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仕事しよう、にあたり


立岩 真也 2021/**/** 『福祉社会学研究』

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 この原稿はさらに手をいれて以下の本の一部になりました。読んでいただければありがたいです。
◆立岩 真也 2021/02/10 『介助の仕事――街で暮らす/を支える』,筑摩書房,ちくま新書,238p. 820+
◆立岩 真也 2021/02/11 『介助の仕事――街で暮らす/を支える 補注・文献』Kyoto Books

 ※この原稿は、まず、2019年6月15日、明治学院大学で開催された福祉社会学会の大会の自主企画セッションでの報告(立岩[2019b])の記録を使おうと作られ始めた。その報告は、わかったことの「中味」を言おうというのではなく、仕事をしようという「呼びかけ」をしているものであり、その際に基本的に押さえておくべきことを述べたものであり、今回の特集依頼に応ずるものとして意味があると思ったのだ。ただ、当初はそのまま収録し、いくらかを加えようと思ったのだが、結局、この報告の前に行なった対談の一部を加えるなど、かなり手をいれることになった。結果、2019年6月〜2020年11月の間で、書いている(話している)現在の時がずれているところがあるが、わかっていただけると思うから、そのままにしている箇所がある。

■本×2
 立岩と申します。今日何の話をしようかなっていうことでさっき考えて、麦倉(泰子)さんが話してる間にホームページを書き換えて、今作りました(立岩[2019b]→「生政治史点描――戦後・国立療養所とその周辺」で検索)。その話をします。
 さっき天田さんに紹介してもらったように僕は去年(2018年)本を2冊書きました。1冊は『不如意の身体』(立岩[2018a])で、もう1冊の、『病者障害者の戦後』(立岩[2018b])に書いたことを紹介するというのはこの「施設の戦後史」という企画の趣旨にも適っていて、一つありではあるのですが、ちゃんとやるととても長い話になるんです。なのでそれは、悪いけど本を読んでくださいということにいたしたく存じます。あとで質問あったり議論あったりしたらその時にお話しはしますけれども、中身の話は、したいけれどできないという感じです。
 ただ、この本は、終わりの時に少しお話ししますけど、わりあい実践的な話に今結びついて、関連の催でごく短く紹介しています。1つは、2018年の12月24日クリスマスイブに京都で話をした時のもの。これは10分で話しました。その全文がサイトにあります(立岩[2018c])。1つは2019年6月1日、西宮で1時間話をしました。それも、岩永さんというジャーナリスト・新聞記者が、『BuzzFeed』っていうオンラインの新聞にほぼ全文に近い形で載せてくれています(岩永[2019])。筋ジストロフィーの人たちの暮らしに関わる部分に限っては、その10分のバージョンと60分のバージョンをお読みいただけますので、それをあとで読んでねということにいたしたいと思います。

■中味の代わりに
 代わりに、どんな具合に仕事をしようかという話をします。まず一つ例示します。
 2015年に出た『精神病院体制の終わり』という本(立岩[2015])は、かなりの部分、病院の話、施設の話なんです。具体的には、十全会病院っていう、京都にある、一時2000人とかっていう人を収容した大きな病院の話なんです。その病院は、1970年代から80年代にかけてマスメディアで、与党野党を問わず国会で、その他もろもろの所で、非常に強い批判を受けました。にもかかわらず、この病院は今でも現に存在し機能しています。昔のような悪辣なことはさすがに表立ってなされることはなくなった。そういう意味では改善されたんでしょうけれど。しかしそれが存続してきたというのはどういうことなのかっていう、それをどういうふうに考えるのかは本に書いてあるわけだけれども、まずそういう問いが立ちます。そして、こうしたことを考えようとするなら、一つの場所・できごとを押さえるとともに、隣にあったものを見る、全体のなかでの位置を見るってことです。言ってしまえばまったく当たり前のことなんですが。ただ次のように言うと、もう少しわかってもらえるかもしれません。
 私の勤め先の院生だった人で西沢いづみさんって人が、2019年の3月、博士論文が元になっている『住民とともに歩んだ医療 ――京都・堀川病院の実践から』(西沢[2019])っていう本を書きました。同じ京都にあった堀川病院っていう、ご存知の方いらっしゃると思いますけれども早川一光さんっていう、実は西沢さん、彼の娘、次女なんですけれども、そのお父さん達が、京都の戦後、非常にいろいろと苦労され努力されて地域医療というものを掲げて、堀川病院で実践を行なったっていう、いい話があるんです。西沢さんの本は、そういう立派なというか、実践ってものが戦後どのように行われてきたのかってことを書いた本で、なかなか頑張ったなって本なんですが、しかしですね、社会学的にはというか見なきゃいけないのは、堀川病院とそれから十全会病院が同時に京都って街に存続した、それはどういうことなのかっていう問いのほうだと僕は思っているのです。
 その堀川病院に比べれば十全会病院は少なくとも一時期何十倍、百倍というような量の人たちを収容した。そのことにおいて、簡単に、簡単に言えばですけれども、求められ、そしてそのことにおいて、その地域はそれをなくすことができなかった。さんざん言われながらしかし存続した。そしてその良心的な病院であるところの堀川病院でも面倒見きれなくなったような人達が、最終的な場所としてそこで一生を終えるというような形で、実はその京都の、京都に限らないと思いますけれども、システムっていうのは作動したんだっていう。そこから例えば十全会のような、あるいは逆の試みでもあった堀川病院の試みっていうものをどういうふうに評価するのか。あるいはそのあとのことをどのように考えたらいいのか。そういう問いを考えるということが、僕は社会科学、社会学に求められている一つの仕事であろうと思うのです。そのようなことをその西沢さんの本に書かせてもらった「ここから、ときに別のものを、受けとる」(立岩[2019a])に書きました。
 そうするとですね、やるべき研究調査といったものは、その現場においてそこに住む人たちのことを知る、思いを聞き取るということはもちろんだけれども、そこに作動する様々な言論・言説、力・動き、政策、そうしたものの絡まりというか力の交錯あるいは集合、あるいは反発、そうしたものを見ていくという、そういう仕事が求められてるんだろうということになります。

