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無駄に引かず無益に悩まないことができる

立岩 真也 2020/04/01 『社会福祉研究』137:31-37(鉄道弘済会)

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 ※リンクはこれからです。まずは掲載します。

 「障害者福祉における『当事者』性と『自立』観」という仮題をいただいた。そういうことについておびただしい数の文章を書いてきたから、言うべきことについて、それらに加えることはない。「要点」をということであれば、今年中には書いて刊行してもらう岩波新書に書く。「生存学」で検索して出てくる2つのサイト(両方とも立命館大学生存学研究所が運営)の1つ(http://www.arsvi.com/)の表紙にある「内を検索」で「自立」で探してみてください。辞典の項目として400字程度で書いたものから、長いものまで、各種ある。『自己決定/パターナリズム』(立岩編[2017])という電子書籍?もある。また昨年の末第2版(増補新版)が刊行された『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』(立岩[2019])に基本的な考察と、初版へのかなりの分量の加筆がある★01
 ここでは、2017年頃から少し関わっている、(旧)国立療養所に長く暮らしてきた筋ジストロフィーの人たちがそこを出て暮らせるようにという、またその施設でもっとよい生活ができるようにしようという企画に関わっていくらかを書く。「社会福祉専門職に求められること」を書いてほしいというリクエストにも応えるものになるとも思うからだ。2019年11月にDPI(障害者インターナショナル)日本会議の政策討論集会で、その活動について報告し、全国の人たち・組織にその拡大を呼びかける分科会があり、短い話をした。以下、その記録※に大幅に手を入れ――とくに「専門職」向けの部分を――加筆したもの。あえて「ですます調」を残した。
※立岩 真也 2019/11/24 「どこに立ち何を言い何をなすか」筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト始動,第8回DPI障害者政策討論集会分科会 於:戸山サンライズ

1 止められないという基本
 2017年の6月に、直接的には相模原事件★02のことでDPI日本会議の集会で講演をした記憶があります。確かその時に言ったと思うんですけれども、DPIがいろいろ差別事例っていうのを集めてきましょうっていうことをしている、それもけっこうなことではあるけれども、かくも明白なというか、巨大な規模の施設収容っていうものがもう何十年と続いていて、それがさして知られぬままに、そして運動の側もなんとなく触ってこないで長い時間が経ってしまったっていうことを、まじめに、真摯に、受け止めなきゃいけないと、そこから運動っていうものを立ち上げていかないといけないんだってことをその時に申し上げました。
 それから2年少し経って、いくらか運動が前に進み、具体的になってきたっていうことは、望ましい、好ましい、喜ぶべきことだと思いますけれども、まずは、基本的なところで、なんか忘れてきたっていうか、手つけてこられなかったっていうことは、何度でも深く受け止めなきゃいけないと私は思ってます。これはDPIに限らず日本の障害者運動が、なんとなく病院にいる人たちは病人で、みたいな、そういうのもあったのかもしれませんけれども、それだけでもない。それだけでもない中で、もとは結核療養者を収容する施設としてあった療養所が筋ジストロフィーや重症心身障害児の人たちの収容を始め、そしておおむね知られることもなく続いてきました。それがどういうことだったのかっていうのは『病者障害者の戦後』(立岩[2018])に書きました。
 その歴史的事情はなかなか複雑なものがあります。ただそのうえで、基本的な立ち位置は単純であって、そこから始めようということなのです。どういうことかっていうと、やっぱり今の状況、1つ目はですね、今置かれてる状態が普通におかしいんじゃないか、じゃないかじゃなくおかしいという認識です。障害者権利条約だとか差別なんとか法だとかっていうことの前に、患者の権利法がどうだとか言わなくても、人がどういう所に住むのか、どういう所に暮らすのか、行きたい所に行けるっていうことは、妨げられてはならない権利であるという自明のことです。
 つまり、なにかよいことをしようという、そういう水準の問題ではないということです。居住のことを言いましたが、例えば作業所だとか人が集まる場所のことでも同じです。反対運動が起こったりして、実現しない、悲しいことだ困ったことだと言われる。実際にそういうことはたくさんあります。しかし、そういう中で社会の、地域住民の理解を得ようということの手前で、それは反対できるようなことなのかと考えるべきであり、反対など、基本的には、できないことなのだという認識から始めるべきだということです。
 「本来は」、ですよ。実際にはそうではない。だから、権利条約でもなんでも、使えるものはなんでも使おう、ということにはなります。しかし、その前に、反対できたり禁止したりできることなのか、そうではなかろうということです。そういう自明なことを言うのは、例えば、金沢の医王病院から37年の入院生活を経てそこを退院して暮らされた古込和宏さんの退院について、その親の承諾がなければ退院させられないと病院の側は言い、さらに実際そのように信じてていたようであることです。また病院・医師がそのく許諾の権限をもっていると思ってしまっていて、実際そのように振る舞ってしまうということがあるということです。現実はそういう水準にあってしまっている。だから、わざわざこの自明のことを、残念ながら、確認せねばならないというになります★03
 そういうこと言うと、能天気な自己決定主義者みたいに聞こえるかもしれませんけど、私はそんなに竹を割ったような性格ではなくて、実際に生命の危機というものが存在するような事態においては、ある種の強制というかパターナリズムの実行というものはやむをえないという立場です。ですから安楽死の法制化に反対してきたのです★04。そういう、100%本人が言ってるんだったらなんでも聞けばよいとは思わない私でさえも、やはり今起こっていることはおかしい。人を人がいたくない所に留め置くこと出さないっていうことは、その正当性を挙証する責任ってものは、とどめる側、止める側、出さない側にあるわけです。それがちゃんと言えない、証明できなければ、そんなことしちゃいけないに決まってるわけです。で、そこのところを何度でも自ら確認し、組織として確認し、政府に対して主張し訴えていくってことをまずはすべきだと。それがまず基本的な確認のポイントです。これが1個目です。

