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企てに参するを企てる

立岩 真也
生存学の企て,gacco:無料で学べるオンライン大学講座
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石井雄一「言葉がさかさまになる怪獣」

■第2週 障害・病をもつ人びとによる当事者運動 2021/01/21〜 渡辺 克典

 2-1.生存をめぐる社会問題と社会運動
 2-2.福祉・医療と当事者
 2-3.抗議としての当事者運動
 2-4.事業としての当事者運動
 2-5.助け合いとしての当事者運動
 2-6.当事者運動とともに生きる

■…以降これから掲載…

 ◇第3週 長瀬 修
 ◇第4週 美馬 達哉


 ※以下立岩担当分(第1週) 2021/01/14〜

■企てに参するを企てる
 ■1 与える人たちの学問でないこと
 ■2 歴史を見る
 ■3 なおる/なおらない/なおさない
 ■4 言葉を調べる
 ■5 名付けられること/わかること cf.◇名づけ認め分かり語る…
 ■6 誰が?

■1 与える人たちの学問でないこと

 ★01「生存学」、がなんであるかは、まったくどうでもよいと思っています。ただ、これまであるものだけではうまくないとは思ってきました。それで、名前なんかどうでもよいのですが、研究せねばならないと思うことをしようと思って、そして、一人とか数人ではぜんぜん人手が足りないので、「学」とか言ったり、「センター」とか作ったり、そしてこんな番組を作ってみたり、やっているわけです。
 何をしているか、何をしようとしているのかを紹介します。なにか知識を教えるということはここでは意図していません。みなさんに私たちの試みに加わってくれないかという話をします。そのためにここで話すことにしました。
 こんなにたくさん研究者がいて、大学があって、本が出ているのに何が足りないのか。それを説明します。
 ★02例えば、障害や病気といったものを扱う学問として「社会福祉学」や「看護学」というのがあります。もちろんそれは必要な学問ではあります。ただ、それは看護や福祉を提供する側の学問です。そういう仕事をしている自分たちの地位を高めようとしてがんばっています。医療では医者がいばっていたり、福祉の仕事の条件はよくないので、自分たちの地位を高めようとするのは当然のことではあります。ただ、どうしても、自分のやっていることはよいことだと決めたところから話が始まりがちですし、これまでやってきてうまくないところは、見ないか忘れてしまう傾向があります。ほんとにそんなことがあるのかと思うかもしれませんが、そういうところが実際にあるのは確かなことです。
 自分の生活で、医療や福祉が関わっているのは一部にすぎないし、一部 の方がよいという思っている人たちがいます。そういう側から見ていくこともできます。さらに、よかれと思ってされていることが、自分には迷惑だという人がいます。これは長瀬さんが紹介する「障害学」とも共通する立ち位置です。まずは、経験している側から、経験している側を見ていこうということです。
 よいものとして与えられた施設がいやだという人たちがいました。なにがいやなのか。では代わりに何を求めて、何をしたのか。それを私たちは調べて書きました。それで、私が最初に関わった本が『生の技法』という本です★03。中身は紹介しませんが、おもしろい本です。人に話を聞いて、そしてその人たちが書いたビラやその人たちが作った機関誌など集めて、読んだら、書けます。難しい理論を知らなければできないとか、外国語ができないとか、そんなことはありません。けれども、その時、そういう動きについて書かれた本はありませんでした。
 なぜか? それは、与えられたものに文句を言ったからなんでしょう。もちろん文句を言った側が正しいとは限りません。しかし、どちらの言い分が正しいのか、それを考えるためにも文句を言った人たちのことを知ることには意味があると思います。そういうことを調べる、考えるということです。私たちは調べるとよいこと、調べたら書けること、そういう材料や手がかりをたくさんみなさんに提供することができると思います。
 具体的にどんなことができるか。というか、実際に何をしているのか。私たちは2016年に『生存学の企て』という本を出しています。そこにいろんな人が何をしているかを紹介しています★04。そして本だけでなく、こちらのウェブサイトで紹介しています。フェイスブックもツィッターもやっていますし雑誌も出しています。「生存学」で検索してみてください。2種類のサイトが上の方に出てきます★05。見てみてください。

