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◆2019/12/15 「今般どこから何を話すのがよいだろう」(講演)
日本ベーシックインカム学会第2回年次大会,於:立命館大学朱雀キャンパス
http://www.arsvi.com/ts/20191215.htm
さてなにを話すか。一つにはあと10日ほどで発売になる『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』の、新たに加えた第9章「高橋修 一九四八〜一九九九」の第4節「後を継ぎ、答を出し続けてみる」に(また)記したこと。
◆2019/12/24 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』,青土社,536p. ISBN-10: 4791772261 ISBN-13: 978-4791772261 [amazon]/[kinokuniya] ※
http://www.arsvi.com/ts/2019b1.htm
「■3 足りているから、もっと余裕だ
もう一つ、有限であるから、とくに人・人手は足りないから、支出・供給を制限することが必要だということにされる。他方で生産できる人を増やし、人の割合を増やさねばならず、その能力・生産力を増やさねばならないとされる。しかし、高齢化その他でそれに限界があるから、抑制が必要だとされる、という具合に話はぐるぐると回り、大きくなり、社会を覆う。危機・不安が所与にされ、そこから話が始まるようなぐあいになってきた。それが、とくに前世紀の終わり三分の一に生じ支配的になってきた気分であり、そのうえに先述した八〇年代以降の動きも乗っているところがある。介護保険を推進してきた側の人もそこにいてものを言い、さらにその後に出てくる人たちとなると、もう少子高齢化とその危機・困難を初期値・前提として生まれ育ってきた人たちだ。二〇一六年にたくさんの人が殺傷された事件があったが、その行ないは、その認識のもとに行われた★35。たしかにそれが殺傷にまで至るのは尋常なことではないが、しかしその認識そのものは社会に蔓延している。そのようにして「優生」は作動する。本書で論じている安楽死尊厳死にも確実にそれが効いている。
その認識が本当であっても、それでも覚悟して、探して、なんとかやっていく道はあるだろう。ただ、それが違っているなら、まったく違うというのでないとしてもだいぶ違うなら、話の進め方は代わってくる。そして私は、その認識が基本的には間違っていると考える。今も足りているし、将来足りなくなることもない。
★35 その事件の翌年のはじめ、杉田俊介との共著書『相模原障害者殺傷事件』(立岩・杉田[2017])が出版された。私が担当した章は「障害者殺しと抵抗の系譜」([201701a])、「道筋を何度も作ること」([201701b])。そこで、容疑者、現在は被告である人の社会認識が、この社会において月並みなものであることを述べた。
※生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20192655.htm
にもある。