―― 立岩さんは先頃、『弱くある自由へ――自己決定、介護、生死の技術』を刊行されました。この本を手がかりにお話をうかがいたいと思います。
まず、タイトルになっている「弱くある自由へ」についてですが。
立岩 最初この本のタイトルを『闘争と遡行』☆01にしようかと考えていたんです。売れないって却下されましたけど。たしかに売れないかもしれません。
―― かつて続けて出ていた埴谷雄高の評論集のタイトルを思わせますね。
立岩 闘争ではスタンドポイントははっきりしている。それをどうやって実現していくのかという戦略、そこで実現されるべき仕組みを考えていく仕事なんですね。たとえば、人が自分の暮らしのこと、暮らしのありかたを自分で決めて、自分で実現していくという意味での自己決定については、私はまったく肯定的な立場に立ちます。障害者なり病者の生活に対する決定が剥奪されている、それはけしからんと。ではどうやっていくか。介助・介護について考えた第7章「遠離・遭遇」は基本的にそういう仕事になります。
けれどそういう仕事でも、実現するために、なぜ実現しないかを考えていく必要が出てきます。この問いは簡単に解けることもありますが、そうでないこともある。闘争のために、闘争の一部として、遡行がなされないとならない。さらに、自分自身がどこに立っているのか、なぜ、どこに立てばよいのかよくわからないことがあります。あるいはわかっていたつもりがわからなくなることがあります。とすれば、遡っていかないとならない。
僕は、両方の仕事を同時にやっていきたいと思っています。なにか「哲学的なもの」がとんでもなく素朴なところにとどまっていることがあります。原理的なことを考えているようで、全然そうでないことがよくあります。「そんなことは知ってる、問題はその後しばらく行ったところに現れる」と、闘争し、その方向を考えている人は言うでしょう。
―― 通読して、「弱くある自由へ」ということがこの本に通底するテーマとなっていることを感じました。第1章の「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」で立岩さんは「もっと弱くあればよいのだ、もっと弱くあってよいのに」と書かれていますね。
立岩 第2章「都合のよい死・屈辱による死」と第3章「『そんなので決めないでくれ』と言う」で「安楽死」のことを書いています。今の状況は、耐え難い身体的苦痛で死ぬ、死ななきゃいけないという状況ではありません。日本だと苦痛への対応がきちっとしていないからそう言い切れないんですが、うまくやれば肉体的な痛み自体はかなり取れる。そういう意味では古典的な、あまりに痛いので死期を早めるという安楽死は意味を失っている。けれども医師の自殺幇助による死を選ぶ。なんで死ぬんだろう、なんで死にたいんだろうと思う。またその決定の周りにいる人にとってはどうか。自己決定を基本的に認めるから、死の自己決定である安楽死、医師による自殺幇助もそのまま認めるんだという話になれば、それはそれですっきりするかもしれないけれども、すっきりしない人もいる。少なくとも私はすっきりしない。とすれば、遡っていかないとならない☆02。
と言っても、そんなにややこしい話ではありません。たとえば[…]
第4章の初出の題は「一九七〇年」だけだったんですが、それじゃわからないというので、本の方では「闘争×遡行の始点」という副題をつけました。これでもやっぱりわからないですけど、具体的には障害者運動のことを書いてます☆09。この時期に、僕はいくつか大切なことが言われ、考えることが始まったと思っています。優生学が本格的に問題にされだすのもこの頃だと思います。学問的にその歴史が研究されだすのはもっと後になってからですけれど。出生前診断などもそういう文脈で問題にされ出します。その人たちが、一方で自己決定を主張し始めながら、つまり人に迷惑をかけながら自分で決めていくことを強く主張しながら、他方で、安楽死を批判するというということをします。最低、そういうところは押さえておきましょうということです。
これには、もちろん当時のはねあがった状況が関わっています。その時いろんな場面でかなり重要なことがいろいろと言われたと思うんですね。ただ、それがストレートに継がれることなく、八〇年代的・九〇年代的な知の状況にずるずると移行していってしまった。そしてそれはしばらくはおもしろかったんだけれども、だいたいまあこんなものかなというぐらいのところまで来てしまって、それで行き止まっていると思うんですね。だから、いったん消えてしまったり放っておかれた問題をストレートに考え直していく、考えることを立て直していく。僕は前の本も含めて、そうしたスタンスでものを書いているところがあります。