状態が「末期」とされてきた。だからいま、その人たち、その人の周囲にいる人たちが、この法案に危惧を感じるのも当然のことなのだ。この一月に書かれたいくつかの文書を、〔ホームページの〕「安楽死・尊厳死 2005」に掲載している〔他にも各年、各年代についてのファイルがある〕。

 ▽078 3 伝統ある動きであることについて
 そしてこれが次回に書くことなのだが、このたびも法律の制定に尽力されているのは「日本尊厳死協会」であるようだ。この協会が真摯で真面目な人たちによって構成され、支えられていることを私は否定しない。しないけれども、とりわけこの組織を作ってきた人たち、中心になる人たちの言ってきたことは知っておいた方がよいと思う。
 この組織の前身は「日本安楽死協会」であり、例えば尊厳死協会のホームページ自身がそのことをきちんとうたっている。冒頭には協会の設立は一九七六年であると書いてあるが、これは安楽死協会の設立年であり、そしてこの協会の創設者として太田典礼という人物のことが書かれている。これは、出自を隠さないという意味においてはたいへん立派なことであると私は思う。ただ、この太田典礼、および太田とともにこの協会を作り育ててきた幾人かの思想・主張を、私は支持できない。
 太田が書いた本はたくさんあるが、今ではほぼ買えなくなっている★03。ただ私は、アマゾン経由で、古書で『安楽死のすすめ』(太田[1973])を入手できた。また彼の生涯について書いた本も出版されている(稲子[1999])。これも仕事なので、私はそれらの本を集めて並べるけれども、お薦めはしない。HPの太田典礼のファイルにいくつかの引用を置いてある。また大谷いづみによる太田典礼についての論文が近々公刊されるはずである。〔大谷[2005a]として公刊された。また学会報告として大谷[2005b]〕。
 このようなことを書いて、そして次回に書くようなことが広く知られ、そして組織を運営する人たちが世代替わりすると、表現も変わるかもしれない。やがて尊厳死協会は太田という先祖を捨てるかもしれない。それはその人たちの考え次第だ。だが、それはともかく、まずは知っておいてもらってよいと思うし、その上で考えてもらいたいと思う。
 ▽079 以上が法制定の動きをめぐる、応急の対応の、ひとまずの始まりである。次回は、安楽死協会、尊厳死協会が言ってきたことをすこし追ってみる。そして、冒頭に書いたことだが、この法案をどうするかということとはすこし別に、この問題はなかなかにやっかいである。次第にそのやっかいなところに入っていこうと、いささかげんなりしながらも、思っている。

2 一九七八年版/二〇〇三年版[2005.6]

 1 二つの法案
 この〔二〇〇五年〕一月以降報道されているように「尊厳死法案」が検討され国会に上程されようとしている、その動きが気になる。そう書き始めた。
 こうした事態にせかされて書くのは楽しいことではないし、報道の後追いをしても仕方がないと思うところもある。法案自体が今の時点では通らないことはあるだろうと思うのだが、このような傾き自体を止めることはそう簡単ではないように思い、そのことを考えておく必要があると感じる。広範に「良い死」は受けてしまう。なぜたくさんの人たちがその方へ行くのか。そして、様々な、互いに対立するかに思える複数の立場から、それは肯定される。これはどういう仕掛けになっているのか。そのことについて書こうとも思った。
 そして、そんなことを書くとすこし「文化」的な書きものになり、出版社のサイトに掲載される文章に適しているかもしれない。いま述べたことにも関連して、(近代・現代の社会では)死が隠され遠ざけられているという語り▽079 がおびただしく存在するという事態も気になってきた。例えば、「安楽死・尊厳死(を論じること)はタブーとされてきた」とよく言われる。それで、『看護教育』(医学書院)での連載では、ゴーラー、エリアス、アリエス、フーコーといった人たちが書いたものを紹介している〔『生死本』に収録〕。四人のうち前の三人は、死が隠され、遠ざけられたことを指摘した人たちであり、最後の人は、(死についてではなく性についてだが)隠蔽が言われている場にむしろ増殖を見出した人である。まだ本をいくつか紹介しているだけだが、さらにその先へ進めば、それは今起こっている事態をどう理解するかという問いを考えることにもなるだろう。
 ただ、ここでは、そしてまだ今回は、現に起こっている事態について、それに関わる過去について。この辺りについて大谷いづみが博士論文に書く〔書いた→大谷[2006b]〕。その論文は公刊されるだろうから〔大谷[2009]、他に二〇〇八年には大谷[2008a][2008b][2008c]〕、出た時にそれを読んでもらえばよい。だから私はさぼってよいと思っていた。だが、この御時世であるから、ここでも、ごく簡単にふり返る。
 提出されるとすると、超党派の議員たちによってということになるのか、またその内容もどんなものになるかはわからないが、このたびのことには「日本尊厳死協会」という組織の強い働きかけがあった。この協会はいまや会員一〇万人を超えるという、大きく立派な組織である。この組織が二〇〇三年一二月に「尊厳死に関する法律案要綱」を発表している。今回の動きは、それを実際に法律にしようという動きである。この要綱、というより報道で伝えられた要点については前回にとりあえずのことを書いておいたが、ここで述べておきたいのはもう一つのこと、以前ほぼ同じものが提案されたことがあること、そして反対の動きもあり、その時には法律にはならなかったことである。当時から熱情をもっていて、いつかは法律をと思ってきた人たちは今度こそ、と思っているのだが、それ以外の人たち、私たちのほとんどすべては、そんなことがあったことをほぼまったく知らない、あるいは忘れている。
 ▽081 それは日本尊厳死協会の前身の組織「日本安楽死協会」が作成し法制化の運動を行なった法案である。この協会の設立は一九七六年。同年、第一回国際安楽死会議を開催。国際会議というのは様々な主張をもつ人たちが、それを支持させ、盛り上げるために行なう手段でもあって、このたびも、日本尊厳死協会は、このような手順を、どの程度その反復性に自覚的であるのか、踏んでいる。二〇〇四年の秋にも国際会議が開催された。第一回の国際会議は、実際には五カ国(アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、フィリピン)から一二人の人が来たという程度のものだったのだが、二〇〇四年の会議はもっと規模が大きく、財界・政界の偉い人も参列している。
 そして一九七八年一一月、「末期医療の特別措置法」草案作成作業終了、一九七九年三月に正式発表。一九八三年に「日本尊厳死協会」に改名。同年、請願署名を添え法案が国会に提出される。審議未了で廃案。
 こうして一九七八年にまずは草案として作成された法案があり、その二五年後、二〇〇三年に示された法案がある。各々の全文はホームページで読める。私は、なんとなく七八年にできた法案の方がこのたびの案よりずっと過激な法案であったように思っていた。それは「安楽死協会」によって示されたのだし、反対運動を引き起こしたのだし、これから述べるように太田典礼という強くはっきりした主張の持ち主が関わっていたからである。だが、読んでみると、両者は基本的に同じである。

 一九七八年版。「第一条(目的) 全ての人は、自己の生命を維持するための措置を受容すべきか否かにつき、自ら決定する権利を有する。この権利に基づきこの法律は、不治かつ末期の状態にあって過剰な延命措置を望まない者の意思に基づき、その延命措置を停止する手続きなどを定めることを目的とする。」
 二〇〇三年版。「第一条(目的) 何人も自己の生命を維持するための措置を受容すべきか否かにつき自ら決定する権利を有する。この権利に基づきこの法律は不治且つ末期の状態になって延命措置を望まない者の尊重する末期▽082 医療に関する手続き等を定めることを目的とする。不可逆的で不治ではあるが末期ではない持続的植物状態においても、あらかじめ、かかる場合の延命措置を断る明示の意思表明がある場合の措置も本法に依る。前二項のいずれの場合も意思の表明者が妊娠中は本法は適用されない。」

 第一条の前半はまったく同じであり、二五年の時を隔てて自らの主張が一貫しており、そして正しいものであることを、(他のほとんどの人たちは知らないのだから)自らが自らに確認しようとしているようにも見える。妊娠中についての規定は新しい。子どもが産めるような場合は生命維持を継続し出産に至らせるべきだということ、産んだ後であれば停止はかまわないということなのだろう。これはこれで検討すべきことだが、ここではおく。さらに、いわゆる「植物状態」についての規定が加わっている。(いくらなんでも「植物」状態はないだろうということで、この頃はこの言葉は使われず、「遷延性意識障害」と呼ばれる。ただ、つい最近も米国でテリ・シャイボという人の栄養補給装置を外すことの是非について争いがあり、結局、外され、その女性は餓死したのだが、その報道ではほとんど「植物状態」の語が使われていた★04。)だから、新しい案の方が、「末期」でない状態にまでその対象を広げている。

 一九七八年版。「第二条(定義) この法律で「不治かつ末期の状態」とは、合理的な医学上の判断で不治と認められ、延命措置の施用が単に死期を延長するに過ぎない状態をいう。
 ▽085 この法律で「過剰な延命措置」とは、その措置によって患者が治癒現象を呈せず単に死期を延長するに過ぎない措置をいい、苦痛緩和のための措置は含まない。」
 二〇〇三年版。「第二条(定義) この法律で「不治且つ末期の状態」とは、合理的な医学上の判断で不治と認められ、延命措置の施用いかんに拘わらず死期が切迫し、その施用が単に死期を延長するにすぎない状態をいう。
 この法律で「延命措置」とは、その措置によって不治且つ末期の患者の死期を単に延長するにすぎない措置をいい、苦痛緩和のための措置は含まない。」

 「延命措置の施用いかんに拘わらず死期が切迫し」が加わっている。第一条について述べたことと合わせると、「植物状態」については許容するが、それ以外の死期が「切迫」していない状態については、「尊厳死」許容の対象とはしないということのようだ。意識があり「末期」でない人は除外する、だからよいではないかと言われたら、どう考えるかという論点がここにはある。
 だから変化は変化として検討すべきである。ただ、まず、基本的には同じものが再来している。このことを確認しよう。一度目には反対も起こり、法律にはならなかったのだが、このたびは通るとするなら、それはどういうことなのかである。推進する側にとっては、ようやく正しい主張が認められるのだということになろうし、それは部分的にまったく同じ文言を使っていることからもうかがえる。他方で私たちは知らない。それはいかがなものか、と思う。まず知っておいてもよい。

 2 太田典礼
 この協会は、かつては医師、法律家、大学の教員といった職につく男たちの小さな組織だった。この組織を始め、その中心にいたのが太田典礼である。
 太田は一九〇〇年生。医師。治安維持法違反で入獄したこともある。戦後は、一時期国会議員もつとめ、一九四八年に制定された優生保護法制定のために活躍した。また避妊器具である「太田リング」の開発者でもある。一九八▽084 五年にそうめんを喉につまらせて、その時何を思ったか思わなかったか知らないが、亡くなった。
 この人物について、大谷いづみの論文が『死生学研究』(東京大学大学院人文社会系研究科発行)に掲載される〔前節でも紹介したが、大谷[2005a]として掲載された〕。詳細はその論文に譲り、やはりごく簡単に。一九六三年、太田の書いた「安楽死の新しい解釈と合法化」が『思想の科学』に掲載される(太田[1963])。太田によれば、これにはまったく反応がなかった。ただ松田道雄が「激励のハガキ」をくれたという(松田道雄については後述)〔『生死本』で紹介〕。それから一五年後、一九七三年に『安楽死のすすめ』(太田[1973])が刊行される。内容は紹介しないが、題のとおり、その主張はたいへん明解でもあり、同時に、論理の混乱・飛躍も数々見出される、そのような本である。
 その人は天真爛漫に明解に自らの優生思想を語っている。『私的所有論』で、またホームページの彼についてのファイルで幾つか引用している。例えば以下のようなもの。

「ナチスではないが、どうも「価値なき生命」いうのはあるような気がする。[…]私としてははっきした意識があって人権を主張し得るか否か、という点が一応の境界線だ[…]自分が生きていることが社会の負担になるようになったら、もはや遠慮すべきではないだろうか。自分で食事もとれず、人工栄養に頼り「生きている」のではなく「生かされている」状態の患者に対しては、もう治療を中止すべきだと思う」(『毎日新聞』一九七四年三月一五日、清水昭美[1998 : 89]に引用)

「命(植物状態の人間の)を人間とみるかどうか。…弱者で社会が成り立つか。家族の反社会的な心ですよ。人間としての自覚が不足している。」(太田、当時日本安楽死協会理事長)
▽085 「不要の生命を抹殺するってことは、社会的不要の生命を抹殺ってことはいいんじゃないの。それとね、あのナチスのやった虐殺とね、区別しなければ」(和田敏明、当時協会理事)(一九七八年一一月一一日、TBSテレビの土曜ドキュメント「ジレンマ」での発言、清水昭美[1994 : 213-214]に採録、[1997 : 168]で引用)

 そして、協会の刊行物等における太田の持ち上げ方の度合いは小さくはなっているようにも思うが、すくなくとも当初から協会の活動を担っている人たちは、すなおに太田の主張と業績と人格とを肯定し、賞賛している。すくなくとも今のところ批判的な文言を見たことはない。日本尊厳死協会はまっとうな組織である。そして、その尊厳死協会が、安楽死協会からの連続性を確認し、その始祖を肯定することは、まず、事実を隠そうとしないことにおいて立派なことであり、このことは評価されてよい。過去の都合のわるい部分は隠そうとすることがままあるのだが、日本尊厳死協会はそのように姑息なことは行なわず、敬愛、親愛の情を隠そうとしない。例えば協会編の『誰もが知っておきたいリビング・ウィル』に収録されている「リビング・ウィルQ&A」には以下のような問答がある。

 「Q28 日本と世界の尊厳死運動を理解するために、これだけは、ぜひ読んでおくべきだという本を推薦してください。
 A 日本の尊厳死運動の開拓者、太田典礼の著作を中心に、次の本をおすすめします。
  太田典礼『安楽死』『安楽死のすすめ』(三一書房)
  日本安楽死協会『安楽死とは何か――安楽死国際会議の記録』(三一書房)
  日本安楽死協会『安楽死論集1〜10集』(以上、人間の科学社)
 ▽085 Q29 日本の安楽死・尊厳死運動の創始者である太田典礼さんとは、どういう人でしょう。なぜ、この運動を始めたのでしょうか。
 A 太田典礼は、合理的で偉大なヒューマニストでした。[…]」(日本尊厳死協会編[1988 : 230-231])★05

 それはいったいいかなることなのか。どれほどのことが知られているのか。知らないということなのか、あるいは知った上で肯定しているということなのか。
 もちろん、いま尊厳死の主張は、「反骨の医師」などと自称したり他称されたりするメンタリティとは別のところで、広範に受容され支持されている。安楽死・尊厳死の主張は、元祖たちよりもっと慎ましやかに行なうこともできるはずだし、現在の会員の多くもそのような人たちであるのだろう。そしてやがてこの組織そのものも、本心から、あるいは戦略的に、始祖たちとはまた別の言い方をするようになるかもしれない。だから主張の「危なさ」とか主導者の「怪しさ」を指摘していくという行ないは、起こっている事態に対する正面からの対し方ではない。その先が問題なのではある。

「表に現われる言論は次第に「洗練」されていくに違いない。それ以前の歴史を表に出すことも必要だが――尊厳死協会も以前に比べればずいぶん「紳士」になったのである――、しかし過去を「反省」し、より慎重になり、危ないことを誰も言わなくなる時がやがて来るかもしれない。その時にもなお、何を言い得るのか。それをも含めて、言い得ることを考えなければならなくなる。だから、以上で、安楽死がなされようする時、既にそこに生じてしまっていることは何かと考えようとしてみたのだった。」([2000g]→本書第5章)

 ▽087 以前に書いた文章の末尾にこのように記した。ただ、それでも、まず過去を知っておいた方がよいのだろうということである。

 3 変容?
 一九七八年には反対の動きがあった★06。一九七八年一一月、武谷三男、那須宗一、野間宏、松田道雄、水上勉が発起人になっている「安楽死法制化を阻止する会」による声明が出ている。ごく短い文章で、全文は別に掲載しているが★07、まん中あたりを引用する。

 「このような動きは明らかに、医療現場や治療や看護の意欲を阻害し、患者やその家族の闘病の気力を失うばかりか、生命を絶対的に尊重しようとする人々の思いを減退させている。[…]/現在、安楽死肯定論者が主張する「安楽死」には、疑問が多すぎるのである。真に逝く人のためを考えて、というよりも、生残る周囲のための「安楽死」である場合が多いのではないか。強い立場の人々の満足のために、弱い立場の人たちの生命が奪われるのではないか。生きたい、という人間の意志と願いを、気がねなく全うできる社会体制が不備のまま「安楽死」を肯定することは、事実上、病人や老人に「死ね」と圧力を加えることにならないか。現代の医学では、患者の死を確実に予想できないのではないか……。」

 日本安楽死協会はこれに対し「反駁声明」を出す。一二月二〇日付。これもまたごく短いものである。

▽088 「一、「安楽死法制化を阻止する会」の声明は誤解に基づき、理論的根拠がない。
 二、われわれは心情的生命尊重論を排し、かねてより、末期患者の人権を護るための立法案を作成し、近く成案を発表する。
 三、これは第二回国際安楽死会議の決議によるサンフランシスコ宣言の国際合意に基づくものである。
 ちなみに「阻止する会」が指摘する「もし安楽死が法制化されたら云々」の懸念は、現に法制化されているアメリカ八州においては、そのような事態はなく、根拠のない杞憂にすぎない。」

 このやりとりをどう理解するかについては後で述べるとして、まずその先まで紹介してしまおう。安楽死協会は、このように一方で自らの主張に対する批判に強く反発しながら、自ら変化もしていく。一九八一年に「新運動方針」が示される。

 「一、自発的消極的安楽死に重点を置く
 この思想の普及と、実践のためにその法制化をめざし、リビング・ウィルを強力に推進する。
 これは今まで最も力をそそいできたもので、無益な延命の停止は、意義ある生の権利と共に、死ぬ権利が認められる厳粛な道である。
 二、積極的安楽死は原則として認めない
 法制化も計画しない。その主なる原因の苦痛は、軽減できる段階に達したからである。
 三、自殺をすすめたり助けたりしない
 自殺の自由は認める。罪悪視したりしない。健全な精神の持主は見苦しい死を避けたい、ボケてなお生きたいと▽089 は思わないのだが、自殺は自ら行うことで、第三者の手による積極的安楽死と混同してはならない。従って『自殺の手引き』は発行しないことに決定した。」

 そして一九八三年に「日本尊厳死協会」に改名。

 「消極的安楽死の思想を普及させるためには、『どちらの表現が正しいか誤りか』ではなく、その時その時の内外の情勢を考えて運動に有利な表現を採用すればよいわけであります。今回の改称はあくまで今日の情勢への対応に過ぎません」(太田[1984 : 10])

 同年、法案を国会に提出するが審議未了で廃案になると、法制化を第一の目標とせず、「リビング・ウィル」の普及の方に力を尽くすことになる★08。それにしても「新運動方針」から、それ以後、何が変わったのか。
 「新運動方針」の一は、法案提出前の方針である。その法制化の運動はその時には結果としてはうまくいかなかったから、まずはリビング・ウィル普及の方に向かうことになった。これがその後の変化であり、そしてさらに、近年になって、機が熟したと考えたのか、再度法制化の運動が活発化したということだ。
 二では「積極的安楽死」を認めないことが言われている。ここで積極的安楽死とは、医師が本人の希望に応じてその人を死に至らしめる薬剤を注射するといった行ないを指している。それは行なわないと言う。太田たちの本来の主張を維持するならかまわないはずだが、それは「原則として認めない」とされている。なぜか。「主なる原因の苦痛は、軽減できる段階に達したから」とある。安楽死の理由としてあげられる強い苦痛を軽減することが多くの場合にできること、このこと自体は事実である。けれども、それは「積極的安楽死」は認めず「消極的安楽死」▽090 は認める理由にはならない。苦痛が軽減できるなら、生きるための何かを行わない「消極的安楽死」もまた必要でないということになってもよい。だから自らの立場からは正当化できない変更を、人々の理解を得、法案を通すために行なうことにしたと理解した方がよいかもしれない。こうして安楽死協会は組織の名称を変更し、「安楽死」という言葉を使わなくなっていく。つまり、「自発的消極的安楽死」を「尊厳死」に、「積極的安楽死」を「安楽死」に呼び変える。安楽死がよいものであると考え、安楽死という言葉もよい言葉だと考えている太田自身は当初これに強く反対する。しかし、まずは自分たちの主張の普及のために、この変更を飲むことになる。
 三は全体として意味不明の文章である。最初の「自殺の自由は認める。罪悪視したりしない」は理解できる。「自殺は自ら行うことで、第三者の手による積極的安楽死と混同してはならない」も、それ自体はわかる。「医師による自殺幇助」と「積極的安楽死」とは、その区別にどれだけの意味があるのかという問題はあるが、ひとまず分けることができる。前者では、自分が薬を飲んだりする、その薬を医師が渡したりするのだが、後者では、投薬や注射を他人が行なうことになる。こうした違いはある。
 そして自殺は認めるという。とすると、身体がよく動かないから他人の手助けを必要とする場合の、幇助される自殺はどうなのか。この人たちの考えからは認められてよさそうだが、それはこの文章だけからは明らかではない。物議をかもしそうな『自殺の手引き』といったものは出さないという方針は、多数派の支持を得ようという運動にとっては有効かもしれないから、そのことを言いたいのは理解できる。だが先に認めないとした積極的安楽死とは異なって自殺は認めるという流れの中で言われるのだから、「従って」のつながりはやはり不明である。安楽死と、幇助された自殺も含む自殺とは異なるから、安楽死を取り扱う安楽死協会としては、自らの「任務」の外であって、ゆえに以後扱わないということを言いたいのかもしれない。
 ただ、全体として意味不明な文章の中でたいへんよく伝わるのは、「健全な精神の持主は見苦しい死を避けたい、▽091 ボケてなお生きたいとは思わない」という断定である。この部分は、言いたいことが「『自殺の手引き』は発行しない」というようなことであるのなら、不要であり過剰な部分である。ただ、その過剰な部分がわざわざ加わっていることにおいて、その人たちがどうしても言いたいことはよく伝わるといった文章になっている。
 こうしてこの活動は、自らの行ないを限定し、そのことによって人々の理解を得ようとし、実際得られていくのだが、同時に、その限定からこぼれる部分を有している。私は、安楽死協会の会員の最初の人がALS(筋萎縮性側索硬化症)の人だったと書いてある本を読み、書かれていることを『ALS』で紹介した。まずその人は高齢ではあったが、「末期」の人でも「植物状態」の人でもない。しかしその会員の子であるその本の著者鈴木千秋は、太田を含むこの会の代表的な人物たちに相談に行き、そしていわゆる積極的安楽死をしてもらった。彼はそう信じた。ところが実際にはそういうことではなかったことが後でわかり、そのことが「あとがき」に書かれている。『平眠』(鈴木[1978])というその本は新潮社から出たのだが、このように不思議な本であり、しかもこの不思議さが問題にされた形跡はない。奇妙さがそれとして受け止められていないのだから、なお奇妙である。さらに、その人を取材したテレビ番組のテープを用いたビデオテープが尊厳死協会の監修で販売され、その人の死は「自然な死」として紹介されることにもなるのである★09
 ただ、さきに述べたように、やがてこの組織は、あやういことを言わなくなるだろう。その時、さらに何が言えるのか。他方で、そのあやうさは本当になくすことができるものなのかという問いもある。またその逆に、あやうくもあぶなくもないのだと居直ることもできるのかもしれない。私もまた、これらの問いが気になってものを考えてきたのでもある。それでもまだ言うべきことはあるはずだ。そのことを気にかけながら、次回から、たしかに、この運動が一部の熱心な男たちの運動から変化していったことを確認し、その上で、なぜそれは多くの互いに異なる(かもしれない)広範な人々に支持されるのか、考えてみたい。

 ▽092 *二〇〇五年の春、『webちくま』の連載の第1回から第2回に書いた文章は以上である。最後に述べたことについては『思想』に掲載された文章([2005-2006])に記すことになって、第4回では、もう一度この年のことについて書いた。またその後も幾度かその時々のことを書くことになった。ただいったんここで中断し、次の章では、その前後からしばらくの歴史について、すこし記すことにする。

第2章・註
★01 死・安楽死・尊厳死に関わる書籍は『生死本』で列挙し、そのいくつかを紹介、検討する。以下、法学や生命倫理学の専門誌に掲載されたものは略し、ウェブ上に全文が掲載されているもの、市販されている書籍に収録されているものなど、比較的入手しやすいものを中心に、他で言及したものはおおかた省き、列挙する。秋葉聰[1987]「アメリカにおける障害新生児の「助命と生命維持」の諸問題」、八木晃介[1987]「安楽死の陥穽と呪縛――「自立と共生の観点から」」、秋葉聰[1992]「神を演じる?――脳死・臓器移植と安楽死とリヴィング・ウィルとの共演」、霜田求[1997]「死をめぐる問い」、八木晃介[1997]「松田道雄さんへの疑問」、土屋貴志[1998]「『安楽死』論序説」、小松美彦[1998]「「死の自己決定権」を考える」、霜田求[2000]「生命と死をめぐる実践的討議――障害新生児の安楽死問題を手がかりにして」、小松美彦[2000a]「「自己決定権」の道ゆき――「死の義務」の登場――生命倫理学の転成のために」、岡田篤志[2002]「「ケア」が安楽死を肯定する?――ヘルガ・クーゼ『ケアリング――看護婦・女性・倫理』の衝撃」、佐藤憲一[2004]「死の権利化に抗して」、竹内章郎[2005]『いのちの平等論――現代の優生思想に抗して』、清水哲郎[2005]「医療現場における意思決定のプロセス――生死に関わる方針選択をめぐって」、奥田純一郎[2006]「死の公共性と自己決定権の限界」、堀田義太郎[2006]「決定不可能なものへの倫理――「死の自己決定」をめぐって」、霜田求[2006]「尊厳死と安楽死――問題点の整理」、美馬達哉[2006]「生かさないことの現象学――安楽死をめぐって」、岡田篤志[2006]「レベッカ・ドレッサーのリビングウィル批判」、奈良雅俊[2007]「生命の質と価値をめぐる倫理」、佐藤労[2007]「安楽死・尊厳死」、秋葉聰[2008]「残された日々▽093 を生きるひとりのいのちとテリー・シャイボ訴訟に見る安楽死」、高石伸人[2008]「老いと介護、そして尊厳死」、竹内章郎・篠原睦治[2008]「「差別・抑圧としての死」を考える――胎児診断、脳死・臓器移植、尊厳死、安楽死を問いつつ」、安藤泰至[2008]「死生学と生命倫理――「よい死」をめぐる言説を中心に」、荒井裕樹[2008]「「安楽死」を語るのは誰の言葉か――六〇年代における在宅障害者の〈生命〉観」。
 単行書だけでも、一九九〇年代初頭の重要な著作として唄孝一[1990]『生命維持治療の法理と倫理』、そして二〇〇〇年代に入っても中山研一[2000]『安楽死と尊厳死――その展開状況を追って』、上田健二[2002]『生命の刑法学――中絶・安楽死・自死の権利と法理論』、甲斐克則[2003]『安楽死と刑法――医事刑法研究 第1巻』、甲斐克則[2004]『尊厳死と刑法――医事刑法研究 第2巻』等があるのだが、本書そして『良い死』でも法学の関連文献にまったく言及できていない。一九七〇年代から八〇年代の法学者たちの議論については、大谷[2006b]を改稿して刊行される大谷[2009]に描かれるので、それに委ねればよいと考えたためでもある。『生死本』で何冊かの書名をあげることだけしかできない。甲斐克則[2008]「終末期医療における病者の自己決定の意義と法的限界」、秋葉悦子[2008]「積極的安楽死違法論再構築の試み」等を収録する飯田・甲斐編[2008]をまず読まれるのがよいと思う。
★02 同一性に関する議論は『良い死』第1章3節2「自分のために自分を決めているという説について」。「滑り坂」であるか否かについては、本書第1章。消極的な行為と積極的な行為の間に論理的な区別はなく、前者が許容される以上は後者もという議論が実際になされているのだから、滑っていく可能性がある、それはただの杞憂ではない、というどころではない。まったく滑らかにつながっている。
★03 最初の二冊は太田編[1972]、太田[1973]。一冊目については以下。
 「太田典礼編『安楽死』(クリエイト社、一九七二年)は、安楽死論議がメディアで話題になった一九七四年九月、刊々堂と社名を変えた元クリエイト社から『安楽死――善き死若しくは厳かに死ぬ権利』として増補版が再刊された。増補版には宮野彬の「アメリカ安楽死協会の活動状況」が追加されている他方で、松田道雄の「すいせんの辞」は外されている。」(大谷[2005a])
★04 Terri Schiavo。「生命倫理をめぐり、全米に論争を巻き起こした米フロリダ州の植物状態の女性テリ・シャイボさん(四一)が三一日朝(日本時間同日夜)、同州ピネラスパークのホスピスで死亡した。一八日に栄養補給チュー▽094 ブを外されてから一四日目だった。」(二〇〇五年四月一日、時事通信ニュース速報)
 この事件について、穏土[2005]、柘植[2005]、井樋[2005]、秋葉[2008]。ホームページに報道などを収録している。
★05 『ALS』で「全面介助、経管栄養、人工呼吸器、瞼や眼球の動きによる発信の四つの状態を「ALSの終末期の特徴」(後明他編[2003 : 291])としてあげている――「緩和医療のすべてがここに!」と帯に記されている――本があったりする。」ことを紹介した。([2004f : 363])
★06 障害者の側からの批判もあったようだ。ただ、当時の記録はあまり残っていない。調べられたら調べた方がよいと思う(いくらか検証・検討が始まってもいる。一九六〇年代の言説について荒井裕樹[2008])。以下は福本博文『リビング・ウィルと尊厳死』からの引用。
 「太田たちの安楽死運動に反対する急先鋒は、主に障害者運動の活動家たちであった。七七年七月、九州大学医学部で両者が対立する事件が起こった。太田と元名古屋高裁主任判事の成田薫弁護士によって「安楽死について」という議題の講演会が開かれていたときのことである。
 成田が論壇に立つと、車椅子に乗った日本脳性マヒ者協会福岡青い芝の会員の会員三名が会場に入り込んだ。「障害者を抹殺するのか」などと大声をあげ、場内は騒然となったのだ。さらに、彼らを支援する青年医師連合のメンバーが「安楽死立法化は障害者抹殺への道」というパンフレットを配って歩いた。/「安楽死は、障害者問題とはまったく無関係だ」/と成田がなだめても、彼らは聞き入れなかった。それどころか、成田に平手打ちを食らわせたのだ。話し合いになったが、議論は平行線をたどり、一向に噛み合わなかった。」(福本[2002 : 144])
 青い芝の会についてもホームページに年表等の情報がある。福岡青い芝の会は、私の知るところでは一九七七年、つまりこの年の三月に結成されている。
 成田薫は後に日本尊厳死協会理事長。その時の文章に以下。
 「安楽死の合法性を認める特別要件を定めた世界初の判例が、一九六二年の山内事件に対する名古屋高等裁判所判決です。当時、名古屋高等裁判所の判事であった私が、主任判事として関与し、次の六要件が定められました。」(成田[1998 : 44])
 他に『年表が語る協会二〇年の歩み』(成田編[1996a]▽095 )、『そこが聞きたい知りたい尊厳死問答集』(成田編[1996b])。
 『良い死』第1章註13(一三〇頁〔→『良い死/唯の生』p.166〕)に記したように、日本尊厳死協会では一九九三年から「痴呆症の尊厳死」を協会のリビング・ウィルの条項に加えようという議論が始まった。それが報道され、「呆け老人をかかえる家族の会」から抗議(呆け老人をかかえる家族の会[1996])もあった。
 「同協会は理事会で対応を検討。一九九六年七月、リビング・ウィル修正を「時期尚早」と見送った。この問題はそこで終了しているはずだった。しかし、議論はその後もくすぶり続ける。協会の理事長は当時、成田薫弁護士がつとめていた。[…]
 成田理事長は、同年九月、「家族の会」に申し入れの回答を送った。回答は議論の打ち切りを知らせてはいたが、「痴呆症の尊厳死」への強いこだわりを示していた。「議論の中心は、助かる見込みのない重度老年期痴呆に限られており、しかもその人の人生最後の、唯一の願(事前の自己決定)を容れて、延命措置だけをやめるなら、法的にも人道的にも、それがむしろ当然の措置でなんら問題はないはず。どうしてこれが世間の一部の人が言うように、弱者の切り捨てになるのか、どうして福祉の充実に逆行するというのか全く理解しがたく、誤解も甚だしいと評する外ない」。「家族の会」との認識のズレは一向に埋まっていないことを示す内容だった。
 成田弁護士は一九九七年、毎日新聞のインタビューに応じ、「重度老年期痴呆は尊厳があるとは言えない。理性も知性も失われた動物に近い状態で生き恥をさらしたくない、という会員の願いは強い。痴呆条項について、時期尚早として議論を打ち切ったが、否決したわけではない。数年後に、議論する時期がくる」と、協会が議論を蒸し返す可能性を示唆した。」(斎藤[2002 : 149-152])
 もう一つの出来事がさきの福本の本に記されている。
 「太田は、七八年八月に京都大学の学生実行委員会から十一月祭シンポジウムへの出席を要請されていた。ところが、十月になって突如、主催者から学内に反対があって、身の安全も保障しかねるので降板してほしい、という連絡を受けた。
 「学内に障害者解放運動に敵対する団体が登場することは許すことはできない。講演を行なうことは構わないが、会場に於いてどのような事態が発生しても責任は一切負えない。」
 という全国障害者連絡会議からの反対声明がよせられたのである。」(福本[2002 : 145])
 ▽089 「全国障害者連絡会議」は「全国障害者解放運動連絡会議」の誤記。この組織は一九七六年に結成されている。
 第1章でとりあげたピーター・シンガーも抗議を受けたことがある。ドイツにおける「シンガー事件」について拙著『私的所有論』の第5章註8([1997 : 209])で一〇の文献を紹介した。ここではSinger[1991=1992]、市野川[1992]、土屋[1994]だけをあげておく。
★07 全文は以下。「安楽死法制化を阻止する会の声明」で検索すればホームページでも読める。
 「最近、日本安楽死協会(太田典礼理事長)を中心に、安楽死を肯定し、肯定するばかりでなく、これを法制化しようとする動きが表面化している。
 しかし、このような動きは明らかに、医療現場や治療や看護の意欲を阻害し、患者やその家族の闘病の気力を失うばかりか、生命を絶対的に尊重しようとする人々の思いを減退させている。こうした現実をみるにつけ、我々は少なくとも、安楽死法制化の動きをこれ以上黙視し放置することは許されないと、社会的な立場から考えざるをえなくなった。
 現在、安楽死肯定論者が主張する「安楽死」には、疑問が多すぎるのである。真に逝く人のためを考えて、というよりも、生残る周囲のための「安楽死」である場合が多いのではないか。強い立場の人々の満足のために、弱い立場の人たちの生命が奪われるのではないか。生きたい、という人間の意志と願いを、気がねなく全うできる社会体制が不備のまま「安楽死」を肯定することは、事実上、病人や老人に「死ね」と圧力を加えることにならないか。現代の医学では、患者の死を確実に予想できないのではないか……。
 これらの疑問を措いて、安楽死を即座に承認することは、我々には到底できない。実態を学びつつ考え、討論し、正しい方向を追求するためには、我々は「安楽死法制化を阻止する会」を組織し、真に生命を尊重する社会の建設をめざそうとするものである。
 右、声明する。
 一九七八年十一月 安楽死法制化を阻止する会
 発起人  武谷三男 那須宗一 野間宏 松田道雄 水上勉」
 この後、この組織の主張について議論がなされることはあまりなかった。足立公一郎(日本尊厳死協会事務局長・当時)による『週刊金曜日』誌上での一二回の連載「尊厳死考」(足立[1998])に対して、山口研一郎による批判▽097 「人命軽視政策を支える日本尊厳死協会の主張」(山口[1998])がなされ、さらに浦瀬さなみによる反論「論争/山口研一郎氏の反論への反論」(浦瀬[1998]、この著者による小説として浦瀬[1989])があったことはある。他の文献は『生死本』で紹介する。
★08 例えば次のように紹介される。
  「故太田典礼氏が提唱した日本尊厳死協会は一九七六年に設立され、十数年の苦難の時期を経て死ぬ権利運動がようやく社会に容認されるようになりました。会員は一九九〇年八月に一万人に達しましたが、その後尊厳死に対する社会的動きと相まって、その数はうなぎ登りに増えています。一九九一年末に三万人に達した会員は、一九九二年末には五万人の大台に乗りました。
  当協会のアンケート調査では、 九三・五四%の医師が尊厳死(個人の意志)を認める医療行為を施してくれています。
  宣言書(リビング・ウィル)、入会申込書を求める手紙や電話の問い合わせも多く、一九九二年の三月には一万人分以上の資料をお送りするほどでした。
  リビング・ウィルの文面と入会申込書等のお問合わせは下記の通りです。」(細郷[1993 : 254])
  いまはホームページで入手できる。また内藤・鎌田・高橋[1997 : 237-238]にも日本尊厳死協会が提唱するリビング・ウィルの文面がある。
★09 その本では、会員登録第一号であったのは鈴木千秋の母であったとされているが、次のような記述もあり、実際のところはよくわからない。
  「協会が設立した二カ月後、早くもリビング・ウィルを活かす機会がおとずれた。会員登録第一号であった文京区在住の七十九歳の男性が、三年間の闘病生活に終止符を打ち、彼の意思通りに延命措置を中止して死亡したのである。」(福本[2002 : 137])


▽099
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  第3章 有限でもあるから控えることについて


        ――その時代に起こったこと


 ▽100 *第2章では、一九七〇年代末から八〇年代のことについて記した。その後尊厳死協会は法制化の運動からいったん手を引くことになった。そしてリビング・ウィルの普及に努めた。そして二〇〇五年にほぼ同じものがまた提出されている。その間になにかが起こったのだろうか。これは、ごく最近のできごとであるにもかかわらず、なかなか捉えられない。その解析はまったくこれからの課題である。そのことに驚いてもしまうのだが、これからのために、いくらかのことを記す。『現代思想』に連載されている文章の一部、二〇〇八年二月号〜八月号掲載分――二月号の特集が「医療崩壊――生命をめぐるエコノミー」、三月号の特集が「患者学――生存の技法」だったこともあって書かれた――を再構成して書かれる★01
 私たちは、どんな言葉を使うかは別として、死の方に寛容になっているように見える。それについて様々な要因は考えられようが、一つに、これからのことを思い、この「末期」がどれだけ続くのだろうと、あらかじめ疲労してしまっているようなところがあるように思う。仕方がないという雰囲気が広がっているようだ。「経済」のことを気にしながら、七〇年代末から現在までの幾つかのことを記すことにする。

1 その時代に起こったこと、のために

 1 はっきりした早くよくわからない変化
 人が足りない、金が足りないというお話がある。だから迷惑をかけないように早々に、という思いが語られる。これを基本的にどう考えたらよいのかについては『良い死』第3章で述べた。ここでは、すこし具体的に、とくに▽101 高齢者や「終末期」の医療・福祉の場に起こってきたことをいくらか振り返り、そして考えてみたい。この間の経緯についての本格的な研究はこれからなされるだろう★02。私自身はなにほどのこともできない。ごく簡単にここしばらくのことを辿ることにする。それでもいくらかは長くなる。そこであらかじめ幾つかのことを述べておくことにする。
 あったのは、医療を行なわないこと、すくなくとも行なわなくてよいという認識・主張が優勢になっていく過程だった。私はその全体を否定的に捉えているのではない。ただ、もっともな認識や正しい批判や事態の改善をめざす動きが、事態の厳しさにつながってしまうことがある。それは変化・変質と捉えられるとともに、またどこか連続し通底しているところがあるのかもしれない。すこし欠けているように思われるのは、そうした連続や不連続を、いくらかは注意深く、確認していく作業であると思う。
 見ていくと、さほど注意深くなくとも、事態の認識に、またあるべき方向の主張に、いくつかの短絡があることを確認できる。つながらないものがつながってしまっている。それを見て取るのはわりあい容易なことだ。むしろ不思議に思われるのは、それがそのままに流通し今日に至っていることの方だ。その事情をどう理解したらよいのか。まずそれを挙げる。つまり、事態を進め同時に見えにくくしているように思われる「動因」を、いくつかあらかじめ列挙しておく。
 (1)まず一つ、言われることの多くは、とくに当人について言われることの多くは、明白な間違いではないということだ。事態の一面は捉えている。そしてそれは大切なことでもある。だからこそ受け入れられもする。例えば「過剰な医療」は――不要でありまた加害的でもあるような行ないをそもそも「医療」と言うべきなのかという当然の指摘はあるにしても――存在したし、存在している。ただ、その確かな現実の認識、現状の批判が、他に見るべきこと言うべきことをときに隠してしまうことがある。
 ▽102 (2)次に、事態をいくらか複雑にしているのが、医療と福祉の分業のあり方、両者の陣地取りに関わる問題である。つまり医療の側にいる人たちは――その仕事を確保することが自らにとって有利だと、よいことだと考える限りにおいて――その仕事を自らのものにしておきたいのだが、他方の別の業界にとってもそれは同じことであったりする。そしてそれは、もちろん、二つの業界の間のたんなる綱引きではない。やはり、そもそもどのような場がよいのか、何が必要なのかという問題がここには関わっている。例えば(すくなくとも今あるような)病院には長々といたくないという当人の思いはある。そしてそれはもっともなことであるだろう…(1)。そして、双方にかかる費用の問題があり、しかもそれを誰が払うのかという問題がある…(3)。例えば総費用としては医療の方がかかるのだが、利用者やその家族にとっては医療施設の利用の方が――公的保険の仕組みその他によって――その場での支払いは安いから、利用者は医療施設を選ぶあるいは選ばざるをえないが、それは別の観点からは、また別の人たちにとっては、好ましくないといったことがある。こうした諸力が交錯する。
 (3)そして、ここに働いているのは、やはり「財源」のことであり「資源」のことである。このことについての懸念・危惧がこの間の事態を動かしている。だから、結局はこの主題自体を考える必要があるということになる。ただ、起こったこと、すくなくとも語られたことは、たんにもったいないからやめておこうということではなかった。それが(1)(2)に記したことでもある。
 (4)さらに、しばしば明示されないのではあるが、やはり、何にどれほどの価値を置くのかにことは関わっている。絶対的な窮乏・枯渇といったものはそうそうこの世に存在しはしない。(3)の資源の問題にしても、しかじかにこれだけの金をかけるほどの価値はない、というように問題は存在している。ただしそのことがときに忘れられ、「資源の有限性」の問題として語られたりもする。
 これらの絡まりあっていることごとをほぐしていきながら考える必要がある。ただ以上をまとめれば、新奇なこ▽103 とではない。つまり、(3)(4)医療としてなされるある部分についてしかじかの費用を払うだけの価値のあることだろうかと思われていることがあり、それは、(2)業界の綱引きに影響されつつ、(1)たしかに不合理であり人に不利益をもたらす事態と連動していることであったりもするから、撤退が起こる。(3)を真剣に心配する人もおり、そのことを正直に語る人もいる。そして現実の財政的な制約は制約としてありもするから、この要因は実際に働く。ただ、そのことにあえてふれられないこともあり、この時にはもっぱら――どの業界がやり玉にあげられるのかは場合によるのだが――(2)業界批判として批判がなされたり、また(1)現に苦しんでいる人の苦しみが語られることにもなる。そうして事態は進んでいく。

 2 短絡
 このような要素がありそれが押し流す方向に事態は流れてきた。その力によって、つながるとは限らないものがつながってしまうことがあると述べた。今度はそれらを列挙しておくことにする。
 @まず一つの短絡がある。つまり、上記のようないささか複雑な事態が省略され、しばしば「過剰な医療」がなされてしまうことがなにか「医療の本性」であるかのように語られることがあるということだ。だがそれは違う。すくなくとも一面的である。起こってきたのは、(2)に記したように、医療の側に即するなら、儲かるなら――という言葉がよくないのであれば、ともかく採算がとれるのであれば――その仕事を得ようとし手放さないようにするが、他方、採算がとれないならやらない、控えることになる。そしてこのように事態が変わるなら、つまり守ることによる利得がなくなるなら――実際に事態はかなり変わり、利得は少なくなった――それをまた守ろうとする声も小さくなる。この間の過程はそのような過程としてあるのでないかと考えている。この想像がそう外れてはいな▽104 さそうなことを示せるはずである。
 Aそして、「キュアからケアへ」という標語のもとに生じた短絡がある。治癒する病についてキュアをする、そうでない病についてはケアだけをしようというのだ。たしかに多くの病気はなおすことはできない。とくに年をとってからの病気・障害についてはそんなことが多い。それはそのとおりだとしよう。ただそれは、心身の状態を維持し、あるいは状態が進む度合を緩やかにし、生命を維持するための手段がないことを意味しない。状態を保ったり、悪化の速度を遅くしたり、苦しくないようにする手段があることが――それをどのような名称で呼んでもかまわないけれども――ある。しかし「なおる」場合には対応を行なうが、そうでない場合は、「(スピリチュアル)ケア」だけということにされ、それ以外のことは放棄される。これもひとまずは単純に論理的な誤りである。つまり医療やリハビリテーション――と呼びうること――を行なうのが有効である/有効でないという区分と、(もとに戻るという意味での)なおる/なおらないという区分とは別のものなのだが、つなげられてしまう。その結果、なおらないが有効である場合にそれを使うことができないことになる★03
 さらに二つある。そしてそれはつながっている。
 B一つは、個人(本人)・対・他の人(多くは家族)という対である。日本では家族が決めている。それに対して欧米では本人が決めるのだという。まずこの認識自体がいくらかは乱暴であるように思われるのだが、ここでは、それはそれとして事実だとしよう。次にその本人を優先するという原則を、なぜ、どのように肯定するのかという問題がある。ただこのことも、まずは指摘だけしておくだけとしよう。もっと単純な疑問がある。日本では、本人が望まないのに、その家族が――あるいは医療の側が――延命をさせていると言われることだ。たしかにそんな場合もある。しかしそれも一面的である。家族が「差し控え」の方に傾くことがある★04。そんなこともあるではないか、と言われたら、その人もそのことを認めるのかもしれない。ただ、言われ書かれるのはこちらの方ではなく、▽105 家族は多くを望み、本人はそうではないという側面なのである。
 Cそして一つに「自立」「自律」である。「ノーマライゼーション」といった言葉もまた、新たに支持されるべき、支持されることになっている理念として、用いられるのだが、そこで言われることは、結局は、自分のことは自分でしましょうということである。それに対して、自立とはそんなことではない、それは単純に意味を取り違えていることを指摘することはできる。ただ言葉の、これから見る領域での使用法は(「障害者業界」ではそうでないことが常識になったはずの時期以降も)そうなっている。次に、当然、自分で決めることと自分で行なうこととは等しくないのだが――他人にやってもらうことを自分で決めることがもちろんある――そのこともあまり言われない。つまり、誰もが自分でできることを望んで行なおうとしているとされる。ただ、この接続あるいは短絡がたんなる誤解であるかといえば、そうとも言えないところはある。一つに「外国」という項に関係するのだが、その社会で、すくなくともその社会の公式の教義として、このような意味での自立が価値として当然のこととされるのであれば、当人もまた、自分で自分のこととして、この自立を受け入れることになるだろう。
 「施設から地域へ」「医療から福祉へ」「キュアからケアへ」「家族・専門家から本人へ」を主張してきた人たちがいて、私はそれらがもっともだと思い、そう言ってきた。現在でもそのことは変わらない。ただ、だからこそ、短絡と曲解を受け入れることはできない。たしかに医療を批判し、なおすことを批判した人たちはいた★05。しかし同じ言葉で別のことを言う人がいる。何かがそこで落とされてしまうことがある。もう、いちいち議論の混線や短絡を言い立てることにも飽いてしまっているところはある。だが、言うべきことが言われ、私もそれを受けて幾つかを書いてきたその同じ時期に書かれ、私がこれまであまり読むことのなかった文章をいくらか読んで、あらためて、言われるべきことまた実際に言われたことが伝わってはいないと感じた。確認しておくことはやはり必要なのだろう。
 ▽106 以下、ここ二十年ほどのことをざっと見ていく。