※ あの立命館カラーにうまく合う色はなかなかないかも。ただ、文字の色真っ黒でない、なにかよい色がよい。
※ 文字は大きく。インパクトがあるソリッドなフォント・大きさ・太さ。

★01 [PPT]
【教えることはありません、かわりに
 何がもっとあってよいのか言います】
★02 [PPT]
【与える側からでない
 研究があってもよい】
★03 『生の技法』表紙写真
『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙
★04 『生存学の企て』表紙写真
立命館大学生存学研究センター編『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』表紙表紙


■2 歴史を見る

 ★01調べるべきことの大きな一つとして、過去のことを調べて書くことがあります。
 一つ、当たり前ですが、今があるのは、これまでいろいろがあった上でのことです。一つ、終わったからといって、ないことにしてならないことがあります。一つ、たいがい大切なことは、既に私たちより前の人たちが考えてきたり試したりしてきたからです。その分、私たちは考えることをさぼることもできます。先人が考えたところを出発点に考えることもできます。だから、ただ知るだけのことではないということです。
 しかし今流行りなのは、「未来志向」の「前向き」な学問です。それ自体はやはりけっこうなことです。ただまず、前向きであるためにも、過去を見る必要はある。こういうことを言うと、いちおうみなその通りだと言ってはくれます。けれども、しばしばその前向きというのは、都合のわるいことは忘れてしまって、先に進む、あるいは先に進んだ気になることです。これは学問に限られません。実際に忘れてしまって、すると、ないことになってしまいます。すると、何が起こったかわからなくなるわけです。だから、すぐに役立つとかあまり考えなくてよいから、記録したりすることが大切です。
 ★02例えば今年になって、「優生保護法」という法律(1948〜1996)のもとで不妊手術を受けさせられた人が提訴するということが起こりました。こちらはその関係のこちちのページです。
 ほとんどの人はたぶん、優生保護法という法律自体知らないんじゃないかと思います。「不良な子孫の出生を防止する」ための法律ということで、強制的な不妊手術ができるということになっています。★03法律の全文もこちらのサイト内を検索すると出てきます★04。
 そして実際、その法のもとで多く人が手術を受けさせられたということは、知っている人は知ってはいました。またこの法律にも反する手術、遺伝が関係しない場合にも手術がなされたことがあることも知っていました。しかしそれがいったいどんな具合であったか。それを明らかにするべきことを訴えた人たちがいますが、その声はなかなか聞かれることがありませんでした。それが今年、仙台でその手術の不当性を訴えて、急にいろいろなことが今動いています。
 いま多くの報道機関が各地で起こったできごとや裁判を追っています。それはそれでもちろん必要なのであり、意味のあることですが、それはそれとして、一つ、それがなかなか難しくとも、調べられる時に調べることを調べておく必要もあります。それが下支えになって、それにそのときどきの報道も加わってようやくある程度のことがわかっていくということです。
 ★05この本は『優生保護法が犯した罪』という本ですが、ずっと前に書かれた本です。今年になって新しい版が急遽出版されました。
 たいがい、世間は、いっときは騒ぎますが、たいがいたいして変わりもせず、いつのまにか、たいがいそのままになってしまいます。それは明るいことでも、すぐに役立つことでもありません。ただ、それでも知ることは必要だと思いますし、学問というものにはそれが許されている。あるいは学問という、すぐに役に立たないものがあってよい理由もまたそこにあると思ってもいます。
 ★06私の本では、『精神病院体制の終わり』といった本もそんなところのある本です。私たちが務めている立命館があるのは京都なんですが、そこに十全会病院という精神病院があって、すくなくともかつて、ずいぶんひどいことをして、それはマスコミでも騒がれ、国会でも繰り返し取り上げられ、時の厚生大臣もずいぶん起こっています。しかしにもかかわらず、その病院はなくなったりしませんでした。それはどうしてかということです。
 ★07騒がれないままずっと続いていくようなできごとがあり、騒がれてもなくならないできごとがあります。なんでそうなるかかを考えることも含めて、調べて書くことです。調べられ書かれていないことが山ほどあります。調べて書いてほしいと思います。

