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こんな時だから言う、また言う 収録版

新書のための連載・15

立岩 真也 20200810 『eS』23
14 <
京都府におけるALS女性嘱託殺人事件 安楽死尊厳死

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※この文章は、本日(2020/08/10)発送した本の原稿としました。この回をもって9月に刊行を予定しているのための連載は終了します。

 この文章は今年9月にはちくま新書の一冊として出したいと思っているの一部の部分として準備中のものです。
 ここにおいた註と文献表は、新書にはありません。紙の新書をご購入いただいた方に有料で提供する電子書籍版には収録しようと思います。

京都ALS女性嘱託殺人事件関連ツィート(立岩発)

◆立岩 真也 2020 『介助為す介助得る』,ちくま新書,筑摩書房

◆立岩 真也 2020/05/11 「新型コロナウィルスの時に『介助する仕事』(仮題)を出す――新書のための連載・1」,『eS』009
◆立岩 真也 2020/05/18 「新書のための連載・2」,『eS』010
◆立岩 真也 2020/05/25 「新書のための連載・3」,『eS』011
◆立岩 真也 2020/06/01 「新書のための連載・4」,『eS』012
◆立岩 真也 2020/06/08 「新書のための連載・5」,『eS』013
◆立岩 真也 2020/06/15 「新書のための連載・6」,『eS』014
◆立岩 真也 2020/06/21 「新書のための連載・7」,『eS』015
◆立岩 真也 2020/06/28 「新書のための連載・8」,『eS』016
◆立岩 真也 2020/07/06 「新書のための連載・9」,『eS』017
◆立岩 真也 2020/07/13 「新書のための連載・10」,『eS』018
◆立岩 真也 2020/07/20 「新書のための連載・11」,『eS』019
◆立岩 真也 2020/07/24 「やれやれ――新書のための連載・12」,『eS』020
◆立岩 真也 2020/07/27 「へんな穴に落ちない――新書のための連載・13」,『eS』021
◆立岩 真也 2020/08/03 「こんな時だから言う、また言う――新書のための連載・14」,『eS』022
◆立岩 真也 2020/08/10 「こんな時だから言う、また言う・掲載版――新書のための連載・15」,『eS』023

■関連頁・本頁内

◆立岩 真也 2020/08/03 「こんな時だから言う、また言う――新書のための連載・14」,『eS』022
 ※草稿です。
◆立岩 真也 2020/07/24 「やれやれ――新書のための連載・12」,『eS』020
京都ALS女性嘱託殺人事件関連ツィート(立岩発)(本頁内↓)

優生学・優生思想 | Eugenics
安楽死・尊厳死
京都府におけるALS女性嘱託殺人事件

◆立岩 真也 2020/08/03 「優生思想について」,J-WAVE,「JAM THE WORLD」 2020/08/03 20:10〜20:40


それでも亡くなった
 原稿をだいたい終えたつもりになって、あとは仕上げの仕事を、と思っていた時、京都在住のALSの女性の嘱託殺人事件が昨年(2019年)11月にあったという報道が7月23日にありました。毎年、なにかが、ほとんどがよくないなにかが起こって、そのたびに、なにかを言ったり書いたりしてきました。取材を受けて、1時間半とか2時間とかがんばって話して、それが「命は大切にしましょうと言いました」と、これだと16字ですが、そんな具合に、肩書と名前を合わせた字数より少なくなったりするのですが、まとめられたりします。めげますが、それでも、毎度違う話をするわけでもないのに、なんでこんなに疲れるのだろうと思いながら、短いもの長いもの取り交ぜて、書いたり話したりしてきました。
 30年以上変わらない私のメールアドレスはHPに公開してあるのですが、メディアの人はなぜかそういうことについては律儀で、大学の広報を通して連絡をくださったりします。その日は祝日で学校も休みの日でもあり、そういう経路の依頼などはありませんでした。メールで、新聞社の人3人から取材依頼がありました。同じ文面の返信をしました。
 「電話はできない環境におります。コメントは以下。/「事件のことは聞いたばかりで、具体的なところにはコメントできない。現時点で一番懸念しているのは、一つ、SNSで支持をさっそく表明してしまう無思慮無責任な人々が現れているらしいこと、一つ、なにか倫理的に深い問題がここで示されているかのように報道してしまう報道機関が現れてしまうことだ。」
/字数調整などには応じます。」これでさしあたりはすませました。
 私は、小心者で、刺激的なものがきらいなので、報道も見たり読んだりはしませんでした。それでも、結局はいくらかは知ることになったり、話したりすることになりました。そして、何を言えばよいのかと思い、書いて、本書の終わりの章にしようと思いました。
 その人は京都で一人で暮らし、重度訪問の制度で24時間の介助を得ていた人のようです。だから、介助の人手もなく絶望して、とは単純に言えないということです。本書に出てきたCILの一つスリーピース(88頁)もその人の一人暮らしの初期にはヘルパーを派遣したことがあるようです。そして、昨年には約20もの事業所からの派遣がなされていたということです。これは非常に多いです。そして多くの場合、介助者は短い時間で交代していたようです。これはたいへんしんどい状況です。
 本書に出てきた杉江さん(78頁)がそういう人でしたが、ALSの人には介助者にきつく当たる人がいます。ただ指示が細かいとか、指図の通りにならないので注意するということではないように思います。いや、そんな細かな具体的な不満が嵩じてということもあるでしょうが、暴言を吐く、辞めさせるといったことがありました。自分で辞めていった人もいます。暴言を吐くとは強い言葉ですが、そう言ってよいだろうと思うことがありました。辞めていった人たちについても、多くの場合、私はもっともだと思いました。
 そんなことで、杉江さんと介助者たちの間に入った人は、ほんとうに大変だったのです(29頁)が、そのおおいなる消耗のもとで、なんとかなりました。あれを、なんとかなったといったい言えるのだろうかと思うほどたいへんそうでしたが、彼はガンでなくなるまで生きていました。映画観るのとかが好きな人で、今でも、彼が住んでいた借家は彼を支援した事業所「ココペリ121」が借りて使っているのですが、そこに彼の写真やらDVDが残されています。
 他方で、ごく穏やかというか普通に暮らし、介助者たちとつつがなくやっているというALSの人たちもいるので、その差は謎です。たしかに介助の上手下手はあるけれども、それだけでは説明できないように思います。ALSになって脳に変性が起こることがあるという説があるようですが、私たちはわからないことがあるとすぐに脳のせいにしてしまうので、そこは留保しておきます。ともかく、うまくいかないことが起こることがあります。
 それがその人にも起こったようです。それでも介助は必須ではありますから、事業所を探し、探してもらって、とにかく応じてくれる事業者が入って、短い時間でつなぐ、次々と交代するということになったのだと思います。するとさらに悪循環が起こります。厳しい態度をとる、すると、人が離脱する、組織が引く。するとなんとか派遣に応じてくれる組織による細切れの派遣になる。たくさんの人が短い時間で交代する。これは厳しい。なかなかやっかいです。それ自体、負荷がかかります。消耗します。次の人が来るのを待っていたりしなけれはなりませんから、ちょっと半日外出、というわけにもいかないでしょう。さらに、最初は同性介助(86頁)だったようですが、途中からそれも困難になり、変更されたようです。それがどれだけその人の気持ちを変えたのかはわかりません。しかし辛いし、それがまわりに波及し、自分がさらに辛くなります。介助者とは、なにか愚痴を言うとか、泣き言を言うとか、そういう関係ではなくなり、介助者は常に横にいるけれども孤独になります。
 他方でその人はネット上でのコミュニケーションは上手にできる人だったようで、オンラインでのやりとりは頻繁にしていたということです。一方に、生活のほとんど全部、ずっと同じに続く時間があり、自分も動かないからまわりも変わらない、そういう自分のまわりの空間があります。それに比して、死は目的となり、時間の後の終わりの点としてあり、そこまでの道のりがあり、道行きがあります。すると、その死への道行きは、いくらか舞台のように感じられることもあるでしょう。それは、ただ毎日なにごとも起こらない時空のなかで暮らしているより、華々しいできごとのように思われるかもしれません。そこに、死を積極的に支持する、請け負おう、実行しようと言う、調子のよい、積極的な人たちが現れます。すこし心中ものの道行きのようにもなります。なかには死を公言する人がいます。米国などで、テレビなどのマスメディアに予告して、そして実際に死ぬといったできごとはこれまでいくつもありました。