2 それを実現することはできる
 2つ目は、出るはいいけれども暮らしていけるのかです。答としては、暮らせるようにするしかない、困難だけれども、という答しかありません。これはどっちかっていうと、サービス提供をやっているCIL(自立生活センター)系の組織が関係することですけれども、これまでそういう、俗に言う「医療的ケア」が必要な障害の重い人たちにちゃんとサービスを提供するようなことをできてきたかっていうと、しょうじきそうでもないところがたくさんあるのは事実です。けれども、やれてこれるようになった地域・組織もまたたくさん沢山出てきたってこともまた事実です。
 ですからそっちの、できてきているほうに近づけていくしかない。それは可能です。基本的には同じ制度のもとでやれているところがあるわけだからです。それは、京都にもあるし、兵庫にもある★05。だからできるわけです。それが2つ目のことですね。できるから、できるからやろうという。もちろんそのためにはお金がいる、お金がいるのは政府から引っ張ってくるしかない。そういうことも込み込みですけれども、そういうことをしていくってことが2つ目のことだと。そのことによって、そもそも権利としてっていうことプラス、それが実際に可能な仕組みを作っていく。
 そのために、僕はまず日本の障害者運動っていうのが、一番重い人から、最重度の人を出発点にするんだっていってこれまでやってきたことっていうのは極めて重要なというか、偉大な立ち位置だったと思いますし、素晴らしいことだと思います。そして例えばCILが派遣事業するっていうことは、むしろ世界的には珍しいことかもしれない。それは、やむをえず始めたところもある。このことも認めましょう。けれどもそのことによって、その組織はある種の力を持ってきてはいるわけですよ。自分たちががんばって介助者集めてトレーニングして、提供すればいろんな人たちが街で暮らせるようになるのだから、それをやってく。ただそういう意味では確認すべきポイントは一つで、実際に行うべきことも一つで、極めて単純なことなんです。
 しばしば、理念を掲げ社会を「ラディカル」に批判する運動と、「ものとり」の運動とが対置され、ときに対立させて語られることがあります。「乗り」の違いというものはあるわけで、わからないではありません。しかしこれは基本的にはおかしなことです。介助が得られずに地域で暮らせないというのですから、それが可能になるために人を集めるのは立派な社会運動です。そして、いまその仕事をする人を集められないことが問題であり、それは介助の仕事で働いてもよいというだけのお金を結局は政府が出していないことが問題なのですから、要求し実現していく。それはきわめて大切なことです。そしてそれは、「優生思想」に対峙し、そんな気分が世の中を暗く覆ってしまわないようにするための現実的な手立てでもある。だから、それは反優生思想の強力で具体的な運動でもあります。
 「内なる優生思想」という考え方にはもちろんもっとなところがあります。ただ、心優しい人たちが自分のことを思って、私にも優生思想的な部分があるとか思って、それを根絶するのは難しいよねとか、反省してしまって立ち止まってしまうのは、損なことだと思うのです。根絶なんかできないって居直ったってよい、しかしその濃さを薄めることはできるということです。そのためには、自分だけで世話を背負いこんでその負担で暗くなり殺しそうになったりするその度合いを減らすことです。
 そういう仕組みを私の知る皆さんの運動は作ってきた。それが意外にも知られていないから知ってもらおうと思って本やらいろいと書いてもきました。ただまだ知られてない。皆が知るべきだとは言いません。けれども一番知ってなきゃいけない専門職の人たちがあきれるほど知らない。介護保険のことは知っているけれども「重訪(重度訪問介護)」のことをほとんどまったく知らない。それではたいへん困るわけです。知ってるはずだと人々が思う人が知らないとなると、人々は存在しないと思ってしまう。ほんとにないなら仕方がないかもしれない。あるいは作るしかない。けれども実はあるわけです。あるものを知らないことによって人は人を殺してしまう、あるいは自分を殺してしまう。それはとてもよくないですよ。もっと知ってもらうように私たちもできることはしますが★06、知ってるはずの知らない人たちももっと積極的に情報を得ようとしてもらいたいと思います。

