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優生思想?・7

新書2のための連載・07

立岩 真也 2020/09/28 『eS』30

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 この文章は、2020年中には出したいと思っていた本・2の草稿として準備を始めたものです。
 『介助の仕事』のための連載と異なり、順不同で書いていきます。今のところ、以下に記す取材時の記録を切り貼りしているだけのものです。だんだんと整理し、かたちを作っていきます。
 ここにおく註と文献表は、新書では大幅に減らされます、というよりなくすと思います。紙の新書をご購入いただいた方に有料で提供する電子書籍版には収録しようと思います。
 2021年の刊行になりました。7月には刊行していただきます。『eS』に連載?した文章(というか、方々で話したものの記録の抜粋)はそのままでは使えないので、大幅に書き直し書き足すます。〈Webちくま〉での連載をお願いしようと思っています。

◆立岩 真也 2021 『(本・2)』,ちくま新書,筑摩書房

優生学優生思想
優生学優生思想関連文献


 なんで人は、他人というか人類というかを操作する、ある人たちを増やそうとしたり、ある人たちは減らそうとしたり、そういうことに一所懸命になってきたのかを考えると、今日の話に繋がります。つまり、生産力、生産性、そうしたものに乏しい、他人のために役に立つようなものを作るってことができない、あるいはあんまりできない、そして自分が生きてくために他人の世話というか手間というかそういうものが必要な人たちが増えてしまうと、世の中が大変になっていくだろうと。なりつつあると。だからその、迷惑な、生産性に乏しい人を減らさなきゃいけないっていうふうに考えて。逆に言えばっていうか同じ話を別に言えば、もっとこう世界が豊かになるように、生産力、生産性のある人間を増やしましょうってことでもあるんだけれどもね。裏腹ですよね。そういうことの中で、他人のあり方、質、そういうものを作っていく、変えていく、あるいはある種の質ってものを減らす、人間を減らす、そういうことがなされてきたわけですよ。
 で、そういう行ないがいいか悪いかっていう話が一つはあるんだけれども、今日の話は、良し悪しの話はあるけれどもそれはそれとして、さっき読んでくださいって言った本に預けてしまって、ちょっと別の話をしようと思って、それでいま講談社のサイトに載っけてるわけです。[00:46:36] ★
★2020/04/14 「だいじょうぶ、あまっている・1」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71768
2020/04/21 「「自己犠牲」や「指針」で、命をめぐる医療現場の困難は減らない――だいじょうぶ、あまっている・2」,『現代ビジネス』 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71974
2020/05/02 「新型コロナの医療現場に、差別なく、敬意をもって人に来てもらう――だいじょうぶ、あまっている・3」,『現代ビジネス』 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72304
 それはどういう話かっていうと、もう1回さっきの1、2、3とある1回目のところに行ってみますね。これは、今年中に出したいと思っている本のタイトルがどうなるかわかんないんだけれども、とりあえず連載のタイトルを「だいじょうぶ、あまっている」っていうタイトルにしたんです。これは実は、前々からこういうことを書こうって思ってたんですよ。
 で、その下のほうはどういうこと書いてるかっていうと、もう1個いま並行してやっている仕事があって。それはちくま新書の1冊で、それはもっと早く出そうと思ってるんですけどね。介助、ホームヘルパーですよね、「みんなヘルパーってやってみよう」みたいな、そういう本を書こうと思っていて、いま原稿書いてるんですよ。僕は、そういう書こうと思ったんだが、書くもとはホームヘルパーの養成講座みたいな、ホームヘルパーっていうんじゃないんけどね、正確にはね、研修の講師みたいなの、もう5年かな、もっとかな、やってて。そこで2時間ぐらいしゃべるんですわ。それをもとに本を作ろうって今思ってるんだけれども。
 で、今の画面で見てるのは、今年の重度訪問介護従業者っていう養成研修ってので2時間しゃべった話の一部なんですけどね。で、そこんとこちょっとぱっと見てみると、今とにかくヘルパー足りない、ですよ。これはもうここ数年ずっとそうで。で今はコロナでもっと足りなくなり気味なのかな。ていう話もさっき紹介したサイトに載っかってますけれども。そういうことになると。とにかく「足りない」とか「枯渇する」とか「大変になる」とか、なんかそういう話ってそこらじゅうで聞くじゃないですか。で「ヘルパーが少ないのもそういうことだ」と、「それは何でだ?」と、「少子高齢化だ」という話になるわけです。
 で、みなさんもたぶんそうだと思うんだけど、大学、学生の授業のレポートとかさ、それから期末のレポートとかさ、あるいは修士論文とかさ、「少子高齢化の昨今」とかさ、そういうふうに始まるの、「お前ら、もうよせよ」って(笑)。それでちょっと飽きちゃって、腹立ってってのもあるんだけど。腹立ってっていうかな、とにかく少子高齢化ってどういうことかっていうと、要するに年寄りが多くなって、働ける…、要するに年寄りっていうのは働けない、若い世代に養ってもらう人間が増えてって。で子どもが減るってことは、将来働き手になる子どもが減るってことなわけだから、労働力、労働者っていうのが少なくなっていく。で世の中大変になるっていう話ですわ。