つまらぬ言い訳せず逃げを打たず起こることを知る
 とすると、どうするか。まず、おおまかに、どのような方向を向くかです。私のような死ぬのが怖いだけの単純な人間には無用ですが、多くの人はそうでもない。揺れる人は多い。どちらに転ぶかわからない。そんなときには、まずは生きる方向で行くというのがよかろうとなります。ここで人・社会は中立である必要はない、中立であるべきではない、と思いますし、そのことの理由の説明の必要もここではないとします。『ALS』(本書04・28頁)にこんなことを書いたことがあります。

私たちの社会では一方で、身近な、とくに善意もなにも必要とせず、むしろそれがうっとおしく感じられるような場面で、やさしさやふれあいが語られる。善意が押しつけがましく押しつけられ、それは問題にされない。他方で、生死に関わるような場面になると、本人の意志を尊重して云々と言う。周囲は口を出さないようにしようと言う。これは逆さではないか。(第4章6節「「中立」について」)

 ただし、別の言い方もできなくはありません。あくまで「中立」がよいというのであれは、この社会はすこしも中立ではないので、それを補正するのはよいことだろう、なのでそれをします、補正するからそれまで待っていてください、と言うのです。
 今度亡くなった人のことを知っているわけではありませんから、その人について確かなことは私は言えません。ただ、ほとんどの場合に現れるものは、なにか深淵な「生か死か」といった話ではないのだろうと思います。身体の不快から発し、それをなんとか伝えたり、やりすごしたりするその経路がうまく働かなくなって、憤懣が身体にうっ積するようなことが起こる。そしてその手前には、「こんな身体」になってしまったという、たんに身体から発したものでない、今まで生きてきた世界・社会の価値のもとでの悲観があります。こんな時、なにかすっきりした道筋が示されるとそちらの方が魅力的なものとなることはあるはずです。
 昨年6月、NHKスペシャルで「彼女は安楽死を選んだ」という番組がありました。「安楽死・尊厳死2019」で検索するとこちらのサイト内にある情報にアクセスできます。その番組をその人は見て、その死にはその影響があったと、主治医であった人は言っているようです。今度の人とそう年の違わない女性が、オランダの安楽死を実行する団体のところに行って死んだその過程を取材して報じた番組です。
 それについて、日本自立生活センター=JCIL(88・150頁)が、NHKに質問状を送り、その回答があまりにあっさりと論点を外しているので、さらにNHKと放送倫理・番組向上機構(BPO)に質問状を送ったけれども、なしのつぶてということがありました。
 自殺に向かわせるような報道をしてはならないという報道の世界の内規があってそれに反していると思わないかというのが、この提起の一つの論点でした。それに、自殺だと言えるとは限らないといった回答がなされました。安楽死、尊厳死、自殺ほう助、嘱託殺人、各々の区別はときには必要で、大切なこともあります。すこし嫌味なことを加えると、そうして区別していると言う人ほど、言葉の使い方がいいかげんで都合のよいように使うというのが私が経験してきたことですが、それは他で書いているので、よしておきます。はっきりしているのは、今回の京都のことにしても昨年のオランダのことにしても、人が死にたいと言って、それを他人が手伝ったということです。普通の人が自殺とするもののなかに、他人が手伝うものがあり、広い意味では安楽死がその行ない全般です。手伝いの仕方によって幾つかに分けられることもあり、「最後の、直接に」行なう行為を自分で行なう場合には幇助された自殺、他人が行なうと日本の法律用語では嘱託殺人となるようです。すると今回のできごとは嘱託殺人になるでしょうし、オランダでなされたことは自殺幇助、幇助された自殺と呼ばれるのでしょう。これらを、とくにオランダでのほうを自殺でないというのは、普通に間違っており、詭弁です。
 私は障害学会という学会に関わっています。小心者の私はじつはあの番組を見ていないのですが、その番組の中身とは別に、言論・議論を都合のよいように封じてはならないということは言えます。学問は言葉によって作られ、学会・学界は言葉のやりとりをする場であり、言葉や言葉のやりとりを大切だと考えている人たちの集まりですから、そういうことが起こった時には何かを言うべきだと思い、それで、NHKとBPOが質問状について回答するよう理事会として声明を出しました。しかしそのままにされています。
 自殺ではないと言って打ち切るのは普通にだめです。言えるとすれば、一つ、自殺だが、それを推奨しているわけではない、といったところでしょう。番組を作った人は実際にそう思っているのかもしれません。しかし、それに対して批判・疑念が示されているのであり、それに答えていないのです。
 言ったように、私は見ていないので中身についてはコメントしません。そして私には死にたい人たちの気持ちがわかりません。しかし、そんな私も、さきに記したような状態のもとにいて、死の方に傾く人たちのことは知っています。今度の人は、オランダに行った人とそう年齢の違わない女性であり、人生の途中まで普通の、むしろ活動的な人生を送ってきて、海外での生活経験もあるという人のようです。私のような人は別として、多くの人が両方を思っています。そんな人が、片方の方に傾くことはあるでしょう。そしてそれを促したり止めたりするものの多くは、まったく形而下的な事情によるものだと思います。それを報道者が画像や文字によって、冷静に、捉えることはできるのに、追えなかった、追わなかった、ということだと思います。そしてそのように考えることができるのに、まったくその手前で、そのような提起を聞かないことにしてしまった。これはとてもよくない、だめだと思います。