■一つ一つを合わせる、ために一つを見る
 例えば障害学っていうのやってる人って、たぶん、なんだかんだ言って、障害者好きなんだよね。なんか人間好き、みたいな人たちなんですよ。なんかゴチャゴチャした、なんかおっきい話ってそんなに得意じゃない、あんまり好きじゃないから、人間を見ることにする、みたいな、そういうスタンスの人が多いように思います。それはよいことだとは思うんですよ、なんか優しくてね。だけれども、そういうのだけで現実ができてるわけじゃないじゃないですか。
 とは言っても、まずは、全然難しいことじゃないですよ。僕はこの頃、素朴に、とか、当たり前のとか、言ってるんだけれども、複数あるんだったら一つずつ見ていって、それを合わせるといったことです。例えば『病者障害者の戦後』に書いたのも、親たちが、医師たちが、政治家が、マスメディアがどういうことを言い、どういうことを訴え、どういうことをやってきて、それが回り回ってというか合わさりに合わさってどういう現実ができ、その時は熱かったけれども、やがて熱が冷めたけれども、でも現実はそのまま残ってきたんだよね、っていう、そういう類いのことを一つ一つ確認する作業というものが必要なんではないか、そのためにはそれを調べて書くことを可能にするような資料の集積、整理というものが必要であり、それを我々はぼつぼつとこれまでやってきたし、今後もやっていく所存でございます、ということなんです。
 この社会に起こっていることを言うのに、生政治とか生権力といった語り方があるけれど、実際の世の中はもっと平凡にできてきたのではないかと思うんです。あるいは、生政治・生権力といったもの自体がまずはまったく凡庸なものであると★01。そう言った方がよいでしょうね。例えば、自分の利得のために縄張り争いをしたり、保身に走ったりする中で、陳腐な仕組みが出来上がり、保持されている、とかね★02。
 そしてその仕事の全体を一人の人がやるべきだとは私は思っていないのです。ものごとを追っていけば、たいがいはまずまず大きな、いくらかは複雑な話になります。ただそのややこしい全体を把握するためにも、あれこれ組み合わせて全体を描くための部品がしっかり記述されていなければなりません。だから、すくなくとも「最初の仕事」に限れば、なにか気の効いたことが言えていなくても、記述がしっかりしていればそれでよい。私はそう思っています。査読論文になると、一つひとつまとめみたいなものが必要とされる。まあ仕方がないのだろうとは思いますが、まとめようとし、「理論的含意」「社会学的含意」って言うんですが、そういうものを言おうとしても、たいがい、理論とされるものの多くがたいしたことないからというところもありますが、たいしたことはない。同じ文字数であれば、むしろ記述を厚くしてほしい、と、私は思っています★03。この論文はここまで、そのうえで、次の論文、あるいは次の人が引き継いで次を言うみたいなのでよいと思うのです。そしてその場合には、文献参照とかについての学界の煩雑なきまりも役には立ちます。ここまでは誰それのこの論文に書いてある、さてそれを継いで私がこの論文で、というわけで、各々がどこまで言っているかはっきり示せるのです。
 ないよりあった方がよいものはまずはあった方がいい、ってこのごろ僕はよく言います。僕のこんな本でもないよりあった方がいい。悲しいかな、社会学の現状は、基礎的なものごとについて、事実をきちんとおさえた基礎的な書き物を揃えられていないのです。