 前回はけっこうなんかえぐいっていうか、乱暴なことがありましたよって話したんだけれども、僕らがばくっとレポートに書いたり、論文に書いたりするところのイントロで、軽ーく「少子高齢化の昨今」って言っちゃうのと、「だったら人殺しちゃえ」っていうふうになるのと、ものすごい距離があるっちゃあるんだけれども、でもまったく別のものかっていうとそうでもない。なんか「今はまだいいけど、足りなくなるかもしれない」みたいな恐れですよね。それから今は、それは「なんか将来そのうち」って思ってたのがコロナが来て、もう実際になんか「足りない」と。医療者足りないと。ヘルパー足りない。マスク足りない。人工呼吸器足りない。病室足りない。病院が足りない。っていう話の中で、なんかリアルな話になっちゃって。ほんで、じゃやっぱり人を選ぶ? 優先順位つける? 除外する? 選別する? そういうことも必要なのかな?みたいな話になってるわけじゃないですか。私はこの騒ぎっていうかの前から「足りないか?」「足りなくないです」っていう話はちゃんとしとかなきゃいけないと思っていて。これはもう最初から答え言っちゃいましたね。さっきのは答え言いませんでしたけど。僕は「足りないか?」っていう問いに対して、今見てもらっている画面では「だいじょうぶ、あまっている」っていう答えになるわけです。[00:52:40]
 で、その話をしようと思っていて、思ってただけじゃなくて、もう20何年してるんですよ。一番最初にそれを書いたのは、ってちょっと思い出してみたら、「少子・高齢化社会はよい社会」っていうのを松本の医療技術短期大学部の、それどういう人たちがいたセミナーみたいなんだったっけな、とにかく大学のなんかだったかで頼まれて、そういう話をした★あたりから、もう20何年してるんです。その中には、けっこうでかい本の中の100ページぐらいとって書いたのもあるんですよ★。だからもう書いちゃってしまったって、書いてしまったんで。
 何だろな、僕らのような仕事してるとね、いっぺん書いちゃったものっての「もう2度目はいいや」って感じになっちゃうわけ。で、「新しいこと考えたい」とかになりがちなんですよ。僕もそうやってずっと生きてきて、もの書いてきて。だけどそうやって20年前に言ったとか10年前に書いたとか、「じゃあそれ読んでもらってるか」っていうと、そんなことはないっていうことがあって。残念なことがあって、私からすればね。で、ちょっと60を境にというか契機に、やさしく書こうみたいなことを。前から思ってんだ、本当は10年ぐらい前から思ってるんですよ。10年ぐらい前から「新書で書きませんか」って言われたことあるし、「いやあ、そういうこと大切だよな」って思ってきたんですよ、長いことね。だけどこう前のめりっていうかな、こう先へ先へっていうか、新しいこと、まだ書いてないこと、考えてないことを書こうみたいな感じで10年ぐらい経っちゃって。で、結局なんか厚い本、400ページとか500ページとかそういう本ばっか書いて。3千とかね、そういう誰も買わないような値段の本を書いてきて、結局そういうことはできなかったんです。だけどそろそろやんなきゃねって思って、重い腰っていうか上げて。で、その「足りてんの? 足りなくなるの?」っていう話は講談社の新書で、って思ってたんですよね。そしたらなんか今回の流行というか、感染っていうかが流行りだして。なんだろな、なんかこう「だいじょうぶ」とか「あまってる」とか言っちゃいけないっていうか、「え、お前何言ってんの?」みたいな感じになってきたわけじゃないですか。だから、ちょっと思ったんですよね、「やっぱこれちょっと、しばらくほとぼりが冷めるのを待とうかな」みたいな気が一瞬しなくもなかったんです。ですけどちょっと思い直してみて、「いや、なんかこうやってみんな大変だ大変だって言ってる、なんかこう危機感いっぱいの、こういう状況だけどというかだからというか、こういう話をしなきゃいけないのかな、したほうがいいんじゃないのかな」とちょっと思って始めたんです。[00:56:22]
 もうそれは3回分は書いて。で、わざとっていうか、別にしゃべってるわけじゃないんですよ、しゃべってるわけじゃないんだけど、「ですます調」で書いてみた。「ですます調」で書きゃあわかりやすくなるのかって、そんな甘いこと私は思ってませんが、それでもちょっとそういうのやってみようと思って、3回分書きました。で、1回目2回目書いて、2回目は特に「長い」って言われて(笑)、「そうだな、長えな」って思って、ほんで3回目短くしてっていうのを書いて。もう既にそれは載っかっているので、それ読んでもらえば。これわかんないって言われると、僕は本当に困る。打つ手がない、ほどやさしいっていうか、わかりやすい話をしているはずなのね。なので、もうあと「今日授業終わりです」って「2時になったし」で全然構わないです。全然構わないんですけれども、ちょっと、せっかく3時間、時間をいただいているので話をしようと。その中からかいつまんでお話をしようっていうふうに今日思ったんです。
