人命の特別を言わず*言う・註
立岩 真也 2022
138−2=136頁
■■序章・註
★01 『良い死』の序より。全文はHPでご覧になれる。
「死/生について論じるといったことは、できもしないし、気がすすまない。にもかかわらず、『ALS――不動の身体と息する機械』(立岩[2004f])という、重いといえば重い話も出てくる本を書いてもしまったから、もうしばらくはやめておこう、遠ざかっていようと思っていた。
けれども、「尊厳死」してもよいという法律を作ろうという動きが出てきたことを聞きつけた人から、それはとても困ったことだ、これでますます死ななくてよい人が死んでしまうと、だから何かせよと言われた。すぐに法律ができるということになるとは思わなかった。ただその心配な気持ちにはもっともなところがある。
言うべきことは、ことが起こる前にきちんと考えておいて、言っておくべきなのだが、そう思って見渡してみると、すぐに使える言葉がない。つまり私たちは、ものを書く者たちはだめなのだ。すぐに取り出せる道具を揃えられていない。だから泥縄になってしまうのだが、それでもその場で考えて言うしかないということになる。
そんなことがあって、そして原稿の依頼があったり、本の企画があったりして、結局、二年、三年と文章を書き続けることになった。とくに本にする段階で、幾度も構成が変わり、文章もかなりなおしたり書き足すことになった。結果、ずいぶんな時間がかかった。そして一冊で終わらず、二冊になり、そして三冊になってしまった。」(立岩[2008])
一冊めが『良い死』、二冊めが『唯の生』。三冊めは本をたくさん紹介する本にしようと思ったが、きりがないことになりそうだった。そこで、まず二〇一二年に、有馬斉(有馬については本書◆頁)との共著で『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』を刊行した。この年、生命倫理学会の大会があり、私がその大会長ということであったのだが(その時の大会長講演が「飽和と不足の共存について」)、「会員のみなさんはこれこれを知ってますか、知らなければ知ってほしいです」というつもりもあった。知ってほしい、種々の団体が出した声明の類を再録し、いくらかの本の紹介をした。これは私が担当した。それに有馬の論考を加えた。
たくさんの本を紹介する本としては、その五年後、二〇一七年に、電子書籍(といってもただのHTMLファイル)として『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』(立岩[2017])を作った。本書の『補註』と同様、サイト上のページにリンクされたほうがよいと思ったことにもよる。ただ、驚くほど売れてはいない。
★02 『唯の生』の目次は以下。
第1章 人命の特別を言わず/言う
第2章 近い過去と現在
第3章 有限でもあるから控えることについて――その時代に起こったこと
第4章 現在
第5章 死の決定について
第6章 より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死
第7章 『病いの哲学』について
詳細な目次、序文をHPでご覧になれる。第2章から第4章は、HP上で無償公開する『生死の語り行い・3――有限でもあるから控える』(立岩[2022d])に収録する。
★03 その冒頭にその趣旨・概要を書いた。
「*この章はいくつかの文章を合わせ再構成したものである。生を奪ってならない/奪ってよいことについて、言われてきたことを検討し、私が考えることを述べる。論理を詰めるべきところはまだいろいろとあるけれども、まず、いくつか、あまりはっきりと言われていないが言えるだろうことを述べる。そして基本的にはこのように考えられるだろうと思うことを述べる。
まず、「延命」のための処置の停止と死のための積極的な処置とは同じであるから、どちらも許容されるという人たちがいる。その議論の前段には認めてよいところがある。しかしそのことは両者を認めることを意味しない。(第1節)
死なせることを是認する積極的な理由としてその人たちが出すのは、α:意識・理性である。なぜそれを言うのか。三つを考えることができる。(1)脱人間中心主義的な倫理を言いたい。(2)人が人を特権化している理由を説明したい。だが、(1)について、それはとても人間中心主義的な主張である。(2)については、その人たちは人を特権化していないし、特権化できていない。すると(3)αという特性を大切なものであると考えたい、それだけが残る。しかしその正当性は不明である。(第2節)
これらの議論と別に、ときにその論に反対して、人と人との関係、というより相手に対する自らの思いを基点とする立場がある。たしかに人の関係は大切であり、社会の現実にも大きく関わっている。しかし、むしろだからこそ、その関係や思いと別のところで判断すべきだと考えられる。(第3節)
では私はどう考えるのか。それを述べてみる。そしてその上で、人間を特別に扱うこと、扱ってしまうことをどのように言うのかを言ってみる。(第4節)」(立岩[2009:16])
「いくつかの文章を合わせ」とある。「人命の特別を言わず/言う」(立岩[2008c])に、シンガー、クーゼ、加藤秀一の本を紹介した『看護教育』(医学書院)での連載「医療と社会ブックガイド」の6回分を加え、構成を変え、加筆した。目次は以下。
1 新しいことは古いことと同じだから許されるという説
1 伝統の破壊者という役
2 既になされているからよいという話
2 α:意識・理性…
1 α:意識・理性…
2 それは脱人間中心主義的・脱種差別的な倫理ではない
3 それは人の生命の特別を言わない
4 ただそれが大切だと言っているがその理由は不明である
3 関係から
1 〈誰か〉への呼びかけ
2 関係主義の困難
3 かつて親などというものはなかったかのように
4 別の境界β:世界・内部
1 世界・内部
2 人間/動物
3 復唱
第1節・第2節は本章第1章に組み込まれた。第4節は、第2章の一部になった。ただこれには書かなかったこと、すくなくともはっきり書かなかったことを、本書には加えて再構成した。
第3節は、当初、いくらか書き直し本書に組み込もうとしたが、私が言えると思うことをあまり手間どらず、順番に言うことを優先するのがよかろうと考えたため、結局、本書の4つの章には組み込まなかった。ただ、意義のあるものとは思ったので、本書の本体の後に「拾遺」として付すことを考えたその原稿と、もとの『唯の生』第1章全体を、さきに作成・公開することを記した(◆頁)本書の『補註』(立岩[2022b])に収録した。
★04 ほとんどは新たに入手した書籍は以下。翻訳のないものはあげていない。原著の刊行年順に並べる。
『動物の解放』(Singer, Peter[1975=2002])、
『アニマル・ファクトリー――飼育工場の動物たちの今』(Mason & Singer[1980=1982])、
『動物の権利』(Singer & Regan eds.[1985=1986])、
『生命の神聖性説批判』(Kuhse[1987=2006])、
『肉食という性の政治学――フェミニズムーベジタリアニズム批評』(Adams, Carol J.[1990=1994])、
『大型類人猿の権利宣言』(Cavalieri & Singer eds.[1993=2001])、
『死体の晩餐――動物の権利と菜食の理由』(Kaplan, Helmut F.[1993→2002=2005])、
『神は何のために動物を造ったのか――動物の権利の神学』(Linzey, Andrew[1994=2001])、
『動物の権利入門――わが子を救うか、犬を救うか』(Francione, Gary L.[2000=2018])、
『動物の権利』(DeGrazia, David[2002=2003])、
『人命の脱神聖化』(Kuhse & Singer eds.[2002=2007])、
『開かれ――人間と動物』(Agamben, Giorgio[2002=2004])、
『動物の権利・人間の不正』(Regan, Tom[2003=2022])、
『動物の権利』(Sunstein, Cass R. & Nussbaum, Martha Craven eds.[2004=2013])、
『児童虐待と動物虐待』(三島亜紀子[2005])、
『アニマルウェルフェア――動物の幸せについての科学と倫理』(佐藤衆介[2005])、
『わたし、ヴィーガンと出会う』(北野玲[2006])、
『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(Derrida[2006=2014])、
『雑食動物のジレンマ――ある4つの食事の自然史』(Pollan, Michael[2006=2009])、
『正義のフロンティア――障碍者・外国人・動物という境界を越えて』(Nussbaum, Martha C.[2006=2012])、
『動物からの倫理学入門』(伊勢田哲治[2008])、
『アメリカ動物診療記――プライマリー医療と動物倫理』(西山ゆう子[2008])、
『動物の解放 改訂版』(Singer[2009=2011])、
『ぼくらはそれでも肉を食う――人と動物の奇妙な関係』(Herzog, Harold[2010=2011])、
『私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を身にまとうのか―― カーニズムとは何か』(Joy, Melanie[2010=2010])、
『ヒトと動物の死生学――犬や猫との共生、そして動物倫理』(一ノ瀬正樹・新島典子編[2011])、
『人と動物の政治共同体――「動物の権利」の政治理論』(Donaldson, Sue & Kymlicka, Will[2011=2016])、
『肉食の哲学』(Lestel, Dominique[2011=2020])、
『動物倫理入門』(Gruen[2011=2015])、
『恐怖の環境テロリスト』(佐々木正明[2012])、
『獣医倫理・動物福祉学』(池本卯典・吉川泰弘・伊藤伸彦監修[2013])、
『動物・人間・暴虐史――“飼い貶し”の大罪、世界紛争と資本主義』(Nibert, David A.[2013=2016])、
『ジャック・デリダ――動物性の政治と倫理』(Llored, Patrick[2013=2017])、
『動物と戦争――真の非暴力へ、《軍事―動物産業》複合体に立ち向かう』(Nocella II, Anthony J. et al. eds[2014=2015])、
『食物倫理入門――食べることの倫理学』(Sandler, Ronald L.[2014=2019])、
『動物福祉の現在――動物とのより良い関係を築くために』(上野吉一・武田庄平[2015])、
『マンガで学ぶ動物倫理』(伊勢田[2015])、
『現代思想からの動物論――戦争・主権・生政治』(Wadiwel, Dinesh Joseph[2015=2019])、
『食農倫理学の長い旅――〈食べる〉のどこに倫理はあるのか』(Thompson, Paul B.[2015=2021])、
『日本の動物法 第2版』(青木人志[2016])、
『動物倫理の新しい基礎』(Rollin, Bernard E.[2016=2019])、
『ビーガンという生き方』(Hawthorne, Mark[2016=2019])、
『荷を引く獣たち――動物の解放と障害者の解放』(Taylor, Sunaura[2017=2020])、
『環境と動物の倫理』(田上孝一[2017])、
『動物の声、他者の声――日本戦後文学の倫理』(村上克尚[2017])、
『肉食行為の研究』(野林厚志編[2018])、
『人と動物の関係を考える』(打越綾子編[2018])、
『肉食の終わり――非動物性食品システム実現へのロードマップ』(Reese, Jacy[2018=2021])、
『いのちへの礼儀――国家・資本・家族の変容と動物たち』(生田武志[2019])、
『ヴィーガン――完全菜食があなたと地球を救う』(垣本充・大谷ゆみこ[2020])、
『快楽としての動物保護――『シートン動物記』から『ザ・コーヴ』へ』(信岡朝子[2020])、
『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』(浅野幸治[2021])、
『はじめての動物倫理学』(田上[2021])、
『法の理論』39 特集:「動物の権利」論の展開(2021)、『動物福祉学』(新村毅編[2022])、
『動物倫理の最前線――批判的動物研究とは何か』(井上太一[2022])、
『「動物の権利」運動の正体』(佐々木[2022])、
『現代思想』50-7(2022-6) 特集:肉食主義を考える、
『動物――ひと・環境との倫理的共生』(谷津裕子[2022])。
さしたる根拠のない列挙にすぎないが、ここまでで58冊。1980年代までが4冊、90年代が4冊、2000年代が15冊、2010年代が25冊、2020年からが雑誌の特集号も含め10冊と、増えてはいる。本書ではこの他、家畜化(と自己家畜化)についての書籍を第2章註09(◆頁)に、肉食の歴史についての書籍を第2章註12(◆頁)に、鯨・捕鯨、鯨・イルカを捕ることに対する反対とその批判についての書籍を第2章註13(◆頁)に、人を食べること・カニバリズムについての書籍を第2章註19・20(◆頁)にいくつかあげた。また、第2章註01(◆頁)でいまあげた本のいくつかについて言及し、「生物多様性」についての本をあげている。
このたび井上[2022]を刊行した井上太一は、Nibert[2013=2016]、Francione[2000=2018]、Wadiwel[2015=2019]、Hawthorne[2016=2019]、Reese[2018=2021]、Regan[2003=2022]の訳者でもあり、このかんの言論の普及に貢献している。『現代思想』の特集号では、本書でいくつか文章を引用する伊勢田と対談をしている(伊勢田・井上[2022])。その前年の『法の理論』の特集に収録されている特集関連の論文は3本。「動物権利論と捕食の問題」(浅野幸治[2021])、「動物権利論の拡張可能性について――新たな権利概念の措定と関係アプローチの導入」(鬼頭葉子[2021])、「動物倫理の議論と道徳的地位の概念」(久保田さゆり[2021])。『現代思想』の特集にはもっとずっと多い数の文章が収録されている。Joy[2010=2022]の出版に合わせてということもあったのかもしれない。その本についての言及も多い。それはそれらにまかせて、本書では、いくつかの文章から短い引用をするにとどめている。
書籍についても、本書では、幾つかから引用を行なったりはするが、著作の全体を検討したりすることはしない。できない。書かれていることの一つひとつの多くはもっともなことであり(◆頁)、現実を変えようとする人たちは、それらを合計した全体でたとえば「ヴィーガン」を肯定しようとする。大きな異議を申し立てようという主張にありがちなことだが、ある部分に対してなにかを言うと、それには直接に応えず、別のことを言って返すといった具合に主張がなされる。だから、全体を捉え、きちんと相手しなければならなくなるのだが、それはなかなかたいへんだ。ずっと以前、上野千鶴子の論におかしなところが(たくさん)あると思い、書かねばと思って書いていったら、旧式の計算法では400字詰220枚というとても長いものになってしまった――「夫は妻の家事労働にいくら払うか――家族/市場/国家の境界を考察するための準備」(立岩[1994])、『家族性分業論前哨』(立岩・村上[2011])に再録。このたびの主題についてそれだけの手間をかける余裕はない。
ついでに、この主題に関係して私が以前に書いた文章は、『看護教育』に連載した「医療と社会ブックガイド」の第52回、「『児童虐待と動物虐待』」(立岩[2005c])。三島[2005]を紹介した。三島はその次の著書『社会福祉学の「科学」性――ソーシャルワーカーは専門職か?』(三島[2007])でもこの主題にふれている。
■■第1章・註
★01 『私的所有論』(立岩[1997→2013a])の第2版に「ごく単純な基本・確かに不確かな境界――第2版補章・1」を置いた。その第2節が「人に纏わる境界」、その2が「殺生について」。その註10より。
「そしてまた、人は人を殺すこともある。それは実際いくらもあってきた。(それは、特殊な場合を除けば、食べるためにではない。あるいは食べるに際して特別の意味が込められてきた。)「近代」あるいは「近代批判」が、殺さない範囲を、また一人前の人間の範囲を拡大してきたという面はあるだろうが、それは実際に殺さなかったことを意味しない。そして人間ではないから殺さなかったわけではない。人間であることをわかってはいたが、むしろわかっていたから、たくさん殺してきた。そして本書に述べることからも、どんな人も殺してならないといったことを言えるわけではない。」(立岩[2013:806])
本書では、本文のもとになった過去の私の文章の一部をかなり頻回にそしてかなり長く、そのまま註で引用することがある。一つには、別の文章を用意する必要がないと思うからだ。一つには、以前書いた文章との差異、いくらかの進展について知っていただきたいと思うからだ。
★02 シンガーの『生と死の倫理――伝統的倫理の崩壊』冒頭の「謝辞」には以下のようにある。
「過去一四年間、ヘルガ・クースと私は本書で取り上げられた広範な分野についてともに研究してきた。私たちは互いに相手から学んできたので、私たちの考えはいつしか混ざりあい、もともと私自身の考えであったものと彼女自身の考えとを区別するのが今では困難なほどである。本書と彼女の『医学における「生命の神聖性」の教え――一つの批判』とを併読すれば、私がどれほど彼女に負っているかが誰にでもわかるだろう。」「ヘルガとの知的な親交、そして彼女の励ましがなければ、おそらく私はこの分野の研究をとうの昔にやめていただろうし、本書が書かれることもなかっただろう。」(Singer[1994=1998:12])
★03 日本語に訳された本が三冊(シンガーとの共編書を加えると四冊)ある。一冊は編書で『尊厳死を選んだ人びと』(Kuhse ed.[1994=1996])。次に訳されたのが『ケアリング――看護婦・女性・倫理』(Kuhse[1997=2000])。訳書として三冊目になる『生命の神聖性説批判』(Kuhse[1987=2006])の発行は二〇〇六年。ただこの本はもとは一九八七年に刊行された本である。なぜこの本の訳が二十年経って、と思わないでもないが、楽に読めるのはありがたいことではある。そして、この人(たち)の言っていることは、数十年、基本的には変わらないから、この本でもおおむね間に合う。それは主張が一貫しているということでもあり――私にはその一貫した熱情がどこから供給されているのか正直わかりかねるところがあるのだが――それもよいことなのかもしれない。
その本の奥付・カバーから拾うと、「ピーター・シンガーと共に国際生命倫理学雑誌『バイオエシックス』の編集に長く携わった。モナシュ大学(オーストラリア)ヒューマンバイオエシックスセンター前所長。」「彼女の哲学者としての業績は、本訳書に集約されると考えられる。」
シンガーとの共著論文に例えば「重度の障害をもった新生児はみな生きるべきなのか?」(Kuhse & Singer[2002])。シンガーとの共編書に、Kuhse & Singer, Peter eds.[1998]、そして『人命の脱神聖化』(Kuhse & Singer eds.[2002])。
★04 一九四六年オーストラリア生まれ。メルボルンのモナシュ大学にずっといたが、プリンストン大学に移る。最初に邦訳が出たのは共著の本で『アニマル・ファクトリー――飼育工場の動物たちの今』(Mason & Singer[1980=1982])、その後も編書で『動物の権利』(Singer & Regan eds.[1985=1986]、第2版がSinger & Regan eds.[1989])、『動物の解放』(Singer[1975=1988])等が出ている。二〇〇〇年代に入っての翻訳ではパオラ・カヴァリエリ、ピーター・シンガー編『大型類人猿の権利宣言』(Cavalieri & Singer eds.[1993=2001])がある。第4章(◆頁)で、この本に言及するジャック・デリダへのインタビューの聞き手の発言を引用する。
また本書の主題に関わる訳書としては、『人命の脱神聖化』(Kuhse & Singer eds.[2002=2007])がある。クーゼとシンガー編で二〇〇二年に出た、古いものでは一九七〇年代発表のものも含む二四篇の論文を収録したシンガーの論文集があって、そこから論文一一篇とクーゼの序文を選んで訳したという本である。言われていることは、その他の著作と同じである。『週刊読書人』掲載の堀田義太郎の書評(堀田[2007])がある。その全文を本書の「補註」(立岩[2022b]、説明は本書◆頁)に収録した。
またシンガーの論の解説書として山内・浅井編[2008]、その中で本書に関係する章として浅井篤[2008]、村上弥生[2008]。
★05 『グローバリゼーションの倫理学』(Singer[2002=2005])、『「正義」の倫理――ジョージ・W・ブッシュの善と悪』(Singer[2004=2004])といった本がある。
分量も多くわりあい理論的な本とも言えよう『実践の倫理』でも、やはり動物を殺すことの是非が扱われ、貧富の差の問題が論じられ、そして人の生死の主題が平明に論じられる。初版が一九七九年で訳が九一年に(Singer[1979=1991])、第二版が九三年で訳が九九年に出ている(Singer[1993=1999])。そして、さらにわかりやすい本、「一般市民」向けと言ったらよいのか、『生と死の倫理』(Singer[1994=1998])がある。その主張は一貫している。これだけ長い間同じことを言い続けるその熱情は不思議でもあり、一貫していることが立派なことであるとすれば、立派だということにもなるだろう。
訳書の帯には「オーストラリア出版協会賞受賞」とある。日本だとどんな本に対応すると言ったらよいだろうか。あまり手抜きはせず、ただ本の性格ゆえもあってか論理に荒いところはあり、しかし(あるいはゆえに)わかりやすく、読者を説得しようという姿勢で書かれている。著者の論理を、論理に内在して検討するには別の本がよいのだろうが、このような本も、どのような言い方でこの人は言いたいことを伝えようとするのか、それがわかってよいところはある。
★06 やはり『私的所有論』がその基礎的な仕事としてある。その後、『自由の平等』(立岩[2004a])、『所有と国家のゆくえ』(稲葉・立岩[2006])。『税を直す』(立岩・村上・橋口[2009])、『ベーシックインカム』(立岩・齊藤[2010])、『差異と平等――障害とケア/有償と無償』(立岩・堀田[2012])。
★07 関連する論文に「倫理学と安楽死」(Fletcher[1973=1988])。
「明らかに消極的な安楽死が現代医学では既成事実となっている。毎日国内各地の多数の病院で、真に人間的な生命を延長している状態から、人間以下のものが死んでいくのを延長しているにすぎない状態にまで立ち至ったという判定が臨床的に下されており、そのような判定が下された時には、人工呼吸器をはずし、生命を永続させるための点滴を中止し、予定されていた手術を取り消し、薬の注文も取り消すということになる。」(Fletcher[1973=1988:135])
本文にあげた人たちと同じく、もうなされていることを言う。そしてそれを是認すればより積極的な処置も是認され、さらに積極的な致死のための処置のほうがむしろよいことがあることを述べる。そして、これらの行ないがみな正当化される。そして基本にあるのは同じ価値だ。
「重要なのは《人格的な》機能であって、生物学的な機能ではない。人間性は第一次的には理性的なものとして理解されるのであって、生物学的なものとして理解されるのではない。この「人間についての教義」は、人間homoや理性ratioを生命vitaに優先させる。この教義は、人間であることを生きていることよりも、もっと「価値がある」と考えるのである。」(Fletcher[1973=1988:138])
「《人間であること》の限界を越えて生かされ続けることは望まない、したがって、適切と思われる安楽死の方法のどれかを使って、生物学的な過程を終わらせることを認める、こうしたことを説明したカードを、公正証書にして、法的に有効なものに作成して、人々が持ち歩けるような日がやってくるだろう。」(Fletcher[1973=1988:148])
ジョゼフ・フレッチャー(一九〇五〜一九九一)は聖公会の牧師で、キリスト教者・プロテスタントとして生命倫理学の登場時期に影響を与えた。また後に無神論者であるとされた人でもあるという。その思想について大谷いづみ[2010]、ネットで読める科研費研究の報告として大谷[2013]。
