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動物もお互いを食べるからという論に:人命本捕註15

「身体の現代」計画補足・847

立岩 真也 2022/12/00
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立岩真也『人命の特別を言わず/言う』表紙 立岩真也『良い死/唯の生』表紙 立岩真也『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』表紙 立岩真也編『自己決定/パターナリズム』表紙 立岩真也『私的所有論  第2版』表紙

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◆立岩 真也 2022/12/05- 「寄付お願い・提案」
 http://www.arsvi.com/ts/20220023.htm
◆立岩 真也 2020/11/11 「私たちはそういうことにあまり慣れてないのだが」DPI日本会議,ご寄付、ご支援について


★04 〔『雑食動物のジレンマ』について〕カリフォルニア・ブック賞(ノンフィクション部門)、『ニューヨーク・タイムズ』のTop 10 Best Books of 2006、『ワシントン・ポスト』のTop 10 Best of 2006、等。△127
★05 『雑食動物のジレンマ』の第17章が「動物を食べることの倫理」。(シンガー流の)動物擁護論に反駁しようとするが、反駁できず、しぶしぶ肉食を(一時期)断念するという筋になっている。
 「動物もお互いを食べるからという論理に対して、擁護派は、シンプルで痛烈な答えを用意してる。あなたは自然界の理法をもとにした倫理規範に従いたいのか、それなら殺人や強姦も自然ではないか。それに、人間は選ぶことができるではないか、と。人間は生きのびるためにほかの物を殺す必要はない。肉食動物は殺さなければ生きることはできないが(わが家の猫オーディスを見てみれば、動物はただ殺す楽しみのために殺すこともあるようだが)。」(Pollan[2006=2009:下119])
 例えばこのようにして、この人は、反論しようとして、自分で負けて、負けを認め、しぶしぶ(しばらく)菜食することになるのだが、自ら簡単に負けを認める負け方には疑問がある。
 まず、(人間的な意味合いにおける)殺人や強姦が人間を別とした自然界に存在するのか知らない。むしろ、ないと言ってよいと思うと返すこともできる。また、どんな時にでも私たちは常に、例えば物理法則に従っているとも言える。だが、これはまじめな反論ではないということになるだろう。もっとまじめに返すことにする。私たちは、世界に存在するすべてをそのまま肯定するわけではない。しかし、そのある部分についてはそれを否定しないもっともな理由があると考える。そのことを本文に述べる。もう一つ、人間は肉を食べなくても生きていける(から食べるべきでない)という主張についても本文(85頁)で述べる。
 動物が動物を殺して食べていることについて、いくつか引いておく。
 「動物倫理に立ち入り、動物実験やべジタリアニズムについて考えていくとき、いつも疑問として湧出してしまう問題がある。それは、野生動物たち同士の食いつ食われつの殺し合いについてである。確かに、動物倫理の議論でもこのことは触れられるが、隔靴?痒の感を免れない。というのも、一方で動物△128 実験や肉食を論じる文脈で「動物への配慮」が言挙げされ、そこでは動物の「パーソン性」さえ言い立てられるときがあるのに対して、動物士の殺し合いに対しては、人間に害が及ばない限り、自然の営みなのだからそのまま放任するしがない、という論調になってしまって、動物の「パーソン性」を認めるように感じられるからである。」(一ノ瀬[2011:150?151])
 「介入派」としてマーサ・ヌスバウムをあげる浅野幸治による引用。
 「痛みをともなう拷問によるガゼルの死は、ガゼルにとっては、拷問が虎によってなされた場合でも人間によってなされた場合でも、同じように邪である。[…]人間には虎によるガゼルの死を防ぐための(人間によるガゼルの死を防ぐのと同様の)理由がたしかにあるということが示唆される。」(Nussbaum[2006=2012:274-275]、浅野[2021b:8]に引用)
 この論文で浅野は動物界への人間の介入を否定する動物権利論主流派の論と、ヌスバウムも含む介入派の論を紹介し、論じている。ここでは、そのうえでも私が本文に述べることを撤回する必要はなかったとだけ記しておく。
 また、右に引用した文章を二〇一一年に書いた一ノ瀬正樹は、二〇二二年に「かくのごとく、動物をどう見るか、肉食をどう考えるか、そうした問題はあまりに錯綜し混迷をきわめ、大きな揺らぎのもとにあり、一義的な見解を述べることは困難である」と書き、「動物対等論」というのはどうだろうと言っている(一ノ瀬[2022:143])。

○浅野 幸治 2021b 「動物権利論と捕食の問題」,『法の理論』39:3-18
○一ノ瀬 正樹 2011 「「動物への配慮」の欠落と充実」,一ノ瀬・新島編[2011:143-159]
○―――― 2022 「人と動物をめぐる揺らぎと対等性についての一考察」,『現代思想』50-7(2022-6):137-143
○一ノ瀬 正樹・新島 典子 編 2011 『ヒトと動物の死生学――犬や猫との共生、そして動物倫理』,秋山書店
○Nussbaum, Martha C. 2006 Frontiers of Justice: Disability, Nationality, Species Membership, Harvard University Press=2012 神島裕子訳,『正義のフロンティア――障碍者・外国人・動物という境界を越えて』,法政大学出版局


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20222847.htm
にもある。


UP:202212 REV:
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