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自己満足、それがなにか?

立岩 真也 2022/03/01
『にいがた☆高校生ボランティア2021 令和3年度新潟県高校学校文化連盟ボランティア専門部年報』:35-41

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新潟県高等学校第8回ボランティア大会(第35回新潟県高等学校総合文化祭ボランティア部門)
記念講演録 2021年9月29日(金)13時55分〜15時25分
新潟市総合福祉会館4階大集会室 各参加校におけるオンライン開催

テーマ:「自己満足、それがなにか?」
             立命館大学大学院先端総合学術研究科 教授 立岩真也 様

◎講師プロフィール
 立岩真也(たていわ・しんや)
1960年、佐渡島生。専攻は社会学。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。千葉大学、信州大学医療技術短期大学部を経て現在立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。単著として『私的所有論』(勁草書房、1997、第2版生活書院、2013)、『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』(青土社、2000)、『自由の平等――簡単で別な姿の世界』(岩波書店、2004)、『ALS――不動の身体と息する機械』(医学書院、2004)、『希望について』(青土社、2006)『良い死』(筑摩書房、2008)、『唯の生』(筑摩書房、2009)、『人間の条件――そんなものない』(イースト・プレス、2010、第2版新曜社、2018)、『造反有理――精神医療現代史へ』(青土社、2013)、『自閉症連続体の時代』(みすず書房、2014)、『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』(青土社、2015)、『生死の語り行い・2』(Kyoto Books、2017)、『不如意の身体――病障害とある社会』(青土社、2018)、『病者障害者の戦後――生政治史点描』(青土社、2018)

 ※以下は主催者側が作成した記録に立岩が手をいれたものです。録音記録もあります。→[voice]

□自己紹介
 1 栗川治さんとのご縁と故郷新潟
 立岩といいます。立命館大学大学院の教員をしています。新潟県の高校の教員だった栗川さんが大学院の院生になったという縁でここにいます。ついでにいうと僕は高校生まで新潟県民でした。佐渡っていう島がありますけど、18までその島にいました。両津高校という学校が僕のうちの隣にありまして、一番通うのが簡単だったので両津高校に通っていました。その後、東京いって長野いって今は京都です。だからってことではないけど、「あ、久しぶりに新潟。」ってところがないこともないです。
 2 今までの研究とHPについて
 (共有しているHPをみて)立岩真也っていう名前が一番上に来るページが見えるかなと思います。この名前は意外となくて、この四文字が繋がる名前は日本に一人しかいないので、一発で出てきます。今日は学問とかそういう話はしないつもりではあるのですが、そういう仕事をしています。社会学っていう学問があって、それをやっています。今見てもらっているのが僕のページで、僕の仕事の紹介になっていて、今まで20か30冊、本を書いています。クリックすると最初にあるのがその表紙になります。
新しく書いたり話したものが上になっていて、さがっいくと2021年の9月29日、第8回新潟県高校ボランティア大会ということで「自己満足 それがなにか?」というタイトルのページ=ファイルがあります。そこからいろいな文章にリンクさせておきましたので後でご覧ください。
 こんなふうに僕は自分の仕事をHPにのせるようにしている。そしてこのページは、あるページの一部なんです。僕は、立命館大学の生存学研究所の所長をしていて、そのサイトの表紙のページの下に「責任者立岩真也」っていうのがあります。それをクリックすると、このページに飛ぶようになっています。
 3 社会学の「生存学」とボランティアの関係
 そんなところで、私たちは「生存学」っていうのを研究しています。生きている、死ぬまで生きているってことの中には、いろいろなことが起こります。途中で障害をもつ人もいるし、生まれたときからってこともある。病気になることもあるし、ほっといても人間歳をとる。そんなことに焦点を当てて研究をしています。ですから、ボランティアとももちろん関係があります。ボランティアって、人が人の助けをするということだとして、どういうときに助けが必要になるかと考えていくと、関係してくる、つながりがあるということになります。
 4 arsvi.comの検索
 このページの下のほうにグーグル検索の窓があります。そこで「rsvi.com 内を検索」を選ぶと、このサイトの中の検索になります。僕らが10年とか20年とか作ってきた約50,000ページの中から引っかかることがけっこうあります。今日話すこともこの中の何かに引っかかる言葉があります。今日は、何も覚えなくていいので、一個だけいうと、このページがあるということを覚えていてほしいのです。今後、このページで検索することが、今日話を聞いている何人かの人にあるといいなと思っています。ちなみに、僕は1960年の生まれで、僕の子どもが1990年生まれ、孫は3つとかで、皆さんはその間くらいの生まれということですか。