『私的所有論』第2章では、「人間は製作者であり、企画者であり、選択者であるから、より合理的、より意図的な行為を行うほど、より人間的である。」(Fletcher[1971:181])以下を引用、言及している文献を紹介し、検討した([1997→2013:82-83,116])。
第4章で、「人間たるということは、我々がすべてのことをコントロールの手中に置かなければならないということを意味する。このことが、倫理用語のアルファでありオメガである。」(Fletcher[1971:781])を引用、この箇所を訳し紹介している文献をあげて検討した([1997→2013:185])
第5章で、「「もし望むなら他の検査で詳しく調べてもよいが、ホモ・サピエンスの成員で、標準的なスタンフォード・ビネー検査でIQが四〇以下の者は人格(person)かどうか疑わしい。IQが20以下なら、人格ではない」(Fletcher[1972:1])以下と、もう一つの論文から引用し、この文献に言及している文献を列挙した(立岩[1997→2013a:356-357])。
むろん、知能検査といった方法によらず、生物・動物に「心」があるかとか「魂」があるかとか、考えたり論じたりすることはできる。『心はどこにあるのか』(Dennett, Daniel C.[1996=1997→2016])、『動物に魂はあるのか――生命を見つめる哲学』(金森修[2012])、等。
★08 『私的所有論』の第7章「代わりの道と行き止まり」の第1節が「別の因果」。その1が「社会性の主張」。ここでアファーマティブ・アクションに言及した。2は「真性の能力主義にどう対するのか」。
★09 このことを幾度か、一番わかりやすいと思うのは『人間の条件』で、述べた。
「ある人ができないことは、その代わりに別の人たちがしなければならないのなら、そのある人にとってはよいことであり、別の人たちにとってはよくないことである。こうなる。これは、できることはまずその本人にとってよいことであるという「常識」と違う。しかし、ここまで述べたことになにか間違ったところがあるだろうか。ないはずだ。とするとむしろ、なぜ自分ができた方がよいのか。そちらの方が不思議なことのように思える。そしてこの問いに対する答は一つではない。」(立岩[2010→2018a:44])
★10 自律的な人間を大切にすることと、自律的な人間が決めたことだからその決定を大切にすること、両者は同じではない。安楽死や尊厳死と呼ばれるものについては、通常、決めたこと「だから」という契機がある。しかし本章で見てきた場面にはその契機はない。自分で決めない/決められない状態の存在のよしあしを言い、その生殺を決めるのは、当然その本人ではありえない。次節でこのことをより詳しく説明する。また、安楽死・尊厳死と自己決定については『良い死』の第1章「私の死」(立岩[2008b→2022c:◆ff.])。
★11 「もしシンガーが、感覚力にもとづいた平等な配慮の原則という、もっと単純な論旨で議論を終えていたならば、『動物の解放』は並外れて反健常者主義的な本になっていただろう。彼は、認知能力を特定の存在の価値を測る尺度として用いることの危険性に警鐘を鳴らす議論を展開することもできたのだ。だが、シンガーはそうしなかった。感覚力に焦点を合わせたにもかかわらず、彼は最終的には、人格の裁定者としての理性に再び王座を譲り渡す。完全な人格をもった生は、そうでない生よりも価値があると主張することによってだ――完全な人格を有する生の場合は、死ぬと頓挫してしまう利害関係および欲望があるが、人格を欠いた生の場合には、そんな欲望や利害関係そのものをもつことができないからだ。シンガーは種という壁に果敢に挑んでいるにもかかわらず――ここで人間と非人間を分かつ線は彼にとって道徳的に重要ではない――このような主張は、特定の力量をもつことのない動物たちに対して、明らかに好ましくない帰結をもたらす。これはまた、知的障害者にも間違いなく悪影響を及ぼす。こういった枠組みのなかでは、このような人びとは不可避的に、より価値の小さい存在として判断され、カテゴリー化されてしまうからだ。」(Taylor[2017=2020:215-216])
★12 『「野宿者襲撃」論』(生田[2005])、『ルポ最底辺――不安定就労と野宿』(生田[2007])等の著書がある。
★13 共編書に『シンガーの実践倫理を読み解く――地球時代の生き方』(山内・浅井編[2008])、単著としては『相手の立場に立つ――ヘアの道徳哲学』(山内[1991])。
★14 翻訳のほうは著者の了承を得ねばならないから難しいかもしれないが、市野川の解説ほか、当時のできごとについて、シンガーについてのページの中に置いてある「シンガー事件」を増補するつもりだ。
★15 土屋は自らが書いた文章を多く、勤務先のサイトに掲載してきたが、このたび別のサイトに移動させることになった。そこに掲載される文章のありかを別途お知らせする。
★16 『私的所有論』におけるシンガーへの言及を本書『補註』(立岩[2022b])に掲載した。
★17 「シンガーは実は邪悪な哲学者として非常に強硬な批判をあびている。殺すことの是非をめぐるシンガーの議論は、種差別を否定する以上、人間にもあてはまる。ということは、「死」という概念が理解できない幼児や認知症の患者も、幸福の最大化のために殺してよい場合があるということになる。シンガーはこれを積極的に認め、重度障害新生児の安楽死を場合によって認める議論をしている。重度障害新生児は苦痛に満ちた短い生涯を送る。快楽をより多く苦痛をより少なくという考え方からは、重度障害児の苦痛を減らすために安楽死を行うことは場合によって容認される(ただし、そうした安楽死がほかの人に与える影響も考えなくならないので全面的に「容認される」と言い切ることはできない)。成人の場合は死ぬこと自体への本人の嫌悪という別の要素が入ってくるが、新生児の場合、そもそも「死」という概念を持たないので、「死にたくない」という欲求を持つこともない。シンガーはこの主張のために、世界各国の障害者団体から「障害者の生きる権利を認めていない」として強く批判されている。シンガーの主張を支持するにはそれなりの覚悟が必要である。」(伊勢田[2008:41])
「一つは功利主義を使ってシンガーの路線で全体の整合性をとるやり方である。「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」という部分を修正して、動物の命(とある種の限界事例の人たちの命)は奪ってもよいということにするということだった。この路線は障害者差別だといってごうごうたる非難をあびたから、あえてシンガーの後に続くのはかなりの覚悟がいる。」(伊勢田[2008:321-322])
功利主義について『功利主義入門』(児玉聡[2012])、功利主義と生命倫理について『生命倫理学と功利主義』(伊勢田・樫編[2006])、安楽死・尊厳死との関わりでは「功利主義による安楽死正当化論」(有馬[2012])、それをさらに増補し他の論点と合わせた検討した『死ぬ権利はあるか――安楽死、尊厳死、自殺幇助の是非と命の価値』(有馬[2019])。
★18 1「人に対する敬意(respect for persons)」、2「無危害 (nonmaleficence」)、3「慈恵(beneficence)」、4「正義(justice)」の四つがあげられることが多い。そして2と3の意味することは多くは変わらないと2を3に含めることがある。そして1が「本人の決めることを尊重すること」、2が「本人によいことをすること」になる。4は公平性を言っているから財・資源の配分に関わる。
★19 日本では、一九八〇年代以降のしばらく、多くの翻訳がなされ紹介が書かれた。それらを紹介し整理し続ける人たちもいる。ただそれはもうそう多くない。多くの人たちはそういう議論からはほぼ撤退して、一つにはより個別の主題について現実の推移を調べたりする。また教育・実践に役立つ手立てを開発し普及させようとしている。全体について批判的な人たちは、私も含めて、依然としていくらかはいるが、もっばら教育と普及に注力している人からなにかを言ってもらえることは少ない。その事情はわかるが、あまりよいことであるとは思えない。日本生命倫理学会大会の大会長を、まったく何もできなかったのだが、務めたことがあり、その「大会長講演」を「飽和と不足の共存について」(立岩[2012])という題にしてそのことを話した。
生命倫理学という世界の仕組みを概観する手頃な本がないのはよくないと思ってきた。新書では『医療の倫理』(星野一正[1991])があるが、これを読んでも何が論点なのかはわからない。いくつかの仕事の後、本文でごく簡単に記したこと、つまりもっともな原則に何が加わるとよろしくない(と、私を含め少なくない人が思う)ことを説明する本を書いたらよいのかもしれない。
★20 『弱くある自由へ』の第7章「遠離・遭遇――介助について」の第5節が「口を挟むこと、迎えること、他」その第1項が「パターナリズム」。
「まとわりつく様々な利害を無害化し、少なくとも世間で行なわれている様々なことと同じくらいには本人に決めさせればよいと――言うだけなら簡単なことだが――述べてきた。にもかかわらず、代行は避けられず、パターナリズムを否定できない。
パターナリズムという語は通常否定的な言葉であり、それは当然のことである。その人を先取りし、その人を侵害する様々なことが行なわれてきたからである。だから自分で決めること、選ぶことが執拗に言われてきた。自分がすべて行なうのが面倒なので他の人にまかせることもあるにせよ、その結果が気にいらなければ、別のところに頼めばよい、あるいは自分ですることにすればよい。しかし、そうはいかない場合がある。」(立岩[2000→2020:302])
■■第2章・註
★01 生物や生態系について、環境について、生物多様性が大切であること、その根拠について、等、書かれたものは様々あるが、それらはとてもたくさんあるだろう。『私的所有論』第4章註6で環境倫理学、その議論における人間中心主義についての議論を紹介している(立岩[1997→2013a:284-287])。それからとくに大きな進展があったようには思えない。研究所のサイト(http://www.arsvi.com/)「内」を「生物多様性」で検索すると、『生物多様性という名の革命』(Takacs,David[1996=2006])、『生物多様性――「私」から考える進化・遺伝・生態系』(本川達雄[2015])、『SDGsとESG時代の生物多様性・自然資本経営』(藤田香[2017])、『〈正義〉の生物学――トキやパンダを絶滅から守るべきか』(山田俊弘[2020])といった本が出てくる。
そして(おもには人による動物・人の)殺生に関わる本を序の註04(◆頁)に並べた。肉食の世界に対してものを言おうと思ってわざわざ本を書いたりするのだから、当然のことではあるが、これらの中で「倫理的ベジタリアン」を批判する立場をはっきりさせているのは『肉食の哲学』(Lestel[2011=2020])ぐらいのものだ。そこでこれから幾度か引用はするが、私の理解・主張との違いもまたある。引用するのはむしろそのことを示すためである。
他にやはり少なくはあるが、『ぼくらはそれでも肉を食う――人と動物の奇妙な関係』(Herzog[2010])といった、人の動物・肉食に対する態度・行動はいろいろであって、一貫した立場をとろうなどとするとかえっておかしなことになるのだ、まずはその様々を記述してみせよう、といった姿勢で書かれている本もある。それはまずはまっとうな態度であると思う。ただ、そのうえで、本書はそれとも異なるように言おうとする。なお、それにしても、動物だの家畜だのといった主題・領域・業界には、いろいろと人が知らない様々の知識が開陳される、分厚い本が多いと感じる。「連中は肉を食べているからこんな厚い本が書けるんだ」といったことを言う人がかつてはいた。
★02 「世界中ほとんどの文化において植物はある種の感覚を持つと考えられており、とりわけシャーマニズムの文化では顕著だ。西洋でも、少なくともゲーテ以降には見られる考えである。興味深いこの現象は今日ますます研究が進んでおり、なかでも…」(Lestel[2011=2020:46])
★03 そのHPには「Not Dead Yet(NDY・「まだ死んでない」)は、幇助された自殺と安楽死を合法化する運動に反対するために作られた、草の根の障害者の権利のためのグループです」とある。
『ALS』で以下のように記した。
「安楽死に反対する人たちは外国にはいないのかといえば、そんなことはない。そして反対者はカトリックなどの宗教的生命尊重主義者たちに限られるかと言えばそんなこともない。例えば米国には『まだ死んでない(Not Dead Yet)』(http://acils.com/NotDeadYet/)というホームページがあり、次のようなことが書いてある。《障害をもつアメリカ人は、あなた方の憐れみもいらないし、私たちを死に追いやる慈悲もいらない。私たちが欲しいのは自由だ。私たちが欲しいのは「生」だ。》また探してみると、「反安楽死国際機動部隊(International Anti-Euthanasia Task Force)」(http://www.iaetf.org/)などという組織もあるらしい(私のホームページですこし紹介している)。
こうした組織がどれほどの規模のものなのか、またどのくらいの影響力があるのか私は知らない。大きな組織だとは思えない。論文や書籍で紹介されているのを見たことはない(そんなわけで私は、二〇〇一年二月、NHK教育テレビ〈人間ゆうゆう〉の「安楽死法成立・あなたはどう考える」という回に呼んでもらった時、こうした組織のことを無理やり、短い時間に押し込んで話した)。ただ、生きたい人はどこにでもいるということだ。」(立岩[2004f:341])
ここで「私のホームページ」と述べているものは、現在は生存学研究所によって運営されている「arsvi.com」となっている。
★04 カリフォルニア・ブック賞(ノンフィクション部門)、『ニューヨーク・タイムズ』の10 Best Books of 2006、『ワシントン・ポスト』のTop 10 Best of 2006、等。
★05 前の註でも言及している『雑食動物のジレンマ』では、第17章が「動物を食べることの倫理」。(シンガー流の)動物擁護論に反駁しようとするが、反駁できず、しぶしぶ肉食を(一時期)断念するという筋になっている。
「動物もお互いを食べるからという論理に対して、擁護派は、シンプルで痛烈な答えを用意してる。あなたは自然界の理法をもとにした倫理規範に従いたいのか、それなら殺人や強姦も自然ではないか。それに、人間は選ぶことができるではないか、と。人間は生きのびるためにほかの物を殺す必要はない。肉食動物は殺さなければ生きることはできないが(わが家の猫オーディスを見てみれば、動物はただ殺す楽しみのために殺すこともあるようだが)。」(Pollan[2006=2009:119])
例えばこのようにして、この人は、反論しようとして、自分で負けて、負けを認め、しぶしぶ(しばらく)菜食することになるのだが、自ら簡単に負けを認める負け方には疑問がある。
まず、(人間的な意味合いにおける)殺人や強姦が人間を別とした自然界に存在するのか知らない、むしろ、ないと言ってよいと思うと返すこともできる。また、どんな時にでも私たちは常に、例えば物理法則には従っているとも言える。だが、これはまじめな反論ではないということになるだろう。もっとまじめに返すことにする。私たちは、世界に存在するすべてをそのまま肯定するわけではない。しかし、そのある部分についてはそれを否定しないもっともな理由があると考える。そのことを本文に述べる。もう一つ、人間は肉を食べなくても生きていける(から食べるべきでない)という主張についても本文で(◆頁)述べる。
動物が動物を殺して食べていることについて、いくつか引いておく。
「動物倫理に立ち入り、動物実験やべジタリアニズムについて考えていくとき、いつも疑問として湧出してしまう問題がある。それは、野生動物たち同士の食いつ食われつの殺し合いについてである。確かに、動物倫理の議論でもこのことは触れられるが、隔靴掻痒の感を免れない。というのも、一方で動物実験や肉食を論じる文脈で「動物への配慮」が言挙げされ、そこでは動物の「パーソン性」さえ言い立てられるときがあるのに対して、動物士の殺し合いに対しては、人間に害が及ばない限り、自然の営みなのだからそのまま放任するしがない、という論調になってしまって、動物の「パーソン性」を認めることによって当然帰結するはずの動物に対する責任帰属という主題がいつも素通りされてしまっているように感じられるからである。」(一ノ瀬[2011:150-151])
▼0808追加「介入派」としてマーサ・ヌスバウムをあげる浅野幸治による引用。
「痛みをともなう拷問によるガゼルの死は、ガゼルにとっては、拷問が虎によってなされた場合でも人間によってなされた場合でも、同じように邪である。[…]人間には虎によるガゼルの死を防ぐための(人間によるガゼルの死を防ぐのと同様の)理由がたしかにあるということが示唆される。」(Nussbaum[2006=2012:274-275 ]、浅野[2021:8]に引用)
この論文で浅野は動物界への人間の介入を否定する動物権利論主流派の論と、ヌスバウムも含む介入派の論を紹介し、論じている。ここでは、そのうえでも私が本文に述べることを撤回する必要はなかったとだけ記しておく。
また、右に引用した文章を2011年に書いた一ノ瀬正樹は2022年に「かくのごとく、動物をどう見るか、肉食をどう考えるか、そうした問題はあまりに錯綜し混迷をきわめ、大きな揺らぎのもとにあり、一義的な見解を述べることは困難である」と書き、「動物対等論」というのはどうだろうと言っている(一ノ瀬[2022:143])。▲
★06 もっと進めれば(動物的な)生全般に否定的になることがあるだろう。
「じっさい徹底したべジタリアンが動物的な生に向ける敵意はじつに深い。彼らが心底満足する唯一の方法は、地上のあらゆる動物的な生を消滅させることだろう――それはすべての苦痛とすべての捕食を根絶する唯一の解決策である。大半のべジタリアンは悪びれもせず、そんな企みなどないと抗弁するはずだ。だがある意味、こうした態度が状況をいっそう悪化させるように思える。彼らは潜在的には自らのやり方が無益で根拠を欠くことに気づいているからだ。だとすれば、中途半端にしか達成されない倫理的な計画に意味などあるのだろうか?」(Lestel[2011=2020:75])
★07 註06に引用した部分の次の節は「進化について」で、その冒頭は以下。「苦しみも残酷さも利害間の絶えざる対立も存在しないウォルト・ディズニーの魅惑の世界に生きたいと願うことは、少し大人になれば諦めるはずの子どもの夢である。ラドヤード・キプリング式のジャングルの掟という古の世界観をきっぱり捨て去ったからといって、進化の理論とミッキーの世界が両立するわけでは決してない。」(Lestel[2011=2020:75])
この後いささかまわりくどい記述によって、しかし基本的に進化論が肯定される。なお私たちは、事実の記述としての進化を否定しているわけではない。進化がよいので、進化のために動物が殺して食べたりすることがよい、という論を支持しないということだ。私たちは、人種差別主義者的に言うと、このフランスの人と同じ考えではない。
★08 「より普遍的に言えば、ベジタリアンが拒んでいるのは、現実世界が本質的に闘いの世界であり、たがいの基本的利害は一致するどころかむしろ衝突するとの認識である。だがある生物にとっての食われないという利益が、その捕食者の食うという利益につねに勝っていると言えるだろうか。」(Lestel[2011=2020:61])
「動物が個々のレベルで自分の苦痛を最小限にしたがるとしても、普遍的に見ればその動物にとって苦痛は何らかの意味を持つかもしれない。じっさい、あらゆる苦痛を排除した世界の本当の意味について考えてみなければならないだろう。そんな世界は端的に言って耐えがたく、さらに痛ましく不毛であるはずだ。われわれの理性はふだんこうした問いには閉じられている。なぜならわれわれは願望を現実と取り違え、善意は完全に無償だと言わんばかりに、有益だと信じ込む行為の代償のことは考えない傾向があるからだ。」(Lestel[2011=2020:70-71])
私はこのようには言わない。それは註07に述べたことにも関わる。
★09 人類と家畜とか、家畜(化)の歴史といったものを人は好むようで、そこそこの数の本があるようだ。また、人が人のために動物を家畜化していったというのだが、そんなことをしている人間自身が家畜のようになってきていることが、いくらか嘆かれながら、言われる。以下のような書籍があった。『ペット化する現代人――自己家畜化論から』(小原秀雄・羽仁進[1995])、『人類の自己家畜化と現代』(尾本恵市編[2002])、『家畜の文化』(秋篠宮文仁・林良博編[2009])、『家畜化という進化――人間はいかに動物を変えたか』(Francis, Richard C.[2015=2019])、『善と悪のパラドックス――ヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史』(Wrangham, Richard[2019=2020])、『ヒトは〈家畜化〉して進化した――私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか』(Hare, Brian & Woods, Vanessa[2020=2022])。また本の題にはその語はないが『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(Scott, James C.[2017=]2019)でも「自己家畜化」について記される。ペットについてはさらに夥しい数の書籍ほかがあるだろうが、略す。
家畜には食べられるための家畜がいる。それらは必ず殺されるのだが、殺されるまで――殺されるだけの大きさにされるまでの無理やりなことがなされ、命を短くされていることが批判されるのだが――は生きており、餌が――それがひどいものであると批判されるのだが――与えられる。野生でいるのと比べてどうかといった問いが、その問いが成立するのかという問いとともに、ある。それを人が考える時に、例えば飼いならされた生よりも野生を、といった選好が介在することはあるだろう。
★10 註06・07・08に引いた本には、「狐を草食にしたがるような過激なベジタリアン」(Lestel[2011=2020:57])といった記述がある。「たとえばスティーブ・サポンツィスは、捕食動物の生態を草食や果実食に転換しようと考えている。」(Lestel[2011=2020:57])。訳注では「Steve Sapontzis, 1945- アメリカ合衆国の哲学者。動物倫理、環境倫理を専門とする」(Lestel[2011=2020:167])。少し調べると『Food for Thought: The Debate over Eating Meat』(Sapontzis ed.[2004])といった本がある。
★11 『神は何のために動物を造ったのか――動物の権利の神学』より。
「人間と動物の共同性を強調[する]ことは人類の独自性にかんする伝統的キリスト教を曖昧にしてしまうように思われるかもしれない。[…]しかし、動物を倫理的に扱うことを支持することは、人間が特別であるとか、独自であるという伝統的なキリスト教的見解を放棄することを要求することにつながるであろうか。私はそのようには考えない。以下において私は、人間は道徳的に優れているという見解が、善良なる動物の権利の理論にとっていかに中心的であるかということを示してみよう。私は主張する。人間の独自性は奉仕と自己犠牲の能力者として定義される、と。この視点からすると、人間は一人の大司祭にならって、ただ単に自分自身の種のためだけではなく、感覚をもつ全ての被造物のために自己犠牲的祭司性を実行すべく独自に任務を与えられた種なのである。同胞たる被造物の呻きと労苦は、創造の癒しと解放における神との協同作業ができる種を必要とする。」(Linzey[1994=2001:93])
そんなに(動物に対して)偉そうではない言説もある。『快楽としての動物保護』(信岡[2020])の著者である信岡朝子は、『現代思想』が肉食主義を特集した号に寄稿した論文でソローの『森の生活』から以下を引用している。
「人類は進歩するにつれ、動物の肉を食べるのをやめる運命にあると、私は信じて疑わない。ちょうど野蛮な種族が文明人と接触するようになってから、たがいの肉を食べあう習慣をやめたように。」(Thoreau[1854=1995:84-85]、信岡[2022:118]に引用、引用は岩波文庫版、酒本雅之訳のちくま学芸文庫版もある)