■わりあい単純な構造のこと、であっても
 そういうことの研究を今さらにやらなきゃいけないって、今さら言わなきゃいけないっていうことが、私はなにか悲しく思えるんです。社会科学、社会学っていうのがこういう当たり前の仕事をどれだけやってきたのかってことに関して、まだまだだな、ってずっと思ってきましたし、そのうちなんとかなるのかなと思ってきましたけれども、なかなかだなっていう感じは続いています。まず一つ、そんなにややこしい構造のことではないのに、研究がないという話をします。
 2冊の本の刊行記念ということで、(2019年)3月29日、名前をご存知の方多いと思いますが、熊谷晋一郎さんと東京堂で対談をして、それが7月号の『現代思想』に載ります(立岩・熊谷[2019]、当方のサイトにも掲載)。その対談のなかで脳性まひを「なおす」ことについて熊谷さんと話をしています。「『不如意の身体』の方で、二〇年以上前から「脳性まひの治療についてみなさん調べてください」と言っているのに、このかん熊谷さん以外誰も書いていないと恨みがましいことを書いています。昨年(2018年)も、九州で、かつて脳に電流を流すといった「療法」が行われたといった話を聞きました。自分で調べたりまとめたりできないけれど、そのインタビューの記録は公開したいと思ってたりしています。」そんな小言を言ってます。
 ここで言っている九州でのインタビューは2つあって、1つは福岡県の中山善人さんへのインタビュー、1つは宮崎県の永山昌人さんへのインタビューでした。私が話をうかがって、その録音記録を文字化してもらい、許可を得て、HPに掲載しています。さっき、(つまらない)考察なんかいいからきちんと書いてくれと言いましたけど、しばしば「不適切」にきれぎれのインタビューからの断片が並べられる下手な論文を読まされるより、その「もと」を読んだ方がよいこともあります。だから記録の全部を掲載する。そしてそれは、まずは話した人のものでしょう。ですから私は、ひとまずの工夫として、文献表には中山[i2018]とか永山[i2018]といった具合に記すといったことをやり始めています。
 この2人は1950年代の生まれで、まだまだ活躍中の人たちです。しかし、中山さんは今年(2020年)突然亡くなってしまいました。そのことを知ったのは尾上浩二さんへのインタビューの時、尾上さんからでした。尾上さんは私と同じ年ですが、彼からも「なおされる」話を聞きました(尾上[i2018])。これで3つです。私自身はこの主題について調べて書くだけの余裕はありません。ただ、機会があれば話を聞いてその記録を他の人たちが役に立ててほしいと思うのです。
 これはそうややこしくない話です。一方に、治療・リハビリテーションを受けた人たち、そしてその家族がいる。その人たちはほぼそのことを書いてはいない。だから話を聞く。他方に、やった側の人たちがいて、その人たちには書いたものがあったりします。だからそれをまず全部集めて全部読む。両方を組み合わせて、いったい何があってきたのか、それをどう考えたらよいのかを示すことができるだろうということになります。あまりに誰もやらないので、話を聞くだけはしよう、その記録を公開することはしよう、というのが私です。ようやく、その仕事をこちらの大学院生である小井戸恵子さんが始めました。まずひとつ論文になるだろうと思います(小井戸[2021])。