★01 [PPT]
 【先人が考えたことを出発点に
  考えることもできる〜
  他人の頭を借りると、楽。】
★02 http://www.arsvi.com/d/eg-j2018.htm。〜本当はざっーと下の方に動いていくとがよいがまあよいです
★03 http://www.arsvi.com/「内を検索」↓ 〜表紙が映って、「内を検索」にズームとかがよいですが、まあよいです。
★04 http://www.arsvi.com/0z/1948h156.htm 〜一番上の法律の名前があるところだけで。
★05 http://www.arsvi.com/b2010/1802ysk.htm(表紙写真大きくする)
★06 [PPT]
  上左に『造反有利』表紙、上右に『精神病院体制の終わり』表紙
  http://www.arsvi.com/ts/2013b2.htm
  http://www.arsvi.com/ts/2015b2.htm
★06 [PPT]
 【騒いでも変わらないことも
  ある、けれど変えたいなら
  なぜ変わらないかを調べる】



■3 なおる/なおらない/なおさない

 ★01なおらないなら仕方がない、なおす人はなおす。けれども、そうと決まったものかという問いがあります。
 「障害を肯定する」とか、「なおさなくてよい」とか言う人がいます。そのことをどう考えたらよいのか。「不便だが不幸ではない」という言葉もあります。この言葉は、そうかもしれないと思うとともに、なにか無理をしている、やせがまんをしているようでもあります。そんなことを考えるという主題もあります。
 「全部ひっくるめて考えたときに、治る/治すことはいいことなのだろうか、明日にでも治りたいという人もいれば、ひとまずはこのままでいいやという人もいる――そういうあわいというか境といったものをちゃんと考えましょうというのが「生存学」のスタンスです」。これは『考える人』という雑誌のインタビューに応えて述べたことです。
 ★02私たちのところにいた大学院生で、SJS(スティーブンスジョンソン症候群)という、変わった障害というか病気で目が見えなくなった人がいました。植村要さんと言います。目が見えないから、見えるようになった方がよい、とは彼も思うわけです。実際、そのための手術もあったりして、なかには、拒絶反応が起こらないようにするためでしょうが、自分の歯を取り出して削って眼球にするというなんだかすごいやり方もあるのだそうで、彼はその手術を日本で最初に受けた人のことで1本論文書いています。
 ちょっと脱線して言っておきますが、世界で、とか日本で最初、というのを、まだ人が書かないうちに調べて書くというのはよいです。人が既に知っていることのなかから、知らないことを探し出して書くというのはけっこう高級なことで、めんどうです。それより、普通に人が知らないことを書く。そのほうが面倒でなくて、そして読んで、へーっと思ってよいことがあります。
 さて目が見えるようになるのがよいとして、その手術がうまくいってもそんなにすごく見えるようにはならないということがあります。そして、手術の前に、そしていったん手術なら手術を受けた後も、アフターケアというか、めんどうだったりいたかったりすることがあったりします。ならきれいさっぱりあきらめるかというとそうでもないのですが、どうも全面的によいとは思えず見えない今のままの状態が続いていたり、手術はいちおう成功したけれどもいまいち感をもって生活している人たちがいる。そういうことを書いています。「おち」はないのですが、おちがないのがおちみたいな論文です。しかし、なおそうとする力と、それに伴ううれしくないこともあって、両方あって、その間ぐらいのところに人は生きているということを書いています。
 それは技術を使うか、どう使うかという主題でもあります。人間に限らず、あらゆる生物が技術を使っている、とこれも技術という言葉の定義によりますが、いえます。しかしそれはもちろん、なんでもよいということではない。では何がよくて何がよくないのか。ただこれも、自然か人工か、とか、漠然と考えてもよくわからなると思います。私たちはあるいはある人たちは、何を使ってきたか、どのようによいとされたり、あるいは批判されたりを調べるというのが一つあります。
 ★03例えば、「人工内耳」という装置があります。聴覚に障害のある人の身体に埋め込む機器として、日本では1990年代から使われるようになったようです。自身のお子さんがその初期の使用者であったということもあり、それがどのように日本で使われるようになってきたのかを調べている田中多賀子さんという大学院生がいます。
 ★04他方、自分たちは「日本手話」という言語を母語とする集団であり、機器で聞こえるようになろうというのは違うという主張をする人たちもいます。これは、私たちのところで研究し、その博士論文が本になったクァク・ジョンナンさんの『日本手話とろう教育――日本語能力主義をこえて』です。日本手話を言語として使用するフリースクールが学校になったその経緯とそこでの実践を研究したものです。
 ★05さて、機器を使って聞こえるようになるか、手話を使って聾者のプライドをもつか、どしたものでしょう。本人が決めればよいではないかというのが、普通用意されている答です。しかし、言葉というのは、たいがい本人が選ぶ前に身についてしまうものです。とすると、本人に決めてもらうというだけではすまないということになります。なんだか難しい、こんな主題もあります。