なお、「私は、他の生き物を殺して生きる人間には罪があると感じる。そして同じ訳合いでもって、他の生き物にも罪があると言いたい気持ちがある」(小泉[2022:99])と書く小泉義之(◆頁)が、その文の後にLinzey[1994=2001]を紹介し、そこから引用していることを記しておく。
★12 生存学研究所のサイトに「種/種差別主義」というページを作った。以下はそこに引用した文章の一部。
「種差別主義(speciesism)」[…]――つまり、人の生命を、それが人のものであるという理由だけに基づいて、その他の有意味な点で違いがない人以外の生命とは異なった扱いをすることを、道徳的に正当化しうるとする見解」(Kuhse[1987=2006:19-20])
「〔『動物の解放』等の〕著作の特徴は、動実験施設や工場畜産と呼ばれる現代の畜産のやりかたにおいてどれだけ動物が苦しめられているかを細かく描写した上に、動物の扱いを考える上での枠組みと、「種差別」(speciecism)という概念を紹介したことであった。」(伊勢田[2008:18])
ここに付された注が「正確に言うと、「種差別」そのものはイギリスの動物愛護活動家リチャード・ライダーの造語だが、有名にしたのがシンガーであったためにしばしばシンガーが造語したと思われている。」(伊勢田[2008:18])
「多くのベジタリアンは、動物を殺さない意志を正当化するのに反=種差別の主張をふりかざす。反=種差別主義者にとって、彼ら自身の種、すなわちヒトを別種の生物の犠牲のもとに優遇するのは受け容れがたいものだ。種差別という語は一九七〇年、英国のリチャード・ライダーが導入し、一九七五年、オーストラリアのピーター・シンガーにより再度取り上げられ、人種差別という語と重なりながら練り上げられてきた。だが種差別と人種差別は同じ意味をもっているのか? そこには疑問の余地がある。またカニバリズムは動物には稀であり、大型の肉食動物には存在しない。豹が同類を食うのを拒むからといって種差別主義者と言えるだろうか? そしてもし栄養を摂るのにヒト以外の動物を殺すことに同意するとしたら、ヒトは種差別主義者でありうるのだろうか? あるいはより正確に言えば、ヒトは豹よりも種差別主義者でありうるのだろうか? 他の種より優位に立とうとは考えず、自身を動物コミュニティのひとりだと認識している私からすると、あらゆる捕食動物と同じ行動を受け容れることが、唯一真の反=種差別的位置を築くことに繋がるように思える。つまりある種の種差別のかたち――「他の動物がそうであるように種差別主義者である」ことは、逆説的にも種差別主義者にならない唯一の方法なのだ。」(Lestel[2011=2020:52-53])
リチャード・ライダーについての訳注:「Richard Hood Jack Dudley Ryder, 1940- イギリスの心理学者、動物の権利を守る活動家」(Lestel[2011=2020:168])
★13 日本での肉食の歴史については、第1章でも紹介した生田武志の著書の前篇X「屠畜と肉食の歴史」(生田[2019:82-133])。日本仏教における肉食妻帯について(『肉食妻帯考――日本仏教の発生』(中村生雄[2011])。また、動物解放の議論に肯定的であったが、「そういえば」、と、肉食の歴史や文化があることに思いを致すことになるという順序の文章もいくつかある。例えば、シンガーらの説を紹介した後(日本の関西の)肉食の文化に言及する白水士郎[2009]。『環境倫理学』(鬼頭・福永編[2009])に収録されている。各地域・各宗教における(幾種かの)動物の肉を食べることの禁忌に関わる歴史については『肉食タブーの世界史』(Simoons, Frederick J. [1994=2001])。
★14 捕鯨に対する国際的な期制や捕鯨に抗議する直接行動があったこともあり、鯨やイルカを捕ること食べることやその批判者たちについての書き物はとてもたくさんある。いくつかだけあげる。『ルポ・鯨の海』(小松錬平[1973])、『鯨と捕鯨の文化史』(森田勝昭[1994])、『クジラとヒトの民族誌』(秋道智弥[1994])、『クジラは海の資源か神獣か』(石川創[2011])、『神聖なる海獣――なぜ鯨が西洋で特別扱いされるのか』(河島基弘[2011])、『恐怖の環境テロリスト』(佐々木正明[2012])。『快楽としての動物保護――『シートン動物記』から『ザ・コーヴ』へ』(信岡朝子[2020])の第3章が「快楽としての動物保護――イルカをめぐる現代的神話」。
★15 「仲間に特別な配慮をするのは当然なことではないか。/あなたが種差別主義者なら当然なのだろうというのが、擁護派の答えだ。それはそう遠くない昔、多くの白人が自分たちの仲間である白人だけの面倒を見ようといっていたのと同じことなのだ、と。」(Pollan[2006=2009:121]、「しかし私は」と続く)
★16 分子生物学者が、人種について語られてきたことを紹介し現在の知見からどこまでのことを言えるかを述べた本に『人種は存在しない――人種問題と遺伝学』(Jordan[2008=2013])。その第1章が「人種および人種差別に関する小史」。歴史についての本に『人種主義の歴史』(Fredrickson, George M.[2002=2009])。主には「白人性」を主題とする『人種差別の世界史――白人性とは何か?』(藤川隆男[2011])には文献案内があって、『人種主義の歴史』の(批判的な)読み方についても記されている。
身体の差異がいくらかあって、そのことに関わる範疇化自体があっていけないわけではない。次に、その範疇・集団の間に、なにがしかの差異があること全般も――ないのにあるとされて、そのことでおおいに迷惑を被った人たちがいたのは事実であり、それは不当なことだが――否定される必要はない。これが基本だと考える。合衆国における黒人と白人の間に知能の差がある/ないという「IQ論争」について、またそれをどのように解するかについて(立岩[1997→2013a:460ff.]。
では性差別と近代社会・資本制社会との関わりはどのように捉えられるか。『家族性分業論前哨』(立岩・村上[2011])に私の考えたことを述べた。属性に関わる差異・差別と政治・経済との間を因果関係で結ぶのは、ときにそう簡単なことではない。動物を巡ることについても、よく考えてみないとならないことがあるように思う。
★17 ノージック(Nozick, Robert、1938〜2002)は最初の著書ということになる『アナーキー・国家・ユートピア』(Nozick[1974=1992])で知られている。その論について『私的所有論』で検討し、批判した(立岩[1997→2013a:75-76,115-116])。ただこの人は一生同じことを言い続けるという種類の人ではなかった。40年も50年も同じことを言い続ける人たちより、その思考において誠実であったと評せるようにも思う。
★18 レイチェルズの文章とレイチェルズが引用しているノージックの文章を『私的所有論』で引いた(立岩[1997→2013a:313-314,353-354])。そして「この素朴な区別は、レイチェルズからノージックに投げかけられた問いにひとまず答えていることになる」とした。その直前の文が「人は人から生まれる。人は人以外のものを産まない。人から生まれるものが人であり、そうでないものが人ではない。他にはどんな違いもないとしても、これだけの違いはある。そしてこの時に、人が生きていくものとしてあるのは既に前提されてしまっている。」(立岩[1997→2013a:315-316])「既に前提されてしまっている」は少し強い表現かもしれない。それで本書も書いた。
レイチェルズには他に訳書としてRachels[1999=2003]。その論は有馬[2012]でも紹介されている。以上は『私的所有論 第2版』に付した情報(立岩[1997→2013a:354])。
★19 World Conference Against Racism(WCAR、反人種主義・差別撤廃世界会議)「人種主義の本質」より。「はじめに、もともと「人種」の概念は、政治的な目的で頻繁に利用される社会的に作られたものであると認識する。圧倒的勢力の権威が、科学的、人類学的な問題として、人間が違う「人種」に決定的に分類されるという認識が神話であることを証明している。人種は一つしかない。それは「人間」という人種である。」(World Conference Against Racism[2000])
▼0807&0808:★20 2019年に有馬斉の『死ぬ権利はあるか――安楽死、尊厳死、自殺幇助の是非と命の価値』(有馬[2019])が刊行された。私が書いてきたものを含め、この主題についてこの国で書かれたものの多くが(おもに英語圏の)生命倫理学の論を広範に詳細に検討したうえで論ずるといったものでなかったのに対して、有馬は、英語圏的生命倫理学の大きな部分が死の多くを許容し肯定するものであるなかで、その様々な議論を紹介し、慎重に検討し、その帰結として慎重な主張をしている。そういう本はなかっただろうと思う。それは検討するに値すると思った人たちが当然いた。そして有馬は、私が関係する生存学研究センター(いまは生存学研究所)に関係した人でもあり、その企画として、2019年9月22日にこの本の合評会があった。由井秀樹と堀田義太郎がコメントし、有馬が応えた。ネットを検索して、私もそれに(報告者として)出席したことを知ったのだが、そのこともまたそこで何を話したのかも、まったく遺憾ながら、記憶にない。立場上ということもあって、催しの全体の時間を調整する役を担うという役回りになることが、もう長く、多い。1時間話すつもりだったのだが、他の人たちが熱心にたくさん話したので、全体を決まった時間内に収めるために、私の話は5分とか10分とかになることがよくある。その日もそうだったのかもしれない。
こうして、たぶん活発だったやりとりをもとに各々の文章が書かれ、『立命館生存学研究』に掲載された(由井[2020]、堀田[2020、有馬[2020])。これらの全文をオンラインで入手することができる。読んでいただきたい。以下、まずその本にある有馬の文章から。
「本書の最後尾に置いたふたつの章では、人の命あるいは存在そのものに価値があるとするアイデアに根拠を与えることができるか、検証した。すなわち、人の命は、たとえ本人が主観的にそこに価値を見いだしておらず、また不幸でも、依然として破壊してはならないと考えるに足りるだけ大きな価値をそれ自体の内側に有している、とするアイデアである。かりにこのアイデアが正しいとすると、人には、からだの痛みがひどくても、将来の見通しがきわめて暗くても、自分の命あるいは自分という存在を惜しんで生き延びるべきときがある、と考えることが可能である。この可能性を検証した。
さらにまた、命の価値のありようにかんするこれらの理論的な主張の妥当性にかんする検討を踏まえつ、より具体的なレべルの問いにも回答を試みた。たとえば、人の命の価値は本人が高齢になるほど小さくなるか、障害者の命は生きるに値しないとする意見は正しいか、等の問いである。」(有馬[2019:503])
その前の諸章では、本人が死にたいなら、あるいは本人やその周囲にとって生きているよりマイナスなのであるなら、死んでも、また死なせてもよいではないかという論が検討される。それは私が、今度『良い死/唯の生』(立岩[2022c])となった本で考えようとしたことでもあり、ここが主要な部分だと言ってよいだろう。ただ、いま引用したように、有馬は、「よいではないか」について十分に慎重な論を展開したうえで、それを凌駕する「価値」を示そうとした。その道行きは、まずは、というのも「それは言わなくてよい」と居直る手もあるからだが、わかる。とにかく有馬は、その道を行って、カント主義、「合理的本性を備えた人格の存在」に行き着く。そこに着く手前にあるのが、苦痛と種差別主義である。極度の苦痛がある時にも生きねばならないとSOL(生命の尊厳)を言う論が主張するのであれば、それは採用できないだろう。だから、ただSOLを言う論とは別のことを言わねばならないとする。これが前者だ。後者については本書で紹介してきたのと同じ「種差別主義」が問題にされる。そして、カント主義に行き着くという筋になっている。評者たちは、また私も、話の納め方がこれでよかったのかと思った。苦痛のことは大切で、大切だが難しい(本書◆頁)。ここでは略。種差別(批判)については由井も堀田も問題にしている。それに対して有馬は次のように応じる。
「種差別批判については、堀田からもコメントがあった。堀田のいうとおり、種差別の妥当性を否定する研究者たちは、痛覚や自己意識のていどが同じ存在は、同様に扱われなくてはならないと主張してきた。堀田の考えではこの主張は受け入れがたい帰結を導く。ここでは、知覚や自己意識が猿と同ていどしかない「重度の心身障害の[人間の]子」がいるとしよう。今の主張にしたがうと、この子と猿が死にかけていて、どちらかしか救えない場合、人間の子のほうを救うべきだと考える積極的な理由がない。そこで「コイントス」しなければならない。堀田の理解では、拙著が支持する立場もこれと同じあきらかにおかしな結論を導くため、擁護しがたい。
堀田の懸念はよく分かる。筆者も、種差別を批判する者にとってこれがいつでも容易に払拭できる懸念であるとは考えていない。しかし、堀田がしているのと同様の非難は、種差別批判論にたいして従来からなされてきたものである。(エリザベス・アンダーソン(Elizabeth Anderson)は、種差別批判論者の多くがいうように、個体の能力だけでその個体が持つ権利の内容が決まるとすると、チンパンジーやインコも、言語を習得する能力はある以上、言語を教えなければならないとする、ばかばかしい結論が導かれるという批判を紹介している(アンダーソン、2013年)。)さらにまた、この手の批判にたいしては反論も提出されている(アンダーソンの論文の議論は非常に重要である)。そこで、この主題にかんしては、少なくともこうした既出の意見を踏まえて議論する必要があるだろう。しかし、主に紙幅の都合上、本稿では議論できなかった。」(有馬[2020:29])
それで私もAnderson[2004=2013]を読んでみたがとくに新しいことを教わった気はしなかった。インコに言語習得能力があり、ならば人と同じにということで、人と同様に言葉を教えたとしても、インコはそれをインコ社会で役立てることはできないのだから、それは必要ない、といった、それはそうだろうというようなことが書いてあった。ヌスバウム(◆頁)などケイパビリティなど持ち出す人がいかにも言いそうなことだと思った。
有馬が本書第1章にまずあげたような人間(的特性)をあらかじめ信じてしまっているような人であるとは思われない。論理を辿っていったらそうなったということなのだろう。そして、論の妥当性は有馬においては(また堀田においても)「直観」に適うかどうかによって判断される――そのことについてはこの企画・特集の「序文」で安部彰が書いている(安部[2020])。引用した文章では「コイントス」は直観(直感、以下「直感」を使用)的に受け入れられないというのである。他方で、有馬もまた直感を大切にする、というかそれを根拠にあげる。例えば死ぬほどの苦痛にある人でも生きねばならないというのは、直感に反する、ならばSOL(生命の尊厳)の主張をそのまま受けいられない、そこでカント主義、という具合だ。
いずれを救うかという問いに対して、人間だろうという「直感」があるのは、種差別批判にとって厄介なところだとは伊勢田も述べていた(本書◆頁)。そして、その直感に反してでも、人のほうを救わないという線が論としては一貫しているが、しかし「ごうごうたる非難」を覚悟せねば、ということだった。
たぶんいまあげた人たちはみな、直感をそのまま絶対のものとしようというのではない。絶対のものだと言ったら議論する必要もないだろうから。ただ、多数決で多数をとらねばというのでないとしても、いくらかは人々に納得、というほどでなくても理解してもらわねばということもある。また支持を得るためにという理由でなくても、人々が思うことからあまりに離れたことを主張するのはよくないという考えもある。そうしたことを考えながら、何を言うか。言えるか。本書(立岩の本)は、そのうえで、では何が言えるのかを言ってみようというものだ。
★21 一九七二年、アンデス山脈の雪山に飛行機が落ちて、生き残ったが食物が無くなった人たちが死んだ人の肉を食べた話はよく知られている。その生存者に取材して書かれた本として、『アンデスの聖餐――人肉で生き残った16人の若者』(Blair[1973=1973→1978])。翻訳がハヤカワ・ノンフィクションとして刊行され、後に文庫になった。そして『生存者――アンデス山中の70日』(Read[1974=1974])。訳書の表紙には八七頁にある以下の文章の引用がある。「「これは肉なんだ」と、彼はいった。「ただそれだけのものなんだ。彼らの魂は肉体をはなれて、いまは神とともに天国にいる。あとに残されたものは単なる死骸で、われわれが家で食べている牛の肉と同じものだ。もう人間じゃないんだ。」
★22 カニバリズムをとりあげた本はいろいろとあるようだ。中野美代子の『迷宮としての人間』(中野[1972])は二度文庫化されていて、今はちくま学芸文庫で『カニバリズム論』となっている。この種の主題を私たちが好むことが示されている。
人類学者がアステカ族の人身供犠について書いた章を含む本に『ヒトはなぜヒトを食べたか――生態人類学から見た文化の起源』(Harris, Marvin[1977=1990→1997])。人口増を抑止するためにという筋になっている。親族の遺体を食べて愛情と敬意を示すニューギニア山岳地域の慣習等にふれた随筆「われらみな食人種」を書名とした『われらみな食人種(カニバル)――レヴィ=ストロース随想集』(Levi-Strauss, Claude[2013=2019])。人類学でカニバリズムがどのように描かれてきたかについて山田仁志[2018]。
第二次大戦時、フィリピンでの日本兵による殺害・人肉食について『棄てられた日本兵の人肉食事件』(永尾俊彦[1996])、『戦争とカニバリズム――日本軍による人肉食事件とフィリピン人民の抵抗・ゲリラ闘争』(佐々木辰夫[2019])。
★23 「顔」などと言うと、『存在の彼方へ』(Levinas[1974=1990→1999])といった著作を思い出す人もいるかもしれない。ただここで言っているのはそれよりずっと普通の顔・身体のことだ。レヴィナス、というよりレヴィナスへの言及について、『良い死』に短い言及がある。
「生き死ににかかわる臓器の所属について、現実には、もとの帰属主が優先されているのは確かだ。だから、そこには「公共財」という規定とも、生命の尊重という原理とも別の論理が入っているはずである。それが何であるのかがこの本の中では示されていないということである。この本で(も)引かれているのは、ジョン・ハリスの論文(Harris[1980=1988])に出てくる「サバイバル・ロッタリー(以下、生存籤)」という話である。一人のうまく機能している臓器二つを取り出して、二人のうまくいってない人に持っていけば二人生きられてよいではないか、そして公平を期すためにその一人は籤で決めよう。そんな話である。これがいけないと言えるか。そう簡単ではなく、ハリスもその幾つかの反論を退けている。小泉の本で紹介されているように、また私も紹介したように、結局ハリスも籤を否定するのだが、その理由はたいした理由ではないので、あまり考えなくてよい。二人と一人の比較という功利主義が気になるだろうか。ならば、一人と一人で考えてもよい。
こんな難題がここには現れている。しかしそのことを言う人は少ない。小泉によればその少ない人たちの中に、レヴィナスがいるという。その人がこの本ではおもにとりあげられている。その人は、ハリスのような種類の学者とはずいぶんと異なったところからものを考え書いた人なのだろう。なにかわがこととしてこの事態を感受してしまっているようなのだ。『存在の彼方へ』(Levinas[1974=1999])が取り上げられる。例えば、「責任の存在内への参入に関しては、私たちはまったく選択権を有していない。このように選択の余地を与えないこと、それを暴力とみなすことができるのは、不当な、あるいはまた性急で不躾な反省のみである。なぜなら、ここに言う選択の余地なしは自由、非自由の対連関に先だっているからだ。」(Levinas[1974=1999:270-271]、『病いの哲学』では小泉[2012:127-128])
このように問題を真に受けることを、『病いの哲学』の著者は真に受けてよいこと、真に受けるべきことと見ているだろう。そしてここからそのまま進めば、責任を負った者はそれを果たさねばならない、となる。もちろん、具体的にその義務がどのような義務としてあるのか、それは法的な義務なのか等の問題はある。それにしても、レヴィナスが言っている(らしい)のは、そうした義務を人は負うことになったのだということだ。その人は、そのことを身に迫って感じている感じがする。
そう思えるかと私が問われるなら、そんなことはない。新たな事態の出現に震撼させられたりはしない。私に限らず、少なからぬ人は、たしかに「他者」の「顔」がそこにあったら、顔が向けられたりしたら、他の物がそこにあるのに比べて、何か違って感じるものはあるだろうと思いはするものの、しかし、人に呼びかけられたりすると応答せざるをえない、とは必ずしも思わなかったりするのではないか。そんなことを思うと、この人は不思議な人であるようにも思える。
ただ、そんな問いはおかしな問いだとは思えない。心情として深刻に受け止めたりはできないとしても、とるにたらない問題だとして除去してしまうのはよくないと思える。そんなところからどう考えるか、と私の場合にはなる。『病いの哲学』の著者はもっと共感しているように思える。しかし、その論を追い、そしてさきにすこし紹介したハリスの生存籤の話をはさんで、そして結局、命のやりとりは否定する。生存籤はやめておこうと言うのだ。しかしその理由は示されていない。
第二に、生命そのもの以外はどんなことになっているのか。生命(ゆえに生命に関わる臓器)以外はすべて公共財だと言うのだが、しかし言われていることは極度に極端、というわけでもない。移動が求められるのは、目の二つのうちの一つであるし、腎臓の二つのうちの一つである。それにしても、なかなかのことではあると思われる。この主張を受け入れるか、どうするか。そのままに受け入れないとしたら、どのようにそのことを言うか。
同時に、以上のような主張をする人も問われることがあるだろう。一度に二つではなく、二つのうちの一つを分けることはその議論の内部で正当化されるだろうからそれはよしとしよう。では、一つしかない、しかし生命には直接に関わらないような器官についてはどうか。例えば、技術的な問題はここではさておくとして、口、生殖器。それらはどのように扱われるのか。それは明らかではない。生命(に直接関わるもの)でないものは分けるべきであるとなれば、この分割しようのないものをどう分けるのか。分けようがないから分けることはできないとして、その論理からは移動が積極的に否定されることはないはずである。その人のもとに留め置かれることが積極的に肯定されることはないはずである。それでよかったのだろうか。
こうした問いがある。このような問いがあることをこの本は知らせている。」(立岩[2008b:246-247→2022c:◆])
★24 みながよく知っていることだから、わざわざ文献などあげる必要もないのだが、多くの人は『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(Arendt[1965=1969])などを想起するだろう。
★25 楽しめるとすると、その話の噛み合わないところであるように思う永井均と小泉義之の対談の本『なぜ人を殺してはいけないのか?』(永井・小泉[1998])に付された小泉の文章に次のように書かれている。
「かつての私は殺人は良い場合があると思っていた。国家統治機構の一部である人や、君主の血統をリレーする人物や、資本輸出に加担する人物を、世間から消去することは良いことだと思っていた。しかも私は、殺人と死体化を区別していなかったので、死体化は殺人のためには避けられない必要悪であると思っていた。現在でも私は、特定の人物が特定の世間的な舞台から退場して消え去るほうが良いと思うことはある。しかし舞台が残っているかぎりは、いくら人物を消去しても必ずや別の人物が登場すると思い知らされてきた。切りがないのである。切りがないはずなのに、恣意的に何人かを選ぶのは日和見である。だから殺人のためのより良い方法は、舞台を破壊することだと考えるようになった。