このことについても短い本が要るだろうか
 では、どう考えるか。私が書いてきたものの書名だけ、あとで紹介しますが、まず思うのは、よくもまあ即座に、いいだのわるいだの言えるものだということです。瞬時の反応としてなにか思うことはあったりするでしょう。しかしそれを、石原慎太郎のツイートへの「いいね」なども含めてですが、表明してしまうためらいのなさが不可解、というよりだめだろうと。
 たとえば、2019年のほうはよくて、2020年の方は犯罪だとなるのかということです。今度の京都の人のことについては、医師と自称する人が本当に医師だったのか、とか、100万円以上の金を受け取ったとか、「狂信的」なことを連呼するプログその他をやっていたとか、怪しげな事実がいろいろと明らかになりつつあって、そういうスキャンダラスな事件として扱われつつあるようです。ただ、オランダに行った人もたくさんお金はかかったでしょう。そしてやはりオランダの団体も、強い信念に基づいて活動はしているわけです。NHKの番組について肯定的なことを言い、そして今度のは殺人事件だとするら、なぜそうなるのか、比べたらそう違わないかもしれない、と思うというところに思い至っていないのだろうと思います。
 そてて、今回のような乱暴なことが起こると、「きちんとしたきまり」を作ろうという話になることがあります。それもわからないではありません。しかし、私はこのかん示されてきた尊厳死法案を幾度も点検してきましたが、それらはけっしててきちんとしたものではありませんでした。そしてそこには、たんなる稚拙さ、技術的な困難さ以上のものがあります。きちんとしたかたちで認められるならよいという人も、その先を考えずに言っていると思います。
 私は、ずっと、死を助けることを認めるきまりを作ることに反対してきました。ただもちろん、自殺を助けることがだめだという主張に弱いところがあることはわかっています。実際には、私たちは、自殺を認めています。是認はしないとしても、実際には人は死ぬための行為ができるので、死ねるのです。しかし、身体が動かず、自力で死ぬことができないという人がいます。全般的には、事実上認めているものを、身体が動かない人には認めないというのはおかしくはないかということです。
 ごく簡単に言います。嘱託殺人・自殺幇助を法が犯罪とし、罰することには合理性があります。その規定を廃止することはしないとしましょう。とすると、一方で死ねる人がいて他方に死ねない人がいるというのはよくないではないかとなる、でしょうか。しかし、死を幇助することは、自殺できる人が実際に自殺できるように、事実、可能です。どうしても手伝おうというのであれば、捕まることをわかって行ない、捕まればよいと私は考えます。
 ずいぶん乱暴な話だと思われるでしょうが、一貫はしています。死を助けることが常に倫理的に間違っていると、私は考えません。しかし法の水準では、それは犯罪とし、罰した方がよい。そういうことです。
 乱暴でない話は本でしています。4つもあります。『良い死』(2008、筑摩書房)、『唯の生』(2009、筑摩書房、現在はテキストファイルで提供)、『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(有馬斉との共著、2012、生活書院)、そして自家製電子書籍として『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』(2017)。
 私の最初の単著は『私的所有論』ですが、それが出た後で最初に書いた依頼原稿は、安楽死についてのものでした。当初出生前診断についてという依頼でしたが、この主題に変えてくださいとお願いしました。これとインタビュー1つ、が2000年に出て今は増補新版になっている『弱くある自由へ』(2020、青土社)に入っています。そして、2004年のあたりに法制化の動きがあって、それにいろいろと言わねばならなかったこともあって、2002年から2006年にかけて『文芸春秋』『東京新聞』『中日新聞』『聖教新聞』『朝日新聞』に載った4つの短文が『希望について』(2006、青土社)に収録されています。たとえば、その一つ「ただいきるだけではいけないはよくない」には次のようなことを書いています。

