種々の疾患・障害の組織の連合体の研究はこれまでほとんどない。それを地域の水準で記録し記述した本論文は、本格的なものとしてはその最初の成果である。長くこの組織の事務局長等を務め、活動に関わってきた筆者による、たんたんとしたそして詳細な記述が続く。そしてそれは、詳細であることによって全国に数ある難病連の一つの記録・研究であるにとどまらなかった。本論文は、一九七〇年代以降、この国にあった病・障害をめぐる動きを捉えるための手がかりを幾つも提示している。
個別に問題が起こり、それがいくらか組織化され、政治に訴える。種々をひとまとまりに扱いたい行政側は、連合体を作ることを勧める。そして、一九七〇年前後にあったのは、人工透析の公費負担を求める腎臓病者の動きであり、薬害スモンを告発し補償・保障を求めるスモン病の団体の活動だった。それは社会を告発し、社会に要求する「革新」の側の運動であり、その人たちはその大義のために活動してきたのでもあるから、他の疾患・難病の人たちの組織作りにも貢献し、その連合体の誕生にも関与した。そうした政治性はその組織の性格を規定するとともに、その政治性から距離を置こうとする動きも現われ、それが全国組織の統一がすぐに実現しなかったことに関係した可能性がある。同時に、単体で多くの会員を有し、制度を既に獲得した人たち・組織は、他と利害を別にし、連合体から離れていくといったことも起こる。これらの全体はほとんど研究されたことがないが、本論文によってその研究の必要が示されるとともに、本論文はこれからの研究に引き渡す多くのものを有している。審査員全員は、本論文が博士論文として十分な価値を有していることを一致して認めた。
そして本論文は、こうして組織や制度が複雑に関係するそのさまを示すとともに、個人が占める位置・価値を記述している。一般に社会科学は、起こったできごとを個人の功績や才覚に帰すといったことを好まず、「社会的要因」を言う。しかし個々の人の背後にあるものを探し記述したうえで、個人を取り上げ、その功罪を示すことは、その社会的なものの全体を明らかにするその一部でもある。滋賀県難病連の結成にあたっても滋賀や京都の幾人かの人が力を尽くしあるいは力を貸した。筆者自身がその一人であり、また筆者はその人たちをじかに知る人でもある。また、行政官の交代が民間の活動との関係や施策に大きな変化をもたらす可能性は、日本の政治システムのもとでありうるし、実際にある。決定・裁量の実質的な権限が付与されている場があり人がいるなら、その変更は、変化をもたらしさらにそれが波及していく可能性がある。本論文は、社会運動においてどこをどのように動かすことがより大きな変化をもたらすか、そのこともまた示している。それも本論文の価値である。このことも審査委員会は認めた。