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狐を草食にしたがるベジタリアン:人命本捕註18

「身体の現代」計画補足・850

立岩 真也 2022/12/00
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 『人命の特別を言わず/言う 補註』を整備しつつ、それをこの連載で切り売り?しています。その第18回。

第2章★10 註06・07・08に引いた本には、「狐を草食にしたがるような過激なベジタリアン」(Lestel[2011=2020:57])といった記述がある。「たとえばスティーブ・サポンツィスは、捕食動物の生態を草食や果実食に転換しようと考えている。」(Lestel[2011=2020:57])。訳注では「Steve Sapontzis, 1945- アメリカ合衆国の哲学者。動物倫理、環境倫理を専門とする」(Lestel[2011=2020:167])。少し調べると『Food for△131 Thought: The Debate over Eating Meat』(Sapontzis ed.[2004])といった本がある。
第2章★11 『神は何のために動物を造ったのか――動物の権利の神学』より。
 「人間と動物の共同性を強調[する]ことは人類の独自性にかんする伝統的キリスト教を曖昧にしてしまうように思われるかもしれない。[…]しかし、動物を倫理的に扱うことを支持することは、人間が特別であるとか、独自であるという伝統的なキリスト教的見解を放棄することを要求することにつながるであろうか。私はそのようには考えない。以下において私は、人間は道徳的に優れているという見解が、善良なる動物の権利の理論にとっていかに中心的であるかということを示してみよう。私は主張する。人間の独自性は奉仕と自己犠牲の能力者として定義される、と。この視点からすると、人間は一人の大司祭にならって、ただ単に自分自身の種のためだけではなく、感覚をもつ全ての被造物のために自己犠牲的祭司性を実行すべく独自に任務を与えられた種なのである。同胞たる被造物の呻きと労苦は、創造の癒しと解放における神との協同作業ができる種を必要とする。」(Linzey[1994=2001:93])
 そんなに(動物に対して)偉そうではない言説もある。『快楽としての動物保護』(信岡[2020])の著者である信岡朝子は、『現代思想』が肉食主義を特集した号に寄稿した論文でソローの『森の生活』から以下を引用している。
 「人類は進歩するにつれ、動物の肉を食べるのをやめる運命にあると、私は信じて疑わない。ちょうど野蛮な種族が文明人と接触するようになってから、たがいの肉を食べあう習慣をやめたように。」(Thoreau[1854=1995:84-85]、信岡[2022:118]に引用、引用は岩波文庫版、酒本雅之訳のちくま学芸文庫版もある)
 なお、「私は、他の生き物を殺して生きる人間には罪があると感じる。そして同じ訳合いでもって、他の生き物にも罪があると言いたい気持ちがある」(小泉[2022:99])と書く小泉義之(141頁、144頁)が、その文の後にLinzey[1994=2001]を紹介し、そこから引用していることを記しておく。△132

表紙写真から本の頁に行きます&このHP経由で購入するとアフリカ日本協議会に寄付されます
立岩真也『人命の特別を言わず/言う』表紙 立岩真也『良い死/唯の生』表紙


◆立岩 真也 2022/12/05- 「寄付お願い・提案」
 http://www.arsvi.com/ts/20220023.htm
◆立岩 真也 2020/11/11 「私たちはそういうことにあまり慣れてないのだが」DPI日本会議,ご寄付、ご支援について


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20222849.htm
にもある。


UP:202212 REV:
『人命の特別を言わず/言う』  ◇『人命の特別を言わず/言う 補註』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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