 迷惑をかけないことは立派なことではあるだろう。だがこの教えは反対の事態を必然的に招く。それを他の人に要求するなら、周囲に負担をかけるようなことをお前はするなということになる。その分周囲は、他者に配慮するはずだったのに、負担を逃れられ楽になってしまう。自らの価値だったはずのものを自らが裏切ってしまう。
 犠牲という行いにも同じことが言える。誰かのために犠牲になることは立派なことだ。だが、その人に犠牲になることを教えるのは、その人の存在を否定することになり、その価値自体を裏切る。そして犠牲になることを教える側はそのまま居残るのだから、ずいぶん都合のよいことだ。

 その後2008年から4冊の本を作ったことになります。そして、もういいやと思いつつ、毎年なにかが起こってそのたびになにか書くことになります。同じことを繰り返しているのに、毎度なんでこんなに疲れるのだろうと思います。そして、仕方なく長くなってしまうことはあるので、できれば、長いものを、長いものも、読んでください。ただ、このテーマについても、やはり本書のような短くて値段の安いものを用意せねばならないのかとも思います。
 岩波新書では『医療の倫理』(星野一正、1991)がありますが、ずいぶんの前の本だし、内容的にも評価できないところが私にはあります。その後、だんだんと現在に近づくと、他の種々の新書として現れた薄くて値段の安い本には、早めにさっぱり死んでしまうことをよしとしその流れに寄与しそうなものがかなりの数あります。4つめの本『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』という電子書籍で、新書を24冊紹介しています。まともに考えると長くならざるをえない話をはしょって、あえてタブーを破るという紋切型から入る、紋切型なんですから、全然タブーを破ったりなんかしていないんですが、言いたいことを言い、気軽に買えてさっと読める本で伝えるという仕掛けの本が増えてきたということでしょう。
 そうしたなかで、岩波ブックレットで安藤泰至『安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと』(2019)が、松田純『安楽死・尊厳死の現在――最終段階の医療と自己決定』(2018)が中公新書で刊行され、ようやく冷静な論を読めるようになったというところです。それでよいかなと思ってきたのですが、ただ「医療倫理」も「生命倫理」もだいぶ広いですから、優生思想(eugenics)と安楽死(euthanasia)について、ぐらいでしょうか、私も書いた方がよいのかもと、つい最近、思ったところです。

本書に書いたことから言えること
 そういう正面からの話はそちらに委ねるとして、本書に書いたその範囲では何が言えるかです。もう既にこの章の冒頭から記してきたことでおわかりと思います。生か死というその手前でその生活がどうだったか、それはこのたびこうなったけれども、どうにもならなかったのではないだろうということです。
 幾度も出てきた杉江さん(29・75・192頁)は、死にたいとは言っていたようです。しかし、その彼の日常の怒りも含めて、その方向に本気で向かう感じはまったくしませんでした。もう1人、事件が報じられる直前、結局私は会えなかった人のことを少し記しておきます。彼は、コロナ下の病院が教えてくれないので生死を確認できない人、しかしたぶんもう亡くなっただろう人です。彼は死にたいことをより明確に語りました。その人と私は1度しか会ったことがありません。私たちの研究所が2019年の3月に企画した安楽死についてのシンボジウムで、その終わりころ挙手して安楽死をしたい旨の発言をしました。その意見に対する賛否という以前に、言うことの辻褄があってないので私はそのことを指摘したかすかな記憶があります。その人は、一方で、プラス・マイナスの両方についての情報を提供されたうえで――と主治医は言いました――複数の医師の前で、人工呼吸器の装着をしないと意思表示しており、記録されているので、主治医はそれを採用するとのことでした。ただ、その同じ人は、退院後の暮しについての打ち合わせを別の支援者たちと進めており、その相談、そのおりの意思表示は、死のうという意思表示の後でしたが、医師たちに示した意思が優先されると主治医は言い、それ以上はどうにもなりませんでした。私が支援者と主治医とのやりとりにつきあった7月のその日は、「地域移行」の相談のたった4日後でしたが、本人は既に、自発呼吸が弱くなることによる血中二酸化炭素濃度の上昇とモルヒネの類の注入によって意識のない状態で、感染の危険があるので面会もできないということでした。
 ここから得られる直接の教訓は、まず、もし死にたくない気持ちもあるのだったら、死にたいという方向の意向を反映し実施できる人に「正式に」言うのはよした方がよかろうということですが、昨年秋に亡くなった人のことに戻ります。
 いくつかよくない条件があったようであることはさきに言いました。まず、必要な時間の介助が得られることは、暮らすときの必要条件ではあるということ、しかしそれだけでうまくいくとは限らないということです。一つに、それの時間・空間が実際にどのように構成されるかです。人が少なくなることによって、介助の時間が短時間のモザイク状になってしまうと、辛くなります。それでもどんどん喧嘩したり断ってしまうその人がいて、どうにもならない。しかしそれでも、これでもかと人をあてることができれば、当座、すこしましになります。
 一つに、第4章で調整する仕事について話しましたが(94頁)、調整という言葉が感じるよりもっとハードな仕事が要り、担う人が要ります。言いましたように、身体の方面の介助をするその同じ人が、よもやまとしたあるいは深刻な話をする相手となったり、これからのことを相談して手配したりしてわるいわけではありません。しかし、一つに、関係がぐちゃぐちゃになってしまっている時、一方の当事者が双方の間に割ってはいる役割をたすことはできません。また、本人と複数の介助者たち、場合によっては複数の事業所との間をとりもつのも別途の仕事になるでしょう。第8章で、「相談支援」がうまくいっていないこと、しかしそれをもっとまともにすることは可能であり必要であることを言いました(159頁)。それを実際に行なうこと、そしてそれにお金かけることです。かつての杉江さんの時には、それは無償の仕事としてなされていました。また、古込さんの退院の時には、各組織の仕事の「あがり」でなされました(160頁)。それにはそうなってしまった事情があるのですが、よくはない。ときに厄介で手間のかかるこの仕事に対して、まずは仕事の時間に応じて、税金から出すことです。それが実現しても、どこまでできるかはわかりません。これを行なえばなんでも解決なんていうことは、ありはしないのです。しかし簡単にできることもあります。そして、人の生き死には、多くこういうところで決まってくるのです。介助の金をとってくる、人を募集し採用することと、「優生思想」に抗することは、ぜんぜん別のことではないと言いましたけれど(186頁)、それはこういうことなのです。
 昨年のできごと直接に関係することは以上です。以下、安楽死だの、嘱託殺人そのものについてというより、こんな事件を起こると、いや起こらなくとも、人々がそこらで語ったり、書いたりしてしまったことについて、注意書きのようなものを書きます。