 ちなみにこの話はですね、昨年2019年に「さあやるぞ」って、去年思ったんですよ。去年も「それやるぞ」って思って。それでバズフィード(BuzzFeed)っていうオンラインの新聞があるんですわ。それで、今見えてますかね? 見たことないと思うんだけど、紙の新聞はやってない、オンラインだけでやってる新聞で、バズフィードっていう新聞があって、そこで書かせてもらったのがこの「少子高齢化で『人や金が足りない』という不安は本物か? 社会的弱者に不寛容な言葉が広がる日本」★。こういう見出し作るのは編集者です。僕はこういう、なんかこう「社会的弱者」とか言いたくないんだよね。言葉を使いたくないんだよね。だから使わないんです、普通ね。そうするとなんだかよくわかんないタイトルになっちゃうね。なので読んでくれない。実際そうなんだと思うんですよ。で、編集者は読んでもらいたいから、こういうタイトルを作ってくれるんですよね。でこうやって2回書いたんです。これも今もバズフィードで読めますから、読んでください。これ2回書きました。「少子高齢化のせいで『もの』は足りなくなるのか?」★ で、ここで言ってるのは「『もの』が足りないか考えてみましょう、『人』が足りないのか考えてみましょう」っていう話の途中までなんですよね。それで、3回分4回分があってそれを10回分ぐらい書けば、本1冊ぐらいになんのかな、ってそん時は思ったんです。


 だけど、覚えている、あるいは知ってる人いるかなあ? 去年東京の福生にある公立福生病院って病院で、「人工透析やめたい」っていっぺん言っちゃったんだな、その人ね。そしたら「はい、そうですか」っつって「わかりました」っつって止められて、「じゃ止めましょう」って話になって。そしたらやっぱ痛いから、体の調子悪くなるしね。だから本人は「もういっぺんつけ直し…、つけてください」って言ったらしいんですよ。「言ったらしい」じゃなくて、確実に言ったんですよ。言ったんだけど、「あ、もういっぺんやめるって言ったから」みたいなことで、本当に外されてっていうか、それで死んじゃったっていう事件が去年起こったんですよね。で、それについて、やっぱ書かなきゃって思っちゃったんだよね。で3回目それ…、で、関係当然あるじゃないですか。やっぱり、今は「呼吸器足んない」みたいな話ですけど、「透析だってお金かかる」みたいな。で年間どれだけ、何兆円かかってるみたいな話があって。で、この事件が起こる何年か前かな、2年前かな、2017年かな、私が今勤めている立命館の卒業生らしいんだが、長谷川豊っていう輩、フジテレビかなんか、関西テレビ? アナウンサーだったやつが、「もうなんかそうやって税金いっぱい使う透析やってる人は遠慮しろ」みたいなね、「使うな」みたいな、「自分で金払え」みたいなこと言ったことがあってね。それで、やっぱり「足りないから」ですよ、それは。「こんな財政が…、国が借金抱えてるって時に金がかかることを」っていう話ですよ。だからもう、これももろ「足りない話」なんだよね。それで3回目それ書いた。
 で、なんかそれ疲れちゃってさ。僕にとって、新しい話じゃないわけですよ。前回言ったかもしれないけど、その「はい、死にたいから死にます」「じゃあはい、死んでもらってOKですか?」って言うことを、もうなんだかんだ言って僕は10何年書いてきて、本も4冊も書いちゃった、そういう暗ーい話をね。なのでもう、考える、考えられることはみんな考えたっていうつもりもあるんです。だから何か新しいことを書くわけじゃないんだけど、「誰か、書いても聞いてくれるんだろうか?」とか「言っても聞いてもらえるんだろうか?」みたいなことを考えながら書くって、なんかつらいんだよね。で書いて、それでなんか力尽きちゃってっつうか、疲れちゃったっていう感じで、その連載が止まったんですよ。で結局去年はそれで終わっちゃって。で今年思い直して、講談社のサイトで再スタートっていう、そういうことです。ですので背景説明っていうかな、中身はここにあるわけだから、中身はうち帰ってっていうか、みなさんうちにいると思いますけれども(笑)、読んでもらうとして、ほんで「なんでこういうことをうだうだやってんのか」っていう話を、「なんで書いてるのか」っていう話をしました。[01:03:33]


 ほんで、「そういうことはしちゃいけない」とかって言うじゃない。「命の切り捨ては許さない」とかさ、言うじゃない。「本当にそれってだめなの?」みたいな、そういう問いもあるわけですよ。生命倫理っていうのは、わりとそっち系だよね。「いいの? 悪いの?」みたいな。倫理ってのはそういうことじゃないですか。「いいか悪いか決めよう」みたいな、「考えよう」みたいな、そういうのが倫理学ですよね。で、「それはいいか悪いかわかんないけど、あるいは悪いってのはわかってんだけど、でも足んないんだからしょうがないじゃん」っていう話がもう一方にあるわけだよね。で、そっちの話どうしよう?ってことですよ。で両者関係ないかっていうと、関係あるんだよね。だって足りなくなければさ、たとえばAさんを生かすのかBさんを生かすのか、決める必要ないかもしんないじゃん。いいとか悪いとかと別にね。「どっちも、じゃあどうぞ勝手に生きてください、終わり」みたいになるかもしれないよね。だけど、「足りない、助かるのは一人」みたいな状況で初めて、二人のうちどっちかをどういう基準で生かすのか殺すのかっていう、そういう問いが出てくるってわけですよ。だからその「いいか悪いか」っていう話と「足りてるか足りないか」っていう話は別っちゃ別なんだけれども、だけど「いいか悪いか」っていうことを考えなきゃいけない状況っていうのは「足りない」状況。「二人のうち二人とも生かせない」っていう前提のもとで、「しょうがないから決めましょ」って話になるわけですよね。だからそういうふうに関係してるっていうか。あの、「いいか悪いか」なんてさ、あまり、僕が思うにはね、個人的意見ってやつですけ…、じゃないんだけれども、あんまり考えないほうがいいんだよ。考えずにすむ社会のほうがいい社会だ、って僕はずっと思ってて。で、本当にそう思ってるんですよね。だから、「でも、いいか悪いかを言わなきゃいけません」みたいな、っていうのはなんでかって言ったら、なんか正義感みたいなのがあって「いいか悪いか決めよう」っていう場合もあるけれども、「しょうがないじゃん、順番決めなきゃいけないんだから」という場合もある、ということですよ。