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葛城貞三『難病患者運動』に・4

「身体の現代」計画補足・570

立岩 真也 2019
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/posts/2248719442061697

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『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』表紙イメージ

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 葛城さんの本に載せてもらった「解題」を分解して連載している(→趣旨※)。その第4回。

◆葛城 貞三 20190125 『難病患者運動――「ひとりぼっちの難病者をつくらない」滋賀難病連の歴史』,生活書院
◆立岩 真也 2018/12/20 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p.

◇関連項目
◆全国難病団体連絡協議会(全難連) http://www.arsvi.com/o/znr.htm
◆日本難病・疾病団体協議会(JPA) http://www.arsvi.com/o/jpa.htm
◆「難病」 http://www.arsvi.com/d/n02.htm

 ※葛城さんの博士論文が本になった。たくさん売れてほしいので、そこに書かせてもらった「ここから始めることができる」を小分けして、ゆっくりと掲載していく。終わるまでに買ってほしい。
 ■何がわかりそうだと思えるか
 □「要旨」
 □「論文審査の結果の要旨」
 □分岐について/個人について
 □初物は、ただ書かれればよいのだ、と言い続けようと思う。


■「要旨」

 私は、著者が博士論文を提出した立命館大学の大学院、先端総合学術研究科という意味不明な名称の研究科に勤めている。本書のもとになった博士論文は二〇一七年の春に提出された。その論文は、口頭試問、公聴会を経て、審査委員会が審査結果を教授会にあげ、教授会で投票が行なわれ、そして全学のなんとかいう会議で最終的に学位授与か決まる、という仕組みになっている。七月の終わり頃にある教授会がその投票の日で、その日までに「審査報告書」というものを審査委員会が提出する。実質的には(まず)主査、この場合は私が書く。A4で表裏一枚、二頁というものだ。
 表に「論文の要旨」という欄があり、裏に「論文審査の結果の要旨」という欄がある。主査はそれを教授会で読み上げる。自分で書いた、そして基本的には褒めることになっている、しかしただ褒めても芸がない(あるいは学問に対する真摯さに欠けることになる)という微妙な文章を書いて、その筋の人たち(言葉をなりわいにする人たち)の前で一言一句略さず読み上げるというのはなかなかの仕事だ。その場で、細かな誤字の指摘なども含め直しが入ることがあり、その上で投票になる(投票用紙を使う匿名投票)。その前に、文章を作るのが面倒だ。一年で一番しんどい仕事だと愚痴をこぼすことがある。
 以下それを再録する。まず「論文の要旨」。ここは、著者自身による要旨を、使えればいくらかは使う。使えれば、と言うのは、論文の著者本人が書いた要旨が、(あまり)使えないこともあるからだ。著者のものは使えるものだったはずだが、以下は著者の書いた「本書の構成」(一五頁)とは少し違う書き口になっているので、引用する。
 なお本書の「あとがき」に書かれた部分は博士論文にはなかった。私は、博士論文そのものにだってかまわないと思うが、「なぜ書いたか」、すこし個人的なことを書いてもよい(ことがある)と思っている。これまでにも博士論文にであったり、書籍化に際してであったり、それを勧め、そうして書かれたものがあってきた。博士論文が生活書院から本になったものとして、吉村夕里の「精神障害をめぐる組織力学――全国精神障害者家族会連合会を事例として」(二〇〇八)、定藤邦子の『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』(二〇一一)等にもそんな部分がある。さて、要旨。

 論文内容の要旨
 構成は以下。第1章「地域難病連の歩み」、第2章「滋賀難病連の結成」、第3章「組織の基礎形成の時代」、第4章「滋賀難病連の展開期」、第5章「滋賀難病連の課題と対応」、第6章「滋賀難病連と滋賀県の「協働」(二〇〇八年度総会〜二〇一四年度総会)」、第7章「日本ALS協会滋賀県支部と介護事業の運営」、終章。
 本論文では、滋賀県における難病の患者会、滋賀県難病連絡協議会(滋賀難病連)の一九八三年〜二〇一五年までの患者会の活動が歴史的に記述・検討される。文献としては、滋賀難病連が発行した機関誌『しがなんれん』や年1回の定期総会議案書、役員会資料や介護事業所の関係書類が用いられる。滋賀県職員と滋賀県議会議長に対する聞き取り調査も行なわれた。そしてこの資料・情報収集は、著者が滋賀難病連の事務局長等を長く務めてきたことによって可能になったのでもある。
 まず第1章で日本の難病政策、患者運動、難病患者運動、各地域での難病連の歩みが概観される。その中では、種々の組織を束ねる全国組織を目指す運動が辿った複雑な経過も明らかにされる。第2章以降、滋賀難病連三〇余年の歴史が辿られる。結成に至る経過、その組織形成、運動の持続・拡大が記述される。その運動は難病患者・家族の要望を受け止め、滋賀県行政に向けて療養環境改善を要望する闘いであり、着実に進められてきたが、その過程では、行政府の理解が得にくく、活動に支障をきたすこともあった。その関係が再び改善に向かったのは、一つに滋賀難病連が働きかけて超党派の滋賀県難病対策推進議員連盟(難病議連)が結成されたことによる。また一つ、滋賀県行政の担当部署の責任者が活動に理解を示し活動を支持したことによる。それが第6章で詳述される。
 こうして、滋賀難病連は異なる疾患・障害別の組織を束ね、その主張を政治に反映させる活動を担い、相談活動を行い、作業所を設立し運営してもきた。しかし、重い疾患・障害を有する人の在宅での生活を現実的に可能にするには介助(介護)が欠かせない。その費用を公的に支出する制度はあるが、所謂医療的ケアが必要な重度障害者にサービスを供給する組織が滋賀県にはなかった。そこで、難病連の活動に発しながら組織としては独立し、介助サービスを提供する組織が設立され活動が開始される。こうしてより生活の実際に関わる動きが始められていく一方、腎臓病者の組織など既に公費負担が獲得され他の患者・障害者の団体と共に活動することによる利益が少なくなった組織は難病連から離れていくことになった。
 本論文は、難病患者を孤立させないために始めた滋賀の患者会運動が、働く場の確保や介護事業の実施によって社会参加を促し、さらに住み慣れた家で生活ができる地域づくりに貢献しうることを示した。ただ、役員の高齢化もある。国の施策にも変化があり、それにも関わって連合組織の運営のあり方が問われている。政策の対象となる疾患を限定・列挙して対応するという国の施策に対応して、疾患別の組織ができ、その上でのそれらの組織の連合体が現われ活動してきたが、その活動の中から従来の疾患別・障害別の施策を批判する動きもある。本論文はこの組織の現在までを追い、さらに解決すべき諸課題を提示して終わる。▲

 □「論文審査の結果の要旨」
 […](次回)」


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182570.htm
にもある。


UP:2019 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究 
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2019/02/19