■確認1・「ああなったら私なら死ぬ」は普通は誹謗だ
 「私も」、あるいは「私は」、「ああなったら死ぬと思う」と言う。そしてこのことは、他人のことではなく自分のことなのだから、そして悪意のない自分の思いであり、言ってもよいと言ったりします。思ったりします。
 しかし、まずそれは、たいがいの人が最も大切にしている自分の命よりも「あの状態になる」ことの方が重いものだと、生命をなくすことのマイナスよりさらに大きいマイナスだと言っています。もし「自分が○○になったら」「○○だったら」、「私は死ぬ」と言う。それは「私のこと」なので「他人を傷つけているわけではない」と言えるかです。言えないですよ、これは。すくなくとも、○○の状態であることは、死ぬほどいやだと言っているわけです。○○には、「黄色人種」でもなんでも、何を入れてもかまいません。これは非常に強い否定です。そしてそれを公言することは、その強い否定を人々に伝えることです。
 そして次に、そのように語る人のほとんどは、今は「ああなって」いない人であり、当面あるいはずっと、「ああなる」可能性は低い。「ああなる」ことも、だからそのために死ぬこともないのです。だから、死を賭しての発言、のように一瞬思えたとして、そんなことは実際にはないのです。「黄色人種」でない人がその人種になる可能性はまったくないですから、これは純然たる侮蔑・差別ですが、ここではそれほどではないにしても、やはり、ほとんど、今は私のことでない状態を否定しているのです。
 そしてさらに、「ああなったら」の状態を、ほとんどの場合、その私は経験してはいません。外から見たり、あるいは見ることもなく想像して、あるいは想像もせず、言っているのです。本人はさほど辛くないかもしれません。辛いかもしれません。辛いところをがんばっているかもしれません。それを飛ばし、無視し、あるいは否定して、「私なら」と言っているのです。
 さらに、本当に自分のことでしかないということであるなら、なぜわざわざ、他人に伝わるように「つぶやく」のかということです。自分ならそうする、と思うことがあるかもしれないし、そんなふうに思うことをやめなさいとはなかなか言い難い。しかし、それを、他人たちに伝えるために、とまでは言わないしてとも、○○である人たちも含む人々に伝わることがわかっている場で言う。これはたいがいの場合には「ヘイトクライム」と言ってよい行ないです。

確認2・なんであなたは威張っていられるのか不思議だ
 どうしてマイナスと言えるのかがわからない、そして自分が引き受けることのない属性・性質を持ち出して、人を否定するのは、普通の、ただの差別です。さらに死ぬほどマイナス、生きていられないほどマイナスだと言うとしたら、最も強力な差別です。ただ、障害や病の場合にはすこし事情が違っていると言われるかもしれません。実際に、死んでもよいほど、であるかどうかはさしあたりおくとしてもマイナスであるなら別だ、と言われるかもしれません。
 ではどういうふうにマイナスなのか、ということになります。それは1つではない、だから一つずつばらして考えないとだめだよね、というのが『不如意の身体』(2018、青土社)で書いたことです。やはり厚くて高い本ですが、ここで要約するとますます売れなくなるので、よしておきます。ただ、すくなくとも、ひとこと言えば済むような話ではありません。マイナスでなくプラスであるとか言いたいわけでもありません。一つひとつ、その本では5つあると言っていますが、すこし考えれば当たり前のことを確認していこうと言っています。
 しかしやっかいな問題は、いちいち考えない人考えたくない人が、そういう人たちに限って、ばくっと、曖昧で大げさな否定を言ってしまうということです。そこで、他の差別と同じく、挙証責任をそういうことを言ってしまう人に課すという手があります。こっちでわざわざあなたの言うことが間違っていることを具体的に証明などしない。あなた方が言い分の妥当性を証明できない限り、禁ずる、罰するといったことです。そしてあとは無視する。
 ほぼそれでよいと私は思っています。ただ、それはそれとして、考えられることはいちおう考えておく、言えることはいちおう言っておくというのが私の仕事なんだろうと思っていて、地味な仕事をしています。しかしここではそのもとの「気分」を言います。
 なんだか自分は障害者でなくて、普通で、まともだと思っている人たちがいるようです。心底そう思っているようでもあり、思っていることに気付かいないようでもあります。ようまあそういうことを思うものだと、そしてわざわざ、誰にでも聞こえる場で、ようまあ「つぶやく」なんということができるものだと、思います。
 ただ、思うことにしている、そのことで自分がなにか上にいるように思うことにしようとしている感じがすることもあり、そうなるとちょっと可哀想な、憐れな感じもします。だからといって、そういう人に同情しようとは思いませんけどもね。そういうちょっと可哀想な人も、もっと素朴に信じている人も、まとめて何を言ったらよいのだろうと。
 何を言えばいいんでしょう。まず一つ、言いたくなること、実際よく言われることがあります。「明日事故にあって障害者になるかもしれないじゃないか」とか「年をとったら介助がいるようになるよ」といったことです。それはそれで間違いではないから、言ってもよいとは思います。政治哲学だとか難しそうなことを言っている学問にしても、簡単にまとめてしまえば、そういう筋立てになっているものがかなりの部分を占めます。人間思いつくことはそうたくさんはないということですだ、言われた人は、「そん時は考えを変えるかもしれないけど」的なことをことを言うかもしれない。たぶん、ほぼ確実に、実際「そん時」は変えるはずですよ、そういう人に限ってね。しかしとりあえず水かけ論みたいになります。私はあまりこういう道筋でものを言いたくないと思います。
 なにを嫌い、何を恐れているのか。いくつかある、5つはあるとさきに言いました。その中の大きな1つが「できない」です。私はずっと、ほぼそのことだけについて、両手じゃ数えらない数の本を書いてきましたから、やはり長くなります。ここではその論理・理屈はちょっと脇に置いて、「気分」でものを言う人たちに対して、私の「気分」を言うことにします。
 普通に、いつなんどきなるかもしれないという可能性としての連続性ではなく、それぞれできないことが様々な度合いで現にあります。そういう連続性があります。たしかに、自分よりもっとできない人、とてもたくさんについてもっとできない人はいます。しかし、それでだめだとか、迷惑だとか言うその人たちについて、あんたは、どれだけできている気でいるんだと思います。どんなにあなたが元気にできる人であっても、あなた一人ができることなんて、たいしたことはない。そしてそういう様々を足し合わせ、全体として、だいたい生きていくのにまにあうなら、一人ひとりの度合いの異なりなど、「本来は」、どうでもよいことです。技術があり、機械があり、様々があって生産は成り立っています。そのなかであなた一人分の生産なんてたいしたことはない。なのに、あなたはなにをいばっているのか、「自分は消される側ではないと思っている」(188頁)あんたはそんなに立派で偉いのかよ、ということが一つ。
 こちらのほうがもっと泥試合的に思われるかもしれません。しかしこちらの本筋だろうと私は思います。そしてこれは、なにか人を馬鹿にしているようで、そんなことはなく、まったくよいことであり、明るいことです。できなくたってそうは困らないし、できると自分では思っているが(思いたがっている)がじつはそうでもない人も困らない。他方、できてしまうことは、それはそれとしてよいことだ、どうぞできてくださいよろしく、ということになります。