2 一九八〇年代

 1 老人病院批判
 多く一九八〇年代になって、「悪徳老人病院」の存在が指摘され批判される。それをも受けて「改革」がなされる。ただそれ以前に、医療の方に高齢者が押し込まれるという事態が既に起こっていたのだし、それが告発されることになる事態を招来させていることは押さえておこう。
 つまり、高齢者を受け入れることが医療の側の利益になったし、他方の利用者、とくに家族にとっては、医療・病院の利用がさしあたりの負担を回避することにもなったということだ。一九七三年一月、七〇歳以上の老人医療費の公費負担、本人無料化が実施される。その経緯、内容等については他に譲ろう。また、そのこと自体を私が否定的に捉えているのではないことは言うまでもないとしよう。その上でそれは、例えば次のように振り返られ、まとめられる。

 「昭和四八年一月より、老人医療費支給制度の実施により七〇歳以上の高齢者に対する医療費の無料化が実施されたことにより「老人病院」が各地で繁盛した。」(山本[1995 : 165])

 ▽107 さらに、既にその当時、起こりうる事態は予見されている。
 「朝日市民教室・日本の医療」という全七冊のシリーズがある。これから幾度か名前を出すことになる大熊由紀子も朝日新聞社の記者としてこのシリーズに関わっている。いくつもの薬害など当時の様々な事件があり、大学その他における騒動があり、医療、近代医療に対する反省・批判がなされ、改革への提言がなされる。当時、そしてその後、様々な活動を展開する人たちの文章や座談会その他が収録されているのだが、第5巻『荒廃をつくる構造』(朝日新聞社編[1973])には、患者の視点からということで岡本正、様々な薬の害を告発し「医療の社会化」を主張する高橋晄正(この時期の著作として高橋[1972][1973])、この時『現代日本小児保健史』(毛利[1972])の著書がある毛利子来、そして大熊由紀子が司会の座談会が掲載されている。

 「岡本 国民皆保険の実施でも、老人医療の無料化にしても、すべて政府の虚栄(ヴァニティ)が生んだ、みせかけの社会福祉政策ですよ。そういう世間をとりつくろう政策がでると、日本医師会はかならず乗っかっていきますね。そして、もうける。
高橋 老人医療の無料化は、空きベッドをうまく操作するのに役立つ。看護婦不足なら、なるべく手のかからない老人でも入れときゃいい。家族は養老院へやったとなると世間体が悪いが、老人ならたいていどこかぐあいが悪い、病院に入れておけば、安くすむし、かっこうもいい。ほんとうの意味での老人対策の欠陥を全部医療の中へほうりこんだだけだ。医者もそれでもうかる。で、根本の薬の科学性を問わないまま膨大な薬をのませるから、結局あれは安楽死への道へつながりますよ。
毛利 まったくそのとおりで、このままでいったら水俣病の二の舞で、スモンだけでなく第二、第三、第四ときりのないほどの薬害が明らかになるときが意外に近くなるような気がしますね。」(岡本他[1973 : 187])

 ▽108 高齢者のための施設は、救貧的な性格のものとして始まったこともあり、抵抗感もある。そして在宅福祉の仕組みはないに等しかった。他方、病院では、利用者の側(むしろ、費用を負担するなり介護をするなりといった負担を負う側)の(当座の、利用に応じた)負担が他に比して少ないなら、そして何がなされるのかを知らず、あるいは知らないことにでき、不平不満を言わないあるいは言えないなら、その場に置かれる。そして医療の供給者が供給したいだけ供給することができ、それに応じて収入を得られるなら、不要な処置、不要であるだけならよいとして加害的な処置がなされるだろう。このことが言われる。そして実際はそのとおりになったということだ。
 それから約十年して、マスメディアにおいて、批判がなされる。批判がなされるだけの現実が積み上がっている。
 例えば和田努が埼玉県の三郷中央病院の実態を調査し暴露した記事を雑誌に書き、それが『老人で儲ける悪徳病院』(和田[1982])になる。その告発を振り返った大熊由紀子の文章。

 「「老人病院」の経営実態の多くは闇の中でした。例外的に明るみに出たのが、埼玉県にある三郷中央病院でした。[…]一九八〇年七五床で開院、半年後には一七七床に膨れ上がりました。[…]そこでの「診療」は、たとえば、次のようなものでした。
 ・入院した人にはすべて「入院検査」と称して三一種類の検査を受けさせ、その後も毎月「監視検査」という名で二一種類の検査。/検査はやりっぱなしで、検討された形跡はなし/・テレメーターによる心臓の監視の架空請求で一〇〇〇万円を超える収入/口から食べられる人にも点滴が行われ、お年寄りの顔はむくんでいました。/点滴を無意識に抜いたりするとベッドの柵に縛りつけられました。[…]褥瘡、尿路感染、肺炎、…そして、平均八七日で死亡退院。」(大熊[2004-(4)])

『朝日新聞』の連載がもとになった『ルポ・精神病棟』(大熊[1973])の著者、大熊一夫もこの病院の取材を含む本『あなたの「老い」をだれがみる』(大熊[1986])を書く。またその後、より「普通」の老人病院を取材して、その現状を報告する『ルポ 老人病棟』(大熊[1988])を発表する★06
 こうした現状、批判は、きちんとした仕事をしようとする医療者にとっては辛いものだった。青梅慶友病院院長の大塚宣夫へのインタビューより。

 「病院の開設は一九八〇年、昭和五五年です。この頃っていうのはね、老人病院花盛りなんですよ。あちこちにたくさんできたけど、行き場のないお年寄りを預かってベッドに縛りつけて点滴する、大量の薬を服ませる。介護といえば、家族が直接雇った付き添いまかせの状態でした。今朝までご飯を食べていたお年寄りが、入院した途端に突然点滴されて、しばらくすると動けなくなって、それで床ずれができて、一ヶ月もすると肺炎を起こして死んじゃう。これがお決まりだったんですよ。[…]ある新聞が告発記事を書いたこともあって、それで老人病院=悪徳病院という図式ができてしまいました。だから私が老人病院を建てるといった時は、「お前ねぇ、そんなにしてまでお金儲けがしたいのか」っていわれましたよ。」(大塚[2004 : 141-142])

 そんな人たちによって、もっとよい老人病院を作って運営しようという動きが起こることになる。一九八三年五月に「老人の専門医療を考える会」が設立される。最初の会長を天本宏、その後大塚宣夫、平井基陽が務める(大熊[2004-(12)])。

 ▽110 他方、制度が変更される。一九八三年に施行された老人保健法は医療を規制する性格をもつものだった。それが何をもたらしたか、どのように受け止められたかである。
 東京都武蔵野市で「武蔵野福祉公社」の設立に関わり(山本[1982])、高齢者の在宅福祉を推進していく山本茂夫の回顧。

 「月刊誌『宝石』(昭和五七年三月号)で、NHKディレクターであった和田努氏が三郷中央病院を告発したのが、老人病院の非情な処遇を取り上げた最初のものであった。[…]和田氏は、病院院長から「名誉毀損で訴えるぞ」などの嫌がらせを受けながら、さらに『老人で儲ける悪徳病院』(エール出版)で、薬づけ検査づけの実態やお年寄りをベッドに縛り付ける看護婦の姿を詳細に伝えている。[…]和田氏の告発を契機に、厚生省は検査づけ点滴づけの老人医療を改善するために、昭和五八年老人保健法を制定した。一ジャーナリストの果たした社会的意義は大きい。」(山本[1995])

 この箇所を引用しつつ、自らの活動を回顧する和田の文章。

 「この病院は老人を食い物にする悪徳病院でした。丹念に取材して、廃院に持ち込みました。この事件は国会問題にもなり、厚生省が老人医療を見直しするきっかけになった事件でした。私としては思い出深いスクープです。」(和田[2004])

 以上では、法の変更は、まずは――というのも、彼らはこれからあげる人たちとまったく別の人たちではない▽111 ――肯定的に評価される。他方、してきたことすべきことができなくなることを嘆き、批判する人もいる。さきの「老人の専門医療を考える会」の発足もこのことが関わっている。

 「三郷中央病院など悪徳病院の摘発をきっかけにして、昭和五十八年二月に生まれた「老人保健法」という法律のおかげで、お年寄りの患者によかったと思われる診療が十分にできにくい雰囲気になってしまった[…]天本さんは「お年寄りだから」という理由で、治療の手を差しのべないのは罪悪だと考えている。[…]老人保険法が施行されて四ヶ月後の五十八年六月、医療費請求額三千万円のうち約一割の三百万円分が保険の審査会でバッサリ減額された。「減点通知書」にはこう書かれていた。/「特定患者収容管理料算定の症例に対する運動療法は妥当と認められません」/この患者さんは、ひらたくいえば、寝たきりで全面介護を必要とする鼻腔栄養の人であった。寝たきりになった人にはリハビリは不必要だから、そんな請求はダメだというのである。「脳軟化症の(人の)腰痛に運動療法は認められません」という通知書もあった。これに対して、天本さんは猛然と異議を唱えた。」(大熊[1986 : 217])

 「一九八五年に『老人の専門医療を考える会』は、できました。僕や青梅慶友病院の大塚先生が、病院を建てたのは一九八〇年です。その頃は、悪徳老人病院の告発記事が新聞に掲載されて、老人病院バッシングの時代です。我われのやっていることすべてが否定されました。/お世話料の問題もそうですし、付き添いもつけないでやってるとか、痴呆症の人にリハビリさせているとか。必要な治療としての点滴注射もぜんぶカットされ、仲間の医者からも否定された。我われは現場で医療、ケア、リハビリも必要だと思うからしているんだけど、学問的にも誰も肯定しないし、いろんなことで叩かれた。/それに憤りを感じた人達が集まってきた。なんとなく集まってというふう▽112 にしていたら、そこに青梅慶友病院の大塚宣夫先生がいて僕がいた。老人病院の中でも真剣に取り組んでいる姿を、当時の厚生省の人がみていて、中核になるような人に声をかけたんじゃないでしょうか。」(天本[2004 : 35-36])★07

 後にも起こること、起こり続けること、「社会的入院の解消」などとしてなされることが現実にどんなことなのか。いたい場所でないとしても他にいる場所がないその場所が失われる。病気をなおし障害を取り去ることはないとしても必要と思われたことができなくなる。そのことが繰り返され、続けられ、同じ嘆きと批判がなされることになる。ただ同じ時期について、同じ会に属し、その中心的なメンバーでもあり、天本と思いを共有してもいる青梅慶友病院の大塚は次のようにも記している。

 「実際にはいってくる人は寝たきりに加えて脱水状態であったり、低栄養状態であったりする。あるいは大声を出すとか、徘徊する、暴力をふるうといった、活発な問題行動を伴う痴呆老人が大部分でした。ところが、対応する方法といえば、我われが知っているのは医療技術だけですから、それを駆使して、なんとかこの人の状態をコントロールしようと思う。そうすると、落ち着く先は点滴だったり、強い鎮静剤という話になるわけですよ。
 ある時、気がついたら、私は一生懸命やっているのに、よその悪徳病院といわれるところと結果はそんなに違わなかった。これが結構ショックだったんです。ほどなく医療保険の支払い機関から、お前の病院は医療費がかかりすぎて怪しからんと呼びだしを受けたんです。私としては治療でお金を稼ぐためにやっているわけじゃなかったのに。そこで、もうそんなにいわれるなら、点滴もなにもしないで様子をみてやるよとばかりに、ぜんぶやめてしまったんですよ。医師や看護師はやることがないから、患者さんの傍に行って遊んだり、寝ている患者さんを起こしてレクリエーションなんかするでしょ。それまでは入院してだいたい一ヶ月もすると寝たきりになっていたのが、▽113 寝たきりにならなくなってきた。痴呆の人なんかも薬を使わなくても結構落ち着いてきた。
 この体験でケアの大切さを知り、今までの医療を中心とした対応が、いかに無力かというよりも、有害かを思い知らされた。」(大塚[2004 : 142-144])

 事態は、それをもたらしてもいる個々の要因は単純でありながら、いささか微妙でもある。何をしたらよかったのか、何をしたらよいものなのか。それは問われるべきだっただろう。問題は、それがどのようにまとめられていくのかである。

 2 寝たきり老人のいない国
 こうして老人医療が批判される。それは批判を受け止めようとする側にとってももっとなものである。他方、ならば高齢者福祉はよいかといえば、そんなことはない。収容施設がいくらかあるが、そこで人はよい目にあっていない。在宅福祉はないようなものだ。多くの人がそれをなんとかしようとするのだが、そのなかの一つに、「寝たきり老人」をなくそうという呼びかけがある。
 「寝たきり」という言葉自体は以前からある。例えば有吉佐和子の『恍惚の人』(有吉[1972])にも見える★08。また寝たきりにならないための策を説く書物も出ている(田中[1976]等)。ただ、一九八〇年代になって、新聞や集会で、外国、ヨーロッパ、北欧の事情を知り、かの地に寝たきりの人がいないことを知った人によって、寝たきりが克服されるべき、また克服可能な事態であることが説かれるようになる。本としては、岡本祐三の『デンマークに学ぶ豊かな老後』(岡本[1990])、大熊由紀子の『「寝たきり老人」のいる国いない国――真の豊かさへの挑戦』(大熊[1990])等が出され、読まれる。

 「注目すべきことは、朝日新聞論説委員の大熊由紀子氏が、早くから(なんと一九八五年から)「寝たきり老人」(彼女の表現を用いると「寝かせきりにしてしまっていたお年寄り」)が多数見られるのは、先進諸国の中では日本だけなことを発見し、これがわが国の老人医療・福祉の立ち遅れの産物であることを、鋭く指摘してきたことである。この事実は、その後厚生省の委託研究でも確認され、その結果は『厚生白書一九九一』(六三頁)にも掲載された。」(二木[1994 : 12])

 「「寝たきり老人」をゼロにするという高い理念がある[…]すなわちただ単に要介護者のお世話が大変だから、介護福祉を充実するということにとどまらず、要介護者の自立を支援するということが目標とされている。/筆者の知る限り、この理念が日本で重要な意味を持つようになったのは、八〇年代のはじめ頃からデンマークをはじめとする北欧諸国の実態を調査し、「寝たきりはゼロにできるのだ」というキャンペーンを展開した大熊一夫氏、大▽114 熊由紀子氏、岡本裕三氏らの努力によるところが大きい。彼らの啓蒙活動が次第に普及するなかで、スウェーデン大使館勤務の経験を持つ厚生省若手官僚たちがこれに呼応して、九四年に「高齢者介護・自立支援システム研究会」が設置された。同報告書はこのような彼・彼女らの長い努力の結実である。」(西村[1997 : 63-64])

 話を聞いたり、本を読んだりした人がまた、外国に行き、その様子を報告する。そこにはもう名前の出てきた人たち、この後活躍することになる人たちもいる。

 ▽115 「私はこの市のプライエム、在宅ケアの現場を多く見せてもらったが、寝たきり老人――伊東氏流に言えば、「寝かせきり老人」を一人も見ることはなかった。」(和田[1991 : 246])

 「銀行員から有料老人ホームの経営者になったばかりの私が、業界のことを、いろいろと勉強しようとたくさんの参考書を読んでみても、やはりいいものをみつけることはできませんでした。/ただ、一つ収穫がありました。大熊由紀子さんというジャーナリストが、新聞でも講演でも「寝たきりは、寝かせきり」だと繰り返し言っているのを知ったことです。[…]私が、北欧諸国の介護と、そこに住む高齢者を、この自分の目でみたくて現地を訪れたのは、平成二年のことです。訪問を強力に支援してくれたのは、大熊由紀子さんと現在は神戸市看護大学教授をしている医師の岡本祐三さんでした。」(滝上[1998 : 76-77])

 一九八八年「当時、私は財団法人・松下政経塾の研究員として、日本各地の老人ホームを実習して回っていた。実習すればするほど、「人間が死ぬ前に、“寝たきり”になって悲惨になるのは、仕方のないことだ」とあきらめが深まっていった。そんな時、朝日新聞社『AERA』主催の福祉のシンポジウムを傍聴した。「北欧には、寝たきり老人がいない」という。半信半疑であった。」(山井[1991a : ii])
 「私を「寝たきり」問題に開眼させて下さったのは、『朝日新聞』論説委員大熊由紀子さんと、阪南中央病院の岡本祐三先生であった。」(山井[1991a : 223])
 「一九八九年、イギリス、スウェーデン、デンマーク、アメリカ、シンガポールで八カ月間、老人ホームに住み込んだり、ホームヘルパーの方にお供しながら、勉強をさせていただきました。それは、残念ながら「いかに日本の高齢者福祉が遅れているか」を、この目で確認する旅でした。」(山井[1991b : 121])★09

 ▽116 その地には寝たきり老人はいない。日本の福祉・医療、施設・病院のあり方が批判され、もっとよい暮らしができるべきだと主張された。これももっともなことだった。

 3 もう一つの発見
 それとともに――文献によって触れられない場合と触れられる場合とに分かれるのだが――高齢者のケアが充実した国々では――国々でさえも、あるいはそうした国々であることができるために――高齢者に対して積極的な医療・治療を行なわないことがあることが、そうした国々の状況を見に行った人たちによって発見あるいは確認される。ここまで二度その文章を引いた大塚宣夫の文章。

 「昭和六十三年六月、老人病院の管理運営に当たっている仲間とともにヨーロッパへ出かけました。目的はヨーロッパの平均的な老人病院や介護施設を見ることでしたが、特に関心があったのは、当時わが国の新聞、雑誌、テレビなどで散見されていた次の二点の真偽でした。/第一は、ヨーロッパの老人施設にはわが国でいういわゆる「寝たきり老人」がきわめて少ないこと、第二は、ヨーロッパの国々では高齢者に延命のための医療行為はほとんどなされないということについてでした。」(大塚[1990 : 114])

 このことに言及していない人たちもいる。論議を呼びそうなことであったからかもしれない。そこではもっぱらよいことがなされていることが言われる。そして日本の現状の改善が主張される。しかし、その改善・改革の道筋▽117 と「さしひかえ」とがまったく切れているわけではない。つまり、さきにあげたB「個人主義」「本人本位」とC「自立」の肯定によって、医療を行なわないことが肯定される(肯定されている)とされるのだが、それはまた福祉の機構・処遇の改良・改革を導く理念でもあるのだ。
 ただ「現場」においてはそうすっきり行かない、すっきり言えないようにも思われる。二つのことの真偽を確かめようとヨーロッパに行って、それが真であることを見てきた大塚の文章の続き。

 「ヨーロッパの施設で見てきたもう一つの大きな違い、老人のいわゆるいちばん最後の部分の対応については、今日までのところヨーロッパ流のやり方を本格的に導入するところまでは踏み切れません。/[…]一日を横になって過ごすことへの評価にも、畳の文化といすの文化の違いを感じます。これは、どちらがすぐれているというよりも、文化の違いというべきなのでしょう。いすの文化の国々では、生きるということは、頭を地面より少しでも高い所におくことであり、頭の位置が高ければ高いほど、質の高い生き方をしていると思っているフシがあります。/これに対してわが国では、横になることは最も安楽な、くつろぎの姿勢ととらえて、けっして恥ずべき姿とはとらえられていないのです。」(大塚[1990 : 133-137])

 そして、同じく老人医療の改革・改善を志す天本の文章。

 「例えば、摂食嚥下障害、高齢者に対する栄養摂取のあり方は大きな問題である。西洋では食べられなくなったら死ぬのが当たり前という考え方であるが、日本人は、高齢者が、「どうして食べないんですか。鼻腔栄養しても死ぬんですか」と質問される場合が非常に多い。」(天本[1999 : 89])
 ▽118 「"we"(年齢、障害に区別なく人間として一緒に生きる)現在のノーマライゼーションという考え方で、障害者も年寄りも同じく、「自立」をキーワードに、できないことだけを助けることにした。ある意味では、冷たい位に徹底的に、合理的な生活支援スタイルをとることである。[…]/いまの日本のお年寄りにとって、自我はむしろ否定されてきたわけで、自我の抑制こそ、三世代が仲良く同居生活する基本原則であった。急に「自立」が目標と言われても困ってしまうことは理解できる。/我々も「寝たきりゼロ作戦」で、お年寄りをどんどん起こすようにしたが、評判は良くなかった。「起きて、私は何をするんでしょう」ということで、お年寄り自身の方向性がはっきりせず、何をしたいという意思がないことに、一番困っているのが実態である。」(天本[1999 : 92-93])

 こうした書きものの中では、彼の地との差異の指摘とその上での実際の困難についての言及はあるものの、彼の地でのあり方が必ずしもよいものだという捉え方はなされていない。ただ、それは別の場ではよりすっきりとした筋の話に整理される。
 一九八九年、『昭和六三年度厚生科学研究特別研究事業・寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究・研究報告書』が出される(竹中他[1989]、厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課[1989][1990]に収録)。研究班長は竹中治(社会福祉・医療事業団)、研究班員には大塚宣夫も入っている。ここに表16「日本と欧米の文化的背景の違い」があって、「日本/欧米」が対比されている。

 「社会の人権観:まだ人権観は確立されていない/戦後のノーマライゼーション運動の結果人権観が確立された」、「自己意識:依存「お世話になります」/自立「自分のことは自分でする」」、「家庭での老人観:古希をあがめる/自立を援助する」、「長期ケアの理想的あり方:そっとしておく/できるだけ自立を助ける」、「住宅環境:畳生活▽119 「横にならせて下さい」車椅子は入りにくい/椅子、ベッド生活「腰をかけさせて下さい」ベッドは寝るところであり日常的に寝食分離している」

 そして、平成二年(一九九〇年)版の『厚生白書』。

 「寝たきり老人を作らないためには、自立に向けての「生活意欲」を各老人が持つこと、さらに、社会全体がそれを支援していくことがまず出発点である。具体的な予防の方策は、まず「寝たきり」に導く原因疾患の発生を予防すること、原因疾患が発生したらそれによる障害を予防すること、不幸にして障害が発生したら障害の悪化を予防するため、逆に積極的にあらゆる方策を用いて「動かす」ことが重要である。これらの諸方策は数多くあり、種々のレベルで複雑にからみ合っている。」(厚生省編[1991 : 23])

 そして、人々は日本の家族を語り、経済を語る。医療の側からの声は大きくも小さくもなる。

 4 要約
 向井承子が、著書(向井[2003])で、そして『現代思想』二〇〇八年二月号の「医療崩壊――生命をめぐるエコノミー」の特集に掲載された文章(向井[2008])で記し、そしてその解析を呼びかけている事態、医療、とくに高齢者医療をめぐる「差し控え」という事態がある★10。金がない、なくなる、働き手が足りない、足りなくなるといった話が様々を規定している。そう思われている。このことについて、多くは暗い、ときには危機脱出の処方を説く▽120 前向きで明るい、そしてすべて真面目な話がなされている。それをどう考えるのか。私に具体的な解析の力はないけれど、それでもおおまかに歴史を見てみようと、いくらかのことを記した。
 一九七三年のいわゆる老人医療費無料化に際し、供給すればするだけ収入が得られる制度下でむしろ利用者を害する供給がなされてしまうことの懸念は、制度の開始時に既に表明されていたことを見た。そして、そのように現実は推移した。そしてそのことが露骨に現われた「悪徳老人病院」が一九八〇年代に批判され、「薬漬け」その他が批判された。それに老人保健法の改定が連動する。それは一方で肯定的に捉えられもするが、必要な医療の削減をもたらしたとも捉えられた。そして、この時期以降、とくに一九九〇年代になって、「寝たきり」が問題化され、そうした人がいない国をモデルとして改革がなされるべきことが主張された。その主張の支持者たちは二〇〇〇年に始まる公的介護保険への支持者ともいくらか重なる。また「寝たきり防止」の政策との連続性もある。そして、こうした動きより広く知られたことではなかったにしても、この「欧米」「北欧」の様子が知られるようになったこの時、そうした国々で「延命治療」がなされていないことを、改革を志す人たちの一部は知り、受け止めることにもなる。
 ここで医療は、関与と撤退との間で揺れている。第4節で、知っている人だけが知っているというものではあるのだが、一九九七年に起こった「福祉のターミナルケア」をめぐる論争――さきにあげた向井[2003]に言及がある――のことをすこし紹介する。この時には「終末期」「医療」からの撤退(「福祉」への移譲)を拒否する主張がなされた。ただ、さらにこの領域に渡る医療の金が減らされたら、つまりその仕事がわりに合わない仕事になったらどうか。
 そして、石井暎禧が『現代思想』の同じ号で次のように述べている。

 ▽121 「これまで日本医師会は医療介護の全体を自分のテリトリーに取り込むというやり方でやってきました。ところが、ここのところ医療総額が抑えられているために、矛盾が出てきたわけです。全ての患者を抱え込んでしまい、国の決めた枠で全部やりなさいという話になると、むしろそれを脱したほうがよいということになる。」(石井[2008 : 97])

 起こったことはそんなことであったと思う。ある種の使命感から自らの陣地を確保しよう大きくしようということもある。ただ多くは、それが仕事になり、収入にならなければ引き受けることはできないし、引き受けようとはしなくなる。石井は「福祉のターミナルケア」を批判した医療者である。そして石井たちはその主張を維持しているのではあるだろう。ただ、彼自身が分析し解説する状況の変化によって、その主張は、全体のなかでは小さくなっているのかもしれないということだ。
 こうしたいささか錯綜した経緯をどう見るのかである。すくなくとも、かつて過剰な医療がなされていたが、それが反省され、控えめなものになりました、というお話ではない。このように事態を短く縮約すること自体が、この間の現実を作ってきたのだということも含め、見るべきを見て、確認できることは確認しておいた方がよい。なおすこと/なおすことをやめる(させない)ことをめぐって起こったこと、起こっていることをどう見るか、その当人の側と、当人でない側と、その境界の引かれ方がどのように変わってくるのかを確認する。そこから、当時のそして現在の言説を評定することができるはずである★11

▽122 3 確認

 1 なおす/とどまる:本人において
 いまざっと記した道筋を辿って――しかし語られる場合には、これだけのことも通常は振り返られず、もっと滑らかな物語として語られるのだが――なおす側の方は、いまやなおすこと(キュア)至上主義から脱却しているのであって、「障害の受容」さらには「死の受容」を援助しているのであり、進化し、総合化し、全体を捉えるようになっているとされる。すくなくともその道を歩もうとしていると言われる。なおすこと、その限界を知り受容する(受容させる)こと、そのどちらも否定されることはない。相伴うことが必要だとされる。そしてたしかにいちおう話の辻褄は合っている。
 では、キュアやケアを受け取る側の方はどうか。一方でなおることが求められ、他方でなおされることに対する批判があった。そしてそれは患者/障害者という線にも関係し、そこに対立があるかのようにも見える。つまり、患者とはなおりたがっている人たちのことであり、障害者とは障害にいなおっている人たちのことであるというわけだ。こんなふうに、援助職の側がより包括的で総合的な援助をしようしているというのに、「本人」たちの陣営の方は分裂している、さらに仲違いしている。そのように捉えようと思えば捉えられるかもしれない。
 どうなっているのか。以下、すべて言わずもがなのことではあるが、もしもの誤解があるといけないから、いちおう、確認しておく。
 なおること、もとに戻ることをめぐる齟齬・対立は、『現代思想』に掲載された山田真へのインタビュー(山▽123 山田・立岩[2008])で山田が語っていることにも出てくる。森永砒素ミルク中毒の被害者が全障連(全国障害者解放運動連絡会議)の大会に行って、自分たちは「体をもとに戻せ」と主張しているのだと言ったら、その大会に来ていた人たちにひどく批判されたという話である。これと同じことは水俣病の被害者とその表象をめぐってもあった。患者たちの悲惨を訴えるのだが、しかしそれだけでよいのかとも思えたのである。また、原発に対する反対運動において、障害をもつ子が生まれる恐れを掲げて反対することがよいのかが問われた★12
 このことには様々が関係していて、その全体を描くのはそう簡単ではない。ただそれでも、ひとまず単純に言うことはできる。つまり、その人にとってよいもの、わるくないものは残せばよいし、よくないものは除けばよい。もちろん、そう簡単でないと述べたのは、人が思うよしあしには様々な事情が絡んでいるからだが、それでもこのことは言える。おおむね、人は苦痛や死を避けたいとは思う。他方、生活上の便不便については、必ずしも自分の身体を動かして自らが行なった方がよいとはならず、むしろ他人にやってもらった方がよいことがある。また、苦痛の有無や便宜に関わることとは別に、身体の違い、異なりとして存在し、簡単によしあしとつなげない方がよい部分がある([2002d])★13
 ここから見たとき、とりわけ一九九〇年代になって盛んになった「寝たきり」をめぐる動向はどのように捉えられるか。
 そこには縛られたり褥瘡を作らされたりがあったのだが、そんな痛いこと辛いことは当然いけないことだとして、ここではそれを身体の位置のことであり姿勢のことである、としよう。水平に身を横たえていることと座っていることあるいは立っていること動いていること、そのいずれがよいか。これはいちがいに言えない。たとえば、どうせじっとしているなら、椅子(車椅子)に座っているより横になっている方が安楽でよいという人はいるだろうし、またいてかまわない。
 ▽124 ただ一箇所にいるばかりでは退屈であるかもしれない。(実際にはこれもよくわからない。例えば、ただうつらうつらしている、そのように見えるそのことがどんなことなのか、そうわからない。)いつも、あるいはたまには動きたいことがある。いつも見ているものと別のものを見たい。そんなことはあるし、もっともな欲望でもある。するとどうするか。どんな手段を使うか。大きくは二つである。自分の体を動かす(動かせるようにする)か、あるいは別の手段を使うか。そして両者はそうはっきり分かれているわけでもない。起き上がるのに手を貸してもらうと、あとは自分で車椅子をこぐことができる、等★14。また、寝たまま移動することも、車椅子よりはいくらか場所をとるのではあるが、できないことではない。
 どちらがよいか、にわかには定まらない。ただ、自分で動ける状態を維持するための、あるいはその状態に戻るための自らにおける負荷を算入しても、訓練でいささか痛い思いをしても、自分で動けるようになった方がよいということはありそうだ。例えば加齢にも関係し脳血管に関わる身体の不随意の場合、早期の(狭義の)リハビリテーションに効果があることは事実であり、もろもろの代償を払っても、その方がよいということはありうる。そして、この場合にはそれを始めるのは早い方がよいともいえる。
 他方の医療やリハビリテーションに対する批判は何を言ってきたのか。まず、効果がないこと、支払うものに得られるものが釣り合わないことが問題にされた。例えば脳性麻痺について言えば、すくなくともこれまでなされてきたことのすべてに顕著な効果があったのではない。しかしそれは行なわれた。そして早期の治療・療育がよいなどと言われて、子供のころ、何をされているかもよくわからないまま、苦痛の中で無駄なことをされてきた。ただそれはまた、本人が支払い失うものが多くないのであれば、また受け取るものが本当にあるのであれば、肯定されてよいことがあるということでもある。
 両者は基本的には矛盾しない。ただ考えておくべき点は残る。その人の損得をどのように評定するか、今その人▽125 にある損得の計算をそのまま認めてよいのか。これから述べる他人たちの損得を併せて考えるなら、さらに複雑になるのだが、当人のことだけ考えても、これはときに難しい。はたからみても、この人はなまけすぎだと思えることがあり、がんばりすぎだと思えることもある。そんなことをどう考えるかである。
 だから、何をしたところでどうにもならない人たちの方がすっきりしているとも言える。動かないものは動かない、それはそれで終わりとして、次を考えることができる。ただ多くの人は、幸か不幸か、やればなにかしらの効果があることはある。その可能性を否定しきれない。勉強をすればいくらか勉強ができるようになったりはするのだ。いくらかがどれだけなのかはわからないし、何がどれだけ効いたのか、事後的にもはっきりしないことはある。このようにはっきりしない中で、どうしようかということになる。
 やればある程度はなんとかなりそうな、しかしそう積極的でない人に対してどう言うか。いったい甘すぎるのか、きつすぎるのか。この問いに対する具体的な答は一意に決まりようがない。ただ要点は単純である。つまり、自分の身体がなおることがどの程度のことかをわかっている必要があるという、ただそれだけのことである。それはよいことであることもあるが、なによりもよいことというほどのことではなく、自分をなおすこと自分ができるようになることよりほかの手段を使った方がよいことが多々あり、その場合には後者を選ぶことをためらうことはないということだ。
 実際には失敗することがあり、また多くは半端にしか成功しない。それでがっかりするのはいたし方ないとしよう。ただ、それが自らに対するあるいはその人たちに対する否定的な価値付与、扱いに結びつくことがある。よくしたり、保ったり、予防したりすることが推奨され、本人もその気になってやってみて、それが結局だめだったら、失望し、自分を否定してしまうことがある。さしてよくなるわけでもないのにさせられ、それだけでも辛いのにうまくいかず、その上自分が否定され、自分が自分を否定してしまうようになってしまう。それを嫌った人たちがい▽126 るのはまったくもっともなことだ。では、その可能性を有する行ないは行なわない方がよいのか。そうではないだろうと、私も、ごく常識的に答える。ただし、行なってよいことであるにせよ、あまり持ち上げることはない。命と天秤にかけることではさらさらないことをわかっておく必要はある。
 なおすことと居直ることは、基本的には矛盾したりしない。ともに支持できる。しかしそれは、いま述べたまったく当たり前のことを確認して行なわれねばならない。そして、ただそのことを言うだけでなく、実践と機構とが編成されねばならない。口先だけなら、できなければできないで仕方がないと言うことは簡単だ。実際その程度のことならよく言われる。だが、その仕方がない時に生きていけるのでないなら、どうしようもないということだ。

 2 なおす/とどめる:援助者他において
 「なおすこと」「受容すること」のいずれかが、あるいはいずれもが間違っているか。二つをもってくることは間違っているか。そんなことはない。どちらも大切であり、そして両者は両立する。問題はそのこと自体ではない。ときに不要なものを与えられ、ときにほしいものが差し控えられてしまうことが問題なのである。
 そのずれは誤解に発するものなのだろうか。そんなこともある。このように考えるのが普通だろう、当然だろうと言うと、はじめて気がついた、たしかにそのとおりだと言う人もいるにはいる。しかし、ではわかれば、わかりさえすれば、事態は収まるべきところに収まるのかといえば、そんなことにはならない。
 例えば「障害受容の概念」を正確に理解さえすれば、それでよいのかといえばそんなことはないということだ。その考え方がよいものであったとしても、その言葉の定義をそらで言えるとしても、それは別様に使われることがある。人がいる場、言葉が発せられる場がどの方向に力のかかっている場であるのかということである★15
 ▽127 二つあったとして、どちらが通るか、通りやすいか。それは相対的な力関係のもとで決まる。本人の「わがまま」が通る場合もあるが、そうでない場合がある。どのような状況のもとでどのようになりがちであるのかということだ。
 もちろん当人にとっての利害と周囲にとっての利害とそう大きくは違わないこともある。つまり、なおすことは自分のためにであり、それが同時に他人たちのためでもあることがある。またしかじかの身体の状況を自らが受け入れ、そのことで周囲も手間がかからずに助かるということもある。いつもそうならそれでよいかもしれない。ただそんなことばかりではない。ずれることがあるのだ。それは、知らないということではなく、すくなくとも知らないというだけのことではない。むしろ場の構成による★16
 (1)まず、周囲の人たちは、負担、すくなくともその人の身体に関わる負担を自分たちで引き受けるわけではない。だから、その部分を軽く見る傾向がある。本人は痛くて辛いのだが、それでもがんばれと痛くない人は言えるし、実際言ってしまうことがあり、その方向に人を向かわせる傾きがある。
 (2)次に、なおるためのことを行なうことが仕事である人たちがいる。その人たちはそれを大切なことだと思う傾向がある。そこで多くのことをし、多くのことをさせようとすることがある。「近代医療」と「過剰」とをつないで批判する人たちが見ているのは多くここの場面だ。その人たちは自らの信じること、自らの流儀をどこまでも押し通してしまう、そこがいけない。そう批判者は言う。
 (3)そして、それが収入につながるとなれば、なお行なおうということになる。そして、ここでは成果があがることが期待されてはいるのだが、とくに医療の場合には、何がどれだけ効くのかわかりがたいことがある等の事情で、不要で過剰な供給がなされることがある。ここではなおすこと自体が目指されているというよりは、それを行なっている(とされる)ことに伴って得られる利益が目指されている。前節で老人医療の無料化がなされた時に示され▽128 た懸念を紹介したが、それもこのことに関わっている。
 直接の供給者だけを見ても以上の要因が関係している。
 (4)さらに、その周囲にとっての得失がある。早めになおってくれれば、あるいは病気にかからないでくれれば、その人のためにかかる費用は全体として安くなるかもしれず、その人は働けるようになるかもしれず、また伝染する病気であれば他の人たちがかからずにすんで、それもまたよい。
 以上は、促進する要因、なおすため、あるいは予防するために多くのことをなしてしまう側の要因ということになる。すると、痛い目に遭うのは自分たちなのだから、このことについて、あなた方に決めさせるわけにはいかないと主張することになる。これはまったくもっともなことだ。けれども、以上だけ、あるいは以上の一部だけを取り出し、「過剰」だけを言うと、現実のもう半分が落とされてしまうことになる。実際には、たしかに一方では医療はなおそうするのだが、他方で、それが不可能なことがあること、そのことを「受容」することを勧めもするのである。また、さらに近くにいる周囲の人々も、ある時には押しつけがましいのだが、ある時には同じ理由から逃げていきもするのだ。
 (5)まず、治療やリハビリテーションに伴う苦痛を周囲の人たちは直接には感じないと述べたが、同時に、それがもたらすよいこともまた直接に受け取るわけではない。
 (6)その人たちが自分の仕事を貫き押し通そうとする傾向があることを(2)で述べた。ただ、それはその仕事をしてうまくいく場合、うまくいく可能性がある場合のことである。自らの技が有効でない場合には、むしろ、その同じ「本性」からして、そこから手を引こうとすることも考えられる。仕事のしがいがないからしない、あるいはやめる。こんなことがまたいくらもあることも私たちは知っている。効果的な手段、すくなくとも決定的な手段はないことがある。また、加齢に伴う様々な症状はあまりに多くの人のものであり凡庸な状態であり、自らの腕を振るう▽129 仕事の対象としておもしろくはないといったこともある。
 そこでまったく撤退してしまう場合もある。医師の多くはそれができる。たださらにつきあわねばならない職種の人たちもいる。いる場によっていてほしい人間の類型も異なってはくるが、おおむね、適度になおるつもり・意志があり、しかし同時に、あるいはその営みが終わった後では、適度にあきらめられる人が扱いやすいということになる。こうして「受容」が推奨される。それがうまくできないと「受容ができていない」ということになる。うまくいったときにはそれは治療者の手柄でもあるのだが、うまくいかなかったら、それはその人に受け入れてもらう。受け入れられないのは、そしてそのために援助する側を攻撃したりするのは、その人の「受容の失敗」ということになる。なかなかうまくできている。
 (7)そして、患者/障害者のために働くのはそれ自体としては面倒で辛いことでもある。だから、その人たちは、仕事をしたくない人たち、手を抜けるなら抜いた方がよい人たちでもある。これは仕事を控える方向に作用する。そこで(3)対価を払う、払うしかないということにもなるのだが、それは、収益とは言わないまでも収入が得られない仕事であれば撤退する、撤退せざるをえないということでもある。また支払いを受け取りつつ手を抜けるのであれば、手を抜こうとするといったこともある。
 (8)手間がかかったり生産が妨げられたりするから病気にかかったり障害を負ったりしないでほしい、かかったら手早くなおってほしいと思うと(4)で述べた。それとまったく同じ理由で、医療やその他の様々が控えられるということがある。この社会では、直接の仕事の担い手と、その人たちの仕事に金を支払う人たちが分かれている。その支払いを少なくしたいと思う、とくに支払ったとしてもさほどの益が期待できない場合には少なくしたいと思うとしよう。そこで金がかけられなくなったとしよう。すると・07を経由して、なされることが控えられることになる。
 すくなくとも――と言うのは、以上のいずれからも説明されない、その人になおってほしいとか、助かってほし▽130 いとか、痛みが減ってほしいといった思いもまたあるからだ――以上のような要因が関係して、行なうこと/行なわないことの線が引かれること、変更されることは見ておく必要がある。そしてここにさらに、第1節にふれた業界間の綱引きが絡みもする。
 全体の一部を取り出して、そのことの問題だけを語るのは、認識として間違っているし、すくなくとも結果として、その現実をさらにずれさせていくことになる。なおそうとしてしまうという面だけを見て、そしてそれをさらに医学・医療(者)の本性のようなものとしてだけ捉えるなら、それはたしかに現実の一面を捉えてはいるのだが、別の力学を看過してしまうし、問題の解決はその単純な裏返しということになる。(実際にはそうもならない。というのも、今までの医療の限界を自覚し反省して、別様に対応してくれる医療者がそこにいてくれるから、結局医療の内部にとどまることもできるということになるのである。)

 3 寝たきり/自立
 その場の編成が問題だとした。その場の中での言葉の使われ方が問題だとした。だから言葉だけをあげつらっても仕方のないところはある。ただそれでも、言われたことをみていこう★17
 『昭和六三年度厚生科学研究特別研究事業・寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究・研究報告書』(厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課[1989][1990]に収録)の表一六「日本と欧米の文化的背景の違い」があって、「日本/欧米」が対比されていて、「自己意識:依存「お世話になります」/自立「自分のことは自分でする」」、「家庭での老人観:古希をあがめる/自立を援助する」となっていることを、前節3で――他の項目がどう書かれているかも含めて――紹介した。
 ▽131 まず、はたして、こうして「海外」を参照しつつ推進されていく「ねたきり老人ゼロ作戦」において図式化されるように、この国において「依存」が肯定されてきたのか。これもずいぶん疑問だ。性差の要因も関係しつつ、明治・大正生まれの多くの人たちにとって、なにより「自分のことは自分でする」は大切にされもし、そしてそれは昭和生まれの世代において薄まったかといえばそれもそうではない。では他方、「欧米」についてはどうなのか。彼の地、とくに北西の方にそんな教えがあり、それを信じる人たちが相対的に多いということは言えるのかもしれず、その全体を否定しようとは思わない。ただ、そこにも様々な人がいるだろうに、とは思う。そして、その教えにしても、その基本を維持しつつ、例えば頭さえ働くならあとは他人にやってもらってよいのだという教えに変換されることもあり、実際それこそが「自立」なのだと主張されもしたのだ。自分で動けること、自分で自分のことができることが自立では「ない」ことが、はっきりと言われた。例えば第2節で言及した人たちであれば、大熊由紀子はそんな主張をし、そんな生活をする人たち、例えばデンマークの筋ジストロフィーの人について、多くの書き物を書いているから当然そのことを知っているのだが、この時期の他の高齢者関連の本には、すでに(そのような教えの方が都合のよい人たちにとっては)常識となっている「自立概念の転換」は出てこない★18
 「悪徳老人病院」批判を真摯に受け止め、同志とともに老人医療の改革を実行した病院長の一人に大塚宣夫がいることを第2節3項(一一七頁)で紹介した。そして、ヨーロッパの施設では終末期の「差し控え」がなされていることを確認し、そしてそれを自分のところでは導入できていないことを述懐する部分を、その著書から引いた。そこで中略とした部分が以下。

 「「自分で食事ができなくなった老人に対して、口の中に食事や水分を運んでやるが、それを飲み込めなくなったら、それ以上の手段は講じない」、この考えの中には、最後の最後まで、個人個人に選択の余地を与える、あるい▽132 は自分で決定するチャンスを与えるというヨーロッパ流の個人主義が息づいているように思えます。
 これに対して、わが国では、老人の終末の形は、老人本人の意思には関係のない形で進められます。」(大塚[1990 : 135-136])

 もちろん、「手段を講じない」のはそれ自体としては本人の「決定」ではない。ここはいったいどうなっているのか。考えられるのは、「講じさせない」ことを自らが決定し、その決定に人を従わせるということだ。まずそのように理解してよいのか。そして実際そうなっているのか。仮に自分のことを自分でするという意味での「自立」についての教義を深く信じていたとしても、腹が減った時でも食を求めるなどするものでないという教義をどの程度守れるものなのか。そして、仮に彼の地の実態はそうであるとして、すくなくとも正統とされる教義はそのようであるとして、それがよいことであるかどうかはまた別のことだ。
 大塚はそのことを述べている。いま引いた文章の後、次に引用する家族のことに移っていく。そして日本では家族が決めるのだという話も含め、また「一日を横になって過ごすことへの評価」も含め、「どちらがすぐれているというよりも、文化の違いというべきなのでしょう」とまとめられる★19。第2節3項(一三二頁)でもこの部分を引用した。
 ただ、その大塚も研究班員として参加した研究の報告書の方ではそのようには言っていないし、その後のことは知られている通りだ。「現場」の人は、どちらがよしといちがいに言えないことを知っていて、そのことをよく言う。そのとおりであると思う。しかしそのことと同時に、一つが採られることがある。一つの方角に向かうことがある。一九九〇年版『厚生白書』の「「ねたきり老人ゼロ作戦」の展開」という項目は以下のように書かれている。

 ▽133 「高齢者対策の進んでいる北欧等においては、自立を支えるという観点から、ねたきりにしないことに重点が置かれているため、我が国と比較して、ねたきり老人の割合が極めて少ないものとなっている。
 また、我が国では、従来ねたきりは高齢者には避けられないものと受け取られているが、介護を必要とする高齢者の自立を助け、生活の質を高めることができるようにするためには、介護を必要とする高齢者ができることとできないことを見極めた上で、可能な限りねたきりにしないための対策を推進していく必要があると考えられる。
 こうした観点から、「寝たきりは予防できる」ことについての意識啓発を行うとともに、脳卒中等のねたきりの原因となる病気の予防、適切なリハビリテーションの提供、在宅の保健、医療、福祉サービスを円滑に提供する情報網(脳卒中情報システム)の整備等を内容とする「ねたきり老人ゼロ作戦」を展開している。」(厚生省編[1991 : 62-63])