でそれは、その倫理学、だからその倫理っていうのをやんなきゃいけない時ってのは、なんか好きき…、なんかもう、「そもそも」っていう場合もあるけれどもそれだけではなくてというか、「そもそも」なんてさ、考えたいやつが考えりゃいいんだよね。そういうことを言わざるをえないっていうのは、「そもそも」なんてどっちでもいい社会、人間にとってもしょうがなく考えなきゃいけないっていうような場合だと。「でも本当にそれはしょうがなく考えなきゃいけないほどのことなのか?」っていうふうに考えないとだめですよ、ってそういう話なんですよ。言いたいのはね。で、答えはもう僕は決まってて、「そんなこと考えなくたっていい」ってか、「考えなくていいようにできる社会を、仕組みを」っていう、そういうことが言いたいわけね。だから答えは決まってるんですけど、それをどういうふうに言おうかなっていう話なんですよ。[01:08:37]
 で、3回までいって。でコロナの話をもう1回するか、もうそれはよして、そもそも書こうと思ってた話に戻すかっての、今ちょっと考えてて。ちょっと止まってます。はい。そんなことです。[01:08:52]
 今、画面で見てもらってるのは、「人もものも、足りないことはない」っていう話です。で、足りないって何が足りないのか。お金が足りないってね、国の借金があるとかさ。あるんですよ、実際。何百兆ってあるんですけれども。お金が足りないって言われてもピンと、くるか(笑)。くるかもしんないけど、お金ってお金だからね。もとは何かって言ったら、世の中にあるもののもとは何かって言ったら、「人」、人間か、人間以外の「もの」。人間もものだからね。これは正しいでしょ。だから全体を「人」か人以外の「もの」に割ってるだけだから、二つでいいんですよね。そうすると、その二つに割ったうちの一つずつについて考えていけばいい。ここまで大丈夫ですよね? まったく、誰でもわかるはずですよね。
 で、「人」が足りないか考えてみましょう。「もの」は足りないか考えてみましょう。で両方とも足りないって言えないんだったら、「だいじょうぶ」だってことだよね、ってそういう話をしたいだけなんです、僕はね。だけどなんか「足りない、足りない」って、なんでみんな心配してるんだろうね、っていう話が2番目の話で。それを考えてみてわかったら、じゃあかわりに心配だけしてんじゃなくて、あるいは心配しすぎてっていうか、心配して、ある人たちを生まれないようにするとか、殺すとか、あるいは殺すっていうのはやっぱりなんとなくおっくう…、おっくうってのはなんですけれども、やっぱちょっととがめるから、「、でも自分で死にたいっつってるんだったらいいじゃん」みたいな、ね、ていう話になると。だけれども、そうならないとしたらどうか?っていうような話ですよね。[01:11:09]
○日本人は、ってわかんないけれども、わりと「いい悪いはわかんないけどさ」って言いがちだよね。僕もそうだし。みなさんもそうかなと思いますけど。「でもやっぱり大変みたいよ」みたいな。「しょうがないんじゃない? ちょっとは」みたいな。そういう「しょうがないんじゃない?」っていう話を、「しょうがある」って言いたいわけですよ。そういうことを考えたい。今だから考えたい。
 というので、この第1回目は実は去年ちょっと書こうと思ったんですっていう話をして、それで…、、ゆるゆるやっていきましょう。で、そういう予告をして、その連載の第1回目、何書いたんだったっけな? もう忘れてますが。ああ、はいはいはい。
 今、感染防止っていう話じゃないですか。もちろんそれは大切なことです。、ある程度本気にそう思ってます。ものすごく本気じゃないんだけど、ある程度本当にそうだと思っています。だけれども、じゃあ「100パーセントって可能か?」って言ったら、やっぱり生身の人間、「生身の人間」って言い方もいいかげんですけど、が生きて、完全に一人一人が隔絶された状況で無菌状態のっていうのは無理だしね。そういう意味で言えば、もちろん感染は防止しつつ、でも「なっちゃう人もいるだろうね」っていう二段構えっていうか両方考えとかないと、よくないよねと。で、その後者のほうですね、「なっちゃったらどうしようか」って、「感染しちゃったらどうしようか」っていうことをパスして「防止しましょう」ってやると、やっぱりなんか極端なことをしがちなんですよ、人間とか人間の社会っていうものはね。ていうところがある。
 それは実は今までのいろんな感染症、たとえば昔は癩病って言ったハンセン病ってあるよね。であるとか、結核もそうだし、ポリオっていうのもそうだし、もっといろいろなものがあると。それから10年20年前だとエイズ、HIV/エイズ(AIDS)ですよね。そういう時に、「とにかくかかったやつを排除しろ、隔離しろ」、はたまた「殺せ」っていうふうにもなるわけじゃないですか。そうした時に両方を、「かかんないようにする」「でもかかっちゃったらどうしよう」ってことを。で、「かかっちゃったらどうしよう」ってのをうまくやっとかないと、かかっちゃったやつを放り出せとか、すごい敵意を向けてしまうっていう、そういうことにもなるからねっていう、これだって当たり前でしょ。誰だって知ってるしわかってるはずのことなんだけれども。でも、そこのところの手当てっていうか準備っていうか、そういうものを僕らの社会は、世界はちゃんとできてるだろうか?っていうふうに、考えましょうよっていうことですよ。
 で、機械。ですから「人」と「もの」って言ったうちの「もの」の話ですよね、機械。ま、「もの」は機械だけじゃないですけれども、機械の話があって。ほんで、呼吸器の話を、「機械は急ぐことができる」っていうのはその機械の話。具体的には呼吸器の話になっています。