□1 講評?――自己満足、それがなにか?
 昨日、活動報告を見せてもらいました。
 基本、自分たちがこれやってみようかとやって誰かのためにはなっているのかという感じでやって、自分たちがそれでいいというのであれば、他人様からとやかく言われる筋合いはない、って、そういうことで僕はよいと思っています。
 しばらくコロナがはやって、なかなか外に出ての活動が難しかったので、だから故に、地味な活動が多かったなと思いましたけど、地味な活動が悪いってことではない。それでいいのではないかといなおろうと思います。だから、ほんとは講評というのもへんなんですね。
 世間一般でボランティアって、人間好き、ふれあい、というイメージがあります。それも間違いではないし、もちろん人間が好きなことは悪いことではないです。しかし、人間嫌いのボランティアもいてよいし、実際いるし、それはそれで価値があると思うんですよ。。施設に行ってシーツをたたむ、それを淡々と行なうって、いいと思う。僕はそういうのわりと好きで、誰かと打ち解けたりするわけでない仕事をする。それが人に害を与えていないのであればなお良い。それでいいのだろうなって思う。それから、なにか集める仕事。たとえばペットボトルやプルタブやベルマークなど、集めることはシステムとして確立していて、それに則ってやっているんでしょう。プルタブってなんで?って私は思ったりはしますけど、とにかくその時間は人に気を遣わなくていい。そういう仕事は昔からあるし、適した人がいるし、それはそれでいい。僕も集めるのは好き。郵便物などの古切手を切り抜いてしまったりします。
 先日、NHKの番組で聞いた話ですが、ある男性が、子どもの学校にベルマークを持って行かねばならなかったんだけども、しかし、面倒でインターネットで買って持って行ったっていうのがありました。また、マークを切る取ることや点数数えるとかも大変で、アメリカは、自動計算の仕組みにしたっていうのがあありました。集めるってこと自体、好きな人は好きだけど、面倒くさいって人もいるわけで、そういうこともたまには考える必要もあろうかとは思います。だけどさっきもいいましたが、とやかくいわれる筋合いは基本的にはない。やって良いことを皆さんやっているし、それは続けていけばいいのかなと思うのです。