■さらに複雑な輻輳・断裂・停滞・等々
 もうすこしややこしい話もあります。
 熊谷さんとの対談の翌日、3月30日、今司会をなさっている天田さんと対談をさせてもらいました。それは『週刊読書人』に掲載され、全文が読書人のウェブサイトに載っています(立岩・天田[2019]→掲載終了→当方のサイト)。障害とか病っていうものに関わることを、社会学、社会科学がどういうふうにやっていったらいいのかなっていうような話をしてみたつもりです。そこで、そしてさっきの熊谷さんとの対談でも、なおす/なおらない…といった話よりはややこしい話をしています。
 例えば1990年に僕らは『生の技法』っていう本を書きました(現在は第3版→安積他[2012])。そこに1970年に始まった「府中療育センター闘争」が日本の障害者運動の一つの画期をなすということを書きました。実際その通りだと思っています。その後、わずかの数の文献がなくはないですけれども、いったい府中療育センターっていうのは何であったのか、そこの闘争っていうものは何であったのか、1990年から、やはり30年の時間が経ったにもかかわらず、やはりよくわからないままになっています。
 青い本(『病者障害者の戦後』)では、この府中療育センター闘争がどういう文脈の中にあったのか、すこし書いてみました。当時の東京都政の動きであるとか、幾つかの絡まりの中で、あれはもともとは「重症心身障害児」の施設、は言葉を発せられない、かつ重度の身体障害の子どもの施設のはずだったのですが、諸般あって、そこに新田勲をはじめとする、話ができてしまう、文句が言えてしまう大人の入所者もいてしまい、であるがゆえにそこで文句を言い、それがその闘争につながる、その対応に東京都当局は苦慮するといった流れがあったようです。
 そしてそのことにより、その場を一つの象徴的な場として、そこを治療・活動の拠点としつつ闘争など知らないあるいは語らない人たちと、文句を言った人たちそこから出ていった人たちが分かれ、前者が「難病」の医療・看護の方に流れ、後者は障害者運動を作っていく一翼となる、両者はほぼまったく交わらない、結果、「難病」の人にとって不利益な事態が生じ、続いていくことにもなります。
 私は、不遜にも言いますが、こうした話は、すぐに、誰でにもできることだとは思っていないのです。見える、書けるためにはそれなりの年季がいるのだろうと考えます。
 例えばここには幾人かの人物が出てきますが、人物を捉えることは実際にはなかなか難しい。あるところまで知ることで見えてくるものと、その先を捉えた時に見えるものとが異なるのです。オセロゲームのようなところがあります。白黒がひっくり返るわけです。いやこの喩えはよくないかもですね。善人が悪人に、といった単純な話ではないわけで。
 さきの早川さんが「いい人」であったというのとはまた別の「いい人」の言論ときには思想といったものをどう位置づけるかです★04。その「いい人(たち)」の存在と思想と行動は、「難病」に関わるこの国の体制と、そしてその「難病」の人たちを巡る困難に関わっていると私は考えています。それはそれで長くなるが、やはり仕方がない。青い本にいくらかのことを書きました。
 そして、そうした具体的な諸々は一切省略した構図のようなものを、分担執筆を依頼された本に収録される「難病」という文章(立岩[2021c])に書きました。長いものと短いもの、両方が必要だと思っています。私はこれからしばらくは、本は、何を書いても誰も読んでくれないし、新書のような短い安いものにしようと思います。一冊めが、意外に手間取っていますが、介助・介護についての本(立岩[2021b])になります。ただ短いものを出せるためにも、そこに書けない細かな長い話をどこかには置いておく必要があり、私はそれがHP、ウェブだと思っているのです。
 そしてさきに話したことの繰り返しですが、安易に、よくよく考えるその手前でまとめるよりは、一人ひとりについて、一つひとつについて調べられるだけ調べて、その結果を示したほうがよいと思います。
 調べられるだけ調べたわけではなく、そのための時間がかかったわけでもないのですが、時間はひどく経ってしまった後、ここのところ、私にも、人について書こうとして書いたものがあります。福島県でまた一時期関東で活動した白石清春という人と、新潟県出身で東京・立川で活動・運動した高橋修という人のことを書きました★05。ちなみにやはり2人の1人、高橋さんは、彼は1999年ですからもう20年前ですが、亡くなっています。1980年代にインタビューできてよかったと思っています。
 その人たちは、人として十分に魅力的な人たちでもあり、だから書いたのでもありますが、ただ伝記を書こうとか賛歌を歌おうということではありません。その人たちは、私から見て、道が分かれていくその分かれ目みたいなところにいた人たち、あるものとあるものが接して拮抗するその境界のようなところにいた人たちで、そしてどちらかに踏み出して進んだ、そしてそのことで、その後の道の道筋、空間の編成が変わった、そんな人たちだと思います。すると、その人のことを書くことは社会や社会の変化を記述したりすることになります。こういう位置にいる/いた人はそうたくさんいるわけではありません。だから誰のことを書いても社会学的・社会科学的なものになるとは限らないです。それでもなんでも書けばよいとは言えましょうが、平穏無事な日常をうまく書くのは難しいが対立や困難を書くのは実はそうでもないのと同様、ややこしい人のことを書く方がじつはうまくいくということもあるのです。そしてそんな人は多くの場合「おもしろい人」でもある、それにもまたもっともな事情があるわけです。

■集めること保つこと、ことを知らせる
 こうして、社会学、社会科学ってものが今までどれほどのことができてきたのか、あるいはむしろできてこなかったかっていうことに関して、自覚する、というかな、そういうところから始めなきゃいけないっていうようなことを、方々で言ってみたりしてるわけです。なんだか偉そうですが、本当なんだから仕方がありません。
 そういうことを調べる仕組みというかあるいは調べることが可能であるための前提というか、そういうことを最後にすこしお話しします。
 坂田(勝彦)さんはハンセン病施設のことをお話になったわけですけれども、もちろんご存知の方はご存知のように、戦後何十年という年が経って、今どこの施設でも入居者は次々に高齢になって亡くなられている。最盛時の10分の1をもう切っている。残られてる方は若くて80、90だっていうような状況です。ここから素朴に、今調べとかないとそのうち何も、少なくとも話を聞く相手はいなくなるよっていう、当たり前と言えば当たり前のことがわかるわけです。
 私の本ではまったく触れていないハンセン病の人たち用の国立療養所があります。我々の大学院では、愛楽園っていう沖縄の療養所でのことを調べた鈴木陽子さんが博士論文を書きました(その後書籍化→鈴木[2020])。それから田中真美というやはりもと院生が、愛生園を行き来しています。
 全生園は、日本を代表するという言い方は違うんだろうと思いますけども、東京という場所にあってきた施設です。資料館もあそこにすでにありますし、どうやら政府のほうでもそこは何かしら拠点というか、残していくようだ。けれども、他のところは、全てをお取り潰しっていうことにはならないかもしれないけれども、縮小していってっていうふうになってる。それでいいのかって考えてもらうためにも、愛生園のこと、これまでの愛生園の歩みを我々の大学で展示するその準備を田中さんがやってくれています。コロナで開催が延期されて、2021年2月からの開催になります。またホームページやツイッターやなんかでお知らせします。
 そうしたことは、象徴的・典型的にはハンセン病の療養施設に現われているいるわけですが、もちろんそこだけではありません。自明に必要なことは、1945年に戦争に負けてからでもずいぶん時間が経ってるわけで、その間のことを例えば人に聞くのであれば、もうそろそろ終わりになってしまってるっていう当たり前のことです。
 では文字資料は紙でできてるんだからずっと残るのか、これもそうではないです。散失していく、人が亡くなって遺族がゴミにして捨ててしまう、古紙にして捨ててしまうこともまた多々あるわけです。そうしたものを拾って集めて収集するというようなこと、こういうことが基礎にないとですね、その上に建物は建たないというか、これも考えてみれば当たり前のことなんだけれども、それは一人一人の努力だけでは足りず、一定の組織的な力、端的に言えばお金、そうしたものも必要になってきます。
 2019年度まで私たちがやっていたのは科研の基盤Bの「病者障害者運動史研究」で、終わってしまうんですけれども、とりあえずこの(2019年の)秋に出るのは、福島県における1970年頃からの福島県の障害者運動、当然そこには2011年の震災、震災にどういうふうに応じたのか、対したのかってことも含まれるわけですけれども、1冊、『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』が出ます(青木他[2019])。それは福島についてのたった1冊の本でしかないわけです。でもそこそこの手間と力はかかった、と考えると、もっとなされるべきたくさんのことをするためにはそれの何十倍・何百倍の力ってものが必要になってくるっていう、これも当然のことです。
 で、我々としてはそうしたことを、お金はないので国にお金を求めつつですね、今私は大学院の教員であるとともに、立命館大学の生存学研究センターって(2019年)3月まで言っていて、今度研究所っていうのになりました、何がどう違うのか自分でもわかりませんけれども、そこの所長というのをやってます。そこのひとつの大きな仕事としてアーカイビングですね、ものを集めて整理して発信するという仕事が、組織の仕事として大学に課せられた使命としてですね、あると考えています。