同じことは、私的な殺人についても成り立つと思う。殺したいほど憎い人物がいるなら、その人物を消去したところで、必ずや別の殺したいはと憎い人物が登場してくる。憎む精神と憎い人物を絶えず登場させるような舞台が残っているからである。舞台を破壊するか、舞台から降りてしまうほうが簡単だと思う。実際、近年のサイコな舞台は演じるのが簡単であるだけ、そこから降りるのも簡単だ。心的異常者の役ほど演じやすいものはないし、演技賞をとりやすいものはない。心的異常者とは、そもそもの初めから、舞台で演じられる人物にすぎないし、現代版悪魔学であるプロファイリングで表象される人物にすぎないからである。だからこそ、簡単に流行る。だからこそ、簡単に降りられる。
同じことは、殺し合いの舞台についても成り立つ。」(小泉[1998:125-126])
★26 『良い死』より。
「生の否定の方に向かう事態の基本にあると考えるものについては、この本の前に、もう幾度も同じことを繰り返し述べている。死への決定をもたらすものは、一つはこの社会のもとで生きることの困難であり、一つは自分の価値の低下である。そしてこの二つともが、私たちの社会の所有・主体のあり方に関わっている。それはごく単純なことである。自分で動き働ける範囲で得ることができるという所有の規則のもとでは、動けない人は暮らしていけない。まったく何もしないわけではないが、できることには限りがある、資源は有限だなどと言われる――このことについては次の章で考える。また、人は暮らすために生産するのだが、だから生産は手段であるのだが、その手段の価値が目的を上回るという倒錯が起こっている。自らを統御してよく動かせることが人の存在価値を示すという価値のもとで、それがうまくいかない人が自らの価値を否定する。これらのもとで人は生き難く、死を選ぶことがある。それはよいことか。よくない。だからそれを変えればよい。ひっくり返っているものをもとに戻せばよい。そのことを述べてきた。」(立岩[2008b:160→2022c:◆])
★27 優生学についてはまず『私的所有論』第6章「個体への政治」の第2節「性能への介入」(立岩[1997→2013:387-406,427-435])。『介助の仕事』の次に、そして本書の前に、この主題について、いくつかの場で話したことをもとに新書を作ることを考えていた。そのための草稿を連載し、サイト上にあるこの本『優生思想を解く』(仮)の頁に掲載している。
★28 『私的所有論 第2版』、「ごく単純な基本・確かに不確かな境界――第2版補章・1」の第2節「人に纏わる境界」の2「殺生について」。その註10より。
「「仲間」は、基本的には、殺さないということはあっただろう。あるいはそういうものを仲間と呼んだ。そこから「人類」までにはずいぶんの懸隔がある。その結びつきというか越え方が実際のところどうであったのか、私は知らない。ただ最初から「人類」という範囲が獲得されていないとしても、それは本章で述べたことを否定するものではない。
そして他方、かつて、人間でない様々な範疇があって、それが今日に至るまで次第に拡大されてきたといつも考える必要もない。人間主義者・博愛主義者・民主主義者たちにおいて、いつも(人間としての)考慮の対象にならない人間たちの範疇があったことはよく指摘される。その通りなのではあるだろう。ただその際、いくらか慎重であった方がよいということだ。例えば、「一人前」の人間とされる/されないことと、人間とされる/されないこととは同じでない。たしかに「市民」(その他)から除外されていたとして、それは人=ヒトでないとみなされていたということと同じではない。」(立岩[1997→2013:806])
その続きが本書第1章註01(◆頁)。「そして同時に、人は人を殺すこともある」と続く。
★29 井上と加藤秀一の論文が『生殖技術とジェンダー――フェミニズムの主張3』(江原由美子編[1996])に収録されている。加藤の論文には、井上の一九八七年の論文(井上[1987])への批判があるのだが、この井上論文もこの本には収録され、さらにそのうえで、井上の「胎児・女性・リベラリズム――生命倫理の基礎再考」(井上[1996])、加藤の「「女性の自己決定権の擁護」再論」(加藤[1996])が掲載されている。十人弱ぐらいの著者が分担して書きましたといった種類の本は、たんに十個弱の文章が並んでいますといったことが多いのだが、この本――あるいは江原が編者となったこの「フェミニズムの主張」というシリーズ――では、珍しく議論が議論として成立している。加藤の論については本書の[拾遺](◆頁)でも紹介・検討している。
★30 村瀬学は一九四九年、京都府生まれ。同志社大学卒業。その最初の本は『初期心的現象の世界』(村瀬[1981])。この本の奥付には心身障害児通園施設職員とある。その後、同志社女子大学教員。引用した本とは別の本『「いのち」論のひろげ』では次のように言う。『私的所有論』で引用した。
「…この両親にとっては、この子は「ゆり」と呼ぶことのなかにしか見出せない何者かなのである。「ゆり」と呼ぶこと以外ではけっして見えてこないものがある。
そういうふうに言えば、そんな「ゆり」なんていう名前なんぞ、世間にはいっぱいあるじゃないか。人間にも植物にもつけられる名前が、何で一人の女の子の唯一の生を表し得るのか、という人もいるかもしれない。「品名」として見たらたしかにそうである。しかし「品名」だけをほじくってもわからないのである。「品名」はあるときに「名前」として意識され、そして「名前」は「姿(顔+身)」を呼びだすきっかけとして自覚されるときがくる。そのきっかけを作るのは「場所(位置)」なのである。
『苦海浄土』には、「とかげ」のような手足を持つわが子に寄り添いつづける親の「場所(位置)」がある。その「場所」から呼ばれる「ゆり」という「名前」は、その場所からしか見えない「姿」をとらえていて、それは「無比の姿」として見出されているのである。
つきつめると、「名前」というものには、個人的な命名行為というより、人間の姿(原型)を呼びだすための共同の行為としてあったものである、としか考えられない面がある。「人間の姿(原型)」を産む行為とでも言えばよいか。しかしそこには、その産む「場所」が問題であった。おそらく昔の人たちには、その場所を「共同の場所」として共有できる感性があったのではないかと思う。しかし、今日ではその場所は、一人一人の育ての親たちが個別的に意識する、個人的な場所になりつつあるように見える。が、私はそのようには単純には思うことはできない。「名前」をつけて「姿」を自覚する「場所」は、あくまで「共同の場所」でしか発生しない、そうとしか私には考えられないのである。というのも、「名前」をとおして感じとる「人間の姿(原型)」は、人間の共同体の活動のなかでしか自覚できないものだからである。」(村瀬[1995:35-36])
村瀬[1996:132-133]もほぼ同文。「自分の名付けたものは「大事」にする。この「名づけ」のもつ利己的な共生力について」書かれた文章である。『苦海浄土』は石牟礼道子の著書(石牟礼[1969])。」(立岩[1997→2013:359-360])
★31 『唯の生』の一部と合わせて文庫化した『良い死』の第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」の第5節「思いを超えてあるとよいという思い」。『補注』にはその全体を引用する。なお第6節は「多数性・可変性」、第7節は「肯定するものについて」。
★32 ただここで話が完結するわけではない。次のように続く。リンク先のページにはさらに長い引用がある。
「といっても、動物に権利を認めれば問題が解決かと言えばそうは簡単には言えない。動物解放論者は「少なくともぎりぎりの選択では人間の方が他の動物より優先される゛」という強固な直観と向き合わなくてはならない。この直観を動物解放論の中で生かすのは難しい。別の言い方をすれば、「倫理判断は普遍化可能である」をはじめとした前述の判断や背景理論に「極限的選択における人間の優先」を付け加えると、全体としてつじつまがあわなくなってしまう(均衡が破れた状態になってしまう)ということである。これはまさに往復均衡法が発動するシチュエーションであるが、どうやって均衡を実現したらよいのだろうか。
一つは功利主義を使ってシンガーの路線で全体の整合性をとるやり方である。「限界事例の人たちにも人権があり、危害を加えてはならない」という部分を修正して、動物の命(とある種の限界事例の人たちの命)は奪ってもよいということにするということだった。この路線は障害者差別だといってごうごうたる非難をあびたから、あえてシンガーの後に続くのはかなりの覚悟がいる。動物の権利を重視するのなら、解決策は極限的選択における人間の優先という方向になるだろう。これはレーガンよりも過激な立場で、憲法にうたわれるような基本的人権をあらゆる動物に同等に認めることになる。これならたしかに当面の矛盾は解決されるが、もっと大きな問題を抱え込むことになる。というのも、それだけ強力な権利になってくると、どの範囲にまでその権利を認めるのかが大きな問題になってくるからである(シンガーのバージョンでその間題がないわけではないが)。
他方、徳倫理学は[…] 」(伊勢田[2008:321-322])
「ごうごうたる非難をあびた」ことが別の箇所でも紹介されていることは、第1章註17(◆頁)でも引用した。この本に対するコメントとして、野崎泰伸「『動物からの倫理学入門』の一つの読み方――倫理・正当化・正義」(野崎[2009])。このたびの私の書き方とはだいぶ違う立場からのものだが、一貫した論ではある。
■■第3章・註
★01 『人命の特別を言わず*言う 補註』(説明は本書◆頁)では該当箇所の全体を引用している。
★02 「線を引く時も引かない時も、どんな線を引く時も、それは必ず、私達の側の理由に発している。その存在が人である、すなわち殺してならない存在であると思うのも私であり、そうではないと思うのも私である。その限りでは同じである。これはいずれの立場に立つ場合にもわかっておく必要がある。資格を持ち出す人達はこのことがわかっていない。あるいは曖昧にしている。しかじかの資格をもたない存在は生きる権利がない、のではなくて、しかじかの資格をもたない存在を殺してもよいと私達はする、しようと思うということである。ここまでは、資格を持ち出す人にも是非認めてもらわなければならない。
ただ、このことを確認した上で、どちらにしても、これらのこと一切が人の内部でしかないとは言える。いずれにしても、それは私の他者に対する関係である。B資格を満たさないから死んでよいとするのも私達の思いであり、A'そういうわけにはいかないと思うのも私達の思いである。」(立岩[1997→2013a:326-327])
「線引き」について。例えば『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』(立岩・杉田[2017a])の「帯」には「あらゆる生の線引きを拒絶する」とあり、その本に収められている杉田俊介との対談の題は「生の線引きを拒絶し、暴力に線を引く」。私はその対談の終わりで、「線を引くのは確かに暴力です。でも、暴力的にでも線を引かなくてはいけないこともあるのです。線を引かないと、ずるずるってなって、べろって剥がれてしまうこともあるわけですから。」(立岩・杉田[2017b:238])と言っている。それを西成彦が、ジェノサイド、戦時性暴力、ミソジニー…のことを書いた『声の文学』(西[2021])で取り上げている。
★03 ゆえに小松美彦の『死は共鳴する』(小松[1996])の主張をそのまま肯定しない。小松の論の検討・批判は、「死の決定について」([2000c])で行なった。この文章は大庭健(『補註』(立岩[2022c]でその論を紹介・検討した)と鷲田清一の共編の本『所有のエチカ』(大庭・鷲田[2000])に収録されたもの。後に『唯の生』(立岩[2009a])に収録され、この度『良い死/唯の生』(立岩[2022c])に収録した。なお、その批判は「共同性」に依拠する部分についてであり、他の多くの論点については、私は小松の主張に同意している。その後の小松の著作に小松[2000][2004a][2004b][2012]がある。
その差異は、この社会に対抗する根拠として共同性を言う流れがあってきたことの捉え方を巡ってあるものだと思う。それを基本的に肯定的に受け入れ続けた人たちがいて、小松はその一人だと思う。それには十分な力があることを認めながら、私は違うように言おうと思って書いてきた。
以下は小松についての個人的回顧。なお「民青」は「民主青年同盟」。日本共産党系の学生組織。
「大学などない田舎にいたわけだから、誤解していたところ、間違った期待をしていたところもある。高校生のとき、大江健三郎の小説は読んでいた。彼は東大の文学部を卒業した人だ。なにか「そういう人」がたくさんいるような気持ちがしていたのだ。しかし、当たり前のことだが――そこらに大江健三郎のような人ばかりいたら、それはそれでたいへんである――そんなことはなく、普通だった。もっと言うと、説明は略すが、「嫌いなタイプ」の人たちもいて、どうもいけなかった。比べれば、湿った・湿気った(と私には聞こえた)演説を繰り返している民青の学生の方がよかったぐらいだ。そんなこともあり、いくらか違うかんじの人たち、そして「政治的嗜好」に似たところがある人たちとのつきあいの方が気持ちがよかった。例えば、小松美彦がいて、彼はそのころから妙な貫禄があった。後に彼は河合塾という予備校の小論文講師になり、予備校生を煽動していたのだが、それはとても彼には似合っているように思われ、後に大学の教師になり『死は共鳴する』(一九九六年)などという本を出したりするとは思わなかった。また、大学を終えた後技術系の翻訳で生計を立て、ダナ・ハラウェィという人の『猿と女とサイボーグ――自然の再発明』の翻訳(二〇〇〇年)を出すことになったりもする高橋さきのといった人もいた。」(立岩[2007-2017(1)])
『猿と女とサイボーグ』は、「サイボーグたちは、真の生命/生活を得んがための犠牲といった発想をイデオロギーの源泉とすることを拒む。[…]生存こそが最大の関心事である。」(Haraway[1991=2000:339])といったあたりが気にいって、『ALS――不動の身体と息する機械』(立岩[2004f])に引用した。『動物倫理の最前線――批判的動物研究とは何か』では「動物労働の理論形成に大きく寄与した」人としてハラウェイを取り上げ、批判がなされている(井上太一[2022:227-233])。
★04 続きは以下。「こうした主題について考えるのであれば、最低、以上は押さえておくべきだと思う。第9章で「出生前診断」「選択的中絶」という、やはり少しも明るくない主題について考えることになるのだが、そこではここで述べたことと一部同じことを言い、また別のことを述べることになる。それを、いずれも生存の資格の問題であり同じ問題だと考えるのだとすれば、それは粗雑な思考であり、論理と称するものが、私達が思ったり悩んだりする現実――それも、論理を操ることを仕事にする人が論理と称するものよりは複雑ではあろうが、ある論理を備えている――に追い付いていないということだと考える。」(立岩[1997→2013a:332])
言いたかったこと、しかしここで明示していないことの一つは単純だ。つまり、死んでもらうことと産まないことの動機・利害が同じであっても、既に人が生きていて恐怖や苦痛がある場合と、そうでない場合とは、異なる。その本の第9章で考えられたことは書いたから、ということもあるが、その本以後私は、既に生きてしまった人たちが死のうとすること、安楽死や尊厳死と呼ばれることについて、夥しい数の文章を書くことになったが、基本的なことは、今度『良い死/唯の生』として刊行された『良い死』と『唯の生』とでほぼ言い尽くしたと思う。
★05 このことは死刑を執行する人に対しても、通常、苦を与えることになる。では快を得るような人――そんな人も実在するだろう――に委ねればよいか。そうとも思えない。死刑執行人の歴史について『死刑執行人の日本史』(櫻井悟史[2011])。
★06 『自己決定権は幻想である』(小松美彦[2004b])、『脳のエシックス――脳神経倫理学入門』(美馬達哉[2010:118ff.])等。
★07 『私的所有論 第2版』に加えた「ごく単純な基本・確かに不確かな境界――第2版補章・1」の註14より。
「功利の計算は多くの場合に有益であり大切である。しかしいつもではない。例えば人々の幸福の平均値を上げることが目的とされるなら、値の低い人を除外したほうがよいということにもなるだろう。
人間は、相手が「人間」であっても、正当化された罰としてでなくとも、正当化された争いにおいてでなくとも、殺してきた。それは良くないことであるとされてきた。【しかし第2章4節1で紹介したように生存籤が正当化されるなら――多くそこまで徹底していないから、死の定義を変更するなどして利用しているのだが――殺人もまたよいということになる。以上述べてきた私たちの立場からは、こうした計算、計算にもとづいた行いは基本的に正当化されない。「集計」という行ないが間違えていることがある。
もっとも、「救命ボート問題」として知られているような状況においてその計算がやむなく必要である場合があることは認める。しかし、そんな状況は一般的なことではないから、一般的・代表的なことをまず語るべきでないし、さらにそうした状況を減らすことができるし、まずそのことをするべきである。(そのようであってならないという感覚もまた功利の計算に算入されることになるかもしれず、されるべきであるという主張は、功利主義にとっても受け入れねばならない主張であるように思われる。そして、それは新古典派の経済学的に対して常套的に言われることでもある。そして指摘された側は正しい計算をするためには、その指摘を受け入れることになるだろう。しかし、問題はここで起こる。そこでなされる計算とは何かである。例えば今述べた「感覚」は計算のリセットを求める。それをどう計算するのか。」(立岩[1997→2013a:808-809])
★08 『私的所有論第9章4節2が「死/苦痛」。以下はその一部。
その存在に予想される苦痛によって存在を現わすことをしないという「行いが何か空虚であるとすれば、それは、長く、苦痛の少ない生の方がよい生であろうと思う私の感覚によって、何事かを決定した、変えたということである。それは私の都合というわけではない。しかしそれでも私がそのように思うのであり、私が決定している。多分、それは「よいこと」ではない。というのも、この決定があればなかった生が一つあることになって、そしてその生はあった瞬間から、それが短いものであったとしても、独自の生として現れ、しばらく持続し、やがて終わるのだから。苦痛を想像してそれを選ばなかったのは私であり、その私は、苦痛がある時には苦痛とともに生きる存在があるのだという精神の強度をもつことができなかったのだ。当の存在にあくまで即そうとする時、これは正当化されない行いである。」(立岩[1997→2013a:673-674])
★09 清水[2000]の書評より。「仲良くできる人たちの現場もあるが、それだけではない。だから「よりよいあり方」を示せばよい、か。正解だとは思う。だが、様々な力関係があり、それに対して(喧嘩にならないための、喧嘩をするための)「現場に臨む」「倫理」もあるのではないかと思う人もいるだろう。」(立岩[2000a])
『唯の生』に収録した(『良い死/唯の生』に再録される)「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」(立岩[2004e])は、清水の著作の別の論点を検討・批判したもの。
★10 2006年に『通販生活』に掲載された短文(立岩[2006])を「急ぐ人のために――最も短い版」と改題して『良い死』に収録した。なおここでは安楽死と尊厳死とはそう大きく異なるものと捉えられていない。
「尊厳死を望む理由には、まず、病による身体的な苦痛があるでしょう。たしかにこれは大きな問題です。でも、ていねいな対応が大前提です。日本の医療はそれが下手ですが、それをなんとかすれば、かなり少なくできます。患者の苦痛を緩和する努力を十分にせずに尊厳死を語るのは、順序が逆だと思います。苦痛は多くの場合にかなり少なくすることができます。
他方、意識がなくなっていれば、その状態は、本人にとって、よいこともないと言えるとしても、その状態が続いてわるいこともありません。
すると、その当人自身にとって、早く死にたい理由はなくなってきます。
それでもなお、治療を控えたり止めたりするのがよいと人が思うのは[…]」(立岩[2008b:16-17→2022c:◆])
★11 痛みや病や死について、例えば人間存在について反省させ意味を考えさせるといった情緒的なことが語られることがあってきた。『病いの哲学』(小泉[2006])の著者はそんな話の収め方に反感を感じている。私たちは結局たいしたことはできない。できないから語るが、語る時にはむしろつまらなくしてしまう。つまらないのは仕方がないが、ときに有害である。それが悔しくまた腹立たしくて、なにかおもしろいことを言おう、そんな具合に考えて、『生殖の哲学』(小泉[2003])、『病いの哲学』、『生と病の哲学――生存のポリティカルエコノミー』(小泉[2012])など書いてきたのだろうと思う。多分、小泉は身体に存して動いている力を認めようとしている。病んでいようと、いろいろな器具・機械がつながれていようと、身体、身体の内部は動いている。それはその通りだ。そしてその気持ちの幾分かを私も共有している。ただそれを言って、「それで、それから?」、と思うということだ。だが、では代わりになにかあるか、言えるかというと、そうは思いつかない。(それにしても、『病いの哲学』は他に書かれないことが書いてあるよい本で、『唯の生』の第7章は『病いの哲学』について。1「何か言われたことがあったか」、2「死に淫する哲学」、3「病人の肯定という試み」、4「病人の連帯」、5「身体の力を知ること」。『良い死/唯の生』(立岩[2022c])に再録した。
とりあえず、語ってしまうことや、語ってしまい方を記述することはできる。スーザン・ソンタグは病に、かつては結核に対して、そして癌に対して、そしてエイズについて意味が付与されてきたさまを記し、そしてそれを拒絶した――『隠喩としての病い』(Sontag[1978=1982])と『エイズとその隠喩』(Sontag[1989=1990])、この2冊は1冊になった(Sontag[[1989=1992])――ことで知られている。その姿勢はよいと思う。ちなみに、その人は、自らも癌に罹ったのだがそれはいったんはなおって、そしてまた罹って、「死生学」的には「往生際」のわるい死に方をした。その最期について、その人の息子であった人が書いた本『死の海を泳いで――スーザン・ソンタグ最期の日々』(Rieff[2008=2009])がある。さらに、その人に『他者の苦痛へのまなざし』(Sontag[2003=2003])がある。やはりそこでも苦痛についてではなく、苦痛を見ることや描くことが語られている。しかし、まず、私たちにできることは、病や苦しみや痛みや死を、例えば試練として、そこから何かを見出すための手段のように語ることが、実際そんなことはあるのだから、その全般を否定することはないけれども、多くの場合に思慮の足りないものであることを指摘することぐらいではないか。
そして私は、もっとつまらなく退屈に考えることにした。私がしてきたのは。一つには何を悲惨であると私たちは言っているのかということだ。『良い死』の第2章は「自然な死、の代わりの自然の受領としての死」で、その註25(立岩[2008b:227-230→2022c:◆])で、胎児性の水俣病者とその母を撮った写真を巡ってあったごきごとについて記している。そこでは、「ここまで書けばわかるだろう」と、はっきりとは言わなかったが、つまりは、「何をもって私たちは悲惨と思い言うのか」ということだ。強い痛みは悲惨であるであるだろう。しかし、写真に写っているのはそういうものではない。その話を引きついで、おそろしく単純に短く記したのが『不如意の身体』(立岩[2018b])の第1章「五つある」、第3章「三つについて・ほんの幾つか」。
そして痛い(が、原因等わからず、病・障害と認められない)病であり障害でもあるものについて、研究したり話をしたいという人たちが何人か周囲に集まってきている。それでまず、「私とからだと困りごと座談会」というZoomでの企画が2021年11月にあった。企画には何も関わらなかったが、私はその冒頭で挨拶のようなことをしている。その一部を引用しておく。
「中身は何もないんですけれども「痛み・苦痛」というページがあるにはあって。その下には「名づけ認め分かり語る…」っていう、これは今日企画運営してくれている中井〔良平〕さんが今、増補してくれてますけど、そういうページがあったりします。何か役に立つかなっていうか、まずこういうものを時々見ていただいていいかなと思って紹介します。
