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安楽死尊厳死の倫理

2019/12/07 09:30〜11:00 第31回日本生命倫理学会年次大会 於:東北大学
https://sendai31.ja-bioethics.jp/
プログラム:https://sendai31.ja-bioethics.jp/_userdata/31st_program_v2.pdf

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■安楽死尊厳死の倫理
オーガナイザー: 立岩 真也(立命館大学)10分
シンポジスト:
◇宮下 洋一(フリージャーナリスト)20分  「安楽死/ジャーナリズム」
有馬 斉(横浜市立大学)20分 「精神的苦痛を理由とする安楽死と緩和ケア」
堀田 義太郎(東京理科大学)10分 「「合理的本性」論の射程について」
 パネルディスカッション 30分
※オーガナイザー・シンポジストの報告時間60分以内、フロアを交えたパネルディスカッション30分以上、計90分以内
※当初7日になるか8日になるかわからなかったのでファイル名が20191208.htmになっています。

※録音記録を文字化したものを報告者・コメンテーターに確認・修正していただいた上でHPで公開する予定です。

--- 概 要 ---
 この学会、その大会という場は倫理が議論される場であると思い、例えば2012年にあった(立岩が大会長を務めた)大会では、討議のために、また討議のためにこれまであったことを知ってほしいと思い、『生死の語り行ない・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』(生活書院、2012)を用意したこともあった(続篇の『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』はHTMLファイルで提供、2017)。その他、何冊かの本を書き、雑文その他を書き、インタビューに応じ、考えるべきことを示し、言うべきこと言えることを述べ繰り返してきたつもりではある。ただ、実際には、もうずっと、議論などたいしてなされず、いつのまにか様々なことが、例えば種々の「停止」「不開始」が、例えば福生病院でなされたという行ないが、いくつか留意すべきことはあるにしても「基本的には」問題がない、という話になって、それで事実が追認されていくという具合になっている。そして同時に他方では、積極的安楽死といった「衝撃的」なできことが報じられ、しかしそれも「わかる」という感覚を生じさせることが、事実の先端を形成するとともに、許容の範囲が広がることに寄与するといった具合になっている。
 だからこそやはり、議論は基本的なところからなされるべきである。連絡の仕方を知らなかったため、問題はないと是認し事態を追認する人たちにこのたびは加わっていただけないのが残念だが、それでも議論の範囲をできるだけ広くとれるように報告者をお願いした。
 『生死の語り行ない・1』で功利主義の(安楽死に肯定的な)議論を紹介してもらった有馬斉さんが大著『死ぬ権利はあるか――安楽死、尊厳死、自殺幇助の是非と命の価値』(春風社、2019)を刊行された。宮下洋一氏は欧米でそして日本で取材を続け、『安楽死を遂げるまで』(小学館、2017)、そして『安楽死を遂げた日本人』を刊行した(小学館、2019)。近いところではNHKスペシャルの番組「彼女は安楽死を選んだ」の取材・放映に協力したとも聞く。ことを語り、報じることについて、またそことに対する関与のあり方について、考えることもなされるべきことである。そこで今回、有馬氏、宮下氏に報告してもらう。また有馬氏の著書を検討する企画(2019年9月22日、於立命館大学)にも加わってもらった堀田義太郎氏にも、理論的な貢献が期待できると考え、報告していただくことにした。多くの人の積極的な参加があり、筋道の通った議論がなされることを期待する。
※オーガナイザーは学会員または入会手続き中であること。シンポジストについては、募集要項の要件を満たせば、学会員である必要はありません。