★01 [PPT]
 【全部ひっくるめて考えたとき、治る
  /治すことはいいことなのだろうか】
★02 http://www.arsvi.com/w/uk01.htm 〜どういうふうに使うかはおまかせ
★03 http://www.arsvi.com/w/tt16.htm 〜どういうふうに使うかはおまかせ
★04 http://www.arsvi.com/b2010/1703kj.htm 表紙写真 の下に
 『日本手話とろう教育――日本語能力主義をこえて』(大きめ)
 クァク・ジョンナン,2017,生活書院 (小さめ)
★04 [PPT]
 【…とすると、本人に決めてもらうという
  だけではすまない、となるとどうする?】



■4 言葉を調べる

 ★01例えば病気と障害という言葉はなんとなく分けられていますし、私たちはなんとなくわかっているように思っています。ただ、例えば、「精神病」とも言いますし「精神障害」とも言います。いったいどうなっているでしょう。こうして、ある言葉が何を指しているのか、それはどのように変わってきたのかという研究の主題、方向もあります。
 ★02それには大きくは二つあって、一つは、ある言葉が実際にどのように使われてきたのかを調べるというものです。例えば「難病」という言葉がどのように出てきて、どう使われてきたか。そしてそれは、たんに言葉の問題というだけのことではないのです。制度としての「難病」や「障害」に含まれると、サービスを使えるけれども、含まれないと使えないといったことがあります。その含める/含めないがどういうことになっているのかを調べるということは、人によっては生命・生活が関わっていることになります。
 あるいは、もっと細かなことになりますが、みなさんは「筋ジストロフィー」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。やっかいな病気・障害です。けれどもこれらは「難病」に含まれてきませんでした。かといって制度がなかったというとそれも違っていて、「難病」についての政策が始まる前から、筋ジストロフィーについては政策があったということなのです。わざわざ面倒な言葉の使い方をしてきた役所がよくないとも言えるけれども、この面倒くさい世の中でやっていくためには、そういうことにも付き合っていかざるをえないのです。そういう研究って、すこしまめな人なら誰でもできるんですが、以外とされていません。だからやってほしいなと思っているわけです。
 ★03以上まず一つは、社会の中で使われている言葉の使われ方を調べるということです。もう一つは、まず研究者の方でだいたいを決めて、そのうえで考えていくというやり方です。例えばさきほどの「病気」と「障害」ですが、これは人によって使い方が一通りでないし、ゆれているし、自分でもよくわからないまま使っていると思います。そこで、私はちょっと考えてみて、障害については「できないこと」と「異なること」、病気については「苦しいこと」「死に至ること(があること)」、そして両方に関わって、「加害性」、この五つがあると言うことにしました。
 そしてこのように分けてみた上で、それぞれが、その本人とまた本人でない人にとってどんなものであるかを分析するということになります。そうして枠組みを作ってみて、それで見ることによって、いろいろとわかることがあると考えるわけです。
 例えば、痛み、そして死はその人自身から他の人に移しかえることはできません。その人だけが困ることだとまずは言えます。では、できないことはどうか。多くのことについては、自分ができなくても、誰か別の人がやってくれれば、別の人が手を貸せば、自分は困らないということがあります。
 ★04 だとすると、本人は、病気的な部分については困るが、なおってほしいが、障害の部分については、人々・社会がちゃんと対応すればの話ですが、べつに困らないということはありえます。すると「私は障害者だけど不幸じゃない」というすこし無理のありそうな言葉もそう,無理でないということもありうる、ということになります。
 他方、その別の人は手を貸すのは面倒だということがあります。病気については、感染させられないかぎりは、他人たちは別にかまわないのだが、障害のほうについては、手がかかって面倒だということにもなりえます。
 さて、とすると、「できない」ことは面倒なとこでもありますが、しかし、手段なら別の手段もありうる、他人が代われる、から実は、社会の側で、かなりなんとでもなる、本来は軽減が可能だということにもなります。ならやればよいではないか。私はそう思っていますし、そのわけだとか、では具体的にどうするかといったことを考えて言ってきました。そしてこの場合にも、既にそのことが考えられ主張されてきたことを知ることができます。つまり、障害者の運動や、それから「障害学」が言ってきたのはそういうことですし、私はそういうものから学んで、そして考えようと思ってきました。
 こうやって、一つに言葉の使われ方を見るということの意味があること、一つに言葉を切り分けてみて、その一つひとつを考えていくというおもしろいということ、そのことを言いました。