 よからぬことであると思わない。ただ、そのよからぬことでないことがどのような場に置かれるか、様々ある道の何が表に現われ、何が表に現われないままなされ、何がなされず、何が語られ、何が語られないかである。もう一つ、延命を望む家族/望まない当人という語られ方を紹介し、やはり言わずもがなのことを述べる。

 4 控える本人と控えさせない家族という図
 本人の周りには様々な人がいる。財の直接の提供者(ここでは医療や福祉サービスの担い手)がいる。おもにその人たちのことを前節で述べた。それ以外の人たちがいる。直接には無関係という人もいるが、その人も税負担というかたちで負担する人でもありうる。そして家族がいる。
 ▽133 家族の振る舞いはどのように捉えられるのか。

 「前々からの希望で、治療の手段が何もなくなって、衰弱が進み、いよいよという時点に達したなら、自宅で過ごしたい、とういのがお二人の一致した考え方だった。[…]
 ところが、これだけ自分の考えをしっかりもった人たちでも、個人主義を貫くことは難しかった。それがこの国の現状、平均値ということだろうか。親戚が見舞いにきては、「この状態で医者にもみせず、病院にも入れないとはなにごとか」と囂々の非難が夫人に浴びせられた。夫は夫人一人の大切な人でない。結局はそれらの人々の反論に屈した。
 病人は、見覚えのある個室で目を覚ました。酸素吸入が施され、彼の体には点滴、フォーレ、心電図と複数のチューブがつながれていた。
 「どうして、こういうことなってしまうのだ?」
 弱々しいながら、腹立ちまぎれのため息がもれる。不本意な最期はただただ気の毒だった。
 いわば冠婚葬祭要員としての親戚に押し切られたかっこうで、時間をかけ熟慮した二人のプランは生かされなかった。納得のゆく終末期医療については、個人の意志だけではどうにもならない部分があるようだ。」(竹中[1995 : 227-228])

 著者の竹中文良は次節で紹介する「福祉のターミナルケア」という報告に関わった医師でもある★20。こうした記述はほんとうに多くの書き物に出てくる。

 ▽135 「「どちらかと言えば」どちらを望むのかの意向を、必ずしも本人から聞き出しにくいという事情がある。なぜなら、家族に対する遠慮や配慮によって、本音が語られにくいからである。極端に言えば、日本人にとっては、老人の身体や心が、本人だけのものではなく、家族のものではないかとさえ思わざるを得ない状況がある。そういった思いやりの精神は、確かに日本のよい伝統ではあるが、同時に問題の解決を難しくしている。
 一例をあげれば、一定の介護を要する期間を終え、いよいよ終末に近い状態を迎えたとき、いわゆる「死に場所」としてどこを選ぶか、という問題である。どちらかと言うと、本人は、自宅でのあまり過度な医療行為が行われない状況を選びがちであるが、家族の方は、少しでも長い延命を願って、病院への入院を望むことが多い。もちろん、この背後には、純粋な延命の期待と家族での介護の負担の忌避とが相混ざっている。しかもこの際、本人も、家族への思いやりから、本音を語ることをしない。結果的には、より医療機器などが整備した施設が選ばれることになるのである。
 厄介なのは、国民の中に、医師が「終末の時期」をある程度的確に予測できるという期待と誤解がある点が、より問題を複雑にする。その結果、医療費も介護費用も、やや過大と思われる程度にまで費消されることが多いのである。」(西村[2003 : 187-188])

 これは医療経済学者の記述。ここには家族の負担の回避のために病院へという要素が加わっているが、基本は、周囲の者が延命を望み、本人はそうでもないという把握である。そして、費用、「経済」の問題に話はつながっている。
 そして、これまで幾度か引用した大塚宣夫の著作から。

 ▽136 「わが国では、老人の終末の形は、老人本人の意思には関係のない形で進められます。
 たとえば、食事を飲み込む能力すらなくなった老人に対してどんな手段をとるかの選択は、ほとんどの場合家族と担当の主治医の話し合いで決められます。
 ここでは、老人患者を個人というよりは、あくまで家族の一員として、家族の思いの中で生きる存在としてとらえるきわめて日本的な価値観を見ることができるように思います。
 当病院でも、多数の老人患者の終わりをみとってきました。これ以上どんな処置をしても、けっして助からないだろうと思いながらも、家族があきらめきれず希望すれば、各種の延命のための処置が延々とつづけられる。これがわが国の実情でもあります。
 これは、どちらがすぐれているというよりも[…]」(大塚[1990 : 135-136])

 こうした現実が描かれる文章をさらにいくらでも拾うことができる。実際、そんなことがよく起こる。だから書かれるのでもある。しかし、私が思うのは、そうでないこともあるだろうに、というただ一つのことだ。つまり、家族が控えること、止めることを求めることがある。さらに本人がそれを斟酌することがある。医療に関係する人たちであれば身の回りにそんなことがよく起こることを知っているのではないか。そして家族がそのような側に立つことがあることは――横塚晃一の本([1975→1981→2007])などを出すまでもなく――以前から言われてきたことではないか。振り返れば、誰もが知っていることではないか。とすれば、他に止める人がおらず、本人は無力であったり気弱であったりしたらどうなるか。
 延命と家族とをめぐり決まったように語られることは間違えてはいない。とくに、病院にいてくれる限り、直接にはさほどの負担でないのなら、継続の方に傾きやすい――それはその事情が異なれば傾きもまた異なってくると▽137 いうことだ――かもしれない。しかしことの半分は語られない。それは意図的なことなのだろうか。そうとも思えない。なぜなのかはよくわからない。一つの可能性は、その人たちが、片方の、「延命」を望む人たちの割合が多い現場にいるということだ。命の長いことを望む家族や(こんな場面にだけ出てくる無責任な)親類縁者などを有する人が多くいるところと、そうでない、縁者がいない人、寄り付かない人、去ろうとする人がいるところとがあるのかもしれない。そして、前者の場にいる人は、立派にはっきりと自らの意思を語る人たちを主に担当すると同時に、その人を囲む世間体を気にしたりこの期に及んでの回復の可能性を言ったりする不合理な人たちにも接する合理的な人でもあって、そこから見える現実の方を多く語るということなのかもしれない。
 こうして、医療者と家族とはともに延命を望み、それを強い、本人はそうでないという構図のもとで、ことが語られていく。多くそうした話は、抵抗を受けないことになっている場において、抵抗を受けない。しかしいつもというわけではない。ときに議論は起こる。

4 「福祉のターミナルケア」

 1 「福祉のターミナルケア」
 一九九七年一一月、『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究事業報告書』(長寿社会開発センター[1997])が発表される。この報告書をめぐって、翌九八年にかけて、批判と批判への反論があった。どのくらいの人たちが知っていること、覚えていることであるかわからないのだが★21、振り返っておくことには意味があると考えるから、ご▽138 く簡単に紹介する。
 一つに、その内容が取り上げるに値する。とくに批判する側の批判はなかなかに激しいものであり、双方が相手側は誤解していると言い、批判者はその相手が応答を回避していると批判する。ただ、そうであるとしても、争点は形成されている。たいていは、複雑で微妙な問題であると皆が語るわりには、話はあっさりとし、しすぎているのだが、ここではそうでもない。すくなくとも、どこかの裁判の判決を引用することから始め、安楽死・尊厳死の類型を分類し、終わるといったものではない。
 一つに、この時の場がどんな場であったのか、そしてそれはいくらかでも変わったのか、そのことを考えてみたい。この時には「福祉のターミナルケア」に対して医療の側から――だけではないのだが――反発が起こった。それにどれほどの賛同があったのかはわからないが、ともかくそれはあった。それからたった一〇年なのだが、その間に状況は変わったのか、そうでないのか。批判をした人たち自身はその立場をその後も変えていないが、その他がいくらかでも変わったとすると、医療者も医療を控える方に傾くようになったのだとすると、それはどんなことによるのか。これまで述べてきたことから考えると、一つに、その仕事が収入を得られる仕事として成り立たなくなったからかもしれない。だとすれば、これまで述べてきたことが当たっているということになるのだが、それは、批判者たちの言うことに聞くべきことがあると思う人たちにとってはうれしいことではない。つまり、すべきことがなされるなら(余計なことをしないなら)費用削減の効果があると言われ、それに対する反論もなされるのだが、それでも削減されてしまうなら、その反論も弱くなる。そんなことが起こったのかもしれないということである。そんなことを気にしながら、見ていくことにする。
 その報告書は、長寿社会開発センターの発行で、「社会福祉・医療事業団長寿社会福祉基金助成事業」と記されている以外には、表紙等に記載はなく、長寿社会開発センター著となるが、個々の著者名は記され、各章の筆者も▽139 記されている。(以下情報はかなり圧縮せざるをえない。HPに本稿の三倍程の資料を掲載。「福祉のターミナルケア」で検索すると最初にある。)著者(肩書きは当時)は、竹中文良(日本赤十字看護大学教授)、広井良典(千葉大学法経学部助教授)、桜井紀子(さくらばホーム施設長)、鈴木玲子(日本経済研究センター副主任研究員)、白石正明(医学書院看護出版部)。報告書には記されていないが、『週刊医学界新聞』[1997]によれば、長寿社会開発センター内に一九九六年一〇月に「福祉のターミナルケア調査研究委員会」(委員長:広井)が設置されている。この委員会は、九七年一月にイギリス、スウェーデンでの海外調査を実施した。また、国内での調査も行なわれた。報告書はその成果ということになる★22
 「ターミナルケア」を医療の領域・場所から福祉の領域・場所に移すこと――はたしてそこまでのことが言われたのかどうか、場所とは病院や福祉施設のことなのか、等々も問われるのだが――が主張された。その報告書が発表されると、ある人たちによってたいへん強い調子で批判されることになった。関連して「経済」の問題としても問題にされる。第四章では医療から福祉への移行が経済的に有利だと言われ、そのことに関わる批判があった。二つある。一つ、医療費削減の狙いがあると批判され、そんなつもりはないと反論され、そう書いてあるではないかとさらに反論される。もう一つ、医療から福祉に移した方が費用がかからないという主張への批判が仁木立等からなされた(本章第5節1)。
 まず、批判する側に立ったのは、医師の石井暎禧――第2節4(一二一頁)で石井[2008]の一部を引用した――、医師の・横内正利、有料老人ホーム経営者の滝上宗次郎★23他だった。
 まず一つ、『社会保険旬報』紙上でなされた応酬があった(石井の文章はHPで読める)。まず石井が、同誌一九七三号(二月一日)に「老人への医療は無意味か――痴呆老人の生存権を否定する「竹中・広井報告書」」(石井[1998a])を発表。報告書の(ごく短い文章だが)第一章として置かれている竹中文良「「福祉のターミナルケア」の▽140 課題と展望」([1997c])を批判し、「超高齢者・痴呆老人が、病気になった場合、「医療をひかえ自然の成り行きに任せる」ことが「福祉のターミナルケア」のあり方として提案されているではないか。竹中論文の結論をみる限り、「日本にもナチスはいるんですね」とのコピーに付された友人のコメントを肯定せざるを得ない」(石井[1998a : 6])と、批判された側もそう平静ではいられない言葉を連ねる。
 それに対して、広井が自らの主張の趣旨を述べ(この部分は後述する九八年一月のフォーラムで広井が配布した文書と基本的に同一)石井の批判に反論したのが一九七五号(二月二一日)掲載の「ターミナルケア議論において真に求められる視点は何か」(広井[1998a])。石井が後にまた引用する部分だけ引用すると、「私たちの主張をあまりに誤解、場合によっては曲解するものであり、多くの論点がすれ違いのままに終わっていると思われる」(広井[1998a : 13])、「私たちは、終末期における医療が、「少なければよい」などと言っているのではないし、ましてや医療を否定ないし排除しようとしているのでもない。」(広井[1998a : 14])
 そして次の一九七六号(三月一日)には横内の「高齢者の終末期とその周辺」(横内[1998a])が掲載される。さらに、一九八三〜五号(五月一日・一一日・二一日)と三回にわたり、石井が広井[1998a]を批判する「みなし末期という現実――広井氏への回答」(石井[1998b])が続く。「死は医療のものか」という章を含む広井『ケアを問いなおす』(広井[1997])等にも言及しつつ、再度、やはりかなり厳しく、批判する。そして一九九一〜二号(七月二一日・八月一日)に横内「高齢者の自己決定権とみなし末期――自己決定権の落とし穴」(横内[1998b])が発表される。
 次に、広井は、石井[1998b]の批判を受けるかたちで――横内[1998b]は広井の原稿提出後に掲載された――一九九四号(八月二一日)に「これからのターミナルケアに求められる視点」(広井[1998b])を発表する。そしてその四カ月後、二〇〇四号(一二月一日)に、広井[1998b]に対する反論として横内「高齢者の自己決定権▽141 とみなし末期〈続報〉」(横内[1998c])が掲載される。
 これだけでは何ごともわからないのだが、既に幾度か現われた「みなし末期」という語についての横内の説明だけ引用しておく★24

 「高齢者に特徴的なものとして、もう一つ、みなし末期というものが存在する。
 先に不可逆的に経口摂取不能の状態は老化の末期だと述べたが、実際には可逆的か不可逆的かの鑑別は難しく、治療してみなければなかなか分からない。しかも、可逆的なことのほうがはるかに多い。
 ところが、北欧などでは、経口摂取不能に陥った高齢者に対し、可逆的か不可逆的かの吟味をしないまま、人工栄養も補液も行わないのが普通だという。つまり、不可逆的とみなして、治癒する可能性を放棄しているのである。言い換えると、本当の老化の末期だけでなく、脱水などの急性疾患によって食事が取れなくなった場合でも、医療を施さないということだ。
 このようなみなし末期が容認される背景には、「自ら食べようとしない者に補液などを行うのは非人間的な行為だ」という独特の価値観があると思われるが、現在のわが国では到底容認されるものではない。
 そして、見逃してならないのは、みなし末期を容認するか否かが、高齢者の介護や福祉の問題に大きく影響しているという事実だ。
 みなし末期が容認されれば、その時点でその高齢者の介護問題は解消されるが、容認されない場合は、徐々にADLレベルを低下させながらも長期間生存することになる。つまり、わが国では一人の高齢者に要する介護期間や労力が北欧に比べ、圧倒的に大きいのである。
 しばしば、寝たきり老人が少ないという事実だけを捉えて北欧を賛美する論調があるが、その背後にある問題を▽142 十分に認識する必要がある。
 また、最近「延命治療は無意味」とか、「管でつながれた末期には尊厳がない」などと決めつける人たちが医者のなかにも少なくない。しかし、どんな姿であっても、少しでも生きたい、生きていてほしいと願う高齢者や家族がいることを忘れてはならない。医師はあくまで中立でなければならない。不用意な発言は厳に慎むべきだ。」(横内[1997])

 2 集会/番組/国会
 この雑誌上のやりとりと並行して、二つの集会があり、テレビ番組があり、国会での質疑があった。
 一九九八年一月二四日、「フォーラム・末期医療を考える――老人に生きる権利はないのか」が開催される。この報告書に批判的な人たちの集まりだった。この集まりを呼びかけた一人である向井承子★25は、九七年一二月二九日の『毎日新聞』の「オピニオンワイド」に告知の文章を寄せている。

 「高齢者の医療に詳しい医師たちが「終末期ではないものまで終末期とみなして医療を打ち切る暴挙」と憤るのは当然だろう。だがなぜ、こうも過激な医療打ち切りが提起されたのか。
 報告書は「終末医療費の縮小」のための試算結果を提示。終末医療の是非が医療費削減を目的とした攻策的な文脈で公然と語られる時代が来たのだろう。」

 横内が基調報告――横内[1998a]とほぼ同じ内容のものだったという(石井[1998b])――を行なった後、向井▽143 承子が司会となり、石井、澤田愛子――澤田[1996]等の著書がある――、滝上、光石忠敬をシンポジストとするシンポジウムがあった。そしてここに広井は出席し発言もし、広井[1998a]の一部となった文書も配布している。そして、そこで紹介し、見てもらいたいと述べたのが、次の番組だった。
 翌々日、一月二六日、NHK「列島福祉レポート 老人ホームで看とりたい」で北海道の「とよころ荘」がとりあげられる。すると、石井らはその施設でのケアが優れていることを評価しつつも、そこで行なわれたこととその取り上げ方を批判する(横内がNHK札幌放送局に出した八月一日付の公開質問状が横内[1998b]に、NHKからの八月二五日付の回答が横内[1998c]に掲載されている)。何が問題になったか。
 三月一一日、第一四二回国会衆議院厚生委員会で、民主党国会議員の山本孝史★26が関連する質問をし、厚生大臣(小泉純一郎)が答弁を行なっている。

 「今、関係者の間で静かなブームを呼んでおります本がありまして、「「福祉のターミナルケア」に関する調査研究事業報告書」というのがございます。もう皆さん関係の方たちはお目通しをいただいている本だというふうに思いますけれども、高齢者の末期医療はどうあるべきかということについての議論をあえて提起されているんだというふうに私は思っております。
 そう思っておりましたら、先般、一月二十六日でございますが、NHKの教育テレビで「列島福祉リポート 老人ホームで看とりたい 北海道とよころ荘の試み」という放送がございました。内容は、入居者の八十歳の男性が突然下血をいたします。主治医は胃潰瘍からの出血を疑いますが、本人は入院を拒否をいたします。手術に耐える体力はないだろうという主治医の意見によって入院しないことになりまして、家族は痛みだけはないようにお願いをし、症状を抑えるだけの治療を実施した。その結果、八日後にその男性は老人ホームで亡くなりました。
 ▽144 このビデオを私が見ました限りにおいては[…]番組の制作者は、病院でチューブにつながれて亡くなるというような末期の姿ではなくて、住みなれている老人ホームでみんなにみとられながら亡くなることができる、非常にいい試みなんだという肯定的な評価を下して番組をおつくりになったというふうに受けとめております。
 しかし[…]胃潰瘍を疑われていて、下血をしただけで治療が中止されて老人ホームで亡くなるというのは、これは治療の放棄ではないだろうかという声が一部上がっているわけであります。」

 と始まる。続いて答弁。

 「小泉国務大臣 私は、その患者さんの判断を重視すべきじゃないかと思います、判断があるうちは。ある年齢を過ぎて、場合によっては治る可能性があるんだというお医者さんから十分な説明を受けたとしても、患者さんが、どうしてもそれはしたくない、病院に行きたくない、手術をしたくない、治療はしたくないともし主張をされるのだったらば、その患者の意思というのが最大限尊重されるべきじゃないかというふうに私個人としては思っております。
 それは年齢によっても違ってくると思います。八十の人がそう言うのか、九十の人がそう言うのか、百歳の人がそう言うのかによっても違ってくる。医師の対応も違ってくる。恐らく、その患者さん自身に判断能力があるかによっても違ってくる。しかし、ある程度の年齢が過ぎた場合に、十分な説明を行った場合には、患者の意思が最大限に尊重されるべきだ、基本的に私はそう思っております。
 山本(孝)委員 元厚生省におられました千葉大学の広井先生がいろいろと今御発言をされておられるわけですね。川渕さんも同じような御見解を今厚生省の中で展開されておられると私は受けとめておりますが、ヨーロッパ ▽145 で、老人ホームで経口栄養を受けておられる方たちの姿は余り見ない。それはなぜなのか。それは、社会的なコンセンサスとして、そういう状態になれば治療をしなくてもいいんだというコンセンサスがあるんだ。したがって、福祉先進国と言われているにもかかわらず、北欧諸国の平均寿命は日本よりも低いという状況になっている。医療費も、高齢者にかかわる医療費は日本に比べて少ないということになっている。
 御案内のとおりに、医療費の中で高齢者が占める割合は非常に高いわけであります。ここのところをどう考えるのかというのは、医療費の一種抑制という言葉を使うと語弊がありますが、医療費の伸びを考えていく中でどうしても考えざるを得ないテーマ、そういう意味で問題提起をされたのだと思いますが、患者の判断は尊重されなければいけない、そう思います。
 今申し上げた放送はぜひ見ていただければと思いますが、患者の意思を確認するような状況はありません。その中で、医師がみずからの判断でそのように治療をやめてしまうということは本当にいいのだろうか。ここはしっかりとした議論をしていただきたいと思いますし、この豊頃町の状況というものも、いい悪いの話は別にして、実情をぜひ厚生省としても把握をしていただきたいというふうに思います。」★27

 そして六月六日には、大塚宣夫が会長を務める「老人の専門医療を考える会」――この会と大塚については既に幾度か言及した――が主催してシンポジウム「高齢者の終末期医療――尊厳死を考える」が開催された。一月の集会が基本的に報告書に批判的な人たちの集まりであったのに対して、この集まりでは、広井と横内が互いの主張を述べ、聴衆はそれを聞いて考えるというものだった。他のパネリストは堤晴彦(埼玉医科大学救急救命センター教授)、松川フレディ(湘南長寿園病院院長)、中川翼(定山渓病院院長)。

 ▽146 「「これからのターミナルケアに求められる視点」を口演した広井良典氏(千葉大助教授)[…]は、「死は医療のものか」と問い、「死は医療サービスにより一義的に決められるものではない。個人の判断による死のあり方の『選択』の幅を拡大すること。それを可能とするような政策的支援が重要である」と強調した。
 具体的には、在宅・福祉施設でのターミナルケア、施設や居宅に孤立しないような通所型サービスへの支援などをあげるとともに、「死生観そのものを含めて、ターミナルケアというものを、より広い視点から捉え直す作業がいま何より求められているのではないか」と問題を提起をした。
[…]一方、「終末期医療の検証を」を口演した横内正利氏(浴風会病院診療部長)は、「高齢者の末期については多くの誤解と混乱がある。末期とは考えられない状態までも末期とみなされて議論されている」と危惧を表明。「虚弱・要介護のレベルにある高齢者は、急性疾患などによって容易に摂食困難に陥るが、多くは治療によって疾患が軽快すれば、経口摂取が再び可能となる。しかし、もし治療しなければ死に至ることも少なくない。このような高齢者の摂食困難に対して、それを不可逆的なものとみなして医療を実施しないとすれば、それは『延命』治療の放棄ではなく、治癒の可能性をも放棄することだ」と述べ、治癒の可能性があるにもかかわらず、末期とみなすこと(「みなし末期」)を「国民的合意なしには許されるものではない」と主張した。」(『週刊医学界新聞』[1998])

 3 批判した人たち
 一九九七年に出された『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究事業報告書』(長寿社会開発センター[1997])という報告書をめぐり、論争があったことを紹介した。論争の多くがそうであるように、決着があったわけではない。ただ、この時のこと、その後のことを辿っておいてよいと考えたのである。その報告書では、「ターミナルケ▽147 ア」を医療の領域から福祉の領域に移すことが主張された。それに対して強い調子で批判があった。
 報告書に言われたのはとくに新しいことではなかった。ただ、調査と報告書の発行が、厚生省(二〇〇一年から厚生労働省)の外郭団体によってなされ、その主張が国の施策に結びつくことに対する危機感があっただろう。また、その官庁は、医療と福祉の双方に関わる官庁でもあり、二つの業界の仕事の分掌に関わる関心もここにはあったはずである。
 ただ、ここに起こった対立は、政府・対・反政府というほど単純なものではない。また、医療と福祉の間の綱の引き合いとだけ捉えれられるものでもない★28。文章による批判は、まず『社会保障旬報』誌に掲載された石井暎禧と横内正利の文章によってなされたのだが、この二人は医師である。ただ、この二人とともに批判を展開した人には有料老人ホームの経営者であった滝上宗次郎もいる(二〇〇七年に死去)。そして、すくなくとも石井や横内は、医療の撤退を危惧しながらも、自らの業界をただ防衛しようという方向の主張をしているのではない。そして、石井は医療法人の理事長であり、中央社会保険医療協議会委員を務めるなど、医療政策にも関与してきた人である。滝上も、経済審議会「医療・福祉ワーキンググループ」の座長、政府の行政改革委員会の参与(厚生省担当)などを歴任している★29。ここには「行政改革」をめぐって、自らを守ろうとする官庁と、その抵抗を経験しそれを批判する立場という構図もある。自らの裁量の範囲を維持したい官庁と、それと同様の別の利害をもつ官庁との関係もある。このことは、後にすこし触れるが、介護保険の創設・推進に対する態度にも関わることになるかもしれない★30。こうして、事態は既にいささか複雑であるとも言える。しかし、批判そのものははっきりしたものである。そしてその人たちは、以前から、しばしばいっしょに、同じ主張をしてきた。
 まず高齢者を相手にする臨床の医師としての横内が、実際に即した指摘・批判を行なってきた。とくに高齢者となれば、急激に進行するがんのような状態の変容はそう多いわけではない。なすべき処置を施せばもちなおすこと▽148 はよくある。しかし処置を行なわなければそのまま死を迎えることになる。であるのに、その状態を「末期」と「みなす」こと、そして処置を行なわないことが、ヨーロッパの国々では行なわれてしまっている。そのことを認めるべきでない。それは、医療費・社会保障費の削減を目指す行ないであるとともに、末期とされる状態にある人たちの価値を否定し存在を否定するものである。そして前者については費用を過大に見積もり、危機が誇大に言われている。そしてその前に、後者が認められるべきでない。おおむねこれらのことを主張する。以前から、幾度も述べており、「福祉のターミナルケア」に対する批判も、この一貫した認識、立場からなされている。
 そして、その後も自らの位置を変えていない。石井は、一九九九年の『「終末期におけるケアに係わる制度及び政策に関する研究」報告書』(医療経済研究機構[1999])を批判し、その中で九七年の報告を再度批判し、経済学者の西村周三の見解にも言及し批判する(石井[2001a])。この報告書に対しては滝上[2001]にも批判的言及がある。また二〇〇〇年三月に発表された、「医療費の伸びが経済の動向とバランスのとれたものとなる」ことを求める『医療制度改革の課題と視点』(厚生労働省高齢者医療制度等改革推進本部[2000]、解説を含め厚生労働省高齢者医療制度等改革推進本部事務局[2001]同事務局編[2003])が、三人の鼎談において批判される(石井・横内・滝上[2000])。
 さらに石井は、自らが常務理事を務める社団法人日本病院会の医療経済税制委員会の報告書『制度と政策の変革を目指して』(日本病院会医療経済税制委員会[2001])に関わって、石井[2001b]を書く。その構成は、なぜ終末期医療が問題となるのか/国家と「死の政策」/「終末期医療費」は高額ではなく、「後期高齢者医療」も無駄ではない/「老人終末期医療」という言葉の怪しさ――脳死から安楽死へ、「死」の拡大政策/老人終末期問題とは、老人医療費問題である/「自立・自己責任」の変質/医療と介護の混同/根拠に基づいた改革を。
 そして横内は、日本老年医学会の「「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する日本老年医学会の「立場表▽149 明」」(日本老年医学会[2001])に対しても、高齢者医療打ち切りになる恐れがあり時期尚早として批判する(横内[2001a][2001c])。そしてまた石井らは、医療・病院の経済・経営の実際を調査によって示す(白木他[2002])。

5 限られた場所への移行

 1 医療の経済
 こうして批判は批判としてなされてきた。ただ、事態は批判した人たちが懸念する方向に進んできたように見えるし、批判もその事態の進行に対する批判だった。
 実際、過去どの程度のことがなされていたのか、よくはわからない。ただそれでも、かつて「延命措置」は医療側の仕事として行なうべきことであるとされていた、今に比べて律儀に行なっていたと言われることがある。それが「医の倫理」としてということであったのか、ともかく行なうものだとされ、他の人がすることをまねしていた、繰り返していたということなのか。これもよくはわからない。そして経営という要因が絡む。どんな人たちを相手にするどんな病院かによる部分もあるだろう。それらを一括りにするのも乱暴なことであるにしても、多く「延長措置」がなされた。それが変わってきた。やめてもよいという方向に変わっている。医療者たちが、自らの実感としてそのことを語ることがある。
 ここにどんな事情があるのか。その一つは、いまざっと紹介した人たちが言うとおり「経済」である。ただそこには、いくらか複雑な過程があり微妙なところがあるように思う。撤退が撤退を促す循環的な過程がある。事態▽149 への評価について、いまあげた人たち自身の立場は堅固であるとしても、立場の異なりが時に分明でないことがある。
 金がないから、あるいは他のことに使いたいから、使わねばならないから、そこには回せない。まず、こんなことを、すっきりと、はっきりと言う人たちがいる。このことを正直に述べる人たちはよく、これまでそのことを言うのは「タブー」とされていたが、あえて自分だけはこのことを述べると語るのだが、そんなこともない。同じ語り方をする人たちがそこここにいる。
 けれども、たしかにこの業界内では、官僚たちも含め、そんな人たちは多数派ではない。自分たちの仕事はそれなりに大切にしようとする。すると、費用がかからないことは、そのことを示そうとする人たちにあっても、主要に言いたいことではないことがある。例えば、批判の矢面に立たされてしまった広井は、そんなつもりはなかった、今もないと言う。「「医療や福祉にかかる費用を減らすため」などという、つまらない考えは全くもっていない」(広井[1998a])と応じる。それはその通りだろう。ただ、政府予算が関係するとき――そのすべてではないにしても、すくなくともこの領域はつねに――財政的にも「合理的」であることが示されるなら、そのことを主要な目的とするのでない場合でも、提案される策が通りやすいものになる。財政側、財政に気をつかわねばならない側に、このような言い方で自らの主張を通そうとすることは、「社会運動」の側も行なってきたことだ。例えば米国その他で、脱施設化を主張した「当事者」の運動はこのことを言った。施設を潰して地域で暮らすようにした方が費用が安くすむことを示し、政策の転換を促そうとしてきた。「終末期」をめぐって起こったこともそのように解することはできる。
 そして、このような位置にいる人たちに連続して、もうすこし経済のことをまじめに受け止める人たちがいる。そして、費用・資源を語るその人たちがみな医療・福祉に対して冷淡な人たちであるかといえば、そんなことはまったくない。現状に憤り、批判し、改革を主張する人たちがいる。NHKの記者として悪徳老人病院を取材し批判▽151 を行なった和田努(第2節で紹介)は、その後この方面のジャーナリストを続けていくのだが、過剰な医療を抑止するための制度改定を支持する。悪徳病院告発キャンペーンの後に続いた老人保健法の改正に肯定的であり、不要なことを抑制する手段として、出来高払いを定額制にすることを支持する。さらに、「延命治療」を控えることが「医療経済」の視点からも支持されると言う(和田[2005])★31
 他方、基本的には、かかるものはかかるのだから、かければよい、かけるべきだと言う人たちがいる。例えば石井は、以下の引用の前半で、そのことを言う。

 「日本社会はいかに高齢者を抱え守っていくかが問われている。「国民負担率」や「老人医療費抑制」という言葉の呪縛を解き放って、「すでに起こった未来」の老人ケアコストの増大を数値的に把握し、どこかに無駄があるのではないかという幻想は捨て、まずそれを担う覚悟を決めるべきである。無駄はあるだろうが、その程度では問題は解決しない。国民の覚悟を促すためこそ、医療・福祉の提供者は、その仕事の質を高め、それを可能にする効率的な社会的システムを提案していかなければならない。その過程で誤った既得権を捨て、制度の合理的改革を身を切る覚悟で行うべきであろう。この点では医療者側にも責任の一端がある。」(石井[2001a])

 そして、この原則の表明とともに、実際にはそうかからない、言われているほどにはかからないという指摘・主張がなされる。福祉への移行を主張する人たちは医療にかかる経費を過度に多く見積もっており、他方で、福祉の方にかかる費用を低く見積もっていると言うのである。いま引いた文章も、このことを指摘する文章の末尾の部分である。これらではもっともなことが言われていると私は思う。
 また多くの著作のある二木立も、この論争に言及し、報告書の主張が誤っていることを指摘する。

 ▽152 「本報告書第4章「ターミナルケアの経済評価」(鈴木玲子・広井氏執筆)は、定義・将来予測・仮定がきわめて恣意的で、費用計算の方法も粗雑であり、結論(死亡場所の大幅な変化――病院死から自宅死・福祉施設での死亡へのシフト――により、二〇二〇年に一兆円もの医療費が節減できる)は、誤りである。以下、その理由を示す。」(二木[2000 : 160-161])
 「現実に即して終末期を死亡前一ヵ月間に限定すると、わが国の終末期入院医療総額(老人分+「若人」分は一九九八年度で七八五九億円であり、国民医療費のわずか三・五%にすぎない。これは、厚生労働省の外郭団体である医療経済研究機構が発表した『終末期におけるケアに係る制度及び政策に関する研究報告書』(二〇〇〇年)が行っている推計である。[…]終末期医療費をめぐる論争には決着がついたと言える。」(二木[2001 : 190]、報告書は医療経済研究機構[1999])

 ただそれとともに二木は――いま引用した文章でそのことを明示しているのだが――それ以前の著作で、北欧諸国では延命治療がなされず、結果「終末期医療」にかかる費用が抑えられていること、このことをふえまて将来のことを考えるべきであるとも述べる★32
 こうしてやはりそれほどすっきりとはしない。そこで「原則的」になって、かけるだけかければよいのだと言い張ることはできよう。しかし、様々の見解の異なりもありながら人々がまじめに資源のことを考えている場で、そんな話は無視されるかもしれず、反感を買うこともあるかもしれない。そこでまた、もっと現実的な話になる。実際にはそうかからないと言われる。しかし、それでもかかるにはかかる。ある人たちは同じ金額をさほどでないと言うが、そうではない、それはやはり随分な負担だと言う人もいる。そして、そうはかからない人にとっても、現▽153 状が十分などということはないのだから、もっときちんとしようとすれば、さらにかかることにはなる★33
 とすると、再度、結局、事実を事実として、予測を予測として示し、過大な予測についてはそれを批判しつつも、基本的にどのように考えるのかを言うしかないということになる。それ以外にはない。そこで、私もいくらかのことを言おうとしてきたのだし、そして、それは終わっていないのだった。

 2 結果、生ずること
 ただ現実は議論の当不当とは別に動く。削減が実行されていく。費用の伸びを抑えることが目標にされ、そして批判が利用されるといったかたちで、病院で行なわれてきた「終末期医療」に金がかけられなくなる。するとそれは何をもたらすか。
 医療を医療に引き止めてきたのは、むろん医療者たちの信念や心情や惰性その他も無視できないとして、それに支払いがあったからである。けれども、医療批判にも連動して支払いの仕方が変わっていく。予算(の伸び)を抑制しようとする政策のもとで、収益があがらない、すくなくとも経費のまかなえないことから、行なわない行なえないという状態が作られていく。すると、かつては少なくともそれで経営的に損はしなかったのだが、それがそうでなくなる。病院にとってもわりに合わない仕事になる。そのことによって、撤退、差し控えの方に向かう、向かわざるをえないことになる。
 それでも、原則的な立場を堅持する人たちはいる。前節から本節前項でとりあげてきた人たちは、そういう意志の堅固な人たちである。けれども、皆が皆そのように振舞うということにはなかなかならない。なりにくい。
 かつて福祉の方への移行・委譲を警戒し、経営に資するあるいは経営を支えるあるいはすくなくとも経営を害さ▽154 ないものとしての医療の削減に抵抗してきた医療の側のその力は、弱いものになる。もう既に事実としてわりに合わない仕事になってしまっていて、それを今さら動かせないとすれば、それにこだわっても仕方がないというのである。このところ医療の側からの「差し控え」や「中止」に対する批判がさほど強くないように思われるのにも――すべきでないことをしてこれまでしてしまっていたことを反省してという契機があることを否定しないとしても――このことがいくらかは関係しているのかもしれない。

 3 あらかじめ限られている福祉への移行
 このようにして縮小していく。また縮小に向かう動きへの抵抗が弱くなっていく。代わりに目指されるとされた福祉の方はどうか。
 医療と福祉とを分けるとして、この国で福祉の部分が弱いことは明らかであって、このことは誰もが認めることだった。医療の後退を認めないとした人たちにしても、福祉の方が増えることは認めるし、全体の中での割合として福祉の割合が増えることも認めるだろう。多くの人がこの点では一致していたし、一致している。
 介助/介護の「社会化」を推進しようとする主張は以前からあるが、とくに一九九〇年代に入って、「高齢化」を枕に置いて、高齢者介護について公的介護保険の創設が目指された。行政官庁や政党・議員やメディアに推進する動きがあり、紆余曲折ありつつ、二〇〇〇年度から始まった★34。ここでも業界の間の綱引きはあったし、医療業界は結局とるものをとったとも言える。ただそれでも、それは総体として福祉の部分を増やすことではあった。
 なにもないよりよかったと思うから、その意味で、私はこの制度を肯定する。ただ、人々の真剣でまじめな思いによって実現されたものが作り出した条件がある。このことを確認しておく。
 ▽155 紹介してきたように、そこでデンマークやスウェーデンが模範とされた。この時、彼の地で実現しているものが、「終末期」の部分を切り落とした上でのものであるといったことを述べた人は、多くはない。デンマーク他に行って、その国々の仕組みが優れていることを言う著作がこの時期数多く発表されており、それと介護保険を推進する主張とは連動している。知る限りでは、それらに、このことに関わるまとまった記述はない★35
 どうしてか。それを詮索しても仕方のないところはある。たんに気がつかなかったということもあるだろう。ただ、全体としてその費用はそう多くはかからないはずだという予測は、「国民の合意」を得て、制度の実現にむけて前進させる方に作用することにはなる。原則的なことを言うことは、かえって制度の立ち上げを遅らせてしまう可能性があること、実現を抑止してしまうことが懸念されても不思議でない。例えば一定数以上の人たちがとんでもないと思ってしまうような予算規模、一人当たりの負担額が提示されるなら、抵抗はより大きくなるかもしれない。それほどでない額でサービスが供給されるということであれば、支持は得やすい。その人たちは本当に社会のよいあり方を求めている。ただ、経済的「にも」わりがあうという言い方は、受け入れられやすいのだし、言えるのであれば、それを言おうということになる。介護の問題を様々に深刻に語りながら、その打開策としての介護保険は明るく語られるのがよい。保険として、「共助」の仕組みとしてそれは推進される。
 他方に、北欧における「差し控え」「中止」について記している人もいたのだった。そうして書かれたものはもうすこし専門的な読者に向けられたものであったかもしれない。そのようにして、先進国においてもなされていることに「限度」があるらしいという話、ある部分を削って他の部分を成り立たせているのだという話は、伝わるところには伝わる。その人たちは、他の人たちより経営や経済のことを気にかける側の人たちであり、実際にそのような仕事に関わる人たちであって、その人たちにおいては、それはそれで仕方がないことなのかもしれないという受け止め方がなされたのかもしれない。
 ▽156 老人病院の院長の大塚宣夫が北欧に出かけて見てきた事実を書いたのを第2節で紹介した。そうした場合にしばしば文化の差として括られるその差異、個人主義・対・集団(家族)主義という差異は、いささか大括りに過ぎるし、家族は延命を希望するに決まっていて本人はそうでないといった話も単純にすぎる。このことも述べた。ただ、それでも差があることは、認めるとしよう。次にその大塚は、かの国とこの国とどちらがよいともいえないと言うのだった。けれども、そうした人を研究班の一員とする報告書では、依存よりも「自立」が推奨されることになる。
 このように、事実として差異があることが指摘されるだけでなく、いつのまにか、向かうべき方向が示され、方向づけられる。ただ、ここで考慮すべき様々――どれだけの負荷のかかる行ないがどれだけの効果をもらたすのか、等々――を省けば、予防や「自立支援」自体がいけないことだとも言えないだろう。強くとがめだてられるようなことではないだろう。そして、こうした手立てが有効でなくなった人たちを切り捨てるとは言っていない、それはそれで対応すると、推進する側は言う。さらに、予防策等を行なって、その部分で費用を軽減できるなら、その分を、介助/介護の本体の方に投ずることもできると言われる。こうして、問題はないではないかということになる。
 しかし、「自立」がかなわなくなったならば、どうなるのか。どうするのか。このことに注意を喚起した人もいたのだった。手本とされる北欧の国々では、なされるべき――とその人たちが考える――ことが行なわれていない。そのことが「込み」になって仕組みができている。このことを隠すべきでないし、そのことを抜きにして礼賛すべきでない。そのことを隠したまま、彼の地を模倣した制度を追求すればよいというものではない。そのことを主張する。さきに紹介した報告書発表の前からその指摘は幾度もなされるが、介護保険の開始の前後に出された文章としては、「北欧の高齢者医療はなぜ日本に正しく伝えられないか」(横内[2000])、「(続)介護保険はなぜ失敗したか――二一世紀の社会保障制度とは」(滝上[2001])などがある★36
 それは当時、どの程度知られただろうか。私は知らなかったが、知った人たちもいたのだろう。そして、私は、▽157 これらの指摘・批判は重要なものだったと考える。ただ、それはまず医療を控えることに対する批判であり、ここでは「福祉」が主題になっているのなら、ここで指摘され論じられた対象自体は、ここで為す/為さないが議論されたり決められたりすることではない。
 それでも、「末期」も含め、医療も含めて、その上で総体が決まるのだから、どこかを省けば事態は変わってくる。なおこのことは言えよう。しかし、ともかく今よりはよいものを始めることはよい、最初から大きなものを示したらその実現は困難になってしまうと言われれば、それはそうだということになる。

 4 結果、生ずること
 ともかく制度は実現された。ここでも、その結果がどうだったか、効果として何がもたらされたかである。実施された介護保険の制度は、そもそもの制度設計から、需要に対応できるようなものではとうていなかった。在宅の部分は家族におおいに依存したものとしてあった。少なく始まり、そして、その後増えることもなかった。もう一度繰り返せば、それでも、ないよりはよい、よかったとは言えよう。ただ実際に足りない。
 この中で、より多くを必要とする人たちは、別の制度を使わなければ生きていくことができない。この制度は、高齢者を対象としそれにいくらかの例外を加える制度として成立したから、そこから外れた人たちは、それ以前からあって残った制度を使うことになる。また、介護保険にいったんは積極的で、その制度に入れてもらって、その制度を使えることになった難病の人たちも、介護保険の制度だけてはとうてい足りないことに気づき、別の制度を併用せざるをえず、その別の制度の維持・拡大を求めることになる。ただそうしながら、幾度か、介護保険への統合が――むろん、特に必要な人についてはいくらかの特別扱いの枠を含むものではあったのだが――提示され、反▽158 対が起こり、といったことになる。この経緯について簡単に述べたことがある([2003b][2004i][2005g])。
 「終末期」について、医療からの移動が言われたのだった。しかし、医療でしか対応できない部分を別としても、この制度による対応は不可能、すくなくともとても不十分である。となれば、もう一度、医療の方に戻ることになる。しかしさきにみたように、医療の方でも受け入れる余地は少なくなる。
 両者の業界の仕事の取り合いは、仕事としてわりがあう仕事である限りにおいて、生ずる。しかしそれが変わった。どちらも取ろうとしないということになる。いつのまにか、人はそうして作られた制度のもとに生きて死ぬことになる。
 こんなことがあったのだと思う。格別の悪意があったわけではない。むしろ現実の改善・改良が志向されながら生じたところもある。次節では、この長い迂回の最後として、なぜ撤退が認められることになったのかについてのもう一つの契機、それを空隙とすることが当然のこととされたことについて、あるいは空隙としてみられなくなったそのことについて、検討する。病気をなおすための行ないとケアと総称される行ない以外にはすることがないかのように語られるのだがそれは間違っている。このことを述べる。

6 大勢の形成

 1 調査
 一九八〇年代から幾度か意識調査が行なわれた。そしてその結果が様々に知らされる。
 ▽159 まず厚生省(後に厚生労働省)に、ほぼ五年の間隔をあけて検討会が置かれている。その二度目から世論調査・意識調査が行なわれる。最初は「末期医療に関するケアの在り方の検討会」という名称のもので一九八七年から。座長は森岡恭彦(当時東京大学医学部教授)。このときの調査は文献調査だった★37。次が一九九三年からの「末期医療に関する国民の意識調査等検討会」、座長は垣添忠生 (当時がんセンター中央病院院長)。この時に一度目の意識調査が行なわれる。次に一九九七年からの「末期医療に関する意識調査等検討会」、座長は末舛恵一(当時済生会中央病院院長)★38で、二度目の意識調査がなされる。次が二〇〇二年度からの「終末期医療に関する調査等検討会」、座長は町野朔(上智大学法学研究科教授)、三度目の意識調査が行なわれる★39。そして二〇〇七年度から、前回と同じ名称の「終末期医療に関する調査等検討会」がまた始まっていて(第一回の検討会は二〇〇八年一月)、四度目の意識調査が行なわれる。
 これらで何が話し合われたり、報告書にどんなことが書かれているかについてはきっと誰かが調べたらよいのだろう。ただここでは、二度目の検討会から始められた意識調査で問われている問いとその回答として用意された選択肢をあげるにとどめる。

 「あなた自身(あなたの担当する患者)が痛みを伴い、しかも治る見込みがなく死期が迫っている(六ケ月程度あるいはそれより短い期間を想定)と告げられた場合、 単なる延命だけのための医療についてどうお考えになりますか。」これが問いである。
 「単なる延命医療であっても続けられるべきである」「単なる延命医療はやめたほうがよい」「単なる延命医療はやめるべきではない」「わからない」。これが選択肢である。

 ▽160 設問は毎回同じである。もちろん意識・意見の変化の有無やその度合いを見るためには、同じである方がよい。ただ、最新の調査では「痛みを伴い、しかも」は削除されているという。そしてその回答の傾向にそれほど大きな変化はない。五割から六割の人が「やめたほうがよい」と答えている。
 この一連の調査の初回は一九九三年だが、それ以前にも中央官庁が関わった調査はある。一九九〇年の一〇月に内閣府政府広報室が行なった「医療における倫理に関する世論調査」は(1)先端医療に関する意識、(2)延命医療に関する意識、(3)治療方法の決定に関する意識を調査するものだとされ、「生命をのばすために必要な医療を受けることについて、あなたはどう思いますか。この中であなたのお考えに近いのはどちらですか。」という問いが、「あなたご自身の場合」「肉親の場合で,本人の延命の意思がわからない場合」「肉親の場合で、本人が延命を希望していない場合」と分けて尋ねられる。選択肢は「医学上の最新の成果を十分活用して、延命のために最善を尽くすのがよい」「あまり不自然なことはせずに、寿命のままにまかせるほうがよい」「わからない」の三つ。自分の場合、意思が確認できない肉親、できる肉親の順に、六五・二%、五三・二%、六七・三%が「あまり不自然なことはせずに、寿命のままにまかせるほうがよい」と答えている。
 そして新聞社では読売新聞社の世論調査で一九九二年から質問がなされる。そしてその結果は、新聞の連載をまとめた書籍では、厚生省の調査と合わせ、次のように紹介される。

