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優生思想?・8

新書2のための連載・08

立岩 真也 2020/10/05 『eS』

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 この文章は、2020年中には出したいと思っていた本・2の草稿として準備を始めたものです。
 『介助の仕事』のための連載と異なり、順不同で書いていきます。今のところ、以下に記す取材時の記録を切り貼りしているだけのものです。だんだんと整理し、かたちを作っていきます。
 ここにおく註と文献表は、新書では大幅に減らされます、というよりなくすと思います。紙の新書をご購入いただいた方に有料で提供する電子書籍版には収録しようと思います。
 2021年の刊行になりました。7月には刊行していただきます。『eS』に連載?した文章(というか、方々で話したものの記録の抜粋)はそのままでは使えないので、大幅に書き直し書き足すます。〈Webちくま〉での連載をお願いしようと思っています。

◆立岩 真也 2021 『(本・2)』,ちくま新書,筑摩書房

優生学優生思想
優生学優生思想関連文献


 ※以下は2020/05/16の講義の記録をすこし編集した(しつつある)ものの後半。一部今度の本に使うところがあるかもということでここで編集していきます。

◇i2020 講義 2020/05/16 講師:立岩真也 於:
◇文字起こし:ココペリ121 0200516立岩京都看護大学大学院講義コロナ_229分
※聞き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
 聞き取りが怪しいところは、【  】(hh:mm:ss)しています。



 「感染爆発時における人工呼吸器の配分を判断するプロセスについての提言」って文書が出たんです。3月の末だったかな。これはですね、これリンクされてるはずです。これですね。「生命・医療倫理研究会」って書いてあって「何だろう?」って思うんですけど、後ろのほうを見ると「有志」って書いてあって、さらに「何だろう?」って。上は「研究会」で、下は「研究会有志」って何だろう?って思いますよ、思うようなものなんですが。まタネを明かすとですね、東大の医学部のほうに、みなさんと同じですよ、社会人でちょっと医療倫理のこと勉強したいっていうんで取れる、短期間のコースがあるんだね。しばらくやると修了証かな、みたいなもらえる、そういうコースがだいぶ前からあって。うちの大学院でもそのコース修了して、修了証みたいなのもらったことある人いますよ。そこの卒業生みたいな人が何人かで作った、それだけっちゃそれだけのものなんだよね。[01:54:34]
 で、中身は何かっていうと、アドバンスト・ディレクティブ(advanced directive、事前指示)ですよね、事前指示書のことで研究したいって人いたじゃないですか。そういう事前指示みたいなもので、「こうなったら呼吸器取ってもいいです」とか、「呼吸器つけなくてもいいです」とかっていう、この事前指示っていう話ってのは昔からあるんですよ。法的効力うんぬんは別として、そういうものを書いとく人、そういう意思を表明する人ってのはいるわけですよね。で、そういう場合には認めましょうっていう、全然新しくも何ともないっていうか、昔からある話があって、それにコロナをくっつけたってだけの話なんだよね。つまり「コロナになって呼吸器足んなくなったら、いざとなったら私は要りませんっていう人にはつけないでいきましょう」「要らないって言ってる人からは外しましょう」っていう。二つの話をくっつけたらそうなるわけじゃないですか。それだけっちゃそれだけの話なんですよ。中身はそれだけだよ、本当に。なんですが、でもそれどう考えたらいいのか、っていう話はあるんですけれども、それはまさに尊厳死・安楽死の話なんで、ちゃんとはしません。結論だけ言えば、本人が死にたいって…、本人が死にたいって、要するに自殺したいってことですよ。自殺したいって時に、「自殺したい」って言われたら、「はいどうぞ、死ねば」って「お手伝いしますよ」って言うか?っつう話なのよ、素朴にね。普通しないわけです。っていうあたりから考えても、そんなにOKってことじゃないでしょ?っていう。素朴にはね、そういう話になんですけど。だから何にも新しいところはないし、ある意味なんか、それをくっつけて、今までだったら「その意思は尊重しましょう」ってお話だったのが、コロナっていう状況とくっつけることによって、「コロナ大変なんだから」、要するにそのトリアージですよ、的な話でね。その「死んでいただけるとありがたい」っていう、とは書いてないですよ、書いてないけど、そういう文脈じゃないですか、昔からの話をコロナにくっつけたってことは、っていうことなんです。
