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被告の姿私たちとつながる 暗い見立て直さないとダメ

山下 寛久(取材・執筆)/立岩 真也 2020/03/23 『朝日新聞』2020-03-23神奈川県版:21


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◆取材:2020/03/09 於:京都・北山・立岩宅
※この時の録音記録は文字化し、以下の本に使われた。
◆立岩 真也 2020/**/** 『(本2)』,岩波新書

◆掲載→『朝日新聞』2020-03-23神奈川県版:21

■手をいれたもの
 植松聖(さとし)被告(30)は「津久井やまゆり園」で働くうちに「他人の金や時間を奪う重度障害者はいない方がいい」と考え、次第に「殺す」と決意を固めた。障害者施設である同園での殺傷事件の公判で、友人の供述調書などの証拠から浮かび上がった。
 立命館大学大学院の立岩真也教授(59)は被告の姿を「飛躍しながらも私たちとつながっている」と見る。歴史上、45人もの人を殺傷した事件はほとんどない。だが一方で、生産できない人間を生かしておくと社会がもたないという見方は、社会に広く、深く根づいていると考えるからだ。
 確かに食べ物や日用品など、生きていくためには誰かが生産をしないといけないし、できることはいいことだ。だが、それはできない人が生きてはいけないことの根拠にはならないし、そのような根拠はない。
 事件の根底にある間違った見方は、生きるに際して役に立つものを提供できるという「価値」と、そうして生きる本人にとっての良さという「価値」とを、混同することから生まれるという。
 例えば、勉強や体操、芸術ができることは、気持ちが良い、美しいといったプラスの価値につながる。だが、それはそもそも人間が生きていることを前提とした、良く生きるための手段としての価値と言える。
 一方、「生きることの価値」というのは、ご飯を食べておいしい、暖かくて気持ちが良いといった、「一人ひとりが世界で生きていくことの中から受け取っているよさ」のことをいう。それは生産ができるかできないかに関係なく、ほとんど、どの人にもあるものだという。
 「人に世話されて生きる人は、他の人より良い部分や好かれる部分がないと生きていてはいけないのか。生きることの価値を勝手に減らしたり、奪ったりしてはいけない。その人にしかないその人の良さが無くなってしまう。だから、殺してはいけないんです」
 だが「生きることの価値」はしばしば見過ごされる。今後良いことなんかない、大変な時代になっていくんだという社会に漂う暗い見立てが目をくらませる。立岩教授は「その見立てがそもそも間違っている」と指摘する。
 例えば人不足が言われる。親1人子1人で子育てをする家庭、子が1人で親の介護をしている家庭は、多くが追い詰められている。ケアを手伝う人がいればいいのだが、担う人手が足りない。「少子高齢化のため」と説明されるが、それはまったく間違っている、そこは、被告も多くの人もまったく間違っている。働ける人・働きたい人はたくさんいて、給与など労働条件や労働環境などよくすれば、人手が足りないと言われる 部分も十分にまかなえる。
 それなのに、そうした社会の設計がうまくいっていない部分を直す前に、誰もが暗い見立ての下で我慢比べを続けている。「被告はまさにこの社会の見立てを真に受け、事件を起こしたし、他にも信じている連中はたくさんいるだろう。そこから直さないと本当はダメなんです」。立岩教授は言う。

■送っていただいたもの
 植松聖(さとし)被告(30)は「津久井やまゆり園」で働くうちに「他人の金や時間を奪う重度障害者はいない方がいい」と考え、次第に「殺す」と決意を固めた。障害者施設である同園での殺傷事件の公判で、友人の供述調書などの証拠から浮かび上がった。
 立命館大学大学院の立岩真也教授(59)は被告の姿を「飛躍しながらも私たちとつながっている」と見る。歴史上、45人もの人を殺傷した事件はほとんどない。だが一方で、生産できない人間を生かしておくと社会がもたないという見方は、社会に広く、深く根づいていると考えるからだ。
 確かに食べ物や日用品など、生きていくためには誰かが生産をしないといけないし、できることはいいことだ。だが、それはできない人が生きてはいけないことの根拠にはならないし、そのような根拠はない。
 事件の根底にある間違った見方は、何かの指標としての「価値」と、生きることの価値と言うときの「価値」を、混同することから生まれるという。
 例えば、勉強や体操、芸術ができることは、気持ちが良い、美しいといったプラスの価値につながる。だが、それはそもそも人間が生きていることを前提とした、善く生きるための手段としての価値と言える。
 一方、「生きることの価値」というのは、ご飯を食べておいしい、暖かくて気持ちが良いといった、「一人ひとりが世界で生きていくことの中から受け取っている良さ」のことをいう。それは生産ができるかできないかに関係なく、ほとんど、どの人にもあるものだという。
 「人に世話されて生きる人は、他の人より良い部分や好かれる部分がないと生きていてはいけないのか。生きることの価値を勝手に減らしたり、奪ったりしてはいけない。その人にしかないその人の良さが無くなってしまう。だから、殺してはいけないんです」
 だが「生きることの価値」はしばしば見過ごされる。今後良いことなんかない、大変な時代になっていくんだという社会に漂う暗い見立てが目をくらませる。立岩教授は「その見立てがそもそも間違っている」と指摘する。
 例えば人不足が言われる。親1人子1人で子育てをする家庭、子が1人で親の介護をしている家庭は、多くが追い詰められている。ケアを手伝う人がいればいいのだが、担う人手が足りない。「少子高齢化のため」と説明されるが、労働条件が悪いからとも言え、給与や労働環境など修正できる部分は多くある。
 それなのに、そうした社会の設計がうまくいっていない部分を直す前に、誰もが暗い見立ての下で我慢比べを続けている。「被告はまさにこの社会の見立てを真に受け、事件を起こしたし、他にも信じている連中はたくさんいるだろう。そこから直さないと本当はダメなんです」。立岩教授は言う。


UP:2020 REV:
7.26障害者殺傷事件  ◇声と姿の記録  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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