 で今回、僕んところの勤務先の大学院の院生も含めて、今19人入ってて。ということは窪田さんところの看護大の人が8人、窪田さんが1人で9人、僕が1人で10人か。だからあと9人の人。その9人の中にも実は看護の人がいるんで、他の業界の人から比べたらベンチレーター(ventilator)、レスピレーター(respirator)っていうのは見慣れてると思いますけどもね。ま、ベンチレーターの話です。
 実は僕は、そういう意味では医療の現場には何の関係もない人間なんですが、ものを書いてはきてて。ここに『ALS――不動の身体と息する機械』っていう、「息する機械」っていうのは要するに人工呼吸器なんですけれども、をつけて生きていく、あるいはつけないで死んでいく、人たちについての本を2004年、だからもう16年前か、に書いてます。医学書院「ケアをひらく」だっけ、っていうシリーズで出てます。うん。いい本だと思ってるんだけどもな(笑)。僕の本の中ではそこそこ売れてっかな。でね、この本は僕の文章があんまなくて、半分ぐらいで、ALSの人たちが書いた文章を使ってるんですよ。そうやって書いた本なんですよ。で、おもしろいと僕は思います。できれば、図書館でも何でもいいですから読んでください。16年前なんで、これの第2版を出したいっていう気持ちもあるんですが、できてません。っていう本を書いて以来、人工呼吸器には素人は素人なりに、知ってるっていうか書いてきたんですよね。このALSの人たちにとっては、人工呼吸器ってのは日常的な生活用具の一つ。だってもう肺を動かす筋肉が動かなくなってるんで、呼吸するためには呼吸器ないとだめなわけですよね。だから、いったんつけたら死ぬまでそれを使って生きていくっていう、そういう代物なんだけれども。[01:17:37]
 今回どうやらお医者さんとかに聞くと、今回のやつはちょっとそういうのとは違って、急激に症状が悪化して肺炎になっちゃって、呼吸機能が急激に落ちた時に、もうしょうがないからとりあえずつけて。今んところワクチンも、そのうちできるのかもしれないけど、僕はできると思ってますけれども、今のところ自然回復っていうかを待つ間のつなぎっていうか、そういうものみたいですけどね。だからちょっと使い方違うし、みたいですけれども、呼吸器は呼吸器だということで。で、生きてくのに必要だったら使えばいいじゃんって。だってそんなにね、昔はすごいでかかったらしいですけど、今そんなに、電子レンジぐらいの大きさのやつもあるしね。車いすに取り付けられるサイズのやつもあるしさ。そうやって考えたら冷蔵庫とかの方が、僕の後ろにあるの冷蔵庫ですけど、のほうが全然おっきいわけじゃない? 電気も食ってそうだしね。冷蔵庫使える、作れる鉄があるんだったら、アルミニウムがあるんだったら、冷蔵庫より呼吸器のほうが大切でしょ、っていうそれだけの話じゃないの?っていう。そういうことをずっと言ってきたわけですよ。だから別段どうこう言ってるんじゃなくて、「しのごの言わず用意しろよ」って話なんですけどね。
 だけどいろんなものが足りないって話があって、あとで読んでください。ですが、あまりそればっかり言うのも嫌味だよね。実は僕あんまりよくわかってなかったんだけど、人工呼吸器、ベンチレーターを製造できる日本のメーカーってないんだってね。輸入なんだってね。だけどどう考えたってたいしたもんじゃないですよ。たいしたもんじゃないっていうか、普通の精密機械ですよ。で、ソニーだっけ、トヨタだっけ、作ろうかって話、あれどうなったのかな? わかりませんけれども、そういう作ろうって話も出たみたいですけどね。だけど、それだけの技術力ってのもちろんあるわけだし原材料もあるわけだから、もっと早めに、足りなくなるっつうんだったらやっとけよって。それは2月3月に準備っていうか始められたのにやれてないじゃん、っていう話なんですけどね。
 でそうやって機械っていろいろあるけど、それから比べたら人工透析の機械のほうがもっと大仰っていうか、大げさっていうか、でかいよなっていう話で。さっきの昨年の福生病院の人工透析の話で、実はこれちょっと、紹介してんのはうちの大学院で、どっかよその大学院で修士過程出て、博士課程で確か入ってきて、その方は有吉さんっていうんだけど、看護師だよね。えーと、何つったかなあ、京都市内の四条通りっつったかな、なんか河原町、何だろ、えーと透析のクリニックで、もう30年とか働いてるんじゃないかな。いま師長さんみたいなのやってるんじゃないかと思いますけれども、そういう人が「だんだん、年取って透析するってなんか肩身が狭い的な状況になってんだけど、なんかそれってどうなの?」っていうのがあって、[01:21:35]
 あ、また一人来た。あれ、違った。中井さん? なんだチャットですか。はいはい。「人工呼吸器を中小も相次ぎ増産 国内外から注文殺到」ってのがヤフー(Yahoo!)ニュースに載ってるっていう情報をいま中井さんがくれました。
  https://www.sankeibiz.jp/business/news/200513/bsc2005130500009-n1.htm
 これはいつだろう? 5月13日だからつい最近ですね、3日前ですね。あとでなんか貼っときます。今日の講義資料、5月2日・5月16日兼用の講義資料のとこに貼っときます。中小のその医療機器の製造メーカーみたいなところがいま作り始めたって話だね。ありがとうございました。


 はい。これが映ってるということにして。これは、それで博士論文、うちの大学院で出して、で本になってるんですよ。『腎臓病と人工透析の現代史』★っていう本になってます。そんな売れてるわけじゃないですけど、大切、重要な本だと思うので。同業者だしね。看護師さん、現役の看護師さんの書いたものです。この話とかいっくらでもできるんだけどな。本読んでくださいな。でもちょっと言おうか。「足りない」話だからね、「足りない」がらみの話なんで。