 「尊厳死“容認派”八割超す
 読売新聞の全国世論調査では、九二年から九五年まで毎年、「尊厳死」についての質問を設けている。
 「回復の見込みがない末期患者に、ただ生命を延ばすためだけの医療を続けるよりも、寿命のまま人間らしい死に方を願うという、尊厳死の考え方を認めますか」との問いに、“容認派”は、九二年で八六%、九三年に八三%、▽161 九四年で八二%、九五年で八六%と、毎回八〇%を超える高率だった。
 自分が「仮に末期医療を受けているとしたら」尊厳死を選ぶかについては、「選びたい」は九二年で七四%、九三年は七五%、九四年は七四%だった。
 厚生省が九三年に実施した「末期医療に関する国民の意識調査」でも、病状が悪化して末期や植物状態に陥った場合、四人に三人が、延命治療の中止を望んでいた。」(読売新聞大阪本社生活情報部編[1998 : 202-203])

 2 「たんなる延命」
 このような調査・質問の意図をいろいろと詮索することはできるのかもしれない。ただ、例えば報道機関は、ときにそう思われるほど世論をどこかにもっていきたいと思っているわけでもなく、なにか意外な、あるいは人が納得してしまうような回答の傾向がそこに見出されるなら、それで歓迎というところはある。官庁による調査についても、国家財政に対する心配からそれを企画しているのだと勘ぐらないことにしよう。
 それ以前のこととして、ここで聞かれていることが私にはよくわからない。つまり「延命」とか「たんなる(単なる)延命」という言葉がよくわからない。しかしこの言葉を使って質問はなされ、回答も得られている。そのことも不思議だ。まずこの「たんなる延命」という言葉について。
 厚生省の検討会の報告書には「単なる延命医療」について簡潔な定義がある。

 「単なる延命医療とは、生存期間の延長のみを目的になされる医療をいう。」(厚生省健康政策局総務課監修[2000])。

 ▽163 しかし生存期間の延長は医療の主要な目的ではないだろうか。人は長生きしたいから医者にかかる。そしてその結果、残念ながらうまくいかないことも多々あるのだが、いくらかのあるいはかなり長い生存期間の延長が実現されることもある。その意味で「生存期間の延長を目的になされる医療」はわるくない。このことを否定する人はいないはずである。
 もちろんこんなことは誰にでもわかる。となると、延長「のみ」がいけない、「単なる」がいけないということだろう。
 第一に、なおすこと、なおることとの対比で語られているのだろうか。なおった方がよいにはよいのだが、かなわないことがある。見込みが外れることはあるとはいえ、不治であることが知られることはある。病がなおらず、しばしの延命「のみ」が得られる、それがよくないということか。
 以前からこの意味でこの言葉が使われることがあった。日本安楽死協会が一九七八年に作成し、七九年に正式に公表した「末期医療の特別措置法案」の第二条は以下のようになっている。

 「この法律で「不治かつ末期の状態」とは、合理的な医学上の判断で不治と認められ、延命措置の施用が単に死期を延長するに過ぎない状態をいう。
 この法律で「過剰な延命措置」とは、その措置によって患者が治癒現象を呈せず単に死期を延長するに過ぎない措置をいい、苦痛緩和のための措置は含まない。」

 ここでは「不治」と「末期」の二つのことが言われている。次にそれよりさらに数年遡ったこの協会の創始者で▽162 ある太田典礼の著書『安楽死のすすめ』より。

 「回復の見込みのあるものは医学的治療をうける権利があるわけだが、見込みのない場合は単なる延命である」(太田[1973 : 121])

 しかし、不治である病を抱えているとして、その状態で生きていることに価値がないことにはならない。このことは障害のことを考えてみてもわかる。それはなおらない――行政用語としては、存在し続けるもの、なおらずに残存するものが障害と呼ばれる。しかしなおらない状態を抱えて生きていることに価値がないとはならない。とすると、生きるために必要なことがなされることに価値がないともならない。
 もちろん、なおらないにもかかわらず、なおすための――しかし結果として何も得られない――行ないをすることは無駄であり、副作用が起こってかえって苦しむことになるのであれば有害である。しかしそれは、その行ないが不要であるということであり、「延命措置」が無駄であり不要であるということではない。
 ここまでも誰もが認める。ただ、一九八〇年代から一九九〇年代を経て「たんなる(単なる)延命」という言葉が普及していった時、このことがさほど明瞭にされていたのではない。安楽死、次に尊厳死を強く主張し、法律を作り、普及させようという側の人たちのある部分には、なおらない人の生存に積極的に否定的な人たちも、いま紹介したように、いたのではある。しかし多くの人はそれほどはっきりしたことを考えているのではないと思う。では何を思っているのか。
 そのある人たちは、効果があるとは思われない、むしろ害を与えているように見える処置がなされるのを実際に見てきた。人によっては、ときにいくらかは紋切り型な番組の映像や小説の文字によってということもあったとし▽164 て、ではそれに対応する現実がなかったというのでもない。実際、そんなことがあったし、ある。そのこと、そのことに関わる要因について述べた。
 そしてそのような処置がなされるのを避けようと思うのも当然のことである。なおすことに寄与しないのになおなされる、無益なさらに加害的な処置は不要である。だからそれが不要であることについて賛成票が投じられる。それはまったくもっともなことだ。
 しかし、誰が要不要を判断するのか。その判断にどのような力が加わるのか。これまでよい目にあってこなかった人たちはそのことを警戒する。ただ多くの人は、医療に対して一定の不信感を表わしつつも、実際にはそれほど警戒していないから、さほど気にしない。
 ただ、その病をなおすことにはならない行ないの中には、ただ役に立たない行ないと、なおしはしないけれども「延命」には寄与する処置――それが医療という範疇に入るのかそれともそうでないのかは基本的にはどうでもよいことである――とがある。後者はどうか。それはさきの質問にあるか。
 「苦痛を除く処置」は認められるとされる。これはさきほどの「末期医療の特別措置法案」でも言われる。そしてこの行ないについて「緩和医療」や「緩和ケア」といった言葉が――この言葉の本義はまた異なると主張する人もいるのだが――使われる。それは認めるということなのだからよいのではないか。そこでまた賛成票を投じることに傾くことになる。
 けれども、薬剤を使った鎮痛を行なったり、手で触れたり言葉をかけたり、死後の生の可能性について語ったりする以外に、その人の状態を維持したり、急性の症状を軽減したり、悪化の速度を遅くすることができることはある。これまで幾度かとりあげた横内正利はそのことを言っている。とくに高齢者であれば、ガンが急速に進行して治療することはできず、あとは別のことを行なうしかないという、絵に描いたような経過を辿ることは多くない。▽165 ガンの進行なども含め、ゆっくりと衰弱していく中で、幾度か身体の何箇所かに不具合が起こる。全体の進行を止めることはできないとしても、その不具合に対処することは多くの場合にできる。なのに、「末期」とみなし、対応をせず、結果亡くなってしまうことがある、それはよくない。横内は幾度もそのことを述べてきたのだ。
 だからそのときどきに行なうことはある。それらは「無駄」ではない行ないなのだから、さきほどの調査の質問項目でも否定されてはいないと解することもできる。また、医療をめぐることごとに警戒心の強い人、政府が行なう調査などに猜疑心の強い人でないと、そんなことを考えないかもしれない。そこで、問題はないとされる。しかし、すくなくとも一方に、このような処置・医療を――その人が罹っている(主要な)病そのものは治ることがないのだから――「単なる延命」と解する人たちもいるのであり、むしろそのようにこの言葉は用いられてきたのであるのだから、その部分が、調査結果に基づき、切り落とされることにもなりうる。
 短い文言であることが条件とされる調査の質問では細々としたことは言えないし聞けない。意図的に隠されたものがあったとも思われない。ただ、この間流通してきた図式において、二つの間にあるだろうものが抜けているのと、ここに起こっていることとが似ていることを考えると、さきほどの質問も、ただ長々と説明することが調査では難しいということではないと思える。つまり、なおす行ないとしての「キュア」とそれが断念された後に用意される「ケア」という図式があって、この二つともたしかに大切なものであるのだが、しかし、この二つだけではない、あるいは両方でもあるような営みは、実際にはいくらもなされているのに、この図式のもとでは浮かびあがってこない。それは、その営みが、二つのものの統合とかそのような格好のよいものではあまりなく、むしろ、つぎはぎというか、苦し紛れというか、そんな行ないとしてなされることによるのかもしれない。
 しかしそれは大切なことではないだろうか。それは「たんなる延命」と同じだろうか違うだろうか。続きを続けよう。
 ▽166 一九九〇年前後から行なわれてきた(終)末期医療、延命医療、尊厳死に関する意識調査の質問に意味のよくわからないところがあることは述べた。それでも、「行なわないこと」に賛成するにあたってもっともなところがあることを次項で述べる。他方に、死の方に向かわせられることを心配する人たちにも相当の事情があることを、第4項でもう一度確認する。
 こうして両方にもっともなところがあるのだが、数としては前者の方が多い。その理由として考えられる一つに、ここのところ多くを語ってきた人たちのいる場という要因があるだろうと、第4項で述べる。二つに分かれるうち少数派である心配しがちな人たちは、杞憂が杞憂でなくなってしまう現実があると言う。だが、多くを語ってきた人たちは、その可能性や現実に接することが相対的に少ない人たちである可能性があると述べる。まず医療者他の業界の人たちについてそのことを述べる(第5項)。そして家族と本人、あるいは本人の代理人にも同じことは言えるとする(第6項)。そしてそれは人間学の方にも影響する(第7項)。

 3 苦痛
 調査に出てくる「単なる(たんなる)延命」という言葉はまず不思議であると思うと述べた。たしかになおすことはないが、延命のためには無駄ではない行ないがある場合がある、それを行なうことは基本的によいことのはずだが、と述べた。
 しかし、たんなる延命が不要であることに対する賛意は広く得られている。そしてその数字はここ一五年ほどの間にそう大きくは変わっていない。ただ、どうやら大勢はこのようであるという認識が広い範囲に広がり、それを受けて医療の場が変わっていった過程は存在したのかもしれない。どうやら世間は、あるいは妥当・穏当なことと▽167 は、あるいは仕方のないこととはそういうことであるらしいという感覚は広まっていったかもしれない。
 どのようにしてか。紹介したような調査とその結果自体の効果ということもいくらかはあるかもしれない。終末期と称される状態は様々であるのだが、たいへん大括りな聞き方がなされる。だから、人々がそこで何を思うかも様々であるはずで、それらがここに合算されているのだろう。その問いはたしかに乱暴であるには違いないのだが、全体として簡潔ではある質問文に対して、よくわからないところも残りながら、どこかに思いあたるものがあればよいということにもなる。その様々を集計したものが全体の賛成票となる。
 そこに――医療にかかるお金の心配から、世論を一定の方向に導こうといった――作為を読み込むことを、私はしないでおく。短い設問が多数並ぶ世論調査には、たいてい設問として問題のある問いは含まれている。あまり責められないと思う。その上で、賛成にはどんな成分が含まれているか。この質問とその結果を見るだけではわかりようがないのだが、いくらか考えてみる。
 もうなおらない病にかかっている人間には価値がない、だから早々にいなくなった方がよいという確固とした価値観、信仰をもっている人もいないではない。しかし多くの人は、そうした信仰とまったく無縁というわけでないとしても、それほど堅固な思想の持ち主ではないはずだ。
 また他方に、考えてのことではないのだが、「たんなる」といえばよくない言葉で、「自然な」といえばよい言葉だから、さらに、このような言葉を冠される幾つかの熟語の受け取り方をなんとはなしに聞いて知って、それで丸印をつける人もいるかもしれない。
 ただそれだけのことではない。強い信仰からでもない、付和雷同というのでもない、より現実的な思いもまたあるだろう。
 一つには苦痛が気になっている。厚生労働省の質問には、すくなくともはじめの三回、「痛みを伴い、しかも」▽168 の部分があって、苦痛があることが前提とされていた。
 むろん多くの人たちは現に苦痛を感じているわけではない。想像してものを言っているのではある。しかし今自分がというのではないにしても、耐え難いものに思われる肉親の苦痛を見てきた人たちもいる。それを伝え聞いた人もいる。
 さて、苦痛があるということは感覚があり、意識があるということだ。とすると、同時になにかよいことがあるのではないか。あるいはさしてよいことはないとして、死に対する恐れやあるいは生に対する未練はあるのではないか。するとなぜそれをたんに延命がなされている状態だと言うのか。あるいはそれをたんに生きている状態と呼ぶことを、納得できないところを残しつつ、認めたとして、その状態がよくないとどうして言えるか。そしてむろん、苦しいなら、なんとかして苦しみを軽くすればよいではないか。まずそのように返すことにはなる。
 しかしそれで終わりということではない。たしかに多くの場合に苦痛を軽減することはできる。しかしそれがうまくいかないことはある。そして朦朧とした中で、苦痛しか感じていない――ようにすくなくとも見える――場合、苦しさが身体を覆っていて、そのために他のことは感じられなくなり、そしてもう死についての観念・意識といったものもなくなっているといった状況はありうる。
 そしてここで、必要な配慮を欠いたまま、またとにかくすることになっているからという理由で、苦痛を増すような処置がなされるなら、それではたまらないと思うのも当然である。だから人々が賛成するのももっともでもある。
 その気持ちを受けた上で、なおとどまることはできる。とにかく私たちは痛みのことを知らない。またそこに黙している人について、痛みを伴っていることは明らかに見えるが、全体としてどんなぐあいなのか、それもわからない。いったいそれを語る語りようがあるのかとも、語ってどうするのかとも思うけれど、やはり知らない。そし▽169 て、わからないながらも、なんとか身体に負荷をかけないようなやり方、苦痛を増大させないようなやり方を探していくしかない。そしてそれは非現実的なことではなく、実際、それなりに使える方法は、使えるにもかかわらずそう使われていないから困ったものなのだが、ある。さらに、意識の水準全体を落とすといった乱暴な方法もないではない。死によって苦痛を消そうというのはやはり乱暴なように思われる★40
 もちろん、苦痛の緩和は、「受苦」といった契機を文字通りにとった上でよほど強く肯定し賞賛するのでもないかぎり、誰もが認める。緩和のための処置はしつつ(これを緩和医療という言葉に括る人もいれば、緩和医療・緩和ケアはもっと広いものを指す言葉だとする人もいる)、延命治療はしないというのである。例えば日本尊厳死協会も苦痛緩和の処置は求められるものとしている。ただ、苦痛緩和のためとしてなされる処置だけをすることが――もちろん苦痛の緩和処置として何を含め何を含めないかによるのだが――その人の苦痛を軽減させるのだろうかとも思う。
 以上対比させた二つの立場は、異なりながら、そう大きく基本的に異なるわけではない。そして痛みについて悲観的な立場をとるとしても、それは、新たな方針、新たな規則を作る必要性に導かれるものではない。賛成票を投じることが新しいきまりができることにつながるのではないか、そのことをやはり心配してしまう人は、そのことも言うことになる。
 基本的にその人にとってよいことがあることをすることが医療であるなら、それ以外のことを行なう義務はない。むしろそれは行なうべきでない。なおらないのになおるためのことをしたら、そしてそれは、しばしば苦痛を与えることであるから、やめた方がよい。また、ある状態を維持するための行ない、悪化を緩めるための行ないもまた苦痛を与えることはある。苦しいが可能性がなくはない処方と、苦しさは減るが長くは生きられなさそうな方向と、選択の対象であること自体が苦痛ではあるけれども、選ぶことも仕方のないことではあるかもしれない。そして後者を選ぶことはあるだろうと、清水哲郎の論を論じたときに述べた([2004e]、本書第6章)。そして、これらのた▽170 めに、新しいきまり、法律やガイドラインやを作らなければならないことはない。
 さらに、苦痛と事前の指示とはうまく結びつかない。苦痛は現在の苦痛であるしかない。そしてもちろん、苦しみがあること自体が、死の方に向かうことを指し示すものではない。ではどれだけの苦痛があればそれは耐え難いものとなるのか。それはその時に言うしかない。では事前に態度を表明するとは、耐え難いと自らが言った時にその言葉に従えということなのか。事前の指示が必要であると主張されるとして、その理由がよくわからない。
 だから、質問に○印をつけた人の中にある、辛い目にあうことがある、苦痛であることがある、しない方がよいことがあるという思いと、その後、そんな質問がなされながら進行して現実にある事態、つまり、ガイドラインであれ法律であれきまりを作るという方向、またあらかじめ文書を作ってもらってそれに従うことにするという方向とが合致するわけではない。
 そしてさらに、議論は苦痛という場から離れている、変化しているし、拡張しているのではないか。
 例えば次のような文章を読んで心配する人もいる。

 「老衰等の死に向かう過程で生じる「摂食不能」がその一つである。摂食不能を放置したいわゆる老衰死の場合、それは脱水死であり通常苦しみは少なく死亡までの期間も短く治療による苦痛もない。ヨーロッパ諸国ではこのような場合に人工栄養を施さないで安らかに「死なす」ことが社会的合意として定着しているようである。しかしながら、日本ではこのような場合に補液などの医療処置を行わない例はきわめて少ない」(植村[2006 : 28])

 この「高齢者の終末期医療」という文章は、日本学術会議の雑誌『学術の動向』の「終末期医療――医療・倫理・法の現段階」の特集号に掲載されたものだが、著者の植村和正は、日本老年医学会の「立場表明」(日本老年▽171 医学会[2001])に関わった老年医学の専門家であり、その学会編の本の「終末期医療」の項(植村[2003])を担当し、その「立場表明」を解説する文章(植村[2004])や、いま引用した文章を書いている。その領域の第一人者ということになる。第一人者であるからきっと間違いはないのだろうと思うのだが、素人としては、摂食不能や脱水は苦しくないのだろうかと疑ってしまうところはある。延命処置をやめるというやり方は穏便なようであるが、そうとは限らないのではないか。むしろ苦痛と苦痛の持続をもたらすこともあるのではないか。そしてここでは、何もしないことが(通常)痛みをもたらさない、だから何もしないことがよいと(かの国々ではされている)という論の展開になっているのだが、さきの話は、そして古典的な安楽死論議に出てくる話は、痛みが耐え難いものであるからもう止めようということではなかったか。となると、よくわからなくなる。
 さらに、いま引用した「定着しているようである」の後には註があって、そこで引かれている文献は、これまで幾度か紹介してきた横内正利の文章(横内[1998a])である。横内はヨーロッパ諸国の動向を批判してきた人だ。ここに引かれている文章も同様の趣旨のものであり、そしてその横内はこの学会の「立場表明」を批判しているのでもある(横内[2001a][2001b])。そのことは知っているに違いないのだが、その趣旨は伝わっているのだろうかと心配にもなる。むしろんそれはただの心配であって、かの地ではしかじかであるという事実が横内の文章に書かれているから、そのことを示す限りにおいてその文献に言及したのだとは言えるだろう。ただそうではあっても、その「事実」について二つの評価がある時に、一つの側だけが言われそして読まれるとなると、それも心配になる。
 そこに苦痛だけがあるのでないことはその通りだし、これまでもそのことを述べてきた。ただ、ここに現われてくる話は、苦痛がない場合でもやめることはあってよい、あるいは、苦痛がない――という話をそのまま受け入れてよいのかとさきに述べた――からやめることをしてもよいという話だ。厚生労働省の調査においても、苦痛という条件がなくなっていく。こうなる。

 ▽172 「あなた自身(あなたの担当する患者)が治る見込みがなく死期が迫っている(六ケ月程度あるいはそれより短い期間を想定)と告げられた場合、 単なる延命だけのための医療についてどうお考えになりますか。」

 「が痛みを伴い、しかも治る見込みがなく」の箇所が変わった。痛みという否定的な価値を有する語を付すなら、それは賛成の方に誘導することになってしまうという配慮に基づいているのかもしれない。あるいは(身体的な)痛みを伴わない場合を含むより広い状態について回答を求めるべきだと思ったのかもしれない。よく言われるように、身体的な苦痛の緩和が、どれほど実際になされているかはともかく、対応可能になってきているという認識は分け持たれている。二〇〇八年一月二二日の第一回の会議の議事録で保健医療技術調整官は次のように説明している。

 「現状においては、痛みが辛い、痛みが非常に強いということを強調することは、緩和医療を推進している、相当発達しているという観点からすると、聞き方としては少し適切ではないのではないかと考えまして、提案の段階でこの部分は削除しました。」(末期医療に関する調査等検討会[2008])

 このことは、幾度か紹介してきたこのところの動向に批判的な人たちが指摘してきたことでもある。すなわち、終末期医療についての議論は、急速に進行していき身体に強い痛みをもたらす癌について多くなされるのだが、その割合は今も高いとして、やはり一部ではあり、そしてとくに年を重ねていった人となれば、癌の進行も遅いことがあり、苦痛のあり方もまた異なってくる。であるのに、痛みのことがもっぱら語られた。そして、さらに、身体▽173 の苦痛というところから調査や議論は離れていっている。しかし、人は依然として、たしかに実際に存在する苦痛のことを思っているのかもしれない。とすれば、話はずれたところで進んでいるのではないか。

 4 票の差
 例えばこのように、苦痛のことが心配で「停止」に賛成する人たちに言っていくことはできる。ただ、ここで少数派である延命の支持者たちが心配しているのは、もうすこし単純なことのはずだ。つまり、いついかなる場合でも生かすべきなのかと問われればそれはよくわからないのだが、これまでのそして今の状況で、生きられる人、生きてよい人、生きることを望んでいる人――以上の各々は異なるし、そしてこれらと、処置を止めるのも仕方ないかもしれないという状況にある人との違いも、時にはっきりとはしないのだが――が、死の側に追いやられてしまうのではないかという恐れがある。見捨てられてしまうのではないかという心配がある。あるいは、既に撤退が始まっていると思う。そんな人たちがいる。
 その人たちもまた、余計なことをされていること、それに関わって苦痛が与えられることに対する十分な怒りはある。副作用その他による苦痛があり、傍から見ていてもそれは辛そうだし、実際に辛いのでもある。さらに、それが軽減できるのにそのことがなされないなら、さらに経営的な理由によるとなれば、その扱いに怒るのも当然である。そのことに違いはない。
 ただ、○をつけない人たちの一部はたんに心配性なのである。細かなことを知ると気になるところは様々ある。限られた人しか読まない媒体に掲載される文章を知る人は限られている。積極的な関心があるか、仕方なく仕事としてそうしたものを読まねばならない人ぐらいしか読まない。「停止」の対象となる人の拡張の意図がしばしば表▽174 明されてきたことを知る人もいるが、それもまた限られている。それはよくないと思うから、私もいくらかのことを書いてきたのではある。しかしその私自身が、知りたいと思わない。
 気になる人は、そんなことを知ったり知らなかったりしながら、それ以前に「社会」のことが気になっている。つまり、この社会は、死の方に傾かせるのではないかという恐れ、その現実感をもっている人たちが、調査における少数派の中には含まれている。
 しかし多く繰り返されるのは明快で単純な話だ。医療は延命する。家族は延命させる。しかし本人はそれを望まない。あるいは本人にとってよくない。しかし医療のとおりになり、家族のとおりになる。それはよくない。こう言われる。
 全部否定しようとは思わない。そのことに現実性があるし、また現実性があるから、そうした言説は受け入れられてもきたのだろう。ただ、別の可能性、別の現実もある。そのことがあまり言われない。また、医療に不信があったはずの人たちは、このたびは、終末期を判断し、事前の指示に従うという医療を信用しているようだが、それはおかしくないかと、不思議にも思われる。しかしそれが杞憂だとされる。拘泥しているとされる。それ以前に、その心配が伝わらない。
 両方がある時にどちらをまず見るかということがある。片方が終末期をめぐっておびただしく語られる中で、すくなくとも存在するもう一つの面が、自覚的であるのか無自覚的であるのか、落とされてきた。もうすこし正確に言うと、そんな話がないところと、そうでないところとある。二種類の言説は区分けされ、棲み分けられている。これは見事なほどだ。
 削減という方向がよりはっきりと人々の目に映るようになってきているから、いささかの変化も起こっているのかもしれない。さらにこれから大きくなるのかもしれない。ただ、これまで、すくなくとも多く言われてきたこと▽175 は、他方の側だ。
 それはなぜなのか。認識が部分的であること、ときに間違っていることを指摘すること自体はやさしいのだが、なぜそうなっているのか。このことの説明は、比べてすこしやっかいなようにも思える。
 いったん二手に分かれると双方がそれぞれの場で語るようになるというのはどんなところでもありがちなことではあるし、実際にある。危機が語られる場所でその筋と違うことが語られると、気まずいことになり、片方のことだけが語られがちになる。また、安らかな死を語ろうという時に、それだけでは危ないことにもなるのではないかという話は、その場の安心感を減らすことになってしまうかもしれない。
 そして、加えて、語られる場で語る人たちが、どんな場にいて、何を見てきたのか、何を経験してきたのか、そのことが関わっているように思われる。このことについて述べる。調査のための会議、それをまとめた報告書、また、様々の大きなあるいは小さな場でこのことを語ってきたのは、一つには医療者、そしてもう一つ家族、そして自らの未来について思う人たちである。そして少し、その現在において意識が清明であってその決意を語る本人である。

 5 職業人たち
 医療者が人々に評価されるその受け方には大きく二つがある。一つにはなおすことである。新しい高度な技術が期待され、その出現を私たちは知ろうとする。そしてその技術を作り出す人、技術をもって医療に臨む人たちがいる。その人たち自身が語ることもある。あるいは、この人たち自身は――話したり書いたりすることが仕事ではないのだから――語らないとして、それを賞賛する人たちによって語られる。
 ▽176 他方に、「近代医療」に対して批判的なことを、あるいは批判的なことも語る人たちがいる。まず医療は過度に権威的であるとされているから、それに対して批判的な姿勢をとることは、それだけで肯定されるところがある。好評をもって受け入れられる。そして、たしかに技術に限界はあり、また狭義の技術だけで捉えられない「人間」的な行ないが必要なのであって、その点でもその技術には限界がある。そのときには「心」が大切だということになる。
 そのことを説く人たちの中には、自覚的にあるいは結果的に、学界・業界の主流から、「近代医学」の主流から外れた人たちもいる。例えば医学部やその附属病院に――残るという選択肢もあったのだが――残らなかった人たちがいる。都会の病院でなく地方の病院に行った人たちがいる。そして主流派の医療において顧みられることのない「全人的な医療」の方に向かう。それは――すくなくとも当初――わりにあわない仕事であるのだが、それをあえて行なっていることも含め、それもまた肯定的に評価されることになる。
 また他方で、医学者として実績があり、大きな組織の要職をつとめる人といった具合に、その領域できちんと評価される人でありながら、それとともに、現状に対する批判的な視点ももち、その限界をわきまえているといった人であれば、なお尊敬されることにもなる。このようにして、良い人たちが良い死を語る。
 するとどんなことが起こるか。一つに、「キュア」と「ケア」の間が抜けてしまう、あるいは両方が重なる部分が薄くなってしまう傾向が強くなるかもしれない。一つに、死の方に放り出される、あるいは放置されることについての現実感が薄めになるかもしれない。
 第一点について。キュアとケアの二つは相補的である。どちらかがどちらかにとって代わるなどということはけっしてない。キュアの時代からケアの時代へなどということも――もちろんそのスローガンを掲げる人自身もそのことはよく分かっているのだが――ない。そしてこの並存自体、まったくわるいことではない。なおす、なおらな▽177 ければ、なにか別の対応の仕方を考えるしかない。そして、一人の人が二役を演じるということもなくはないとして、それは実際には難しそうだとなると、分業ということになる。それにも問題がない、あるいは仕方がない。それはよしとして、述べてきたのは、実際に存在する人たちの多くはもっと半端な人たちだということだった。もうすっきりとなおりはしないが、かといって、そこで称揚されるいわゆる緩和ケアだけでは生命を維持していけない人たちがいる。なおす医療の限界を言い、その上で、その場合の心のケア、緩和ケア、緩和医療、ターミナルケア、福祉のターミナルケア等々を言う時、けっして快癒したりはしないけれど、それでも、医療的な対応によって「延命」が可能ではあるといった状態、そのような状態に置かれている人たちは後景に退くことになる。
 もちろん、その人たち自身が、この間の部分あるいは重なる部分を無視しているなどということはない。だがそうではあっても、二つを分け、そしてとくに「移行」という捉え方がなされる場合には、その方向に傾く★41。「緩和医療」は行なうと言われるのだが、それは、通常言われる意味合いでのその緩和医療以外のことは行なわないということなのか。尊厳死についての法律を作ろうという人たちは、はっきりと(本人が望む場合に)そのようにすることを主張する。また人を医療の場から福祉の場に移そうという主張、そして現実の政策において、一方の場に他方の要素がないなら、あるいは少ないなら、実際にそんなことが起こってしまう。
 第二点について。その人たちのいる場では、医療やその場に閉じられるあるいは放逐される人を見ることが、相対的にではあるとして、少ない。それは、場所のためであり、そのような場所に来る人のためである。医療界の代表として出てくる人の多くは、また啓発的で感動的な本を書く人たちの多くはきちんとした病院にいる人たちである。実績があり、すくなくともそう乱暴なことを行なっているといったことはない。規模はさほどでないこともあり良心的にやっているからそう利益が出ているというわけではないとしても、そう儲かっているわけではないというその意味において、立派な病院で働いているあるいは経営している人たちである。
 となると、その病院にやってくる人たちもまたなかなか立派な人たちであることが多いだろう。家族を最期まで看取ることをいとわない人たちもその中にはいるだろう。そしてまた、自分の意見をきちんともっている人たちもいるだろう。そのような場は大学の附属病院であったりすることもあるだろうし、例えば松田道雄の医院であったりすることもあるだろう。医療保険制度の不合理なことがわかっていた松田は、保険外の診療だけを行なっていた。そして松田は著作家として有名だった。とするとそこに子を連れてくる人たちにもある傾向があったのかもしれない。彼の言うことをまるで聞かない人、まったく自暴自棄な人、患者からなんとか遠ざかりたがっている家族などはあまり現われない。やってくる人たちは、真面目でいくらか熱心すぎるぐらいで、そしてあまり真面目すぎてはいけないことをわかっているような真面目な人たちでもある。また地方の病院として熱心にやっている病院の場合なら、そこに通ってくる人たちには、家族関係や家族に関わる規範がそれなりに存在し維持されている人たちが多いだろう。そうした現実――それもたしかに現実の一面ではある――のもとにいると、見えてくるものは違う。容易に死の方に傾いてしまう、また傾かせてしまうことに対する現実的な危機感がいくらか少なくなってしまうことがある。
 では、狭義の医療と別の業界にいる人たちはどうか。医療政策が語られる場所には福祉の業界の人は現われないのだが、他に社会福祉政策について語られる場もあって、そこには、その業界の人も参加する。その人たちはどうか。
 今まで見てきたことの一つは、医療から福祉への「移行」が語られて、そしていくらかがなされてきたことである。すくなくとも、後者がまったく不足していることについては多くの人が同意した。ただ、その全体が最初から制約されたものであったことは述べたとおりだ。その制約の範囲内で行なうことにはなる。とすると引き受けられないことがある。その当人にとってみれば、必要なものは必要だというだけのことであって、それがどちらに割り▽179 振られるのかはどうでもよいことだ。当人にとってでなくてもそうだ。例えば匙を使って食物を供するのは福祉の仕事とされ、管を使って供するのは医療や看護の仕事だとされるのだが、基本的には、その仕事をするための技をもっている人がやればよいというだけのことだ。息や食物を出し入れする穴を身体にあけるといったことは医師にしてもらうとして、それ以降のことは様々にそれを行なうことのできる人が行なうことができる。
 ただ実際には、そこには様々が起こる。仕事の取り合いになることもある。あるいは双方が引き受けようとしないこともある。もちろん「連携」はこの間ずっと言われて続けてきたことであるし、また言われるべきことでもある。だが医療の場で福祉の領域の人が働くことが医療者の指揮下に入るということでもあるなら、それはあまり歓迎されないかもしれない。それ以前に受け入れられない。あるいは、福祉施設で医療を使うことが現実に困難になっている。だから、基本的にはこれは、その仕事に従事する人たちの気持ちの問題ではなく、現実の制約による。ただそのことを押さえた上で、その現実のもとで、自らの仕事の価値を見出そうとする時、なにかと医療者の指図を受けたり、やりとりにおいて齟齬の生じることを避け、人によっては、医療の「後」「外」を担当することに徹すること、そのことを価値づけることがあるだろう。

 6 家族/市民
 他にも様々な人たちがいる。例えば――日本社会では一九八〇年代に表に現われ広がった動きとしての――「死生学」が語られる場に集った人たちがいる。それは、学問のための学問ではなく、医療や看護や福祉の現場で職業として関わる人や身近な人を亡くした家族、将来の自らのことを考える市民たちのためのものであり、その人たちに対して提供されるものでもあった。何が語られたのか、そこにいた人がどんな人たちであったか。読むことので▽180 きる記録、書籍はかなりたくさんある。その歴史の記述・分析はまだあまりなされていないのだが、なされるとよいと思う。
 講演をしたり報告をしたりするのは多くの場合、医療や看護の仕事をする人であり、そして他領域の学者が若干、その他宗教者、著作家等々といったところだが、その人たちも自分の近くに起こったことを話すことが多い。そして、家族や遺族がその話を聞き、感想を語ったりする。また自らが自らの体験を語る。亡くなった人の世話をしてきた人がいる。そしていま現にそのことに携わっている人たちがいる。その体験を語り、悩みを語る。
 こうした場で語る人たちの多くは、たいへんではあったけれどもよくやってきた人たちである。そしてそんな苦労の中から、これからの自分のことを考える人たちでもある。そうした人たちが集い、語り、またその人たちを聴衆として、多くのことが、繰り返し、語られてきた。すると、その中にその家族を施設や病院に置いたまま顧みることがなかったという人はあまりいないだろう。とくに経済的な理由から、負担が大きいからといった理由によって、家族を遠ざけるといったことは、語るべきことではないと思われているから、あるいは当人においても忘れたいことであるから、言論の場に現われるのはそんな人たちではない。肉親の死について語る人、語ることができる人は、むろん様々な後悔はあるとしても、まじめに向き合った人たちであり、よくやった人たちである。自分たちはその人が長く生きるのを望んでしまったのだが、本人は苦しんでいるようであった。その人のことを思って「延命」を受け入れたのだが――そしてそのこと自体は公式には非難されないのだが――しかしそれでよかったのだろうかというふうに自らを振り返り反省する。
 そしてまたその人たちの多くは、自らをよく律することのできる人でもある。そして苦労をした人でもあり、そのことに関わって苦労をかけさせられた人を否定したり軽蔑したりすることはないのだが、しかし自らについては、そこまでのことをとは思わない人たちであることがある。その人は自分のことを考えている。その自分は、世話す▽181 る側から見られたところの未来の自分である。
 そしてここに本人が現われるのはなかなかに難しい。たとえば認知症の人自らが語るといったことがなされるようにもなり、それはよいことなのだが、そこに現われるのはやはり、それなりには語ることのできる人ではある。そしてその中に、生きたいことを語る人もいるのだが、それは一言で終わってしまう。他方、死にたいことを語る人は、たくさん語ることがある。例えば、積極的安楽死への望みが、かなりの点数出ている翻訳ものの本などで語られる。それは、心を揺り動かすものとして受け止められる。その主張は極端な意見であるとして、すぐには受け入れられないとしても、本人からの強い願いがそこに表明されるから、それにもっともなところはあるとして、受け止められる。それが言論の外縁を形成することになる。つまり極端とも思われる主張にも理があるのだから、より穏当な行ないには問題がないということになる。
 本人が語らないと、あるいは語らせてもらえない時、代理して語ること、語らざるをえないことがある。何を語ってきたか。例えば、寝たきりにさせられたことの悲惨を告発してきた。そこに多くの痛みがあり苦しみがあるのだから、それはまったくなされるべき行ないである。ただ、動けない人の反対は動ける人ということになる。そして結局動けない人はいる。
 むろん、いくらか慎重に語れば、分けるべきを分けて語ることはできる。ただ、これまで手本にしてきたヨーロッパにしても、わりあいここはあっさりと言ってしまう。現状を告発して、その人たちを守ろうとする主張が、その人自身の意図を超えて、否定的な像を与えてしまうことがある。
 では肯定すればよいか。すると何を肯定するのかということになる。「たんなる延命」を肯定すればよいではないかという言い方もある。ただそれでは取り付く島がないということにもなる。するともっと肯定的なものを取り出して、それを語るのがよいということになる。そこで、ある部分についてはまったく機能を停止しているのでは▽182 あるが、ある部分において元気な人が紹介されることになる。ただ、それに限界があることもまた感じられる。つまり全体として衰弱している人もまたいるということだ。
 すると再度、死の側に行ってしまうおそれを語ることになる。それは基本的には暗い話である。つねにではないとしても、暗い話は嫌われる。死生学より分がわるいことになる。

 7 人間学
 人間学は苦悩について語るのだが、ここまで記してきた圏域から出ることがなかなか難しい場所にある。
 まず、経済の側から死生を語ることに反対することは現にそれが経済の中にあることについて語らないことではないのだが、それをここで行なわないということがある。死生が制度に包摂されるようなことではないという、そのとおりの真実は、それが現実には制度のもとにもあること、そしてそのことをそれとして捉えることと矛盾しないのだが、そのことはなされない。
 かといって人間学は、人の内部だけを取り出してそれを語るわけではない。むしろ積極的に歴史や文明を語るのではある。その転換や、転換の必要性を語るのである。ただここで、近代医療はそもそも、と語ってしまうことがある。幾度も述べてきたように、医療はいくらでもやってしまうのだという把握は部分的な把握であって、そこにはいくつかの形而下的な事情が関係しており、時には逆の方向に行くこともあるのだが、そのことはあまり語られない。
 そして、死生を捉えようとする時、それは自然科学で対応できない部分を捉えるものだということになり、そしてさらに、人間学がより実践的な学として、人の役に立つ学としてあろうとする時には、近代医療ができない部分▽183 を語り、その部分に、意味や平穏やを見出し、さし示す役割を担うことになる。そして、そうしたものを求める人が、それが書かれたものを読み、それが語られる場に足を運ぶ。
 そこには――互いが肯定し合うことが反復されるという意味において――よい循環が生まれる。すなわち、このように死生を書いたり語ったりする人たちは、その言葉を求める人たちをそこに見出す。それはさきにあげた、熱心に、しかし苦労もして行なったこと、行なってきていることの意味を見出そうとする人たちである。その人たちを見て、またその人たちの話を聞いて、人間学の人たちは、そこに見えるものを現実と見て、あるいは自らの言葉の真実を確認して、そしてまたものを書き、話すことになる。

7 経済

 1 経済的でない人々の賛同
 一方に、「延命処置」をやめることに共感するもっともな理由はある。痛いのは辛いということだ。ただ他方に、死の方に押し流されてしまうことに対する心配もある。しかし前者、生かされてしまうことについてはよく語られるが、後者が語られることは少ない。どうしてか。そのことについて考えた。このことを語る人、語られる場所という要因が一つあるのではないか。つまり、死の方に傾く力があまり働かない場所にいる人が多くのことを語っているのではないか。以上を述べた。
 そこでは経済のことはあまり語られない。むしろ経済の問題が圧迫という現実として大きく現われてこない時、▽184 人は良い死を語る。その人たちは、お金の節約のためにこのことを言うのではないと主張する。その心情はそのとおりだと思う。
 しかし、実際にこの要因が関わっているのは明らかだ。直接に関わらないのは、さきにあげた身体の苦痛ぐらいのものである。あとは負担のことが大きく関わる。いわゆる遷延性意識障害の場合には、もしそこに本当に意識・感覚がないのであれば、残るのは周囲の負担だけということになる。他方、意識がある場合には、そのことを本人が知ることにもなる。あるいは、しかじかの場合になればどれだけ負担がかかることになるのか、あらかじめ知っている。そのことが本人の思いや決定に影響を与える。
 それを何が規定しているかは誰もが知っている。広義の社会保障費が削られる。伸びを抑えようとされる。例えば病院に入院できる期間を規制する。料金をとる。
 そして具体的に現実が左右される。例えば、とりわけ高齢の人で救急で運ばれる人がいる。体の状態はよくなく、呼吸器をつけることがあるかもしれないと医師は言う。そのときのことを決めてほしいと言う。いちど付けたらはずせないと言う。どうしたらよいか、それはこちらが言うことではない、決めてもらいたいと言われる。そしてここは救急病院であり、ひとまずの処置が終わったならば別の病院に移ってもらうことになると言われる。そして今は、どこの病院でも長くいることができない制度になっているから、転院を繰り返すことになる、次の病院を探さねばならないことになると語る。そして、そうなったら福祉施設で受け入れてくれるところはないだろうという情報も提供される。自分の親がこのような状態であれば、それはしない、しかし、それは自分だったらということであって、あなたをその方に誘導することではないと言う。そして、重要なのは本人の意思だという。以前本人が言っていたことを思い出して、それに従ったらよいと述べる。するとたしかに、その人は長く、それで様々に体を壊しもし、様々に不運で不幸なことがあり――同時に状態がいくらかもちなおした時にはそうでなかったが――すく▽185 なくとも一方で、もう死んでいいというようなことは言っていた。そこで、では、けっこうですと言う。あるいは本人がそうなる手前に事前指示の書類を書く機会が与えられたとしたら、やはりもうけっこうだと書くだろう。そうして指示の通りにされる。
 この間のできごとを、ともかく金を減らしたい側が金を減らすことのできる方向に世論を誘導してきたと捉えることもできなくはない。そして本当は節約したいのに、そのことを言わず、人間のことを言ったという解釈はありうる。しかし、その解釈はここではとらないことにする。
 ただ金がないから終末期医療を節約しようといった単純な筋の出来事が起こったわけではない。実際、そうした関心から発言しているのではない人たちがいる。すくなくともそのことを意識していない。そして、言われると、それは違うと反発する。そしてその反発も当然であると私は思う。ここに登場する人たちの多くは経済を優先することに反対する人たちである。その人たちがより安くすむ医療を志向したというのは言いすぎである。その人たちはよい人たちであり、どのような悪意ももっていない。
 問題はむしろ、経済のことと別に語られること、むしろそのことと別のことだと強調されて語られることをどう解するかである。そして、そのことと経済のこととをどのような関係として見るのかである。そして、そう違わないところにいるはずのその人たちとともに、代わりに、どのように考えたらよいかである。以上について述べる。

 2 無駄が無駄であることを承諾すること
 一つ、無駄を削減するという了解があり、その原因についての了解があり、逆の側についての懸念が少ない場合には、容易にその方に向かうことになる。
 ▽186 まず、削減は必ず無駄の削減として言われる。必要なことはするとは、必ず、誰でも言う。財政の現実を懸念する人たちであっても、もちろん必要なものは必要であると必ず言う。そしてそれにもっともなところもある。無駄は必要でないものなのだから、その言葉の定義上、なくしてよいものであり、なくした方がよいものである。そのことには誰もが反対しない。反対しようがない。そしてそれを言う人は、そのことを信じてさえいる。
 ではどれだけが無駄なのか。その度合いははっきりしない。必要なものも切り詰められてしまうのではないかという疑念が呈されることもあるが、それが一般的な懸念として示される限りは、それにはきちんと対応するなどと言われて、話は一段落してしまう。そして利用者の側はそうした「審議」の場にいないことが多い。制度のことを詳しくは知らないし、知りたくもない。また、実際の問題は、制度が始まってからでないと実感されにくくもある。
 そして、過剰という認識が、その把握の妥当性は部分的であるにもかかわらず、支配的であったことが関わる。
 たしかに医療に行なえることは行なおうとする傾向がないとは言えない。しかしこの部分でもっと普通に見る必要がある。医療やリハビリテーションといった「なおす」仕事が、どんな場合に多くのことを行なおうとし、どんな場合にそこから退こうとするのか、本章第3節で考えられる要因を整理して示した。両方の要因が双方について複数あることを見た。そしてそこで、本人とその周りにいる人にとって損得が異なることを見た。まず、本人において、なおすこと/とどまることの損得を確認した。次に、その周囲の人にとって、なおすこと/とどめることの損得を確認した。けれどももっぱら無駄が語られるなら、経済の問題としてこのことを語ろうとは思わない人たちも無駄を省くことについては賛同する。それは当然のことととして、現状の見立てとして、さらに、過小の部分があることについて現実感がない人なら、そのような場所にいることが多い人であれば、無駄を省くことがどこまで及んでしまうのかについての危機感もまた相対的には少ないということがある。無駄を省くことがどんなことをもたらすかについてあまり心配性でない可能性がある。むしろそのことについて肯定的になるはずである。意識して▽187 いるかどうかはともかく、基本的には過剰が害を与えているという図式がある。だから、害を除くための手段として過剰を減らすということにはなり、害を除けば結果として無駄を省くことになる。だから節約の方に向かうことになる。

 3 それを仕事とする人たち
 二つ目は、それを仕事とする人たちからのその仕事を維持すべきだという主張が割り引かれること、その主張が少なくなることである。
 一つ、不足の可能性や現実が言われる場合、それは供給する側から言われることが多い。その人たちは現場の経済のことを最もよく知る人たちでもある。そして自らの生活がかかっている。だから、それには強みもある――しかしそれが弱くなることを次に述べる――のだが、その人たちはそこから利益を得る人であるために、しかじかになってしまうと自分たちの仕事はやっていけなくなるという危機感の表出は、その表出が成功すればその人たちが得るものもそれだけ多くなるのだから、自らを利するために過度に困難を強調しているようにも受け取られ、いくらか割り引かれることになる。
 もう一つ、仕事だからそれを守ろうとした人たちは、それが仕事でなくなるなら、仕事としてわりに合わなくなったら、それを守らなくなる。
 述べたように、その人たちの主張はたしかに割り引かれるのではあるが、それでも、生活がかかっているから、主張は相当に強いものにはなる。その人たちの行動は自らの収入の一部をかけてなされる。一時的なものでなく恒常的な活動となる。活動に専念する人を置き、議会などに働きかけることもできる。これらの点で消費者・利用者▽188 たちの行動に比して有利な位置にある。ストライキといった手段の行使も含め、影響力を行使することができる。けれども、その人たちが行なってきた仕事に報酬を出さないこと、出すがその金額を減らすことがいったん決められてしまうことがある。
 するとそれが次の現実を作る。事実が次の前提を作ってしまう。つまり仕事として成立しないのであれば、それを引き受けることに積極的でなくなる。利益にならない部分の医療に積極的でない医療施設はある。それほどすっきりとは考えないとしても、全体に経営が困難ななかで赤字を出してしまうような仕事は現実に引き受けようがなくなる。すると、削減に対する反対を抑止することを意図して削減がなされているわけではないのだが、結果としてはそうなる。その業界は、その仕事がよい仕事である限りにおいて、自分の仕事を守ろうとする。かつて長く病院に留め置くことによって、経営を成り立たせるといったことがあった。しかし、長くいるほど経営がきびしくなるなら、その人をそこから出すことになる。
 老人保健法の改定に際して、なすべきことができなくなるという批判があったことは述べた。さらに、一九九〇年代後半の「福祉のターミナルケア」をめぐる議論についてはすこし長く紹介した。「終末期医療」からの撤退に対する批判はなくなっているわけではない。幾度か紹介してきた人たちは自らの主張を維持している。ただ、全体として、そうした主張は少なくなっているように思う。仕事にならなくなる。するとそのことについてものを言わなくなる。するとその仕事はもっと減っていく。そうした循環的な過程があってきた。

