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わからない間、何を考えるか、何をするか

立岩 真也 2022/03/10
松枝亜希子 2022/03/10 『一九六〇年代のくすり――大衆保健薬、アンプル剤・ドリンク剤、トランキライザー』,生活書院

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■松枝亜希子 2022/03/10 『一九六〇年代のくすり――大衆保健薬、アンプル剤・ドリンク剤、トランキライザー』,生活書院

博士号取得者
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いつものように書類の再掲
 著者は二〇〇七年四月に私の勤め先の大学院に入学した。同じ大学の別の研究科(応用人間科学研究科)で修士号を取っていたので、後期課程への入学ということになる。最短三年で終えることはできるが、著者はそのかん、子育てなどいろいろあって、ゆっくりで、二〇一八年三月の修了・博士号取得となった。その後も研究を続け、それを足し、また本の手にとりやすさを考えて、かなりの部分を削り(一七一頁)本書とした。入学当初はうつ病の人たちのセルフヘルプ・グループのことを研究しようということであったように記憶している。それはそれでおもしろいかもしれないが、調査の相手を見出し、わたりをつけるあてがそうあったわけでないこと、そして、結局、論文というのはなにかを見つけてこなければならないのだが、そこがそう簡単ではないかも、といった話をしていた記憶がある。著者には、うつ病、向精神薬…といった関心の繋がりもあって、薬のことを研究しだしたのはいつごろだっただろう。始めて、続けていくうちに、歴史を辿ろうとする研究にはそういうところがあるのだが、だんだんとはまっていき、軌道に乗っていったように思う。
 提出後二月ほど経った六月七日に「口頭試問」があり、七月十四日に「公聴会」があった。そしてその後の教授会で投票(ここまで来ればほぼだいじょうぶ、その後全学の会議にあがり、三月に遡って学位授与)ということになるのだが、その際、「主査」という役の教員が「審査報告書」というものを書く。「論文内容の要旨」と「論文審査の結果の要旨」他合わせてA4・2枚の短いものだが、けっこう気の重いものだ。本書と同時期、やはり生活書院から刊行となる天畠大輔の博士論文をもとにした本の「解題」でも同じ愚痴を書いた。今度の著者の本(の概要は三一頁〜)は、博士論文と異なるものだから、「論文内容の要旨」も記しておく。これは実際には著者の書いたものを短くして使う部分が多い。この時もそうしたと思う。

 本論文は、戦後日本社会における薬の用いられ方の変遷を辿る。現在では規制のもとにある薬が、かつて広告され市販され消費されていたさまを記す。そして、それが一方では医師の処方を要する薬となり、他方では「医薬品」として市場に渡され消費されていくようになる、その過程を明らかにする。
 構成は以下。序章「薬剤の現代史」、第1章「大衆薬の隆盛とそれを支えた諸制度(一九四八−六四年)」、第2章「市販向精神薬の隆盛と大衆薬規制の始まり(一九五五−七二年)」、第3章「大衆薬の社会問題化と拡大する規制(一九六〇−七〇年)」、第4章「保健薬批判(一九六一−七一年)」、第5章「薬批判運動と薬効の再評価(一九七一−九三年)」、終章「大衆薬の社会的位置づけの変容についての考察」。
 第1章では、終戦の数年後から一九六〇年代前半にかけての大衆薬の隆盛の様子を確認した。まず、グロンサンを含む肝臓薬ブームを検証した。次に、アンプル入りかぜ薬がこの時期の社会でいかなる位置づけであったのかを明らかにした。
 第2章では、現在、処方薬であるトランキライザーが過去に市販されていた事例から、市販向精神薬の社会での位置づけと規制の変遷を検証した。市販トランキライザーは疲労回復や日々の不調の解消に効果がある薬剤として売り出されていたが、習慣性や慢性中毒による禁断症状などが社会問題となり、一九六一年、一九七二年と二度にわたる販売の規制がなされた。一九六一年の第一次規制は大衆薬規制の始まりであり、一九七二年に医師の下で管理される処方薬へと移行した。
 第3章では、一九六〇年代の大衆薬規制の変遷を検証した。大衆薬での薬禍が発生したことなどにより批判・要望が噴出し、それを受けた薬務行政が販売・製造・広告の規制を行うようになるその過程を明らかにした。
 第4章では、高橋晄正らが展開した保健薬批判が、薬務行政による薬効の再評価という施策の実現を後押しした経緯を明らかにした。高橋らはアリナミンに「薬効がない」という批判を展開し、この批判は社会問題となった。薬批判の論点に、薬害・副作用以外に、「薬効がない」という新たな視点を加えたのである。また、当時、アリナミンなどの保健薬は、医療機関で現在よりも広範囲の疾病に、注射や錠剤の処方によって大量療法がなされていた。高橋らの「薬効がない」保健薬の規制を求める主張は、薬務行政による認可済み医薬品の再評価を後押しした。しかし、これの実施において、薬務行政には、増大し続けている医療保険財政の赤字を解消するために、保険医療から排除できるものを排除したいという意向があった。前者の批判を受けた後者も向かう方向には一致するところがあったのである。
 第5章では、薬効の科学的証明を主軸に薬批判を展開した高橋らの運動を検証した。彼らが監視を続けた一九七四年の薬効の再評価結果において、アリナミンは、有効性が確認できないことを理由に、従来の適応症を大幅に制限され、医療での使用も減少していった。しかし、市販薬としてのアリナミンの販売は規制されなかった。服用者自身が費用を負担して、保健薬を服用することは、問題と見なさなかったのである。皮肉にも、高橋らが実現を後押しした薬効の再評価では、保健薬に医薬品という位置付けが与えられ、市場で広く消費され続けていくことに関わっているとも考えられることが示される。