 人工透析の機械って1960年代の後半ぐらいに実用化されていくんです。それで使えるようにはなっていくんだけど、めちゃくちゃ数も少なかったし足りなかったし、高かったんですよ。最初は保険適用もなくて。ていうか保険適用はあるんだけど、それでちょっと制度的にはややこしいんだけど、保険で払えない人もいて。そうするとね、ものすごいお金がかかったんです。だから田畑を売って、お金にして治療費を賄う。だけどそれでお金がなくなってとか、あるいは貯金は使い果たしてとか。言葉どおりですよね、「金の切れ目が命の切れ目」というか、そういうことで死んだり、あるいは自殺したりというようなことが起こったんですよ。60年代の末ぐらいかな。ほんでどうなったか、ってなことが書いてある本なんだけどね。実は読売新聞がキャンペーン張ってくれたりってこともあって、つまり「こんな、もうえらいことになってる」と、「みんながんばろう」みたいな。「みんながんばろう」というか(笑)、「お金作ってちゃんと使えるようにしよう」みたいなキャンペーンを張った。読売も、大阪の読売ですね、やってくれたりしたってこともあって、で紆余曲折はあるんですけど、実質的に公費で負担するようになって、っていう歴史があるんですよ。それを書いた本です。
 だからあん時は「足りない、でもがんばって増やそう」ということだったんだよね。「なんだろね?」っていう、そういうことって大切なわけよ。「あん時はもうみんな『足りない、がんばって増やそう』ってふうになったのに、今回はなんか弱気だなあ?」みたいな、「なんでかな?」みたいなね。「その時より今のほうが厳しいんだろうか?」みたいなことを考えるって必要なんだよね。そうやって考えていくと、今のほうが全然楽なはずなんだよ。たとえばね。みたいなことを考える時に、「あん時はもっと今よりものも少なかったし、貧乏だった日本でやれた。『やろう』って言ってやれたのに、なんで今回けっこう弱気だよね。なんでだろう?」ってことを考える必要はある、っていうことですよね。
 それから次に書いてあるのは、これ読めてるかな? これ、僕がその『ALS』って本書いた時に、人工呼吸器とか、素人なりにいろんな本を集めて読んだわけですよ。そういう読み方ってあるんだよね。僕は社会学なんで、もうけっこう好きなように読んでるわけ。だからその『人工呼吸器の歴史』っていうのをたまたま、これ専門書なんだけどね、本当はね、読んでったら、50年代にコペンハーゲンでポリオの流行があった時にみんなふいごをしたって。ありますよね、今もね。緊急の時に、たとえば電気が止まったりとか、それからちょっとこう付け替えたりする時とか、そういう時とかに手押しのやつがあるじゃないですか、アンビューバッグ。あるじゃないですか。あれ、ありますけど、あれはちょっともう簡便なものだと思うけれども。もっとなんか大仰なものだったと思いますけど、医科大学の学生が、日夜だと思いますよね、そりゃ日夜ですよね、夜もおそらくそりゃ呼吸できないんだから、押して。それでポリオの人たちを救ったっていうか。でその、ここに書いてあるのは、「死亡率は八〇%から二五%までに低下した」。
 コロナとはなんの関係もないっちゃあ関係ないですよ。「そんなに近づいたら、うつっちゃう」みたいな話でしょ、今あるのはね。だから違うんだけど、これ何が言いたいかっていうとね、つまり70年の日本ではそんな大変だったから、みんなお金、本人は払わなくても受けられるようにしようってなって、言った人たちがいてメディアがあって、で実際そうなった。だから、50年代のコペンハーゲンでは、「もうしょうがねえや」っつってみんなで、みんなでっていうか、こうふいごで押して何とかしたってことがあった。「それと比べて今本当にそんなに大変なの?」っていうね。「そういうふうに考えたらどうなの?」っていうことを言いたいわけですよ。ていうふうにだらだらしゃべってると、全然先いきませんから。
 ま、そういうことを考えてほしいんだな。要するに社会科学とか人文科学ってそういうもんだと思うんだよね、僕はね。みんな「大変だ」っていうふうになって、こう視野が狭くなってね、「もうこれ…」、なんかわーわーとか言ってる時に、「いや、だけど本当にそんなに大変なの?」っつうか、「大変なんだけど、大変じゃなくせないの?」ってそういうふうに考える、考えられるってことを考える、ね。そういうことは大切です、ってことが社会科学、人文科学の役割だって思ってるわけです。[01:30:21]

■薬
 もうあきらめて、だらだらいきましょう。次は薬の話だよね。これも大切なんで。その時に思い出したのが…、だから第1回はあまりコロナの話ってないんだよね。でもコロナの話を考える時に、コロナじゃないことをもってくるってのが大切なんですよ。だと僕は思っていて。だからわざとというか、ALSの話とか、腎臓病の話とか、それからエイズの話もしますけど。これね、僕が、前回お話ししましたけど、信州大学で看護の学生を教えたのが95年から2002年ですから、ちょうど学校での授業を始めたあたりに、日本でっていうか世界中ですけど、話題になったのがHIV/エイズです。
 で、これから言えることが少なくとも二つはあって。一つは、一つ目も簡単なことで、単純なことで。今はそこまでいってないけど、今でもたくさんエイズで人が死んでるよね。一番たぶん多かった時で、年間300万死んだことあるんだよね、1年に。だから1日に6000人ぐらい死んでたわけ。今はそれよりは減ってますけども。「それみんな知ってる?っていうか覚えてる?」って、思ったわけよね。知らないでしょ?