 4 改革が節約になると言ってしまうこと
 第三に、政策の方向転換を促すための手段、説得のための方便として、費用がかからないことを言うことがある。▽189 これは様々な人たちが使ってきたやり方だった。例えば、米国の障害者の運動を進めた人たちに、施設で暮らす費用より施設を出て暮らす費用の方がかからないことを言った人たちがいた。安くすむのでもあるから政策転換を図るべきだというのである。現実にそのようなこともあるだろう。ただ問題は、その試算が実際にはかなり無理のある試算であり、その試算に基づいてより費用がかからない仕組みをそこに作ったのだが、実際に必要なものはもっと多いという場合に生じる。できてしまったものが現状を制約してしまう。介護保険にしても、最初からもっと大きな制度にしてしまったら実現しないだろうという読みがもちろんあったはずだ。そしてその判断にはそれとして妥当なところがあったのでもあるだろう。しかしそのようにしていったんできたなら、できたものにやはり制約されてしまう。
 すこし考えればこの主張には無理があるように思われる。というのも、「安上がり」にすませるためにこれまでひどいことになっていたというのがよく言われることなのだから、なぜ改善がより安くすむことにつながるのか、不思議に思えるのだ。それでも説明ができなくはない。当初安くすませることが意図され、実際にそうであったとしても、いったんできた仕組みのもとで費用が増えていくことはある。そこで働く労働者の側の労働条件についての要求がいくらかは実現することがある。あるいは利用する側の求めに応じてということもいくらかはある。公的な制度として実施されるなら、そうひどいこともできないという事情もある。ただそれにしても、別の仕組み、例えば施設での暮らしでない暮らしを支えることの方が安くあがるということにはなりにくいと思われる。その場合、実際には、働く人がより低い条件で、あるいは無償で働くことになる、そして/あるいは、サービスの水準が下がることがある。実際にそのようなことが起こる。
 次に、改善・改革を志向する人たちは、必要なものを得るためにも無駄を省くのだと言う。また、どこかで無駄遣いがなされていたり不正が行なわれているなら、かえってその事業に対する不信感を呼び起こすことになる。だ▽190 から締めるべきところは締めるべきだとされる。そして、とりわけ全体が限られているのであれば、全体の伸びの度合いが限られているのであれば、全体を増やすためにも、多くかかるところは減らそうということになる。実際、維持している国々ではそのようにしていると言われる。つまり、あれだけの「高福祉」を維持するためには、削ってよいところは削るのがよいとされ、そこに合意があるとされる。

 5 保険として主張し実現されることの制約
 そして第四に、基本的に一人ひとりの負担が同じ定額の仕組み、せいぜいが収入に対して定率の負担の仕組みとされる。それは「保険」の仕組みとして提案され、推奨され、実施され、維持される。「共助」といった言葉が冠せられることもある。
 人々がある状態になる可能性が等しくあり、その起こりうることに備えるために支払い、実際になにかあったら受け取るという発想から導かれるのは、人が等しく支払う仕組みということになる。それは一つ、はじめから正しいものとして示される。もう一つ、合意をとりつけるための手段として提起される。(作られる制度が他の仕組み――例えば全面的に私企業の活動に委ねるといった場合――に比べて効率的かといった問題を別にすれば)それはたしかに、各自が各自のためにそなえるという仕組みに比べた場合、誰にとってもわるくはない制度である。自分でその費用を用意しなければならないとなれば多くを蓄えなければならないが、保険の制度のもとでは費用の平均を出すだけでよい。だからそれが主張されるということがある。それに対して、より多くを得ている人がより多くの額、さらにより多くの割合の額を負担する方法は、その人たちから反対されるかもしれない。
 実際にはそういったこともさほど論じられることなく、この制度はそれでよいとされることになった。そうして▽191 介護保険が導入されるが、それは理念・宣伝の文句としても、その実態――のすくなくとも半分――としても、保険の制度である。その後も、保険なのか税なのかが論じられることはあるにしても、それはせいぜい、保険によってまかなうのかそれとも消費税なのかといった選択として語られることになる。
 そうした制度であることを前提すれば、徴収が制約され、供給が制約されることになる。所得の少ない人について一定の減免はあるとしても、あとは定額ということになれば、使えるのはさほどの額にはならない。その結果が今のような次第だ。絶対量の縮小ということではない。総量そのものは、おおく対象となる人口の増大によるのだが、増えている。しかしそれは枠の中での抑制された増大である。そこに枠があること、枠があるべきことが承認されてきた。そして枠から外れるならそれは好ましくないとされる。

 6 「後期高齢者」
 こうして、金のことを心配しているのでない人たちも、節約する、あるいは節約を仕方がないと思ってしまう仲間たちに入れられてしまう。そして、それらとともに、他方では、率直に正直に、経済のことが語られる。
 二〇〇八年の四月になって、「後期高齢者医療」のことが突然多くの人々に知られることになった。またこちらはそのすべての人が知っているというわけではないのだろうが、その制度改革の一環として、「終末期医療」における「リビング・ウィル」作成が診療報酬化されることも伝えられた。「後期高齢者終末期相談支援料」といって、その時になったらしかじかのことをしない(する)ことを記した、提示された書式――全日本病院協会の作成したものが示された――では二択のいずれかに○をつけるといった類の書類を作成する(作成するのを手伝う)と医療者に二千円が支払われるという仕組みのものである。
 ▽192 だから、いろいろと言葉を連ねなくても、事態はずいぶんとはっきりしているとも言える。あるいは、近頃のこととしてそれを感じる人にとっては、はっきりとしてきたということにもなる。のんびりと(「近代医学の宿命」としての)「過剰」を言っている場合ではないということだ。多くの人たちが怒っているようだ。そこで、この新しい制度について、いくらかの部分についてはやめてしまうとか、全体を見直すとか、そんなことにもなった★42
 ただ、そのように捉えてよいと私も思うし、過去がどうであれ怒る時には怒ればよいとも思うのだが、それとともに、あるいは今のことをわかるために、これまでのことを振り返ることもしてよい。そしてそこから言うべきことも言えるのだろうと思う。それでこれまでいくらかのことを述べてきた。
 一つは、基本的なことである。このたびの出来事は、高齢者の医療に金がかかりすぎるから別立ての制度にして、その伸びを抑えようというものである。いやそんなことはない、そんな意図によるものではないという言い訳がなされているが、それを批判し否定すること自体は簡単なことだ。むしろ、その通りだと、ひどく金がかかっていて「現役世代」に迷惑が及ぶのだから、抑制は当然のことだと正直に言われた時にそのことをどう考えるかである。
 一つ短く述べれば、それは前節に述べたことに関わる。つまり、皆が(確率としては)同じ便益を得るのだから基本的に同じだけ支払うという仕組みとして、医療や福祉といった社会サービスの制度を捉えることに問題がある。もう一つ加えれば――少なくとも、間違ったかたちでの――「地方分権」の枠内で金勘定をすませようとすることに問題がある。
 そして一つ、この間ずっとであるのか徐々にということなのかそれも判然としないのだが、撤退すること・控えることに対する、曖昧にではあるとしても広く存在している、あるいは存在するようになったように見える賛意が、どのようにして得られるようになったのかである。これまで述べてきたのはこのことに関わりそうな幾つかだった。結局、どんな要因がどれだけ効いたのか、効いているのかは確定できない。ただそれでも考えられることを並べて▽193 みることに意味はあると考えて、幾つか記してきた。
 「過剰」が存在するとして、それはどこからやって来るのか。これを文明論として語る人は近代科学文明、近代医学・医療の性のようなものとして語り、人間学的に語る人は人間的でない科学・技術の独走として捉えた。そんな側面がないとは言わない。ただ、そんなことがあるとして、まず一つ、もしその技術によっては対応できないことがわかっている場合なら、それはむしろ無視・放棄に結びつきうるはずだし、現実にそんなことがあるのに、そのことが看過されるのは不思議だと述べた。そして一つ、それだけで説明はできないだろうと述べた。
 たしかに自分の仕事に対するこだわりであるとか思いこみもあり、それによって熱心になったり引いてしまったりということもあるのだが、仕事は同時に対価を得るための仕事ではあって、また個々人の価値観や姿勢としてどうであるかとはすこし別に、組織を経営し維持していくために、仕事が金になるのであれば仕事をするし、ならないのであればそこから引くということがあるだろう。
 そして実際にそう考えた方が現実をよく説明するのではないかと述べてきた。一九七〇年代の老人医療費無料化の時に起こったのは、他に比べれば(負担する側にいる家族にとっても)金がかからず、たしかに自己負担が抑制の要因としては働かず、そしてより重要な要因として供給に関わる決定が事実上供給側(病院側)にある中で、無駄な供給、というよりむしろ有害な供給がなされてしまうという出来事だった。
 そして次に、そうして利益を得ていた「悪徳病院」に対する批判、今述べた意味における過剰な、むしろ有害な行ないに対する批判を受けて、むしろその批判を利用するかたちで供給の引き締めがなされる。すると、金を出さないという方法で促される撤退は――必要なものは必要だと基本的な立場を維持し続ける人たちをつねにいくらかは残しながらも――もう金は出ないのだからその仕事をしたいとは言わないという具合に、撤退に対する抵抗を弱めることになる。すると撤退はさらに進む。このような循環的な過程が想定できる。今私たちがいる位置を、一つ▽194 に、そのように記述・説明することができる。そのように述べたのだった。
 そして以上の過剰と過小とが連関して存在するこの過程は、そしてそれを規定するものは、医療の撤退、医療からの追放を悲しむ人自身によって捉えられている。

 「やがて、過剰医療ということばが生まれる。患者がまるで検査やクスリを消費するだけの存在、病院を支える道具のように扱われることになる。
 それは患者が選んだことではなく、医療関係者たちが患者を医療経営のコマとして扱う羽目に自ら追い込まれる、いわば自縄自縛の落し穴にはまってしまった結果なのだが、そのころから今度は、家族もかかわりようのない高度医療の場で死んでいく人たちのことが問題視されるようになった。患者の治療にも、まして幸不幸にもかかわりなしに湯水のように患者にお金がかけられるようになり、スパゲッティ症候群ということばが生まれてきた。そして、当然のように病院で医療に頼って生き続けるおとしよりの存在が財政面から問題視されることとなって、いまでは、医療が必要な人もそうでない人も一気呵成に医療から追放されようとしている。」(向井[2003 : 8])

 けれども、同じ時期に起こったことがこのようには捉えられないことがあり、捉えない人たちがいる。そしてそのことは、この時代にあって事態を今あるように進めてきた要因の一部でもあると言える。このように考えてきたのだった。そしてこのたびの「後期高齢者医療」をめぐるできごとにも同じことが起こっている。

『高齢者の医療の確保に関する法律の解説』という本が出されている。厚生労働省保険局国民健康保険課・課長補佐、老人医療企画室・室長補佐、高齢者医療制度施行準備室・室長補佐と三つ肩書きが列挙された後に土佐和男編著と記される――ただ他に著者はいない――新しい法制度の運用に関わる細々とした解説が続く本なのだが、「W新しい高齢者医療制度」の「29後期高齢者医療制度の給付」の「(10)後期高齢者の診療報酬体系」の「A後期高齢者の診療報酬体系の必要性」には次のように書かれる(全文)。

 「年齢別に見ると、一番医療費がかかっているのが後期高齢者であるから、この部分の医療費を適正化していかなければならない。特に、終末期医療の評価とホスピスケアの普及が大切である。実際、高額な医療給付費を見ると、例えば、三日で五〇〇万円、一週間で一〇〇〇万円もかかっているケースがある。
 そうしたケースは、終末期医療に多くある。後期高齢者が亡くなりそうになり、家族が一時間でも、一分でも生かしてほしいと要望して、いろいろな治療がされる。それが、かさむと五〇〇万円とか一〇〇〇万円の金額になってしまう。その金額は、税金である公費と他の保険者からの負担金で負担する。どちらも若人が中心になって負担しているものである。
 家族の感情から発生した医療費をあまねく若人が支援金として負担しなければならないということになると、若人の負担の意欲が薄らぐ可能性がある。それを抑制する仕組みを検討するのが終末期医療の評価の問題である。
 また、後期高齢者の場合は、高額な医療費を使っても亡くなられる事例が多い状況がある。癌で苦しまれている方を含めてホスピスケアで、できるだけ心豊かに亡くなるまでの期間を過ごしてもらう仕組みが必要である。単純に医療費だけの側面だけではなく、その方の幸せの側面からも考えていく必要がある。」(土佐編著[2008 : 318-319])

 そしてその冒頭、「T序論」の「1医療制度改革が必要な理由」の「(1)老人医療費の増大」の書き出しは『厚▽196 生白書』からの少し長い引用で始まる★43

 「平成一二年版の厚生白書の「老人医療費無料化政策の功罪」で、「昭和四四年に秋田県と東京都が老人医療費の無料化に踏み切ったことを契機に、各地の地方公共団体がこの動きに追随し、昭和四七年には、二県を残して全国で老人医療費が無料化される状況となった。この流れを受け、昭和四八年から、国の施策として、七〇歳以上(寝たきり等の場合六五歳以上)の高齢者に対して、医療費の自己負担分を、国と地方公共団体の公費を財源として支給する老人医療費支給制度が実施された。この制度により、経済的理由から高齢者の受診が抑制されることがなくなり、高齢者は受診しやすくなった。その反面、ややもすると健康への自覚を弱め、行過ぎた受診を招きやすい結果ともなり、『必要以上に受診が増えて病院の待合室がサロン化した』あるいは『高齢者の薬漬け、点滴漬けの医療を助長した』との問題も指摘されるようになった。また、この制度導入後の高齢化の進展もあいまって、老人医療費は著しく増大し、各医療保険の財政を圧迫した」と分析している。
 この状況は、図表1の老人医療費の推移を見れば、はっきりとわかる。
 このような背景を前提に、図表2の人口構成の変化を見れば、昭和五七年の老人保健法の施行前である昭和五五年当時に、老人医療費の無料化が続けられたのは、七〇歳以上の者が少なく、それ以下の年齢のいわゆる若人、六五歳未満の者が多かったので、若人が費用を負担して高齢者に手厚い施策を行うということが十分に成り立っていた時代だった。
 その後、対象年齢の拡大が行われ、六五歳以上の医療費を無料化する都道府県もあった。
 平成一二年になると、昭和五五年に比べ七〇歳以上の人口が約二倍になっており、六五歳以上も増えているので、高齢者に手厚い施策がとりえなくなってきた。そこで、六五歳以上の医療の問題でいえば、無料化の対象年齢の制▽197 限や、所得制限が行われた。」(土佐編著[2008 : 16-17])

 事実だけが書かれているようでもある。そして長く引かれている『厚生白書』には、白書は多くそんなものなのだが、「両面」が書かれている。つまり、よいこともあったがよくないこともあったと書かれる。よくないことについても、すこしだけ注意深く読むと、需要の側が多くを欲し多くを得たことと、供給の側が多くを供給したことの両方のことが――しかしすこし注意して読まないとわからないようにつなげられて――書いてはある。
 ただまずこの白書において言われるのは、かつて行なったことは(国自身が行なったことではあるのだが)結局はよくなかったということだ。そして、策として提示されたのは利用者側の負担なのだから、問題とされているのは需要・利用側だということだ。
 そしてこのことはこの「後期高齢者医療」においてよりはっきりとしている。引用した文章は、一つに高齢者の割合が増え、その結果医療費が増え、その負担を(あまり)「現役世代」に求めることはできず、という話になっている。負担をどこに求めるかというこの問題と、利用者に負担を課さないと需要・供給が(過度に)増えるという話とは同じではない。ただ両方の要素を含め、基本的には利用者である高齢者に負担を求めるべきだ、求めるしかないという筋になっているから、利用者の側が払わないこと、また(払わなくてすむのなら)利用者の側が多くを求めてしまうこと、自分でできるはずの「健康管理」をしないことがここでは問題化される。
 こんなことが現実にまるで存在しないと言う必要はない。病気になれば心配だから、なんとかなってほしいと思って病院に通う。この意味ではたしかに医療は強く求められ多く求められる財だ。しかしこの限りでは、ここに「過大」な需要、需要による供給があるとは言えない。そして他方で、なされることに――たしかに医療ではその効用が事前にわかりにくいのではあるが――効果がないのであれば、まして加害的なものであるなら、医療はそれ▽198 ほどあるいはまったく魅力的なものではない。それはあればあるほどうれしいというものではない。むしろなくてすませられればすませたいものだ。そしてこのことは――あまり言われないので私は幾度か述べてきたのだが――福祉サービスについてもある程度言える。
 とすれば、どのようにして供給側が「過剰」、むしろ「加害」に向かう要因を減らすのかという問いが立つことになる。こう考えた場合、利用者による「自己負担」はたしかに供給を抑える方法の一つではあるが、よい方法でないのは明らかである。加害を防ぐための「消費者保護」策をとるのがよいということになる。
 けれども、そのような筋の話にはならない。示されるのは(窓口で負担する分については)無料だった時代には、多くを欲しがる消費者・高齢者のために不要に膨張したという理解である。その逆は、払わせて膨張を抑えようということになる。
 人は多くを求めてしまうものだという要因――それに対する対応の一つとして自己負担という策がある――と、高齢者の数の増加と寿命の伸長による需要の膨張という要因とはまずは別である。ただ、それはつなげられている。
 後者、医療の必要の増大について、まず支払いが求められる。「後期高齢者」が使用するのだから――「現役世代」の理解を得るためにも――その人たち自身も負担するべきであるとされる。多くそれと同時に、需要・供給を減らす策が講じられるべきであるとされる。一つには、内臓脂肪面積の測定などさせ病気にならないように促すことによって、一つには、家族の要望によるとされる過大な要求をそのまま認めず、本人がよしとすれば、あるいはそのような手続きとは別に、供給を減らすことである。
 前者、多くを求めてしまうことも、それ自体が問題であるというより、それが増加の一因となることが問題であるとされ、過大な要求によるとされる増加分を抑えるために、あるいは全体の増加分を減らすために、自己負担を求める他のことがなされる。ここで過大な要求(による増加)は不当とされ、後者はそうとはされないということ▽199 になろうが、さきの文章でも両者はつなげられて語られる。すると、全体として不要な増加という受け取られ方がなされるかもしれない。すくなくとも不当な増加があり、だからいくらかの――ただその限界は定かでない――削減は正当であるとされる。
 誤解のないように述べておくが、高齢者が支払うこと自体がいけないことなのではない★44。しかしまず、このことと、自己負担がよいこととは別のことである。そして次に、ここでは課題・解決がつまりは受益者負担、保険という枠の内部で語られるのだが、このことを認めることにもならない。しかし、ここでの語られ方は、問題をその枠内の問題とするように機能し、その内部での解決を指示する。だから基本的な問題は、やはり基本的なところにある。つまり誰がどのように払うのか。このことについての立場を示す必要がある。『良い死』第3章5節3で述べたことを、繰り返す必要がある。本章の最後にすこしだけ繰り返す。
 ただ、その基本はそれとして、過去から現在にいたる現実の把握の仕方があって、それを前提にして推奨される道がある。そしてその方策が実現されるなら、それはそのことに対する反発を招く可能性とともに、その現実のもとで、推奨される方向への自発的な追随を招くことにもなる。
 つまり、もっぱら過剰が語られる。そしてその要因は、おおく利用者、むしろその家族の側に置かれる。そしてそれに対する対応がなされる。つまり過剰な部分を減らそうということになる。いくつかの方法があるが、たとえば負担を増やす。入院できる日数を減らす。そしてそうした状況のもとで、どうするか、どうしたいかをあらかじめ聞いておく。すると遠慮するということになる。
 あるいは、医療の側も過剰に行なってしまうのだとする。そこでそれを制約する。それは金を出さないという単純な方法で行なわれる。すると医療は撤退し、過剰に行なうなどということはなされない。しかし、それでも余計に行なってしまうのだという認識がなお残されるとしよう。すると、同じことが続けられる。
 ▽200 ここにあるのは事実認識における間違い、全面的な間違いでないとしても、一面的な認識である――そのことを述べてきた。その間違い、一面性自体が、ここ数十年の出来事、流れを作り出してきたわけではないと考える。しかしそれは、こうして流れていくに際して抵抗の少ない、あるいはそれを促進していく方向の認識である。
 とりあげた本では正直にお金のことが語られていた。ただそのことを気にかけているからものを言うのではない人たち、需要・供給の増加を抑えるためにものを言うのではない人たちもまたいる。前節でとりあげたいくつかの調査を行ない検討する検討会のメンバーの多く、また「福祉のターミナルケア」の報告書に関わった人の多くもそうであったはずだ。ただ、前段に記したことから、費用・負担に関わる部分を差し引くと、そこに残るのは、その人たちによって、また多くの人たちによって語られてきたことである。つまり、家族は必要以上に欲しがる、近代医療はその本性として必要以上に与えたがる、結果不要なことが多く行なわれているという話である。結果、政治・経済からまったく遠いところにいる人間学的な言説と、経済のことを危惧し危機から脱する処方を説く言説とが、なにか近しいところにいて、いくらか重なったことを語っているように見える。
 削減のためにそうしたことごとが語られたのだと私は考えない。ことはもうすこし微妙だ。そしてそれは、一部の人たちの認識ではなく、むしろ数多くの人の思いのようでもある。すくなくともそのように言われる。そんなことになっているその仕組みをこれまで見たきた。

 7 やはり基本をはっきりさせる
 この頃のように様々が起こると、そろそろ、すくなくとも現実は語られてきた物語のようではない、そのようであるだけではないと人々は思うようになって来ているのかもしれない。しかしその思いの中にも様々があって、あ▽201 まりに露骨なことがなされるとさすがに反発が起こるが、さほどではないならさほどでない、受け入れよう、受け入れざるをえないということにもなる。また、必要なものを確保するために、不要なものを減らそうとする。あるいは優先すべきものを優先しようとする。そんなことも起こる。
 それでは困る人たちは、今の状況がいかに悲惨であるかを言う。すると同情をかったりして、すこし減らす分が減らされる。「弱者」から多くをとってはならないということにはなっていて、それで負担についていくらかの減免の策がとられることがある。しかし、そうでない――定義上大多数の――人たちについては均等の負担が求められる。ならばたしかにあまり多くを徴収することはできないと思われる。そうして、実際にさほど金のかからない、そこでたいしたことのない制度ができてここにある。それが前提となって、さらに、大勢としての事態は進む。こんなことが繰り返されている。
 仕事に対して支払うという仕組み――説明は略すが、それはわるいことではない――が制度として可視化され、そこに出し入れされるものが金額として算出されるようになったのではあった、そのことが――一方でそれは「国民総生産」を増やしているのではあるが、同時に、支払いを増やしてもいて――否定的な感覚を増強しているのかもしれない。しかし、だからそれを支払いのないかたちに戻せばよいというものでもない。どのような方向を向くか。基本的にはそれをはっきりさせるしかない。「経済」についてどう考えるのかを言うことである。
 多くある人から多くを得て、必要な人に渡すという原則を通せばよい。幾度か述べたことではあるが、すこし説明を足して再説する。
 まず、経済が現実を規定するとはどういうことか。それは、人間が結局は物質を消費しなければならず、そのことが最も大切なことだから、そのことが社会を決めているということではない。消費のためには生産が必要で、生産するためには人が働かねばならない、そのことに現実が制約されているということではない。もちろん、消費の▽202 ために労働が必要なのはそのとおりなのだが、その意味であれば、消費に必要なものだけは生産可能であり、その生産を可能にするだけの人はいる。とりわけ世界的には人は余っている。たしかに生産は必要なことで、必須の重要な条件だが、その水準でことが起こっているわけではない。ただ頻繁にそのように語られてしまう。足りなくなると、自分(だけ)は正直にそのことを語ると言って語る。そんな人たちがいる。この人たちについては基本的なところから話す必要があることになる。
 人が生きられるだけの時間生きられるようにすることは可能である。そのことを確認するために、言われているほどかからないことを指摘することも大切である。そしてそのことは言われてきた。「終末期医療」に――それを人の最後の一月にかかる費用とすることにしたとして、つまりあらゆる人がその時間を過ごすその時間にかかる費用だとした上で――かかるのは、貨幣に換算すれば、年に八千億だとか九千億だとか一兆円だとか、そんな額である。一人毎年一万円ということになる。それで充分だといえないが、「末期」の暮らしのために、すくなくともいまの状態を維持するためにはこの程度ですんでいるということである。それが二倍になり三倍になることはあるだろう。それは、人が一年のうちの一日、二日、三日ほどを働くといったことである。
 ただその同じ金額・負担を捉えて、それが多すぎると言われることがある。するとそれはたんに事実をめぐる対立ではないということになる。それで、随分と迂遠なようにも思われたかもしれないが、『良い死』の第3章「犠牲と不足について」を書いたのでもある。ここではその中で述べたことの一つだけを繰り返す。
 まず、所得について、市場で多くを得た人からより多くを徴収して、少なく得ている人に渡すことは認められるとしよう。具体的には所得や相続について累進的な課税が認められるとしよう。むろん、このことを否定する人はいるだろう。否定するのが正しいというその論に対して、これまで言えることを私は言ってきた。それでももちろん、何を言っても、否定する人はいるだろう。それは仕方がない。ここでは、今述べたことが基本的には認められ▽203 たものとしよう。その上で、ならば、と続ける。
 暮らしている人にとっては、食料であろうが衣服であろうが、また医療に関わる費用であろうが介助に関わる費用があろうが、生活のために必要なものがあるというだけであって、その限りで区別はない。実際には制度としては区別されており、制度が区別するからそこにはなにか実体的な差異があるかのように思えるが、それはまったく便宜的なものであって、標準的な人間を想定し、その部分に対応するものとして年金なり公的扶助なりの所得保障を行なう、それ以外の部分については医療であるとか福祉サービス・介護であるとか、別の制度で対応しているというだけのことである。
 では、そうして別にされたものについては、一人ひとりが基本的に同じだけの負担でよいという理由があるか。それはない★45。よって、医療や福祉についても同じく、多くを得ている人から多くをとって運用していくのがよい★46。そんなことを本格的にしなくても十分にやっていけるのではあるが、それでも基本的にはそう考えればよい。すこしも難しい話ではない。