僕は社会学というのをやっていて、それは医療とか障害とか病気とかっていうことに関わってもいるわけだけれども、たとえば「痛み」とか「疲労」とかそういうことについて、社会学、社会科学が何か役に立つようなことを言ってこれたかというと、そんなことはないです。だめなんですね。だけど、だめだって居直っていてもしかたなくて、やれることはやらなきゃっていうことは思っています。そういうことは思ってる人はいるんだろうけれども、「研究は始まったばかりか、始まってもいない」っていう感じだと思うんですよね。それには理由があります。まず、「痛いことをいくらしゃべったって書いたって、痛いものはなくならない」っていうことがあって。どうしようもない、しょうがないって。
ではある、んだけれども、だけど一つ、たとえばその「痛み」に対応する医学的・技術的な処置はそこそこあるわけです。でもなかなかやってくれないと。これは理由があるわけです。現代の医療、近代の医療っていうのは、「痛みを和らげる」っていうようなことにあんまり使命感を感じないっていうか、やりがいを感じてないっていうか、どうでもいいとまでは言いませんけどそんな感じで受け止めてしまっているから、そういう地味な、でも大切な仕事をなかなかしてくれないっていうことはあります。
じゃあ、そこのところをどうしたらいいのかということは考えることができるわけだし。でもそもそもその体験っていうのはどういうものなのかということも知ることができる。
もう一つ、痛みそのものはどうにもならなくても、たとえば、僕は社会学をやってるんだけれども、「障害学」っていうよくわかんないものもあって、それは、主には、「できない」っていうことに焦点を当てて、できないってことを社会がどうしているか、どうすべきかっていうことをやってきた。痛いことを他人がじかに代わることはできないけども、できないことなら、代わりに他人が補える、社会的に対応できる、ので社会科学の主題になりやすいということもあったと思います。この「できない」ってことと「痛い」ってことは違う。けれども、「痛いからできない」ということはありますよね。そしたら、痛いことそのものはちょっと難しいけど、「痛いからできない」っていうことにかんしては、本来は社会が対応できるはずです。してないけどね。
ではなぜしてないのか、じゃあどうしたらいいのかっていうことを考えるっていう。「痛みの測定が難しいから」とか言われる。それは本当か。本当だとして、測定できないと対応できないか、そんなことないだろう、とか。等々。大切でおもしろいテーマだとも思っていて。もっとみんな考えようよっていうか、調べようよ。調べる前に、どういう経験・体験をしているのかっていうことを知りたいなということを思っています。
それから、「わからない病気」「わからない障害」っていうのも確かにいっぱいあるわけですよね。そうした時にそれをどう考えるのかってことも、難しいけどとても大切なことです。[…]」(立岩[2021c]
★12 このことに関わる書籍を紹介した短文として「摩耗と不惑についての本」(立岩[2004d])。加筆して『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』(立岩[2017])に収録した。
★13 『自閉症連続体の時代』(立岩[2014])の終わりに補章「争いと償いについて」がある。そこで、ときに証明は求められてしまうのではあるが、なくてもさほど支障がないのであれば、求めないほうがよいことがあると述べた。
★14 『生と死の倫理』の書評を『週刊読書人』の依頼で1998年に書いている。いつものことだが字数の制約がきつく難儀した。多くの主題が取り上げられていて、検討・批判は様々可能だが、その一つでもそれなりに行なおうと思ったら、すぐ長くなってしまう。何も中身は書けなかった。本書を補うものとしてオンラインで提供する『補註』(立岩[2022b])に全文を掲載。そのおわりの部分だけ引用する。
「本書で一義的な社会的決定が回避され、それなりに穏当な印象の論調となっているのは、「周囲の人」の扱い方による。筆者は家族の利害を家族外の利害に優先させ、家族の決定を尊重すべきだとする。しかしその理由は何か。家族が負担を負っているから。では、「社会」が負うならどうか。こちらが正しいと言いたいのではない。この時、「社会」が決定者として現われ、新生児の生殺を決めるかもしれないこと、選好と決定が置かれている仕組みを考えるべきなのであり、その解析に向かう装置が筆者の論にはないことを言いたいのだ。安楽死についても、安楽死への「選好」が存在する条件は問われない。ある程度の常識の範囲内で筆者は語る。筆者と読者の共通性によって読者は筆者に感応し、その時に本書は説得の書であり納得の書となる。自分では考えないし、物議をかもしそうなことは言わないが、都合のよい選択肢を支持するそれなりに著名でもある論者が一人いるという安心がその人を呼び寄せてしまうといった怠惰は拒絶しなければならない。他方に、この書の情緒への訴え方、事実の記述の偏りを感じる人がいて当然だと思うが、それは単なる事実誤認でなく筆者の思考の構造に由来する。だから基本的なところから、少なくともこの舌足らずの「書評」の何十倍かの分量の検討がなされるべきである。それは筆者の思考が、現実の私達の思考でもあるからである。」(立岩[1998])
★15 日本安楽市協会の八一年の「新運動方針」――「一、自発的消極的安楽死に重点を置く[…]二、積極的安楽死は原則として認めない」――と、その前と、それ以降について『唯の生』(立岩[2009:88ff.])。この部分は分量の制約から『良い死/唯の生』(立岩[2022c])には収録されない。『唯の生』の第2章「近い過去と現在」、第3章「有限でもあるから控えることについて――その時代に起こったこと」、第4章「現在」は、オンライン・無償で提供する書籍『生死の語り行い・3――1980年代、2000年以降』(立岩[2022d])に収録した。
★16 関連する訳書に――いずれも原題はずいぶんと異なるのだが――『老いの医療――延命主義医療に代わるもの』(Callahan[1987=1990])、『自分らしく死ぬ――延命治療がゆがめるもの』(Callahan[2000=2006])。天田[2007-(6)]でこれらが紹介され、批判されている。Callahan[1992][1995]について有馬[2012:147,162]で検討されている。他にキャラハンについて論じたものに土井[2008]。
★17 このことは『ALS』(立岩[2004f])で、また清水哲郎の論を検討した「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」(立岩[2004e])でも述べている。この文章は『唯の生』(立岩[2009])に収録し、『良い死/唯の生』(立岩[2002c])に再録された。
殺すことと死なせること、死ぬにまかせることの差異・共通性に関連する文献、苦痛緩和の処置(良いこと)の(副次的)結果としての死(悪いこと)は許容されるといった「二重結果論」に関する文献はたくさんあるようであり、「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」(立岩[2004e])でも少しあげている。重複するものも含めいくつか列挙する。Rachels[1975=1988]、Beauchamp[1978=1988]、Rachels[1986=1991]、Molm[1989=1993]、Brock[1998]、山本[2003]、飯田[2008]。多くの論・論者の見解を検討した理論的な著作として有馬斉の『死ぬ権利はあるか――安楽死、尊厳死、自殺幇助の是非と命の価値』(有馬[2019])がある。別途検討する。
★18 「死はタブーとされてきた、だから/しかし、私が語る」と言って、幾度も幾度も同じことを繰り返して語るというその語りについて『生死の語り行い・2』(立岩[2017])で紹介している。
■■第4章・註
★01 言及されているベンサムの言葉は「The question is not, Can they reason? nor, Can they talk? but, Can they suffer?」。(第2版(1823)第17章脚注にあるという。日本語Bentham[1789=1967]ではこの章は訳されていない。(その本の出版前後のことについては土屋恵一郎[1983→2012:169ff.]。)
★02 アガンベンのこの書については、美馬達哉の『〈病〉のスペクタクル』(美馬[2007])、小松美彦の『生権力の歴史』(小松[2012])等でも言及されている。
『〈病〉のスペクタクル』はまず、SARS、インフルエンザ、ES細胞、等々、話題になった出来事がどのように話題になったのか、よく整理されていて、有益で、それだけでお役立ちの本なのだが(その後、COVID-19が流行し、それについては『感染症社会――アフターコロナの生政治』(美馬[2020])、これらの出来事を筆者がどのように捉えようとしているのか、この世をどのように見ようとしているのか、著者の「気持ち」はむしろこの本の最後、アガンベンの著作に言及しつつ書かれている「アウシュヴィッツの「回教徒」」とも題される「あとがきにかえて」にある。この部分をさきに読んだほうがよい。この世の肝心なことはこの辺りにあるはずだと、私も思う。(ちなみにシンガーの祖父母4人のうち3人は強制収容所で殺されており、しばしばそのことは彼が紹介される際に言及されるのだが、ここでも問題は、あの悲惨をどのように捉えるかである。)
「われわれはアガンベンを超えてさらに踏み出さねばならない。なぜなら、彼自身は、しばしばゾーエーの領域を、人間と動物の中間、あるいは動物に近い状態の人間として描いてしまっているために、この領域に内在している希望のモメントをとらえ損なっているからだ(『開かれ』平凡社)。そのペシミズムに抗して、われわれがアガンベンの議論を徹底化させることではっきりと主張したいのは、人間のゾーエーとは人間と動物の間に位置づけられるべきではなく、動物以下の存在として理解されなくてはならないという点である(少なくとも、本能的欲望のままに生きて自然=世界と予定調和的な関係を保つことのできる動物という意味では)。」(美馬[2007:255-256])
「一人の人間のゾーエーとしての〈生〉は、か弱く悲惨で、動植物以下でしかない。しかし、その弱さにもかかわらず人間のゾーエーの領域が存在するという事実そのものは次のことを証明している。すなわち、ゾーエーは決して孤独ではなく、ゾーエーをかけがえのない〈生〉として集合性において支える複数の人々の共生と協働と社会性がそこに実在するということを。
何のことはない。世界には人間が多すぎるので、ゾーエーを孤立させて惨めな死のなかに廃棄しようとする現代の政治的=医学的権力の怪物的で熱に浮かされたような企ては、少なくとも長い目で見れば、空しいものに終わるのだ。重度の意識障害患者の傍らで、有るか無しかの身体的変化の中にも〈生〉の徴候と歓びを読みとろうとする人々である友人、介護者、家族たちが存在する限りは。」(美馬[2007:256-257])
美馬と私は今は同じ職場の同僚ということになるが、その前、この本を巡って対談をしたことがある(美馬・立岩[2007]、全文をHPに掲載している)。
「僕は今大学院で大学院生たちと仕事をしているんだけども、ほんと言うと、この8章にある一つ一つのテーマについてもっと、美馬さんの本を読みながら、これの10倍ぐらい長いのを書いて、みんな一つ一つ博士論文書いてくれれば8つぐらい博士論文できるぞみたいなね。そんなことをまず一つ思いました。それってすごく当たり前の仕事のようなんだけれども、けっこうやってないんですよね。という意味で、まずここ10年とか、その間にどういうことが起こっちゃっているんだみたいなことを知るっていう、そういう意味があるんだろうなと思います。」
美馬の安楽死についての文章として、「生かさないことの現象学――安楽死をめぐって」(美馬[2006])。同じ著者によるその後の著書として、『脳のエシックス――脳神経倫理学入門』(美馬[2010])、『リスク化される身体――現代医学と統治のテクノロジー』(美馬[2012])、『感染症社会――アフターコロナの生政治』(美馬[2020])。
★03 『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(Derrida[2006=2014])。デリダが亡くなったのは2004年。その論を威勢よく紹介する本として『ジャック・デリダ 動物性の政治と倫理』(Llored[2013=2017])。
★04 「英語圏の文化やそこで発展している大学の知には二重の哲学伝統が疑う余地なく刻みこまれているのだが、この伝統によって、デリダの脱構築は動物の問いとの密接な関わりにおいて柔軟な仕方で熱心に受容された。〔二重の伝統とは、第一に〕ベンサムの功利主義であり、彼は動物の苦しみの問題をみずからの思考の中に書き込んだヨーロッパにおける最初の哲学者の一人である。そして、その現在の後継者としてピーター・シンガーがおり、…」(Llored[2013=2017:110-111])
★05 排斥して構築される権力、に対する抵抗であるところの脱構築、といった道筋のもとで、「無条件の歓待」(cf.Derrida[1997=1999])といったものは必然的に導出されるように思われる。すると、なにを無条件に歓待するのかという問いが現れる。すべて、と言いたいとしても、それは無理なことだ。
それでも言わねば、と思うことはある。「生の無条件の肯定」を野崎泰伸が言う。その博士論文に野崎[2007]、著書に『生を肯定する倫理へ――障害学の視点から』(野崎[2011])、『「共倒れ」社会を超えて――生の無条件の肯定へ!』(野崎[2015])。関連して野崎[2005]。
★06 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(立岩[2015])、『病者障害者の戦後――生政治史点描』(立岩[2018c])、等。『病者障害者の戦後』の「あとがき」より。
「「序」で当初考えていた題と副題が入れ代わることになったことを記した。「生政治」は副題の方に使われている。私は、生政治というものは、こういうふうに、つまり本書に記したように、凡庸に作動するものだと考えている。その凡庸な動きをひとつずつ、一度ずつは記述せねばならないと思って、結局ずいぶん長くなった本書を書いた。」(立岩[2018c:474])
種々の思想家における「生政治」を紹介し論じた本として『〈生政治〉の哲学』(金森修[2010])。
★07 「例外状態」とか「ホモ・サケル」の取り扱いについて、その方向にも幾つかあると思うが、私が本文に述べた方向のものの一つが稲葉振一郎の『「公共性」論』における捉え方。
「やや乱暴に言えば「例外状態」の脅威はつねにあり、「ホモ・サケル」と呼びうる人々は潜在的にはもちろん、顕在的、実際にさえしばしば存在している。しかしその出現はつねに避けがたいものではなく、政策的対応や制度改革、社会変革、あるいは技術革新によって回避可能な場合もあるのです。」(稲葉[2008:280])
★08 【】内は『私的所有論』第2版での追記。
「多くの宗教は外的な行為の形を指示し、また、そのことによって自らの同一性を保持する。つまり、なすべき行為となすべきでない行為を指示し、その遵守を求めることで例えば来世での幸福を約束する。キリスト教が当初その一分派であったところのユダヤ教はそうだった。キリスト教はそういった空間から離脱する、とは言えないとしても、それを屈曲させ、別の空間を提示する。キリスト教は罪が構成される場所を個体の内部に移行させ、内部(の罪)の発見を促す(吉本隆明[1978]、橋爪大三郎[1982])。ここに罪の主体としての人間が現われ、このことによって人はこの宗教の下に捉えられる。問うことによって内部という領域が現れるが、それはそれ自体としては当人にも不可視であり、それだけに内部にあると名指されるものを否定し難い。そこで、この場所が問題になるや、そこに諸個体はひきこまれてしまう。共通の主題へと導かれていく。【吉本[1978]に「親鸞論註」とともに収録された「喩としてのマルコ伝」は、後に吉本[1987]に収録された。)】
キリスト教はこのことによって普遍性を獲得した。第一に(発見されようとする限りでの)内部の存在の普遍性と、(同様に在るのではと疑われる限りでの)内面の罪の否定不可能性によって、あらゆる人間に対して効力を持つ(可能性を有する)という意味での普遍性。第二に、各人の身体を具体的に拘束する諸規範を必ずしも否定することなく、別の準位、しかも具体的な行為に対してメタの位置に立つ抽象的な準位としての内面に教義を定位させることにおいて獲得される、個別規範の具体性に対する普遍性。そしてこの逃れがたい罪を赦す神をここに置くことによって、キリスト教は普遍宗教たりえた。しかもこの教義は、(内面が個体の内面である限りにおいて)人間を集団として捉えるのではなく、個別の存在として取り出し、さらに――救いへの導きにおいて――個々別々に作用するものである。以上の二つの意味での「普遍性」と二つの意味での「個別性」は矛盾しない。あらゆる人間に作用し、また個別の規範に対して上位の位置に立つ、そして個々の人間を別々の存在として取り出し、またその個別の存在に作用する規範、の可能性が開かれたのである。
ただ、右記した構制は、パウロ(Paulo)、アウグスティヌス(Augustinus)といった人々の言説の水準においてはともかく、西欧世界に当初より存在していたわけではない。例えば刑罰の領域では、行為=統一体の損傷、制裁=その回復、といった観念が根強く存在する。ここからの転位は一二世紀後半から一三世紀前半にかけて現れる。行為の外形における違背→秩序回復の儀式としての制裁という観念が失われ始め、行為者が倫理的に非難されるようになる。この時期は…」([1997→2013a:419-421])
橋爪[1982]は橋爪大三郎の「性愛論――第1稿」(橋爪[1982])。学部生の時、私はそれを「青焼き」でもらった。それは後に『橋爪大三郎コレクションII 性空間論』(橋爪[1993])に収録された。橋爪が吉本について書いた本に『永遠の吉本隆明』(橋爪[2003])。
★09 以下は「道徳は殺人を止められるか?」(永井・小泉[1998])における永井均の発言。
「永井 善悪ということがはっきり言えなくなったので、やむを得ないから病だという形でとらえるということだと思うんです。病・病でない、健康・不健康みたいな対立のほうをまだ信じているんだと思うんです。これはニーチェもそうなんですね。ニーチェも、善悪を信じていないくせに、健康・不健康――そして病気は悪いという価値を信じているんですよ。ニーチェにはいろいろ欠陥があるんだけれども、それも大きな欠陥だとぼくは薄々感じているわけでそれはなぜかというと、病気という概念は善悪に依存するんじゃないかという、ある種の疑いがある。全面的かどうかわからないけれども、どこか非常に決定的なところで依存しないと成り立たないんじゃないかという疑いがあるわけです。純粋に生理学的な病気みたいなことが言えればいいんだけれども、それが成り立たないとすると、病気だったとか何とかいくら掘り下げていっても、それからは実は何もわからないことになるんですね。
それと関連するのですが、ニーチェには「道徳の系譜学」という議論があって、系譜学的研究というのをやるんだけれども、あれは実は何も明らかにしていないとも言えるんです。系譜学的探究というのは、いわば心理主義なんですよ。なぜそういう病気が発生したか、発生せぎるをえなかったかという話をしているんだけれども、あれをいくらやっても、なぜその病気が悪いのかということは一向に明らかにならない。ルサンチマンはなぜ悪いのかとか、ルサンチマンでなぜいけないのかとか、キリスト教道徳がなぜ悪いのかという、究極の根拠は与えられないんですよ。病気だか弱いとか卑賤であるとか、そういう悪口を言うだけなんですね。悪口の根拠はいったい何かということは、実は系譜学的研究からは出て来ない。それと同じことがあって、心理的な探究というのは結局のところ、事柄を細かく見ていけば細部にわたってわかっていくんだろうけと、それがだから何なのかということは究極的には何もわからないというところがあると、ぼくは思うんです。」(永井[2018:43-44])
★10 『私的所有論』では第6章「個体への政治」の第1節「主体化」の1が「二重予定説」(立岩[1997→2013:380-382])。
★11 『看護教育』で連載した「医療と社会ブックガイド」の第49回「死/生の本・5――『性の歴史』」(立岩[2005b])でこの本を紹介した。それは『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』(立岩[2017])に収録された。吉本とフーコーは対談をしたことがあって、それは『世界認識の方法』(吉本[1980])に収録されている。『私的所有論 第2版』には、ひとまず、「吉本とフーコーは後でかみあわない対談をしていて、吉本[1980]に収録されている。(印象のその記憶だけを辿れば、当時フランスその他で普通に受容されていたヘーゲル的なもの、その歴史観を一方で受けとめる人がおり、他方の人はそうしたものへの反発からものを書いてきたということがあったように思う。」(立岩[2013a:805])と書いた。誤解はないと思うが、吉本は前者。
★12 エリボンによる『ミシェル・フーコー伝』(Eribon[1989=1991])に書かれていたように思う。そのエリボンの自伝として『ランスへの帰郷』(Eribon[2009=2020])。
★13 『性の歴史』の第2巻・第3巻(Foucault[1984=1986][1984=1986])はそのように読まれる。
★14 そして、結局このことは既に『私的所有論』に書いたのだとも思った。図4・2という奇妙な図の解説として書いたことがそれを示す。「Aから切離されないものa2、Bの制御の対象としないものa2の存在が、Aが他者として在り享受されることの中核をなす」(立岩[1997→2013:221])。
★15 『最後の親鸞』は、『増補 最後の親鸞』(吉本[1981])に「永遠と現在」(吉本[200201])を加えたものがちくま学芸文庫(吉本[2002])になっている。
★16 『論註と喩』をあげたのは『私的所有論』でだった(→註08・◆頁)。その後、短い文章を一つ書いている(→註29・◆頁)。その後、本章に出てくる人たちにまとめて言及したのは最首悟の対談でのことになる。
高草木光一の企画した慶応義塾大学経済学部での連続講義が、『連続講義「いのち」から現代世界を考える』(高草木編[2009])、『思想としての「医学概論」』(高草木編[2013])の2冊になっている(後者に最首[2013]が収録されている)。その前者に、最首が話し(最首[2009])、私が話し、その後対談する(対論となっている、最首・立岩[2009])という形の講義の記録が収録されている。
最首は1936年生。東大闘争の時、助手共闘に参加。高草木は、大学闘争、その時期の社会運動に関心を持ち続けている人で、それで、最首など呼んだりする講義を行ない、そして本にしたりしている人だ。その2008年の講義の時、最首は人が殺す存在であることから考えを始めるべきであることを語った。私もそんなことを思ったことがないわけではないが、考えは進んでいなかったし、今も進んでいない。次のように述べた。
「最首さんが提起された「マイナスからゼロヘ」の過程をどう考えるかということと、思想の立て方としては違うはずなのですが、西洋思想のなかにも「罪」という観念があります。その「罪」は、まず基本的には、法あるいは掟に対する違背、違反です。法は神がつくったもので、具体的な律法に違反したら罪人であるという。それは律法主義です。ただキリスト教はそれに一捻り利かせていて、行為そのものでなく、行為を発動する内面を問題にすることによって、律法主義を変容させていく。
フーコーは、そういう系列の「罪」の与えられ方に対して一生抵抗した思想家だと私は思っています。ニーチェ、フーコーというラインは、そこでつながっています。自分ではどうにもならないものも含めて人に「悪意」を見出す、そしてそれを超越神による救済につなげる。つなげられてしまう。これが「ずるい」、と罪の思想に反抗した人たちは言うわけです。私はそれにはもっともなところがあると思います。そして同時に、その罪の思想においては、人以外であれば殺して食べることについては最初から「悪」の中には勘定されていない。そうした思想は、どこかなにか「外している」のかもしれません。