★01 PPT
 【障害…なに?
   /病気…なに?】
★02 PPT
 【一つ、言葉を巡る謎の道を辿る。
  もう一つ、言葉を分けてみて、
  一つずつ分けて、考えてみる。
★03 PPT3
【病気:@苦しい・A死ぬ(かも)
 障害:Bできない・C異なる
   +
  D加害?】
★04 PPT4
【苦しいことは代わってもらえないが
 できないこと、は他人が代われる。】

立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]



■5 名付けられること/わかること ◇名づけ認め分かり語る…

 自分の状態がなんであるかわかること、名前がつけられることは、一方ではよいことであると思われています。病気が隠されてきた時代から、今は正しい情報を知るのが正しいということになっています。自分で決めるためには情報がいるというわけです。たしかにそれはそうでしょう。
 しかしまず、どうにもらならないことがわかることがよいだろうか。これは「生命倫理学」と呼ばれるような領域ではわりあい論じられてきたことです。けれどもそれがそんなにいけているかというと私はそうは思わないのです。だから「生命倫理」を自分なりにやったとも言えるし、別のことをやってきたとも言える。それはすこしややこしい話なのでここでは措きます。ここでは、そういう死の病の告知というのとは別の場面を見てみます。
 さて、さきにはわかるのはよいことだと言いましたが、同時に、やめてくれと思う、腹が立つということもあります。ここもいったいどうなっているのでしょう。これも実はあまり研究されていないし書かれてもいないのです。
 病気が否定的なものとされている時にそうだと言われると、さらにはおおっぴらにそうだと言われると困る、恥ずかしい、嫌だということがあります。これはわりあいわかりやすい。ただそれとすこし別の、いやだという感覚があり、主張もあると思います。自分は病気でもなんでもないのに、勝手に病気だとされてしまう、と思うということがあります。これは、さっき言った、私たちは何を病気だと、障害だと言っているのかに関係するかもしれません。例えば本人は苦しくないのに、という場合がありそうです。
 ★01ただ、さらに、それだけでもない。診断を求め肯定しながら、しかし、批判する人もいることがあります。さらに、肯定し否定している人はときに同じ人であったりします。「自閉症」などと言われている状態についてそんなことが起こっています。このことに関係して私が書いたのは『自閉症連続体の時代』という本でした★01。
 ★02病気・障害だとわかって喜ぶ人はいないという話もありますが、自閉症の場合、そうだとされて、また名前がつけられてよくないことはなんでしょう? 自分のせいではないことがわかるという場合があります。家庭環境のせいでなく、自分の努力の足りなさによるのでもなく、脳の神経の状態の問題だとなると、自分や親の責任でない、それで責められることがなくなる、楽になるということがありました。また、なおらないにしても、どうやって生きていくかそのヒントが得られるということがあります。
 ★03他方で、診断されると、その診断のあとに続くベルトコンベアーのようなものに乗せられてしまう、マニュアル通りに扱われてしまうという危険が感じられることがあります。そう言われるとそれももっとなことだと思われます。
 さてどうしたものでしょう? 両方もっともなのだから間をとる、ということでよいでしょうか? しかしこの場合には「間」「真ん中」と言われてもなんだかよくわかりません。二つまぜて半分に割るということにはならないはずです。だからこれは考えるに足る主題だと思います。そしてじつは、こんなことについても調べてみるといろいろ出てくるのに、調べられてないことがたくさんあることがわかります。
 私はそんなことを調べて考えたいと思って、自閉症というような題名がついたりしている本をあるだけ買い込んで、はしから見ていくといったことをしました。それ自体、けっこう面白い現象だと思ったのですが、わりあい短い期間の間に、おもに自分たちがその本人たちだと思うことになった人が書いた本が百冊以上あります。アマゾンのマーケットプレースなどを使うと、近年のものはかなり簡単に集められます。★04そうして集めた本は、みんなこちらのセンターの書庫というところに集まっています。古いものからただ順番に並べていっています。★05そして一冊一冊についてホームページのページを作り、そのリストを作ったりしているのです。こうして簡単に集められるものから集めているので、またこれからそれは続けていきますから、使ってもらってよいですし、どんなことを知りたいのか言ってくれれば集め方を知らせたり、こっちで集めることをします。こうして、まともに当たると難題な主題について、人が既に書いたり考えたりしたことを使って、だんだんと考えていくことができるのです。

★01 
 【『自閉症連続体の時代』表紙
 の下に小さく
 立岩真也,2014,みすず書房】
 http://www.arsvi.com/ts/2014b1.htm…表紙写真使用
『自閉症連続体の時代』表紙 ★02 [PPT]
 【私のせい、親のせい、ではない
  病気で免責される、ことがある】
★03 [PPT]
 【マニュアルは便利、
  だが危険な気もする】
★04 書庫写真
★05 HP、本のリスト:http://www.arsvi.com/b/b2010.htm



■6 誰が?