確認3・「特別扱いするな」はさらに意味不明だ
 もう一つ言われることは、「障害者を特別扱いはできない」というものです。やれやれ、こういうことについても、また、そしてまだ、言わねばならないのかと思ってしまいますが、言います。これは、さきのものと逆向きで、「障害者」は不当に得をしているという話です。
 これは「過度な待遇をすべきでない」ということですから、「適度な待遇」があるということが前提になっています。つまり、その人たちは正義を語ります。悪いことをしたいと、ただ悪口を言いたいのだと言ってもらった方がまだよいと思うぐらいですが、そうではありません。正しいと思って言っているようなのです。その人たちは、「平等」という、大切だとされているものを大切にしているというのかもしれません。では何の平等かということになります。
 しかし、ここで文句を言われている側が何を求めているかといえば、せいぜい「人並み」といったところです。大雑把にはやはり「平等」と言ってよいかもしれません。そして、求めても得ようのないものが求められているわけでもありません。旅行に行くとか、そんなことです。
 ただ平等と言っても、こまごまとしたことのすべてについて同じということは難しいでしょうし、よいやり方でもないでしょう。『差異と平等』(青土社、本書125頁)に書いたのでややこしいことは省きますが、ここでお金というのはなかなか便利なものです。一定の所得を皆が得られるようにします。その所得のもとで、旅行が好きな人は他を節約して旅行に行く、そんなことに興味のない人は別のところに使う。それでよかろうということになります。
 さて、この社会、つまり多数派用に作られてきた社会にあっては、同じ旅行をしたり、パチンコ屋に行ったりするのに、かかる手間が違います。その手間の違いの分の費用を、社会が別途出そうということです。そしてその一部が介助です。それだけです。不当な特別扱いとはすこしもなりません。自分の力を使わない分だけ楽していることはあるでしょう。しかし、他方では、介助はたんたんとやってくれればよいと言っても、なにかしらの煩わしさや気苦労といったものはある。残念ながらそう楽ができているわけではありません。自分が普通の労力を使うのではできないことについて補うようにということなのだから、努力不足を言われるいわれもありません。なんか文句があるのか、です。まあ、ありません。さらに、まっとうな文句があるというなら、受け付けますが、そのうえでも、以上に間違いはありません。

 理屈の通らない人はいつの世にもいるので、とにかく下手に出たり、情に訴えたりをせざるをえないことのあることは認めます。ただ一つ、それは、上手な人にやってもらったらよく、私はそういう芸がないので、得意な人にお任せしようと思います。もう一つ、優しくしてあげるとさらにつけ上がる輩もいて、それは悔しく、よくないことだと思うので、私は別の側からものを言うことにしようと思っているのです。次の本は、どのようにへり下ったりせずに言うべきことを言うか、そんなことについて書ければと思います。