「悪人正機」という思想は、それと違うことを言っているように思います。では何を言っているのか。親鷲の思想にはまったく不案内ですが、いくらか気にはなっています。吉本の『論註と喩』という本(一九七八年、言叢社)は、マルコ伝についての論文が一つと親鸞についての論文が一つでできています。前者の下敷きになっているのはニーチェです。吉本とフーコーがそう違わない時期に独立に同じ方向の話をしている。そちらの論文に書いてあることは覚えていますが、親鸞の方はどうだったか。ずいぶん前に読んだはずですが、何が書いてあったのだろうと。二つが合わさったその本はどんな本だったのだろうなと。
そして去年(二〇〇七年)、横塚晃一さんの『母よ!殺すな』という本の再刊(生活書院刊)を手伝うことができましたが、彼の属していた「青い芝の会」の人たちは、しばらく茨城の山に籠っていた時期もありました。そこの大仏空(おさらぎあきら)という坊さんの影響もあるとも言えましょうが、悪人正機説がかなり濃厚に入っている。それをどう読むか、それも気にはなってきていることです。
「殺すこと」をどう考えるかは厄介です。否応なく殺して生きているということは、殺すことそれ自体がだめだということではないはずです。そして、ならば殺すのを少なくすればそれでよい、すくなくともそれだけでよいということでもないのでしょう。殺生を自覚し、反省し、控えるというのは、選良の思想のように思えますし、人間中心的な思想でもあります。最首さん御自身の「マイナスから始めよう」という案も含め、落とし穴がいくつもあるように思います。功利主義的な議論のなかでは、「殺すことがいけないのは苦痛を与えるからだ」という方向に議論がずれてしまう。だから、遺伝子組み換えで苦痛を感じない家畜をつくり出してそれを殺すのならば、少なくとも悪いことではないということになっていく。これはさすがに、多くの人が直観的におかしいと思うでしょう。
こうした問題は、それはどんな問題であるかは、これまであまり考えられてこなかったように思います。西洋思想の系列にはその種の議論がないか薄いように思います。それでも、ジャック・デリダ(Jacques Derrida,1930〜2004)とエリザベート・ルディネスコ(E1isabeth Roudinesco,1944〜)の対談集『来たるべき世界のために』のなかで、動物と人間の関係や、動物を殺すことについて少しだけ触れた箇所があります。ピーター・シンガーたちの動物の権利の主張について質間を差し向けられて、デリダはいちおう答えてはいますが、その答えの歯切れはよくないし、たいしたこと言ってないんじゃないかと。アガンベン(Giorgio Agamben,1942〜)には、西洋思想や宗教が動物と人間の境界をどう処理してきたのかという本(『開かれ――人間と動物』)もありますが、ざっと読んでみても、ああそうかとわかった気はしない。ただ、いま思想が乗っている台座を間うていけば、そんなあたりをどう考えるのかが大切なことのようにも思えます。どう考えたらよいのか、しょうじきよくわかりませんが。」(最首・立岩[2009]における立岩の発言)
それに対して最首は次のように応じている。
「いま、吉本隆明の「マチウ書試論」(『芸術的抵抗と挫折』未來杜、一九五九年、所収)にまたもどってきているというか、「絶対」と「憎悪」と〈いのち〉というと、問題意識を少し言えそうな気がします。」
横塚『母よ!殺すな』は1975年初版、増補版が81年。新版(第3版)が2007年、新版の増補版(第4版)が2009年(横塚[1975][1981][2007][2009])。私は新版の解説を書かせてもらっている(立岩[2007a])。
★17 以下がその続き。
「どんな自力の計いもすてよ、<知>よりも<愚>の方が、<善>よりも<悪>の方が弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく<愚>に近づくことは願いであった。愚者にとって<愚>はそれ自体であるが、知者にとって<愚>は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。」(吉本[1976→1987→2002:15])
「親鸞は、<知>の頂きを極めたところで、かぎりなく<非知>に近づいてゆく還相の<知>をしきりに説いているようにみえる。しかし<知>は、どんなに「そのまま」寂かに着地しても<無智>と合一できない。<知>にとって<無智>と合一することは最後の課題だが、どうしても<非知>と<無智>とのあいだには紙一重の、だが深い淵が横たわって居る。なぜならば<無智>を荷っている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念に理念によって近づこうとする存在からもっとも遠いから、じぶんではどんな<はからい>ももたない。かれは浄土に近づくために、絶対の他力を媒介として信ずるよりほかどんな手段ももっていない。これこそ本願他力の思想にとって究極の境涯でなければならない。しかし<無智>を荷った人々は、宗教がかんがえるほど宗教的な存在ではない。かれは本願他力の思想にとって、それ自体で究極のところに立っているかもしれないが、宗教に無縁な存在でもありうる。そのとき<無智>を荷った人たちは、浄土教の形成する世界像の外へはみ出してしまう。そうならば宗教をはみ出した人々に肉迫するのに、念仏一宗もまたその思想を、宗教の外にまで解体させなければならない。最後の親鸞はその課題を強いられたようにおもわれる。(吉本[1976→1987→2002:17-18])」
★18 『介助の仕事』では以下。「僕はまず日本の障害者運動っていうのが、一番重い人から、最重度の人を出発点にするんだっていってこれまでやってきたことっていうのは極めて重要なというか、偉大な立ち位置だったと思いますし、素晴らしいことだと思います。」(立岩[2021a:178])
★19 『介助の仕事』では以下。「これは第6章で、うまく関係を作れることが介助者を得られる条件になるのはおかしいと述べたこと(141頁)と関係しています。美しい話がこってりあったほうが説得力があるということはたしかにあるでしょうが、「話を盛ってるな」と思われて、かえって引かれてしまうこともあります。人間や人間関係の具体的なところとは別に、天から降ってきたものであるかのように道徳や倫理を語ることにも道理があるということです。」(立岩[2021a:205])
★20 その大仏空(おさらぎ・あきら)という人と茨城県にあった(今もある)その人の寺に住み、大空の話を聞いた人たちがやがて山を降りて「青い芝の会」の活動を新しくしていく。その経緯と、そして書かれたものと、真宗の教えとの関わりと差異が、頼尊恒信の『真宗学と障害学』に書かれている(頼尊[2015:103ff.])。
動物倫理についての本で親鸞・悪人正機説にふれられているものとして見つけたのは『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』(浅野幸治[2021])。
「とにかく、殺生をする悪人は往生する、というのです。ということは、殺生をしてもかまわないということになりそうです。はたして、悪人正機説は、殺生を許可するのでしようか。悪人正機説の意義は、その社会的文脈の中で理解する必要があります。「下類」という言葉に注意してください。親鸞の当時、猟師は不殺生戒を犯して生き物を屠るということで差別されがちでした。悪人正機説は、そういう人に救いの手を差しのべるものと一般に解釈されます。ですから、反差別という点に、悪人正機説の大きな意義があるのです。
これは、動物権利論の観点から、どう評価できるでしょうか。動物権利論によれば、人間の生命権と他の動物の生命権が両立しない場合、人間の生命権を優先することが容認されます。少し考えてみましよう。土地は有限です。土地は良い土地から占有されていきます。ということは、人口が十分に多い場合、一部の人は土地からあぶれます。良い土地から排除されるわけです。例えば、極寒の地です。そういう所では、植物が十分に育ちません。ですから、必要な栄養源として動物に頼らぎるをえないでしょう。日本でも同様です、山間部に僅かな農地しかもっていなければ、そこで生産される米や野菜だけでは生きていくことができません。そういう場合、動物を殺して食料を補わざるをえないと思われます。ですから、農耕によって生計を立てることができない人が動物を殺して食べることを、権利論は許容します。
このように考えられるので、動物権利論から見て、殺生が必ずしも往生の妨げにならないという親鸞の教えは適切なものと評価できます。では、殺生が往生の妨げにならないからといってドンドン殺生してよいということになるでしょうか。なりません。そういう勘違いを「本願ぼこり」と呼びます。」(浅野[2021:171-172])
★21 『造反有理』序の冒頭より。
「本書で見ていくのは精神医療を巡ってかつてあって不毛のまま終息したとされる争いである。造反者が現われ、消耗な対立があった、学問的にも空白の時期だったと言われる。そしてその造反(派)は消滅してしまったとされる。世界的にもそんなことが言われることがあるが、日本ではまた別の要因も加わってそう言われる。それは違うと私は考える。造反は有理であったことを述べる。それは「精神」のことについて書くべき一番目にも二番目にも大切なことではないだろう。だが一定の意味があると思う。」(立岩[2013b:9])
★22 フェミニズムのその時の問題は、一つに、殺生の問題としてあった。それは、産む/産まないは女の権利であるとは言った。しかし、そうほめられたことでもないとも思っていた。はっきりと主張した。だが同時に、割り切れているものではなかった。
田中美津(1943〜)、さらに遡ると、森崎和江(1927〜2022)といった人たちがいる。田中は日本での「ウーマン・リブ」の始まりに関わった。(「リブ新宿センター」について『私的所有論』第9章註9、立岩[1997→2013a:715-716]。)その人は『いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』で、「肯定でも否定でもなく冷厳な事実として言うのだが、人間とは、他人の痛みなら三年でもガマンできる生きものなのだ。」(田中[1972→2004:166-168]▽「他人の痛みなら三年でもガマンできる」に傍点▽)とも言う。森崎には『非所有の所有』(森崎[1963])という著書がある。名をあげればこれらの人たちの書いたものが、本書第3章(◆頁)での、遡れば『私的所有論』の第5章「線引き問題という問題」(立岩[1997→2013a:299ff.])、とくにその第1節「はじまりという境界」・第3節「他者が現われるという経験」での、「始まり」「現われ」についての記述のもとになっている。作品社の「日本の名随筆」77の『産』(森崎編[1989])が森崎の編で、そこに森崎の「産むこと」(森崎[1988])が収録されている。ちなみに、私の最初の本の題を考えていた時に想起したのは、この本と、ガブリエル・マルセルの『存在と所有』(Marcel[1935=1976])だった。
『生命学に何ができるか』(森岡正博[2001])がこの人(たち)、この時期(以来)の思想から受け取れるものを示している。ただそこから『無痛文明論』(森岡[2003])に行かねばならなかったかというと、私はそうは思わない。拙著では『良い死』(立岩[2008b])第3章「犠牲と不足について」がこのことに関連している。「女の解放とは殉死を良しとする心の構造からの解放だ」(田中[1972→2004:351])。
★23 『不如意の身体』の第5章「三つについて・ほんの幾つか」より。
「一つ、表に出すことになる時に、その仕方を吟味することができる。かつて『良い死』でとりあげたのは、ユージン・スミスが撮った、胎児性水俣病の子とその子を抱く母の写真の使用を巡ってあったできごとだった(立岩[2008b:227-230→2022c:◆])。他にも、先天性四肢障害児の写真のことが議論されたことがあった。例えば、原発を許すのであれば、こんな不幸なことが起こるかもしれないことが示されるというのだが、それは指が一本少ないとかそういったことだ。それはこんなに不幸なことで、ゆえに、直視し、語り合い、慰めたりするようなことであるのかである。」(立岩[2018b:132])
ユージン・スミスの写真に関わる註は『良い死』第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」の以下に引用する部分の末尾に付した註25。例えば水俣病に関わる(ジョニー・デップが出たほうのではなく)土本典昭の映画のことを想起している。
「その人たちは、人が生きることができないことがあったり苦痛のもとに置かれていることを指弾してきた。その状態がよいと思ったのではまったくない。行動は悲惨から始まった。だが、その後起こったこと、起こらざるをえなかったことは、その人たちと暮らしていったりすることだった。暮らしはしないとしても、支援やらなにやらの関係で、その人に面することになった。その人が亡くなっていく過程につきあったり、あるいは生きていく過程につきあってきた。すると、いくらかは異なってもくる。その人たちを苦しめたことについて、その人たちの暮らしを困難にしたことについて、そのことを責めてはいると同時に、その人を肯定はしている。その批判・指弾は、その人が生きることを否定しない。すると、その悲惨をそのままに使うのは間違っていると思うことになる。」(立岩[2008b:176-177→2022c:◆)
★24 「玉砕する狂人といわれようと――自己を見つめるノンセクト・ラジカルの立場」(最首[1969])という気負った文章があり、同年の雑誌『現代の眼』(3月号)での「知性はわれわれに進撃を命ずる」という気負った題をつけられた座談会(最首他[1969])での発言が吉本に批判されて最首はへこんだりする。
「私は、一九六九年に、当時教祖的存在だった吉本隆明から「この東大助手には、〈思想〉も〈実践〉も判っちゃいないのです」〔吉本隆明「情況への発言」、『試行』二七号、一九六九年三月、一〇頁〕というご託宣を受け、落ち込みましたし、考え込みました。「わかっちゃいない」と言われれば、「わかりたい」と思います。しかし「わからない」まま時間は過ぎてゆく。努力していないと言われるとそれまでです。しかし、密かに大きくなっていった意識は、「思想も実践もわかったらどうするのだ」ということでした。」(最首[2013:287])
「ご託宣」のことは、『図書新聞』の吉本追悼特集に最首が寄せた文章(最首[2012])でも言及されている。そして吉本の文章(吉本[1969])は、吉本の同じ題の本『情況への発言』(吉本[1968])には、それは68年に出されたのだから当然だが、収録されておらず、『遺書』(吉本[1998])に収録されている。また『「情況への発言」全集成1』(吉本[2008])に収録されている。
そんなこんなで最首はしばらく文章が書けなくなる。水俣の調査団には関わっていて、84年に『生あるものは皆この海に染まり』(最首[1984])が刊行される。その前、76年に星子(せいこ)が生まれる。ダウン症の子だった。その後に書いた文章をまとめたのが『星子が居る』(最首[1998])。
(1970年代のはじめ)「必然的に書く言葉がなくなった。[…]そこへ星子がやってきた。そのことをめぐって私はふたたび書くことを始めたのだが、そして以後書くものはすべて星子をめぐってのことであり、そうなってしまうのはある種の喜びからで、呉智英氏はその事態をさして、智恵遅れの子をもって喜んでいる戦後もっとも気色の悪い病的な知識人と評した。[…]本質というか根本というか、奥深いところで、星子のような存在はマイナスなのだ、マイナスはマイナスとしなければ欺瞞はとめどなく広がる、という、いわゆる硬派の批判なのだと思う。」(最首[1997→1998:369-370])
こうして最首は節目節目で批判を受けながら、結局は文章を書き続けていくことになる。私はこの部分を、第1章でも紹介した、そして加筆のうえ『不如意の身体』に収録した、「ないにこしたことはない、か・1」(立岩[2002b])でも引いている。その前には「他者がいることについての本」で引用した。
「この「硬派の批判」に応え、言い返すことは、そんなに簡単なことではないと私は思う。どう言えるのか。気になる人は、硬派の人であっても、あるいは硬派の人に言い返したい人であっても、どちらでもよい。この本を読んでみたらよいと思う。」(立岩[1999])
★25 なにか立派な存在である必要はないのだというところを「もと」に置くというのはよいと考える(→註29・◆頁)。しかし同時に私は、社会を構想していくに際して、吉本の道具立てが使えると考えているわけではない(→註28・◆頁)。
★26 実際、その人が受けたのは、なにかが展開していく過程――それにもよくわからない部分がある――を描いたことによってだった。吉本が主宰した同人誌『試行』あるいは別種の媒体に、吉本の論を下敷きにした「○○幻想論」といった類いの長い続きものの文章がたくさん書かれ、その雑誌ほかにも掲載された。発達心理学的なものであるとか哲学者のものであるとか、比較的容易に入手できる文献をいくつか集めると論を組み立てることができるということもあって、書けてしまうというところもあっただろう。それらのみながおもしろいものであったということはなかったと思う。
★27 規範的なことを語る時に、その基準・目標になにかを置くこと自体は、当然のことではある。それを「疎外」される前のなにかしらのものとして描くこともあるだろう。ただそれは、人間像、それも具体的な人間像として示されねばならないわけではない。やはり文庫として刊行してもらうことを願っている『自由の平等』の第3章の註01に次のように記した。
「しばらく前に終止してしまったかのような諸思想について、それらが何だったのか、どんな論理の構造になっていたのか、何を巡って対立したのか、再検討する必要があると思う(序章注15)。(疎外論/物象化論という対立については廣松[1972][1981]等、田上[2000]、他。なお本節と本書の何箇所かは立岩[1997]を論じた三村[2003]への応答でもある。)また、本文に記したのは現実が変わると意識が変わるという一つの線だが、むろんそれだけが想定されたのではない。両者の間の幾度もの往復が、希望とともに、描かれたのだった。それはたしかに空想的だと思える。しかし、人もまた変わっていくはずであると考えるのは、人はこんなものだろうというところから議論しそこに留まってしまうのと比べて、少なくとも論理的に誤っているということはない。人はどのように変わっていくかわからないのだと、だから「代替案」を示せという脅迫に「誰にも予見できない未来」(西川[2002:112,138-139])を対置することは正しいのだし、論と現実を先の方まで進めていこうとする力に対してリベラリズムが反動として作用することに苛立つ人がいる(Zizek[2001=2002])のも当然なのである。」(立岩[2004a:319])
なお、私は「疎外論」に対置されるものが「物象化論」――それは本章であまり肯定的に紹介してこなかった範疇化と支配等々を結びつける議論(→註05・07)に似ている――であるとは、ずっと以前、大学生を始めた頃にはそんなことなのだろうかと思っていたこともあったが、その後は、考えてはいない。
★28 富士学園労働組合主催で、小金井公会堂で行われた講演が「障害者問題と心的現象論」(吉本[1979a])。3カ月後に刊行された『季刊福祉労働』(現代書館)の第3号に掲載された(吉本[1979b])。私は長くまったく知らなかったが、『心とは何か――心的現象論入門』(吉本[2001])にも収録された。そしてその音源が販売されていて、聞くことができる。私が富士学園にいっとき少し関わりがあったことについて、『そよ風のように街に出よう』に11年間連載させていただいた「もらったものについて」の初回に記している。
「時間を七九年・八〇年に戻す。教養学部の時、私は『黄河沙』というミニコミ誌を作る「時代錯誤社」というサークルにいて、今はつぶされてなくなってしまった駒場寮という汚い建物で雑誌を作っていた。ジョン・レノンが撃たれて死んだニュースはそこで聞いた。そのサークル自体はとくに「政治的」な傾きのあるところではなかったのだが、それでもいろいろに首を突っ込んでいる人もいた。さっき名前を出した人たちが出入りしていたし、そういう人たちとつきあいのある人たちが作ったサークルだった。私が学校に入る前年に創刊号が出た。今でもまだこの雑誌は続いているらしい。そのサークルが学園祭で講演会の企画を立てた。一つは政治家になってまもない、まだそう知られていない時期の管直人の講演会。私はそちらにはほとんど関わらず、もう一つの方の担当になった。
東京の国立市に「富士学園」という小さな施設があって、その施設はある資産家が自分の子どものために作ったということだったが、どういう理由であったのか、たたんでしまうということになり、それでは入所者はどうなるんだということでそこに務めていた池田智恵子さんという職員が一人残って存続のために活動し、しかし経営者から金は払ってもらえないので、支援者たちが廃品回収などして金を稼いでいたりしていた。その池田さんたちを呼んで何かしようということになったのだ。たしか、さきに名前をあげた、今は死んでいない高橋秀年がそこにも出入りしていて、彼はそのサークルのメンバーではなかったのだが、私たちの幾人かと親しく、そんなこんなで企画が決まったはずである。私は知識もなにもなかったから、とにかく、そこに行ってみなければならないということになって、それで行った。
そこに暮らしている人は三人だった。そして池田さんがいて、その他の人たちが出たり入ったりといった具合だった。その頃のことその後のことについては池田さんの著書『保母と重度障害者施設――富士学園の三〇〇〇日』(池田[1994])に書かれている。[…]。交渉はなかなかうまくいかず、金はなく、厳しい状態ではあったのだが、そこはおもしろいところだった。その学園祭での講演会――そのもののことはあまり覚えていない――の前と後、ときどき出かけ、おもに日曜、国立の近所を軽トラックでまわって廃品回収をする仕事を手伝ったりした。そうして回収して置いてあるものの中から、いくらかを所望し、いただくこともあった。例えば『情況』などという雑誌のバックナンバーをそうしてもらってきた。そして食事をみなとした。三人のうちの一人は「みみ」君と呼ばれていた若い男性だったが、言葉なく、ぐるぐるまわったり、ときに土を食べてしまったりする人であり、「わからん」人であった。ただ、その極小の不定形な場にその人はいて、「これはあり」であると思えた。その確信というか、現実というか、みなが「これでよし」と思っていたと思う。後に「他者」などどいう言葉を聞くようになったりあるいは自ら言ってしまうようになったりした時、この人のことを思い起こすことがある。やがてその人は、夜中建物を抜け出し、中央線の線路まで行き、夜中に通過する貨物列車にぶつかって死んでしまい、そんなことがあったりもしたので、池田さん(たち)は残る二人をうまく暮らせていけそうなところに移れるようにして、そこでこの施設は終わりになったのだった。」(立岩[2007-2017(1)]、この頃のことは安積遊歩との対談の本(安積・立岩[2022]でも話している)
吉本はこの講演で障害者差別は「最後まで残る」難しいものだと語っている。同じことは同じ本に収録されている別の講演「身体論をめぐって」(吉本[1985])でも述べている。ただその話を聞いていると(読んでいると)そんなに深淵なことが語られているわけではない。
「現在の段階でそれを解こうとすれば、たった一つの考え方しかないんです。例えば、ある人がある日に片腕をなくしたとします。その人の身体は、マルクスの労働価値説では行動と身体ということであるわけですから、行動と身体だけで価値をかんがえたとして、そういう人はどう遇されていくかとかんがえると、考え方としては一つしかありません。その日からその人が死ぬまで、完全なる、不自由じゃない手があったとして働いただけの価値を想定します。それから手がなくて働いたものを引いた分を既得権としてその人は持っているとかんがえる以外に、今のところ完全な解決の仕方、論理はないだろうとぼくは考えます。」(吉本[1985→2001:155])
いわゆる逸失利益(分を支給する)という計算の方法をとる必要はないと思うが、この程度のことですむということであれば、そう難しいことであると私には思われない。それを難しいことのように思うことと、吉本における「原像」がどういうものであったのは関係しているように思う。
★29 『文藝別冊 総特集 吉本隆明』に収録された「世界の肯定の仕方」(立岩[2004c])。その冒頭が以下。