3 「相談支援」をまともにする
 この企画・仕事は、とても手間のかかる人手のいる仕事です。ただ、それに関わっている京都と西宮の組織は、それが使命だと思っているから、そして、介助派遣のほうで大きな事業をしていて、その「あがり」で金にならない仕事をしていくことができているから、することができています。しかしそうした身体障害の利用者が多い自立生活センターなどと異なり、別に収入源はないから「精神」の方面の相談支援の仕事・仕事をする人・組織はさらに厳しい。こちらで博士論文を書いてそれが本になった萩原浩史さんの『詳論 相談支援』(萩原[2019])、そしてそこに書かせてもらった「解題」(立岩[2019])にいくらかを書いてみました、ややこしい経緯があって、そのあげくすかすかの役に立たないものだけが残ってしまいました。その本で描かれる、いやになるほどの、笑ってしまうほどの複雑な制度ができ、よくわからない変遷をたどってきました。そうした中で、仕事を投げられた地方行政は、ますますこの制度がなんであるかわからなくなり、地方政治の変遷にも左右され翻弄され、結果、事態はさらに厳しくなっています。
 その現状の一部が、それを仕事をする人たちによって引き起こされたのであれば、同情はできないと突き放したくもなります。しかし、「地域移行」が進まない要因の一つはここにあります。一方に金がかけられず使えない仕組みがあり、他方の「精神病院体制」(立岩[2015])は強いままです。その格差に規定されているところがあります。だからやはり現状は変えねばなりません。
 書類一枚につきいくらというのはすっきりしてよいではないかと思ってしまうところはあります。しかし、医療は、一部を定額制にといった――いくらかはもっとなところがある――変化はあるものの、おおまかには、仕事の量が多くなれば多くが得られるようになっています。少なくとも、書類を一つ作ってそれにいくらか払われて終わり、ではなく、管理職だけをしている人の人件費も含めてやっていけるような支払いの仕組みになっています。そして病院の方については、自治体の持ち出しが少なくてもすむといったことも作用しています。まず、一方にそういう世界があることに、二つの世界の差に気づいてさえいないということがあります。
 そして、この不均衡を何がもたらしているのか。やはり『精神病院体制の終わり』に書いたことですが、一つには、病院・医療の側が、「福祉」の側と異なり、影響力を有し行使してきたという事情があります。それでどうしようか。基本的には難しいことではありません。やはり同じ本で述べましたが、「(相談)支援」についてまともな仕事をさせることです。計画(書)一つに対してではなく、仕事に対して払う。一つの尺度としては働いた時間を使い、その時間に応じて払う。一定の人口におおざっばには同じ程度の必要があると言えるから、何人かを雇って、そのための仕事をしてもらう。それではアバウトだと思うかもしれませんが、繰り返しますが、世の中には税金や保険料を使って行われているもっとアバウトなどんぶり勘定な仕事がたくさんあります。おおまかにそうしたうえで、ときに現れる問題に対処した方がよい。無駄な、さらに有害な介入はときにありますが、それはそれにかかる金を減らすことよって減らすべきでなく、別のやり方をとるべきです。
 そして次に、基本的には、支援(全般)、例えば介助と相談支援は分かれないと捉えた方がよいと考えます。「専門職」の人は受け入れ難いかもしれませんが、また仕事のきびしさによって加算があってもよいとは思いますが、そう考えた方がよいと私は思います。一つに、基本的に、両者は人の生活に必要だという点では同じです。一つに、とくに「精神」の人の場合、話を聞いたり引っ越しの手伝いをしたりすることについて、相談支援――そもそも「相談」という言葉を使うのがよろくしないというのも萩原さんの本で言われているまっとうなことの一つです――とそれ以外の支援とを分けてどちらなのかと問う必要もありません。経験値といったものの差異はあり、分業はときに必要で有効だとしても、基本は連続的なものと見た方がよいということです。萩原さんから、幾度か(幾度も)いつ終わるともわからない延々とした、また突発的で不定形な仕事のことを聞いてきましたそしてそれに萩原さんはっきり「意気」を感じています。それは、吉村夕里さんがその博士論文、をもとにした著書(吉村[2009])を書いた動機でもあります。「面接」の場で何が起こっているかをたんたんと記していくその本は、自分たちがしてきた、そして今できなくなっている、そしてこれからするべき「ソーシャルワーク」の仕事はそんなものではないはずたという思いから書かれています。
 カウンセリングの技法とか理論とかそんなことをいろいろと論じることはもちろん大切でしょう。しかし、「ソーシャル」ワークとはそういうこと(だけ)ではない。そう言うと、それは一部の「熱い」人達のことだと返されるかもしれませんい。しかし、支援がどういうものであるべきか、あるしかないは、そう思っている人が全部ではないということと別にきちんと言えます。そして、そこから引かないことで、そして加えて他の例えば医師の仕事への支払いはしかじかではないかといったことを加え加えていくことによって、とれるものをとっていくことができるはずです。そして人を病院に留めておくことに種々の事情があることはあるのだが、それでも、「移行」やそもそも病院・施設に行くこと少なくしようとすることがよいことであることは認められているのだから、そのために効果的・効率的な仕組みを考えるなら、いま述べた仕組みが採用されるのがよいと確実に言えるはずです。

