私の勤め先の大学院で博士号をとったりした人たちが出した本におまけのようなものを幾つか書いてきた。
→◆立岩が関係した博士論文:http://www.arsvi.com/ts/dt.htm(現在整理中)
それを紹介していきます。これまで5冊を途中まで。6冊めがつい最近出版された
天畠大輔『しゃべれない生き方とは何か』,生活書院
天畠:http://www.arsvi.com/w/td01.htm
そこに書かせてもらったのが
◆「誰の?はどんな時に要り用なのか(不要なのか)」
それを分載していく。その第16回。
いささか話が滑っていってしまったが、とにかく、書くものが、どういう位置に置かれるものとして書かれるのか、そうした視点・立脚点をもって考えることだ。そうでないと、「○○とはなにか?」という、自分でも何を問うているのかわからない問いのまわりをぐるぐるまわるだけで、よくない。そのことを私は筆者に、筆者にだけでなく、言ってきたつもりだ。「誰が?」を特定すること、また他方で問わないことは、どんな場合に、どんな理由で必要なのか、本当に必要なのか、必要だとしてではどうするか…。そんな具合に考えていく。それが社会科学、に限らず学問というものだとも私は思う。そのような問い方を筆者(たち)自身にも求めてきたが、本書でその部分がうまくいっているかというとそうではないというのが私の評価だ。しかし、ここまで考えて書かないとだめだと、深追いはしない。それはまた別の仕事としてすればよい。また、自分が始めた仕事だからといって自分だけが続けねばならないわけではない。誰かがやるかもしれない。やってもらえばよい。本書はその「もと」として十分なものになっている。
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◆立岩 真也 2022/**/** 『人命の特別を言わず*言う』,筑摩書房
◆立岩 真也 2021/03/10 『介助の仕事――街で暮らす/を支える』,ちくま新書,筑摩書房,238p.
◆立岩 真也 2020/11/11 「私たちはそういうことにあまり慣れてないのだが」,DPI日本会議,ご寄付、ご支援について
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20222827.htm
にもある。