論文内容の要旨
構成は以下。第1章「地域難病連の歩み」、第2章「滋賀難病連の結成」、第3章「組織の基礎形成の時代」、第4章「滋賀難病連の展開期」、第5章「滋賀難病連の課題と対応」、第6章「滋賀難病連と滋賀県の「協働」(二〇〇八年度総会〜二〇一四年度総会)」、第7章「日本ALS協会滋賀県支部と介護事業の運営」、終章。
本論文では、滋賀県における難病の患者会、滋賀県難病連絡協議会(滋賀難病連)の一九八三年〜二〇一五年までの患者会の活動が歴史的に記述・検討される。文献としては、滋賀難病連が発行した機関誌『しがなんれん』や年1回の定期総会議案書、役員会資料や介護事業所の関係書類が用いられる。滋賀県職員と滋賀県議会議長に対する聞き取り調査も行なわれた。そしてこの資料・情報収集は、著者が滋賀難病連の事務局長等を長く務めてきたことによって可能になったのでもある。
まず第1章で日本の難病政策、患者運動、難病患者運動、各地域での難病連の歩みが概観される。その中では、種々の組織を束ねる全国組織を目指す運動が辿った複雑な経過も明らかにされる。第2章以降、滋賀難病連三〇余年の歴史が辿られる。結成に至る経過、その組織形成、運動の持続・拡大が記述される。その運動は難病患者・家族の要望を受け止め、滋賀県行政に向けて療養環境改善を要望する闘いであり、着実に進められてきたが、その過程では、行政府の理解が得にくく、活動に支障をきたすこともあった。その関係が再び改善に向かったのは、一つに滋賀難病連が働きかけて超党派の滋賀県難病対策推進議員連盟(難病議連)が結成されたことによる。また一つ、滋賀県行政の担当部署の責任者が活動に理解を示し活動を支持したことによる。それが第6章で詳述される。
こうして、滋賀難病連は異なる疾患・障害別の組織を束ね、その主張を政治に反映させる活動を担い、相談活動を行い、作業所を設立し運営してもきた。しかし、重い疾患・障害を有する人の在宅での生活を現実的に可能にするには介助(介護)が欠かせない。その費用を公的に支出する制度はあるが、所謂医療的ケアが必要な重度障害者にサービスを供給する組織が滋賀県にはなかった。そこで、難病連の活動に発しながら組織としては独立し、介助サービスを提供する組織が設立され活動が開始される。こうしてより生活の実際に関わる動きが始められていく一方、腎臓病者の組織など既に公費負担が獲得され他の患者・障害者の団体と共に活動することによる利益が少なくなった組織は難病連から離れていくことになった。
本論文は、難病患者を孤立させないために始めた滋賀の患者会運動が、働く場の確保や介護事業の実施によって社会参加を促し、さらに住み慣れた家で生活ができる地域づくりに貢献しうることを示した。ただ、役員の高齢化もある。国の施策にも変化があり、それにも関わって連合組織の運営のあり方が問われている。政策の対象となる疾患を限定・列挙して対応するという国の施策に対応して、疾患別の組織ができ、その上でのそれらの組織の連合体が現われ活動してきたが、その活動の中から従来の疾患別・障害別の施策を批判する動きもある。本論文はこの組織の現在までを追い、さらに解決すべき諸課題を提示して終わる。▲
□「論文審査の結果の要旨」
[…](次回)」
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182570.htm
にもある。