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分かれた道を引き返し進む・3

「身体の現代」計画補足・642

立岩 真也 2019
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2461918707408435

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青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』表紙   『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「分かれた道を引き返し進む」は、青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(生活書院)
http://www.arsvi.com/b2010/1909ac.htm
の第6章(pp.255-322)。わりあい(じつは)たいせつなことを書いたつもりなので、あまり目立たないところにあるのだが(あるために)、すこし紹介していくことにした。

◇「分かれた道を引き返し進む・1――「身体の現代」計画補足・638」
 http://www.arsvi.com/ts/20192638.htm
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2416701668596806
の続き。
◇「分かれた道を引き返し進む・2――「身体の現代」計画補足・640」
 http://www.arsvi.com/ts/20192640.htm
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2428309544102685


「□2 ここでも青い芝

 […]

□3 青い芝における騒動/その周辺
 一九七八年七月二〇日に横塚晃一が死去する★05。同じ神奈川の横田弘が会長代行になるが、東京青い芝の会の磯部真教らは横田を強く批判してきた。七九年五月の第四回全国大会は成立せず、常任委員会に代わって再建委員会が設置され、委員長として白石が選出された。その具体的な経緯はわからない★06。ただ白石は運動拡大のために秋田に移り住んで活動するような行動力のある人であるとともに(◇頁)、東京青い芝の会から福島を訪れた人もいて(◇頁)つながりもあった。他方で関西の人たちとも関わりがあった(◇頁)。東京青い芝の人たちが、バランスを考慮しつつ、白石を推した、他も白石なら反対はしなかったというところだろうと思う。全国青い芝の会の事務局があった相模原に白石を呼んだのも東京青い芝の人たちだったという(白石・橋本[i2018a])★07。
 この時に顕在化はしたが、組織内での違い・対立自体はもっと以前からあったものだ。七〇年代、養護学校義務化、障害者実態調査反対運動★08、等々があって、それを担った人・組織がある。神奈川・関西…が主だった時の全国青い芝の会、全国障害者解放運動連絡会議(全障連)はその運動の側にいた。批判と要求の対象であった厚生省や文部省は門を閉ざし、運動側は建物に入ることもできず、交渉自体成立しなかった。
 他方で、そうした流れと異なる部分もまた以前からあった。一つには養護学校義務化に賛成した共産党系の団体だが、ここで述べるのはそちらではない★09。青い芝の会の全国組織化は七三年でそのときに東京支部ができるが、翌年には改称して「東京青い芝の会」になる。東京から始まった青い芝の運動を継いでいるのは自分たちだと考えていたはずだ。機関誌『とうきょう青い芝』も「とうきょう」の字は小さく記されている。その組織には制度改革・改善の志向が一貫してあったが、それは「過激」な傾向に対して常に批判的なものでもあった。
 例えば、白石が「川崎駅前でのバスジャック闘争に中心的立場で参加」と還暦祝いの記念誌(あいえるの会[2010:106])にあり、その冊子に自身が武勇伝を記す(白石[2010:32-34])「川崎バスジャック闘争」(七七年四月)についても、それを批判する会員の文章がいくつも載っているし、役員会の「見解」も、否定はしない(できない)がしかし…、というものだ。「…」の部分は、おもしろいといえばおもしろく、全国組織にも属しているがしかし本当は文句を言いたいという組織のものの言い方はこういうものになるのだろうなと思いつつ、私にはなにか「心が狭くなる」感じのするものなので――ここに私の個人的な嗜好・性癖が関わっていることを否定はしない(が、だからこそ「公平」であるよう努めている)――ここには書かない。バスジャックについては方法について苦言を呈するといった感じだが、施設や教育といった問題については、「行き過ぎた」主張そのものに反対している。さきの廣野製作のHPの頁他を増補するかたちで、HPへの方でいくつか紹介しようと思う★10。」

「★06 横塚への追悼文に磯部[1978]。「その〔七四国民春闘の〕後、彼は「意識変革を通じて制度はうまれる」という意見に傾き、「制度要求を通じて意識改革も可能だ」と主張する私との間に対立を表面的に起した。また全国組織内でも幾つかの要因がからみ合って、混乱と矛盾を今日生み出している。/とはいえ、横塚晃一は[…]」(磯部[1978]、→横塚[2007:353])
★07 一九七七年の全国青い芝の大会で選出された会長は横塚晃一、副会長が白石、事務局長が鎌谷正代(◇頁)。会議はかなり頻繁にあったらしい。その三五年後、鎌谷(古谷)は福島に駆けつけるのでもある(◇頁)。
★08 。反対運動に関わり、『調査と人権』(広田・暉峻編[1987])にも山本[1987a][1987b]を執筆している山本勝美(一九三八生)に堀智久と私が二〇一八年にインタビューした(山本[i2018a][i2018b])。HPに公開している。
★09 『造反有理』(立岩[2013c])には精神医療をめぐる共産党系とそうでない人たちの対立が書かれている。『病者障害者の戦後』(立岩[2018d])では共産系の流れとしてあった患者運動や医療者の活動・言論について検討した。「もらったものについて」(立岩[2007-2017])で私がいくらを知る対立について書いた。
★10 『ふたつの地平線』(一九七七、りぼん社)はこの事件と養護学校義務化反対闘争を映している。以下は郡山での打ち上げの宴会で尾上浩二(一九六〇〜)と横山(一九五四〜)。
 「尾上 『ふたつの地平線』っていう映画。[…]ぜひ一回見てください。まだ長髪のふさふさな白石さんが、バスん中でね、叫んでるんだよ。
 横山 かっこよかったよ。ほんと。
 尾上 マイクで、「われわれ、全国青い芝の会…、日本脳性マヒ者協会、全国青い芝の会です」。〔バスの〕中で、アジってんねん。
 横山 かっこよかったよ。ほんと。俺、それ、憧れたもん(笑)。」(横山・尾上[i2018])」


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20192642.htm
にもある。


UP:2019 REV:
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究 
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