 ★01誰がその学問をやるのか。誰でもよいのです。ただこれまで関わってくれた人を分けると3種類ぐらいいます。
 ★02まず1種類。「経験者」がいます。自分がやってきたことをまとめようという人がいます。私たちは、すくなくとも私は、とても歓迎しています。例えば、だいぶ時間がかかりましたが、もうすぐ博士論文が提出されそうな人で、六〇歳台後半の人の女性がいます。彼女は、夫を過労死で亡くし、その後ずっと、二〇年以上過労死家族の会の活動に関わってきました。その活動を中心に論文を、ずいぶん手間もかかったし、なかなかたいへんでしたし、これからしばらくまだたいへんだと思いますが、書いてくれました。こういうことには、中にいた人しかけっしてわからないことがあります。その人しか書けないことがあります。論文としてのまとめ方であるとか、そんなことについてはいくらかお手伝いすることはあります。私たちはそれで給料をもらっているわけです。そうしていくらかお手伝いして、論文を書いてもらうのです。
 ★03昨年、博士論文を提出した葛城貞三さんは78歳です。それから1年経っているから、もう1つ年が加わっているでしょう。彼は、滋賀県で、県内の「難病」の人たちの組織の連絡会、「滋賀県難病連絡協議会」の事務局長を長いこと勤め、そして公務員定年退職の後大学に入って卒業し、こちらの大学院に入って、そしてやはりずいぶん時間がかかりましたが、博士論文を書きました。それがもとになった本がもうすぐ出ます。
 ★04もう一つ、今回、優生保護法のもとでの手術の話を少ししましたが、そのことを、ほとんど社会的には知られていなかった長い期間問題にしてきた人たちの一人に、利光恵子さんがいます。本になったその博士論文はすこし違うテーマでしたが、大学院を修了された後は生存学研究センターの客員協力研究員として優生手術の問題にとりくんでいます。
 そういう人はとてもたくさんはいないかもしれませんが、しかしそれでもやはりたくさんいらっしゃいます。繰り返しますで、その人たちが書いてくれないと、どこにも残られない、歴史がないことになってしまうわけです。今ならまだまにあいます。
 もう1種類は、「専門職」の人たちです。ただ今どきは福祉学にしても看護学にしても、立派な大学院がいろいろとできています。もちろん、普通にそういうところで論文書いて学位をとったってよいのです。ただ、職業者による職業者のための職業者の学問とは、ある種の「臭さ」があって、今日最初のほうで言いましたが、それがわれながら鼻につくという人が、ある程度、います。その人たちは、ある意味、自虐的なかもしれません。自分たちのやっていることを「相対化」しようというのです。それはたまにはしんどいことかもしれません。しかし私はそうでもないと思います。かえって、自分や自分の上司との距離が掴めて、楽になることもあると思っています。だから、何をテーマにするかにはちょっと苦労すると思いますが、歓迎です。