 こういう文章は本当になんというか、どうしたらいいのかなって思うところはあって。でさっき言った、2年前3年前に「透析使ってるやつは自分で金払え」みたいなこと言ったやつとか、いろんな人が年に一人二人は必ず出てくるんですよ。で、そういう人たちの言ってることをいちいち取り合うかな?1っていうのは時々考える。で、取り合うってことは相手にしてるとかでしょ? ほんで、言ったらその分知られるわけじゃない。ツイッターと同じだよね、拡散しちゃうわけだ。だからって思うんだけど。これね、NHKのサイトに載ってるとかっていう。それで何とか研究会って、生命倫理研究会とか書いててさ、なんかえらそうな感じがするわけですよ。なのでなんか取り上げられちゃって、「なんかこういうことらしいですよ」みたいなね。てなると、もう大手が取り上げてるから、「ほっとけば消えるだろ」っていうふうにもいかず、「何か言わなきゃいけない、ああめんどくさい、またかよ」っていう、そういう話なんだよね。で、そういうふうになっちゃうと、***(01:58:32)って話を受け入れると、そういうふうに話は流れてしまうと。で、自分のこう「はいどうぞ」っていう、その譲り合いだよね。美しい、自己犠牲っていうのは、とりあえず美しいって認めてもいいよと。だけど自己犠牲で「いいですよ、はいどうぞ」って言った時に、「はいわかりました、じゃあちょうだい」っていうのが倫理なのか?ってことですよ。ていうふうに考えなきゃいけないのに、「はいどうぞ」って言われたら「はい、ください」っつって「はい、外します」っていう、そういうふうに考えてしまう僕たちっていうか私たちっていうかっていうのは、やっぱりこう反省っていうか、「俺たちゃ何を言ってるんだ?」と、「何に加担してるんだ?」っていうところから考えるから学問ってのは多少の意味があるわけで、そうじゃないっていうんじゃだめだっていうことなんだ。でも言いたいのはわかると。特に医療現場の人がね、なんかそのクレームがついたりさ、なんかやっちゃった時にあとで文句言われたりさ、そういう時に責任を問われたりするって、そういう時になんかお墨付きみたいなものがね、あるといいよね、ってそれはとってもよくわかるんですよ。だけど、それですむ話ですか?っていう話がたぶん次に書いた話だと思います。[02:00:16]
○でもじゃあ僕は、ありとあらゆる場合に、優先順位をつけなきゃいけない場合っていうのは、ありとあらゆる場合にないのか、あるいはなくせるのかっていうこと、そういう暗い話を、減らせるのは減らせるんですよ、もちろん、だけれどもなくせるかっつうと、それはなくせはしないだろうとは思うんです。とすると、それを考えとくっていうのも、それこそ生命倫理のテーマとしてはありえますよと。だけど、っていう話をたぶん次にしていると思います。
 で、これはみなさん、みなさんっていうか、これ生命倫理だからね、昔からある話で「救命ボート問題」っていうね。救命ボートにみんな乗せると救命ボート沈んじゃうと。で、みんな死んじゃう。だから誰か降ろさなきゃいけないと。てか、降ろすなり、乗せらせないっていうことですよね、結局。じゃあ誰を降ろすのか?っていう、誰を外すのか、誰を乗せないのかっていう話は昔からあって、誰がどういう話をしてるのかっていうの知りたければ、僕はあまり知りませんけれども、本読めばいろいろ書いてあると思います。けど、たとえばそういう時だって、ちゃんと考えてもの言ってんのか?っていうことになれば、僕ははなはだ疑問だっていうふうに思ってるわけですよ。さっきの話ってのはさ、私が「やめる」って言ったら、「私は、じゃ乗りません」って言ったら、「はーい」っつって「言うとおりにしましょう。そうすれば僕ら生き残れるから」って話ですよ。ね、さっきの話は。それが生命倫理学が大切だって言う自律性、オートノミーっていう原則から導かれる話だっていう、そういう理屈ですよ。で、それで引き下がっていいのか?っていうか、それで終わりにしていいのか? 「私乗りません」「はい、乗らないでください。おしまい」っていう話でいいのか?っていう。、それ一つの基準ですよね。「はい」って手挙げた人に降りてもらう、ってのも一つの基準じゃないですか。で、「それでいいのか?」ってのは一つの問いです。で、考えてくと、「いや、そういうことじゃないだろ」っていうのが僕の論ですけどね、たとえば、たとえばというか、一つにはそういうことがある。