4 研究を仕事とする私たちは
 さて私は研究者をしています。ここでの主題については「こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす」っていうホームページを、私たちのホームページの一部として作っています。これはわりとまじめに作っているので見てください。そこから、この動きの一つのきっかけともなった古込さんが生前に書かれた文章、私や私の勤め先の大学院生が彼に行なったインタビューの記録、記事などを掲載している古込さんのページにリンクもされています。また、今日の朝起きて作ったんだけれども、古込さんに続き医王病院から出ようとされているなか、古込さんが亡くなった同じ年の同じ月に亡くなられた斉藤実さんのページもあります。斉藤さんが生前残されたわずかな言葉、わずかな手紙、そうしたものを掲載しています。今日の集会の記録も文字起こしして、そして掲載しようと思います。現在は国の研究費を得て「病者障害者運動史研究」というのやっていますが、それに続くものとして「生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築」という書類を書いて応募しています。その計画書の全文もお読みになれます。それを研究費がとれようととれまいとずっと、続けていく。それが一つ、私たちがせめてできる一つの仕事だと思っています。
 もう一つは、基本は単純だって幾度か言いましたけれども、だけれども一個一個の政策の動向であるとかその把握・評価っていうものは、やっぱりそれはそれなりに分析的に分析しないと、やはり道を間違えるわけです。これはただ記録を採ってホームページに並べるってだけじゃなくて、いささかの分析的な知性というか、分析力というものが必要になってくる。社会科学的というものはそういうことをするものだと、ものであるべきだと思います。しかし残念ながら日本の社会科学ってものは、そうした力をほぼ持っておりません。それは大変嘆かわしいことです。呼びかけて、助力できることは助力してですね、分析を進めていく。分析てる、そしてそのためにも言葉を記録を集めて整理して皆さんが読めるように見れるようにする。せめてそうしたことを、学者、研究者としてやっていきたいと考えています。