■こくりょうを&から動かす
 そういう地味と言えば地味な仕事をせいぜいしながら、最初の話に戻りますけれども、やっぱり今やっとかないとっていうこともいっぱいあります。
 国立療養所、旧国立療養所ですね、に、かなり多くの筋ジストロフィーの人たちが30年、40年という長さで収容されて暮らしている、ということが実はあります。昔は20歳前で亡くなる方多かったですけれども、今は40、50という方たくさんおられます。ですけれどもその40、50、の人が6歳、7歳から30何年、40年暮らしてきて、今もそこから出られない、その間に40、50になるという、今そういう時期なんです。
 その人たちが病院から出て暮らせるように、あるいはその病院での暮らし向きがなんぼかでもましになるように、という動きがここのところ、なぜここ2、3年なのかっていう事情も理由もあるんですけれども、私の近辺で始まっています。兵庫県、それから京都、そうしたあたりで始まって全国に広がっている動きがあるのです。そうした情報をまとめたページを作っています。「こくりょうを&から動かす」っていうので、生存学研究所には2つのサイトがありますけれども、そのうちの一つ(http://www.arsvi.com/)の表紙から行けるようにしてあります。ご覧ください。
 2017年の10月に、金沢の医王病院っていう病院から、初めて、死んで退院するっていうのを業界では「死亡退院」って言いますね、その死亡退院ではない形で退院して金沢市内のアパートに移った古込さんっていう方がいらっしゃいました。40代、37年かな、施設に暮らした人です。その人のいわゆる地域移行ということに少し関わったんですけれども、その方がこの(2019年)3月に亡くなられた。青い本の何か所かにもその人出てきていて、「序」にまとめています。そういうふうにことは動いているのでもあります。
 ですから一方で時間を取って長く見てゆっくり後ろに下がって調べていくってことと同時に、今やっとかないと人は死んでしまう、誰もいなくなってしまうっていうリアルもある。その両方に足をかけてというか、往復してというか、考えていったり調べていったり、あるいは運動家たち、民間で活動している本人たちと一緒に動いていくってこともまた求められているし、そしてそういうことをやってく中で我々はその歴史というものを改めて振り返る、地味に記述する、あるいはその因果について考える、そういった作業の必要性っていうものもまたリアルにわかるだろうし、その中でそういう仕事を続けていける、そういうことにもなるんだろうと思っています。その前の何十年がなんだったのか、それを記す。それを知らないと活動・運動ができないなんていうことはないです。しかし、すべての人にではなくても、知ってもらいたい。今に至る事情がわかるとともに、そのようであるしかなかったわけではなかったこと、変えてしまえばよいこと、それもわかります。
 そして、この今起こっていることも、その毎日が歴史としてすでに堆積していっているのです。それを、時間が経ってしまって散逸がどうだとか言う前に、その都度その都度記録していくこと、これは、今なら、より容易です。現在をアーカイブするということです。だからそれもやろうということです。
 とりあえず以上です。どうもありがとうございました。

■科研費応募「生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築」
 2019年に福祉社会学会の大会で話した話を編集し加えた話は以上だ。その私は、勤め先にある「生存学研究所」に関わっていて、大きな研究費に応募することはほぼ「おきて」になっているということもあり、2019年11月、科研費の基盤Aに応募したが2020年度は採択されなかった。その時の書類を掲載している(立岩[2019d])。悔しいから大口を叩くが、これがなぜ落ちるのか理解できなかったし、今もできない。それで書類の改善の仕方も思いつかなかったのだが、人の手も借りて2020年11月にまた応募した(立岩[2020c])。やはりその全体をHPに掲載しているのでご覧いただきたい――上記の研究題名で検索、あるいはHP表紙→「蔵 身体×社会アーカイブ」http://www.arsvi.com/a/arc.htm、本稿・その文献表上の文章にもこの頁からリンクされている。
 冒頭は次のようになっている。正確には、なっていた――以下は2019年版。真面目に、書いた通りに、思っている。