□2 (それでも)とくにどんな時にボランティアは効くか?
 そうでありながら、時々、どんな時にボランティアは効くのか、どういう仕事は無償のあるいは代償を求めていい仕事なのかを考えてもいいのかなと思います。世の中たいがい、お金のやりとりでけっこうな部分は成り立っています。でもそうじゃない部分もある。それはそれでいいでしょうけど。それは実際にどういうふうに分かれているのか、どういうことにお金を払ってどういうことに払わないのか、それはなぜなのか。それでいいのか。そういうことも考えるのが社会学だと僕は思っています。そういうことを考えたくなった人には社会学はそんなに悪くない、面白い学問です。
 どこから話そうかな。10年前、2011年に東日本で大きな地震が起こって、津波が起こってということがありました。そのとき、僕らもいくつか関わることがあって、いくつか文章書いたことがあります。2015年には「田舎はなくなるまで田舎は生き延びる」っていうタイトルの文章を書いた。どういうこと書いたかだけちょっとだけ言います。
 僕は佐渡の田舎で生まれたわけだけと、田舎はたいへんだなってそれは僕も思っているわけだけど、ただ田舎だっていっても、人はすっかりいないわけじゃない。じいさんばあさんはいる。ほかにどんな産業がなくなっても、そこでは、じいさんばあさんを手助けする仕事だけは残ります。それをみんなでやればいい。そのお金を、お金がある人から引っ張ってきて、そういう介助の仕事して、介助された人はそれでよくて、介助した人は食えます。それで、人がだれもいなくなるまでやればいい。そんな居直った文章を書きました。でも、本当にそう思っているんです。実際、かつて両津にいて、大学出て40年たっていますが、いろんなことが起こる。親しかった友達が代々やっていた洋品店は立ちゆかなくなりました。安く買えるような量販店ができて、古くからある上品な洋品店で洋服買うかといっても買わないわけです。僕の田舎の商店街も景気がよいかっていうかというとそうでもない。僕の親しかった友人はその洋品店をつぶして、今何をしているかというと、5年ほど前に会ったとき、特別養護老人ホームで介護・介助をしていると言ってました。それはそれでいいんです。そういう高齢者がいてくれるから、そこで働いている。給料がもっとよければもっとよいです。この話をする予定はなかったんですが、『大震災の生存学』(天田城介・渡辺克典編、青弓社)という本に入っている「田舎はなくなるまで田舎は生き延びる」で書いた話をしました。同じ話は今年新書で出したもらった『介助の仕事』(ちくま新書、820円+税)でもしています。興味関心がある人は読んでみてください。理屈でもなんでもない、簡単なことで、誰だって言われればそうだな。ということが書いてあります。
 他方で、ふだんの仕事の仕方で間に合わないときがあリます。ふだん通りの生活とか社会の仕組みとかそういうので間に合わない時、それが天災、地震・津波…の時です。そのために、そんなことがあったときのために支度する。それは全くその通りに大切なことでしょう。しかし、支度をどんなにやっても間に合わないということはあります。そこに対応するもの、特に人、それを毎日キープしておけるかといったらできません。何か起こったといった時、人を募集して、労働の条件を決めて、ってなると時間がかかります。そういう時に、今やっている仕事いったん休んで、別のところに行って別のことをする。一つ、ボランティアは、そういうふうに機能します。
 普通は、普通に社会が回っています。でも普通でないことがときに社会に起こります。そういう時に、お金払ったりする仕組みやなにかを作りましょうって言ったって、間に合わない。じゃ私が、っていって集まって何かする。それがまず当座のためには有効です。そうすると、逆に、普段の仕事、普段通りにやっている仕事にどこまで、僕らの社会は対応しているのか、と考えると、普段通りの仕事、必要なことにも手抜きになっているのではないか。手抜きになっている部分、なんかやらなきゃ、といってやる、やらざるを得ない。それはちょっと違うのではないか、そこはボランティアでということでないのではないか。そんなふうにも考えることができるのではないか。さっきあげた文章でそういう話もしています。後でその話をします。

