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BOOK
集められるうちに集められるものを集めよう
何がおもしろうて読むか書くか 第15回
立岩 真也
2021/10/25 『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』130:153-157
http://japama.jp/chio129/
http://japama.jp/chio130/
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『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』
130:
2021年10月25日刊行 特集:「働く母」の子育て
http://japama.jp/chio130/
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『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』
129:156-160 2021年4月25日刊行 特集:「過敏さ・繊細さ」解体新書
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『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』
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※以下に分載
◆立岩 真也 2021/11/13
「おもしろいものを書いてください、お手伝いはできます。私は立岩真也、社会学をやっています」
大学院説明会(入試説明会) 美馬・立岩 1400〜1500
◆立岩 真也 2020/04/25
「話してもらう――何がおもしろうて読むか書くか 第12回」
『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』127
◆立岩 真也 2020/10/25
「介助者として働いてみようという本の話――何がおもしろうて読むか書くか 第13回」
『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』128:164-168
◆立岩 真也 2022/10/25
「遡るし逗まる――何がおもしろうて読むか書くか 第16回」
『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』132:158-162
※以下は草稿。分量を(いつもは間違えないのですが)間違えてしまって規定よりずっと長くなってしまいました。掲載されるものは以下と異なるだいぶ短いものです。
◆生を辿り途を探す(→掲載時題変更)
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「科研費」
今回は書く前のこと、集めることについて、今やっていることをお知らせする。
この国で(に限らないが)研究費を得ようとすると、税金で運営されている国の外郭団体みたいなところ(日本学術振興会)に計画書を書いて応募して、当たればお金がでるという仕組みを使うことになる。「科学研究費」、略して「科研費」という。今年はコロナのせいか少し変更だそうだが、秋に、当たれば翌年度から開始という書類を出して、翌年春、その年度初めに結果が届く。大学といってもお金のあるところないところあるし、いくらかは合理的な仕組みだ。ただ、いま私がやっている仕事については、私の勤め先の大学のようにある程度お金をもっているのだったら(実際、ある)大学としてお金をかけてよ、と私は思っている。そのことはまたそのうち書くかも。
さてその科研費、二〇二〇年度に当たると思っていて(→
連載12
)外した「生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築」が、もう一度書類を出して、ようやく二〇二一年度から始まった。
科研費にも何種類かあり、各々で申請できる総額の上限が決まっており、期間は三年から五年なので、三年ものにしたほうが一年あたりの金額は多いという計算になるが、書類を書くいやさを思って、に加え、一定のかたちを作るのにそのぐらいはかかると思い、五年ものにした。これで書類をしばらく書かずにすむ。応募し採択されたのは「基盤A」という、なかでは額の多い種類のものだが、実際にはたいしたことはない。例えば、常勤のスタッフを一人雇えるかといったら雇えない。そのぐらいのものだ。ちなみに、二〇一七〜九年度の三年間は、基盤Bの
「病者障害者運動史研究」
だった。Bの上限は一回二〇〇〇万円で、三年で割ると年約六〇〇万円。今回のも一年あたりにするとそう変わらない。
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声の記録
その書類、そして「実績」のすべてはこちらのホームページに掲載してあるからご覧ください。今検索したみたら「生を辿り」でも「身体社会カーカイブ」でも先頭に出てくる。
「生存学研究所」のHP(の一つ)の表紙
から「蔵」というところをクリックしても行けます。
だから中身の詳しい説明は略。とにかく、集められるうちに集められるものを集めよう。それにつきる。
集めるものはいろいろ。
本や雑誌や機関紙
といったものももちろんその対象だ。このごろ、いただきものがますます多くなってきている。その場しのぎ的ではあるが、スペースをなんとか確保し増やしながら、整理しながら、やっている。
そして今真面目にとりくもうと思っているのは話を聞いて、それをそのまま、もちろん承諾を得て直すところは直してもらってからだが、こちらのHPに掲載していくこと。
紙に書かれたものは、捨てなければ残るが、話は生きているうちにしか聞けない。うかがおうと思っているうちに亡くなってしまったとか、そんなことがある。亡くなるなんて考えたこともなく、うかがってそう時間の絶たない時に訃報に接するということもある。私が直接に話をうかがった人でも、二〇二〇年に亡くなった