 ▽人は有限の身体・生命に区切られ、他者と隔てられる。そこに連帯や支配、排斥や支援も生じる。人々は、とくにその身体、病・障害と呼ばれるもの、性的差異、…に関わり、とくにこの国の約100年、何を与えられ、何から遠ざけられたか。何を求めたか。この時代を生きてきた人たちの生・身体に関わる記録を集め、整理し、接近可能にする。そこからこの時代・社会に何があったのか、この私たちの時代・社会は何であったのかを総覧・総括し、この先、何を避けて何をどう求めていったらよいかを探る。
 既にあるものも散逸しつつある。そして生きている間にしか人には聞けない。であるのに、研究者が各々集め記録したその一部を論文や著書にするだけではまったく間に合わないし、もったいない。文章・文書、画像、写真、録音データ等、「もと」を集め、残し、公開する。その仕組みを作る。各種数値の変遷などの量的データについても同様である。それは解釈の妥当性を他の人たちが確かめるため、別の解釈の可能性を開くためにも有効である。
 だから本研究は、研究を可能にするための研究でもある。残されている時間を考慮するから基盤形成に重点を置く。そして継続性が決定的に重要である。仕組みを確立し一定のまとまりを作るのに10年はかかると考えるが、本研究はその前半の5年間行われる。私たちはそれを可能にする恒常的な場所・組織・人を有している。著作権等を尊重しつつ公開を進めていける仕組みを見出す。本研究では生命・生存から発し、各地にある企てと分業・連携し、この国での調査データ全般のアーカイブの拠点形成に繋げ、その試みを近隣諸地域に伝える。△

 このように宣した後、具体的な構図・構想を示している。
 T「研究の視座・軸」。A「不如意な身体との生」、B「身体関与の技術・装置」、C「社会の見立てとその変位」、D「社会の仕組みとその変容。」
 U 収集・整理・公開 この部分は、一部を略し、引用する。

 ▽0[制度的・倫理的な問題についての検討・方針の決定] […]
 1[調査・収集・整理の体制] とくに2019年度までの基盤B研究「病者障害者運動史研究」で録音記録の文字化から公開の体制が整ってきた。そして、調査に赴き記録するのは、代表者・分担研究者だけでない。強い関心のある大学院生・PDが多くいる(→7頁)。その人たちに調査研究に加わってもらう。私たちはこれまでの経験や人間関係を生かし、助言する。それは学生たちにとっては、資料を集めることの意味を知り、調査の実践的な方法を学び、業績につなげる機会である。また、研究者だけでなく、例えば同じ病を生きる本人たちが自らの先輩や同輩に尋ね記録することを支援し、その記録を整理し資料とすることも行う。
 2[発信の体制] これまで24年間整備してきたウェブサイト(http://www.arsvi.com/――「生存学」で検索)があり、そこへの論考・資料・情報の収録、その整理を進めてきた。年あたりヒット数はこの3年の間にも約1000万ヒット増加し、年間3000万に達しようとしている。多くの主題・出来事・人等について、このサイトがなければまったく知ることのできないものになっている。作成・更新の人的・技術的体制もようやく整ってきた。この申請本書類自体も掲載し(「生を辿り途を探す」等で検索)、文献・人・事項等、多数の関連頁(HPのページ)にそこからリンクさせてあるから、詳細はそこからご覧いただきたい。
 3[貸与・提供の体制] 可能なものはディジタル化し整理しつつも、「現物」の集積の場も少なくとも一箇所は必要だ。人文社会系の研究機関が物理的な空間を有する大きな機能はそこにある。約200平米の面積のある計2室の書庫がある。手狭になりつつあるが、今しばらく維持可能だ。これまでも資料閲覧・複写・貸借に応じてきた。その機能をより強化する。
 4[連繋の体制] アーカイブは、拠点が全国にいくつもあることでようやく全体のいくらかを覆える。美馬達哉が発案し全国の多数のアーカイブの関係者11名が報告した2018年末のシンボジウム(その記録は『立命館生存学研究』3に収録)が連携の端緒となった。そこに関係者を招いた立教大学の「共生社会研究センター」がある。また、法政大学には大原社会問題研究所に「環境アーカイブズ」、神戸大学附属図書館には「ディジタルアーカイブ震災文庫」がある。例えば薬害スモンについての資料が法政のアーカイブにあるなど、当然、収集活動に重なるところがある。だからこそ、情報の共有・分業が大切になっていく。また著作権等の問題にどう対応するかについても、検討経過・結果を伝え参考にしてもらう。
 5[アーカイブの構築] 例えば米国のUCBは反戦運動他の拠点であったこともあり、社会運動のアーカイブがたいへん充実していて、他国からも研究者が訪れる。大学院の講義にも招聘したUCBの人類学者カレン中村らを通じて連携する。調査データのアーカイブの(バーチャルな)先例として青山薫が「UK質的データアーカイブの設立経緯とその後」(『立命館生存学研究』3)で紹介している英国の「UKデータアーカイブ」、その一部をなす「クオリデータ」(創設者はエセックス大学社会学者のポール・トンプソン)がある。取り入れるべきを取り入れ、日本における(とくに質的)調査アーカイブの先鞭をつける。△