□3 2011:東日本大震災の時
 2011年、みなさん5歳とか6歳で、僕はその年頃のことをほとんど覚えてないのですが、皆さんは、テレビ見た記憶ありますかね。あの時はあの時で大変でした。僕はその時、東北には行きませんでした。現場に行った大学院生とかもいましたが、その人たちとやりとりしながら、その後ろで僕らは僕らでできることはあるし、比べれば得意なことがあるからそっちを思ったんです(画面共有「災害と障害者・病者:東日本大震災」:http://www.arsvi.com/d/d10.htm)先ほど研究所をやっていると話しましたが、そこでは、大概めでたいことではなくて、なんか事件があるとHPのページを作ることをやってきました。あの時はみんなが大変でしたけど、ただ、大変な時っていうのは、コロナもそうだけど、中でも大変な人のことことを脇に置いてしまうことがあります。あのとき、いろいろな情報が飛び交って、報道もされた。でもここ、足りないよね、っていうのがあって、長年やってきたからわかります。そういう、たいへんな中でほっとかれがちな部分を拾って、情報を提供したり、対応を考えたり、それをHPにあげていくのが僕らの仕事かなって思ったんです。がれきを取り除くというのも大切だったし、現地に行くこともいいなと思ったけど、僕らがすることは文章書いたりHP作ったりということだと思って、何年かはやりました。
 たとえば、東京でも停電が起こりました。みんな困るわけですが、困り方にもいろいろあります。人工呼吸器(ベンチレーター)というものがあります。呼吸がうまくできなくなった人が使います。肺の代わりをするわけではなくて、たんに息の出入りをモーターでやる機械なんですが、その人にとっては、それが使えなくなるということは、冷蔵庫が使えないということよりも深刻なことです。死んでしまうことがあるわけだすから。そういうことが僕らの周りで起こって、究極はアンビューバックというもので、手作業で呼吸を維持する方法もあるんですが、バッテリーとか、自家用発電機使ってオイルで電気を起こすとかする必要がある。けれども、室内で発電機を動かすと、家の中に二酸化炭素が充満して、それはそれで死んでしまうこともありうる。外で発電機使わないといけない。みんなばたばたしている中で、そういう細かな知識が行き渡らない。そういう、開いてしまう穴に対して、すこしのことをしました。
 今回のコロナの時にしたって、世間全体がばたばたしている時に、ある部分を見落としてしまう、というか見落としてしまうことにするんですよね。そういうことが、残念ながら、たくさん起こってしまいます。それはよくないから、そこに対応しようとする人たちがいて活動がある。僕らはずっとサイトやっていたから、そういう情報を集約したり、流したりすることはできる。だからやる。
 さっき話した話にあえて結びつけると、ふだん何をするかとか考えなくていい。だけど時々、このシチュエーションで、自分たちで、何かをするとしたら、何が効くのかなと考える。僕らだったら、情報とか言葉とかサイトとか技術使って、できることをする。そういう視点があってもいいということです。

□4 1995:阪神淡路大震災〜Webサイトの始まり
 このときは震災でしたけど,今みている生存学研究所のサイトのもとのもとは25年前、1996年に作ったものです。その前の年は1995年、阪神淡路大震災が起こった年なんですよね。そのときに昔はパソコン通信というものはありました速度は今からするととても遅い。だけど一応パソコンで通信ができて、そこに情報が行き交っていました。それをHPに残して見てもらうというのもあるよねって、それが、今は大学のHPっていうかwebサイトになっているものを始めたきっかっけの一つでした。
 そして、実は震災の前から、非営利組織(NPO)が大切だよね、それがもっと活躍できるように法律とか整備した方がいいって動きがありました。そこに震災害が起こったことがプラスして、法律など整備された。そういうことがあったのが95年、96年です。
 (「自己満足、それが何か?」のページを見ながら)これは今日紹介しないけど、96年の阪神淡路の次の年、僕がHPを作ろうと思った年、僕の最初の就職先が千葉大学だったんですが、その千葉大学の学生たちと、ボランティア活動、それよりは少し広い、お金をもらわないわけではないけどもうけを目的とするとのではない組織、これをnon profit organization=NPOというんですが、その活動が大切だという話が出てきていた1994年に、千葉大の学生さんと調査して、300ページくらいの報告書を作りました。多くの人に読んでもらいたいと思って、1996年に刊行した紙の本が売り切れになった時に、『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』というその報告書をサイトに載せました。これも、いまは大学が研究所の組織としてやっているWebサイトの最初のほうの仕事になりました。
 あえてつなげると、文句あんの? 楽しいのだからいい。95%それでいい。普通社会がやっていく上ではいらないのだけど、なんか起こった時、穴ぼこがあいてそこ埋めないといけない。じゃあ、やろうという時、どういう時に,この社会は穴が開きがちなのか? どういうことに手当が必要なのか?に関心があるとやりやすい。というふうに話がつながります。社会が何を、っていうこともあるし、僕らの得意不得意と社会のどこに穴があいているのかの掛け合わせで、役にも立つし面白い。いかにも学者っぽくなるのだけど。何が社会で起こっているのかに関心を持ってもらうのは嬉しいことです。