「しばらく「政治哲学」の人たちが書いているものをすこし読んだ。リベラリズムだとかコミュニタリアリズムだとか様々な立場があり、大きな話から具体的な主題まで、ここ数十年をとっても夥しい言説の蓄積がある。そしてなかなかもっともなことも言われていて、なるほどと思うことがある。他方、この国でどんなことが言われてきたかを思うと、論理の詰めが甘い、というより論理がないことが多いから、それに比べるとよいと思う。それである程度感心しながら読んだ。しかし違和感を感ずることがあった。前から思ってきたことなのだが、やはりあらためてそう思った。
そしてそんなことを思う時、ときどきこんなではなかったような気がする人として想起したのは吉本だった。何を読んでそう思ったのか、たしかな記憶もないのだが、しかし、たしかに異なっていると思い、そして彼の方が正しいと私は思った。彼には、何かに、例えば政治に参画したり、あるいは何かを、例えば自分自身を自らで作り出していくことが、それはときに必要であったり、ときにそれを人は求めてしまったりすることがあるとしても、それ自体として価値があるわけではないという、冷静な認識があると思う。また、そんな「積極的」な契機が人に含まれてなくても、それはそれでよいではないかという見方があると思う。」
「政治哲学」の人たちが書いているものをすこし読んで、同じ頃に出版されたのが『自由の平等』。その本から以下を「世界の肯定の仕方」に引用している。
「私たちとしては、労働も政治活動も特別に価値のあることでなく、しかし双方とも参画するのはときに楽しいこともありまた必要でもあるという、そしてこの意味でもこの二つの間に優劣はないという、だから丸山真男の言うことはわかるがその立ち位置はわからない、アレントは立派なのだろうけれどやはりわからないところがあると言ってしまいたいという、単純な所から発してはいけないのかと考えてもよいと思う。」(立岩[2004a:289])
そして『人間の条件』より。
「突然だが、「民主主義」が大切な理由は、一つに、そういうことにある。ものごとをみなで決めるといったことは、だいたい手間もかかり面倒なことであり、そんなに楽しくはないことだ(と私は思う)。代わりに自分が決めてあげたいという人がいたら、そしてその人がうまくことを決め、ことをうまく運んでくれれば、そんな人にまかせておけばよいと思う。けれどもそうしてその人にまかせてしまったら、たぶん、その人は自分の都合のよいようにしてしまうだろう。それは自分たちにとってよいことではない。だから民主主義の方がよい。簡単に言うとそういうことだと思う。
さきと同じように、やはり、自分たちが自分たちのことを決めること、それそのものがよいことだという考え方もある。たぶんそうだろうとは思う。ただたとえば、この世のことは神様がみな定めたのだという考え方と、自分たちが決めるのだという考え方と、後者の方が絶対に正しいということを証明するのはけっこう難しいことではないかと私は思う。
他方、人々のためということであれ、あるいは神様が決めたことを解釈し実行するのだということであれ、誰かにまかせておくと結果としてうまくいかないことが多いことは、多くの人たちが多くの時代に経験してきた。そこで、面倒なことではあるが、自分たちのことは自分たちで決めようということになる。私もそのほうがよいだろうと思う。
しかし、ここでも同じことを繰り返すが、面倒なことをせずにすむのであれば、もっとよいとも言える。政治に関心がないこと参加しようとしないことそのものが、なにかいけないことであるように言う人たちがいる。私はそんなふうには考えない。たしかに安心して他人たちに任せておくとひどいことになることがあるから、気をつけた方がよい、関心をもった方がよいというのはもっともだ。しかしもっとよいのは、毎日なにかを決めたり、決めるために時間をかけて議論をしたり、誰を代理者あるいは代表者とするかを考えたりすることが、なくすことはできないだろうけれども、少なくなることではないだろうか。ここでも私たちは、仕方なく大切なことと、そのものが大切なことと、どちらなのだろうと考えてみたらよいと思う。政治(を自分たちで行なうこと)は仕方なく大切なことなのだろうか、もともと大切なことなのだろうか。まじめな人たちは後者だと言いたいようなのだが、前者だと考えてもよいように思う。」(立岩[2010→2018])
★30 『税を直す』(立岩・村上・橋口[2009])等々の書籍を第1章の註06(◆頁)であげた。
★31 死にたい人たち、を手伝いたい人たちのことについては、『介助の仕事』(立岩[2021a])の第9章「こんな時だから言う、また言う」でも述べている。
★32 私が少し関心があるのは科学批判(→註21・◆頁)との関係でどんなことが言われたかだ。人間と人間でないものという境界が問われるなら、あるいはその問いと別に、生物と生物でないものとの境界も問われることになるだろう。そして定義によるが、生物は作ることができるともされるし、実際そんなことが様々に行なわれている。たくさんの文献があるはずだが、ずっと以前に柴谷篤弘の『生物学の革命』(柴谷[1960]、改訂版が柴谷[1970])があり、その人が『反科学論』(柴谷[1973])以降の一連の著作を発表していくといったことがある。この時期の科学論を検証する作業はまだ十分になされていないと思う。柴谷への言及も少し(だけ)ある岩崎秀雄『〈生命〉とは何だろうか』(岩崎[2013])をあげておく。
★33 『私的所有論』の第9章の第6節が「積極的優生」。以下のように問いを立てた。
「第一点。私が私をよくする。私があなたをよくする。両者の間にある違いはこの主語の違いだけである。しかも後者の場合に、私はあなたの「最善の利益」(だけ)を考慮してよくするのだとしよう。ならば同じではないか。第二点。また、生まれた後、私はあなたをしつける、学校に行かせる等々、いくらでも行うことがあるではないか。こうやって生まれた後に何かさせるのと、積極的優生によって生まれる前に与えることと、違いは、生まれた後、生まれる前、それだけではないか。第三点。しかも、消極的優生とは異なり、積極的優生は生きさせる行いであるから、存在の消去が絡む消極的優生の場面とは異なり、より「倫理的」な問題は少ないはずだ。以上について、考え、答える。」(立岩[1997→2013:690])。
そしていちおうは答えた。
★34 私は、シンガーの「(障害は)ないにこしたことはない」という趣旨の論文を紹介・検討して「ないにこしたことはない、か・1」(立岩[2002b])を書いた。その後、いくらかを足して『不如意の身体』(立岩[2018b])に収録した。それからでも20年は経った後、その人が同じことを言い、言い返されて、驚いているのに驚いた。
テイラーの本を読むと、シンガーがよい人であることがわかり、そして変わりがないことがわかる。つまり、この人は30年間は同じ話をしているということになる。そして、著者がなおりたいとは思わないと言うと、シンガーは仰天している。ずっとそのように思って書いてきたのかと思い、そのことにあらためて驚いた。
私は、なおろうと思ってわるいことはないと思う。負荷が少なくなおることもよいとしよう。しかしそれは、なおらないなら死なせることをよしとすることではまったくない。
「二〇一二年にシンガーがバークレーを訪れた際、私は彼と直接出会う機会を得た。子どもの頃に憧れていた人物と面を向かって話をするのは、アンビバレントな経験だった。とりわけ彼は非常に親切で楽しく対話する術を心得ている人だったからだ。ジョンソンでさえ、立場上の違いとは裏腹にシンガーのことが気に入ったと語ったほどだ。
[…]会話がかなりつづいてから、わたしはついに、長年彼に聞いてみたかった質問を投じた――ピーター・シンガーは、障害が社会と個人に及ぼす肯定的効果が少しでもあると考えてるのか?[…]
わたしの質問に興味をそそそられた様子のシンガーは、こう答えた――自分の考えでは、一個人の次元で、あらゆる人は克服すべき障害が必要であり、こうして難題に立ち向かうことが人格を高め、満足感を与えることもあると。そしてもしかすると、障害のなかにはこのようにして充足感を与えるものものあるかもしれないと。けれどもシンガーは、障害が社会一般に及ぼす肯定的効果にかんしては、認めるのにより消極的だった。[…]
「あなたやあなたの子どもの障害を治癒する、たった二ドルで副作用も皆無であることが保証された錠剤を誰かがくれるとしても、あなたはそれを飲まないということですか」、と。[…]「さて、どうでしょうか。親のほとんどはその錠剤を使いたがるでしょうけど、大部分の障害者自身は使わないと思いますよ」。わたしは自信たっぷりに答えた。/「ということは、あなたは使わないんですか?」明らかにシンガーは仰天していた。」(Taylor[2017=223-226])
★35 日本では原子力発電と障害児が生まれることがつなげられた時にこのことが議論された。『不如意の身体――病障害とある社会』に再録した「ないにこしたことはない、か・1」(立岩[2002b])で文献をあげ、私の考えを述べた。
■■[拾遺]関係から
▼0808
※「序」とその註で本書の成り立ちについて説明した。『唯の生』の第1章が本書のもとになっていて、そこでは加藤秀一の本を紹介する検討する部分があった。当初は、その部分を本書に組み入れようとして、かなりいろいろとを手をいれたりしたのではあるが、結局あきらめることにした(◆頁)。本書での議論にとっては必須ではなく、話を進めるに際しては、話がすぐに直接につながっていった方がよいように思ったからだ。しかし、もったいないと思った。せっかく書いてみたのだしということもあるが、知ってほしいこと、なにかを考えたり言ったりするにわかってほしいと思うことがここにいくつあると思ったことによる。
例えば、「原理」からものを言っていくとなにか窮屈であるように思って、「関係」をもってくる人がいる。関係はたしかにそここに存在するのだから、それを言うこと自体が間違っているというわけではないだろう。しかし、その行ないがどういうことなのか、なにをもたらすのかといったはわかっておいた方がよいだろう。
また例えば、これは加藤がというより、私が加藤にも話してもらった日本社会学会の企画のことにかこつけて書いていることなのだが、「構築」を言ってまわることについても、それがどんなことであるかをわかっていた方がよいということだ。この動物は食べるためのものだとか、食べてならないものだとか、誰かたちに、社会に思いこまされているという話がよくなされる。やはりしてならないというわけではない。だだ、それを言うことでどこまでのことが言えるのかについて、社会学者や社会学者はもう少し敏感に少し慎重になるべきだということだ。たぶん、この時の大会の企画にも関係してその学会の学会誌『社会学評論』に書いた文章に「社会的――言葉の誤用について」(立岩[2004g])。『希望について』(立岩[2006a])に再録した。
ということで収録する。そのもとになった『唯の生』の第1章の全部は、序でも紹介したように(◆頁)、HPに公開する『人命の特別を言わず*言う 補註』(立岩[2022b])で読むことができる。▲
■1 〈誰か〉への呼びかけ
第1章では個人の性能から生死を正当化しよという議論を批判した。もう一つ、その存在に向かい合う側、あるいは二者の関係からこのことを考えていこうとする議論がある。その中で、関係から考えていくことの難しさをわかりながら論を進めようとする人の著作として『〈個〉からはじめる生命論』(加藤[2007])を取り上げる★01。
この本で加藤秀一が取り組んだ新しい主題は「ロングフル・ライフ訴訟」、すなわち「重篤な先天的障害をもって生まれた人が、その苦痛に満ちた生そのものを損害であるとして、親に中絶することを促さなかった医師に損害を請求する」([20]、◆頁まで著者・年を略したのは加藤[2007])訴訟だ。第2章で論じられる★02。だがここでは、第1章「胎児や脳死者は人と呼べるのか――生命倫理のリミット」を見る。
加藤の著書としてはまず『性現象論――差異とセクシュアリティの社会学』(加藤[1998])を読まなければならないのだが、今回の主題につながるものとしては、それ以前、一九九一年の論文があり、それを改稿した「女性の自己決定権の擁護」がある(加藤[1991→1996])★03。今度の本はそれらに加藤が書いたことの反復という以上のものになっている。
人工妊娠中絶の是非をめぐる議論が続けられてきたのだが、加藤は、一貫して女性の決定を擁護する論を展開してきた、あるいは、模索してきた。そこで加藤が指摘したのはまず、「線引き」は常に行なわれており、不可避であり、例えば受精以後を「人」とすることもまた一つの線引きであることだった。それはその通りだ。
そのことと、この本で加藤が「生命」という言葉を議論の前提として置かず批判的な検討の対象にしていることとはむろんつながっている。尊重すべきものがあるとして、それはプロライフ派(実質的には中絶禁止を主張する人たち)の言う「生命」の尊重ではないだろうというのだ。
では、代わりに何をもってくるのか。見てきたように、生命を奪ってよい存在/よくない存在の境界、関連して(関連させて)動物/人間の境界についていろいろを述べてきた人たちがいる。加藤も――日本での優生保護法他をめぐる議論を振り返った後――マイケル・トゥーリー、そして第1章で取り上げたピーター・シンガーの論を紹介して、検討する★04。その上で、その人たちの主張は受け入れられないとする。
つまり加藤は、線引きを認めた上で、上述したような人々の線の引き方は認めないと言う。では代わりに何を言うのか。結論は序章に書かれてもいる。
▽もしこの世界が生命で充ち満ちていて、しかしあなたや私のように人称で呼びかけられる存在者たちがいなかったら、わたしはいったい〈誰〉のために考えればよいのだろう。倫理にとって重要なのは「生命」でも「いのち」でもない。そうではなくて、私たちが互いに呼びかけるとき、あるいは呼びかけようとするときに、その呼びかけが差し向けられるべき点としての〈誰か〉であり、そのような〈誰かが生きている〉という事実こそが、守るに値する唯一のものなのだ。([28])△
また次のような表現。
▽「それに向かって呼びかけることが無意味ではないような対象すなわち〈誰か〉」([42])「たとえ生命があっても、それが私たちにとって呼びかけの対象たりうる〈誰か〉でないのなら、そもそも倫理の問いが立ち上がることさえないだろう。」([44])△
大切なことを言っているように思い、直感的によくわかる気がする。しかし、すこし考え始めると、それほどよくはわからない。〈誰か〉はどんな誰かなのか。例えば次のように書かれる。
▽誰かが眼前の脳死者を単なる「物=脳死体」以上の「者=脳死者」と感じるなら、それによってその脳死者には倫理的配慮を受けるに値する〈誰か〉である可能性が開かれる。それ以外には、人格であることや、生命をもつことさえ、倫理的配慮の対象にとっての必須の条件ではない。([64])△
まず「単なる物以上」のものであることはわかった。そして「人格であることや、生命をもつこと」は条件ではないとされる。それもわかった。生命をもたない存在の生命は尊重しようがないとも思われようが、ここでは生殺の是非でなく「倫理的配慮」の有無が問題になっているから、生きていることは必須ではない。
〈誰か〉が以上のもので(必ずしも)ないことはわかったとして、ではその上で、〈誰か〉とはどんな誰かか。
ここまででも幾度も「呼びかける」という語が使われた。もちろんこのことが大切なのである。
すると、呼びかける相手がすなわち〈誰か〉なのか、相手が〈誰か〉であるから呼びかけるのか。呼びかけられないものは〈誰か〉でないのか。呼びかけられても応えないものは〈誰か〉なのか、そうでないのか。最後の問いから。
加藤は倫理学者・大庭健の『自分であるとはどんなことか』(大庭[1997])での論を紹介し検討するところで次のように記す。
▽いま私たちが思い浮かべているのは、ふつうの意味での「呼応」に参加することがもはや不可能な、いわば人間同士の相互関係の辺縁に位置する存在者たち、すなわち、呼びかけられてもそれに応じる声をもたない胎児や、重度の知的障害を負った新生児たちなのである。(加藤[2007:61])△
そして大庭は次のように述べていると言う。「外側からはわからないような何らかの経験が生じていることは十分にありうる。《したがって》、と大庭はつづける。意識なき身体とのかかわりや、ひいては死者とのかかわりは無意味だということにはならないし、いわんや意識を喪失した身体は人格性なき物体、つまり任意に処理可能な物件にすぎないなどということにはならない。」。しかし「大庭の論理に従えば、いかなる意味でもそこにおいて「なんの経験も生じていない」ような相手であるならば、その相手とのかかわりは「無意味」だということになる」([62])
▽私たちは、私たちがそれに向かって呼びかけることが意味をもつような〈誰か〉を指し示すのに、どうしてその相手が一人称の「わたし」としての経験をもつことを資格要件としなければならないのだろうか。([63])★05△
そして、さきに引用した「誰かが眼前の脳死者…」という文章につながっていく。つまり、加藤は、呼びかけるが応えがないその相手もまた〈誰か〉であると言う。つまり加藤によれば、人が(〈誰か〉として)呼びかける相手が〈誰か〉だということになる。思う側・呼びかけ(たり、呼びかけなかったりす)る側に選別が委ねられるようだ。
ただ、加藤はこの種の論――「倫理的問題をもっぱら人々のあいだの関係性から考える「関係者主義的立場」」([65])――につきまとう危険性を承知しているから、二つのことを言う。
まず一つ。「関係性を考慮すべきだということは、関係性だけによってすべてを決めるべきだということを意味しない。[…]単なる見た目の印象だけではなく、死についての一般常識や脳死状態に関する医学的知識もまた考慮されるべきである。そうしたさまざまな情報の有無や理解度によって、ある人の脳死者に対する感じ方が変わることは当然ありうる。」([65-66])
もう一つ。「〈誰か〉であるための資格要件は、具体的な他者から愛されているか否かといった高すぎる基準によって測られるものである必要はない。」([66])
さてこれでよいか。
□2 関係主義の困難
誰かが(例えば私が)「呼びかける」その相手が〈誰か〉であり、その生存を奪ってならない存在だと、加藤は言う。
(1)すると、相手を思ったり思わなかったりする人の恣意に、その相手の運命を委ねることになるのではないかという疑問が生ずる。
その疑問に加藤は答えているのだった。その部分をさきに引用した。〈誰か〉であるかないかは好き嫌いといった水準にあるのではないとされた。このことによって、嫌われている人、好悪の対象にならない人たちが尊重の対象から外されることを防ぐことになる。こうして、排除されない存在の範囲が広がることになる。
(2)次に、加藤は呼びかけへの反応を必須としない。呼びかけに応える可能性を期待して呼びかけるという大庭健の議論を批判し、呼びかけるだけでよいと言う。実際、すくなくとも通常の意味合いでの応答がないことはよくある。この本では脳死者が取り上げられるが、他に、骨に呼びかけることがある。亡くなってずいぶん経った人を抱いて、呼びかける人がいる。不在の存在に呼びかけることもある。そしてそれは真摯なことであったりもする。それもありだろう、と思える。ここでも、〈誰か〉の範囲は広がることになる。
なるほどと思う。ただこれでよいのか、うまくいくのかとも思う。そこで考えてみる。
(1)について。ある存在に内在する価値よりも、ある存在に対する側の判断や感覚の方に重きが置かれてよしとする立場がある。「相互性」「関係性」といった言われ方もし、呼びかける側と呼びかけられる側、両者のどちらが優位ということではないとも言われるが、それでも、相手を見る側、相手を遇する側、主観・主体としての人間の比重は高くなっている。世界は共同主観的に構築された世界であるというのが、例えば社会学だけでなく、人々の常識ともなっているものの考え方だから、この見方にわりあい抵抗はない。
そして、こんな感覚とも関わって、人々の関係や感情と別に存在する「道徳律」といったものをどうも信じ難いという気持ちがある。それで「ケア(の)倫理」といった言葉がいくらか流通することになった。例えば自分の子を世話する親といった関係からものごとを考えよう、捉えよう、あるべきあり方を言おうというのである。
加藤は、この個別の関係に着目し重視する立場を「関係主義」([65])と呼ぶ。だが、それでは好かれない人は救われないではないかという危険性を自ら指摘する。
この立場に対置されるのは「普遍主義」とも呼ばれる。関係の近さ遠さと別に、濃さ薄さと別に、人は同じに扱われねばならないと言う。だから、ヘルガ・クーゼに『ケアリング――看護婦・女性・倫理』(Kuhse[1997=2000])という題の本があるからといって、クーゼを「ケア倫理」の系列の人と考えない方がよい。取り上げたピーター・シンガーやクーゼは、規範が普遍的なものであるべきだと主張する側にいて、「ケア倫理」側の人たちと対立する立場にいる★06。
それで加藤はどうするか。基本的には関係主義を維持する。こういう厄介な問題の存在にわりあい無頓着に、ただ「ケア」といったものを肯定してしまう幸福すぎる論もある。また死についてであれば、「二人称の死」――もちろんそうした位相は存在する――を言ってほろりとして終わり、ということもある。けれどそうでなく、相当に考えながら、この「関係主義」の方向でものを考えようという人たちがいる。この本で加藤はその一人である★07。
では加藤はこの問題にどのように対応するのか。「具体的な他者から愛されているか否かといった高すぎる基準」([66])は不要だと言うのだった。これは相手との関係に重きを置く立場をとる人たちの中では最低限の条件でよしとしているということだ。それは、他の論者がケアといった行為を想定してものを言うのに対し、加藤は殺さない範囲のことを考えていることにもよるだろう。
さてこのことをどう考えればよいのだろうか。
決める側が決めることは避けられないことであり、そうでしかありえないことは確認しておこう。つまり人のことは人が決める。神様が決めている場合でも、神様と人が思い、その人が思う神様が決めたことに人が従う。いつも決める側が決めている。これはよいことではないかもしれない。しかし決めないことにすれば決まらないわけでもない。人は様々なことを事実決めることができ、決めてしまっている。行なっている。たとえば殺している。そしてそれはよくないと思うなら、それを制約することになる。何も決めないわけにはいかないことがある。その人自身が決めたことに周囲が従うというあり方も含め、私たちは、決めるのが決める側にいる人(たち)であることを、この決定的な不均衡を、認めるしかない。
ただこのように逃れられない意味においてものごとが「私たち」の側にあるということと、「私たち」の態度・受け止め方によって相手のことを決めることとは別のことである。私たちが相手に愛着を感じるとか呼びかけようと思うかと別に、その相手の扱い方を決めようという決め方はあるということだ。私たち自身の利害・好悪との関わりで人の扱い方を決めてならないと、私たちが――他に決める人がいないのだから――決めるということがある。これは加藤自身の立場でもあるだろう。
ではなぜその立場を取ろうとするのか。私のその人に対する対し方によってその人の扱われ方が異なること、というか、その人が不利に扱われることはよくない、そういう思いがあり、その人に対する対し方があるということではないか。とするとそれは、「関係主義」そのものを否定する、とは言えないとしても、かなり強く制約する考え方ではないか。ここでむしろ採用されているのは普遍主義ではないか。そのようにも考えられる。とすると、「呼びかける」ことをどこまで強く見るのかという問題がやはり残る。あるいは、再度現われることになる。
〈誰か〉であるかないかは生殺の判断に関わるのだった。そしてその〈誰か〉は私(たち)が呼びかける存在のことだった。
それだけを聞けば、すぐにいろいろと難癖をつけることはできる。私たちは動物にも呼びかける。さらに生物でない存在にも呼びかける。また死者にも呼びかけるではないか。その〈誰か〉のすべてを殺してならないというのか。そういう疑問は生じる。
ただそれに対しては、なんらかの「倫理的配慮」がなされるべきであると言っているのであって、それらをすべて殺してならないと言っているのではないと加藤は返すことになるだろう。死者を生き返らせることはできない。しかしなんらかの「倫理的配慮」は要請される。それは「生者」の尊重のあり方といくらかは違うだろう。そう言われる。なるほど、その限りでは問題はない。
ただこのことは、「生殺」(をめぐる基準)については、また別のことを言わなければならないことを意味するのではないか。この点について加藤はこの本でそう明示的に述べているようには見えない。だが、とりあえず人(ヒト)に限れば、呼びかけの相手としての人は殺してならず、他方、死者を生き返らせることはできないからそのこと自体は仕方のないことで、しかしなにがしかの配慮は正当化される、それでよいということになる。形式としてはそれでいける。ではこれでよいということになるか。