 V「何を集め収め知らせるか」。@「声と姿」、A「ものとそのディジタル化」、B「ウェブサイトにおける情報収集・公開」、C「困難な収集にも取り組み散逸を防ぐ、推移を把握する」、D「展示」、E「本・論文」、F「近隣に伝え、協働する」。@「声と姿」だけ全文を記す。

 ▽とくに力をいれるのは、前世紀から生きてきた人たちの経験・行動の記録を集めることだ。1930年生の人は90歳を、40年生の人は80歳を超えた。既に多くの記憶が失われ、ここで力をいれないと、さらに失うものは大きい。語りが大切だとは誰もが言い、書籍や論文も増えてはいる。しかし研究者が個々に聞き取りをし、それを自らの手許だけに置き、そのごく一部を使うというのではもったいないし効率的でない。むしろその「もと」が集められ保存され公開できるものは公開されるべきである。2017〜2019年度の基盤B研究「病者障害者運動史研究」の関係で350ほどの録音記録がある。現在、手を加え、許可を得ながら、文字化された記録のウェブ公開を進めている。申請時の掲載分が約160。その調査で話を聞いたのは50年代生まれの人たちが多かったが、同時期の証言の数が増えていくと、厚みが増し、人やできごとのつながりが見えてきて、時空が現われてくる思いのすることがあった。
 その記録はその人自身のものだ。インタビュー記録を話し手の著作物として、承諾を得たうえで、本人が望むかたちで、公開する。それを各々が受け取り、読み解く。政治学などでは著名な政治家についていくらかそうした仕事がなされている。しかしもちろんそうした人たちに限定する必要はない。本研究はその体制を作るとともに、その内実を作っていく。動画・音声・文字記録をウェブ上の一つの画面から得られるNHKの「戦後史証言プロジェクト」のような試みはより手間がかかるが、そうした企画も、協力が得られる範囲で行う。△

■註
★01 『病者障害者の戦後』のあとがきより。「私は、生政治というものは、こういうふうに、つまり本書に記したように、凡庸に作動するものだと考えている。その凡庸な動きをひとつずつ、一度ずつは記述せねばならないと思って、結局ずいぶん長くなった本書を書いた。」(立岩[2018b:474])
★02 それだけが存在し、それだけで説明できると言っているのではない。全体の概略をごく簡単に記した最近の文章として「とくだんかわったことはなにも」(立岩[2021a])。
★03 私の勤め先の人たち(主に大学院生)の仕事を紹介し、そこにどんな脈絡をつけることができるかを示した『生存学の企て』の「補章」に以下。
 「無理に丸く収める方が難しいと思うのだが、そんな癖をどこかで身につけてしまっている人がいる。というより、それは人の性質の問題というより、むしろある種の業界・学界の問題だ。何十年もあるいはもっと長くどうにもなっていないことについて、16000字や20000字でなにか「展望」を示せると思うことの方が倒錯しているし、実際にそんなふうに書いてあるものの多くは、空疎である。まずは「ことに即する」ことだ。それでも、一つや二つ、なにかまとめ風に言えることはあるはずだ。そうやって雑誌論文の数を増やしながら[…]一つについての全体を書いてみようということだ。」(立岩[2016:218])
★04 「『病者障害者の戦後』を書いたきっかけの一つには、結核やハンセン病者たちの収容施設として戦後つくられ、その後筋ジストロフィーと重度心身障害の子どもたちを収容した国立療養所の所長たちがつくった『国立療養所史』という本を入手して読んだということがあります。この本のなかで所長たちは自分たちがやってきたことを自画自賛している。こうした彼らの自己肯定もまたある種の閉塞をつくってきたのだろうと思います。
 熊谷さんにも注目していただきましたが、東大医学部にいた人達の歴史は、大概の方がすでにお亡くなりになっていることもあって、忘れ去られようとしています。しかしきちんと覚えておいたほうがよいことも少なからずある。例えば、白木博次という神経病理学者がいます。彼は東大闘争のときに医学部長の職を追われましたが、その後も水俣病訴訟で患者側の証言人として法廷で証言したりして、「社会派」の医者として尊敬もされていました。だけれども、それだけなのか。僕は、東大闘争がほぼ終わっていた、しかしすべて消え去ってはいないといったその大学にいた人間ですが、当時関わった人たちが白木のことをよくは言わなかったというかすかな記憶がありました。この記憶を辿って調べてみると、彼が果たした役割がわかってきたわけです。そしてそれは、『造反有理』(立岩[2013])で取り上げた秋元波留夫や臺(うてな)弘もそうですが、じつはあいつは悪いやつだというだけのことではない、もう少し微妙なのですがそこが大切なところだと思ったのです。」(立岩・天田[2019])
★05 白石について『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(青木他[2019])に収録された「分かれた道を引き返し進む」(立岩[2019c])に、高橋について『弱くある自由へ』の第2版(増補新版)(立岩[2020a])に新たに収録した「高橋修 一九四八〜一九九九」(立岩[2020b])。