 続いて「論文審査の結果の要旨」。これは私の作文だ。

 本論文の価値はまず一つ、種々の「薬」が、それほどの過去ではない過去、今では信じがたいほど、大々的に広告され市販され消費されていた時期があったそのさまを、具体的に、詳細に、明らかにしていることにある。例えば、現在であれば精神科で処方されるような薬物の広告が、受験雑誌や婦人雑誌に掲載され、疲労やいらいらや眠気を取り払ったり軽減するのに役立つと広告・宣伝され、実際に使用された。筆者はそうした薬剤が鶏に卵を多く産ませるためにさえ用いられることがあったことを記している。学業や家事や職業や産卵にかくも素直に熱心であった時代があり、そのことを薬が助けることにさして疑問が感じられてはいないようであった時期があったこと、そのことを薬と薬を巡る言説・表象が示していることは、まずその社会とその歴史の描述としてあってよい。しかしそうした研究は――同時期深刻な問題となった薬害は、比べればまだいくらかは記憶にとどめられており、そして研究もあるが(そしてもっとあるべきだが)――意外にも少ない、というよりほぼない。短いあいだにかくも世界が変わったこと、すっかりそのことを人々が忘れていることあるいは最初から知らないことを示し、そこから人が薬について、そしてその薬を取り巻く社会・時代についてなにかを考えることを促す契機となることは大きな意義のあるものである。さらに子細にこうした記述がなされてよいと思われるのだが、そしてそのことは審査委員によっても述べられたのだが、今後を期待させるものとして本研究はなされ、本論文は書かれた。このことにおいてすでに本論文は博士論文としての価値を有するものと評価された。ただ、過去とそこからの変化を正確に示すためには、用語やその用法について、当時の表現を用いるなら正確にその用法を踏まえて使用するべきであり、また執筆者の用法で通すならそのことのことわりと実際に使われた用法との区別とが必要である。その部分について、十分な水準まで改稿がなされたことを審査委員会は確認した。
 本論文の価値のもう一つは、その後に起こったことについての記述・分析にある。まず、高橋晄正といった人たちの強い業界・政府批判がかつてあったことも、当時の人々のある部分はかろうじて記憶に留めているとしても、研究はなかった。人は薬との関わりからこれからも逃れられることはないのだろうから、この部分の記憶・知識を欠落させることもよくない。さらにこの論文が興味深いのは、高橋らの批判は、製薬会社や行政を敵に回した強い批判だったのだが、今からそれを振り返った時、少なくとも政府の意向とは合致するものであり、さらに製薬業界にとってもさほどわるい決着ではなかったかもしれないということである。つまり、医療機関の利害によって効果がさほど見込まれない薬が大量に使用され、それが医療保険から支払われることは、保険者、そして政府にとっても歓迎されないはずのことであり、自らに対する批判を(批判も)受けて、政府は制限を強くしたとも考えられる。とりようによっては高橋らの批判を利用したと言えなくもない。そして、問題になったアリナミン等々は衰滅したわけではなく、効果の正確な証明を要しない領域に自らの位置を占め続けてもいる。しかしでは効果が明確に証明できない限りはすべて許可しないのがよいか。そうともならないとすると、別のあり方は可能であったのか、またこれからありうるのか。そうしたことを考えさせるものとしても本論文の価値は大きく、十分に博士論文の水準を超えていると審査委員会は判断した。