 もう一種類は、その他です。若い人もいます。若い人たちのなかにも既に「経験者」という人がいます。例えば、中学生のときに精神病を発病したという人がいます。また、いまどきの傾向として、さらに若い時に「自閉症」とか「発達障害」の診断を受けて、そういう自覚をもって、これまでの人生をすでにやってきたという人がいます。その人は診断は受け入れているのですが、しかし、自閉症についての医学であるとか教育学のものの言い方は気に入っていない。それでなにか書こうとしています。これらの人は、若いながらすでに経験者ですから、第一の種類のなかに入ります。とすると、普通に育ってきた若い人というのが残ります。普通にというのは、実はかなり稀少なわけですが、それでも存在するとしましょう。その人たちは何を研究するのか。知りません。しかし、私たち教員は、もう長いこと、この研究・学問という場にいて、どんな研究がじつはないのか、薄いのかを知っていますから、こんな研究すると受けるはずだということは言えます。方法についてもいくらか言えることはあります。そういうものを参考にするにせよ、しないにせよ、調べることはいくらもあります。★05ただ保障できないのは就職です。その保障はまったくできませんからしません。私たちは若者の運命を左右したくはないと思います。しかし、研究はおもしろくやれば、おもしろい。そのことは言っておきます。
 ★06以上で私のパートを終わりします。立岩真也でした。

★01 PPT
【誰が?→
 誰でも
 あなた、とか】
★02 PPT
【1 経験者(が自分を使う)
 2 専門職(の不良な人、も)
 3 その他、諸々】
★03 http://www.arsvi.com/w/kt25.htm の上から一画面分というのが可能であれば、他についても同じ。
★04 http://www.arsvi.com/b2010/1211tk.htm …上に同じ
★05 
 【保障できないのは就職です。】
★06 
 【保障できないのは就職です。
       ↓   ……この行と次の行をあとで出す
    立岩真也でした】


■問題 ○×で答えてください。

◇1 なにか与える側の学問と別に、与えられる側が研究したってよい、と講師は述べた。○/×
◇2 障害はつねに直るのがよい、と思わない人もいるようだからその事情を調べるとよい、と講師は述べた。○/×
◇3 研究で金をえられるようになるかどうかはわからないが、しかし楽しいことはあるかもしれない、と講師は述べた。○/×
○4 過去を明らかにすることは楽しいことばかりではないが、しかしそれでも明らかにした方がよいこともある、と講師は述べた。 ○/×
○5 言葉がどう使われてきたかをきちんと調べることも研究の一つであると、講師は述べた。○/×


JMOOK:https://www.jmooc.jp/

UP:20210121 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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