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葛城貞三『難病患者運動』に・6

「身体の現代」計画補足・576

立岩 真也 2019
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2273015779632063

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『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』表紙イメージ

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 「一方では他の障害・病の人たちのためになろう、各障害・疾患の枠を越えて一緒に隔てなく動こう、そういう制度にしようという動きとともに、分かれ離れていく動きも、当然に存在する」と、さくっと書いているところはじつはけっこう大切なことだと思っているす。葛城さんの本に載せてもらった「解題」を分解して連載している(→趣旨※)。その第6回。

◆葛城 貞三 20190125 『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』,生活書院
◆立岩 真也 20181130 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社,481p.
◆立岩 真也 20181220 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p.

 ※葛城さんの博士論文が本になった。たくさん売れてほしいので、そこに書かせてもらった「ここから始めることができる」を小分けして、ゆっくりと掲載していく。終わるまでに買ってほしい。
 ■何がわかりそうだと思えるか
 ■「要旨」
 ■「論文審査の結果の要旨」
 ◆分岐について/個人について
 □初物は、ただ書かれればよいのだ、と言い続けようと思う。

 「■分岐について/個人について
 その後、二つのことを言っている。一つは第二段落の「同時に、単体で…」の部分だ。腎臓病の人たちは数が多い、そして人工透析に関わる費用の実質的な無料化を勝ち取り、おおきくはその状態は続いている。すると、会員人数に応じて「連絡協議会」に会運営のためのお金を払うことにそう意義を感じられなくとも当然のことだ。こうして、一方では他の障害・病の人たちのためになろう、各障害・疾患の枠を越えて一緒に隔てなく動こう、そういう制度にしようという動きとともに、分かれ離れていく動きも、当然に存在する。それをまず捉えることが必要だ。そのうえでではどうしようか考えていくことができる。このたいへん淡々とした本は、このようにも使えるのだ。そしてそのことを考える時、「各障害・疾患」などと言うが、その各々はどのように共通でどのように違うのかを考えてみる必要もある。なんともう一冊拙著を紹介させてもらうが、『病者障害者の戦後』の一月前に刊行された『不如意の身体――病障害とある社会』(青土社)で考えて述べたことの一つはそんなことでもある。
 もう一つ、第三段落で「個人」の役割について述べている。「社会科学は…好まず」と記している。社会学についてはある程度そう言えよう。ただ、あげてきた二冊の拙著を書くなかでも、社会福祉学や社会事業史といった領域では、「偉人」たちを称賛し礼賛する書き物が多く書かれていることがわかった。そうした書きものを点検し、書きもの全般の質を高めるためにも、個人について書かない、のではなく、書く、ただどのように書くか、が大切だと思う。例えば、著者が博士論文を提出したちょうど一年後、阪悌雄さんの「障害基礎年金制度の成立プロセスの明確化および現状の障害者所得保障の改善方法に関する研究」が提出され博士論文として認められた。全体としてたいへん貴重な力作であり、近く書籍化されることになるだろう。そこで板山賢治という、まあ「偉人」というほどではない人が取り上げられている。取り上げる必要はあると思う。その上でどう取り上げるかだ。本書がそのことについて上手であるとは思われない。しかし、著者は、普通に、自らのその人に関わる経験から、書くべきであると普通に考えて、書いた。社会学者ふうにただそういうものを避けるのでなく、まず書いたことはよかったと思う。」


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182576.htm
にもある。


UP:2019 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究 
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