 もう一つは、「もう一つは」って、もういくつかしかないと思う、10も20もないんですけれども。本当に救命救急で生きられない、やっても生きられないっていう人と、やったら生きられるかもしれない、可能性があるって人しかいなくて、その二人しかいなくてそのうちの一人しか選べないとなったら、僕は措置をすることによって生きられる可能性がゼロの人と、50パーセントの人、あるいは80パーセントの人がいるとすれば、ある人につけるってのは、これは選択肢としては選択としては仕方…、正しい、少なくとも仕方のない選択肢だとは思うんですよ、ね。で、「そうだよね、そういう時は順番つけなきゃいけないよね」っていう話と、ーーいいですか、ここが大切なとこですよ、ーーと、「いや、この人はつけると10年しか生きないかもしれない」「この人はもっと、60年生きるかもしれない」っていうね、二人いるとするじゃないですか。そうした時に、いいですか、その60年生きる人を常に必ず優先すべきであるかって言えるかってことなんですよ、たとえば。これたとえばですよ。そんなに簡単じゃないと思いますよ。[02:04:47]
 で、この話はかなりディープな話になってくので、本当はちゃんとしなきゃいけないと思ってます。でもそんなことをこの講談社の『現代ビジネス』とかいうところでやり出したら、読まないと思うし。っていうんで、そこそこにはしてあります。ただ、ちょっとやろうと思って、でも実際には原稿書けてないんで、書いてないんですけど。でもちょっと宣伝というかしとくと、僕は2004年に、『ALS』って本を書いた年と同じ年なんですけど、同じ年の1月に、『自由の平等』って本を書いてるんですよ。これ岩波から出てしばらくは売ってたんですけど、岩波っていう本屋さんはね、いいとこもいっぱいあるんですけど、すぐ本を絶版にしちゃうって悪い癖があって、これ今買えません。電子書籍っていうかただのテキストファイルですけど、なら入手できますけどね。僕が提供してるんですけど。で、その絶版になった、絶版っていうか品切れになってるってこともあるんで、これの第2版を出そうと思っていて。
 で何の話かっていうとですね、平等っていうのはそういう選択せざるをえない場面で、一つの大切な原理かもしれないっていうふうには思います。だから、で、僕らが仕方がないって思う時に、二人のうちの一人を選ばなきゃいけないっていった時に、ある種その平等っていう基準によって決めるっていうことは、僕は仕方がない時があるのかな、と思ってね。そうすると、いや、そういう話をこの『自由の平等』って本に書いたかっていうと、ああ、そういえば書かなかったなあ、と。なら、どういう場合に平等ってことを言わざるをえないのか? じゃ、その平等っていうのはどういう平等なのか?っていう話を足したら…、この本の第2版に足せるかな、と思って、そこはここに書こうかなと今思ってます。まだ書いてません。というか途中まで書いてあります。
 で、これをどこで出すか、今ちょっと考えています。一つは青土社、今僕の本いっぱい出してくれてる青土社ってところからですけど。ただね、あんまり安くはなんないんだよね。で、僕の本2冊文庫になってるんですけど、文庫にすれば安くなるというので、ちょっと今悩んでます。ていうのは、こんな話、まじめな話の最中にしちゃいけないんだが、『現代思想』って雑誌は青土社っていう本屋さんから出てて、『現代思想』に連載する…、で僕は、みんなそうかもしんないけど、やっぱ締切がないと原稿書かないんですよね(笑)。無理矢理締切作ってもらって、原稿書くっていうふうにして一所懸命がんばるんですよ。だから、だったら『現代思想』っていう雑誌、あれは月刊なんで月に1回書けるっていうか書かなきゃいけないんですよ。だからそれでペースを作って、で『現代思想』に載せる、そうするとその本は青土社から出さざるをえないんですね。だから青土社でいいかな、っていうのと、でもそうすると高くなるな、文庫かな、文庫だと生活書院だな、生活書院だとでも連載にはなんないな、とか、そんなことを今は考えてます。すいません、つまんない話でした。[02:08:53]
