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とくだんかわったことはなにも


立岩 真也 20210228
椹木野衣・京都市京セラ美術館編『平成美術:うたかたと瓦礫 1989−2019』,世界思想社,229p. ISBN-10 : 4790717518 ISBN-13 : 978-4790717515 3182+ [amazon][kinokuniya]
2021/01/23〜https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20210123-0411

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※「うたかたと瓦礫(デブリ):平成の美術 1989−2019」展覧会カタログ に収録される予定。
 於:京都市京セラ美術館 2021年1月23日(土)〜4月11日(日)
 https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20210123-0411
※本になるようです。→送られてきました。
 https://sekaishisosha.jp/smp/book/b556700.html
◇椹木 野衣・京都市京セラ美術館 編 『平成美術:うたかたと瓦礫 1989−2019』,世界思想社,229p. ISBN-10 : 4790717518 ISBN-13 : 978-4790717515 3182+ [amazon][kinokuniya]

◇椹木 野衣・京都市京セラ美術館 編 『平成美術:うたかたと瓦礫 1989−2019』,世界思想社,229p. ISBN-10 : 4790717518 ISBN-13 : 978-4790717515 3182+ [amazon][kinokuniya]

◇20210208 https://twitter.com/akirevolution/status/1358779885301366785
送られてきた「平成美術 うたかたと瓦礫」展の図録をぱらぱた読んでいたら、立岩真也さんの「とくだんかわったことはなにも」が立岩さんらしくてとてもよかった

◇20210217 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1361973190671491075
「とくだんかわったことはなにも」(立岩真也、2021)。許可を得て全文掲載→http://www.arsvi.com/ts/20210001.htm ここから椹木野衣・京都市京セラ美術館編『平成美術:うたかたと瓦礫 1989−2019』,世界思想社 注文できます。

◇20210218 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1362360909599936514
許可(私が)得られていないという連絡世界思想社からあり、部分掲載に。本、お買い求めください。→http://www.arsvi.com/ts/20210001.htm


何もなかった
 社会は変わらない、同じ社会が続いているのだと言おうと思っている。すると平成、1989年から2019年にかけても、1990年から2020年まででもよいのだが、自然の災厄はあったし、これからもあるだろうが、社会には何も変わったことは起こらなかった。あえてそのように見ようとも思うし、実際そのようにしか思えないとも思っている。
 みなが知っていることだが、業界によって新しさ・変化を求め言い表すその度合い等は同じではない。「学問」という領域では、[…]
 人は利を得ようとし面倒なことを避けようとする。それはとくによいことでもないが、わるいことでもない。そのうえで、この社会にあるのは、一つ、生産者が生産物を取得できるという私的所有の体制であり、それを正当とする価値・信仰である。そして一つ、それを支える方向に作用する人間についての価値がある。つまり、作ることによって人の存在の価値が示されると信じられている。能産的で自律的であるのが人間であり、人間の価値であるとされる。この社会はまずそのような社会である★。
★立岩 真也 2013/05/20 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版,973p. ISBN-10: 4865000062 ISBN-13: 978-4865000061 [amazon][kinokuniya]
 そして以上に関わり、また加えて生産に関わる変化がある。誰もが知るように、技術・産業の高度化があり、生産性の向上、生産の拡大、グローバリゼーションの進展がある。そして金融。今に始まったわけではないが、おおまかには現物をやりとりするわけでない経済の不安定性があって、危機が起こると大きくなる事情がある。それがときに現実化する。1990年代の「ショック」はそういうものだった。ただそれに対して結局はいくらかのことがなされ、経済の崩壊に至ることにもならない。
 基本は以上だが、それに、いろいろな具合に社会に存在する集まりや、内部や相互の利害が加わり、壁ができ、高くされたりする。おおまかには、自分たちが得ている利益を護ろうとする方向で動き、既に多くを得ている側はさらに拡大しようとする。
 生産力の上昇によって労働人口の過剰が生ずる。それは、人がもうあまり働かなくてもよいということなのだから、本来はたいへんよいことだが、我々の社会にあっては、失業に結びつく。他方で、途上国と呼ばれた地域にも生活が楽になった人たちはいる、と同時に、格差の拡大がある。それは誰でも理解できる理由によっている。普通に人を雇うことによる利潤以外に、複製が容易な商品、さらに追加費用なしで複製し配達できる商品がたくさんある。もちろんプログラムの類がそうだが、テレビや画像で拡散される試合や催にもそのことは言える。
 楽観的な近代主義者があまり計算にいれなかったのは、地域内・地域間での紛争民族や宗教の間の争いが広がったことだが、これにしても、グローバリゼーションに伴う攻防、としてだいたいは説明できる。まず、多くやむをえず流入してくる人がいる。それほどよい目を見てはこなかったが仕事には就けていた人たちには、流入する人たちは脅威と捉えられる。他方、単純労働でない仕事をしていたりして文化障壁を利用できるため、移民・難民の流入が直接の脅威でない層はリベラルでいられる。すると自国第一を言う人が、その人はもっとずっと儲かっていることを恨まれてよいような人であっても、恨んでよいはずの人たちに支持されてしまう。テレビをつけるとまったく不要にも毎日出てくる米国の(2020年10月における)大統領の画像を見るまでもなくわかることだ。
 そんな状態は変えたほうがよいし、それは可能だ。ないものを求めているのではない。すでにあるもの、むしろ余っているものの処分の仕方を考えればよいだけだからだ。しかしそれをしたくない人たちがいる。その時、この社会に「危機」があることにされる。それを意図的な策略とだけ考える必要はない。金(税)のとり方を間違えると実際に国に金はなくなる★。国の金の出入りに関わる人たちが、それを少子高齢化による財政難だと言う。まじめにそう信じてしまっているふしがある。そうした「世界観」が世を覆い前提にされることになる。生産や生産力は足りているのだが、分けないことを、少ないこと、少なくなることのせいにすることになる。そうして足りないことが現実だとされる。それが現実だと本当に思っている人たちが再生産される。そして、すべきことできることをさぼっているから当然なのだが、局所的にはたしかに現実の不足は生じてしまっている。
★立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治 2009/09/10 『税を直す』,青土社,350p. ISBN-10: 4791764935 ISBN-13: 978-4791764938 2310 [amazon][kinokuniya]
 そうしたところをほぐしながら、変えていく根拠、道筋、方法を示す仕事がある。これはまずは地味な仕事だ。革命にもいろいろあって[…]
 仕方なくやっかいに社会はできているから、その社会をどうにかする時にも、仕方なく面倒なことを考えねばならない。だから仕方なくわくわくしない部分を含むことになる。また、理由は言わないが、派手な催として、例えば誰かが象徴する存在となるような行動はすくなくとも長く続かないし、むしろ続けないほうがよい。そして、全体としては地道な仕事であっても、ときどきは十分にわくわくするようなこともできるから、退屈なばかりでもない。楽しめもする。
 構想され目指される社会の具体的な仕組みは、みかけ上、今あるものと大きくは違わないものになるだろう。私はそれでよいのだと考える。社会なんていうものがそう面倒な具合にできていたら面倒だ。退屈に対して別の退屈を対置することになる。しかし構えは異なる。
 こうして、今のそしてこれからの社会を描くことが必要で、それが私の仕事であると思ってきた。ただ、これから記すようにその時々の出来事を追い、そのつど仕方なく言うことにずいぶんな時間をとられた。これからは、社会の大きな見立てについて短めにまとめ、もっと伝えねばと思っている。