■註(本では使っていない)
★  『良い死』第1章「私の死」の3「他を害してはいないなという説について」。
 かなり周到な、あるいはややこしい論述になっている。
 「ある属性を有しているのであるならば私は死ぬだろう。私は、あなたのようになったら、死んでしまうというのである。これはとても強い否定ではないか。」(立岩[2008:121])。
◇2017/08/12 安楽死尊厳死について,MXテレビ
 「立岩:さっきの話の続きですね、結局、自分は安楽死したいとか尊厳死したいと言ってる人って、特に若い人ね、やっぱりかっこつけてるんだと思うんですよね。ああなったら俺も終りだなみたいな。俺は今、ああなってないじゃないですか。ああなっているのは誰かといったら、自分が実際に知っていたり、あるいは想像していたりする、認知症になったりとか、身体が動かなくなったりとか、そういう人ですよ。自分のことだと言いながら自分じゃないことを想像したり見たりして、それに対してすごいネガティブなイメージをもっているから、ああなったら死にたいと言うわけですよ。それは自分のことかもしれないけど、でもそういった周りの人をそういう目で見てそう思っているから、ああなったら死にたくないと言っているわけで、それは自分のことというよりは、そういう人たちというのをすごいネガティブに見るから自分はと言ってると思うんです。それっていいのかな? 少なくとも公言していいことなのかといったら、わたしは、はしたないと思いますね、そういうかっこつけというのは。それはやめた方がいい。でもたぶん気がついてないと思うんですよ。そういうこと、そういう効果があるというか、それとやっぱり蔑視という部分って確実にあると思うんですよね。でもそれに気がついてないかもしれないけど、よくよく考えてみれば、そうじゃないとたいがい大切にしている自分の命というものを、そうなったら差し出していいと言ってるわけだから、かなり強力な否定ですよね。ああなったら俺は死んだっていいんだぜと言ってるわけだから。それは人に言っていいことなのかということを考えてほしいというのが、それが今日、一番言いたかったことかな。
 今、キャスターをやっていらっしゃる方はおいくつぐらい?
インタビュアー:44、43、そのぐらい。
立岩:一番なんかそういうことを言う時期ですよ。親のこととか気になったりだとか、でも若いころだったら考えもしなかったことでしょうけど、ちょっと気になりだした。でもまだ自分はバリバリやれてて、ああなったらみたいな。そういう季節というか時期というか、そんな気がしますよ。ぼくはでもちょっと立ち止まって、自分はなにを言ってるんだろう、思っているんだろうということをやっぱり考えてみるというか、それは必要なんじゃないかと思いますね。インタビュアー:ぼく自身もすごく考える。たしかにそういう方たちを蔑視しているという、そういうことですよね。
立岩:ああなったら死んでもいいと言っているんですよね。一番強いですよ。たいがい一番大切なものは自分の命だから、その命を捨ててもああなりたくないと言ったときに、これはかなり強力な蔑視、蔑視というか否定ですよね。」
★  このかん、事件の前にNHKの人も私に取材に来ました。事件のことは言っていませんでしたが、あとで考えると知っていたのだろうと思います。ただNHKもいろいろな人がいて、しかし一方では続けてこれを追っていたということであるようです。どういう姿勢で取材し報道するということであるのか。言ってもらいたいと思います。
★  『自由の平等』

■文献

◆立岩 真也 20040114 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店,390p.
◆―――― 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p.
◆―――― 20060710 『希望について』,青土社,320p.
◆―――― 20080905 『良い死』,筑摩書房,374p.
◆―――― 20090325 『唯の生』,筑摩書房,424p.
◆―――― 20120610 「差異とのつきあい方」,立岩・堀田[2012:95-173]
◆―――― 20170812 安楽死尊厳死について,MXテレビ
◆立岩 真也・有馬 斉 20121031 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p.
◆立岩 真也・堀田 義太郎 2012 『差異と平等――障害とケア/有償と無償』,青土社
◆立岩 真也 編 20090325 『唯の生』,筑摩書房,424p.


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https://twitter.com/ShinyaTateiwa 07/23〜07/30

◆2020/07/23 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1286182577833795584
 「京都での「安楽死」事件にコメントを求められ。「事件のことは聞いたばかりで、具体的なところにはコメントできない。現時点で一番懸念しているのは、SNSでさっそく支持を表明してしまう無思慮無責任な人々が既に多く現れているらしいこと、なにか…」(続く)なぜこう言わねばならないか説明は別便」

◆2020/07/23 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1286183467949023232
 「京都での「安楽死」事件にコメントを求められ。続き。「…現時点で一番懸念しているのは……なにか倫理的に深い問題がここで示されているかのように報道してしまう報道機関が現れてしまうことだ。」」
 ▽立岩真也@ShinyaTateiwa
 「京都での「安楽死」事件にコメントを求められ。「事件のことは聞いたばかりで、具体的なところにはコメントできない。現時点で一番懸念しているのは、SNSでさっそく支持を表明してしまう無思慮無責任な人々が既に多く現れているらしいこと、なにか…」(続く)なぜこう言わねばならないか説明は別便」

◆2020/07/24 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1286466378468216832
 「ALSについて『ALS――不動の身体と息する機会』(立岩真也、医学書院)→http://www.arsvi.com/ts/2004b2.htm よし/あし別に変わらない部分/変わった部分両方あるが、知りたいなら、今でも、まずこの本を、のはず。変わった、変えようとしてきた動きについては今書いている。」

◆2020/07/24 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1286613969319280642
 「新書のための連載のあいまにちょっと→「やれやれ」→http://www.arsvi.com/ts/20200102.htm 「その人たちは正義を語ります。悪いことをしたい、しよう、と言ってもらった方がまだよいと思うぐらいですが、そうではありません。正しいと思って言っているようなのです。」♯ALS・京都・安楽死〜嘱託殺人」

◆2020/07/25 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1286908618881642496
 「「京都府におけるALS女性嘱託殺人事件」頁作成されました〜ファイル名変更→http://www.arsvi.com/d/et-2020k.htm たくさん情報あり。ご覧ください。ついでに中味にはなにもふれていない拙稿→http://www.arsvi.com/ts/20200102.htm 新書予約受付中。」
 ▽立命館大学生存学研究所@ritsumei_arsvi
 「【更新情報】 京都府におけるALS女性嘱託殺人事件 http://www.arsvi.com/d/et-2020k.htm ◆全国「精神病」者集団 20200723 「緊急声明―京都における障害者の嘱託殺人事件について―」 https://jngmdp.net/?p=1108 などへのリンクを掲載しております。 @ShinyaTateiwa」