第3章・註
★01 それは本来、「家族・性・市場」という題の、違う主題の連載([2005-])のはずだった。二〇〇五年一〇月号から始まった。ただ性分業等のことを考えるためには、労働のことを考えておかねばならないと思い、そのことを考えることになった。本章は、その連載の第二九〜第三五回分によって構成されるのだが、さらに別の領野に論を移してしまったということになる。しかしもちろん、みな関係はある。その前は人と生産(の不足)について、それから働いて得ることについて考えてみていた。「人の数について」(第二〇回・二〇〇七年五月号)、「人の数と生産の嵩について」(第二一回・六月号)、「生産・消費について」(第二二回・七月号)。働いて金を得ることと無償で行なうこと▽204 について、「無償/有償」(第二五回・二〇〇七年一〇月号)、「無償/有償・続」(第二六回・一一月号)、「働いて得ること」(第二七回・一二月号)、「働いて得ること・案」(第二八回・二〇〇八年一月号)で考え、それは終わっていない。第三六回(二〇〇八年九月号)から再開される。性分業や家事労働についてまとめる前に、労働について、まず一冊にする(青土社から刊行予定)〔☆☆〕。家事労働について言えると考えていることのおおよそについては[2003f]。
★02 一九八〇年代から一九九〇年代は今も生きている人たちの多くが生きてきた時代である。ただそうであっても、もう記憶が曖昧になってしまっている部分がある。また、後になって何が起こったのかがわかるということもある。当時の言説について、天田城介氏から多くを教示していただいた。また今後の研究をグローバルCOE生存学創成拠点の研究の一環として、天田氏が指導する「老い研究会」が展開することになる。これまでの成果として、田島・坂下・伊藤・野崎[2007]「一九七〇年代のリハビリテーション雑誌のなかの「寝たきり老人」言説」、田島・坂下・伊藤・野崎[2008]「一九八〇年代のリハビリテーション雑誌のなかの「寝たきり老人」言説」、仲口・有吉・堀田[2007]「一九九〇年代の「寝たきり老人」をめぐる諸制度と言説」、仲口・北村・堀田[2008]「一九九〇年代〜二〇〇〇年代における「寝たきり老人」言説と制度――死ぬことをめぐる問題」、有吉・北村・堀田[2008]「一九九〇年代〜二〇〇〇年代における「寝たきり老人」言説と医療費抑制政策の接合」。またホームページに「老い」(老い研究会[2007-])等の資料――http://www.arsvi.com「内」を「老い」で検索すると見つかる――を掲載している。
 また、本章では諸外国の動向が知られ、その知識が用いられたいくつかの場面を見ていくことになるが、その知られ方についてもずいぶんとむらがある。法学者によって法律や裁判の紹介はよくなされているが(ホームページにリストを掲載)、それまでもまだまだ知っておくべきことがある。やはり私たちが進めている共同研究の成果として以下(とホームページ上のファイル)がある。的場・堀田・有吉・末岡[2007]「延命治療の差し控え/中止に関するガイダンス:紹介――英国General Medical Council編:延命治療の差し控えと中止:意思決定のよき実践のために」、的場[2007]「治療を中止させない権利についての一考察――英国Leslie Burke裁判をめぐって」、的場・藤原・堀田[2007]「英国における尊厳死法案をめぐる攻防1――2003-2006」、安部・大谷・的場[2007]「英国における尊厳死法案をめぐる攻防2――議会外キャンペーンの様相」、堀田・的場[2007]「英国における尊厳死法案をめぐる攻防3――英国Leslie Burke裁判Munby判決の再評価」、堀田・有馬・安部・的場[2009]「英国レスリー・バーグ裁判から学べること――生命・医療倫理の諸原則の再検討」。そしてそれらを受け、それらとともに考察▽205 がなされる。成果として有馬[2009]他。
★03 近年のことについて多田富雄[2007]『わたしのリハビリ闘争――最弱者の生存権は守られたか』〔☆☆〕。
★04 横塚晃一[1975→1981→2007]『『母よ!殺すな』。本書でも『良い死』でも幾度かこの本に言及してきた(本書第1章註7・六一頁、『良い死』第2章註21・二二一頁、等)。
★05 なおらないのになおると言われて様々された人たちがいた。だから医療に批判的だった。ではなおるのであればそのことはどう考えたらよいのか。『現代思想』二〇〇三年一一月号〈特集:争点としての生命〉に収録された古井透[2003]「リハビリテーションの誤算」、上農正剛[2003b]「医療の論理、言語の論理――聴覚障害児にとってのベネフィットとは何か」。上農の著書に上農[2003a]。私の書いたものについては本章註12。
★06 さらに『ルポ・有料老人ホーム』(大熊[1995])、『あなたの老後の運命は――徹底比較ルポ デンマーク・ドイツ・日本』(大熊[1996])等々。最近の文章として大熊[2008]。
★07 会のHP内の資料(老人の専門医療を考える会[2007])他によれば、発足は一九八三年。一九八五年には第一回のシンポジウムが開催されている。以来二十年余活動を続け、二〇〇六年九月には「高齢者の終末期ケアのあり方について――老人の専門医療を考える会の見解」(老人の専門医療を考える会[2006])。青梅慶友病院の実践について『老人病院――青梅慶友病院のこころとからだのトータルケア』(黒川編[2002])。『老いと死を生きる――老人病院医師へのインタビュー』(新福監修[2004])といった本も出ている。
★08 「『この特別養護老人ホームというのは、なんでしょうか』/『ネタキリ老人とか、人格欠損のある方を収容する施設です』/寝たきり老人というのは一つの熟語として専門用語になっているらしいと分かったが、人格欠損は分からない。質問してみると」(有吉[1972→2003 : 308])。
★09 その後、山井[1993]、山井・斉藤[1994]等々。二〇〇〇年から民主党国会議員。山井[2004]等。
★10 「なにより残念なのは、重箱の隅をいじりまわすような「操作」でいのちをも奪う制度の倫理性を語る専門家をほとんど知らないことである。
 脳梗塞の後遺症のリハビリを打ち切られようとして指一本の執筆活動で厚労省に闘いを挑んだ免疫学者の多田富雄氏は、医療費削減政策下での診療報酬制度の操作を「まるで『毒針』(『わたしのリハビリ闘争』)」と鋭く指摘された「毒針」の意味を歴史を踏まえて分析評価する専門家の登場を、二〇年以上、ただ当事者として書き続けてきた私は▽206 待ち焦がれている。」(向井[2008 : 109]、文中で言及されているのは多田[2007])
★11 医療経済(学)に関わる本は様々あり、よい本もあり、知らないことを記してくれている本もある。それでもまだいくらも調べておいてよいことがある。例えば高価な人工透析の費用を負担できず多くの人が亡くなっていた時期があり、その自己負担をなくそうという運動があり、それが実現したことがあった。一九七〇年前後のことだ。有吉[2008]でその歴史の収集・叙述が始められている。今も安くはないその装置の価格のことをどう考えたらよいのかといったことも含め、様々に調べ考えるべきことがある。新しいものを追ってなにごとかを言おうというのもわるくはない。ただ、現在につながる様々なことの多くは既に起こっている。
★12 このことに関わることを、『良い死』第3章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」4節「会ってしまうこと」1「告発との不整合?」3「それでも会ってしまうこと」に記した。またこれまでに書いたものとして、「なおすことについて」([2001d])、「ないにこしたことはない、か・1」([2002d])〔☆☆〕。山田へのインタビューは『現代思想』掲載時には収録されなかった部分を含め、またその分量と同じ長さの注を付し、山田・立岩[2008b]として稲場・山田・立岩[2008]に収録された。
★13 植村要[2008]は、歯(歯根)を取り出し、そこに穴をあけてレンズをとりつけ、それを眼球として埋め込むという手術を受けたスティーブンス・ジョンソン症候群の人や医師に話を聞いて書かれた。このたしかにびっくりする手術を受けて、そしてたしかに成功した人がいる。長いあいだ見えていた人が見えなくなって、そしてまた、様々な制約付きではあるが、見えるようになった。それはおおむねよいことであった。ただそれは、おおおむねそうだということで、予想しなかった不都合など、様々なことはあった。ではその様々を洗い出し、数え上げて整理すると、その人は手術をやめただろうか。たぶんやはり受けただろう。では数え上げることには意味がないか。そうでもないはずだ。なかなかすっきりした話にはならないとしても、様々な行ないの、様々な人にとっての得失について調べて、考えることはなされてよい。
 そして、なおらないこと、もう起こってしまったよくないこと、それをどうしたらよいのか。十分な答などというものがあらかじめないことがわかった上で、このことに関わる私たちの営為について知ることがなされてよい。(そう簡単に)もとには戻らない、消し去ることのできないことがあった時、人はどんなことをするのか。それにしたって一様ではない。もちろん自分のこの状態は、あるいは過去に起こったことは、わるくはないのだと思えた方がよい▽207 こと、そして思えることもあるにはある。しかしむろんそんなことばかりではない。その時に人は何をするか。自分のせいにしたり、人のせいにしたり、妖怪のせいにしたりする(芥子川[2006]、等々)。それはどのようによく、どのようにうまくいかないところを残すのか。山口真紀[2008]が考え始めている。
★14 こうしたことを捉えた次のような文章もある。引用文中の青梅慶友病院の院長は、本文でその著書を引用する大塚宣夫である。二木の著作からは、「無駄な延命治療」が彼の国々でなされていないことについての基本的には肯定的な言及と、「福祉のターミナルケア」論争における石井らの主張を擁護している部分を、第5節1項(一四九頁)で引用、紹介する。やはりなかなかに事態は複雑なのでもあるし、また整理すればそれほどでもない。
 「たとえ早期からリハビリテーションを徹底して行っても、歩行が自立する老人、つまり狭義の「寝たきり」状態を脱する老人は三分の一しか減らせないというのが、冷厳な事実である[…]。
 もう一つの評価の視点は、他人の介助を受ければ、最大限どこまでの動作ができるかということである。[…]私自身の脳卒中早期リハビリテーションの経験でも、発症後早期の「寝たきり老人」のうち約九割は介助をすれば起こしたり、座らせたり、歩かせることができる。それに対して、重篤な心臓疾患や肺疾患などがあり、全身状態が不安定なために医学的な理由から絶対安静を必要とする老人は、一割にすぎない。
 『寝たきりゼロをめざして』という、厚生省の特別研究の報告書の中でも、老人医療で有名な東京の青梅慶友病院の実践例として、自力では起きたり、歩けない慢性疾患・障害老人のうち、介助をすれば起きたり、歩ける老人が九割だと報告されている[…]
 大熊由紀子(朝日新聞)が先駆的に明らかにしてきたように、北欧諸国には、「介護の必要なお年寄り」はいるが、「寝たきり老人」がほとんどいないというのは、この意味においてなのである。[…]
 そのために、自力では起きたり、歩けない、という意味での「寝たきり老人」を「寝たきり老人」にしないためには、これらの老人を介助によって起こしたり、歩かせるという援助が不可欠である。そして、これを徹底的に行うためには、大量のマンパワーの投入が不可欠で、ゴールドプランとは桁違いの費用がかかる。」(二木[1991 : 136-138])
 次のようにも振り返られる。
 「高齢者のQOLを高めるという視点から、主として北欧諸国で打ち出されてきた政策は、「寝たきり」をなくすた▽208 めに高齢者の自立を支援するような介護のあり方を模索するという方向であった。そして日本でも、このような方向を強く打ち出すべきことが、九四年に厚生省に設けられた私的諮問組織「高齢者介護・自立支援システム研究会」によって報告されたのである。このころの厚生省の政策の理念は、すでに一九九〇年のゴールドプランとして具体化されていたが、さらに「二一世紀福祉ビジョン」が示され、今後の施策の重点を医療から介護に移すことがうたわれた。」(西村[2000 : 204-205])
★15 田島明子[2006a][2006b][2006c][2007a][2007b][2007-]が、十全に、というわけではないにしても、こうした仕組みについて、調査し考察している。例えばそこでは、「障害受容」という言葉が本文に記したように供給側にとって都合よく使えてしまう言葉であるがゆえに、かえって自らはこの語を使わないようにしているといった作業療法士の言葉がとりあげられてもいる。
 ちなみに「障害受容」の「概念」には、そこに生じている不利益・不便を自らに発するものと思って悲観することをやめ、それを社会の問題として捉えようという、障害学で言うところの「社会モデル」的な視点はきちんと入っている。このように、これらの様々なものは、なかなかによくできたものなのである。問題は、それがどのような場に置かれたときにどのような使われ方をするのかである。
 吉村夕里[2008]では、精神保健福祉の領域において近年使われるようになった様々なツール(例えばその人の状態について質問しながら記入していってその人の状態を把握しようというアセスメント道具一式)の使用法についての調査・考察がなされている。吉村は現今の状況に批判的だが、ではかつてのその場その場での出来事としてあり個人芸としてなされたソーシャルワークを回顧し礼賛しているかというとそういうわけでもない。そんな道具があってはいけないとは言っていない。ただ、それがどのような場でどのように使われてしまうのか、どのような効果を生じさせるのか、それは冷静に見ておこうというのである。
★16 関係者各々にある異なった傾向・利害を取り出し並べた上でものを考えるべきであることは[2000b]で述べ、いくらかの記述を行なってみている。福祉や医療の直接の供給者と利用者とその費用を支払う側と、各々を取り出し、各々の利害の共通性と差異とをふまえて考えるべきことを言い、考えるとどうなるかを述べた。そうした当然のことがあまりなされず、それをふまえてものが言われることがあまりないことはよくないことだと思う。
★17 七〇年代から本が出ていることを第2節では紹介したが、多くの書籍が刊行されるのは一九九〇年代になる。
 ▽209 『寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究』『同 第2版』(厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課[1989][1990])、『「寝たきり」老人はつくられる――寝たきり大国からの“脱”処方箋』(青木信雄・橋本美知子編[1991])、『寝たきり老人ゼロ作戦』(山口昇[1992])、『「寝たきり」をつくらない福祉――福祉とは何かを問いつづけて』(児島美都子[1993]、講演集でとくにこの主題を論じた本というわけではない)、『医療と福祉の新時代――「寝たきり老人」はゼロにできる』(岡本祐三[1993])、等々。関連する厚生省の通知を集めたものとして厚生省老人保健福祉局老人保健課[1998]。近年もおびただしい数の本が出ている。そのほとんどは寝たきり予防、介護予防についての本である。『寝たきり者の生存余命の推定――損害賠償額算定における統計の役割』(吉本[2004])といった本もある。他方、それらとはずいぶん違う本として『寝たきり少女の喘嗚が聞こえる』(山口ヒロミ[1995]、その後、山口平明[1997]、山口平明・山口ヒロミ[2000])といった本もある。
★18 いくつかの事典で私が担当した「自立」「自立生活」の語の解説はホームページで読むことができる。すこし長い文章として[1999a]がある。
★19 三好春樹の講演記録に以下のような部分がある。
 「私は寝たきり老人が日本に多いっていうのは、決して悪いことではない、いや、それ自体は悪いことなんだけど、マイナスだけで捉える必要はないと思います。というのは、まず寝たきりになっても栄養が行き届くっていう豊かさがないと、寝たきり老人なんていないんですよ。脳卒中になって生き長らえる国っていうのは、世界で数えるくらいしかないんですからね。[…]さらにその上、他人に依存しても生きてゆけるという文化を持っているところでなければならない。これ西洋じゃ無理なんです。[…]
 この二つの条件を満たしている国が日本だけなんです。[…]老人の寝たきりをいかに克服していくのかっていう方法論も、この二つを武器にする他ない。一つは豊かさ、もう一つは相互依存です。[…]
 年取った時というのは、長生きした者の特権ですから、援助してもらってありがとうと言えばいいんです。そういう文化をいまだに持っているんですからね。これを使って寝たきりの問題を何とか解決していこうということです。ですから、外国に対して恥ずかしいから寝たきりを減らそうなんていう発想では困るんです。」(三好[1994 : 9-11])
 この後にはいつものように『朝日新聞』的なものの批判が続くのだが、それはそれとして、そして(本文に記した▽210 ように、西洋・対・日本という)話がおおざっぱだといった言いがかりをつけられなくはないとしても、ここで言おうとしていることは受け入れてよいことだ。三好は、よく知られているように、寝たきり(寝かせきり)を起こすための知恵を説いて回っている人だが、自らの行ないに対する距離のとり方は心得ている。
★20 竹中は日本赤十字病院外科部長で自らががんの手術を受けたその体験他を『医者が癌にかかったとき』(竹中[1991])、『癌にかかった医者の選択――残りのいのちは自分で決める』(竹中[1992])、『続・医者が癌にかかったとき』(竹中[1995])、『がんの常識』(竹内[1997b])等に書いた。引用したのはその三冊目の著書から。あるいは、本章で幾度も言及する大塚宣夫の座談会の発言では、「この期におよんで家族のために無理やり生きなきゃいけない。自分のわがままというか、自分のやりたいことができない、というところがありますよね。」(大塚他[2002 : 223])、等々。
★21 例えば私には記憶がない。この種のこと全般についてできることなら知りたくないと思っていることもあるかもしれない。しばらく経ってから、九八年あるいは九九年に、誰かから報告書と『社会保険旬報』のコピーを送っていただいたのではないかと思う。その後、向井[2003]での記述(後で引用)も読んで、気にはなっていたのだが、すこし調べてみたのはそれからずいぶん後のことだ。なお、以下に登場する広井良典の年来の主張の大部分に私は共感し、同意している。ただそれだけでは文章にならないので、いくらかのことを加えて、広井[2003]について書いた短文として[2005d]。『生死本』に収録予定。
★22 海外調査については『週刊医学界新聞』が本文にあげた記事の続報として連載、また広井の『看護学雑誌』での連載で紹介された。海外調査については報告書の参考資料2(白石[1997])。そして竹中[1997a][1997b]でその感想が述べられている。一部を引用する。
 「[聞き手]先生は、厚生省の外郭団体である長寿社会開発センターの「福祉のターミナルケア研究会」に参加されているそうですが、どういう活動をされているのですか。
 [竹中][…]帯広の「とよころ荘」という養護老人ホームをケア訪問したのですが、ここは、老人ホームでありながら、入所者ががんの末期になったり、死期が迫ったりしても、病院に送ったりせず、嘱託医の協力を得ながら、そのままターミナルケアを行っているのです。今まで医師がやっていた最期の看取りに、過度に医師が関与するのではなく、あるところまできたら、医師は、治るか治らないかの見極めだけをきちんとして、あとはそれほど医療がタッ▽211 チせずに自然に任せるのがいいのではないかと私は思いました。個人の考え方にもよりますが、八〇すぎた人で一〇%くらいしか治る可能性のない治療を強いてやる必要はないでしょう。公的介護保険など、医療よりも介護の方でみるという方向に世の中動いていますので、老人ホームでのターミナルケアの取り組みは重要だと思います。
 […]同じ研究会で、今年一月には、イギリスとスウェーデンのターミナル事情を視察してきましたが、ここでも「医療での死」から「自然な死」への方向転換を実感できました。末期がん患者では苦痛を与える治療行為は行わず、自然の成りゆきに任せているのです。
 私は、治せないがんが見つかったときが人間の天寿だと思っています。」(竹中[1997a])
 「イギリスで見学したセントオズワルド・ホスピスは、日本のホスピスと同じくがん患者が主な対象であるが、日本のホスピスとは基本的なところで相違点がいくつか感じられた。[…]
 このホスピスは「死に場所」というより、これ以上の治療は望めないほど理想的な「在宅死を支える患者のための施設」であり、日本のホスピスが手にできないでいる終末医療のシステムをみごとに機能させていた。
 もう一つの違いは末期がん患者に対する医療態度だ。[…]イギリスのホスピスでの末期がん患者に対する緩和ケアのノウハウを見ると、日本よりはるかに医学的な考察が行われている。」(竹中[1997b : 204-206])
 また広井は、後の著書で次のように振り返っている。
 「これからの時代においては、“長期にわたる介護の延長線上”にあるような看取りが大きく増加し、そのような場合には、狭義の医療のみならず、介護など生活面のサービス、家族への支援を含めたソーシャル・サポートといったものの重要性が非常に大きくなる。したがってこれからのターミナルケアにおいては、医療と福祉(+心理)の連携を含めたより総合的なアプローチが求められていると思われる。こうした問題意識から、筆者らは数年前、「福祉のターミナルケア」と題する国内外の調査研究をおこない、調査結果と提言を報告書としてまとめた。」(広井[2000 : 144])
★23 著書(滝上[1995])に横内との対談が収録されている。
 「五年前にデンマークに行ったときに、私は大変なカルチャー・ショックを受けました。「延命治療は国民のコンセンサスの中にない」という説明を受けたことです。では仮に延命治療を願い出た患者や家族に対しては医療の反応は如何かという私の質問に対して、「延命治療はしない方向で話し合う」という返事がかえってきたことです。/その代▽212 わりに、福祉は手厚い。」(滝上の発言、横内・滝上[1995 : 249])
 「デンマークでは、医師の方から積極的に延命治療をしない方向で話し合うようですが、延命治療をしないことに国民的合意が成立しているのであれば、それでよいでしょう。ただ、現在の日本でそれと同じことをするとすれば、かなり問題です。延命治療をしないことが、必ずしも国民のコンセンサスが得られているとは考えにくいし、日本人の倫理観では、延命治療を希望する患者は家族に、それを思いとどまらせるように説得することが許される、とは思えません。」(滝上の発言、横内・滝上[1995 : 250])
 「ヨーロッパ諸国では高齢化に伴う医療費の高騰から、医療サービスの制限を強化していますが、とりわけ末期に顕著です。ヨーロッパのある国の医師から、ヒトが末期にあるか否かは判別できるし、末期ならば治療は控えると聞いたことがあります。私は、治療して治らなかったばあいに、すなわちヒトの死の後でしか、末期であったのか否かは判別できないと思うのですが。」(滝上の発言、横内・滝上[1995 : 254])
 「北欧諸国の痴呆の高齢者のためのグループホームについてはよく情報が入りますが、そこで住めなくなった高齢者はどこに行くのかは知らされていない。また、グループホームでの医療がどうなっているかも日本に情報が入りませんね。痴呆の高齢者は急性疾患にかからない、ということはありませんからね。
 北欧の福祉を日本に紹介してくる人々の中には、意図的な情報操作があるのではないでしょうか。」(滝上の発言、横内・滝上[1995 : 260-261])
★24 一月のフォーラムでも「横内氏の「みなし末期」批判を基調講演(横内[1998a]と同趣旨)とし、開催のよびかけ文においても、「終末期でない状態にまで終末期を拡大解釈し」と、我々の批判の基軸を明らかにしている。私の論文も横内氏の「みなし末期」論を基礎にしながら論理を展開した。もし本気で「医療を否定していない」というのなら、誤解・曲解を言う前に、広井氏は「みなし末期」を明確に肯定している共著者の竹中氏と見解が同じであるのかどうか、末期の定義を改変する意図があるか否かを明らかにすべきである」(石井[1998b(上) : 14])
 「みなし末期」という語は横内の言葉であり、一九九五年の滝上との対談(横内・滝上[1995])、横内[1996][1997]等で説明されている。また著書『「顧客」としての高齢者ケア』でも高齢者への医療の打ち切り・非開始、尊厳死についての記述がある(横内[2001b : 4-5,101-102 etc.])。
★25 報告書の「冒頭部の論文が「死は医療のものか?」との見出しで始まる。そして、これまでの「メディカル・タ▽213 ームで語られるターミナルケア」から「ノン・メディカルな、つまり医学的な介入の必要性の薄い……長期ケアないし『生活モデル』の延長線上にあるような、いわば『福祉のターミナルケア』が非常に大きな位置を占める」と問題提起をしてから、「『政策としてのターミナルケア』の課題」の検討に入っていく。[…]これまで死が医療用語だけで語られてきたとの指摘はもっともである。産むのも死ぬのも病院まかせの現代人は、自分で生死の演出などとうの昔に投げ捨てているから、老人病院の悲惨な現実は聞き飽きるほど知っているのに、ではどうしたらいいのかわからないので困っているのである。せいぜい、「ぽっくりと死にたいねえ」と井戸端会議で言い合う程度では解決の糸口にならない。一般市民はそのレベルで、でも以前よりは少しぶつぶつ不安を口にし、悲鳴をあげながらどうしたら政策参加できるか悩み始めたところなのだが、報告書の方は一気に「ターミナルケアの経済評価」へと飛んでいき、どうしたら終末医療にかけるお金を減らせるかという方向づけを試みる。
 ガン末期の父親に退院を勧めるために使われたことばがふとよみがえった。
 「お父さんはそろそろ畳の上の大往生の時期ですよ。幸せに逝かせてあげて下さい」
 真に受けて退院させたとたん、大往生直前の憔悴し切った人はよみがえって歩きだしてしまったのは余談だが、死をどこでどう迎えるのか、自分や家族の意思を保障するにはどうしたらいいのか。そちらは手つかずのまま、人のいい現場の職員をコマンドに仕立てあげながら進行させていく「政治的事態」はしっかり見据える必要があるだろう。」(向井[2003 : 67-68])
 いま引用した本も含め、向井の著作について『生死本』で紹介する。
★26 山本孝史は、二〇〇七年に議員立法で制定された「がん対策基本法」の成立などに関わり、著書に『議員立法』(山本[1998])、『救える「いのち」のために――日本のがん医療への提言』(山本[2008])等があり、二〇〇七年にがんで亡くなった。山本のメールマガジンに尊厳死立法化の動きとこの時の論争にごく短く言及した文章(山本[2006])がある。
★27 質問中の川渕は川渕孝一。経営学者・経済学者。病院経営等に関する多数の著書がある。厚生省病院管理研究所(現国立保健医療科学院)等に勤務の後、現在は東京医科歯科大学。本書の主題に関わる著書に『生と死の選択――延命治療は患者にとって幸せなのか』(川渕[1997])、共著書に『最期の選択――大往生するための本』(Molloy・川渕[1995])。後者の章立てだけ記しておく。「患者を見捨てないで症候群」「医療技術の暴走」「膨張する医療費」▽214 「いかに死なせるか?――安楽死と自殺幇助」「医療の事前指定」「事前指定の問題点」「これからの医療」。ウィリアム・モーロイの著作(岡田玲一郎ほか訳)として『自分で決定する、自分の医療――治療の事前指定』(Molloy[1989=1993])。
 この番組への言及があるものとして以下。(他の国のことを知らないが、この国には、医師が書きたい様々を書いてそれが出版されるという本が多い。)
 「大分前にNHKで、「良い死」という事で放送されたことですが、ある施設で高齢者に、黒い便が出ました。そして、その便が続き、次第に弱っていきました。当然、食欲もありません。施設では末期とみなし、特に治療をしませんでした。数日後、亡くなりました。何もしないで自然の状態で死んでいきました。これが良い死だと放送されたわけです。その後、NHKは 「よい死」ということは撤回した様ですが。黒い便は、多くの場合は胃・十二指腸からの出血です。胃潰瘍、十二指腸潰瘍、あるいは胃ガンなども考えられますが、出血は比較的簡単に止めることができます。医療がかかわることによってBさんは、まだまだ元気に長生きできたと思われます。これが「みなしの末期」です。
 みなしの末期が、実は、特別養護老人ホームや在宅で療養している中にはかなり見られます。医療側は、人命軽視とする意見が強くあります。福祉の方の中で一部の方には、たとえ脱水だろうと肺炎だろうと、その人の一つの運命だろうし、いずれそうなるのだろうから、単に点滴をしたり肺炎を治したりしても、それは一時的に過ぎない。所詮数カ月後には、似たような運命が訪れるのだから、それはそれで自然の理にかなっているという考えです。それを「福祉の死」ということもあります。
 […]いずれにしろ、今は、どっちが正しいという結論は出ていません。私は、医師として助かる命が死んでしまったら、大変残念ですから、「みなしの末期」は認めたくありません。」(宮原[2005 : 68-70])
★28 わりあいこのことをはっきりと率直に語っているのは、山崎摩耶(日本看護協会理事、当時)である。
 「今日は福祉関係の方もお見えですか? 別に福祉関係の方に苦言を呈するつもりはないのですが、私は医療看護の介入しないターミナルケアというのはありえないと思っております。昨今は「福祉のターミナルケア」とかという論文をお書きの方もいまして、「おいおいおい、ちょっと待ってよ」と言いたい感じがあります。
 特養も全国調査をいろいろ見ますと、半数が自分のところでターミナルを看取れます、と答えていますが、半数が▽215 最後は病院に運ぶと答えています。
 先ほど申しましたように、特養のナースの配置数が非常に少ないのではないでしょうか。そうすると特養で、二四時間看護婦がいないところで、どうやって誰がターミナルケアを看るのでしょうか。福祉だけでターミナルケアが出来るのでしょうか。
 ですから、特養に訪問看護婦が二四時間ターミナルケアに外から看護を提供しに行く、という仕組みはどうですか? 私は真面目に考えておりまして、これは施設間で相対契約をすればいい話ですし、介護保険下では特定施設ですから、有料老人ホーム、ケア付き住宅、ケアハウス等はそういう仕組みが既に出来ております。」(山崎[2001]
★029 「平成八年、私は当時の橋本内閣が六大行政改革を行ったときに、経済審議会の「医療・福祉作業部会」の座長に選出されました。そして一〇月九日、医療・福祉における一二項目の聖域に大きく踏み込んだ抜本的な改善案を建議いたしました。
  医療については、第一番目に重大な課題として、中央社会保険医療協議会(中医協)のメンバー構成が日本医師会に偏っていることの是正を求めました。[…]
  福祉については、第一番目に重大な課題として、日本の医療制度と福祉制度の双方を歪めている「社会的入院」の解消を指摘しました。また、介護保険制度がスタートして以来、多くの民間事業者が活躍していますが、一方で不祥事が多発していることも事実です。総理への建議書の最後では、福祉の民営化にあたり消費者保護の方針を強く訴えました。[…]
 総理に改善書を提出してから、一〇年が経ちました。当時、厚生労働省(当時は厚生省)は自分らの既得権益を侵害されたとしか理解せず、まったく動いてくれませんでした。それが今日となって、そのほとんどが実践に移されていることは、私にとって深い感慨があります。」(滝上[2006 : 252-253])
★30 保険であれば、一般会計とは別に予算が組まれることになるから、財務省からの制約はいくらか弱い。だから制度の安定性が担保できる、だから保険がよいとも主張されるのだが、そこには官庁の利害も関係し、権益が云々されるのでもある。とくによいことがないとしても、毎年、財務省に伺いを立て折衝するのはつらいことではある。こうした官庁、官庁に働く人たちを支持するのか批判的であるのかで、立場が分かれることもある。
★31 「いまも「終末の儀式」は多くの病院で繰り返されているはずだ。医療経済から言っても、旧弊な「延命至上主▽216 義」から抜け出ることが必要だ。」(和田[2005 : 135])
 和田が、デンマークについて、そこに「寝たきり老人」がいないことを肯定的に記していることについては第2節で紹介した。その本には、「痴呆のような自立できない人だけが施設ケアの対象になるようだ。」(和田[1991 : 246])と、比較的あっさりとした記述もある。
★32 「私自身も、一九九二年に、「これからのあるべき在宅ケアを考える場合」には「広義の文化的問題、あるいは価値観に属する問題を再検討しなければならない」と問題提起し、その一つとして「単なる延命治療の再検討」をあげたことがある。/しかし」(二木[2000 : 160])
 本文に掲げたのはここに続く部分である。ここで二木自身が言及しているのは、大塚[1990]、坂井[1991]を参照して書かれている以下の文章。
 「第二は、在宅障害老人に対する単なる「延命」のための医療の再検討である。
 わが国は世界に冠たる「延命医療」の国であるから、在宅の寝たきり老人の状態が悪化した場合には、病院のICU(集中治療室)に入れられることも少なくない。このことの「再検討」とか「制限」などというと、「医療費の抑制」とか「患者の人権無視」といった非難をたちどころに浴びせられる可能性がある。
 しかし、ここで考えなければらならないことは、多くの医療・福祉関係者が理想化している北欧諸国や西欧諸国の在宅ケアや施設ケアでは、原則として延命医療は行われていないことである。
 この点に関しては、有名な老人病院である青梅慶友病院院長の大塚宣夫先生の著書『老後・昨日、今日・明日』[…]がもっとも参考になる。同書によると、大塚先生はヨーロッパ諸国を訪ねて「次の二点の真偽」を確かめたかったそうである。「第一は、ヨーロッパの老人施設にはわが国でいういわゆる『寝たきり老人』が極めて少ないこと、第二は、ヨーロッパの国々では高齢者に延命のための医療行為がほとんどなされていないということ」(一一四頁)。そして結論は、二つともその通りであったとのことである。
 あるいは、ドイツの老人ホームを実地調査した『ドイツ人の老後』(坂井洲二著[…])によると、ドイツでは人々がホームに入る時期を遅らせ、死期が近づいた状態になってはじめて入る人が増えてきたため、「三〇〇人収容の老人ホームで一年間に三〇〇人も亡くなった」例さえあるという(一〇八頁)。わが国でこんなホームがあったら、たちどころに「悪徳ホーム」と批判されるであろう。
 ▽217 […]わが国では、ヨーロッパ諸国の在宅ケアや施設ケアという、なぜか「寝かせきり」老人がいないことに象徴されるケアの水準の高さのみが強調される。しかし、単なる延命のための医療を行っていないという選択もきちんと理解すべきである。
 誤解のないようにいうと、私は障害老人に対する単なる延命のための医療を一律禁止すべきだ、といっているのではない。しかし、事実として、延命治療よりもそれ以前のケアを優先・選択する「価値観」「文化」を持っている国があることを見落とすべきではない。
 そして、わが国でも、今後は同じような「選択」が必要になるであろう。デンマークの福祉に詳しい有名な有料老人ホーム経営者は、「わが国で、一方ではデンマークやスウェーデン並みのケア、他方で効果の非常に疑問な末期の延命医療を無制限に行うとなると、どんな立場の政府でも、その財政負担に耐えられない」といわれている。」(二木[1992 : 142-144])
 医師であり医療機関の内情をよく知る二木は、唱えられる改革案、なされる改革が様々に非現実的であることを実証的に指摘してきた人だ。急激な改革がよい結果をもたらさないことを言うことは、とくに「現場」で苦労している人たちに支持されてきた。
★33 「後期高齢者の死亡前入院医療費の調査・分析」(前田・福田[2007])、これを受けた日本医師会[2007b]等、「終末期医療費」についての各種の報告等については守田憲二が作成しているファイル(守田[2008-])で紹介されている。
★34 それが実現されるに至る過程については、この制度を推進する側にいた大熊由紀子が回顧して書いている長い連載(大熊[2004-])等があるが、それらも資料・史料として、きちんとした記述・分析がなされるとよいと思う。
★35 他方、デンマークで人工呼吸器をつけて暮らす人たちやその人たちを支える仕組みについて大熊由紀子はいくつも記事を書き、デンマークの筋ジストロフィーの人の書いた本(Krog[1993=1994])の訳書の監修もしている。そうして人が生きていることと、生きるためのことが行なわれないことと、両方ともが事実であるとして、そのことが当地においてどのように辻褄があっているのか、わからない。筋ジストロフィーの人たちは「衰弱」していないということが関係しているのだろうか。
★36 横内はずっとこのことを述べてきた。
 ▽218 「北欧諸国では延命治療はやらないということですが、それは単に延命治療の放棄ということに止まりません。疾患の治癒の可能性までも放棄しているのではないでしょうか。
 よく北欧の高齢者事情を紹介した本では、老人ホームにおいて、徐々に衰弱し、食事もとれなくなり、水もとれなくなり、静かに息をひきとります。これが「みなし末期」です。一見、老衰に似ていますが、全く違います。衰弱し食事も水もとれなくなった原因は、多く脱水か急性疾患にありますから、その原因を取り除けば元気な姿に戻ります。実際、点滴一本だけで回復する場合もよくみられるはずです。決して、老衰死ではありません。
 つまり、北欧では、食事をとれなくなった状態を意図的に末期とみなして治療しないという、国民の合意が成立しているのです。私は、末期には三つあるといいましたが、第一の「老化の末期」、第二の「生命の末期」に対して、これを第三の「みなし末期」と呼んでいます。日本では、「生命にとっての末期」にどのような医療をとるかという問題でさえも社会的合意は得られていません。まして、「みなし末期」については、議論さえ始まっていない。北欧と日本との、老人医療に対する価値観の落差は、我々の予想をはるかに越えているのです。」(横内の発言、横内・滝上[1995 : 264])
 同じ対談における滝上の発言は第4節註23・二一一頁に引用した。滝上は 三冊目の単著『「終のすみか」は有料老人ホーム』では、介護保険に懐疑的な記述をしつつ、北欧の福祉とそれを支持する人たちについて肯定的に語ってもいる。
 「私が、北欧諸国の介護と、そこに住む高齢者を、この自分の目でみたくて現地を訪れたのは、平成二年のことです。訪問を強力に支援してくれたのは、大熊由紀子さんと現在は神戸市看護大学教授をしている医師の岡本祐三さんでした。」(滝上[1998 : 77])
 だが、公的介護保険の開始後、二〇〇一年に『週刊東洋経済』に掲載された文章(滝上[2001])、また四冊目のそして最後の――滝上は二〇〇七年に亡くなった――著書(滝上[2006])では、厚生労働省の官僚に対する辛辣な言葉が随所にあり、「北欧派」に対する批判がある。(ここに変化があったとすれば、それはどのような変化なのか。どうでもよいのことのようでもあるが、いくらか考えてみてもよいことかもしれない。)
 「朝日新聞の社説は、長年にわたり歯の浮くようなデンマーク神話を増幅させながら、介護保険推進の世論をリードしてきた。訪問介護の混乱が誰の目にも見えてきた昨年九月一五日の敬老の日には、デンマークでは施設をなくして▽219 しまい、多数が在宅でケアスタッフによって「食事の介助」を受けている。国際的には、デンマークのような方向が当たり前、と訪問介護を一段と強調した。
 これでは、誰もがデンマークでは手厚い医療と介護があるために家族が同居していなくても家で死ねる、と思い込むのも無理はない。しかし、事実はそうではない。」(滝上[2001])
 「なぜ厚生労働省は、市場規模の予測を極端に低く見積もるという過ちを犯したのか。
 […]高根の花に見える北欧の福祉を日本でも実現できると説き明かし、デンマーク神話の端緒を開いた『デンマークに学ぶ豊かな老後』(岡本祐三著、九〇年、朝日新聞社)はこう語る。
 「訪問看護婦、ホームヘルパー、補助器具支給などの各種社会資源について、その項目だけみて、日本で「デンマークなみ」の老人ケアを実現しようとしたら、いわば「最低限度」の必要分として、「四兆円強かかるだろう」という結果になった。」
 すなわち、四兆円強から施設介護の費用を除くと、在宅ケアは同じく年間約二兆円となる。そして「わずかな金額ではありませんか」と付け加えた。理想の福祉国がわずかな金額で維持できるはずはない、という矛盾にはまったく気づかなかったようである。筆者が前作で指摘したように、実際はデンマークのヘルパーは家事援助が主体であり、医療は不完全であるために高齢者が要介護である期間が相当に短いから、「わずかな金額」ですむのである。」(滝上[2001]、ここでの前作は滝上[1998])
 そして公的介護保険は失敗したと断ずる。滝上の批判と対案をここに紹介することはできないが、基本的には保険の形を批判し税を財源とすることを主張する。定額の徴収は所得格差を考えるとよくないとし、消費税を財源とすることを主張する。(私は、批判については受け入れ、代案にはあまり賛成しない。)
 そして訪問介護で充実を図るのには限界があり、費用がかかるわりに、その労働が細切れになるために労働者に渡らないことを言う。そして、滝上は有料老人ホームの経営者でもあったのだが、施設がやはり必要であるという(滝上[2006 : 72-74])。(ここでも私は、指摘されている問題はその通りであることを認めた上で、どうしたものかと考える。)
★37 その報告書が、末期医療に関するケアの在り方の検討会[1988]。これらの調査についての情報はhttp://www.arsvi.com→「「終末期」関係調査・研究」。
▽220 ★38 その報告書が末期医療に関する意識調査等検討会[1998]。最初の意識調査についての報告書等があるのか、今のところわからない。第二回調査の報告書の中でこのときの調査結果が紹介されてはいる。
(39)その報告書が終末期医療に関する調査等検討会[2004]。これらの調査についての言及として、例えば以下。
 「厚生労働省のパンフレットでは、「単なる延命治療を望まない人も約七割」と書いてありますが、これは正しい表現ではないことです。質問の内容は「痛みを伴い、治る見込みがないだけでなく、死期が迫っていると告げられた場合、単なる延命だけのための治療をどう考えますか」というものです。高齢者の場合、痛みが伴わない末期も少なくありませんし、慢性の病気の場合、死期が迫っているかどうかの判断も難しいのです。どこからを末期というのかということも問題ですが、はなはだしい研究では、死亡一年前からを末期とみなすようなひどいものもありました。」(今井[2002 : 136])
 「日本では、厚生省が一九九三年に全国の成人男女三〇〇〇人に対し「末期医療に対するアンケート調査」を行っています。その結果は、単に延命を図る治療は希望しない者が多く、また、「積極的安楽死」を希望する者は少ない、ということでした。
 時代と共に医学・医療の発展や進歩だけでなく、医療全体を取り巻く環境が大きく変化していることから、国民の医療に対する意識が変化していくであろうことが考えられます。
 末期医療に関しては、幾度か同様の調査が行われました。しかし、結果は九三年のものと大きくは変わらず、日本においては「積極的安楽死」はなじまない状況が確認されています。」(真部[2007 : 123-124])
★40 もちろんそのような言い方を私たちはするのではある。しかし、厚生労働省が行なう調査において、「あらゆる苦痛から解放され安楽になるために、医師によって積極的な方法で生命を短縮させるような方法」の是非が問われているのはやはり不思議だ。そしてこの場合「生命を短縮」という表現も奇妙ではある。これが死なせることの言い代えであるなら、わかりはする。生きている時間を短縮させる積極的な方法で、その生きている時間において苦痛から解放させるといったことは考えにくいから、そう解するしかないのだろう。すると、やはりその人は死んだ後に(苦痛から解放され)安楽でいられている状態にいることが想定されているということになる。ちなみにこの表現も第四回の調査ではなくなることになった。理由は同じであるとされる。
 「「痛みを伴い」という部分、「苦痛から解放され安楽になるために」という部分は削除していますが、これは前回、▽221 プロセスのガイドラインの中でも議論のあった部分で、あえてこうさせていただきました。要するに」(末期医療に関する調査等検討会[2008])。本文で引用したのはこの後に続く部分である。
★41 すっきりしたことが語られるようになる前に、それなりに人々は迷い考えていたのではある。
 「昭和五七年九月に、誠信書房から、私どもの編著になる『死の臨床』を出版したところ、同書に分担執筆していただいた先生方の間でも、かなり大きな意見の食い違いがあることがわかり、また、それらの点について、読者からも意見が寄せられた。実際問題として、このテーマに関するかぎり、各人各様の素養と体験をもとにして論じていただき、それらをほとんどそのまま読者に提供し、読者自身の判断によって各人各様にそれらの内容を活用していただくより他はない、というのが現状である。しかし、この新しいテーマについて、この方面でのリーダーである先生方やパラメディカルの方たちが、忌憚なく意見を交換される「場」を作ることによって、このテーマに関する理論や技法の体系化に、一歩でも前進することができれば、それが、今日の混乱を緩和するのに役立つことが予想された。
 そこで、誠信書房の肝入りで、昨年二月に大阪で、同書の分担執筆者九人にお集まり願い、「ホスピスの概念とその運営について」というテーマを中心に、数時間にわたる話し合いが行なわれた。その内容のポイントを整理してみると、次のようになる。
 第一に、欧米のホスピスは、「末期を、死をみつめながら、新たな人生に向かう施設」「適切な治療を行なうところ(American Hospice Association)」とされている。これについて、「ホスピスが治療をしない施設だとすれば、それは、安楽死の問題にぶつかるのではないか」「治療しないというのは間違いであり、必要に応じて、化学療法、点滴なども続けるべきだ」「精神的治療を優先すべきか、内科的な全身管理をどこまで行なうか(中心静脈栄養、点滴、抗癌剤など)」などについて討論されたが、充分なコンセンサスをうるには至らなかった。」(池見・永田編[1984 : i]、池見による序文の一部、言及されている本は池見・永田編[1982]
 こうした議論がいつごろどの程度あったのか。これも調べられるなら調べるとよい思う。
★42 このこと――いったん「凍結」ということになった――についても報道他をいくらかHPに掲載している。http://www.arsvi.com「内」を検索で「老い」「後期高齢者医療」など。
★43 国会でこの本のこの部分が取り上げられ、そのことが以下のように報道された。
 「後期高齢者(長寿)医療制度を担当する厚生労働省の職員が、自ら執筆した解説書の中で、死期の近づいたお年寄りの医療費が非常に高額として終末期医療を「抑制する仕組み」が重要と記していたことが分かった。二三日の衆院厚生労働委員会で長妻昭議員(民主)が指摘した。制度導入の本音の一端が浮かんだ形だ。
 解説書を書いたのは高齢者医療企画室長補佐。今年二月刊行の「高齢者の医療の確保に関する法律の解説」(法研)で、七五歳以上への医療費が「三日で五〇〇万円もかかるケースがある」としたうえで、「後期高齢者が亡くなりそうになり、家族が一時間でも一分でも生かしてほしいといろいろ治療がされる」「家族の感情から発生した医療費をあまねく若人が負担しなければならないと、若人の負担の意欲が薄らぐ可能性がある」などと記述、医療費抑制を訴えている。
 また、補佐は今年一月に金沢市内で開かれた一般向けフォーラムで講演し、独立型の保険とした理由について「医療費が際限なく上がっていく痛みを後期高齢者が自ら自分の感覚で感じ取っていただくことにした」とも発言していた。」(「後期高齢者医療制度――終末期の「抑制」重要 厚労省本音」(『毎日新聞』二〇〇八年四月二四日、記事を書いたのは野倉恵)
★44 人口に占める高齢者の割合が、どれだけ高かろうと一定であれば、ある年齢以上の支払いを無料にしようと、全世代から求めようと、一人あたりの負担は――早くに亡くなる人とそうでない人との間の負担の差は生じるとして――おおまかには同じであり、そして同じでしかない。ただ、多産の時代から少産の時代へという一度だけの変動に伴って、費用を「現役世代」からの徴収でまかなう場合に、その負担が時期によって異なるということはある。つまり、いま高齢者である人たち(がかつて負った)負担よりも今あるいはこれから払う人たちの負担の方がずっと多くなり、それは公平でないから、別の負担の方がよいと言える場合がある。これは簡単な計算でわかることだ。そしてそもそも、年齢によって負担を求める求めないの区別をすることは正当なことではない。そしてこの立場から、年齢によって別立ての制度を設定することの正当性もまた認められないことになる。
★45 考えられるとすれば、それは、公的な分配の対象にならない贅沢な欲求である場合である。ここではそれは該当しない。もう一つ、その人に責任が帰される場合がある。さらにただ責任があるというだけでなく、そこに生じた超過分について自らが負うべきだとされる場合である。これについても該当しない。負担させることによって健康に配慮するようになるといった――あまり信じられない――理由が付されることがあるが、この理由を採用するとしても、定額の拠出は効果的でない――収入や資産があって負担が自らに響かない人はそれを気にしないですむ――のだから、▽223 むしろ、多くを得た人から多くとる方がよいということになる。
(46)ではそれは、人々の間に対立をもたらすことになるか。その可能性はある。得をしている人がいる「から」と断ずることはできないとしても。そうした効果をもたらしているものである。この社会に現実に存在する制度が中程度(以上)の階層に利益をもらたすものであることはよく言われることではあるが、それが補正されることになる。
 それは対立をもたらし、合意形成を困難にするだろうか。必ずしもそうではない。社会的・政治的決定のためには過半の人の同意が必要であるとして、過半の同意が得られるような仕組みを作ることは可能である。このことを「楽観してよいはずだ」([2008d])に書いたら、校正の段階で、ではなぜ多数派をとることができないのかという問いが編者から発せられた。それはなかなかに複雑な問題ではある。答は一つではないはずだ。ただその一つ――一つにすぎないが――は本文に書いた。定額、せいぜいが定率の負担でよいということになってしまっていて、そうでなくてよいという単純なことに思いが至らない。
 たしかに以上には全体を増やすという発想はとりあえずない。私の論に対してそのことを言われることもある。しかし人は多くを欲しいのだとしよう。納税というかたちで負担が求められるとしても、市場でより多くを得れば、税を引いた後の受け取りも増えていく。ならばその人は、より多く得ようとしてより多く働く、結果全体の生産が増えると考えることもまた不自然なことではないはずだ。
 私のようなことを言うと、必ず、それは「労働インセンティヴ」を弱くし、結果、生産(の伸び)を減らすことになるからよくないと返す人がいる。その可能性がなくはないことは認めよう。しかし、それは、人が何とひきかえにどれほどを得たいと思うかによる。そこに様々な数値を入れれば、その結果は様々に変わってくるだろう。前段に述べたようなことになる可能性もまたある。税率が上げられたら、すくなくとも今までと同じだけは欲しいと思って、もっとたくさん働くことは考えられる。こうしたことについていったいどの程度の議論がなされているのか。私は知らない。教えてほしいと思う。(教えてもらえないので、連載[2005-]の第三八回(二〇〇八年一一月号掲載)から税について記すことになった。二〇〇九年中に本にしようと考えている。〔☆☆〕)


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  第4章 現在まで




 ▽226 *第3章に記してきたようなことを調べる前、第2章にすこし記したように、二〇〇五年からそのときどきのことに関わってしまうことになった。そして第2章と同様、そのときどきのことを『webちくま』での連載「良い死」に書いた。それを、やはり第2章と同じにそのまま、ここに収録する。ただ誤解があるといけないのだが、実際私はなにをしたのでもない。人の集まりだとかそういうものは、そのための支度をすることが大変で、そして大切なのだが、その類のことは何もしなかった。呼ばれてその場でなにかしゃべったり、手を挙げた人にマイクを渡したり、そんなことをしただけだ。
 そしてこの間、様々なことが起こった。そして起こっている。様々な事件があり、それが報道されたり、されなかったりした。学会や業界の団体の動きもあった。それはそれとして記録したり解析したりすることが必要だと思う。ただその仕事も私はすることができない。それでもいくらかの意味はあるだろうと思って、私が関わってしまうことになったことを記すことにする。

1 二〇〇五年春・夏[2005.11]

 1 復唱・他
 このたびの国会については、どれほどの意味があるのかと多くの人が思った「郵政民営化」のことばかりが報道された。その間、たいした議論がされることもなく、「障害者自立支援法」の法案も衆議院を通った、というか、▽227 通ってしまった(これについて書いたものとして[2005g])。そして、やはり多くの人は知らないが、日本尊厳死協会による「尊厳死法」を作ろうといった動きがあった。それでこの稿を書き始めた。一四万人ほどが署名した請願書が「尊厳死を考える超党派の議員連盟」(中山太郎会長)に提出され、国会はひとまずここまでだった。推進する人たちも、すぐに法案が通るとは思っていない。
 1〔『webちくま』の連載第一回→本書第2章1節〕でその法案についてさしあたり言えるだろうことを述べた。2〔第2章2節〕で歴史のことにすこしふれた。かつてほぼ同じ法案が提案されたことがあること、反対の運動もあり、通らなかったこと、そして法律を作ろうとした人、そして今作ろうとしている人たちがどんなことを言ってきたどんな人であるか知っておいた方がよいだろうと述べ、いくらかのことを述べた。
 今のところ、この「過去の問題」について尊厳死協会の方々が何かを言ったと聞いてはいない。私は、合理的に考えるなら、不用意で誤解をまねく表現が一部にあったとか、あるいはもっと進んで、かつて誤ったことを言った人がいたとか、それはそれなりに反省した上で、自分たちはもっと健全で控え目な尊厳死を推進しているのだと言った方が、その人たちとその主張のためにもよいと思う。その方が誠実であり、あるいはずるく、いずれの意味でも賢いように思う。だが、今のところ、そのような発言はない。これはすこし不思議ではある。そんなことをしなくてもだいじょうぶだと考えているのだろうか。過去について誰かが言ってまわっても、どうせ人々は聞きはしないのだから、言わせておけばよいと思っているのか。あるいは、そんなことも考えておらず、全体がある鈍感さと楽天性に覆われているのか。そして、その組織は、何かが大きく変わったわけではないままで、正直な反骨の人たちの集団から、ごくまっとうな普通の人たちの集まりになってきたのだ。
 こんな状況は好ましいことではないと思うから、こちらは仕方なく繰り返し言うしかないということにもなる。ではよく歴史を知ればこの問題はそれでどうしたらよいかわかるのかといえば、そうもならない、ここがやっかい▽228 なところだと述べた。過去のことは知らないが尊厳死はよいと思う人がいるし、過去を知ったとして、また仮にそれについて反省などしたとしても、その上でなお、やはりよいではないかと思える。とすればつまりはよい、のではないか。そうも思えない。どう言えばよいのか。そのやっかいな話をこれから書かねばならない。そう思っていたら、『思想』(岩波書店)から原稿依頼を受け、書いて六月に送って、八月号に掲載された〔『良い死』の序章の一部と第1章の一部となった〕。この号は、この主題の特集号とは記されていないが、尊厳死など医療における決定に関わる論文によって構成されている。直接に尊厳死に関わる論文だけでも、清水哲郎柘植あづみ中山茂樹の論文がある〔清水[2005]、柘植[2005]、中山[2005]〕。『現代思想』の二〇〇四年一一号(特集:生存の争い)の拙稿「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」〔→本書第6章〕は清水の論を批判しているのだが、今回の清水の論文にはその私の論への批判がある。また、柘植はテリ・シャイボ事件が米国でどのように起こっていて受け止められているかを報告している。
 私のは一回で終わらず、続きはまた別の号に載せてもらうことになった。次は一一月号、そして来年一月号、計三回になるかと思う〔『良い死』第1章となった〕。だから長い話はそちらで読んでいただくことになる。その第一回で私は、様々に異なる立場から尊厳死が肯定されることを述べた。この社会に肯定的である人も批判的であろうとする人も、科学が大切だと言う人も自然が大切だと思う人も、他者を大切にする人も個人主義者もそれを肯定することを書いた。そしてどんな仕掛けでそんなことになっているのかを言い、この思想が社会に深く組み込まれていること、こうしてこの思想が不死であることを述べた。
 ならばけっこうなことではないか。しかしそうは思えないから、気が進まないのに考えている。まず、一つに「たんなる延命」「生きさせる権力」という理解、一つに「死の隠蔽」という理解、このいずれもが、間違いとは言わないまでも不正確であると述べた。そこでもっと理解を事態に即したものに直すと、話は少し違ってくる。しか▽229 し、それでもまだ尊厳死の思想は不死である。さらに、その次を、あるいは手前を考えることになる。それを第二回で書くことになる。
 長いものになってしまうこうした文章は、紙の雑誌媒体に向いてもいるだろう。それをそちらに委ね、ここでは、この問題のまわりに起こること、昨今起こったこと、私が知ったことなどを書く。前回までと同様、註からホームページ上の関連するファイルにリンクされている〔本書への採録にあたり註については変更を加えた〕。

 2 四月の集会
 〔二〇〇五年〕四月と六月に東京で集会があった。四月一六日の集会は「尊厳死っ、てなに?」というものだった。〔そのときに作成した冊子が立岩編[2005]。希望される方にはお送りできる。〕そもそもは一月に新聞報道で心配になった人が、何かしなければということになって、それで企画したものだ。心配になった人たちは、まずALS(筋萎縮性側索硬化症)の人、その関係者たちだった。私も集会の呼びかけ人の一人ということにはなったが、私がしたのは、集会の名称の「っ」と「て」の間に点(、)を入れるという案を言って、受け入れてもらったことだけである。
 その人たちが熱心に広告したということもあるだろう。二五七人、とてもたくさんの人が参加した。第一部で講演してもらったのは、中島孝さん★01と伊藤道哉さん★02――以下直接会った人を呼び捨てるのはためらわれるので、さんづけになる。休憩をはさみ、第二部でまず清水哲郎さんにコメントしてもらった。その後会場から質問や意見を出してもらった。この集会はNHKのニュース等で報道されたが、『医学界新聞』二六三五号(五月三〇日、医学書院)にかなり長い記事が掲載され、ホームページにも掲載された。よくまとめられた丁寧な記事だから、読んでい▽230 ただけたらと思う。
 もともとかなりややこしい話であり、講演した二人は急ぎながらもそこをていねいに話したから、聞いた人は勉強になり、ためになりつつ、これは複雑で込み入った主題だと思っただろう。むしろ、その後に、問題の構造がはっきりと現われたように思う。会場には尊厳死協会の会長を務めておられる井形昭弘さんがいて、発言した。『医学界新聞』の記事によればその発言は以下のようだった。

 「会場には井形昭弘氏(日本尊厳死協会理事長)も来場しており、その時点までの議論について反論した。井形氏はまず、薬物を投与するなど積極的関与によって死に至らしめる安楽死と異なり、尊厳死は、あくまで無理な延命処置を行わず自然死を尊重するものであると述べた、また、それは一人ひとり、本人の価値観に基づく決定として行われるべきものであるとして、法案の中でインフォームド・コンセントが重視されていることを紹介した。[…]また[…]社会保障費の削減といった医療経済の問題を背景としたものではないと述べた。」

 「っ、て何?」という基本的には懐疑的なムードの場で、はきはきと肯定論を述べてくださった井形さんには感謝しつつ、疑問はすぐに浮かぶ。例えば「経済」の問題とは関係ない、と井形さんは言い、あのはっきりした語り口を聞くと、本心そのように思われているように思える。しかし、これは次の六月の集会でも参加者が言及したことだが、前の年に尊厳死協会は国際会議を開催し、ここには経団連の人も招かれて話をしている。私は、商売を商売としてきちんとしている人たちを尊敬するが、その人たちが、様々な場で商売以外のことについて発言するのは妙なことだと思うことがある。あの場への登壇が妙ではないというのなら、やはり経済・経営と安楽死・尊厳死との関わりがある、またあるべきだと考えているということではないか。また、経済とか国家財政と大きく捉えないと▽231 しても、個々の人が、家族の負担や費用を慮って、それで自分で決めたと言う時、それは経済の問題とは別のことなのか、また、それを本人自身の価値観による決定と言えるのか。私も最後の五分ほど、司会によるまとめといった時間に、そんなことも述べたのだが、それより、井形さんのすぐ後に発言した清水昭美さん★03の発言が、井形さんとの発言との対比で、争点をはっきりと示したと思う。
 そのお二人の発言をさらに簡単にすると、争点は少なくとも三つはあった。一つ、一方は(過去の)安楽死の主張と(現在の)尊厳死の主張とは別のものだと言い、他方は、連続したものとしてあるではないかと指摘する。二つ、一方は自分で決めることだと言い、他方は、それに対して、決めさせられると言った方がよい場合が多々あることを指摘する。三つ、一方は経済、負担の問題は関係ないというが、他方はそうではないと述べる。
 第二部で司会のようなことをしていた私は、清水さんの発言にさらに反論はあるかと井形さんにうかがってみたが、水かけ論になるからもうよいですという答だった。
 話を聞きながら私は、その井形という、なかなか人のよさそうな、そして明解で単純な話をする、神経内科が専門であるという人の名を知っているはずだと思った。そういえばと思って確認したら、やはり拙著『ALS』([2004f])で文章を引いている。知本茂治さんが書いた『九階東病棟にて――ねたきりおじさんのパソコン日記』(知本[1993])という本がある。井形さんは知本さんが入院していた病院の院長としてその本のはじめの部分に「知本さんの戦友として」という文章を寄せている。記されている肩書は国立療養所中部病院長・前鹿児島大学学長。引用をさらに短く引用すると以下。

 「現在なお患者さんの期待を背に鋭意究明の努力が続けられ、今一歩で解決という段階に来ている。」(井形[1993])

 ▽232 治療法の開発について楽観的であること自体が問題だと思わない。将来への希望がよい作用をもらたすことがあることも認めるから、非難しようとはまったく思わない。ただ、私の本では、このようなことがずっと言われてきたことを指摘する中で、その一つの例として引いただけである。
 こうして井形さんは、私がまったく知らない人ではなかったのだが、この人がどのような人であるのかはわかっていなかった。尊厳死協会の理事長がその人であることもその時まで知らなかった。その後、五月に熊本で日本保健医療社会学会の大会があった★04。一日目にはシンポジウム「水俣病問題からの問い」があった。そこではじめて原田正純さん〔『良い死』第2章でその活動・著作にいくらか言及している〕の実物を見た。そして質疑の時だったと思うが、井形さんの名前が出て、「おお」、と思い、終わってから会場にいた熊本学園大学の花田昌宣さんに、何を読んだらよいのかとうかがったら、津田敏秀『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(津田[2004])に書いてあるという。この本はもっていて、いくらか読んでいたはずなのだが、この固有名詞が頭に入っていなかったのだ。あらためて読んでみると、たしかにこの人が厳しく批判されている★05
 誰が理事長をしているといったことにそう大きな意味があるとは思わない。ただ、いくらか象徴的ではある。まず、この運動がまったく主流派のものになったということだ。前回〔第2章2節〕紹介したのは、この組織を始めた太田典礼という「反骨の医師」だったが、いまの理事長は、国のさまざまな審議会の長であるとか、大学の学長であるとか、学会の会長であるとかを歴任されてきた方で、そのような意味において、申し分のない方である。熊本学園大学教員〔現在は立命館大学教員〕〈→中央大学教員〉の天田城介さんからファイルを送っていただいて、自分でもわずかを足して、「井形昭弘」というファイルを〔HPに〕作ったからそれをご覧いただいたらよい。
 それとともに、医学の出であるのは二人とも同じで、井形さんは水俣病に関わった人物であり、ある人たちは彼▽233 を厳しく批判している。ここではその批判がどこまで当たっているのかについては判断しないとしよう。ただ私は、いつものように、尊厳死を推進する動きに存在する無神経さというのか、あるいは大らかさというのか、懐の深さというのか、そのようなものをここでも感じる。その人たちは、一部から批判が出ているらしいが、そんなことはあまり気にしなくてもよいと思っているようなのだ。もちろんたんに知らないということもあろう。しかしそれは知ろうと思えば簡単に知ることのできることでもある。知る必要のないことだと思っているらしいということだ。

 3 六月の集会
 〔二〇〇五年〕六月の集会は「「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」発足集会」。これは、名称のとおり、このたびの法律制定に対して反対の立場を明確にした集会だった。
 四月の集会でも発言された清水昭美さんが中心になって呼びかけた、のだと思う。私もまた、呼びかけ人の一人ということになったのだが、これもまた、はなはだ確固としない腰の据わらない行ないとしてなされた。私は今でも、どんな場所・位置にいるのがよいのか、よくわからない。しかし、この法案がいらないと思っていることはたしかだから、まあよかろうと思った。集会の案内をホームページに載せ、賛同人を募集した。ほかにすこしメーリング・リストで広告したりもした。そして当日の昼東京に着くと、式次第そのものがよくわからないまま、次に発言する人にマイクを渡すというような役をなんとはなし務めることになった。
 集会は、最初は呼びかけ人、次に賛同者として名をつらねた人が次々に話をするというものだった――その幾つかについては次回に書こうと思う〔結局書けなかった〕。そして原田正純さんが講演した。またなんであっても「長」のつくものはいやだという原田さんはこの会の代表を引き受けてもくださった。
 ▽234 原田さんの講演の時、私はマイクをまわしたりする仕事を一休みできて、ぼうっと座っていた。講演そのものは、とくに安楽死・尊厳死についての話というわけではなく、水俣病に関わる基本的なことを、よく知らない人にも知ってもらおうというものだった。先日の〔二〇〇五年五月の〕日本保健医療社会学会の大会での話とも多くは共通するものだった。
 私はこの集会がどうやって終わるのかすこし心配しながら、原田さんの話を、失礼ながら、聞くともなしに聞いているうち、以前から気になっていた反公害と病者・障害者の生との間にある、あるいはあるように思える緊張、矛盾について、なにか考えようがあるような気がしてきた。
〔この後に続く部分を、『良い死』第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」4節「会ってしまうこと」1「告発との不整合?」の一部(一七〇―一七二頁)とした。「例えば水俣病の悲惨があったし、現在もある。[…]こんなことをどう考え継ぐか、そしてそれと「尊厳ある死」というものがどう関わるかである。」〕

2 二〇〇六年三月[2006.3]

 1 集会と事件
 昨日、二〇〇六年三月二五日の午後、東京・品川で集会があった。「研究集会〈死の法〉――尊厳死法案の検証」というものだった。3〔本章第1節〕で昨年六月の「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の発足集会のことを紹介したが、今回の集会は第二回目の集まりということになる。ただ、これはたしかにやっかいで微妙な問題でもあ▽235 って、態度を決めかねている人もいて当然だ。そんなこともあって、なにかもうすこしやわな感じのものを作ろうということになった。そして、なにか事件が起こらないと――それが起こったのだが――私たちは調べたり考えたりしない。それでいつも後手後手になってしまう。だから「勉強」しておくことも必要なのではあるだろう。それで「良い死!研究会」というものができ、集会の主催にも、いちおう、加わることになった。三月二二日にはメーリング・リストも始めた。集会の前に四〇名ほど、集会の時にも参加を募ったので、合わせて五五名ほどの数になった(三〇日の時点では約八〇名)★06
 集会が始まる前に、報道関係では羽幌病院での事件〔二〇〇四年に北海道立羽幌病院で、医師が男性の人工呼吸器を止めた事件→二六八頁〕を取材してきたNHKの旭川支局の人たちがやってきていて、清水昭美さんにインタビューもしていた。北海道新聞の方も集会の前に取材をしていた。そして一二時から始まった集会の前半は、弁護士の光石忠敬さん★07のお話だった。光石さんは日本弁護士連合会人権擁護委員会医療部会特別委嘱委員。昨年一一月三〇日、「尊厳死(仮称)法制化を考える議員連盟」のヒアリングで意見を述べられた。その時の話に沿って、法案に対する疑問点、批判点を列挙していかれた。了承が得られれば、ヒアリングで配布された資料をホームページにも掲載させていただく。またその資料も収録した充実した冊子を「阻止する会」で作ったから、会に問い合わせれば入手できるはずだ。
 会はその後、光石さんの講演への質問、休憩、後半は私が話をし、集まった人から質問をいただき、意見を述べてもらった。今回はその話をしようと思ったのだが、集会の前半、京都新聞社の記者からメモがまわってきて、富山の病院〔射水市民病院〕で七人が死んだ事件があったという★08。それは後半に会場にも知らされ、そんなこともあってか、集会の後もそこに参加された幾人もの人がテレビの取材を受けていた。その後、私が品川のその会場にいると聞いてやってきた読売新聞社の記者に夕刊の記事をコピーしたものを見せてもらった。まだ詳しい話はほとん▽236 ど載っていなかった。その人にいくらかの話をした。それは翌日の朝刊に載ったようだ。また最初に事件を知らせてくれた京都新聞の記者が、事件についての私の話を四〇〇字ほどにまとめてくれ、それがやはり朝刊に載った。
 その時に話したのは、事件そのもののことはわからないから言いようがなく、むしろ、これから想定されるコメントに対するコメントのようなものだった。短い時間でだいたい以下のようなことを言った。