 今ものすごい沢山の数の人が死んでますけれども、だけど1日6千人は死んでないでしょ、まだ。まだっていうか、これからどうなるかわかんないけれども、それにしてもね。だけどものすごい世界中騒いでるわけですよ。「でも、あん時はそんな世界中騒いでなかったよな」っていう、「これって何だろう?」って思うわけさ。
 簡単なんですよ、理由は。「自分は死なないから」ですよ。あん時は先進国ではゲイのね、ニューヨークとかああいうとこから流行ったわけだけど。フレディ・マーキュリーとかさ、クイーンの人、死んだでしょ。ゲイですよね。でそれで死んだと。「でも俺はゲイじゃない」と。でしょ? だから、俺たち死なないからだいじょうぶ」と。
 それからもう一つは、地域ですよ。今は中国から始まって、アメリカがすごいことになってますけど。「なんで毎日毎日アメリカのニュースばっかりやるのかな」って私は思ってますけど。「なんか毎日トランプ出てきて、もうよしてほしい」って、すくなくとも私は思いますけど。てか僕は見てないです、もう数か月テレビを。いいんです、そんなことはいいんですけれども。アメリカだしね、それからスペイン、イタリア、フランス、なんかそういう国で流行って、自分もかかるかもしれないし、自分も死ぬかもしれないし。だから騒いでるわけですよ。
 だけどそん時は、何百万人ってそういう単位の死者、感染者が出たのがアフリカのサブサハラ、要するにサハラ砂漠の南、下だよね、の人たちだったわけです。「そんなの関係ねえや」みたいな話ですよね。ほんで、知ってる人は知ってるけども、知らない人は知らないっていう、そういうことだったなあと思ったんですよね。だからそういうふうにも考えてほしいわけさ。「大変だ大変だ」っつってんだけど、「あん時もっとずっと大変なことが世界的にみれば起こってたのに、メディアでそんなに報じられなかったし、僕たちはそんなに大変だと思わなかったし、それって何だろう?」っていうふうに思ってほしいわけね。[01:35:09]
 さっきの1995年あたりに話戻すと、日本だと薬害エイズっていうのがありました。それは、さっき授業始まる前だったかな、窪田さんと話してた時に、うちに北村健太郎っていう血友病の院生、うちの大学院の第1期生なんだけどね、彼は日本の血友病の歴史の本で博士論文書いて、本を書いたわけですわ。で血友病で、血友病も血液製剤の中に混ざってて、感染して発症してってことがあったのね。で、あん時はもうみんな、それで医学会、医療がからんで、ちゃんとチェックしなくて認可して使って、感染して死んじゃうじゃないかと。実際、死んだ人いっぱい出たわけですよね。で日本でそれ裁判になったっていう。そういうことがありました。で僕もあの時に、それで本当に死んじゃった人もいっぱいいたわけですけれども、みんな死んじゃうのかなっていう、思ったんだが。何だっけ。戻りますね。
 うーんと、すぐ出てこないか。今国会議員やってる人、川田龍平さん。こないだ僕初めて会ったよ。非常に体格よくて、丸々としてってことはないけれども、でも僕、彼を知った時大学生で、「ああ、この人も死ぬのかな」と思ってたもんね。だけれども、今も国会議員やってる。それは何でかって言ったら薬ができて。エイズの場合、これを1発飲めば効くって薬はなくて、いくつかの薬をうまい具合に組み合わせて飲むと発症しない、あるいは感染しても発症しないみたいなことになって、それでようやく生きられるようになったんですよ。生きられるっていうか、「死ぬだろうな」と思った人が、何とか今でも生きてる人もいるってことになったんですね。
 で、こういうことも知っといてもらいたいんだけれども、「だけど」って話なんだよ。「じゃあ、年に300万死んでた時に薬はなかったのか?」っていうと、実は既にあったんです。でも300万死んでたんです。ていうことを、みんな騒がしい今だから、「知ってる?」とか「覚えてる?」って言いたい、っていう話なんだよね。だから結局俺、わかりやすいこと書こう書こうと思って、なんか関係ない話っていうふうに人に思われること書いてしまうからだめなのかな、って思うんだけど、でもやっぱりこれは言ったほうがいいと思うんですよ。
 で、実は僕それで信州に行ったあと、立命館に2002年に来て、2005、6年かな、アフリカ日本協議会っていうアフリカ関係のNGOの人たちと仕事して。ほんでアフリカの人たちがどういうふうな状況におかれているか、あるいはそういう中でアフリカの人たちの当事者運動がどうなってるのか、そういうことを集めて。そん時はね、ウェブでもやりましたけど報告書作って、売ったりしてた。Vol.4まで作ったからね。けっこう仕事したなあって思うんだけど。そんなことしてたんだけど、知らないっしょ?っていう話ですよ。[01:39:41]★
 けっこうおもしろくてね、その人の名前覚えてるな、ザッキー・アハマット(Zackie Achmat)っていう南アフリカ人がいてさ。これはね、HPの表紙から「人」ってところに行くんですよ。で「人」ってところから、外国人っていうかアルファベットの人はアルファベットなんで、Achmat(アハマット)っていうのは、あ、いっちゃん最初にありますね、アルファベット順の。これは南アフリカ人なんだけど、この人は政府があまりに何にもしないから怒って。あまりに何にもしないってどういうことかっていうと、薬を供給できる、これもね、さっきの「『もの』はないのか? ある」って話に関係あって、ワクチンなんだからね、要するに増やせるわけだ。薬にしてもできる、作れるわけですよ。「なのに自分たちに回ってこない」と、「ものすごい高い値段で買えない」と、そういう状況で怒って。で、ザッキーは薬ハンストするわけ。「政府が動くまで俺は薬飲まない。そうやってほっとくと、俺死ぬぞ」みたいなデモンストレーションをやったりした男がいたりしました。
 ノーベル平和賞の候補になったんだっけな。なったとか、ノーベル平和賞取るんじゃないか、とかっていう話が一瞬あったんですけど、まず知らないでしょ? そんなことがあったりしたんですよ。で、じゃあそん時何が起こったかっていうと、薬、あるいは薬のもとはあったんだよ。で、その材料がなかったわけでもない。だけれどもいきわたらずに、ピークで年に300万人死んでた。