へーと思うことが書いてある、の続き
 今全文を引用した「論文審査の結果の要旨」には二つの段落がある。二つめの段落のことは本書にはあまり出てこないようだ。これは、著者と(博士)論文をどういう「おち」にするかといろいろ話していて、かなり長い時間話して、「こういうのもあるよね」ということになった話だ。わりあい重要なところだと私は思っている。ただ、それはそれ、今後の著者をはじめとする人たちの研究に期待するということにして、バス。
 本書はおもに一つめの段落に評価を記したものとなった。本書に掲載されている新聞や雑誌の広告を見ると、普通に「へー」と思う。ローリング・ストーンズの「マザーズ・リトル・ヘルパー(Mother's Little Helper)」が実は、についてはたしか著者から論文になる前に聞いた。この曲はアルバム『アフターマス(Aftermath)』の英国盤のA面一曲目に入っている。米国盤には入っておらず代わりに「黒く塗れ!(Paint It, Black)」』がその場所に入っている。といったことはいま『ウィキペディア』で知った。私がもっている日本盤を今見たが、それは英国盤と同じ仕様になっていた。
 何度でも同じことを言うが、こういうことは誰かきちんと集めて書いてもらう必要がある。それを著者はやってくれた。「へー」の後の続きはいろいろだ。そして、いくらか過去の薬害やその批判・研究(本書十八頁〜)を知る人は、それはその後どうなったのかとも思う。それもまた別に続きを考えたり調べたりすることができる。いくらでもやるべきことがある。本書から少し離れて、書かせてもらう。
 今私たちが薬害のことで思うのは、その機構はわからないのだが、人によって生ずる/生じないが、またその度合が異なることがあるらしいことだ。こちらの大学院の修了者では植村要が博士論文「視力回復手術を受けたスティーブンス・ジョンソン症候群による中途失明者のナラティブにおける「治療」についての障害学的研究――当事者性を活用したインタビュー調査から」に書いたのが、そして植村自身がそれで失明したスティーブンス・ジョンソン症候群(SJS)はそういうもののようだ。
 SJSも含め、スモンの時もそうだったが、なかなかその機制がわからないことがある。ではわからない間はじっとしていたらよいのかといえばそんな呑気なことも言っていられないことがある。こんどこちらの研究科にも子宮頸がんワクチンに関わることを研究しようという人が来るかもしれない。コロナのことがあって、ワクチン派?が少々力を増しているように思えたりもするのだが、もちろん、そんないい加減なことでは困る。一九六〇〜七〇年代あたりから活躍してきた人たちが亡くなったりで、こんど、教育機関としての研究科と一緒にある生存学研究所(著者は現在客員協力研究員)で関係の資料をいただくことになるかもしれない。よかったら、誰でも、そうしたものも使ってくれて、研究してくれればと願う。

わからない時・対立の時
 そして、わからない(わかりにくい)時に何が起こるのか。どうしたらよいのか。これはいくらか理論的な問いでもある。他人の本で自分の本から引用し、宣伝するなど言語道断だが、しかし、たいへん長い引用をさせていただく。

 ただ、例えば公害・薬害といったもののある場合には、その人の今の状態が何に由来するのか、なんとも確定できない場合は残ることがあるだろう。これはたんに事実判断の問題であるだけではない。とすると、どう考えるか。このことについては後で述べる。
 次に、しばしば起こることが、被害を訴える側の内部における齟齬・対立だ。集団で訴訟を行なった場合、その内部に対立が起こることがある。原告が一人の場合でも、弁護士との間に争いが起こることがある。そして一人の人において、同時に対立してしまう契機が併存することがある。そんなことが多くあってきた。
 それが起こるのは、その事件・裁判が起こっている間のことである。しかしその時点において、とくに裁判を起こさざるをえなかった側の味方をしようと思えば、訴えている側内部の対立を明らかにすることは、敵を利することにもなりうる。すくなくとも今はそのことを書くことを控えようということになる。そしてそれは終わってしまったとしよう。終わってしまったことの中にあった、その人たちにとって苦い事実、忘れてしまいたい事実を書くことをためらい、また読もうと思わないとしても、それはもっともなことである。
 また、争いが起こっている時であれ、それが終わった後であれ、外からやってきて、起こった対立について聞きたいと言ったら、あなたはどちらの味方なのかと問われるかもしれない。「わからない。だから調べているのだ。」と答えると、「そんな人に語ることはない。」と相手にしてもらえないかもしれない。それもまた当然のことだ。
 ただ、当事者の側にも記録して残したいという思いのあることはあり、実際に記録があることがある。過去のものの多くは入手困難になっているのだが、それでも手にとれるものもある。そうした記録においても、とくに強い対立があった場合には、一方は他方の側にまったく言及しないといったことがある。あるいはごく短く、否定的に言及するといった場合がある。他方の側はどうか。そちらは、意地を通した、あるいは意固地になった人であったりもし、多くの場合に、数は少ない。たった一人であったりすることもある。となればその記録はなかなか残りにくい。
 こうして、知ることはそう簡単ではないのだが、それでも、ある程度のことがわかることもある。