中山善人
さん(元青い芝の会会長)へのインタビューが二〇一八年とか、やはり二〇二〇年に亡くなった
斉藤龍一郎
さん(元アフリカ日本協議会事務局長)へのインタビューが二〇一九年、とか。
そして、今年になってからでも、一月に
平本歩
さん(バクバクの会)、二月に
矢吹文敏
さん(日本自立生活センター)、五月に
鈴木絹江
さん(福祉のまちづくりの会)、六月に
栗城シゲ子
さん(地域活動支援センターくえびこ)、七月に
佐藤きみよ
さん(自立生活センターさっぽろ)。鈴木さんと栗城さんについては『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の五〇年』(生活書院)を二〇一九年に出せて、出せないよりはよかったけれども。
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みなでやる
私は、一人で書いていればよいというところがある。手許になにもなくても書けることはいくらもあると思っている。メールの返信しなくてすむ日があるとうれしい。しかし、集めて収めて、知ってもらうことの大切さも強く感じている。
不遜なことを言えば、どちらも大切だと思う。しかし、今進めないとまにあわない、という意味では、後者が先、だろうか。だから自分で書きたいことを書いてしまってから、とはいかない。(とか言っていると、やはり有限な時間の間しかできない一人での仕事も延び延びになっていくのではあるが。)
そして、この集める仕事は、一人の仕事としては不可能だ。というか、一人では、二人三人でも、毎年いろいろと起こるその量だとか、人が失せていくその速度に到底ついていけない。すると、大学院だとか研究所とか、関係のありそうな人たちがそこそこの数いる組織というものの意義があり、面倒でも、そこの運営に関わったり、(実年齢的には多くそう若くはない)「若手研究者」への助言やら指導やらに関わることになる。それはいくらか、というかだいぶストレスのかかることではあるが、仕方がない。
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もとを載せる
なかで私が大切だと思うのは、記録そのものを残しておくということだ。研究者という人たちは、自分の論文であるとか著書だとかに、自分が行なった調査の一部を使うということをしてきた。記録はそこの引用などに現れる。
しかしまず一つ、そんなかったるいことをやらないと残らないというのではまったくまにあわない。大学院生だと、書いて審査(査読)に通るのはまあ一年に一本だ。その査読→掲載にもだいたい一年ぐらいはかかる。
そして、長く論文の指導やらで論文の原稿と調査の記録の双方を見ることになるので実感するところなのだが、そうして苦労して書かれた論文より、「もとの話」のほうがおもしろいと思うことがよくある。へたな「筋」や「おち」をつけようとがんばるより、「もと」を見せてよ読ませてよと思うことがある。いや、上手であってもだ。一人の話、一人の人生については、つねに複数の解釈がありうるし、あってよい。複数ありうるためには、どちらがもっとも【かと】考えるためには、「もと」が読めるのがよい。
もとのデータを公開するというのは、量的な調査についても、結果の出し方の妥当性を検証する上でも、大切なことのようになっているようだが、これは統計的な調査に限らないことだ。しかも、こちらのほうが大切だと思うのだが、その記録は、研究のためだけに読まれるものと決める必要もないのだ。だから、もちろん本人が了解了承すればだが、誰にでも読めるものにしようと思う。
録音し、それを業者に頼んで文字にする、話し手に見てもらいなおしてもらって、掲載する。やってみるとわかるが、これはこれでなかなか大変だ。自分が話したことは何でも素晴らしいと思えるほど自己肯定感の強い人はそういない。話したなかにはなおしたいと思うところもあるが、どうなおすか、思いつかない、めんどうだということもある。そう思って、手をつけるのもおっくうなことがある。そこでしばらくほっとく。するとそのうちほんとうに忘れてしまう。そんな具合にそのままなくなってしまう。
公開までの過程を途中で止めず、なんとか最後まで持っていく。私にはそういうまめさに欠けている。だから、確認したり催促したりする人に付いてもらって、作業を進める。まだ試行段階だが、そういう態勢をとりつつある。
その記録が八月十日現在一八〇。話し手の名前を記す人も記さない人もいる。どちらでもよいと思う。研究者が聞き手になることもあるが、それもいろいろありうる。いま進めてもらっている企画には、慢性疲労症候群の人が慢性疲労症候群の人に聞くというものもある。受け取りますということなら、話し手と聞き手と双方に謝礼を支払うようにしている。
まずいくつか読んでみてください。名前五十音順、その後匿名のものを並べている。この辺の工夫も必要と思っている。
[18×134]
※この文章への言及
UP:20210810 REV:
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『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』
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『おそい・はやい・ひくい・たかい』
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生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築
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病者障害者運動史研究
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立岩 真也
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