 で、その平等の話に戻るとね、やっぱ人生、生きてるんだから、しょせん無理なこととは知ってはいるが、人はどうやったって、いい目を見る人間、悪い目を見る人間っていうのは、どんな世の中になったってそれはあると。そういう意味で言えば、結果的に幸福だったって人と不幸だったって人はいるだろうと。それは何したってそうだろうとは思う。だけど社会が、人ができることであれば、いい目見た、悪い目しか見なかったっていうことに、そんなに差があるよりは差がないほうがいい、っていうのは一つの考え方ではあろうと思うんですよね。と思うんですよ。そうした時に、その決めなきゃいけないって時にさ、どうなんだろうね。たとえばこういう考え方もできるんじゃないですか。「もうこいつは長い間生きてきて」、長い短いもあるけど、それだけじゃないかもしれないですよね、「いっぱいもの食って、なんか金も使って生きてきた」と。でその隣にその可能性はこれからあるけれども、今まではそういう目にあってこなかったという人がいるとしようと。そういう時にね、どうしても選ばなきゃいけないんだったら、「あんた、もういい人生生きてきたんだから、あんた遠慮してもらって」、ほんでこれからそういう可能性があると、逆というか、「これまでいいことなかった」って人のほうを残そうっていうのはどうですか? 悪い選択ですかね? いいかもしれないですよ。かもですよ。かもしれないじゃないですか。そうすると、「年寄り殺せって話になんのか」って言われそうですけれども。でも、なんだろな、僕らでもちょっとそういう話にほろっとする時あるじゃないですか。なんかね、賢いおじいさんみたいなのがさ、「お前らはこれからだ」みたいなことを言って、そうした時に、それはそれで一定もっともだという感じ。だから「じゃあじいさん死ね」って言っちゃいけないとは思いますけどね。だからそういうことが大切なんだよ。そういうことの大切さがわかんなくて、倫理とか言ってるやつは、死ねばいいとは言いませんけど、時々言いたくなるぐらいですけどね。だからそういうことですよ。ていうことを考えずに、トリアージだの、優先順位をつけましょうだの、ああ、もうつけましたって言ってるような人たちの話をあんまりちゃんと信じちゃいけないって、そういうことを言いたいんです。わかってくれたでしょうかね。
 そんなことです。だから倫理とか言ってさ、なんか教科書1冊読んでさ、わかった気になって、「はい、それでいきましょう」っていう倫理が一番やばいね。一番というか、あまりよくないですよ。だったら勉強しないほうがいい、って思うぐらいですよ。でも考えざるをえない場合も確かにあるんですよね。そうした時はちゃんと考えましょう、ってことですよ。ちゃんと考えましょう、って思ってるのです、私は。そんなこんなです。[02:12:44]
 それが第2回目の話です。で、第3回目まで書きました。それが、いつだ? わりと最近です、5月の2日、最近じゃないですね(笑)。そっか、それから止まってんのか、あかんなあ。えっと、3回目ですね。これはまだ原稿が残ってますね。講談社に叱られますね。はい。どっちでもいいです。でも講談社のサイトのほうがカラーがあって、きれいかどうかわかりませんけれども、あるので、みなさんカラーのほうを。役に立つかどうかわからないですけど、最初の入(はい)りは、この間のもうしゃべった話の繰り返しですね。
 なんかこう身近のところに僕らは目がいきがちなんだけれども、それは大変よくわかる。自分が生きるか死ぬかって話だからね、それはわかりますよと。わかりますけれども、やっぱそういう時だからこそ、遠くを見るとか、大きく見るとか、広く見るってことしないとだめっしょ、という話です。それだけにしときます。もうさっきしゃべったので。