 以上、拙著『自閉症連続体の時代』(二〇一四、みすず書房)の「補章 争いと償いについて」より(二七六〜二七七頁)。「後で述べる」としたことについてのその第3節「理由を問われない生活」(二七九頁〜)。そして「齟齬・対立」について。もちろん、今すぐに、調べて考えて言わねばならないこともある。しかし、二つ以上のものの間にあったことを探し考えることは、いくらかの時間が経ち、「ほとぼり」が冷めた時のほうが都合のよいこともある。多くのなされるべき研究がもう間に合わないのだが、今、ぎりぎりできることもある。やはり拙著『病者障害者の戦後――生政治点描』(二〇一八、青土社)の第2章「一つの構図」の第3節は「(2) 被害者たちの運動:サリドマイド/スモン」。そして第4章「七〇年体制へ・予描1」では椿忠雄、井形昭弘白木博次といった人をあげた。例えば椿はスモンの解明に貢献した。白木も公害の告発の側にいたとされる。同時に、この人たちと本書(=松枝の本)で取り上げられている高橋晄正たちとの間に対立があった。それはどんなことだったのか。私たちはそこから何を得て、これからどのようにやっていくのか。拙著で書いてみたつもりではある。
 このような機会をいただく毎度、同じことを書いているが、きちんと考えるべきことがたくさんある、そのためにも、たくさん調べて書いて、それを積んでいく必要がある。著者もまたその研究を続けてくれるだろう。本書を手にとりやすいものとにするために省かざるをえなかった部分も含め、これから調べて集める部分も含め、研究所のサイトに掲載していく。もちろんこの私の文章も、きっと多くの人は聞いたこともない人の名などのページにリンクさせたものを、掲載してある。ご覧いただければありがたい。本書の書名か、「松枝亜希子」で検索して出てくる頁(http://www.arsvi.com/w/ma01.htm)からご覧になれる。よろしくです。


※ 私が主に担当し二〇二一年までに博士号を授与された論文は六八、そのうち書籍になったものが三三、主査でなかった人二人のも含めて十三の博士をもとにした書籍の冒頭あるいは末尾に解説・解題を書いたようだ(帯の宣伝文の類は別)。そのうち、審査報告書をその文章のなかに引用したのは五冊に書いた文章においてで、この本でが六度目になる。その五冊と私が書いた文章の題を以下に列挙する。なお、窪田の本はナシニシヤ出版からの刊行だが、他は生活書院から。@樋澤吉彦『保安処分構想と医療観察法体制――日本精神保健福祉士協会の関わりをめぐって』(二〇一七)に、「不可解さを示すという仕事」。A仲尾謙二『自動車 カーシェアリングと自動運転という未来――脱自動車保有・脱運転免許のシステムへ』(二〇一八)に、「この本はまず実用的な本で、そして正統な社会科学の本だ」。B葛城貞三『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』(二〇一九)に、「ここから始めることができる」。C窪田好恵『くらしのなかの看護――重い障害のある人に寄り添い続ける』(二〇一九)に、「ここにもっとなにがあり、さらにあるはずについて――解題に代えて」。D天畠大輔『しゃべれない生き方とは何か』(二〇二二)に「誰の?はどんな時に要り用なのか(不要なのか)」。これまで私が書いてきた十三の文章すべての全文をやはりこちらのサイトに掲載している(http://www.arsvi.com/ts/dt.htm、「立岩真也 博士号取得者」で検索)。


* この文章を書いた後、検索して以下再発見
◆◆2018/06/11 21:50
  Mother's Little Helper
◆◆2018/06/12 21:34
  Re: Mother's Little Helper
◆◆2018/06/13 21:11
  Re: Mother's Little Helper


UP:20220122 REV:20220224
博士号取得者  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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2022/04/08