 医師個人の判断、独断で行なったことが言われるだろう。それはいけない、きちんとした手続き、ガイドラインがいるという方向に話が行くだろうと思う。きまりは必要かもしれない。しかし、あればよいというものではない。中味が問題である。しかし「識者」はしばしば、きまりがいる、ガイドラインがいる、とだけ言う。しかしそれが新しいきまりがいるという主張なら、いまの医事法や刑法以外に必要だということにもなる。とすれば、つまり尊厳死法案の方向がよいということになるのか。それがよいと私は思わないが、この点をはっきりさせなければならない。
 そして、その中味について、多分、本人の同意があったとかなかったといったことが問題になるだろうが――だからこれは安楽死ではないとか、尊厳死ではないとかいう話がなされるだろうが――そのような話は、同意があればよいという筋の話になってしまうことが多々ある。私は同意があればそれでよいとは、とくに以下の事情を含めて考えるなら、思わない。ここも重要なところだ。
 医療者の側にも、それから家族の方にも、死の方に傾く要因はある。ことを現実的にみれば、家族は、その人が嫌いなのかもしれないし、無関係でありたいと思うこともある。そしてそうでなくても、利害関係者であり、お金を払わねばならず、人手としてもあてにされる。長くいてもらいたくないということは実際にいくらもある。今回のことについてではなく、一般論として、やめてくれと頼む人は実際にたくさんいる。
 ▽237 そして、医療者はつねに「無駄」なことまでして命を長らえさせようとするというのは神話、というと言いすぎにはなるのだろうが、一面的である。その人たちは死んでゆく人たちを毎日多くみている。慣れている。医者の仕事がなおす仕事であるとすれば、その仕事はもう終わった人たちでもある。そしてその職業は、無為と対極にあるような、有能に忙しく立ち働く仕事でもあり、そのことを自らの価値ともしているかもしれない。他方で、「延命」の方に作用させる要因として、かつてはそのことが収入に結びつき経営に資することがあったが、そうしたことはなくなっている。だから、医療者・家族は(本人の意に反して)「延命」の側につくのだという紋切り型で話を始めるのはよくない。

 翌〔二〇〇六年三月〕二六日、別の用で編集者に会って〔それから二年経ってようやく連載[2008-]が始まった〕、事件のことが大きく朝刊の一面に出ていると聞いた。午後、翌日の朝のテレビ番組の出演依頼があったことを聞いたが、帰らねばならないから断わってもらうようにした。(その日本テレビの番組には小松美彦さん〔第5章で彼の論について検討している〕が出られた。)帰りの新幹線で原稿を書き始め、京都に帰ってきてはじめて新聞を読んだ。『毎日新聞』の朝刊、日曜だから夕刊はない。他にウェブをすこしみた。やはりよくはわからなかったのだが、それでもいくらかのことは書いてあった。長期にわたっていわゆる遷延性意識障害の状態が続いている人たちなのだろうかと最初思ったのだが、そうでなく、末期の状態で(読んだ新聞の一面には「末期症状」と書いてあった)、意識のない状態になった人たちで、五人は末期ガンの人たちだったと書いてあった。「末期」の状態であるのなら、なにをそう急いで呼吸器を外したりすることがあるだろうか。また末期ガンだというなら、苦しく辛そうだったから、だろうか。しかし意識がない状態だったというのだから、苦しいということもなかったはずだ。だから、やはり、その経緯そのものはよくわからない。なぜ急ぐことがあったのだろう。わからない。
 ▽238 そして、私がみた「識者」のコメントは、本人の同意を得ていない以上、これは安楽死でも尊厳死でもないといったものだった(水野肇氏★09、『毎日新聞』)。病院長他の記者会見でも、記者は安楽死か尊厳死かといったことを問い、院長も――そんなことを聞かれても困るだろうと思うのだが――それに答えるしかないから、答えている。日本尊厳死協会理事長の井形昭弘氏も同じような、これは尊厳死ではないといったコメントを出している。私はEメイルでもらった情報で知った。すこし探したら、毎日新聞社のサイトにそうした発言が載っていた。(「尊厳死疑惑:「同意」「死期」が焦点に」三月二六日、七時四九分★10。二六日、二七日の大阪本社版の紙面には見当たらなかった。また、『読売新聞』二六日朝刊にも、井形氏のコメントが、私のとともに、出ていると知らせていただいた。)もちろん、それは――言葉の定義の問題だが、普通になされる定義に従えば――そのとおりである。本人の意志によってなされることが前提にされる。それなくして行なわれることは殺人であるとなる。(ただ実際には、本人の意志による死でない場合にも「安楽死」といった語は使われることはある。二五日の午後記者からもらった『読売新聞』の見出しにも「安楽死」の語があった。いまみた『北海道新聞』の見出しも「高齢患者七人「安楽死」か」で「 」を付けながら安楽死の語は使われている。たしかに足を折った馬を注射で殺すことがあり、そんなときには「安楽死」と言われるから、そのような意味でこの言葉を使うなら、それはそれで間違っていないとも言える。まただからこそ、いまどきの日本では、自らの意志による死を肯定する人たちも安楽死という言葉を避けようとしているのでもある。なお『毎日新聞』の幾つかの記事の見出しでは、医師が「尊厳死」と主張していることを受けてということか、「尊厳死疑惑」が使われている。)
 ただ、このそのとおりの指摘は、このたびのように曖昧なかたちでことがなされるのはよくないから、きちんと本人の意志を確認してから行なうベきであるという話につながり、そして、だから尊厳死法が必要であるという話につながることもある。とりわけ、法律化を推進しようと思う人たちはそう思うし、言うだろう。と、記事にあたってみると、日本尊厳死協会の井形氏はまったくその通りのことを述べておられる。先にも紹介した毎日新聞社の▽239 サイトに載った記事では「医療現場が混乱しないように一刻も早く法制化によって明確な基準を作ってほしい」と話したことになっている。『朝日新聞』の二六日朝刊の第三面では、日本尊厳死協会の人が同様のことを語っているのだそうだ。そういう話にならなければならないわけではないことを、記事を読む人も書く人もわかってくれていればよいのだが、そのことがやはり気になる。
 大きな事件で、大きなスペースが与えられ、しかし事件のことはわからず、となるとよくなされるのは、過去の話を持ってくることである。東海大学病院事件判決と呼ばれるものであるとか★11。しかし、それを持ち出してくるのはよいとして、あるいは紙面構成上も仕方のないこととして、過去の判例で示されたものが正しい基準であり、それに照らしてどうかという話をせねばならないのでもない。このこともまた間違えない方がよいことである。
 もう一つ加えるなら、死ぬために注射を打つといった積極的な行為を行なうことと治療を停止することを分け、人工呼吸器の取り外しを後者と位置づけ、さらに同意という要件を入れた上で、前者を安楽死、後者を尊厳死とし、後者は許容されるという筋になっている報道がある。しかし、これはこれで大きな論点である。まず、(同意があった上でも)人工呼吸器を外すことは死をもたらす積極的な行為であって、違法であるという了解が広範にあったはずだ。それがふまえられておらず、いつのまにか問題のない(少ない)方に置かれていて、その移動に気がつかれていないように思える。(他に、何かを加えることも何かを控えることも基本的には違わないことがあるという論があり、後者が認められるのであれば前者の積極的な行ない――いわゆる(積極的)安楽死――も認められるという論もある。私は、その論の前半を認めた上で、だから両方とも認められないとも言えるのだと、「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」([2004e]→本書第6章)や『ALS』([2004f])に書いた。)〔本書第1章1節でもこのことを述べた。〕

 ▽240 2 意識がない(とされる)場合のこと
 けれども、たんなる誤解や、議論の誘導といった問題だけがここにあるのではない。今回は、最初思ったのと違い、「遷延性意識障害」の状態が長く続いていたといった場合ではないようだ。ただ、そうした状態になったらもうよい、といった意識があって、そのことがこのたびのことも含め、よいのではないか、よいようにするために、しかるべき手続きを定めたきまりを作ればよいのではないかという話を支持させているのだと思う。そしてそれは私のいる場所でもある。認知症や、身体の不随意といった場合についてだったらもっとはっきりとしたことは言えるだろうと思うし、言ってきた。ただこの場合はそれほどでもない。
 第一に、私はいかなる場合でも生命維持をやめてはならないという絶対反対の立場には立たない。このことは『私的所有論』でも述べた。

 「問題となっており、問題とすべき一切の事実問題、そして事実を確認できるかという理論的な問題を省き、測り難いことを測れるとする危うさとその危うさに周囲の者達の様々な利害が絡む危うさをここで差し置き、もし仮に、脳死という状態がその人において全くの空白でありそこから回復することがない状態であるとしたらどうだろう。[…]少なくとも、その人が、自らにとって世界の一切が終わった上での生存や生存を終えた後での保存を放棄しようとするのであれば、私にとっての他者の意味合いではなく、他者があることそのものが尊重されなくてはならないという立場からは、その人の意志に従うべきであることになるだろう。」([1997 : 193-195])

 このように本人の意志の尊重という言い方で言うのがよいのか、それともそうでないのかという点については、▽241 かつての私自身の論でよいという確信はない★12。ただ基本的にはこのように思っている。「自らにとって世界の一切が終わった」時、生存をやめることを認めないという立場を私はとらない。その点では、私の立場は、人の状態によって判断するという立場の一つである。ただ違うのは、それを広くとろうということである。明瞭な意識がないことはいくらもあるだろう。それでも何かは感じていたりする。であるかぎりはよいということである。意識があるという語を、何かを言葉にして言える、言えなくても思えるといった状態のこととするなら、その言葉では狭すぎる。〔このことを本書第1章で述べた。〕
 しかし第二に、このことはそのまま、その時には その人にとって生存が維持されている状態をやめることがその当人においてプラスであるということもないということではある。だから「延命措置」を行なうことはその状態の存在に対して悪をなすことではない。このこともまた、当然のことだが、確認しておこう。
 第三に、これがいちばん言いたいことなのだが、意識を失っているという状態がどんな状態なのかわからないということだ。脳死という状態もよくわからないが、遷延性意識障害とは、さらに状態を一括りにする言葉であって、実際には様々であり、そしてその人において起こっていることは外からわからない。今回の集会でも、また昨年の六月の集会でも、最も強く印象に残ったのは、遷延性意識障害の家族の人たちの話だった。人により時により状態は変化することが語られた。回復することがある。反応があることがある。脳死と呼ばれる場合でもそんなことはあるということを指摘し強調してきたのは小松美彦であり、彼の本を紹介した文章でも、その部分について記した〔本書第5章[補]・三〇六頁〕。また阻止する会を立ち上げ、その運営を担っている清水昭美さんも、昨年の集会〔本章第1節3〕で遷延性意識障害の人たちの回復の現実・可能性を強調した★13
 基本的には以上である、死ぬことについて、完全に意識――という言葉が不適切なら使わない――がないのなら当の本人にとっての(不利益もないとしても)利益はなく(第二点)、他方どんな状態なのかは実際にわかりがたく、▽242 「延命」をやめることに不利益がある可能性がある、その可能性を排除できない(第三点)。以上をふまえれば、絶対反対の立場に立たなくても(第一点)、肯定することにはならない。

 3 自分のこと
 しかしこれは自分のことではないか、自分で決めればよいではないか。しかし、自分が事前に認めたのだから、その通りにすることが、正しいとはならない。その理由はいくらかややこしい部分と単純明快である部分と両方がある。
 (1)これは集会で幾度も幾度もなされた話なのだが、そして私も話の最初に述べたのだが、つまりは、お金のことや人のことが気になって、そうなったらもういい、と人は思って、決めるのだということ。それはよいことなのか。よくないと考えるとしよう。とすれば、そうした心配から決めてしまうことがなくなることが先にすべきことである。ほぼ、このことさえきちんと言えれば、また実際にどうにかなるのであれば、それでよいと言ってよいだろうとも思う。ただ、現実には、どうにもなってはいない。どうにもなっていないのに、言われたとおりにするということにはならないはずだ。
 (2)もう一つ、その人なりの価値観によってと言われるのだが、しかし、しかじかになったら人はもう生きている価値がないという価値を、そのまま受け入れてよいとは言えない。このことについての説明はここでは略す。このことについても幾度か書いてきた。「他者を思う自然で私の一存の死」でも書いた([2005-2006]→『良い死』第1章)。
 (3)そんな理由と関わりなく、あるいは生きられる条件が整っていてもなお、私はもうよいという人がいるかもし▽243 れない。そうした人について、私の方で積極的に止める理由はない。またその人たちの中には、事前に自らがどうなるかはわからない(前項の第三点)が、それでもよい、かまわないと言う人たちもいるかもしれない。しかし、そういう人たちもいるのだからという理由で尊厳死を許容するとしたら、他の、数としてはもっとたくさんいる、他人を思いお金のことを考えてという人も巻き込まれてしまう。他方、その代わりに得られるものは、別の確信をもって治療停止を受け入れる、死を受け入れるという人にとっても、その状態になったその人も意識がないのであればその状態が存続する不利益もまたないとは言えるのだから、少ない。
 (4)そして、さらに、そのようになった「自分」のことを決めることが、普通に私たちが自分で決めることを支持する理由によって正当化されるかである。このことは『思想』掲載の「他者を思う自然で私の一存の死」の第3回〔→『良い死』第1章〕に書いた。そこでは主に認知症のことを考えていた。認知症になってしかじかの状態になったらもういいと言う。しかしそう思う自分はその時の自分と違う。むしろ今の自分と大きく違うから、死のうというのだ。これは普通の意味で自分が自分のことを決めるという場合に当てはまらない。自分は自分にとってよいことを他の人よりわかっているから自分のことを決めるという理由で自己決定が正当化されるなら、その理由によってはこの行ないは正当化されない。では遷延性意識障害の場合にはどうか。それは今の自分と別の暮らしを営んでいる自分を否定するという行ないではない。ただここでも、未来の自分の利益を自分が(他の人より)よく知るがゆえに決めているのではないことは明らかである。

 私の立場は軟弱なものであり、断固としたものではない。ただ、以上に記したいくつかの点を併せて考えていって言えることがあるだろうと思ってはいて、そのことを書いてきた。その一部をかいつまんで記した。
 今日(三月二七日)、この文章を書き直し書き足していたら、北日本放送(富山県)の人から電話があって、最初▽244 は今日京都でということだったが、それは勘弁していただいて、電話でいくらか話した。先方も、二日前に突然こんな事件が起こって一体これはなんだ、という感じだった。こんな時はいつでもそうだが、うまく話せたか、うまく伝わっていたかと思う。意識がないというのと、当人が苦しいのを見かねてというのと違いますよね、とは言ったが、意識がないってそう簡単にどうやって言えるんでしょうかね、という話はできなかったな、とか。このたびのことも、たいへんあわただしく、しばらく報道され、様々のことが混ざり、なんだかよくわからないままに、やがてまた、いったん、おさまっていくだろうか。そして「現場の混乱」を収拾するために「明確なルール」が必要だという紋切り型が繰り返され、それだけが残っていくだろうか。法はある。それが不在だから混乱しているのでなく、それ以上・以外のことをしたい、実際にはしてしまっている、だからそれを承認してもらいたい、罰せられることのないようにしてもらいたい、そういうことである。その気持ちはよくわかる。しかし問題は、なぜその以上・以外のことをするべきなのか、したいのか、せざるをえないのか、である。わかりやすくはある幾つもの言葉が、事態を覆い隠し、見えなくさせている。

3 二〇〇六年夏[2006.7]

 1 事件後
 富山県射水市民病院での出来事についての報道は三月、四月と多かったが、その後、五月、六月と少なくなり、今はほとんど途絶えている。警察からは情報が出てこないし、遺族の人たちからももう話はうかがえないようだ。▽245 ただ、医療者の側については、噂話のようなものも含め、ある程度のことは報じられてもいる。そして、伝えられる構図は、いかにもありそうなことだと思える。
 その、外科部長であった人は、その病院で大きな力、実質的な権限をもっていた。外科病棟の全体を掌握し統御していた。きっと熱心な人ではあったのだろうし、自信もあったのだろう。病人や病人の家族はしばしば気弱になっているから、そのような医師は頼もしく思われることもある。そしてその人は、彼が呼吸器を取り外したような人たち――それがどんな人たちであるのか、それがよくわからないのだが――の「延命」は無駄であると思ってきた。その人たちの死期を早めるのは、彼にとってはわるい行ないではない。そしてその人は、自らの価値・判断によって、停止の方針を提案あるいは伝達し、それを家族が、どの程度の積極性とともにかは不明なのだが、受け入れたということのようだ。その医師単独での決定でなく、複数の医療者が決定に関与したと、本人は説明したという。しかし彼に異議を唱えたら聞き入れられるような状態の組織ではなかった。
 そのままであれば、さらにその状態は続いたのだろうが、病院長が代わり、その人はこれまで受け入れられていた力の配置をそのままに踏襲することはなかった。そして、医師が行なっていたことが偶然に発覚した。院長の交代に伴い、各科の配置を流動化させ、外科の患者を内科の病棟で看るといったことが始まった。そんななかで、その元外科部長が内科の看護師長に取り外しの予定を告げた。驚いた看護師長がそれを院長に報告、といった順序のようだ。
 次に、ここに起こったこと自体はわからない状態が続いたまま、二つの反応が起こった。
 一つは、このような行ないは医師個人の独断に発していてよくない、だから独断・独裁を排そう、それを排するために、またその代わりに、明確なルールを作ろうというのである。そして、そのルールとして、本人そして/あるいは家族の同意に関わる条件が取り沙汰される。また振り返って、この事件についてもそれがどうだったかが問▽246 題にされる。そして、さきの私自身の書き方も、その元外科部長という人をそのように、家父長的な人物として描いている。ただそれはおそらく間違ってはいない。そしてすこし考えてみても、そこにあった体制はよくないと思える。だから、そうでないようにしなければならない。このことは認めた方がよいように思える。
 もう一つは、しかしその行ないは悪意があってのことでなく、自身の直接の利益のために行なわれた行ないでもない。それなのに殺人ということにされてしまったら、それはよくないではないか。私たち――という曖昧な言葉を使っておくけれども――にはそのように思えるところがある。家族にもそう思えるところがある。そしてその人たちは直接にその医師にお世話になった人たちでもある。実際、もちろん外科部長に悪意はない。尊厳死や治療停止といった言葉が被せられる他の多くの事件と同じように、彼は「善意」でそれを行なった。なのに捕まったり裁判にかけられたりするのはかわいそうではないか。その力の方が強いと、あるいは周囲に強いことを知ると、その人に不利になるようなことは語らない方がよいということになる。これもまたよく起こること、これまで起こってきたことである。こうして、起こったことはよくわからないまま、周囲では何も語られなくなる。
 まず、前者は今回のような行ないに批判的であり、後者は同情的である。しかし、両者は必ずしも背反するものではない。
 ときに間違えてしまうところだが、もちろん、今現在なんのきまりもないわけではない。既にきまりはある。刑法や医事法で、なされたことを処罰し規制すればよいということであれば、それですむ。だから、「ルール」がいると言っている人たちは、今とは別のきまりがあってよいと言っているのであり、その多くは、死を早めることを許容するようなきまりがあったらよいと言っている。となると、彼の行ないに同情した上で、その彼が、逮捕されたり訴追されたりしないようなきまりがあったらよい、あったらよかったのに、という流れにもなる。
 医療を行なう側がこの間思ってきたこと、あまり大声でではなかったにせよときに言ってきたのは、そういうこ▽247 とである。まず、その人たちは処置の停止を行なってもよいだろうと思っている。あるいは既に行なっている。しかし、それが社会的承認、法的保障のないままになされるなら、たとえばこのたびのような、人事異動にともなう力関係の変化であったり、あるいは患者やその関係者の「逆恨み」であったりによって、告発されてしまうかもしれない。それはかなわないと思っている。よい、かまわないとされれば、告発されたり逮捕されたり訴追されたりすることがない。
 次に、自らもそう確信をもって行なっているわけではない場合がある。この場合に「お墨付き」が与えられるなら、心理的な負荷、うしろめたさを感じることなく、すくなくともあまり感じることなく、ことを行なうことができる。また、自分ではどうしたらよいかわからないとして、どの場合にどうしたらよいのかが決められてしまうのであれば、考えたり悩んだりする手間は省ける。同時に、許容できない条件もまた規定されるのであれば、たとえば家族から強く停止を要求されることがあったりする時、とにかく「できないというきまりになっています」と言えばそれはそれですむ。だからこのように特定の態度がない、わからないという人にとっても、決めてもらうことはよいということになる。このようなこと一切が、「医療現場の混乱」という言葉で括られ、その混乱を収めるためのものとして、法律そして/あるいはガイドラインが求められているといった言われ方になる。
 こうして、少なくない人にとってルールを作ってくれることはよいことになる。医師はずっと「専門職」としての「自律性」を主張し、自らの行ないについて他から干渉されないのだと主張してきたのでもあるが、この案件については自分たちに委ねられても厄介だと思うなら、決定権を自らが放棄し、「社会」にそれを委ねることに同意するかもしれない。あるいは、やはりそれには同意しないなら、あるいはその決定を待っていられないことを理由に、各々の病院でさらに自らの職能団体あるいは学会でガイドラインを作ろうということになる。それは、一つの法律の制定運動というのと異なり、審議と決定が各所に分散されるということだから、その動きを知り、評価し、▽248 意見を言おうという側にとっては負担の増加を意味するものでもある★14
 では医療者でない人たち、医療を利用する側はどうか。まず、医療者の自由裁量では困るという人がいる。手続きと基準は、それはそれとしてきちんとしてもらった方がよいという思いはまずはもっともである。ただ実際には、医療者の側がきまりで決まったとおりにする、決まったとおりにしかしないということがもたらしうる危険がある。だが、そのことはここではあまり意識されない。
 そしてやはり多くの人にとって、ただきまりが必要だというだけでない。医療者に対する同情があり、自分自身の将来の死に方についての願望があり、近くに対象者を抱えている人にとっての辛さがあって、それが、一つには許容と沈黙に向かわせる。また、生の停止を許容するきまりの方に向かわせる。あるいはそのうちに法ができることがあるとして、まずは自らについての「けじめ」のつけ方として、「民間」の方を利用して、立場表明をするということも起こる。たとえば、六月になって、現在〔当時〕首相を務められている方〔小泉純一郎氏〕が日本尊厳死協会に入会されたことが報じられたのだそうだ。現行の法制度がその実現(本人の宣言に周囲が従うこと)を認めないだろう尊厳死の「宣言」を、行政を統括する人物が行なったということである。いかにも直情型で英雄的な人物がしそうなことであって、なにやら微笑ましくもあるほどだ。
 どうぞご自由に、とは思う。ただそれにしても、そこで何が起こっているのか。その行ないをよいとするか。そのことを言おうとはしてきた。順番に考えていけば、私が書いてきたことの方に理はあると思うのだが、それをここで繰り返すことはしない。ただ、一つだけ再確認すれば、ここに当人は不在である。「現代社会」「現代医療」に「死の隠蔽」を見る人たちが「良い死」を唱導するのだが、その流れの中にあるこのたびの出来事の中に、死んでいった人々は不在である。医療者や家族の思いと行ないとが尊重され忖度されているからであり、また現在の首相のように健康で健全な人たちが未来に備えてのあらかじめの「決断」として「良い死」は想念されているからであ▽249 る。(ただし、当人の不在はいつものことではないと、ひとまずは言える。数は少ないとしても、この自分が死ぬことを主張し、それを裁判に訴えることは――日本の裁判制度では困難なのではあるが――ある。少なくとも外国ではあった。例えばスー・ロドリゲス(Sue Rodriguez)事件★15。これがどんなことであるかについてはまた別に考えてよい。ただ、そこでその人が何に準拠して自らの主張をしているのかを考えるなら、質的にまったく異なるとも言えないだろうとも思っている。)
 ただ、やっかいなのは、知ればよいというものでもなさそうだということだ。むろん、簡単に知ることができるのに、ほとんど意図的に知らないことにしているのではないかといったことも多々ある。たとえば、呼吸が困難であれば、いささかでも意識・感覚があれば、苦しいはずだといったことである。そう考えるのが当然でもあり、私が拾ってきたALSの人たちの文章にもそのことはたくさん書かれていた。そんなことはないと言うのなら、その理由を見つけてくるべきなのは、そういう非常識なことを言う側である。ただそれでも、知ることができないことはある。次に、知ったら別の道筋の話になるのかということである。知ることが生の方に向かわせることに常になるかということである。(首相ではない方の、『病いの哲学』の著者である)小泉〔義之〕が提示するのもまた、知ることなのだが、そのことの可能性と困難について、後で考えることになる〔本書第7章〕。

 2 詮ない仕事
 こうして事件そのものは曖昧にされる。しかしその状態のもとで、ルール作りという話が活発に語られることになっていく。そしてたしかにこの主題は面倒な主題でもあり、争点を形成することにもなっている。事件の報道は次第に少なくなっていくのだが、より一般的な問題・論題とされ、新聞や雑誌の企画が組まれることになる。私は、研究者にあるまじきことではあるのだが、読みたくないものはできるだけ読まずにすませようとしているから、そ▽250 の多くは知らないのだが、様々あったようだ。
 既に幾度も登場している日本尊厳死協会という立派な組織があって、それは、その話の論理性その他はともかく、自らの存在と主張とをおおいに宣伝することになった。他方、その勇ましい名称からしても、はっきりと反対している人たちであることは明らかではある「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」は立派な組織ではなく、そして、こんなことでにわかにそんなに忙しくなることを想定していなかった。代表にさせられた原田正純さんは熊本の在住、私と八木晃介さんは京都。というようなこともあり、というより地の利とあまり関係なく、この会の仕掛け人でもあり、いっさいを切り盛りしているに近い清水昭美さんが、一九七〇年代から一九八〇年代にかけての「阻止する会」での活躍を引き継ぎ、約三十年を経て、このたびも尽力することになった。前回はおもに裏方の仕事をしていたのだが、このたびは事務局長のような仕事も兼ねつつ前面に出て論陣を張ることになった。連日テレビなどの取材を受け、話した。相対的に若い者たちのふがいなさというものがここでも露呈することになってしまったのだった★16
 その間、ふがいない私は、東京に住んでいないことが幸福だったのだが、ただその私でも、いくつか話をしたり書いたりすることになった。新聞やテレビなどに出てきて、人の生死について知ったようなことを言う「識者」を、多くの人たちと同様に、私も軽蔑してきたのだが、どうもそうして軽蔑される位置に自分自身がいるということになってしまった。けれども、起こっていること言われていることにはおかしなところがあると思うから、結局なにか話したり書いたりすることになる。そして、言うべきことは繰り返すしかないから、繰り返すことになる。そのたいがいをウェブに載せているから、読んでいただける。以下、列挙し、宣伝する。〔連載ではここから幾つかを列挙したのだが、ここでは、他のことごとを含め、5節「日誌」にまとめた。〕
 ともかく、言えることを言う。ほかにしようがない。例えば、『通販生活』の編集者の方から、読者は、三〇代、▽251 四〇代の女性が多いので、すこしやさしい文章に変えさせてもらいますと言われれば、はい、ということになる(案を出してくれるというので、今のところ変更はしていない)。〔すこし変更されて掲載された。『良い死』の序章に載せたのは最初に送った案。〕書き方にも工夫はする。というか、工夫しかしていない気がする。それ以前に、それなりに話せばそれなりに長い話をどうしたら千字とか千五百字にできるだろうかといったことを考えている。その時間、別の〔私の本来の仕事と私が思う〕ことをしていたらすこしはそのことについて進歩したかもしれない、その時間が費消される。
 それなりにもっともなことは言っているつもりではある。ただそれはうまく行っているのだろうか。あるいは私のことはともかく、どちらの流れはどの程度強いあるいは弱いのだろうか。もうやめてもいいということがあると思っているところがある。その上で、このたびの法制化云々は不要であると言おうと思うのだが、すると、それはすこし複雑な話になってしまう。
 本人にはまったく負もないが正もないとしよう。それとともに周囲に負担はあるとしよう。ならば、やめてもよいと言えてしまう。しかしその上で、そうした条件が現実に成立しているかどうかをわかることはまったく難しく、するとよくないことが多々起こるだろうから反対だということになる。それは、その人がどんな状態にいるのかを判別するのが困難であるとか、困難でなくても、社会は瀕死の人をぞんざいに扱ってしまうものだという事実に依拠した主張である。こういう言い方がどこまで通じるか。いささか憂鬱にはなる。

▽252 4 倫理委員会で

 1 倫理委員会で・二〇〇七年一月[2007.1]
 数年前から、京都民医連中央病院という病院の倫理委員会の委員を、適格であるとは思われないのだが、している。臨床検査技師の起こした不祥事がきっかけとなって設置された委員会だと聞いている。議事録その他、ホームページに掲載されている。お誘いいただいた時は、この病院は「先端的」な医療・研究を行ったりする病院ではなく、病院に起こる日常の問題を検討するので、ということで、それなら、と思ったのが一つ。もう一つ、他のメンバーに、著作や報道で名前は知っていたけれども、会ったことはない人が幾人かいて★17、心強そうだったし、どんな人なのか見てみたいという邪心もあったりで、あまり深く考えることもなく、お受けしてしまった。
 たしかに当初は病院内のもめごと、乱暴な患者にどう対したらよいのかといった、楽しい、といったらいけないが、そういう議題もあったのだが、しかし、すぐに、けっこう基本的な、というか厄介なというか、重たい主題が続いて議題となり、いつも引きたい気持ちの方が強いのだが、結局今にいたるも、自らの適格性に疑問をいだきつつ、その委員を務めている。そして、いま議題になっているのが、「心肺蘇生の停止」のことをどうするかである。
 一つ思うのは、当たり前といえば当たり前だが、メンバーが違えば出てくる話はいくらでも違ってくるのだろうということだ。どこの委員会でも出てくる案はみな同じというのがよいということもないだろうが、てんでに違ってよいというものでもないのだろう。ただ、様々な背景があった上で、なんとはなしにこんなものだろうとされるものが、それでよければよいのだろうが、そのままには乗れないのではないかと思う時、一人だけ、流行外れのこ▽253 とを言うのはつらいものだ。それだけなら仕方ないとして、仮にその疑問の方に理があるかもしれないとして、それを通すのは難しい。その時、決まっているらしい流れにそのまま乗ればそれでよいとは思わない人が複数いるのは、むろんこのままの流れに乗ってよいのだろうかと思う人にとってのはなしだが、心強い。そして、時間をかけて議論ができるのはよい。そうした、恵まれた、相対的にはかなり恵まれた状態で議論はできているのだが、それにしても重い。それは起こる事態の重さであり、様々をもう認めてよいのではないかという流れにどう向かったらよいのだろうという重さである。

 2 何を伝えるか
 全般的に言って、「停止」の対象は拡大している。というより、既に拡大している。それがこのところの事態を牽引していることは事実だろうと思う。そして医療者の側に、どちらでもよいからはっきりしてくれ、とか、もうすこし言えば、実際にもうやっていること、やってしまっていることを追認してくれ、とか、そんな気持ちがあるのだろうと思う。どのように対したらよいだろうか。
 一つの答は本人にあらかじめ聞いておくという答である。実際そのようなことになっている。各所で、そういう方向で検討されている。さまざまなガイドライン、ガイドラインに向けた文書なども、おおむねそういう方向のものになっていると思う。
 ただ私はそれで片がつくとは思わない。このことは〔『良い死』第1章で〕述べたから詳しくはそちらを見ていただければと思うのだが、ここではより現場に即して、起こりそうなことを記しておく。
 まず、どのようにするのかを聞くとして、いつそのことを聞くのか。いっそあらゆる病院の利用者に、これこれ▽254 の状態になったらどうしたいかを聞いておくという手はある。しかし、まず多くの人にとって、それは少なくとも現実的な想定の外にある。そんなことにはならないだろうと思って、ならないために病院に来ている。
 ではもっと後に、末期という状態の到来が近々予想される人に聞いたらよいのか。しかし一方では、それはそんな厳しい状態であるがゆえに、死の予告のように受け取られるかもしれない。であるとしても、書類の項目のいずれかに○を記すべきだという考え方はむろんある。しかし、そうして厳しい状態を予告することを意味するのであっても決めさせることが当然のことだとは――ここではその理由を述べられないが――言えないと思う。また他方に、厳しい状態にある人たちの多くは既に自らの思いをすくなくとも言葉によっては十分に伝えることが難しくなっている。だからこそもっとその前に――つまり想定される状態からはまだ遠いところにいる時に――意向を聞いてそのとおりにするというのでなければ、代理の人に決めさせればよいだろうか。しかしこの方法にも――やはりその理由をここで述べられないが――難がある★18
 私は以下のように思った。
 むしろ、この病院はこのように皆に対すると言った方がよいのではないか。もちろん、どちらの選択もある、どちらを選ぶかはあなたが決めることだというメッセージがその人をないがしろにするということではない。むしろ多くの場合にはその反対である。しかし、ことが生き死にに関わる場面で、生きるのも死ぬのもあなたの選択だとするのは、それと違う。むしろ、病院は、その病が治るか治らないか、それは様々であるとしても、基本的には命を救うところであり、命を長らえさせるところであると、そのことを私たちは行なうと、まずそのことを、言うまでもないことかもしれないが、その言うまでもないことを、言うことではないか。そのためのことを私たちはきちんと行なう、身体の機能がひどく衰えていようと、認知症が進行していようと、それで差をつけることはしない、行なうべきことは行なう。そのように言う。
 ▽255 その方が人は安心するだろうと思う。今回の私たちの作業のように、一つの病院での決まりごとを決める場合には、少なくともこの病院はそうすると、その方が安心するだろうと思い、ここではそうすると言い、どうしてもそのように思えない人は、別の病院にしてくださいと言うことも――これは別の「選択肢」も否定しないというある種の「逃げ」でもあるのだが――できる。
 その上で、いかなる場合にでも、技術的に可能なすべてを行なうべきだとは私は考えない。一つには、寿命が短くなる可能性のある選択肢だが、寿命が長くなる可能性はある別の選択肢よりも、その人にとってよい、楽な状態が保てるという場合に、前者をとることはありうるだろう。この社会が「太く短く」をことさらに推奨する社会であるなら、これもそう簡単に断じてよいことではないが、まずはそう言えるとしよう。〔このことについては本書第5章でも述べている〕。ただここではこの場面が問題になっているのではなかった。全身の状態が悪化していって、心臓の機能と呼吸の機能、とくに心臓の機能が弱くなっていって、その推移からやがて、ごく近いうちにそれは停止の時を確実に迎える、その時に、電気による刺激を与えるあるいはマッサージを行なうか、続けるか、そういう場面である。
 幾度か述べたように、そのときにその人がどんなであるのか、そう簡単にわかると思わないようにしよう。ただ、意識の水準は低下している。まったく何も感じなくなっていれば、やはり述べたように、その人にとっての害もないのだが、しかしやはり同時に、益もない。害がなく、そして益がある可能性があるのであれば、事態の改善の可能性があるのであれば、その処置を行なえばよいではないかと述べたのだが、ここではそれはないとしよう。すると、処置を行なう積極的な理由はない。他方、まったく何も感じていないのでもなさそうで、ときに――もっと上手なやり方はないのだろうかと私は思ってしまうのだが――肋骨を折ってしまうような圧迫が加えられ続けることは苦しかろうと思えることはあり、そのことは否定できないような場面がある。たしかに容易にはわからないのだ▽255 が、伝わるとしたらその圧迫だけが伝わっている、感じられているといった場合がありうる。そしてその時のその人の状態は、低い水準においてではあるが生体の機能が保たれているのではなく、また突発的で一時的な事態として心肺の機能が低下しているのでなく、多くは長い闘病のすえ、もう最後の段階を迎え、機能水準が急激に低下している。それは回復可能な一時的な低下ではない。
 とすれば、その時には、処置は止める、行なわないとした方がよいだろうと私は思った。たしかにもちなおす可能性はまったくのゼロではない。しかし人の世に起こることのほとんどは厳密にはゼロではない。数多くの経験から、ゼロだと思える、ほどなくしてこの人の生は終わると確信できる時には、そしてここでは一人の医療者の判断でなく複数の人たちの判断が一致している時には、処置は行なわない。それ以外の場合、すべきことは医療者の義務として行なう。この病院ではそういう方針で臨む。このように、次に言う。
 絶対にもう無駄だと、その判断をさせることにおいて、それは医療者に負荷をかけ、責任を負わせる。まじめにそのことについて考えろということだ。ただ、それでも述べたように、まったく可能性がないという判断は難しい。間違えることはありうる。その判断を信用できない、あるいは信用していているが受け入れたくない人がいるだろう。そして、周囲の人たちにとっても、その人の死がいささかでも先延べになってほしい、そのように思うことはあるだろう。そのように思うこと自体は当然のことでもある。だから、その場合には、医療者の側から見ると無駄かもしれず苦痛であるかもしれないのだが、処置を行なってほしい続けてほしいと言ってほしいと伝え、その希望はかなえるようにするとすればよいのではないか。ただ後者、関係者の意向・願望の場合には、心肺蘇生の術が本人の身体に負荷をかけるものである以上は、本人の希望を優先したいとする。
 そこで、例えば以下のような文章を渡すことにする。([ ]内はまだ迷いのあるところ、検討の余地があると思うところ、教えてもらわねばならないと思うところ。)

 ▽257 「当院では、病気をなおすために私たちができることをきちんと行ないます。また残念ながら病気がなおらないとしても、できるだけ気持ちのよい状態で長生きができるためのことをできる限り行ないます。身体の状態がよくなくとも、知的な活動がうまくいかなくなっても、そのことには変わりはありません。人の状態によって行なうべきことを行なわないことはいたしません。
 しかし、残念ながら、病が進行し、全身の状態が悪化し、数時間の間[などと言うことができるのかどうか]に確実に死を迎えることが明らかであると、医師を含む複数の医療者が判断した場合には、あえて心肺蘇生[要説明]を行なうことはいたしません。その時にご本人がどんな状態であるのかは推察することしかできず、明らかではありませんが、この状態での蘇生のための処置はからだに相当に強い刺激と負担を与えることになると考えるからです。
 しかし私たちの診断に一〇〇パーセントということはありません。長い時間でないとしても、いくらか状態がもちなおすことがまったくないと断言することはできません。また、ご家族他関係者の方が、すべての動きが止まってしまう前に御本人に会われ、最期まで見届けたいという思いを尊重すべきだとも思います。そこで、最期の時に臨まれる御本人の負担に配慮しつつも、御本人が望まれるのであれば、あるいは御本人が許容されるのであれば、本当の最期まで、心肺の動きを維持すべく処置することもいたします。このことについては、担当の医師に相談していただければと思います。できるだけの説明をし、ご希望に沿うように対処したいと考えております。」

 このような案でよいのか、私にもよくわからない。これでよいのかという思いはある。しかし、第一に、この病院がというのではないが、なしくずしに様々を「停止」することが行なわれるようになっている時、なにも示さな▽258 いことによって現状を追認するというのはよくないように私は考えた。
 しかし、ならば「停止」を行なわないとだけ言えばよいのではないか。ここが迷うところだ。ただ、一回について三時間ほどの会議をもう三度か四度行なってきて、かなり執拗に根掘り葉掘り医師や看護師に聞いてみたところでは、やめてよいことがあるように思えた。そして、その時の医療者たちの〔蘇生を続ける〕経験は、なにか死にゆく人に対する、既に亡くなった人たちに対する罪責感のようなものとしてその人たちに残っているように思えた。そしてそれを――たしかに「かわいそうだから」としてなされるあるいはなされないことに危ないことは多々あるのだが、この場合には――ただ錯視とみることはできないように思えた。本人に対して加害的であるように思え医療者に徒労感だけでなく罪責感をもたらすようなことと、それと区別することができると思われる様々な思惑、理由によって命を長らえさせる処置を行なわないこと、処置を停止することとを分けて、後者について、するべきことをきちんと行なうことを明確にし、そのことをはっきりと伝えた方がよいのではないかと思った。
 それでもなお、原則的にいかなる場合にも処置を行なうが、ここで行なわないとした場合についてだけ、あらかじめどうするかを決めず、本人の選択に委ねるという方針もあるだろうと思う。しかしそれは、このような状態の場合に人に委ねるとはどういうことか、その状態を医療者がどのように把握し、どうするのがよいとするのか、基本的にまた個々の場面に即して考えること、また示すことを放棄することであるようにも思った。
 そしてもう一つ、いったん何かを認めたとしたら他も認めることになってしまうのではないかという懸念がある。「滑り坂」を滑っていってしまうのではないかというのである。ただ、区切りをつけてそれ以外はしないことを明言するという方法にも、滑っていくことを止める効用はあるだろうとも思った。ここには、すべてを認めないことは実際にはできないだろうという判断があり、とすれば、実際にはなにかを認めることになるのだから、その結果、事実上認められていってしまう範囲はかえって広がってしまうのではないかという危惧がある。
 ▽259 しかしそれでも、できるかぎりのことを、とりわけそれが苦痛でないように行なうことができるのであれば、行なうという方がよいのではないか。そのように思うところはある。私は、明らかに無益なことであり加害的なことでもあると思えるのにその措置をしなければならないとされ、せざるえないという医療者の側の不満が堆積していって、その不満がすべての措置をすべきであるという方針への不信となり、かえって、停止されるべきでないことの停止をも行なってよいという方に滑っていくかもしれないことを心配しているのだと思う。しかしその心配のために、明らかにやめた方がよい、しない方がよいと思わるものについて、やめること、しないことを認めようというのは、たんにその人たちが思ってしまっているだけであるかもしれないものを重く見すぎていないか。まだ私にはわからないところがある。そのまだわからないところをはっきりさせようというのが今回の議題なのだから、やはり、これは私に務まらない仕事だと思う。

 この間様々なことが起こった。そんな時には、当然、新聞記事など読まなければならないのだが、実際には、読むのがいやで、見るのもいやで、ぎりぎりまで読まなかったり、結局読まなかったりした。例えば今回の前半にいくらかを記したそれなりに複雑な動きがあるのに、あっさりと、するするとことが動いていくのはいやだと思うし、するするとものごとが語られるのもいやだと思う。だから、仕方なく、いやでも、ものごとがいかに様々にわかりやすく語られ、それが合わさってどんなことになっているのか、それを言う必要はやはりあるのだろう。
 そしてそんな時には、ふらふらしないで、原則的になればよい、そのように言っていった方がよいと思うのが一つ。それでそんな書き口の本のことをしばらく紹介したりもしたのだった〔→本書第6章〕。しかし、そうして様々がある中で、もういい、もうよそうという思いは否定しきれないようにも思って、結局はふらふらしてきた。ただ、こんど、今関わっている事案について、なにかは決まって公表もされる。その時それが、もしさきに記したような▽260 、あまり見かけない書き方の文章になっていたら、それはすなおに読んでほしいと思うし、伝えるのなら、すなおに伝えてほしいと思う。生きている限りはよく生きられるようにできることをする。なにか様々にややこしいこともまたあるとしても、このこと自体は単純なことであって、基本的には、そう難しいことでもないはずだ。

 3 倫理委員会で・二〇〇八年七月[2008.7]
 二〇〇七年一月、一八回も書かせてもらった『webちくま』の連載は、前節を書いたところで終わった。その後も京都民医連中央病院倫理委員会は検討を続けた。別の案件の検討をしながらではあるが、もう二年にもなる。そこまで時間をかける会議というものがほかにあるのか知らない。私自身はどうしても引けてしまったり、あるいはたんに忘れてしまったりして、二月に一度ほどの間隔で行なわれる会議を続けて二度欠席してしまうことがあった。その欠席の後、昨日(七月四日)、第二七回の会議があった。オーストラリアに留学していたこの病院の医師の北村隆人さん(精神科医、訳書に Symington[1986=2006])が委員会に復帰して、文案を示してくれた。それは二つあったのだが、その一つが以下(表記だけすこし変えたところがある)。

 「緩和治療について
 わたしたちは患者様の病態に則して、回復をめざす医学的な治療だけでなく、さまざまな苦痛を少しでも緩和するための治療(緩和治療)も適切に行うように心がけております。
 臨床現場で活動する当院の職員は一般的な緩和治療を行う技能と知識、経験を有しておりますが、さらに緩和治療について精通した内科医、精神科医、看護師、薬剤師などからなる専門チーム(緩和治療チーム)も活動し、す▽261 べての患者様の病態に即した医学的治療と緩和治療が適切に提供できるよう万全の体制を敷いております。また倫理的に問題が生じやすい緩和治療については、全職員が守るべき「ガイドライン」を制定して、医学的、倫理的に妥当な治療が行えるよう十分な制度的整備も行っております。
 入院中に身体の痛みや精神的苦痛などお感じになれば、まずは遠慮無く主治医やスタッフにご相談ください。

 終末期の心肺蘇生について
 人間の命が有限である以上、回復を目指して入院された場合であっても、入院中に死が差し迫った状態に陥り、心肺停止、すなわち心臓が停止し、呼吸がとまってしまった状態になる可能性はゼロではありません。私たちは、そうした状態に陥った患者様に対してまず救命することを目指して心肺蘇生――心臓や呼吸の動きを再開するように医学的に働きかけること――などできることをきちんと行っておりますし、たとえ患者様の身体がうごかない状態でも、知的な活動がうまくいかない場合であっても、その原則に変わりはありません。
 しかし近年、患者様の中には「死が差し迫った状況では、身体への負担がかかる積極的な心肺蘇生を行わないでほしい」という希望を表明される方もいらっしゃいます。私たちは、患者様の意向をできる限り尊重することが大切な責務だとも考えておりますし、また確かに、回復が望めない進行性の病気のために死が極めて近い状態に陥り、その後最終的に心肺が停止して、その機能が戻ることが期待できない場合には、救命処置を行う意味が乏しいときもあると考えております。
 しかし患者様やご家族のご意向だけを根拠にして、「心肺蘇生を行わない」という判断を下すことには問題があります。終末期を迎えると、人は過度に悲観的となって冷静な判断が困難となりがちです。冷静さを欠いた判断に基づいて処置を行えば、医学的にも倫理的にも望ましくない結果がもたらされかねません。
 ▽262 そこで当院で「心肺蘇生を行わない」判断を下すのは、患者様やご家族のご意向も尊重しますが、あくまで患者様の状態が(1)進行性の病気をお持ちで、(2)その病気の進行によって死が差し迫った状態にあり、(3)心肺停止した場合、仮に心肺蘇生しても数時間の間に死を迎えると推測される、という条件が揃っている場合など、一定の医学的条件にあてはまっていることが確認できる場合にのみに限っております。それゆえ、そうした条件に当てはまらない場合には患者様やご家族のご意向に添えない場合もございますが、それは患者様の最後の日まで安全な医療の提供を確実なものにするために必要なことだと考えております。この点につきまして、ご了解いただきますようお願い申し上げます。