■文献(25)
◇天田 介・樫田 美雄 編 2021 『社会学――医療・看護・介護・リハビリテーションを学ぶ人たちへ』(仮題),ミネルヴァ書房
◇青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子・土屋 葉 2019 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院
◇安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 2012 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院
◇早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 2015 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社
◇岩永 直子 2019 「筋ジストロフィーの人が50年以上病院で暮らしてきた理由」,『BuzzFeed News』2019-6-8
◇小井戸 恵子 2021 「なおす対象とされた障害――1960年代に行われた脳性麻痺の治療とその体験に着目して」,『Core Ethics』17
◇永山 昌彦 i2018 インタビュー 2018/09/28 聞き手:立岩真也 於:宮崎市・障害者自立応援センターYAH!DOみやざき事務所
◇中山 善人 i2018 インタビュー 2019/08/25 聞き手:立岩真也 於:福岡県久留米市・久留米市役所内
◇西沢 いづみ 2019 『住民とともに歩んだ医療――京都・堀川病院の実践から』,生活書院
◇尾上 浩二 i2020 インタビュー 2020/08/07 聞き手:立岩真也 於:(NPO)ちゅうぶ
◇立命館大学生存学研究センター 編 2016 『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ」,生活書院
◇鈴木 陽子 2020 『「病者」になることとやめること――米軍統治下沖縄のハンセン病療養所を巡る人々』,ナカニシヤ出版
◇立岩 真也 2013 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社
◇―――― 2015 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社
◇―――― 2016 「補章」立命館大学生存学研究センター編[2016:180-230]
◇―――― 2018a 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社
◇―――― 2018b 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社
◇―――― 2018c 「長い停滞を脱する」,第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから,於:京都テルサ
◇―――― 2019a 「ここから、ときに別のものを、受けとる」,西沢[2019]
◇―――― 2019b 「生政治史点描――戦後・国立療養所とその周辺」,福祉社会学会第17回大会自主企画セッション「施設の戦後史」
◇―――― 2019c 「分かれた道を引き返し進む」,青木他[255-322]
◇―――― 2019d 「生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築」,科学研究費基盤A申請書
◇―――― 2020a 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』,青土社
◇―――― 2020b 「高橋修 一九四八〜一九九九」,立岩[2020a:381-471]
◇―――― 2020c 「生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築」,科学研究費基盤A申請書
◇―――― 2021a 「とくだんかわったことはなにも」,「うたかたと瓦礫(デブリ):平成の美術 1989−2019」展覧会カタログ
◇―――― 2021b 『介助の仕事――街で暮らす/を支える』,ちくま新書,筑摩書房
◇―――― 2021c 「難病」,天田・樫田編[2021]
◇立岩 真也・天田 城介 2019 「病・障害から社会を描く――『不如意の身体』『病者障害者の戦後』青土社)刊行を機に」(対談),『週刊読書人』3285:1-2
◇立岩 真也・熊谷 晋一郎 2019 「「痛いのは困る」から問う障害と社会」(対談),『現代思想』47-09(2019-07):221-229



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■※『福祉社会学研究』掲載にあたり

●節のタイトル(小見出し)に通し番号を付していただければと思います。→済

●句読点について「、」は「,」、「。」は「.」のご使用をお願いいたします。→済

●お手数ではございますが、注については、本文中の該当箇所に、右肩上付きで、1), 2), 3) ... と順に示し、文末の表記も同様にお願いできればと思います。→済

●(ご確認)文中の▽の箇所は引用とのことですが、掲載時には該当箇所の字下げという指示でよろしいでしょうか?→はい

●参考文献の記載について、著者名と発行年のあいだ、および発行年と論文名のあいだに「,」を入れてください。また、文献の末に「.」をお願いいたします。→済

●邦文要約(600 字以内)、

 身体と社会を巡るアーカイブの必要性、それを構築しつつなされる研究の堆積が必要であり、急がれることを述べる。その際に留意すべきことを幾つか示す。そしてその作業は、例えば、いま国立療養所にいる人たちの生活の今後にも関わっているのだと言う。

★英文要約(300 語以内)

 身体と社会を巡るアーカイブの必要性、それを構築しつつなされる研究の堆積の必であり要、急がれることを述べる。その際に留意すべきことを幾つか示す。そしてその作業は、例えば、いま国立療養所(national sanatoria in Japan)にいる人たちの生活の今後にも関わっているのだと言う。

●キーワード(5つまで)、
 アーカイブ/現代史/生権力/生政治/国立療養所

●英文キーワード(5つまで)
 archive/contemporary history/bio-power/bio-politics/national sanatoria in Japan

●英文題目
 Archive Contemporary History of Body / society


●ご所属の英語表記、お名前の英語表記
 Graduate School of Core Ethics and Frontier Sciences, Ritsumeikan University
 Shinya Tateiwa


UP:20201119 REV:20210124, 0412(校正反映)
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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