生の浮き出し方隠され方
 こうして、そのときどきのことについて何かを言おうという積極的な気持ちは私には少ない。所有のあり方、お金の使い方であったり労働や所得の分配のあり方について基本的なことを考え書こうと思ってきた。しかし、にもかかわらず、書籍の場合もあり、またサイトの更新によってといった場合もあったが、そのときどきのことを記録し、公開してきた。サイトはhttp://www.arsvi.com/、「arsvi」は「生の技法」といった意味のラテン語「ars vivendi」の略。「生存学」で検索してください。
 多く、身体・生命・生死に関わることについて書くことになってしまった。人間やその身体に関心があるわけではないし、生死にしても、みなそのうちに死ぬという以外のことを言いようがないと思う。ただ、そうロマン的になれないから、かえってよいこともあると思っている。
 […]

受動すること
 それと「アート」――さきに「学問」「思想」「報道」と括弧をつけた――がどう関わるのか私にはわからない。何も知らない私が無理にアートに言及することはないのだろうとも思う。映画や音楽、その他からもまったく遠ざかったのはもう40年ほど前で、その後のことはまったく知らない。
 新しいもの、新しいことに応ずることは、この世界でも求められているのだろう。そして、それはこの国に限ったことでもないのだろう。とすれば、同じように、とにかく目立つとか、新しいとされているものに飛びつくとか、そんなことはありそうだしあってわるいわけでもない。そして、時代との関係、あるいは関係のなさは、様々あってきただろうし、社会をしかじかの方向に向かわせるにあたっての情動を喚起する役割を果たしてきたこともいろいろとあった。それでも私は、かなり信用している。
 まずまったく素朴に、私たちの多くは理屈を間違える、例えば社会を理解したりこれからのことを考える上での道筋を誤つのだが、アートはそれと直接には関係のないところで成立しているということがあるだろう。
 たぶんそのことと関係して、一つ、それはつまらない、と言う力がそこにはあると思う。私の場合には、音楽であることが多かったが、実際社会の多くの部分はつまらないし、つまらないと思ってよいのだと思った。
 無駄なことを気にするようにこの社会はできているが、ほんとうはなんでもよい、なんでもよいという言い方が間違っているなら、それでよい。そのことを受け取った。「現代思想」もそのようなことを言いたいのだと解することはできるが、しかしそのことを言うためなら余計な言葉を重ねているし、ここにある社会を記述するためには言葉と理屈が足りない。そう思ってきたから、そちらの仕事をしてきた。その私に気持ちをくれた側に対しては、へんな理屈や理論に惑わされないようにという以外に言うことはない。
 そしてアートは[…]
 (たていわ・しんや/社会学者)

立岩真也『私的所有論 第2版』表紙   税を直す   良い死   立岩真也『ALS――不動の身体と息する機械』表紙




[mlst-ars-vive: 21449] 本日(0123)から京セラ美術館で「平成美術:うたかたと瓦礫デブリ 1989〜2019」
Sat, 23 Jan 2021 13:25:23 +0900
立岩真也

https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20210123-0411
(出てくるまでけっこう時間かかる気がします)
https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/4191

客員研究員の井上さんの同志社の時からの友達だという
http://www.arsvi.com/2010/20180518it.htm
椹木野衣さんの企画。私は一面識もありませんが依頼いただき
カタログに「とくだんかわったことはなにも」という雑文を書きました。
じつはHPで(許可得て)読めるようにしてあるのですが、
世界思想社から出版されるそうなので
https://sekaishisosha.jp/smp/book/b556700.html
(そのことは今日にいたるまで聞いてないような気がします)
ここにURL貼るのはとりあえずよしときます。
割引券とかもらってませんが、原稿のことでお世話になった
京セラ美術館の担当の人に頼んだらもらえるかも。立岩

UP:20201014 REV:20201016, 19, 20210124, 0217
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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