★01 周辺的なことを一つ記しておく。「当事者」という言葉について。すっかり業界ではこの言葉が定着した。「障害者」と言わず、「障害当事者」などと言う。
 私自身は当事者という言葉をほとんど使わない。理由は単純で、この言葉には幅があって、「こと(事)にあ(当)たる人」ということであれば、例えば家族も含まれることになる。実際にそのように使われることも多くある。本人だけと家族を含む場合と、ときに違いは大きい。それが混同されないように、私は「本人」とかでよいと思うので、そのように記してきた。
 しかしそれは、誤解・混同がないのであればこの言葉を使うのはかまわないということでもある。「障害当事者」という言葉を使う人たちは決して「関係者」を含めてはいない。このことをわかってさえいれば、反対しない。そしてなんとはなしにネガティブな感じがする「障害者」という言葉よりも(よりは)よいという受け止め方があるのだろうと思う。
 ただ私は長く使ってこなかった。しかし上野千鶴子によると「当事者主権」という言葉を(社会学者が?)使ったのは私が最初だという。まちがいだろうと思って調べてみたら見つかった。
 『生の技法』という本は1990年に初版が、第2版(増補改訂版)が1995年、そして第3版が2012年に出ている。私の書きもので「当事者」という言葉がかなりたくさん出てくるのは、初版の第8章(立岩[1990])。この章は1995年の第2版(増補改訂版)では「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える――介助システム論」という章に置き換えられており、そこには以下のようなくだりがある。
 「介助者の選定や介助内容に関わる決定を誰が行うか[…]。その者が誰であるべきかは明らかだ。介助を受ける当人である。これまで、特に医療、福祉の領域では、行政の担当者、施設の職員、専門家達が主導権を握ってきた。だが、自らの暮らし方は自分で決めてよいはずだ。彼らは生活の自律性を獲得しようとする。自らのこと、自らの生活のことは自らが一番よく知っている。こうして、提供(資源供給)側の支配に抗し、当事者主権を主張する。」(立岩[1995a:229→2012:356])
 また第2版で新たに加えられた第9章「自立生活センターの挑戦」には次のようにある。
 「むろんこれまで見たように、地域での生活と当事者主権という理念は既に獲得されていた。それはCILだけの特徴ではない。そして過去・現在のあらゆる当事者組織が当事者の必要に応えようと活動している。だがこれまで、介助等のいわゆる福祉サービスについては、与える側の組織があって、受け手はそこから切り離されてきた。これは行政だけでなく、ボランティア団体にしても同じである。この当事者の側に渡されず受け手としてしか現れてこなかった部分に当事者が入りこみ、その活動を担おうとする。このことをはっきりと打ち出したのはCILである。」(立岩[1995b:270→2012:417])
 そして、この時期=おおむね1990年代の書きものをながめなおすと「当事者」という言葉がずいぶん出てくる。当時すでに私が知っていたかなり限られた業界ではこの言葉は一般的な語となっており、私もそれを一時期使っていたということのようだ。
 その上野と中西正二が書いて岩波新書として出た『当事者主権』という本(中西・上野[2003])があって、それはだいぶ売れたはずだ。その本の企画の最初に少し関わったこともある私は、本の紹介で著者の一人である中西について「強烈に肯定的なトーンにくらくらする人がいるかもしれない」が、しかしそれだけのことをやってきたと私は思う」と書いたりした。ただそのすっきりはっきりした本は、なんでも自分で決めるのが(他人に指図するのが)よい、それが自立だ、的に読まれうる。そこで、実際にはそのようにはやっていけない、とか、それがよいと言い切れるか、的な話が延々と続いてきた。だいぶこの本に書いてあることと文脈の異なる「介護者手足論」といった言葉もそこに混ぜられた。私はこの種の議論については言うべきことははっきりしていると考えてきたし、そんなことより別のことを調べたり考えたりしたらよいのに思ってきた。それでも、整理はしておく必要はあろうと思い、『不如意の身体』の一部(立岩[2018a:88-91,96])、そして福島の障害者運動についての本(青木他[2019])に収録された章の一部(立岩[2019a:284-302])に記した。ただ、それをさらに整理して示す必要もあろう。岩波新書の方に書こうと思う。そこでは、その自己決定主義者中西であっても安楽死尊厳死に反対していて、そこに矛盾はないという、これまで幾度も述べてきたことも再唱する。
★02 この事件があって書いた本に立岩・杉田[2017]。本年三月に判決があったこともあり、いくつか取材を受けた。その記事なども掲載している。先述した「生存学」の表紙から関連の種々を集めた頁にリンクしている。
★03 このことを巡る古込さん(2019年の春に死去された)との2017年のメールでのやりとりを立岩[2018b:308-309]に引用している。
★04 この主題について4冊の単著・共著がある。理論的に検討したものとして立岩[2008]。
★05 「日本自立生活センター(JCIL)」が京都にあり、「メインストリーム協会」が西宮にある。この組織の人たちが金沢まで出向き古込さんの支援を始めたのがこの度の企画につながったところがある。
★06 「全国障害者介護保障協議会」と連携し、事業を受託するかたちで「重訪」についてのHPからの情報発信を充実・拡大させようとしている。やはり先述したサイトの表紙から当該の頁に行ける。冒頭に予告した岩波新書もそのような目論見で書くことにした。それらではわかりやさを重視する。ただ「専門職」の人たちには歴史的な経緯もわかっていただきたいと思う。第3版になっている『生の技法』(安積他[2012])がある。