 で次が、ちょっとこのへんから無理があるかなって感じがするんだけど、さっき足りない、あるいは足りなくなるとすれば、世の中には2種類しかないと。「もの」か「人」かっていうことだった。いうことで、さっき「もの」の話はしたことにしたとするじゃないですか。にして、「人」の話に移りましょうって、そういうストーリーです。ちなみに「もの」の話は本当は終わんないんだよね。本当はね。これもなんか、流行りすたりってはなはだしいなっていうか、すぐなんかみんな流行り忘れちゃうんだなって思って。僕は、今なんかそういう脳天気な、「足りないことはない」っていう脳天気な話を、もう決めたんだよね、することにね、してますけれども。どっちかっていうと僕は始まりは「ものは足りない」派だったと思うのね。それもこの連載に書いてないから、書いてないこと話したほうがいいのかなと思って言うと、僕は1960年って年に生まれて、70年ぐらいに小学生で、79年に大学に入ってっていう、60年代70年代に子どもしてた人間です。で、田舎でぼーっと暮らしていたので、なんかぼーっとしてましたけれども。そんなぼーっとした人間でも中学校とかなってきた時に、やっぱ当時の、最初にいわゆる社会問題ってやつってものがあるんだなって思ったのは、環境問題ってやつだよね。公害って昔言ってましたけど、今はあまり公害って言わないよね。地球環境問題とかさ、なんかサステナブル…CDなんとかって言うよね。そういう熟語で言うのが流行りだけども。そういう、公害って言ってたような、水俣病であるとか、四日市ぜんそくであるとか、イタイイタイ病であるとか、そういうことが世間を騒がせて、というか社会問題になって、「おお、ひでえな」っていう、そういう。それはもちろん人間が何かによって害される、特に天然自然のものならしょうがねえっちゃしょうがないのかもしんないけど、人間が作ったもので人間が殺されるっていうのはだめでしょう、っていう、そういうことでもあったし、なんかこう「ものを作りすぎてんじゃないの?」っていうか、なんかこう「自然壊してるじゃん」ってね。やっぱりそういうことは、もちろんもっと前から50年代60年代から言われ始めてたんだけれども「ほんとそうだよね」という時に、「やっぱりもの作りすぎてんじゃないの?」と、「消費しすぎてんじゃないの?」と、「そしたらものなくなっちゃうんじゃないの?」みたいなね、そういうような時代っていうか。そういう時に、僕は小学生の終わりぐらいであったり中学生だったりしたが、どっちかって言ったらやっぱり「ものいっぱいあんだから使やあいい」っていうノリではなくてね。ですよ、本当はね。今でもそういう地球環境問題とか資源の枯渇問題っていうのは別になくなったわけじゃない、とは思ってるんですよ。それはね。だけどあんまり心配しすぎるのは確実によくないよなと思っていて。ちゃんと冷静に、そこはクリアに考えましょっていうだけの話なんだけれども。
 ただね、さっきの話に、元に戻すとさ、呼吸器が足んないなんていうのは、地球環境問題でも資源の枯渇の問題でも何でもないわけ。何でもないっていうのも、ちょっと大げさかもしんないんだけど、呼吸器のほうが冷蔵庫よりは大切でしょうよ。本当に鉄がない、アルミがない、油がないって言うんだったら、冷蔵庫作るのやめて呼吸器作りゃいいんだよ。ていうぐらいの話だと思っているんです。だから「もの」の話はいっぺん終わりましょうっていう、やめましょうっていう、そういう話なんですけどね。[02:18:51]
 ほんで、「人」の話で、ちょっとここは無理くり書いたかなっていう感じもするんだけど。「人が足りない」とか「足りないからどうしよう」って時もいろいろあるなって思ったんだよね、一つはね。で、なんかやっかいごとっていうか災厄、災難が起こって人が足んないって、これまでどういうことあったかなって思ったんですよ。で僕らは、「僕らは」っての何を指してるかっていうと研究所なんですけど、この間(かん)、またホームページ見てもらいましょうか。こうやってまた表紙に行って。どこだ? これだね。下のところで「震災関連情報 2011〜」ってあるでしょ。これが東日本大震災の時に作りだしたページですよ。で、僕ら、なんていうかな、人のこと言ってられないなって思うんだよね。ていうのは、ほとぼりが冷めるとなんか忘れるっていうか、なあと思って。2011年、12年、13年ぐらいまでまじめにやったかな、わりと。だけど、しばらくほっといたなっていうページがあります。よろしかったらご覧ください。なんか不幸なことがあるたびに仕事する自分たちって何だろな、って思って。思うんですけど、しょうがないですね。だってここは、見てもらったらわかるでしょ。コロナでしょ、不妊手術でしょ、安楽死尊厳死でしょ、震災でしょ、ねえ。で、でもしょうがないと思ってやってるわけです。必要だと思ってやってるわけです。そりゃだって、病気になったら医療がある、看護があるっていう。じゃ病気がいいか?ったら別によくないですよ、ちっともよくはないですよ。だけど必要ですよね。とおんなじで、やってると。、あなたたちがやってることほど***(02:21:22)、だけども、こういうこともちったあ必要だと思ってやってるってことです。
