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「天畠大輔の本に「誰の?は…」」・14

「身体の現代」計画補足・825

立岩 真也 2022
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/pfbid0WXifi8qpQgX7h1AUuudfySeS2eFqCyw58sGqKsuCKfSFsJ2fgGUPaU3oCvRsAqAxl

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天畠大輔『しゃべれない生き方とは何か』表紙   天畠大輔『〈弱さ〉を〈強み〉に――突然複数の障がいをもった僕ができること』表紙

 私の勤め先の大学院で博士号をとったりした人たちが出した本におまけのようなものを幾つか書いてきた。
立岩が関係した博士論文:http://www.arsvi.com/ts/dt.htm(現在整理中)
 それを紹介していきます。これまで5冊を途中まで。6冊めがつい最近出版された
天畠大輔『しゃべれない生き方とは何か』,生活書院
 天畠:http://www.arsvi.com/w/td01.htm
 そこに書かせてもらったのが
◆「誰の?はどんな時に要り用なのか(不要なのか)」
 それを分載していく。その第14回。

 「だとして…、と話が続いていく。長くなるからやめるけれども、ついでに、一つ関係して思うことを書いておく。論文というものはこういうものだという像があって、それを基準に評価され、査読にかかり、落とされたりする。それにはそれなりにもっともなところがある。しかし、なんのためか、他のありようがないのか、と考えることはできるし、私はそれが必要だと、論文を書いてもらうことを手伝う仕事を長くしてきて――数えたら私が主に担当した博士論文が2021年の末までに68本ある――ますます、思うことがある。研究者・教育者としてやっていくとすれば、社会的な事実を解釈しそれを示す力は必要であり、その力の具合を論文によって示すこと、例えば教員として採用する側が知ることに意味はある。そのためにはいまの論文を巡る仕組みは有効だ。しかし、事実をひたすら書いていって、それをただ重ねて集めたもの、はだめなのか。もちろん、何を書くかにも常に選択が働くのだから、「ただ書く」などということがあるのかと言われれば、ないということにはなる。しかし、そこはいろいろと手伝うこともできる――それが私の仕事、すくなくとも仕事の一部のだと私は思っている。そして、できたものについて、さらに別の人が考えたり、解釈を加えたりすればよい。その全体を一人の人が行なうことは、それができることを示しそれで職を得るといった場合は別だが、常に必要なわけではない。
 こちらで博士論文を書こうという人も、博士号をとってそれで研究者に就こうという人ばかりではない。そうでない人がたくさんいる。その人たちは、例えば自分(たち)がやってきたことをとにかくまとめたいと思っている。「社会学者」などになろうとしているわけではない。私はまったくそれでよいと思う。間違いや嘘はよくないが、間違いでないことをきちんと調べてたくさん書いてくれたらそれでよい、その「社会学的含意」なるものは、別の人に探してもらったらよい。」


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◆立岩 真也 2022/**/** 『人命の特別を言わず*言う』,筑摩書房
◆立岩 真也 2021/03/10 『介助の仕事――街で暮らす/を支える』,ちくま新書,筑摩書房,238p.
◆立岩 真也 2020/11/11 「私たちはそういうことにあまり慣れてないのだが」DPI日本会議,ご寄付、ご支援について


 生存学研究所のフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20222825.htm
にもある。


UP:2022 REV:
天畠 大輔  ◇博士号取得者  ◇立命館大学大学院先端総合学術研究科  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇『介助の仕事――街で暮らす/を支える』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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