文献
◆青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉 2019 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院
◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店
◆―――― 1995 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』,藤原書店
◆―――― 2012 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版
◆萩原 浩史 2019 
『詳論 相談支援――その基本構造と形成過程・精神障害を中心』,生活書院
◆中西 正司・上野 千鶴子 2003 『当事者主権』,岩波新書
◆立岩 真也 1990 「接続の技法――介助する人をどこに置くか」,安積他[1990:227-284]
◆―――― 1995a 「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える――介助システム論」,安積他[1995:227-265→2012:354-413]
◆―――― 1995b 「自立生活センターの挑戦」,安積他[1995:267-321→2012:414-498]
◆―――― 2008 『良い死』,筑摩書房
◆―――― 2015 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社
◆―――― 2018a 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社
◆―――― 2018b 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社
◆―――― 2019a 「分かれた道を引き返し進む」青木他[2019:255-322]
◆―――― 2019b 「くわしく書くことがどんなにか大切であること」萩原[2019:297-307]
◆―――― 2019c 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』,青土社
◆立岩 真也・杉田 俊介 2017 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』,青土社
◆立岩 真也 編 『自己決定/パターナリズム』,Kyoto Books
吉村夕里 2009 『臨床場面のポリティクス――精神障害をめぐるマクロとマクロのツール』,生活書院


 
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◇2019/09/** 「分かれた道を引き返し進む・1――「身体の現代」計画補足・638」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2416701668596806
◇2019/10/12 「分かれた道を引き返し進む・2――「身体の現代」計画補足・640」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2428309544102685
◇2019/11/11 「分かれた道を引き返し進む・3――「身体の現代」計画補足・642」
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2461918707408435

◆2004/02/01 「紹介:中西正司・上野千鶴子『当事者主権』」『ノーマライゼーション 障害者の福祉』24-2(2004-2):64
◆http://www.arsvi.com/ts/20141128.htm
◆2014/11/28 「当事者である/と宣することについて」
 第87回日本社会学会大会のシンポジウム「<当事者宣言>の社会学――カムアウトからカテゴリー構築まで」公開報告会,於:立命館大学


立岩真也『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』表紙


UP:20200409 REV:20200428
高橋 修  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇感染症〜新型コロナウィルス 
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