はじめまして、立岩です。呼んでいただいてありがとうございます。シンポジウムというのは、今も昔もおそるべきものがいっぱいあって、横に座っている人とはたしてどういう接点があるのか分からないことがある。非常に悲しいというか、虚しい思いをすることがたいへん多いんです。世の中にはなんとお金が余っているところがあって、そのお金を消化するために何だかよく分からない人を何人か集めてきて、喋らせて、シンポジウムが終わってしまう。今日のシンポジウムは、それよりだいぶいいなと僕は思っていまして、なんだか明るい未来が見えてきた気がします。
さて
僕の前半の話というのは、基本的に少なくとも僕の中では白黒ははっきりしている。お客さんの立場、お客さんサイドにいる。少なくとも、普通のサービス産業と同じくらいには、消費者主権なら消費者主権というものが貫かれてよい。それを阻害するメカニズムが何か、それを除去していく装置は何か、そういうことを考えていくということでした。ただ、白黒はっきりしていない領域というのも、やっぱり残される。それが、科学論というものと関係するかしないか、僕は知りませんけれども、そういったものがある。そういったものも、どこかで僕らは気になってしまうわけですし、考えてしまうわけですし、考えちゃいるんだけど考えがまだ足りなくて、まだ何だかよく分からない、そういうことがある。
科学・技術というのは何かといえば、科学というのは、基本的には分かるということ、知ることだということになっていますね。技術というのは、何かを作ることであり、何かを変えることであるわけです。それが社会で私たちが生きていることにどういう意味合いを持つんだろうか、それについて私たちはどう判断したらよいのかということを考えていく、というのもおもしろいぞと思っているんです。分からないこと、白黒がはっきりしないことがいっぱいあって、去年、出版させていただいた『私的所有論』(勁草書房)という本は、こちらの話にウエイトを置いています。
私たちの社会というのは、ある程度分からないことがある、ということをどこかで前提として含み込んだ上で成立している。あるいは、変えられないということを含み込んだ上で成立している部分がある。あるいは、変わるか変わらないか分からない、というところを前提とした上で、いろいろなものが成り立っているというところがあるわけですね。これは考えてみれば誰でも知っていることです。
とりあえず方向性の違う話を二つしましたが、僕は時間がある限り、二つの仕事を同時にやっていきたいと思っています。皆さんのお考えになっていること、あるいは科学論というものと、それがどういうふうに関係があるのか、あるいはないのか、議論の中で深めていければと思います。どうもありがとうございました。