 ちなみにこの真ん中にある「2016.7.26に起こった事件」って何かっていうと、「こいつらを生かしとくと世の中大変になるから、殺しちゃえ」っつって殺しちゃった人がいて、その事件に関しての報道であるとかそういったものを集めたページです。で、彼はこの3月に死刑判決を受けました。ので、そのあたりに新聞社からなんか聞かれてなんか答えたり、そういうのがここに載っています。ちょっと、これもよろしかったら読んどいてください。よろしくです。ちなみにこれを書いてる時に、やっぱ、今考えてるのは「足りなくない」っていう本と、それから「介護は要るんだし今も要る、もっと要るんだから、やろう」みたいな本と、それからも1個ね、なんかこういう時に話した話を使って、本もう1冊書こうかなと思って、それも途中まで書いてるんですけど。それも岩波がいいって言ったら岩波新書から出そうと思ってます。ていうんで、そういうことを思ったことも関係して、「7.26」って書いてありますけど、普通は「やまゆり園事件」とか「相模原事件」とか言ってますけどね、についての、読んで楽しいかっていうと、ちっとも楽しくはない話があります。[02:23:08]
 で、いいや。あと40分ぐらいになりましたね。もう、みなさん次の授業あるっていうんで、しゃべるとこまでしゃべって、もう今日はしゃべりっぱで終わりにします。
 ほん時に、「ああそうか、東日本の時も人工呼吸器の話あったな」ってのを一つ思い出しました。そん時はね、呼吸器が足りないっていうより電源が落ちちゃって。地震があって。であん時は東北だけじゃなくて、東京とかでも停電あったじゃないですか。あん時に電気なくて、冷蔵庫が止まるぐらい何とかなるんだけど、呼吸器止まると大変だよね。それこそアンビューでしのいだっていうケースもあったしさ。だけどそんないつまでもって…、いつまでもやったやつが52年にいたっていうの、ちょっとびっくりだったけどね、さっきの話。コペンハーゲンで。とにかく、でも呼吸器はあるから発電さえできればいいと。じゃあその発電っていうか、電気ってどうしたらいいのか?みたいなことを、僕らちょっと調べたりなんかして情報共有したりしたってことが、そういえばありました。そん時とはちょっと違うよね。あん時は呼吸器が足りないんじゃなくて、呼吸器動かす電気が足りないって話だったんだよね。じゃあそん時、とかさ。
 それから災害つながりで言うと、ここにはないけれども、95年。95年って今から25年前ですね。とすると、ここん中にはまだ生まれてない人がいるってことか。そうだよね。大学出ると22とかでしょ? ですぐ大学院に入った人いるわけだから、阪神淡路大震災の時に生まれておりませんでした、って人たちがいるわけだよね。あったんですよ。あったんですよっていうか。そん時のやつはないです、ここには。あん時は確かに人が足んなかった、少なくとも一時的には。東日本の時も人が足りなかった。それでみんなボランティア行って、僕は行きませんでしたけど、みんな行って。ほんでもって何とかしのいだっていうか、再建に力を尽くしたっていうことですよね。
 で、今回やっぱ何となくみんな重いっていうのは、そうやって「困った人がいる、じゃあ助けに行こう」っていうふうにできないわけじゃないですか。感染するから。そうやって地震とかなんかの時にワッて行ってワッてなんかやって、ちょっとなんかそうすると元気になるじゃないですか。助けられるほうも助けるほうもね。ほんでなんか、昨日よりちょっと今日はよくなった的な、ので、だんだんよくするっていう、そうですけど。今回一つには、これ誰か言ってましたけど、私の知り合い、みんな思ってることだと思いますけど、こうピーク。地震だったらバーンと来て、津波だったらバーンと来て、それが最悪の時で、それからちょっとずつはよくなってくっていうものであること。そういう天災に比べて、いつピークが来ていつ終わるっていうか、わかんないっていうのが。それと「助けたいんだけど、近づけない」っていうか、そういうのとあって、なんかそういうことも。もちろんね、それ以前になんか外出られなくって、閉じこもってるのがつらいっていう、もちろんそっちのほうが大きいでしょうし、そうだと思いますけれども、、そこが難しい。「人」が難しいっていうの、そういうことだよね。[02:27:18]