□5 1979:家を出て暮らす人との関わりでボランティアすることになる、が
 僕は18まで佐渡にいたのだけれど、そのときはボランティアじみたことはなにもしていません。学校でベルマーク集めるという程度のことのはありましたけどね。サークルもなかった。あったら入ったかというと、それもなかったと思っています。ただ退屈な日々を過ごしておりました。東京行ったら刺激的かと思って東京に行きました。18年佐渡で、16年東京にいました。その後、松本に7年間いました。そのあと、立命館で働かないかっていわれて20年。東京の時の話をします。
 僕は大学で、学内で雑誌を作るサークルに入ったんです。それには社会問題に関心がある人が多かったずて。僕も佐渡にいたときから関心がなかったわけではありませんでした。1960年生まれだから、70年頃大きく言われるようになったの公害の問題とかその他もろもろ関心はあるにはあったんです。最初はその雑誌の取材で関わったんですが、東京都の国立市にあった「富士学園」という障害者の施設を経営者が閉鎖しようとしたんだけども、それに反対し、居残った人たちがいました。職員だって、給料は払われないし、生活できないですから、お金を得るために、廃品回収をやったしてて、その手伝いをしたりして、それはけっこう面白かったです。そのときの体験や経験はその後の仕事に少なからず影響したと思います。
 そしてこの頃、僕が大学に入った1979年ごろ、障害者が自分の好きなところで暮らすというのが日本中で出てきました。それまでは親元で生活していた人が、親が亡くなるとか、いや、生きていてもいつまでも一緒はいやだとか、そういうこともあって、自分の好きなところで暮らそうということになったのです。
 じつは僕も、親元から離れて暮らし始めたその一人につきあわされることになるわけです。大学1年生か2年生の頃、大学の正規の科目ではないのだけど、見田宗介さん(もう一つの名前が真木悠介さん)という教員が自主ゼミというのをやっていて、ほかの大学を卒業した生徒も聞きに来る、みたいなことがあったんです。そこに、脳性まひの勝又という僕より4つ上の人が来ていて、家まで送ったりが始まりで、僕が大学院生の時に「自立」することになって、大学の近くに住むことになり、彼の介助をすることになり、やっていました。お金をもらっていたわけではないので、まあボランティアということになります。その時のこともさっき紹介した『介助の仕事』に書きましたので、興味ある人は読んでみてください。この本は、いろんなところで話したことを再構成したので、話し言葉の本になっていて、読みやすい本になっています。

□6 みんながお金を出して、働いた人がお金をもらうという仕組み
 僕は暇な学生でしたし、介助という仕事自体はどってことありませんでした。ただ、街で暮らしたい人は多くなる。介助してもいいよって人はそんなにたくさんいるわけでない。人手不足になります。それでだんだんしんどくなる。
 これはマイナスのスパイラルになります。やめる人が出てくる。けども、仕事そのものは変わらないから増える。そうすると、残った自分たちが引き受ける。仕事は増える。しんどい。だけどやめられない。だんだん暗くなって、結局やめる。そうすると…、ということになります。これはやっていけないなってことがありました。それじゃ立ちゆかないよね、っていうリアル、リアリティっていうのがあった。大変だから、人が集まらない、ボランティアでは出来ないから、有償にするしかない。そういうことが一つありました。
 ただ仕方がなく、お金を使って、というだけのことではないと思うんです。ボランティアっていうのはいいことで、言葉の定義上いいことで、やりたいっていう人がやる仕事ですが、それは同時に、やりたくない人はやらなくていいってことですよね。人が生きていくときに介護、介助、ケアが必要だ、それがあることによってその人はうまいこと生きていける。やっていける楽しく生きていける。その人の生活を支える、それをやりたい人はやるけどやりたくない人はやらなくていいのかっていうことが基本的な問題だと考えます。そうすると、生活を支えるっていうことはやりたい人はやるけどやらない人はやらないということではない。そうなります。筋は通ってますよね。
 では、みんながやることにする。これは一つの正解です。でも中には、ほんとはやりたくないという人もいるし、不得意な人もいる。そしたらどうするか。お金をたくさん持っている人はたくさん、少ない人は少なく納め、直接仕事をする人がそのお金をもらって仕事をする。その仕組みしか残りません。
 そういうふうに考えると、ボランティアでやればいい仕事と、みなから、具体的には税金や保険金を使ってそこからお金もらってやる仕事とが分かれます。さっき、どういう仕事はボランティアがよくて、あるいはボランティアでよくし、どういう仕事はそうでないのか、それはなぜなのかいう問いがあると言いました。それに対する一つの答が今言ったことになります。みなが義務を負っていること、しかし実際にはみなが実際にできるわけではない仕事を、誰かにやってもらう、みなはその仕事をする人の生活をお金を出して支える。そして義務を果たす、そして介助を得て暮らす人が暮らせるようになり、その権利を有する人が権利を実現できるということです。『介助の仕事』だと、第6章「少しだが大きく変える」の「筋論として、ボランティア」でことこと書きました、というか話しました。