◆2020/07/25 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1286924339028271104
 「「オランダに行って死んだ人のことがNHKの番組で放映されました。その番組に対して疑問が示され、回答が求められたにもかかわらず[…]回答はありません。そういう状態のままNHKは今回の事件を報道してよいのだろうかと思う人もいて当然だと思います」→http://www.arsvi.com/ts/20200102.htm

◆2020/07/26 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1287193221097873409
 「「さてこんなことを〔安楽死尊厳死について〕書いてきたわけですが、さて、いままた、あるいはいまさら、なにか言うことがあるか、です。/ありません。ただとくに安楽死ということでなく、ツイッター等々で語られていることで…」→http://www.arsvi.com/ts/20200102.htm

◆2020/07/26 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1287213203517083649
 「「優生・米国」→http://www.arsvi.com/d/eg-usa.htm
 ▽銀と桃ちゃん@astrotoh
 「知能テストを受けさせて、知的障害として国外追放するのが、制限。これ本当に障害があったかどうかは怪しくて、アメリカ文化に詳しくないと分からないテストだったりしたんですよね。だから「立証」に鉤括弧ついてる。ものすごい。。 立岩真也『私的所有論』(勁草書房、1997年)p.236」

◆2020/07/26 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1287275037557272576
 「このコメント含め→http://www.arsvi.com/ts/20200102.htm 比較的非難しやすい人物が実行したということらしいが、ではもっと「まともな」人物がもっと「安く」やってあげたら? 嘱託殺人はだめだが安楽死はいい、安楽死はだめだが尊厳死はいい、のか? そんな具合に考えること。#京都ALS女性嘱託殺人事件」

◆2020/07/27 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1287646360074764289
 「『ALS――不動の身体と息する機械』(立岩真也、医学書院)関連情報→http://www.arsvi.com/ts/2004b2.htm 第9章「その先を生きること」第10章「その先を生きること・2」第11章「死の位置の変容」第12章「さらにその先を生きること」」
 ▽モヤシじじ@pCkyK2g83LGotqC
 「いまさらに、立岩 真也 (著)「不動の身体と息する機械 」を読むべき」

◆2020/07/28 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1287889410957033472
 「横田弘『増補新装版 障害者殺しの思想』(横田弘、現代書館)関連情報→http://www.arsvi.com/b2010/1506yh.htm 『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』(立岩真也編)→http://www.arsvi.com/ts/2016b1.htm
 ▽河村書店@consaba
 「『増補新装版 障害者殺しの思想』横田弘、解説・立岩真也(現代書館)青い芝の会の「行動綱領」を起草し、健全者社会に対する鮮烈な批判を展開した横田弘の70年代の思索。https://www.amazon.co.jp/dp/4768…/a> #ss954 #radiko #tbsradio」

◆2020/07/28 
https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1288073564722274305
 「毎日新聞社福富智さん共同通信社蓮田真実さん取材に来られる。2時間半。後半に紹介したのは「ALS京都」→http://www.arsvi.com/d/alsk.htm 「こくりょうを&から…」→http://www.arsvi.com/o/kokuryo.htm それでも亡くなる人がいたというのがこのたびの事件ということでもあるが、それでもしかし、だ(続くつもり)」

◆2020/07/29 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1288280258555179011
 「『ALS――不動の身体と息する機械』(立岩真也、医学書院、449p.)関連情報→http://www.arsvi.com/ts/2004b2.htm アマゾン、紀伊国屋書店では品切れのようですが、hontoにはあるようです。どうぞ。→https://honto.jp/netstore/pd-b…
 ▽書籍ランキング速報@a_ranking_news
 「(7/28) honto 本の通販ストアランキング > 医学 > 看護学ランキング12位:立岩 真也 (著)『不動の身体と息する機械 ALS (シリーズケアをひらく)』」

◆2020/07/30 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1288734009602666497
 「『ALS――不動の身体と息する機械』(立岩真也、医学書院)関連情報→http://www.arsvi.com/ts/2004b2.htm 紀伊国屋書店も(すくなくともネットのほうでは)買えるようです。どうぞ。」
 ▽紀伊國屋書店 書籍営業部@Kino_gakujutsu
 「【既刊】「質のわるい生」に代わるべきは、「質のよい生」であって、「美しい死」ではない。無意味な延命、死の受容などと唱える前にやるべきことがあり、呼びかけるべき声がある。(ま) 立岩真也『ALS―不動の身体と息する機械』医学書院 https://pro.kinokuniya.co.jp…

◆2020/07/30 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1288756846975520769
 「「私は、あなたのようになったら、死んでしまうという…。これはとても強い否定ではないか。」(立岩真也『良い死』、筑摩書房、p.121]) この当たり前のことに気づいてさえいない人がいるのは困ったことだ。→http://www.arsvi.com/ts/2008b1.htm #安楽死」

◆2020/07/30 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1288757334139797506
 「「私は、あなたのようになったら、死んでしまうという…。これはとても強い否定ではないか。」(立岩真也『良い死』、筑摩書房、p.121]) この当たり前のことに気づいてさえいない人がいるのは困ったことだ。→http://www.arsvi.com/ts/2008b1.htm この↓インタビューでもこのこと言っています。 #安楽死」
 ▽立命館大学生存学研究所@ritsumei_arsvi
 「【ページ紹介】 立岩真也「安楽死尊厳死について」(インタビュー) http://www.arsvi.com/ts/20170723.htm 2017年7月23日MXテレビ収録 「インタビュアー:今日は番組で、尊厳死、安楽死について、いろんなご意見をうかがいたいなと思っておりまして、先生のお考えを教えていただけますでしょうか」 @ShinyaTateiwa」


UP:20200810 REV:

介助・介護 
重度訪問介護派遣事業(重訪) 
立岩 真也 
Shin'ya Tateiwa 
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 

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