 何かって言ったら、その薬を製造する会社が、特許権を持ってるような会社が安く売らなかったと。理屈はあるんですよ。つまり、「自分たちだって開発するためにお金かけて薬作ってるんで、そんな安くしたら商売になりまへん」みたいな、そういう話で。それはそれでごもっともなんだけれども、「とは言っても」って話ですよ。「別にお前らもうけるなとは言ってない」と。「もうけさせるから、何とかしろ」っていうやり方、いくらでもあったけれどもやんなかった、っていう時期が長く続いて。で、それで死ぬと。で、困る、それじゃ困ると。だからどうしよう?っていうことがそん時にあったんですよ。で結局はね、要するにその時に特許権持ってたような会社、作ってた会社ってのは日本、アメリカ、スイス、そのへんですよ。で結局どうなったかっていうと、要するに、そのジェネリック的なものね、そういうものをよその国、そん時はブラジルとかインドとかだったかな、そういう国でも作って提供できるようにしようっていう国際的なルールがちょっと変わって、作って。ほんでそういう国が安く作って、値段が下がって、それでなんぼか何とかなったっていうことなんだよね。で、それも結局何が言いたいかっていうとさ、同じ話だよね。「もの」自体が足りないんじゃなくて、「もの」を生産し供給するルール、それからメカニズムですよね、そういうものがうまく働かすことができなくて、それでだめだったと。「だったらうまくすりゃいいじゃん」っていう話になるよね。[01:44:12]
 ていうようなことを、これは新型コロナのからみで書いた文章ですけど、やっぱり考えてほしいなと思って書いたわけです。ここは医療系の学校の大学院なので言うと、何年か前かな、これもホームページに全文載っけてるはずなので見てほしいんですけど。一粒何十万円とかさ、もっと高いやつとかさ、そういうものすごい高い薬っていうのがぽつぽつ、抗がん剤系だよね、ここんとこ出てきたじゃないですか。それで医学書院かな、『Cancer Board Square』だったかな、そういう雑誌が取材があって、「こんな高い薬がある」と、「『そんな薬を誰でも使っていいことになったら、国の財政が、医療財政がだめになって破綻しちゃう』って言ってる人がいる」と、「どう考えたらいいんでしょう?」みたいな取材があって、インタビューがあって。でしゃべった、しゃべったように書いた記事があるんだよ。基本は同じなんですよ、検査機器にしても薬にしてもね。ていうふうに考えてくと、「できるはずのことができてない」っていうことは、すなわち「できるはずだからできればいい、作ればいい」っていう。もう言ってしまえば、ものすごい単純な話なんだけれどもね。[01:46:05]
 さあ今回はどうなるでしょうかね。さっき、中井さんってのはうちの大学院に今年入ってきてくれた大学院生で、修士課程っていうかうちは前期課程って言ってますけど、入ってきてくれた人です、が教えてくれました。日本でも作り始めたんだそうです。で、うまいことこれが波が引いて、うーん、要らなくなるのかな? いや、要らなくなったらいいことですよね。「足りない、足りない」って言ってあたふたしてるよりは、バーッと作ってあまらせて、あまったらどうするかって言ったら、たぶんさっきアフリカの話(はなし)したけれども。今、僕はテレビを見ていないんだけれども、ネットで日本経済新聞かな、で世界でどこの国に何人感染者がいるのかっていう地図みたいなのは一応1日1回ぐらい見てるんです。
 で、わかんないんだよね、これから、南アメリカのブラジルはかなり出てると。中央アメリカ、メキシコとかね、そういうとこ。それからアフリカがどうなってくのかなと思って。今んところ、数的には少ないですよね。だけど、どうなのか、本当かなあ?って思ってるわけで。それがちょっと気になる、気になるっていうか、なところです。っていった時にね、別にどこだっていいんですよ。どこだっていいんだけど、世界中すぐに収まるなんてことはない。ね。で、日本で仮に非常にうまい具合にことが収まったら、ほんであまったら、あげちゃえばいいんだよね。ていうだけの話じゃん。何をブーブー言ってんの?っていう、ぐちゃぐちゃ言ってんの?っていう、そういう話が1回目の話でした。
 で、そうやって考えてみると、なんか遅いなと。そんなに難しいリクエストじゃないわけですよ、と僕は思うんですよ。無理難題を押し付けるって、政治に押し付けるっていうのはなんか愚かだって、愚かっていうか、なんかそんなにね、別に政治家だって神様じゃないしね、何でもできるわけじゃない。そんなことはわかってるんだけれども、「簡単にできることやってねえじゃねえか」っていうことですね。ていうのが、1回目でお話しした話です。
 これは倫理の話なのかどうかわかりませんけど、少なくとも関係しますよね。倫理を語んなくていい具合に社会が回ってくっていうのは、僕はいい社会だって、さっきも言いましたけど、思っていて。そのためには「足りない」って言ってる「もの」が足りないのか、足りないのはなぜなのか、足りないんだったらどうすればいいのかって考えればいいと、そういう話です。これが第1回目の話でした。


 そろそろみんな慣れたと思います。ここ行って、立岩のところ行って、下がってきて、それで探す。僕意外と見つけられないんですけど。えーと、第2回目、あ、これですね。4月21日、1週間後ですね。けっこうまじめにやったんだな。
 それで第2回目は、これは前回の続きですね。「みんな作りゃいいんだ」っていうそういう話で(笑)。それで、僕が言ってるだけじゃなくて、みんな言ってんだよ、わかってる人はね、あるいは困ってる人はね。だからいろんな人たちが今、「そういうの急いでやれ」っていうことを言ってるんだと、「言うことを聞け」と。「まず話を聞け」と、それから「その話どおりにやれ」と、「それだけの話だ」と、そういうことです。で、これは医療現場の人もいるけど、消毒用のアルコールが足んないとか話あるじゃない。アルコールですよ? アルコールって何と何でどうやって作るか知りませんけど、なんか超単純なものですよね。希少金属とかさ、んなもの使ってるわけじゃないわけじゃない? 三元素か何か知らないけども、なんかそういうもんじゃないですか。なんか聞いた話だと、どっかの酒造メーカーが消毒用アルコールを作ることじたいは禁止されてるのかな? 何か免許が要るのか。なんかそういうことなので、消毒用アルコールって言っちゃいけないけどアルコールを作ると、ほんで提供する、みたいなことを始めたとか何とかって話は聞きましたけど。ちょっとおもしろいっちゃおもしろいですけどね。
 だからさっきの話で、世の中にものすごい貴重なものってのもあるだろうよ、それは。あるだろうけれども、たいがい人間の体に入れるものってのは、自然でできるもののはずだと。だから足りないことのほう、そういう意味での絶対的な希少性というものがあることのほうが少ないはずだと。ワクチンだってそうだという話をまず最初にして。
 これは準備のための私どものサイトにある文章ですけど、第2回目の講談社のほうにいきます。これですね。これは手術現場の写真になりました。で「『もの』は作れるし」って、これはさっきもう言っちゃったと。


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