□7 学生しながらの時間の使い方として
 僕は今京都で学者という仕事をして、大学院生の指導というのをしながら、本を書いたりするというのが本業ということになります。その大学院を修了した人たちの中から、介助の仕事やりますという人が出てきて、去年会社をつくって、仕事を始めています。仏教大学、京都府立大学、同志社大学、京都産業大学、そして立命館大学の学生さんが、僕の知り合いの教員つながりとかで、ヘルパーさんとして入ってきてくれています。つい2日前に書き終わった原稿で、来年刊行される『解放社会学研究』で、紹介した『介助の仕事』への書評への返答の頭の方にその話を書きました。「リプライでないこと1」「リプライでないこと2」というあたりです。いま、僕がどういうことをしているのかが書いてあります。ここは読んでください。学生さんがなかなか大変だよねということが書いてあります。今後、学生になると言ったとき、お金もかかる。そうした中で、今、ボランティアの活動をして、それはそれでいい。気持ちとして変わらないのであれば、(今後)気持ちを割り切って、学費とか大変だし、社会からお金をもらいながら社会がみんなでやらなければならない仕事を、代わりに、私がやっている、代表して私が仕事をしていると考えればよいのです。生活するために社会が私にお金をくれる、それを受けとる。そういう活動、時間の使い方もあるということです。
 専門職系の学部は忙しいので、時間がとれないこともあります。また、扶養されている場合、親など家族の税金が増えてしまうとか、扶養手当が出なくなるとか、これ以上働くと損するかもしれないとかでやりたくても出来ない。税制上のさまざまな壁、130万円の壁とかがあり、そうすると、学生さんに空いた時間に仕事してもらってというのも実際に運営していくのはなかなか大変だなと思いながら、でもやってもらっています。いい経験してくれていると思います。人と会うとか、こんな人いるのだなというのも一方であります。他方では、ボランティアって、ふれあい的なイメージで語られることもあるけど、黙々と働くというところもある。言われたらやる。言われるまで待っている。そうすると、かえって人間関係のわずらわしいところと違うところで働ける。それは意外とみんな知らない。人と人との距離感ってみんなが常識的に思っている思い込みとずれていることもあります。介助って、たしかにとてもややこしいことが起こってしまうこともあるんですが、うまくいけば、そんなでもない、場合もある。一般的な仕事で、仕事をしていく上で何が大変って、同僚とうまいことやっていくことに人は疲れている。それから比べると一人の人のために、淡々と仕事をすることの方がストレスが少ない、場合もあります。いろいろな仕事があっていいと思うけれど、そういう仕事もあるよということで書いた本です。

 今日は、オンライン講義の前にゼミ生との面談があったので、研究所の書庫にいます。この書庫にはボランティア団体も含めていろんな団体の機関誌などが集まっています。これが研究所のボディっていうか本拠地みたいなものです。こっち側にあるのはファイルや機関誌です。(たくさんの本棚とビラが貼ってあるホワイトボードの前に立岩先生が座っている。)この部屋から、立命館大学教員立岩真也がお送りいたしました。ありがとうございました。

立岩真也『介助の仕事――街で暮らす/を支える』表紙

◆立岩 真也 2021/03/10 『介助の仕事――街で暮らす/を支える』,ちくま新書,筑摩書房,238p. ISBN-10 : 4480073833 ISBN-13 : 978-4480073839 820+ [amazon][kinokuniya] ※


UP:20220123 REV:20220323
ボランティア  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究  ◇声の記録(インタビュー記録他)  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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