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「分かれた道を引き返し進む」は、青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』(生活書院)
http://www.arsvi.com/b2010/1909ac.htm
の第6章(pp.255-322)。わりあい(じつは)たいせつなことを書いたつもりなので、あまり目立たないところにあるのだが(あるために)、すこし紹介していくことにした。以下冒頭の部分。
「1 そして引き返した
1 要約
ここで書くのは、福島のことというより、とくに一九八〇年代以降の、この社会とそこでの障害者運動とをどう見るかである。七〇年代の運動は、以前には文字になったものは少なかったから、私自身いくつか書いてきたのだが、その主張は強く、はっきりしたものだった。それに比べて、八〇年代以降をどう捉えるかは難しいところがあるように思われる。
そのことを気にはしていて、きちんと言わねばと思ってきた。『生の技法』を読み返してみた。全体の流れとしては、基本的には私がここに書こうと考えているような筋で書かれており、順番に読んでいけば、わ△255 かってもらえるようになっているとは思った★01。ただ、もっとはっきり言ってよいと考えた。
一つ、障害者の運動は、社会、とりわけ近代の社会を基本的なところから批判するものである。一つ、そうでありながら、その社会からとるものをとらないとやっていけない★02。
そこでその運動は、二つの契機を同時にもつことになり、二つの間を揺れることになる。これが基本的な構図だ。そしてこのことは十年や二十年の間に変わるわけではない。私は社会が十年ごとに大きく変わるといった見方はしない。この社会は、ゆえに運動も、基本的にはずっとそうであってきたし、これからも変わらないだろうと考える。
★01 第3版に新たに加えた「多様で複雑でもあるが基本は単純であること」「共助・対・障害者――前世紀末からの約十五年」(立岩[2012c][2012d])でもそのことを書いている。七〇年(代)については立岩[1998]等。
★02 負けられない。とるものをとらねばならないということであればあらゆる社会運動にこのような側面はある。しかし障害者運動において甚だしく現われるとは言える。だから辛いが、おもしろいといったことを幾度か書いてきた。『人間の条件』では以下。
「そしてその人たちはともかく、もし生きたければ、実際生きたいのだが、生きていかなけばならないのだった。それは、「革命」とか思って言って、どうもだめみたい、とか思ったら、普通に就職すればよいというのとは違うのだ。世の中の全体をざっくり捉えて、捉えた気になって、そしてだめみたい、とかおおざっぱにのんきに言ってたら死んでしまうのだ。社会のどの部分をどのように動かせるのか、そうしたらどうなるのか、そんな△309 ことを考える、考えるというか実際にやってみることになるのだ。これは、とても「社会]科学的」にもおもしろい。」(立岩[2010:126-127→2018:126-127])
この章の詳細目次は以下。
第6章 分かれた道を引き返し進む 立岩真也 255-322
1 そして引き返した 255
1 要約 255
2 ここでも青い芝 257
3 青い芝における騒動/その周辺 258
4 脳性マヒ者等全身性障害者問題研究会・『自立生活への道』 263
5 年金改革側の事情、障害者側の要望 265
6 異論・懸念はあったこと 268
7 それはつまり何だったのか 270
8 費用負担の主張に付いて行けず引き返す 273
9 もっと大規模なケア付き住宅をの主張に付いて行けず引き返す 277
10 その時期に起こったこと 280
2 つきあい方について 284
1 つきあう場面をいったん分けること 284
2 介助者(をはみ出す介助者)のこと 285
3 ドラマチック/でないこと 289
4 運動と経営において 291
5 理解を得ること/我を張ること 293
6 付記:理念と働き手のこと 296
7 付記:運営・運動・非本人 300
補 302
1 人 302
2 集まり/の間 305
3 二人について複数について 308
注 309
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20192638.htm
にもある。