 心肺蘇生に関するご意向をお伝え下さい
 以上のように当院では、基本的に医学的妥当性を根拠にして心肺蘇生の実施に関する判断を行っておりますが、それでも患者様の意向を知ることはとても重要なことだと考えています。特に、あらかじめ落ち着いた状態でお考えになっている心肺蘇生に関する患者様の意向を知ることは、終末期の方針を決定する際だけでなく、普段の診療においても大変意義深いことだと考えております。というのは、患者様の死生観について知ることを通じて、患者様がどういう生き方、あるいはどういう価値を大切にしておられるのかを知ることができ、治療においてその価値を尊重した対応ができるようになるからです。
 そこで心肺蘇生に関する患者様のご意向を、主治医あるいは看護師に、ぜひお気軽におつたえいただければ、と思っております。その際、この「入院のしおり」に添付している「私の考え」にご記入の上で提出いただくと、より患者様の意向を明確に確認できるという点で役立てやすくなります。もちろんこうした意見表明は任意のものですし、また表明いただいた御意向についてはいつでも変更することができます。
 ▽263 お手数をおかけしますが、御協力のほどよろしくお願いいたします。」

 委員(副委員長)の原昌平さんが、本人が停止後の蘇生を望む場合、あるいは家族が望み本人がそれを許容する場合に、蘇生を行なうことを加えるのがよいと発言し、その他議論があり、最終版は次回ということになった。
 やはり確たる自信はない。けれども、この頃各所で示されているまた示されようとしている文書、あるいは本人(あるいは家族)の文書を求める文書よりよいのではないかと私は思った。

 *この後も議論は続けられ、文章や文章の性格も変わっていった。その経緯、そしてできたものについては、この病院のHPを見ていただきたい。[2008.12]

5 日誌

 以上は、私がわずかに関わった範囲のことであって、もちろん、はるかに多く、様々なことがなされ、言われたのではあるだろう(その一部について、◇を付して記した)。そしてその後のことがある。とくに学会といった単位で「ガイドライン」を作るといった動きが様々に起こったようだ。ただ、それらについてここにまとめることはしない。できない。どなたかに委ねる。
 以下ではホームページの記録を辿り、私自身が書いたり話したりした、様々に細々としたことを列挙する(前節に記した委員会への参加等については略する)。まったく忘れていたものがいくつもあった。その内容についても記憶▽264 にない部分が多い。録音されているものもあるので、記録が残されてよいと思うことがあれば、いくつかについては今後紹介することがあるかもしれない。ただ、ここではおおむね列挙するだけにする。なお、以下すべて敬称を略させていただく。

 1 二〇〇五年
◇一月三日 『東京新聞』『中日新聞』報道。「自民、公明両党は、末期がんなどで治る見込みのない病気の患者が、自らの意思で過剰な延命治療を中止する「尊厳死」を認める法案を次期通常国会に議員立法で提出する方針を固めた。複数の与党幹部が明らかにした。今月中に両党で発足させる「尊厳死とホスピスを推進する与党議員懇話会」で法案化作業を進める。」(この記事の全文他、以下報道についてはホームぺージ参照のこと)
・四月一六日 集会「尊厳死っ、てなに?」。これについては第1節2(二二九頁)に記した。
・四月二六日 「患者の自己決定権――「生きて当然」な環境を」『朝日新聞』朝刊([2005b])。大阪本社版オピニオン面「視点・関西スクエアから」という枠のインタビュー記事。題は新聞社による。池田洋一郎記者による取材は四月九日にあり、作っていただいた原稿にこちらでいくらか手をいれさせてもらったと思う。前の年に『ALS』が刊行されたこともあり、ALSの人への言及が多い。「中立」について、以下。
 「周囲の人たちは、あくまで中立を保ち、正確な情報を提供するだけで、あとは患者本人に判断を委ねるべきだとされています。しかし、人の生き死ににかかわる局面で「あなたの自己決定に任せます」と言うのは、おかしいのではないでしょうか。この社会は、人の生を前提とし、人を生かすように営まれているはずです。人が死にたいと言ったとき、「私は中立です。あなたのご自由に」とは言わないでしょう。「こうすれば生きられる、生きるほうが▽265 いい」と言うでしょう。」
・五月一一日 『webちくま』での「良い死」の連載([2005-2007])が始まる。この回については、ウェブ上での体裁を決めたりする必要があったため原稿送付と掲載までの期間があいた。原稿を送ったのは一月二八日。次の回からは数日内に掲載されるようになる。この連載は二〇〇七年一月まで一八回続いた。
・五月一八日 北海道立羽幌病院での事件(→二三五頁)について、NHK旭川放送局の取材に応える。電話による取材に答え、電子メールを二通送った(ホームページに掲載)。その後に電話をもらう。番組に使われたかどうかは確認していない。
・六月一八日 「自由で自然な死?」。関西学院大学大学院社会学研究科二一世紀COEプログラム「「人類の幸福に資する社会調査」の研究」二〇〇五年度COE特別研究T「暴力」。一二人の講師による連続講義プログラムの一回を担当。主題は私の方で設定した。
・六月二五日 「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」発足集会。これについては第1節3(二三三頁)に記した。
・八月五日 『思想』の八月号に「他者を思う自然で私の一存の死」([2005-2006])の第一回が掲載された。原稿を送付したのは六月二三日のようだ。一度で終わらず、あと二回、二〇〇六年一月号と二月号にも掲載された。それが『良い死』の序章の一部と第1章となった。
・九月二〇日 大阪大学大学院医学系研究科で講義。送った仮題は「良い生・良い死」。
・一一月五日 講演「その先を生きること」。第一〇回日本看護研究学会九州地方学術集会。於:長崎大学。『ALS』が出版されたことに関係して呼んでいただいたのかもしれない。ここでも、「中立」でないことについて他、話したのではなかったかと思う。
・一一月一七日 大阪市立難波市民学習センター主催OCATヒューマンセミナー講座・「いのちの約束」。於:大▽266 阪市立難波市民学習センター。与えられた題は「命の終焉は誰が決めるのか――尊厳死と自己決定権」。
・一一月二六日 東京大学大学院人文社会系研究科二一世紀COE拠点形成プログラム「生命の文化・価値をめぐる〈死生学〉の構築」公開シンポジウム「ケアと自己決定」。於:東京大学・本郷。このシンポジウムについて『良い死』序章に少し記し、話したことの一部を載せた。そしてこの時の話は「位置取りについて――障害者運動の」([2006j])として冊子に収録された。

 2 二〇〇六年
◇二月 日本医師会第IX次生命倫理懇談会「平成一六・一七年度「ふたたび終末期医療について」の報告」
・二月二二日 「良い死!研究会」発足
◇三月二五日 射水市民病院での人工呼吸器取り外しについて病院側が記者会見
・三月二五日 「研究集会〈死の法〉――尊厳死法案の検証」。安楽死・尊厳死法制化を阻止する会と良い死!研究会の主催――とはいえ、それまでもそれからもつねに、準備その他は清水昭美たちが一手に担った。第2節(二三四頁)に記した。光石忠敬の講演がまずあった。プログラムによると私も何か話したことになっている。短くなにかを話したのだろう。マイク係をした記憶はある。原田さんが講演したことについてはさきに書いた。
・三月二六日 『読売新聞』朝刊。前日に取材を受けた。射水市民病院での事件についてのコメント。
・三月二六日 『京都新聞』朝刊。前日に取材を受けた。射水市民病院での事件についてのコメント。
・四月二一日 『朝日新聞』朝刊。「三者三論」という欄がこの主題をとりあげた。「生き延びるのは悪くない」という題がつけられたインタビュー記事が載った([2006c])。他の二人は谷田憲俊(アジア生命倫理学会副会長)、山▽267 崎章郎(日本ホスピス緩和ケア協会会長)。この文章はこの年の六月に刊行された『希望について』([2006e])の最後の部分に収録された。
 そこで私はまったく穏当なことしか言ってないのだが、どなたかの癇に障ったらしく、電子メイルでクレイムが送られてきた。その種のものにはありがちなのだが、あなたは「現場」を知らない、みたいなことが書いてあった。そして「意識のない状態で、数種のチューブにつながれ、本当に本人がそれを希望していると思いますか?」という文言があったから、その点についてだけ返信した。「意識のない状態で希望するということはありません。(それ以前の時点で、希望することはありえますがそれはまた別のことです。)このような初歩的な誤りの幾つかをただすべく取材に協力しました。」と書いた。それでこの文章を再録するにあたり、題を「初歩的なことを幾つか」とした。
・四月二九日 良い死!研究会。於:東京。清水哲郎氏との対論。清水の論については本書第6章でも検討している。
・五月二〇日 「良い死」(講演)。日本クリスチャンアカデミー関西セミナーハウス活動センター主催のはなしあい「生命の意味を問う」(於:京都・関西セミナーハウス)。ここではひとまとまり話をしたことを覚えている。
・六月一一日 DPI(障害者インターナショナル)日本会議総会、特別分科会1。命の重さを問う――生まれる権利そして生き続けるための思想。於:大阪。
 趣旨「障害者の命を守ることは、すべての人の命を大切に考えることである。経済効率優先の社会の中で呼吸器をつけた人が介助者とともに生きることが許されない社会を「尊厳死法」という名のもとにつくろうとする人たちがいる。どのような介助システムにおいても、二四時間の介助が必要な人には、それが完全に保障されなければならない。こうした重い障害を持つ人々の命を守っていくためには、国民に理解してもらえるような論理的で説得力のある説明が必要となる。
 ▽268 この特別分科会では、今後必ず問われることになるこれらの課題について、最先端で活躍されている皆様にお集まりいただき、できうる限りの答えを出していきたいと考える。」
 シンポジストは森岡正博(大阪府立大学教授)、立岩〔「良い死??」〕、橋本みさお(日本ALS協会会長)、川口有美子(ALS/MNDサポートセンターさくら会理事)、片岡博(DPI(障害者インターナショナル)日本会議常任委員・全国青い芝の会代表)、コーディネーターは中西正司(DPI日本会議常任委員・ヒューマンケア協会代表)。この集まりの後この組織の機関紙『われら自身の声』に原稿を依頼されて、以前に書いたものからの抜粋にすこしつけ加えただけのものではあったが、送った★19
・六月一九日 羽幌病院事件についてのコメント。二〇〇四年に北海道立羽幌病院で、医師が男性の人工呼吸器を止めた事件。それでその高齢の男性は亡くなったのだが、呼吸器の停止と死亡との因果関係が弱いとのことで起訴されないのではないかという観測があった。その医師の起訴/不起訴が決まるということで、そのことについてのコメントを毎日新聞から依頼され、電子メールを送った。これは結局掲載されなかった★20
・七月一〇日 『希望について』([2006e])発刊。その本は、政治だとか労働だとか様々な主題についてここ数年の間に書いた多くは短い文章を集めた本で、安楽死だとか尊厳死といった主題についての文章を収録するつもりは当初はなかった。もちろん、いのち・生命の問題とは文字どおりに物質的な問題であり、所有(薬の特許権、人体内部の資源の帰属)や「人的資源」(少子高齢化、失業…)に直接に関わるから、その限りではむろん関わりがなくはないのだが、いわゆるいのち・病・障害系の文章はなく(少なく)、それはそれとして別の本にとも思っていたからだ。ただ尊厳死・安楽死の主題について、しばらく本にしたりできないだろうと思い、最後の段階で、いくつか入れることにした。みな短い、あるいはごく短い文章で、同じことを繰り返し言ってもいる★21
・八月二〇日 『通販生活』の「通販生活の国民投票」というコーナーで意見を述べる六人の一人として意見を述▽269 べる。取材にいらっしゃるとのことだったが、どうせかなり手を加えることになろうからと思い、聞かれたことに答えるつもりで規定量のとおりの文章にしてお送りした([2006h])。はじめに送った文章を『良い死』の冒頭(一六-一八頁)に掲載した。
・九月一日 『からだの科学』に小笠原信之の「再燃する延命治療中止の法制化――お寒い終末期医療の現状を放置して」(小笠原[2006])★22が掲載される。この記事のための取材を受けたのは六月九日。
・九月一八日  研究集会〈死の法〉――第二回・脳死臓器移植と尊厳死法の検証。大阪で行なわれた。安楽死・尊厳死法制化を阻止する会と良い死!研究会の主催。ただこの時も、私は企画にはなにも関わっていない。前半、梅原猛氏と光石忠敬氏の脳死をめぐる対談、というより光石さんが梅原さんに話をうかがうという趣向。その後光石さんの講演。プログラムを見ると私も何か話したことになっている。資料集のために送付した文章は『思想』論文([2005-2006])からの抜粋。抜粋の冒頭に次の文章を付した。
 「この連載は、全体として、安楽死・尊厳死の肯定は私たちの社会のわりあい深いところに根ざしているから、面倒ではあっても、そこはある程度ていねいに見て考えていかないとならないのだろうという思いから書かれている。「他者を思う」ことも、「自然」であることも、「私の」決定であることも、この社会では、あるいはこの社会でなくとも、肯定されさらに賞賛されたりすることである。だからよいに決まっている、と言われるのだが、そうは思えない。それを言うには、すこしじっくりと考えなければならない。
 とはいえ、そうのんびりと構えていられないという思いもあった。以下に再掲する文章では、1「不死性」の前半「二〇〇五年/一九八三年」と、4「まとめ」の前半「まず言っておけること」は、とにかく言えることを列挙するといった性格の部分であり、その後の部分に、「とはいえ」、とか、「さらに」、といったつながり方でつながっている。」
▽270 ・一〇月一五日 「死の決定について」(講演)。第3回東海地区医系学生フォーラム「医療における自己決定を考えよう――あなたは「尊厳死」を望みますか」。於:名古屋市。他に演者として、中澤明子(レット・ミー・ディサイド運動東海支部、特別養護老人ホームせんねん村(愛知県西尾市)施設長)、東野督子(日本赤十字豊田看護大学講師)。

 3 二〇〇七年
・二月一二日 研究集会〈死の法〉・第3回。於:東京。私は参加していない。広告を見ると、開会あいさつは原田正純、シンポジウムは、山本孝史(参議院議員)、三澤了(DPI日本会議議長)、片岡博(全国青い芝の会前会長)、橋本みさお(さくら会代表)。講演は光石忠敬(弁護士)「臓器移植法A案と尊厳死法に通底するもの」。
・二月一〇日 難病と倫理研究会第1回京都セミナー。やはり私は参加していない。締切間近のCOEの応募書類を書いていた。報告は小泉義之「〈難病と倫理〉研究会発表」([2007])他。
◇三月一日 川崎協同病院での筋弛緩剤投与事件(九八年)の二審判決。殺人は認め減刑。懲役一年六月、執行猶予三年(矢澤編[2008])。
・三月一日 久留米大学医学部看護学科で講演。とくに本書の主題についてということではなく、「疑いながらも、中立にはならない」という題を送ったと思う。看護の仕事を十分に肯定しつつ、いまの仕事(のさせられ方)を疑うこと、しかしそれは、情報を提供するだけで後はよろしくというのとも違う、という話をしたはずである。
・三月三日 自立生活センターくれぱす主催、尊厳死と医療を考えるシンポジウム「尊厳死、ってなに?」。於:さいたま市。私はコーディネーターの役を仰せつかった――他の集会と同様、準備に関わったわけではなく、ただ当日の会の進行役をつとめたということだ。シンポジストは荒川迪生(日本尊厳死協会副理事長)、橋本みさお(日▽271 本ALS協会会長)、山本創(難病をもつ人の地域自立生活を確立する会)、吉澤明孝(要町病院副院長)。この時の記録はホームページに掲載されている。
 日本ホスピス・在宅ケア研究会編の本に寄せた荒川の文章がある。
 「「尊厳死」とは、死が切迫している臨死のときに、単に死期を引き延ばすだけに過ぎない人工的治療を拒否し、延命装置を取り外して人間らしい姿態を保ち、寿命がきたら息を引き取れるよう、自分らしい自然な死を迎えることです。現在では一切の人工的治療を拒否するとの考えが多くなっていますが、自分で意思決定する能力がなくなる前に、その希望を事前に示しておく必要があります。」(荒川[2000 : 94-95])
 これではよくわからないが、荒川の見解は、日本尊厳死協会の井形理事長など他の人たちの見解とだいぶ違うところがある。荒川はより慎重な立場をとる。そのことをあらためて感じた。
 また小松美彦との対談が『現代思想』二〇〇八年二月号(特集:医療崩壊――生命をめぐるエコノミー)に掲載されている(小松・荒川[2008])
◇三月七日 日本救急医学会「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)(案)」
・四月二〇日 『毎日新聞』朝刊「論点」欄。付けられた題は「まだ議論が足りない」。送った時の題は「普通の順番で考えよう」★23
・四月二二日 フジテレビ・報道二〇〇一「代理母・延命治療中止――生と死 渦中の医師・当事者が語る」。日曜朝の生番組。私は後半に出た。記憶に残っているのは、番組の後、司会の竹村健一ら出演者が一休みする部屋での、仙台で在宅医療を行なう医師の川島孝一郎(仙台往診クリニック、川島・伊藤[2007]、川島[2008]他)と医師で作家でもある久坂部羊(著書に久坂部[2007]★24)の対話だ。久坂部が、命を終わらせるしかない具体的な幾つかの状況を語り、大きな病院であればそれでも延命は可能であるとしても、といった趣旨のことを述べ、▽272 それに対して川島が、それは運搬可能な小さな機器を使って在宅医療で容易にまた十分に対応できることだと強く反駁したことだった。
◇五月 厚生労働省「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」([2007])。それ以前、四月九日の「終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会」(座長・樋口範雄)の第三回会議でガイドラインがまとまったという報道が多くなされた。このガイドラインについて、座長を務めた樋口の著書として樋口[2008]。共同通信社社会部[2008:86-89]にも樋口の発言が収録されている。
◇五月三一日 尊厳死の法制化を考える議員連盟「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)」
◇六月二〇日 日本医師会「「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)」に対する意見」
・六月二〇日 よみうりテレビ『ニューススクランブル』の特集「ルール無き“延命治療”にとまどう現場」放映。取材を六月九日に受ける。番組を見ていない。何かを話しているのか、何を話しているのかはわからない。
◇七月一一日 日本医師会「後期高齢者の死亡前入院医療費の調査・分析」
・八月二日 京都府長岡京市の開業医がALSの義母に告知をせず、死に至らしめ、そのことを学会誌で報告していること(鈴木[2007])が明らかになった事件について朝日新聞社から電話で取材。取材をもとに記者が作った文章にすこし手を入れて送る。それが左。掲載はされなかった。
 「説明と同意がなかったことが当然問題とされようが、それだけが問題だとするのは間違いだ。死ぬと言われたらそのまま死なせればよいか。そうではないだろう。説明と同意は絶対の原理ではない。それは生きられる人を生きられるようにするのが基本だからだ。この医師が行なったのはそれと逆のことであり、呼吸器を使って長生きできる人を死なせた。そのことを書いて専門誌に投稿し、問題にされなかった。それが問題なのだ。」
・八月二日 読売テレビの一八時からのニュースでコメント。右記した事件について京都支局のスタジオに出向い▽273 て話した。
◇八月二二日 日本医師会第X次生命倫理懇談会「終末期医療のガイドライン」(中間答申)
◇八月二三日 日本弁護士連合会「「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)」に関する意見書」
◇八月二八日 日本集中治療医学会「集中治療における重症患者の末期医療のあり方についての勧告」
・一〇月七日 「“脳死”、安楽死、終末期医療を考える公開シンポジウム」(於:東京)で話。主催は同シンポ実行委員会。というか、本田勝紀と山田真の発案によるもの。司会は本田。話をしたのは光石忠敬(弁護士)、林謙治(保健医療科学院次長・社会医学)、田中智彦(東京医科歯科大学教養部准教授・哲学、倫理、生命倫理学、田中[2004][2005a][2005b]等)、立岩、富家隆樹(富家病院院長・日本療養病床協会理事)、山田真(小児科医、山田へのインタビューを収録した本に稲場・山田・立岩[2008])。本田は長いこと、脳死・臓器移植の問題性を指摘してきた。私自身は、脳死・臓器移植については絶対反対の立場ではないが(本書第1章)、尊厳死と呼ばれるものについてはここまで記してきたように考えている。他方、脳死について否定的な人たちに尊厳死についてはそうでないことがあるように思える。それが不思議なことに思われた。そのことについてすこし述べた。事前に送った文書の一部が以下。
 「脳死が問題なのであれば、もちろん、尊厳死も問題である。
 そうなったら死ぬことにするその状態は「死」ではないとは言えよう。他方、脳死は、「死」の状態であるか否かが問われている。その限りでは違うようにみえる。しかし、生命維持のためのことをしないかどうかが問われているという点では二つは同じ。
 そして、多くの場合、脳死の状態の方が「重い」。そして、その状態において、生命維持の停止が認めがたいのであれば、当然、尊厳死が問題になる状態についても認めがたいことになる。この自明なことがどこまで認識され▽274 ているかという問題がある。
 にもかかわらず、脳死については、それなりの細々した議論がなされたのに、尊厳死については、あまりそのようでないように思える。脳死について強い疑義を申し立てた人が、尊厳死についてはさほどでないのはなぜか。
 尊厳死については「選択」の問題とされるからだろうか。しかし、脳死の場合についても、本人の意思・選択の問題と、この状態で何をする/しないとは別のことだとも言われていたはずだ。」
 なおこの集会についてはその記録が文字化されている。
・一〇月九日 『読売新聞』関西圏朝刊の記事「ALS患者の緊急連絡票で呼吸器装着の意思確認」にコメント。
 「緊急事態になったら、人工呼吸器を装着しますか――。全身が動かなくなる筋委縮性側索硬化症(ALS)の在宅患者に、大阪府の和泉保健所が、患者本人と家族の意向を記入する書類の提出を求めていることがわかった」という書き出しの記事。記事後半は幾人かのコメント。
 日本ALS協会近畿ブロックの水町真知子事務局長は「患者は呼吸不全になった段階で初めて、本格的に生死の分かれ目に立って苦悩する。段階によって患者の考えは変わるので、記入するなら本人の意思で変更できる支援体制が必要だ」と話す。
 ALSが進行し、人工呼吸器を着けて一〇年以上になる和歌山市の和中勝三さん(五八)は「スムーズな搬送のために連絡票を作るのは賛成だが、呼吸器の項目は外してほしい。緊急時で意思がわからない時は、意思確認できるよう回復させるのが普通の考え方だと思う。もっと命の重さを知ってもらいたい」と記者に電子メールで答えた。
 大阪府精神保健疾病対策課は「患者が重い負担を感じるのなら、改めないといけない」とし、和泉保健所から事情を聞く方針だ。
 『ALS 不動の身体と息する機械』などの著書がある立岩真也・立命館大教授(社会学)「患者は動かない体で▽275 生きる意味に加え、家族の介護負担なども考えて悩む。これからどうなるのか、どうしたらいいか、簡単に答えの出ることではない。本人が自主的に意向を伝えるのなら、まだわかるが、保健所から意思表示を求めるのは、生死の選択の押しつけになる」
 井形昭弘・日本尊厳死協会理事長「呼吸器をつけた患者には、長年はずせないのは嫌だという気持ちの人も多い。保健所も親切心でやっているのだろう。患者はぎりぎりの決断を迫られており、慎重にする必要があるが、機会が与えられるなら、自分の意思をはっきりと示してほしい」
・一〇月二七日 研究集会〈死の法〉・第4回――「脳死」臓器移植法「改正」と臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)の検討(於:東京)。講演は山田真(八王子中央診療所所長)「子どもの自己決定権」。討論は「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律要綱(案)」について。
 この年の五月三一日、尊厳死の法制化を考える議員連盟の「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)」が出され、六月二〇日に日本医師会の「「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)」に対する意見」、八月二三日に日本弁護士連合会の「「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)」に関する意見書」が出ている。そんなことを受けての集会だったとも思う。
◇一一月一六日 日本救急医学会「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」

 4 二〇〇八年
◇二月二七日 日本医師会第X次生命倫理懇談会「終末期医療に関するガイドラインについて」(答申)
・四月一二日 研究集会〈死の法〉・第5回。やはり私は参加できていない。「日本大学副総長片山容一先生講演会▽276 と「終末期」医療、「延命」中止討論会」。於:東京。
 この四月から「後期高齢者医療制度」が始まり、そこに「後期高齢者終末期相談支援料」が規定され、これらについて反発・批判があった(本書第3章7節)。そして私は、本書第3章のもとになった文章を『現代思想』の二月号から八月号にかけて毎月、七回に分けて書いていた。そして二冊の本をまとめようとしていた。
・六月二二日 二〇〇八年度全国自立生活センター協議会(JIL)総会全体会「あなたは「尊厳死」を選びますか?――「生」と「死」の自己決定を問う」。於:大阪。ここでも私はコーディネーターという名の頼まれ当日司会。シンポジストは、橋本みさお(さくら会)、川口有美子(さくら会)、清水昭美(安楽死・尊厳死法制化を阻止する会)、中西正司(全国自立生活センター協議会)。
・七月二六日 読売新聞社とグローバルCOE生存学創成拠点の共同調査というかたちをとった、全国の三〇〇床以上の規模の病院に対する調査結果が『読売新聞』に掲載される〔「終末期医療 全国病院アンケート」・./2000/080727.htm">「終末期医療 全国病院アンケート」(特集)〕。(この調査とその後のことについては『生死本』に記そうと思う。)
・九月七日 日本臨床死生学会大会シンポジウムで報告。於:札幌。送った題は「良い死/唯の生」
・九月二七日 患者のウェル・リビングを考える会主催の「リビング・ウィル勉強会」で話。於:神戸
・一二月三日 日本宗教連盟・第三回宗教と生命倫理シンポジウム。於:東京。コーディネーターは島薗進、パネリストは立岩〔「良い死/唯の生」〕、光石忠敬、関正勝、藤井正雄、コメンテーターは香川知晶。報告書刊行予定と聞いている。


第4章・註
★01 専門は神経内科学、内科学。国立病院機構新潟病院副院長。書き物・インタビューとして中島[2007]、中島・川口[2008]等々。
 ▽277 ★02 著書として伊藤[2002]、共著書に植竹他[2004]等。
 著書より。第8章「末期医療の権威であるK教授の考えについて」
 「年齢によらず、治癒の見込みがなくなった時点で、緩和ケアが開始されるべきである。高齢者だから、若年者だからと年齢を理由に差別するのは、エイジズムに他ならない。死の受容は、年齢によらず、多くの人々の支えを要する。フォーマルな支援のみならず、友人、ボランティアなどのインフォーマルな支えが必要となる。年齢を問わず、生きた証を残す支援をすることが極めて重要である。」(伊藤[2002 : 175])
 第9章「神経難病筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の安楽死について」
 「死にたいということと、死にたいほど苦しいということとを混同してはいけない。我が国で、積極的安楽死が容認されるのは、肉体的苦痛に対して、打つ手がなく、死が切迫しており、本人の明示の意思表示がある場合に限られる。介護負担、家族への気兼ねのため安楽死を希望するということは、医療福祉の貧困を示すものであり、あらゆる手だてを尽くして、ご本人の精神的苦痛を緩和し、生き抜く意味を見いだしていただく家族の支援を行い、そのことでご本人のQOLが高まるよう社会資源を活用してゆくことが必要である。」(伊藤[2002 : 175-176])
★03 一九七〇年代から八〇年代の「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の活動の実質を担い、そしてこの集会の翌月、二〇〇五年六月に同じ名前で発足した会の中心をやはり担う。その著作については『生死本』で紹介する。
★04 私は、九八年の大会のシンポジウムに呼び出され、話をしにいったら――そのとき話したのは「近代/脱近代という正しさ/危うさ」(後に[1999b])――会員にさせられてしまったという非積極的な会員なのだが、今回は「「病の社会学」では何を問うのか」という企画にやはり呼び出されて出かけていった――話したのは「当座の仕事は幾つか」。
★05 津田[2004 : 73-136]に詳細な記述・批判がある。その批判は妥当なものだと思える。他に、ごくごく短い言及だが、最首[2007 : 18]。
★06 現在(二〇〇八年七月)の登録者は約一五〇名。さほど活発なやりとりがあるというわけではない。私に連絡していただければ入会できる。私が出した過去のメールはホームページで読むことができる(他のメールは会員でなければ読むことができない)。
★06 関係する論文として光石[2007]、他に光石[2005]等多数。
▽278 ★08 後に中島みち[2007]『「尊厳死」に尊厳はあるか――ある呼吸器外し事件から』が刊行された。この事件を問題にしてきた人がその本を読んで書いた文章に四十物和雄[2007]「『射水市民病院事件』の事実関係について、中島新著で新たに分かったこと――個人的なもの」。
★09 医事評論家。非常に多くの著作がある。本書の主題に関係するものでは『PPK(ピンピンコロリ)のすすめ――元気に生き抜き、病まずに死ぬ』(水野肇・青山英康[1998])、『病まずに生きる 死に方健康学――安らかな老いを生き抜くために』(水野[1999])、『老いかた上手――PPKの大往生をめざして』(水野[2003])。『生死本』でPPK(ピンピンコロリ)についてまだある本を紹介する。
★10 「また、日本尊厳死協会(井形昭弘理事長)は〇五年六月、国民が尊厳死を選ぶ権利や延命治療を中止した医師の刑事責任を問わないことなどを法制化するよう求める請願書を一四万人分の署名とともに議員連盟に提出した。一方、法制化に反対する学者や難病患者は「安易に死を選ぶ風潮をつくりかねない」と批判している。
  井形理事長は「今回のケースは薬物を注入するなど積極的な行為をする『安楽死』とは異なり、尊厳死に当たるかどうかが問題だろう。しかし、家族からの伝聞だけでは、本人の意思を確認したとはいえず、尊厳死にも当たらない。医療現場が混乱しないように一刻も早く法制化によって明確な基準を作ってほしい」と話す。」
 山本建による記事の末尾の部分。
★11 「東海大学事件」については三冊の本が出ている。『病者は語れず――東海大「安楽死」殺人事件』(永井明[1995])、『死への扉――東海大学安楽死殺人』(入江吉正[1996])、『安楽死裁判』(三輪和雄[1998])。
★12 引用した箇所の論の流れでは「その人の意志に従うべきであることになるだろう」という結論には必ずしもならない。ここでは、周囲の人のその人に対する思いが最優先されることにはならないことを言おうとしている。本書の第1章3節での議論が関係する。
★13 文献として「遷延性意識障害からの回復例」(守田憲二[2003-])等。
★14 次節「日誌」で二〇〇五年以降について、そのいくつかをあげている。その内容に不服のある人は、その一つ一つについて調べ意見を言わなければならないということになってしまう。それ以前のものとしては、日本医師会第V次生命倫理懇談会「「末期医療に臨む医師の在り方」についての報告」([1992])、日本学術会議死と医療特別委員会「尊厳死について」([1994])、日本医師会医事法関係検討委員会「終末期医療をめぐる法的諸問題について」▽279 ([2004])、日本医師会第[次生命倫理懇談会「医療の実践と生命倫理についての報告」([2004])。日本医師会の諸報告書について加藤尚武[2008]。
★15 判決は町野他編[1997 : 94-97]に収録。著書の中での言及として宮野[1997 : 2-3]、立山[1998 : 107-108](新版は[2002])。関連する文章として星野[1995b]。その著者の著書の中での言及は以下。
 「自殺したくとももはや自殺する体力がない終末期の患者が、医師に自殺を幇助して欲しいと頼む自殺幇助要請を認めて欲しいと訴えたが、カナダ最高裁判所では否決した有名な事件があった。
 この患者は、四三歳のスウ・ロドリゲス夫人といい、筋萎縮性側索硬化症という不治の難病にかかって苦しんでいた。全身の筋が徐々に侵され、筋の萎縮と攣縮のために、手先のことが難しく、洗顔、化粧から、字を書いたり、飲んだり食べたり、話したりすることが困難となり、飲食、排尿、排便、入浴から歩行、外出まで、すべての日常生活でだれかの世話にならなければならないばかりか、意識ははっきりしていて知識精神的判断能力もあるのに、周りの人との言葉による意志の疎通もできなくなり、とても人間らしい尊厳ある生活ができず自尊心がずたずたになって、ただ死んでいく運命を見据えている毎日で、自殺したくてもすでに自殺する体力すら残されていない自分が、尊厳ある死を迎えうる唯一かつ最後の選択として「医師による自殺幇助」を医師に要請することを認めて欲しいと、裁判所に願ったのであった。」(星野[1996 : 171-172])
 このように書かれてあると、人によってはもっともだと思うかもしれない。ただ、私はその同じ病気の人たちのことを本に書いたのだが、どうもそういうことではないと思った。その拙著でもこの裁判に言及したことがある([2004f : 331])。この裁判をめぐる番組を授業で取り上げていたことがあったことについては「学校で話したこと――一九九五〜二〇〇二」([2005i])で触れた。
 星野――関連する著書・編書として『人の死をめぐる生命倫理』(星野編[1992])、『生命倫理と医療――すこやかな生とやすらかな死』(星野編[1994])、『死の尊厳――日米の生命倫理』(星野編[1995])、『わたしの生命(いのち)はだれのもの――尊厳死と安楽死と慈悲殺と』(星野[1996])――について『ALS』の注に次のような記述がある。オランダでのALSの人の安楽死を報道した番組に対する反応を記した箇所に付した注。
 「この番組については加賀乙彦の文章がある(加賀[1995])。またしばしば「日本生命倫理学会初代会長」とその肩書を記す星野一正は、この番組とそれへの批判に論評を加える(星野[1995a])。星野がこの番組について述べる▽280 一つは、オランダの制度の紹介がまちがっているということである。それは当たっている。ただ、星野も記しているように、精神的苦痛を理由とする場合を含む安楽死について罰せられなくなったのは事実である。彼の立場は、日本では「時期尚早」、つまり基本的にはよいことだというものである。比較して加賀は慎重であり、後にこの二人は安楽死をめぐり、NHKの番組で対談し、対立しもする。
 私は、その加賀の論(加賀乙彦[1997 : 28])についても立岩[2000g]で批判的に言及しているが、星野との考えの違いはさらに大きい。日本人がもっと成熟し、「主体性」をしっかりとさせ、医療の機構が改善されるなら、オランダのように五人に一人が安楽死・自殺幇助で死んでいくのはよいことか。私はそうは言えないと考える。今のところ新書で生命倫理の主題を扱ったものは少なく、それで星野[1991]といった本も読まれているが、別の立場からの本が出され読まれるべきだと思う。」([2004f : 327])
★16 この主題に関わる八木の文章として八木[1987][1997]。他に著書多数。また『良い死』〔→『良い死/唯の生』〕第2章で原田の著作についてすこしふれた。
★17 原昌平(読売新聞大阪本社・科学部)、勝村久司――著書に『払いすぎた医療費を取り戻せ!――レセプト開示&チェックのための完全マニュアル』([1998])、『レセプトを見れば医療がわかる』([1999]、ムックとした出された[1998]を単行本化したもの)、『ぼくの「星の王子さま」へ――医療裁判一〇年の記録』([2001])、『レセプト開示で不正医療を見破ろう!――医療費3割負担時代の自己防衛術』([2002a])、『カルテ開示Q&A――患者と医療者のための』([2002b])、等々。委員長は小原克博(同志社大学神学部、著書に『神のドラマトゥルギー――自然・宗教・歴史・身体を舞台として』([2002])。
★18 現在と異なるあり方をしている自らについて予め自らが決める権利があると常に言えるわけでないことは『良い死』〔→『良い死/唯の生』〕第1章で述べた。
★19 「この組織の創始者は太田 典礼さんという方です。知らない人は知らないが知ってる人は知っている、たいへんとんでもなことをたくさん言って、書いて、一九八五年に亡くなられました。(何を言ったか。やはりこちらのHPをご覧ください。)しかし、尊厳死協会は今でも、始祖として、彼をたてまつっています。
 「そういうことでよいのですか?」と聞いてみたらよいと思います。どういう答が返ってくるかわかりません。もしかしたら今までの礼賛をすこし改めて、「不適切発言」については「反省する」とか、「今の組織とは関係ない」とか▽281 、言うかもしれません。そしたら、「今まではどういうふうに思っていたのか」、「今まで気づかなかったのはなぜか」、聞いたらよいかもしれません。この質問はすこし意地悪かもしれません。もうすこし基本的な問いとしては、太田さんの発想と今なされている主張と「ほんとに違うんですか?」「どこが基本的に違うんですか?」と聞いてみるとよいと思います。
 また、今度の法案に賛成している人たち、しようかなと思っている議員さんたち等々にも、歴史の基礎知識として知ってもらうべきことを知ってもらい、次に考えてもらって答えてもらうとよいと思います。これはそんなに急いだってしょうがないことです。急いでいる人に、「急がなければならない理由はなんですか」、「その理由はまともな理由ですか」、と聞くことです。」([2006f]
★20 以下質問と答。ホームページにも収録しているので、「北海道立羽幌病院での事件について」で検索すると読むことができる。
 「問@ 不起訴になる(なった)として、羽幌病院の問題とその処分決定をどうとらえるか。
 →まず、自発呼吸がなかった人に呼吸器をつけて、はずしたら死に至るのは当然で、とりはずしと死亡との因果関係が薄いから不起訴というのはよくわからない。
 そして、(今年になって明らかになった――実際には全然明らかになっていないが――射水での事件も同じだが)どんな状態の人に何がなぜなされたのかわからない。起訴/不起訴にかかわらず、そのことは明らかにされるべきだ(べきだった)。
 あと数時間の命だったということだが、それなら、呼吸器をつけたまま、その数時間を待てばよいではないか。
 医師の不起訴を求める運動もあったと聞く。きっとまじめで熱心な医師なのだろう。しかしその人が、呼吸器をはずしたその理由が結局わからない。わからないというか、その人がどのぐらい強い信念としてもっていたのかは知らないが、その考えは間違っていると思う。
 その人は「脳死」と説明し*、「家族の負担」を考えたという**。
 脳死状態という説明は誤った説明だったのだが、脳死状態だったとすれば、あるいはそれに近い状態でも、本人の苦痛はない。
 そして、家族に負担がかかることを死を早める理由にするのは、やはりよくないだろう。(ただ、今回の場合は、あと数時間で、ということなのであれば、格別の負担があったわけでもない。やはりよくわからない。)
 そしてそれは、その人がよい人であっても、言った方がよいと思う。その人に「悪意」があったなどとはまったく思わない。しかし「善意」で行なったことなのに起訴されそうになってかわいそう、といった話で終わらせられ、さらに、起訴されたり刑罰が科せられたりすることのないように法律を作ろう、変えよう、という流れになるのはよくない。
 はずした人本人を責めようというのではない。ただ、いったい何があったのか、なぜそういうことを、その人は、また私たちはしてしまうのか、そのことがさきに問われるべきことだ。そうしたことが射水での事件(の報道)でも羽幌での事件(の報道)でも明らかになっていない。そんな状態のまま、起訴が取り下げられ、何が起こったかは明らかにならないなら残念だ。
 *『毎日新聞』二〇〇五年四月二七日「道立羽幌病院の呼吸器外し:殺人容疑で書類送検へ 医師の殺意、立証可能――道警判断」
 「調べでは、病院側は昨年二月一四日午後、食事をのどに詰まらせ、心肺停止状態となった男性患者に人工呼吸器を装着した。その後、女性医師は「脳死状態で回復の見込みはない」と家族に人工呼吸器を外すことを提案。翌一五日午前、人工呼吸器を外して男性患者を死亡させた疑いが持たれている。」
 **同じ記事より
 「[…]女性医師は調べに対し、「家族の負担も考えて(呼吸器外しを)相談した。合意は得ていた」と供述したという。」
 問A 羽幌病院や富山県・射水市民病院などの問題が公になると、「延命治療中止のガイドライン作り」「尊厳死法制化」を求める声も高まることがあるが、これらをどのようにみているか。
 →どうしたらよいのか、いけないのか、それはなぜなのかを議論するというのなら、それもよいだろう。しかし、今の流れは、よいことをしているのに、罰せられる可能性があるから、罰せられないようにしようという方向のものだ。それはおかしい。今回の事件で、してよいことがされたとは考えられない。「ルール作り」をしたい人は、なぜ、死を早めることが認められるべきなのか、その理由をはっきり言ってほしい。*
 *『毎日新聞』二〇〇六年六月四日「北海道・道立羽幌病院の呼吸器外し:女性医師不起訴強まる 「死亡との因果▽283 関係薄い」」
 「[…]捜査の行方
 同地検の捜査が長期化した背景の一つに、延命治療中止の是非を示した公的な指針やルールが存在しないことがある。
  厚生労働省は医療現場の混乱を避け、終末期医療への国民的関心の高まりに応えるためにルール作りを進めている。
 射水市民病院の呼吸器外し問題が発覚したことで、今回の事件が類似ケースとして注目を集めるようになった。検察幹部は「遺族や国民が納得できる処理をしたい」と話している。」
 問B 尊厳死法制化とは別に、厚生労働省の研究班や専門学会で、終末期医療のガイドライン作りも進められているが、「ガイドライン」は必要だと思うか。その理由は何か。
 →Aと同じ。現行の法よりも死を早めることが許容されるべきだと考える人たちは、そのわけをきちんと言ってほしい。この数カ月、射水市民病院での事件との関連で、早めてよいという主張がたくさんなされているが、メディアは日本尊厳死協会のみなさん他の主張がおおいに宣伝される場となったわけだが、しかしそれらのすべてで、納得できる理由は示されていない。
 問C 「延命治療の中止」問題について議論するとき、注意しなければならないこと。
 →ABと同じ。射水の事件にしても羽幌の事件にしても、あんなことをしてよかったんだろうかという方向でなく、よいことにしてしまった上で、法的にも認めてしまおうといった流れの話になっている。それはよくないと思う。
 脳死の問題のときにはそれなりの議論があったし、今もある。いま問題になっているのは、一つに遷延性意識障害(いわゆる植物状態)だが、この状態は脳死の状態よりさらに微妙な状態だ。であるのに、たいへん安直に話が進んでしまっているところがある。それはよくないと思う。
 「停止」が周囲の負担・都合でなされてはならないことについては認めてもらえるだろう。すると「停止」は本人にとってよいという理由でなされることになる。それが本人にとってよいことである理由をきちんと言ってほしい。本人にとってよいといったことはそうそうはない。この事件の場合についても言えないはずだ。」
★421 一つめは、『文藝春秋』二〇〇二年一二月臨時増刊号「日本人の肖像」に掲載された「ただ生きるのでは足りない、はときに脆い」([2002e])。この号は、多くの書き手に、その人が思う立派な日本人のことについて書いてもらうと▽284 いう企画だったので、題のような文章を書いた。
 次に、ほとんど同じ題で同じことを言っているのだが、二〇〇三年六月の『東京新聞』『中日新聞』に二回に分けて載った文章、「ただいきるだけではいけないはよくない」([2003d])。このときには『ALS』のもとになった連載を『現代思想』(青土社)にしていて、そこでとりあげた川口武久のことにふれている。
 そして、二〇〇四年の末に『ALS』が出たのを機会に二〇〇五年三月に『聖教新聞』に書かせてもらった文章([2005a])。自分でつけた題はなかったから、今回は「中立でなく」という題にして再録した。
★22 著書に『許されるのか?安楽死――安楽死・尊厳死・慈悲殺』(小笠原[2003])、訳書にハーバート・ヘンディン『操られる死――〈安楽死〉がもたらすもの』(Hendin[1997=2000]、『生死本』で紹介する)がある。
★23 以下全文
 「「議論を尽くせ」と言うのは、自分の考えがない人の決まり文句のようで、気がひける。しかしこれは時間をかけた方がよい。
 「尊厳死」の法制化、「ルール作り」を強く働きかけてきた「日本尊厳死協会」が最近治療停止のガイドラインを作った。例えば、人工呼吸器を付けて暮らす人がそれを外して(外させて)死ぬのを認めるべきだとしている。自殺幇助を認めよということである。だが「停止」を言う本人たちは、生きるのに最も困難を背負い込まされた人たちである。周囲に気兼ねし、生きる価値がなくなったと思い、死を望み、けれど人に止められ気をとりなおし、何十年も生きている人たちがたくさんいる。それなのに、これからは本人の言うとおりにしようというのである。
 尊厳死協会の多くの会員も救急医学会の多くの人たちもそれは考えていない、と言うだろう。認めるべきは、あくまで「無益な治療」を受けないことだ、と。だが、これは認めて当然ということとそれはまずいというものと、どこからがどう違うのだろう。これはそう簡単ではない。だから、よくわからないまま、認めないと言ってきたはずのものを、いつのまにか同じ団体が認めてしまったりする。
 この簡単でない問題をまじめに考えた人たちが出した一つの答は、どんなに手間のかかる状態になっても生きられることが実際に本当に保障されるなら、その時は本人が決めるのを認めてもよいというものだ。これは、たんに本人の言うとおりにしようという答よりよほどもっともだ。
 しかし、そういうことは話し合われない。生きられる環境のこと、たとえば医療費のことと、終末期の決定とは別▽285 だと言われる。実際、今回の厚労省のガイドライン作成にあたって「生命の尊重」の文言を本文から外したのも同じ理由からとされた。二つはたしかに同じではない。しかし明らかに、二つは現実につながっている。その場合、一方の生きる話は別だからと言ってしないまま、死ぬ方の手順は決めましたとなることが何を意味するか。これを死への脅威と感じる人がいるのはまったく当然のことである。
 何をしても生き延びられない時は、その判断は難しいとしても、ある。その時、益のない加害的な行ないをしないのはよいだろう。だがその前にまず、命を大切にする本業をきちんとし、人の状態で扱いを区別しないという基本をまずしっかりさせることだ。その上で第二に、何がどんな意味で誰にとって無益・有害なのかをよく考えることだ。
 なにかきまりがないと殺人容疑で捕まってしまうかもしれないと医師が心配する気持ちもわかる。しかし問題はもっと大きい。今きまりを決めないと人が死んでしまうというのなら、きまりを作るのを急ぐ必要があるが、これはそんな主題ではない。肝心なことはまだこれから、考えてない、決まっていない。きまりを作る側もそう言っている。その通りだ。向かう方向が決まってしまったのではない。」([2007b])
★24 その著書『日本人の死に時――そんなに長生きしたいですか』の第六章は「健康な老人にも必要な安楽死」。
 「みなさんは、どんなに苦しくても、死んだほうがいいという状況などあり得ないとお考えでしょうか。/私は仕事がら、そんな状況をよく目にします。[…]
 そのひとつの例をご紹介しましょう。/私が在宅で診ていた恵子さん(六十二歳)は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病で、病院から紹介されたとき、すでに寝たきりの状態でした。/この病気は原因不明の神経筋障害で、全身の筋肉が徐々に萎縮し、最後は衰弱して死ぬ恐ろしいものです。治療法はなく、対症療法(熱が出たら解熱剤、痛みがあれば鎮痛剤など)しかできません。」(久坂部[2007 : 135-136])
 「こんな残酷な苦しみしか残っていなかったのなら、いっそ十二月のあのときに、安楽死を実行したほうがよかったのではないか。/答えは今もわかりません。」(久坂部[2007 : 144])


UP:20220701 REV:20220804
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇殺生  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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