『人命の特別を言わず/言う』を筑摩書房から出してもらった。それに対応させて『人命の特別を言わず/言う 補註』を作っている。原稿を書きながら作ってきたものではあるのだが、結局、かなり原稿に手をいれたので、結局、できた本をみながら作っていくことになった。その作業を進めていくためにも、毎日毎日の仕事をここに掲載してことにした。今回はその第4回ということになる。延々と続いてく、はずだ。
■第1章・註
★01 『私的所有論』(立岩[1997→2013a])の第2版に「ごく単純な基本・確かに不確かな境界――第2版補章・1」を置いた。その第2節が「人に纏わる境界」、その2が「殺生について」。その註10より。
「そしてまた、人は人を殺すこともある。それは実際いくらもあってきた。(それは、特殊な場合を除けば、食べるためにではない。あるいは食べるに際して特別の意味が込められてきた。)「近代」あるいは「近代批判」が、殺さない範囲を、また一人前の人間の範囲を拡大してきたという面はあるだろうが、それは実際に殺さなかったことを意味しない。そして人間ではないから殺さなかったわけではない。人間であることをわかってはいたが、むしろわかっていたから、たくさん殺してきた。そして本書に述べることからも、どんな人も殺してならないといったことを言えるわけではない。」(立岩[2013:806])
本書では本文のもとになった過去の私の文章の一部をかなり頻回にそしてかなり長く、そのまま註で引用することがある。一つには、別の文章を用意する必要がないと思うことがあるからだ。一つには、以前書いた文章との差異、いくらかの進展について知っていただきたいと思うからだ。
★02 シンガーの『生と死の倫理――伝統的倫理の崩壊』冒頭の「謝辞」には以下のようにある。
「過去一四年間、ヘルガ・クースと私は本書で取り上げられた広範な分野についてともに研究してきた。私たちは互いに相手から学んできたので、私たちの考えはいつしか混ざりあい、もともと私自身の考えであったものと彼女自身の考えとを区別するのが今では困難なほどである。本書と彼女の『医学における「生命の神聖性」の教え――一つの批判』とを併読すれば、私がどれほど彼女に負っているかが誰にでもわかるだろう。」「ヘルガとの知的な親交、そして彼女の励ましがなければ、おそらく私はこの分野の研究をとうの昔にやめていただろうし、本書が書かれることもなかっただろう。」(Singer[1994=△064 1998:12])
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◆立岩 真也 2022/12/05- 「寄付お願い・提案」
◆立岩 真也 2020/11/11 「私たちはそういうことにあまり慣れてないのだが」,DPI日本会議,ご寄付、ご支援について
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20222836.htm
にもある。