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一つひとつの施設を見る:窪田好恵『くらしのなかの看護』解題?4

「身体の現代」計画補足・595

立岩 真也 2019
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2305783079688666

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『くらしのなかの看護――重い障害のある人に寄り添い続ける』表紙   立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 窪田好恵さんの、博士論文がもとになった本、『くらしのなかの看護――重い障害のある人に寄り添い続ける』(2019、ナカニシヤ出版)が刊行された。
http://www.arsvi.com/b2010/1904ky.htm
 私はそこに「ここにもっとなにがあり、さらにあるはずについて――解題に代えて」という文章を書かせてもらった。それを分載していく。その間に、買ってください(オンライン書店、予約始まっています)、そして/あるいは、図書館、図書室、研究室…にいれてもらえるよう、リクエストしてください。
 今回はその4。◆のところになります。

■「論文の要旨」
■「論文審査の結果の要旨」
■具体的に個別の全体を書く、というのもある
◆その各々の配置を見る、というのもある
□今とは違う人が入った時期もあった
□ざらっとした部分を、少なくとも残しておく
□開いておくために、絞りこむ


■その各々の配置を見る、というのもある

 こうして本書では、研究・調査の設計として、一つひとつの施設の成り立ちやその空間のあり方と看護師たちの働きや感じ方をつなげることはなされなかった。そこで第T部の記述は、第U部とは一定独立のものになった。第U部を書くためにをどうしても第T部が必要であったのかと考えれば、そうではないかもしれない。ただ、それでも、まず私自身、書いてくれることを望んだ。だから書かれたわけではないが、第T部は書かれた。多少不格好であっても、私は、あった方がよいものはあった方がよいと思う人だ。
 その私は私で、本書が出る少し前に、『病者障害者の戦後――生政治史点描』(青土社、二〇一八)という本を出してもらった――以下()内の三桁の数字はその本の頁。そこに、島田療育園、びわこ学園から始まりつつ、やがて国立療養所が重症児者と筋ジストロフィーの人たちの収容施設になっていった経緯、そしてその後を略述した。そこに筋ジストロフィーの人たちが書いたものはたくさん出てくる。私の本はほぼ書かれたものだけを使って書いたから、全体の分量としても筋ジストロフィーに関わる記述がずっと多くなった。その本についてはそれで仕方がないとは思ったが、もちろん、ただ本人が話さないからといって、重症児者についての記述が薄くてよいということにはならない。その薄いところを本書が書いてくれている。そして、もっと書いてくれたらもっとうれしかったと、私は、思う。これは論文→本書のまとまりを作ろうという方向の助言・指導ということであれば、むしろそれと逆向きのもの言いになるかもしれない。ただ、それでもそう言いたい。
 施設によってだいぶ異なるはずだと述べた。多く島田療育園とびわこ学園が並べて語られるが、その二つの間だけでも、だいぶ異なる。

 「重心」といえば必ず小林の島田療護園、そして糸賀一雄のびわこ学園が引き合いに出されるが、その偉人たちやその活動についても、見ておくことはできるかもしれない。その人たちの思想や実践について、これまで書かれてきたものにすべてをまかせ肯定すればよいとは限らないようだ。[…]意義があるのかわからないが、その確認のためにも、調べておいてよいと考える。また、島田とびわこは枕詞のように二つ並列させられて語られるのだが、その二つの間にもずいぶん違いはあったはずだ。そんなことは当然だと言われるかもしれない。しかしそれは具体的に明らかにされた方がよく、さらにそうしたことは、「公式」の「○○年史」の類や先駆者を賛美するために作られた書物等によってはたぶんよくはわからないはずのことだろうと思う。(259-260)

 そしてこの二つと、その後多くの人を収容していった国立療養所(国療)は違い、国療の各々もまた違うだろう。本書で筆者が述べようと思ったことが書かれるに際しては、それを記すことは必須ではなかった。しかし一つひとつを書いていくことの意義はある。

 […]先駆的であったものがやがて普通のことになっていく[…]。政策化された後、子どもたちを数多く引き取っていったのは国立療養所だ。そうしたことを看過することになるのであれば、それはよくない。
 […]業界、業界の学界の人々は、先駆的で代表的な施設やそれに関わる人を語って、その全体の歴史を語ってしまうことがある。ただそこには何種類かの間違いがある。一つは、そこに起こった問題、衝突が十分に記述され検討されることがないからだが、もう一つはもっと単純なことで、目立ったところを書くことはその全体を書くこととまったく別のことだということだ。先駆的な施設は、なにかしらの志から始まり、それが続くこともある。注目され模倣されようとするなら、その分がんばろうという気になる。国立療養所であっても仙台の西多賀病院のように、最初に筋ジストロフィー者を自ら受け入れることに決めた施設は、その時からしばらくの間は、いろいろと工夫したり入所者に協力したりすることがある。そこには見学者などもやってくることがある。[…]
 多くの病院・施設は、結核療養者の減少といったことがあり、制度の改変があり、成り行きがあって、受け入れることに決まった人たちを受け入れる、普通の施設・病院だ。経営者は官庁からの天下りであったり、大学の医学部から移ってくる人たちであったりする。[…]
 思想を点検し考察すること、それと現場との距離を測ること。[…]ほとんど言葉のない空間を見ていくこと、しかしそれでも言葉があって言葉が伴った動きがありその消去・忘却の動きがあるなら、それを再度言葉にすること。そのいずれについても私たちはたいしたことができていない。
 全国各地に、近所の人たちもなにか建物はあるがどんなものかはよく知らない施設、近所に家もなく人もあまりいない施設があって、そこに長く静かな日常があってきた。むしろ、それが現実のほとんど全部なのだ。本書で書いてきたのも、大きな静かな空間、長い時間を囲っている縁(ふち)、その始まりのいっとき、熱くなったり苦労したりしたその挿話だった。より大きく静かな時間と空間は書かれない。(261−263)



 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182595.htm
にもある。


UP:2019 REV:
窪田 好恵  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究 
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