そうもならないと思える。どんな状態のどんな存在を「人」とするのかという「線引き問題」について、加藤は「それに向かって呼びかけることが無意味ではないような対象すなわち〈誰か〉として見出す」([42])ことがその問いに対する答になると言う。だが、私はそれで答をもらったとは思えない。
「呼びかける」とはどんなことか。私たちは「モノ」も含めて様々な対象に向かうことがあるのだから、関係する、働きかけるというだけでは広すぎるだろう。
では「呼ぶ」ときに何が想定されているのだろうか。もちろん一つには「応え」がある。一つに「聞いている」ことがある。それらはどんな意味があるのか。そして加藤は前者を必須としなかったのだった。「呼びかけ」に対する「応え」があることは条件に加えられていない。それは応える能力を有することを相手に求めることになり、条件をきつくすることになってしまうというのだった。ここには、従来の生命倫理学が、「人」と認めるのにきつすぎる条件を設定しているという思いがあるだろう。
私も同じことを思うし、多くの人もまたそう思っている。ただ、そうすると、こんどは、(実際には応えのないことがある)呼びかけとはどんなことなのか、ということになる。
そのうち応えられるようになる存在もいる。それは含まれるか。だがならば、胎児や胎児以前の存在もみな含まれることにもなる。加藤はそのように考えない。
他方で、これまで自分に関わりがあったが、いまは応答のない存在に呼びかけるといった場面には言及している。
すると(いま応答がなくても)その存在に対する関わりや思いが大切だということになるか。それが、「線引き問題」に対する答ということになるだろうか。
けれど他方で、加藤は、「関係主義」の問題もわかり、そのことを指摘していたのだった。つまり、人の相手への関わりや思い(の度合い)によって相手の扱いが変わってしまったら、今まで人と関わりのなかった存在は不当に扱われてしまう、それはよくないというのだ([64-65])。
すると、結局どこが「着地点」になるのか。幾つかのことを加藤は述べているのだが、それでもやっかいな部分は残ってしまっている。
□3 かつて親などというものはなかったかのように
加藤の論は、関係主義の難点を知りながら、それを否定しないという立場のものだ。それは、出生に関わる場面の「女性の自己決定」が肯定されるべきであると考える立場と整合する。また、「バイオエシックス」の訳語としての「生命倫理学」が同じ言葉を使ったりもしながら、結局は、相手の存在に人間であるためのきつい(そして一律の)条件を求めることを肯定できないという感覚ともつながっている。それとともに、「恣意」を退けようとする。そして、なにか客観的な基準を言う生命倫理学の立場にしても、結局その基準を「こちら側」が設定しているではないか、それは違うのではないかという思いがある。これらがその論述を方向づけながら、「難問」が導かれ、そしてまだ残る。そのような具合になっていると思う。
それでも、あるいはそうであるがゆえに、この本を、この問いを考えるために読むのがよいと思うのは、一つに、世間ではもっと純朴な関係主義がなにか冷たい感じのする普遍主義に対する代替案のように受け止められているのではないか、しかしそれでよいのかは確かめておいた方がよいではないかと考えるからでもある。
「ケア倫理」と括られるものもそうした流れの中にある。さきに紹介したシンガーやクーゼのようなひどくすっきりと世界を裁断する議論に対して、それはないだろうという思いがあって、個別の関係性をもっと重視する議論が大切だということになる。けれどもそれが答だろうか。そのことは考えてみた方がよい。ところが、ときに対立の構図さえよく理解されないことがある。その混乱を避けた上で、それが答かと考える必要があるのだが、どうも問題の所在が理解されていないと思えることがある。
また、死についての議論にもそのような流れがある。「二人称の死」といったことがよく言われる。そこで捉えられる場面が大切であること、多くの人にとって大きな意味があることに疑いはない。しかし、それでもやはりそれは、私にとってあなた(の死)が大切であるという意味において、加えれば、私があなたにとって大切であることが私にとって大切だという意味において、大切だということである。そのことは、その人の存在や死について大きな部分ではあるとしても、そのすべてではない。そのように言えば、それはそうだ、わかっていると答えられもするのだろう。しかし、それでも、三人称の死より二人称の死は高いところに置かれる。その実感はそれとしてわかった上で、そのことを前提にして話を進めてよいのだろうか、そのような問いがあることが時に忘れられていると思う。
紹介してこなかった加藤の本の第2章「「生まれない方がよかった」という思想――ロングフル・ライフ訴訟をめぐって」、第3章「私という存在をめぐる不安」、第4章「「生命」から「新しい人」の方へ」は、幾度も著者によってまだ思考の途上であることのことわりが差し挟まれながら、存在と非存在とをめぐっての思考が展開されている。その中には、これまですこし見てきた第1章「胎児や脳死者は人と呼べるのか――生命倫理のリミット」で語られてきたこと、その延長上にあることと、それだけでない部分とがあるように思う。そしてそれらがみな、私たちが〈誰か〉を見出し関わるその現実を構成しているのだと思う。それらを分けてみたり、どれがどれに先立つのか、考えてみるのは、加藤にも私たちにも残されていることなのだろうと思う。
この本の中でも、そしてこれまでも、加藤は、子が、期待や予想を超えて現れてしまう、そうした存在であることを述べてきた。こんどの本では、それは、『風の谷のナウシカ』(宮崎[1982-1994→1982-1995])に再度触れる、この本の最後の文に現われる。
▽私たちは、来るべき子どもたちに、かつて親などというものはなかったかのようにふるまうことを教えることができる([222])△
私たちが相手の存在(の価値)を語る時、それを語るのは私たちであるほかない。このことから逃れることはできない。この意味ではすべてが関係の中にある他ない。しかしこのことを受け入れながら、その私の思いを通してならない存在として、すくなくとも通しつくすことをしない存在として、相手が存在するのを認めるのがよいと私たちが思うことがある。加藤は、これまでも幾度かそのことを述べてきたし、ここでもそのことを言っていると思う。このことは、その相手との関わりとは別のところでその相手の存在を認める、認めるべきであることを示していないか。『良い死』の第2章5節「思いを超えてあるとよいという思い」で述べたのもこのことだった。
だとして、この時、何をもって、その相手を〈誰か〉として認めることになるのか。
▽〈誰か〉を生むこと、すなわち新しい個別存在者をこの世界に招来することは、その〈誰か〉に利益を与えることではないし、反対に危害を加えることでもない[…]。なぜなら、生まれてくる当人にとって、自分が生きているという事実は、その利害を判断しうるような対象たる経験の内部にあるのではなく、経験そのものを可能にする「大地」だからである。([135])△
最初、当然のことを言っているようにも思ったのだが、前後を読んでいると、やはり大切なことに関わっているように思える。生まれることがそれ自体よいことであるなら、例えば食べられるために生まれさせられる家畜は幸福だとされることになる。個体の数を増やすことはそれ自体としてよいことであることになる。それはおかしな主張ではないかと言われる。
そのおかしさは、その個において、その個があった上で、その個における幸不幸が問題にされるべきこと、そして、その「大地」において展開され感受されることごとの固有性――そのことを第3章(◆頁)で「世界」があると述べることになる――ゆえに、そしてまずはその幸不幸と別に、そしていったんはそこでなされる行ないや形成される関係とも別に、その存在が〈誰か〉として認められるべきこと、そしてそのことが、その〈誰か〉の幸福や行ないや関係を顧慮すべきことを示すのではないだろうか。
このことは、関係のなかにあることを認めながら、私たちが、思っている、とか関わっているといった位相とは別に存在することを思う、ことを示している。それが第2章3節に見た、産む/生まれるというできごとであり、その時にそこに個々の世界があると思うというできごと(第2章第1節)だと考える。このことから、個別の「集計」の可能性・妥当性の範囲の問題、いつ始まるのか、それを誰がといったなどいくつかの問題が現れるがここでは論じない。ただそれは事実の水準にあることは認めるのだから、加藤も否定しないように、思いいれ、でしかないことがあることを認めることにはなる。「診断」が意味をもつ場合はあるだろう。
しかしそのことを認めた上で、一つに、ことの本性上まったくわかりがたいことは認める。一つに、そこに都合や価値が働くことも認める。それは短縮すること、否定する方向に、聞かず、なくしてしまいたいと思うことがある。そのように働く。私たちは、聞かないことと、聞いてしまうことと両方のことをする。それには理由・事情がある。それを見定めた上で、応じようということである。そして「ない」のであれば、そこには当然負のものもない。とすれば、伸ばしたいという人たちの言うことのほうを聞くことがよいといことになる。そして、「世界」のとくに終わりについては、ほとんど原理的にわからないということ。その間、そのままにしていけないことはないということだ。このことは第3章に述べることにも関わる。
□註
★01 この本のごく短い紹介を共同通信社の依頼で書いた。なにぶん短い文章であり、新聞のそうした欄に書けるのは、争いを構成する論点についての異論の提出といったものではない。それはその制約のもとでは書けないし、ごく短く書いたとして、その本をまだ読んでない人には理解しにくいだろう。そしてもしその本がよい本であるなら、そのことをまず読者に言うのがよいだろう。そこでそのように書く。それでも一言二言加えることはするが、それ以上はあきらめ、その一言二言は常に舌足らずになる。
「人の生き死にに関わる様々の是非を論じる「バイオエシックス(生命倫理学)」という学問がある。それは、こんな人は生きていてよいと言う。あるいはよくないとする。それ以前に、ある存在は「人」ではないなどと言う。それはおかしいと感じる人がいる。ただまったく間違っているようには思えず、話としてはよくできてもいる。
他方に、「いのちはすべて等しく大切だ」といった言い方もある。さきのものと比べて、なにか平和でよいようにも思える。しかしそんなきれいごとが通るのか、通せるのか。この言い方も、また違うのではないか。
どう考えたらよいか。話はすこしややこしくなる。著者はこの問いに答えようとする。というのも、著者はもう二十年も前から、人工妊娠中絶への批判を批判せねばならないと思い、同時に、人の性能によって差別する思想に反対しようと思って考えてきたのだ。
今度のこの本では、もう一つ、その思考の延長上に、障害をしょって生まれてきた自分は「生まれない方がよかった」と言って、自分が生まれることを阻止しなかった責任を問い、損害賠償を求める「ロングフル・ライフ訴訟」についての考察が加わっている。このなんと言ったらよいのか言葉に困ってしまう行いについて、裁判の事例など初めて一般向けにまとまって紹介され、考察が加えられる。そしてこれらを考えていく時、著者が読み込んできた様々な作品、例えば『風の谷のナウシカ』(漫画版)等の解読がはさまれる。
ただ問いの基本は同じだ。著者には、はっきり明確に言いたいことと、これから考えようという部分とがある。私は、まったく同意できることとともに「穴」が幾つかある、違うように考えられることがあると思った。
暗い主題のようだが、そうでないように考え抜ける道もあるはずだ。あなたならどう考えるか。答を先延ばしにしたくはないと筆者は切実に思いながら、二十年かけ、考えることがここでまた始まっている。私たちはそれに続くことができる。」(立岩[2007b]])
★02 加藤がこの主題に取り組んでいることは知っていた。私も企画を担当した二〇〇三年の日本社会学会大会のシンポジウム「差異/差別/起源/装置」」で加藤はこの主題での報告を行なっており(加藤[2003])、この企画を受けた『社会学評論』の特集に論文を寄せている(加藤[2004])。
以下は日本社会学会のニューズレターに掲載された「御案内」の全文。
「とくに社会学をする人は何かが社会的に構築されていることを言う。しかしそれはどんな行いなのか、よくわからないと思えることがある。まずそこには多く、批判の意味が明示的あるいは暗示的に含まれる。しかし社会的であることは、それ自体としてよいことでもわるいことでもないと言うしかないのではないか。とするとそれは何を言っているのか。他でありうる可能性、を示しているのだろうか。しかし、私たちは自然を変更することもできる。また、何かでない私(は不可能、であると言いながら、しかしそれ)を探す、作ろうとするという営みとはいったい何なのだろう。他方で、例えば性や身体に関わり、ただ構築されたものと言われても困ってしまう部分があるようにも思える。本質主義とは構築を言う者たちが与えた蔑称だが、この主義はどのように間違っているか。あるいはそこに居直るとすれば、どんな居直り方ができるのだろうか。さらに、にもかかわらず脱・構築という標語は正しい、と思えるところがあるとしたら、それはなぜだろう。そして脱することは、与えられたものや作っていくこととどのように関わるのだろうか。そして、性にかかわる差別、抑圧は何に由来するのだろうか。何がそれらを駆動しているのだろう。例えばこの社会は異性愛を要求する社会であると言えるのだろうか。どのようなことが言えれば、そう言えるのだろうか。総じて、これらは過度に思弁的な問いだろうか。そうでもないのではないか。いま共同参画の政策や教育の場面で様々な反動が生じているが、それを批判する力は十分に強いだろうか。多くの人がこうした疑問をもちながらいると思い、このシンポジウムを企画した(関連情報をhttp://www.arsvi.comに掲載)。まず何を話していただくかは各々に委ねつつ、報告者の数を少なくし、論が交差しそして進むことを期待する。一人一人紹介するまでもない、最もふさわしい人たちを招くことができた。」(立岩[2003b])
そしてシンポジウムの報告。
「3本の報告、加藤秀一(明治学院大学)「「生まれないほうがよかった」という思想について:wrongful life 訴訟をめぐる若干の考察」、小泉義之(立命館大学)「社会性と生物性」、竹村和子(お茶の水女子大学)「「構築」と「本質」は対立的なもの?」が行われ、休憩の後、樫村愛子(愛知大学)、立岩真也(立命館大学)のコメント、そして3人の報告者の応答があった。司会は永田えり子(滋賀大学)と好井裕明(筑波大学)。
社会学会のシンポジウムを、ではないが、散漫で、中味がなく、時間が足りず、論点の噛み合わない催しを嘲笑してきた側が、企画する側に立った時、では自らはと自問すると、なかなかに辛いところはある。気楽に聞けて、すんなりわかる話であった方がよく、そうした納得感というものがシンポジウムの成功を示すのなら、これは成功でなかったかもしれない。シンポジウムの最中にも、また終わった後も、企画側はそのことを気に病んでいたし、今でも気にしてはいる。
ただ少なくとも中味はあった。報告者を少なくし、ひとまとまりの話をしていただけるようにはしようと企画したが、報告は高密度のもので、2倍の時間をとり2分の1の速さにしてもらったとしても追いかけるのは困難だっただろう。社会学者以外の2人をお呼びしたというだけでなく、3人ともがどのぐらいの水準の議論をする人かはおおよそわかっていてあえて招いたのだから、ある程度は予想したことではあったが、その予想以上に、話されることをその時間のうちに理解することの困難を思った。各々の報告を要約するのはまったく不可能である。小泉報告については報告原稿の全文を、また加藤報告についてはその要旨を、そしてその他をhttp://www.arsvi.com/o/jss.htmに掲載しているので、ご覧いただければと思う。
この企画の背景には、一つに、私たちがやってきたことがだめなのではないか、少なくとも芸がなさすぎるのではないかという思いがあった。つまり、私たちは、〇〇は社会的である、××は構築されていると言ってまわってきたのだが、その行ないがどんな行ないであるのか、その私たちがよくわかっていないか、あるいは誤解しているのではないかと思ったのである。各々の報告は、そうした悩みと関係なく独立して聞かれるべきものであった。また各々が独立しながら、互いに接触し衝突する部分を、それがどのようなものであるかを言うのはとても難しいのだが、有するものだった。ただ、それらは同時に、私たちのこの弱々しい悩みに対する幾つかの処方箋の提示としても聞くことができるものでもあったように思う。
加藤氏は、自分が生まれてしまったことの責任を問い損害賠償を請求するという、まったく不可解な、しかしわかるところがなくもなく思えてもしまう行ないについて考察したのだが、それは、私たちが観念し構築していく論の道筋を検証するという当然のことをまずきちんと行なうという行ないの一つの範型でもあったと思う。自分の存在と自分の非在とをその自分が比較するという行ないがいったいどんな行ないであるのか、そんな問いに社会学者がもっと頭を使ってもよいのではないか、使うべきではないのかということだ。また、竹村氏は、なぜ構築を指摘し指弾するのか、それはそこに抑圧があるからだと、とてもはっきり述べ、それはすがすがしいほどだった。その入り組んだ慎重な議論の細部を追えなかったとしても、それを駆動させるこの簡潔な立脚点をあらためて、放棄すべきでなく放棄しなくてよい立脚点として、確認し、そしてさらにそのことについて考えることもまたできるのだと私たちは思った。そして本質主義者として振舞うと話を始めた小泉氏の報告は、まったく全体として間違った話なのかもしれないと思わせるほどのものだったのだが、ただ、人は生まれて死ぬではないか、それについて社会学的な言説は何かを言えているのかと脅迫されると何も言えていないような気にはなり、むろん、では小泉氏はあるいは哲学はなにか言えているのかと言い返すことはできようが、それはあまりよい態度ではないかもしれず、とすると何を言えばよいのだろう、と私たちは思ってしまったのだった。」(立岩[2004b])
★03 この論文と井上達夫の論、そしてこれらが収録された本について、本書第2章註29に記した。
★04 マイケル・トゥーリーらの「パーソン論」(Tooley[1972=1988][1984])については『私的所有論』第5章註10([1997:209-210→2013a:357])。加藤による引用部分は以下。
「ある有機体が生存する重大な権利を有するのは、経験や他の心的状態の持続的主体としての自己の概念を有し、自分がそうした持続的実体そのものであると信じているときであり、その場合に限られる。」(Tooley[1972=1988]、加藤[2007:55]に引用)
★05 大庭健(一九四六〜二〇一八)について『私的所有論』第8章注4で次のように記した。
「社会科学的な考察の大きな部分が、私にとっては基本的と思われる問題領域から離れていったのに対して、倫理学や法哲学では、一つにはその学問領域が正義や平等という主題から逃れられないために、この主題は、例えば「自由主義」をどう評価するかといった問題として残っているのだが、それでもよく考えられたものはそうたくさんはない。たくさんはない中の一つとして大庭健[1990]をあげる。関係、共働としてある関係の中で、個人の貢献分が取り出されることについて考察がなされている。」(立岩[1997:369→2013a:611])
「他者から奪わないのは、他者によって私が存在している(大庭健[1989][1990]等)から、他者に対して恩があるからだろうか。第7章4節2で私的所有に抗して主張される言説の中にこの種のものがあることを確認し、その含意について検討する。」(立岩[1997:107-108→2013a:194-195]、第4章1節2「私でないのは私たちではない」)
そしてその章でそのように考える必要がないことを述べた。大庭[1990]は『所有という神話――市場経済の倫理学』(大庭[2004])に収録された。そこに、「なお私の議論への批判としては、立岩真也『私的所有論』、第7、8章参照。」(大庭[2004:267]、ここでの「私の議論」は「平等の正当化」における議論)と記されている。
つまり私は大庭を、第一に、平等といった主題があまり考えられることのなかった時期にも考えていた人として称え、第二に、「それは自分だけの力で得られたものでないのだから自分(だけ)のものだなんて考えてはいけない」という種類の論の意義を認めながらも、それを主張の基本に置くべきでないと述べている。第二点は、関係・共同性を主張の主要な根拠とすることを私はしないということでもある。それは、小松美彦の論に対する対し方(◆頁)でもある。
こうした視座は加藤にもある(『良い死』第2章註2、立岩[2008b:209→2022c:◆])。ただ本文に紹介した加藤の記述においては、大庭が個人(相手)の性質さらに性能に重きを置いていると、加藤が大庭を批判し、関係(相手に対するこちら側の働きかけ・呼びかけという関係)を重視すべきであることを述べているという関係になっている。
こうして事態はすこしだけ複雑ではある。本文の続きを読んでもらえばわかることだと思うが、私の立場は、加藤が捉えている部分における大庭の立論の側にあるのだが、しかし、そこで相手に見込まれるものは、応答能力といったものでなくてよいというものである。
★06 加藤の本では次のような引用がある。
「シンガーの言い方を借りて、「倫理判断を下すさいには人は自分自身の好き嫌いを越える」(Singer[1993=1999:14])べきだとすれば、〈誰〉をめぐる判断を生者たちとの関係にゆだねてしまうときに忍び寄る、生者たちの側の「好き嫌い」によって生かされる者と殺される者とが選別されるという危険性に、私たちは敏感になるべきではないか。/これらの疑問は重要である。」([64-65])
★07 関連して、山根純佳『産む産まないは女の権利か――フェミニズムとリベラリズム』(山根[2004])や法哲学者の奥田純一郎の論(奥田[2004][2006])等がある。
★08 では、加藤にとってそもそもの主題であった「はじまり」の方をどう考えるのか。私の基本的な考えは『私的所有論』に述べ、その後も幾度か考えを述べさせられる機会があった。齋藤有紀子が編者となった『母体保護法とわたしたち』(齋藤編[2002])に収録された「確かに言えること と 確かには言えないこと」(立岩[2002a])を書いた。そして、東京大学21世紀COE「死生学の構築」シンポジウム「死生観と応用倫理」での報告「現われることの倫理」(立岩[2003a])、『死生学』に掲載された「現われることの倫理」(立岩[2003c])。そして日本医学哲学・倫理学会で報告を求められ、その後学会誌に書いた「決められないことを決めることについて」(立岩[2005b])がある。
「中絶反対論の脆さを突くことができたとして、それは女性に決定を認めることと同じではない。「自己決定」という言葉を、私にだけ関わることについては私が決定できる(「私事」についての決定権)という意味にとるなら、この論理だけから女性による決定が正当化されることはない。また、私が関係したという因果関係だけなら男・雄にもある。先にあげた本で、その女性に委ねるしかないと思うのは、何かが私でない存在、他者として現われる過程を感じる、感じる場にいてしまうのはその女性だけだからではないかと述べた。どうすべきか、肯定もできないにせよ、明白な論拠で否定もできないとき、それは酷なことでもあるが、あるいは、であるがゆえに、その人、女性に委ねるしかないのではないか。なにかの近くにいる人はそのなにかに関わる利害関係(敵対度)がもっとも大きい人でもあるからもっとも警戒すべき人でもあるのだが、それでもそう言えるのではないか。」(立岩[2002a]、立岩[2003c]でもほぼ同じ記述)
「境界の引き難さという前提が認められた上で、人の世界が人を迎える時に、完全な歓待の不可能性あるいは困難を思い、同時に拒むことの困難を思う、そのような過程としてあることは、人を迎えることの実際、人が存在するというあり方の実際を偽らないことにおいて、肯定されてよいと、あるいは肯定されはしないとしても、認められてよいとされるということではないか。そのように感じられているのではないか。」(立岩[2005b])
それらの一部を受け継いで書いたのが『私的所有論 第2版』の補章(立岩[2013a:759-763])。
UP:20220806 REV: