`
HOME > Tateiwa >

分かれた道を引き返し進む・2

「身体の現代」計画補足・640

立岩 真也 2019
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2428309544102685

639 < / > 641

Tweet


青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』表紙   『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「分かれた道を引き返し進む」は、青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(生活書院)
http://www.arsvi.com/b2010/1909ac.htm
の第6章(pp.255-322)。わりあい(じつは)たいせつなことを書いたつもりなので、あまり目立たないところにあるのだが(あるために)、すこし紹介していくことにした。

◇「分かれた道を引き返し進む・1――「身体の現代」計画補足・638」
 http://www.arsvi.com/ts/20192638.htm
 https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2416701668596806
の続き。

 「ただ、α:七〇年代の運動、運動のすくなくともある部分は、「造反」の運動が他にも様々なされ、そうした気分がすくなくともいっときあったこともあり、異議申し立て、告発の運動としてあった。また、跳ね上がったがうまくいなかった人たちの受け入れ先となった部分もあった★03。あてがないのであれば、どうせなら、はっきり主張し抗議した方がましだということもある。主張するだけでずいぶん気のもちようが違ってくるということもたしかにある。ただ、いるものはやはりいる。それをどのように得るかという課題も、むろんその時にもある。
 β:八〇年代、将来は(誰でも)年をとるのだから、そのときに備えて社会福祉・社会保障の仕組みを整備しましょう進めましょうという話が現われる。その流れと、その流れに親和的な障害者の動きのある部分とが出会い、現実の一部を作ることになった。年金改革に伴って障害基礎年金が始まった。ケア付住宅建設の運動があって、幾つかはできた。
 しかしその方向は、まずはもっともなものではあるのだが、基本的には、とらない方がよいと私は考える。△256 八〇年代前半から半ばの白石は、αとβの間にいて、いっときそこそこの力をもったβの流れに関わった。かつぎあげられたというところがある。しかしそこから、理詰めで考えた結果というわけではないと思うが、外れた。その後の運動も、おおむね、別の道を言った。それは正しかったと思う。
 そこから得られる教訓・基本は、基本をはっきりさせながら、使える手段をいろいろと使って、しかしなかにはあまり使わないほうがよいものもあるので、優先順位をときに考えながら、複数のものも併行させ、言っていくこと行動していくことだ。福島の運動はそうした運動をやっていくのに適した陣形を有している。以上を述べる。

 2 ここでも青い芝」

「★03 『全障連結成大会報告集』に横塚晃一が書いた文章より。
 「六八〜六九年ごろ、東大闘争を頂点として全国的に高揚した学生運動が権力の手によって抑え込まれるなどして沈滞していくと同時に基盤を失った学生運動の流れが障害者運動にどっと流れ込んできた。」(横塚[1977;323-324])」


※◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築
※生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20192640.htm
にもある。


UP:2019 REV:
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)