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天田城介さんとの『週刊読書人』での対談の紹介の4。『週刊読書人』3285号(2019年4月12日号)に掲載されたもの。オンラインストアで280円(税込) で購入できます。
http://www.dokushojin.co.jp/?pid=142167007
『不如意の身体――病障害とある社会』と『病者障害者の戦後――生政治史点描』の関係の対談です。全文を週刊読書人のサイトで読むことができます。
https://dokushojin.com/article.html?i=5306&p=1
なのでわざわざこちらで紹介する必要もないとも言えるのですが、作り始めてしまったということもあり、以下。
http://www.arsvi.com/ts/20190010.htm
■目次(月日は『週刊読書人』オンライン版掲載月日)
◇第1回 社会を構成するものの断絶、境界、区切られ方2019年4月12日
◇第2回 当たり前に知っているべきことを、知っているべきだ2019年4月13日
◆第3回 書いたから苦しみ、痛みが減るわけではない。2019年4月14日
第4回 でも社会の中での優先順位がどうかは書ける2019年4月15日
第5回 私たちは現実をほとんどきちんと理解していない2019年4月16日
第6回 国立療養所の歴史を検証する「見取り図」2019年4月17日
◇第7回 アーカイヴィングは、大学の社会的使命2019年4月18日
で、◇については(一部)紹介してきた。
◆第3回 書いたから苦しみ、痛みが減るわけではない。2019年4月14日
https://dokushojin.com/article.html?i=5306&p=4
全文はこちら↑でどうぞ。ここでは↓はその一部、今回は私のと天田さんの発言の一部を引用
。
「立岩 […]『私的所有論』で書いたことの方が、ここで書いた話より大きいということはなくて、むしろ逆なんでしょう。
僕は、赤い本で、人間の身体にはできる/できないというオーダーだけでなく、見栄えの差異や、精神的・肉体的苦痛、死に近接している恐怖などがあると書き、それらについてはたいして書けません、と書きました。つまり僕がこれまでしてきた理論的な仕事は、人間のごく一部分について書いたに過ぎないということです。僕がなぜ、五つのうちの、できる/できないについて書いたかというと、論理的にわりと語りやすく、現実的な解決法を見出し得る、そういうものだったからです。できる/できないの話は、自分ができなくても、他人ができれば何とかなるということに、尽きると思うんです。」
「天田 […]その他の、姿形の違い、苦痛、死、加害性についても、そのものについては言えないにしても、社会の中に「不如意の身体」というものが、五つの契機を纏って、現にそこにあってしまう、そのことが示されている。その把握が、単純だけど重要なのだと思うんです。痛いものは痛いとしか言いようがないし、苦しみはいくら語っても苦しみだし、死を除くことはできない。でも痛いこと、死の恐怖、人と異なることの苦しみ、あるいは加害性と、「社会」との接触面についてなら書ける。立岩さんの書くのは、障害や病と我々の「社会」がどう関わってきたか/いるかという話です。
これは医療社会学や生命倫理、医療人類学などの分野で、身体そのものを題材に、痛みや苦しみ、死について記述するのとは根本的に違う。我々が受け取るべき言説だと思います。ただ、各種業界にすんなり受け入れられるかと言えば、むしろその人たちにはハードルが高いかもしれません。」
そんなに違うかと言われれば、私はそこまでは、と思うところがありますが、まあ、天田さんは断定してくれています。
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182594.htm
にもある。