 少子高齢化で、人間が足りないって、その、何だろな、人間の絶対数が足りないっていうふうにすぐ話そっちへ持ってくんだよ。だけど、僕はそれは介助・介護の本に書きますけど、ヘルパーが足んないのは人間が足りないせいじゃなくて、給料が安いからだっつってるわけ。で、それを今書いた、書いたかな? あ、書きました、それは。それはそれで読んでください。あ、違うわ、書いてないんだ、まだ。えっと、書きます(笑)。月曜日にサイトに載っけます。載っけますので、読んでください。「人間が足りないんじゃなくて、介助する人間が足りないんだ」と。「介助する人間が足りないのは介助者の労働条件が悪いんだ、終わり」って、「よくすればいいんだ、終わり」って話で。それ言ったらその医療現場の、今医療現場で足りないっていうのも、もちろんお金のも…、労働条件だけで片がつく問題でないっていうことは承知してるが、しかしそれでだいぶ変わってくることもそうでしょうって、そういう話なんだよね。だから本当に、なんかものを変に考えるぐらいだったら、何にも考えないほうがいい、って僕は思うわけ、ね。「足りない」って言うとなんか「少子高齢化で足りない」みたいな、そういう何て言うの、短絡っつうんだよね、ショートカットっつうんだよね。そういうこう連想ゲームみたいなところで話をしちゃうと、それは何にも考えないよりももっとだめっていうふうに思ってるんだよね。じゃあ何で局所的に足りないのか? 何で局所的に介助する人が足りないのか? コロナに対応する人が足りないのか? いや、足りなければどうやって増やすのか? そういう順番で考えればいい。もちろんそうやって考えてるんですよ。だけどそうやっていったん整理して、手打てるところから手打つっていう、これもね言っちゃうと、「当ったり前の話じゃん、わざわざ言うなよ」って言われちゃうんだけれども、「でも言おう」っていう、「あえて言おう」ってことですね。


○今画面に映ってるのは、「新型コロナウイルスの時に『介助する仕事』を出す」っていう連載の第1回です★。これ何かっていうと、岩波新書で出してもらえると思ってるんだけれども、「ヘルパーになろう」っていう(笑)。なろうっていうのと、もちろんなろうっていうのと、ヘルパーいないと困るよね、だから利用するって人の話もあるんだけど、両方について、なんかこう読まない本じゃなくて、本読むの嫌いな人も読めるようなものを書こうと前々から思ってるって話をさっきしたんだけれども。それをね、でも講談社は自分ところのサイトがあるんで、そこにさっきの写真入りの連載みたいなさせてもらえるんだけど、岩波は持ってないらしいと。でもただ書き下ろしで書くと書けない、みたいなのもあるし、気が急くっていうかな、ちょっとね、とこもあって、自分で勝手に連載しようと思ったんだよ。2020年5月11日だから、5日前だね、それが第1回の掲載です。そこで書いてます。これもよろしかったらっていうか、読んでください。ま、【このへん】(02:31:23)には、あん時はああだったな、こうだったな、みたいなことは書いてあります。地震の時はああだったな、神戸の時はああだったな、阪神の時はこうだったな、東日本の時はこうだったな、みたいな。ようなイントロから始まって、で人の仕事は残らざるをえないと。機械が代わってやってもらえればそれでいいと私は思うけれども、でも人の仕事は残ると。そうした時に人の仕事をどういうふうにやっていくのか?っていう話をここでもしてるし、それからさっき飛ばした、途中で紹介を終えた連載でもしてます。[02:32:06]
★立岩 真也 2020/05/11 「新型コロナウィルスの時に『介助する仕事』(仮題)を出す――新書のための連載・1」,『eS』009



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