■報告要旨

◆宮下 洋一(フリージャーナリスト)20分 「安楽死/ジャーナリズム」

 2016年11月から2年間にわたり、私は世界6カ国で安楽死の取材をし、『安楽死を遂げるまで』(小学館)を出版した。
 スイスでは、数ある自殺幇助団体のひとつ「ライフサークル」と連絡を取り合い、国内外からやってくる患者の最期の瞬間に立ち会ってきた。年間80人に自殺幇助を施す同団体の女性医師はなぜ、このような道を選んだのか。患者たちは、どのような理由から、自然死ではなく致死薬による死を選んだのか。また、安楽死を決断した患者の家族は、なぜそのような最期に理解を示し、死後、悔いなく生きていけるのか。
 自らの国では安楽死が認められず、死を急ぐためにスイスに渡った人々に、私は出会ってきた。孤独死を避けたいイギリス人老婦、肉体的苦痛に怯えた膵臓癌のスウェーデン人、痛みに苦しむ多発性硬化症の元イエール大学研究員、生きる意味を見出さない片麻痺のドイツ人など、彼らが安楽死をする前夜とその瞬間を見守った。
 オランダでは、2002年に安楽死が認められて以来、年々、安楽死による死亡者の数が増加している。かつては癌患者に対して適用されていた法律だが、ここ数年では、法の拡大解釈が進んでいる。今では、認知症患者や精神疾患者にも認められ、「夫婦同時安楽死」なる最期も行われている。私は、認知症を理由に安楽死した男性の遺族と、安楽死当日にパーティを開いた男性の妻たちから、オランダ人の死生観について取材し、理解を深めた。
 ベルギーは、未成年への安楽死も可能となっている。この国では、スイスやベルギーとは異なり、精神疾患者に対する安楽死に寛容になっている。そこで過去に13回の自殺未遂をしたPTSD女性は、安楽死が容認されたことで自殺を必要としなくなった。彼女への取材から見えてきた安楽死法の役割とは何か。重度のうつ病に悩まされ、安楽死した男性の遺族のほか、安楽死ができずに精神病棟で首切り自殺をした女性の遺族に話を伺った。精神疾患者と安楽死の関係について調査した。
 このほか、アメリカでは安楽死を望んだ女性が、出会った医師の治療によって癌を根治し、自らの選択に後悔している女性。また、自殺幇助を全米で推進するブリタニー・メイナードの夫を取材した。安楽死が違法のスペインでは、脊髄小脳変性症の少女の最期を母親が決断し、鎮静死させた事例を紹介した。また、29年間、全身麻痺で寝たきりだった男性が、恋人女性の手によって自殺幇助を遂げた衝撃事件の全貌に迫った。その恋人と男性の家族の声を拾い、安楽死の難しさを考えた。
 そして、日本。東海大学付属病院で起きた「安楽死」事件とは一体何だったのか。その真実を知るために、当時の担当医を探し出した。事件以来、初めて医師が語ったことは衝撃的だった。京都の京北病院、川崎協同病院で起きた「安楽死」事件においても、担当した当時の医師たちからその真相を伺った。
 日本で、安楽死は認められるべきか否か--。世界6カ国を取材した上で見えてきたことは何だったのか。日本人にとって、安楽死は相応しくないのではないか。そんな答えにたどり着くのだった。
 しかし、『安楽死を遂げるまで』を出版後、読者による賛否両論が相次いだ。ある日、拙著を読んだ多系統萎縮症の女性から一通のメールが届く。彼女との面会を重ねる中で、私の考えは揺らいでいった。本当に日本人は、安楽死ができないのだろうか……。
 スイスに渡ったこの女性と姉妹を追いかけ、医師の面談から自殺幇助を遂げる瞬間までを取材した。人には人それぞれの死に方があり、それは生き方の反映として受け入れるべきではないのか。それを否定することはできない、と私は考えるに至る。しかし、日本での法制化には反対する。その理由がどこにあるのかも、海外生活25年を通して、日本を俯瞰しながら分析した。
 この日本人女性が安楽死を遂げたことは、今年6月2日、NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』で放送され、話題となった。その3日後、拙著『安楽死を遂げた日本人』が刊行されたが、ここでも多くの賛否両論が読者から届いた。
 日本で再び安楽死議論が盛んに行われている。海外で起きている事例を参考にしながら、日本はこの問題に慎重に取り組んでいかなければならない。

有馬 斉(横浜市立大学)20分 「精神的苦痛を理由とする安楽死と緩和ケア」

 主に今世紀に入ってから、ベネルクス三国や、アメリカ合衆国内の複数の州、スイス、カナダ、コロンビア、オーストラリアなど、医師による自殺幇助や積極的安楽死を合法的に実施できるようにする国や地域が、次々と現れてきている。
 国内にも、積極的安楽死が容認できるための要件を示した横浜地方裁判所の判決(1995年)がある。ただし、国内判決が要件のなかに肉体的苦痛があることを含めている一方、国外のルールにはこれと同内容の規定がない。この点が両者の大きな違いとなっている。(たとえばオランダのルールでは「医師が、患者の苦痛が永続的かつ耐えがたいものであると確信していること」とのみされており、当の苦痛が肉体的なものであることは求められていない。)
 横浜地裁判決が想定しているのは、死ぬ以外になくすことはできない肉体的苦痛があることを理由とする安楽死のケースということになるが、松田純はこれを「古典的安楽死」と呼び、「緩和医療が発展」した今日では、こうしたケースはほとんど存在しないと述べている。上記の各国、地域の安楽死のケースでは、「肉体的な苦痛というよりも、むしろ精神的な苦痛や、生きる意味の喪失、自立・自律・尊厳の喪失、まわりに迷惑・負担をかけたくないなどの理由になっている」(『安楽死、尊厳死の現在』、中公新書、2018年、12頁)。
 スイスなど各国で安楽死の実践に立ち会ったり、患者や家族に聞き取りを行ったりした宮下洋一の報告(『安楽死を遂げるまで』、小学館、2017年; 『安楽死を遂げた日本人』、小学館、2019年)は、多くの患者が実際に死亡する直前までどのように苦痛を経験していたかを非常に具体的に記述する内容であり、安楽死が要求される状況を理解する上でも、重要な資料となっている。宮下の報告を見ても、患者の苦痛が、肉体的な苦痛にかぎるものではないことは明らかである。宮下が見てきた患者の多くは、年単位の余命があり、また緩和ケアで取り除けないような肉体的な痛みは経験していない。
 本報告では、精神的苦痛を理由とする安楽死の是非について、宮下の報告を参考に、論点を挙げ、検討のための材料を提供したい。その際、WHOの定義では精神的苦痛の除去も緩和ケアの目的になっていること、欧州緩和ケア協会の倫理専門委員会が安楽死合法化に反対する理由として合法化が「緩和ケアの発展不全あるいは低価値化」に繋がることを挙げていること(Matersvedt, et al. Palliative Medicine, 2003; 17: pp.97-101[http://www.arsvi.com/d/et-200300ml.htmに堀田義太郎による抄訳])、精神的苦痛を対象とするセデーションについても近年議論があること、などを考慮する。

堀田 義太郎(東京理科大学)10分 「「合理的本性」論の射程について」

 本セッションで、私は主に有馬斉氏(以下敬称略)の近著『死ぬ権利はあるか』(2018年)についてコメントすることを通して話題提供を行いたい。  『死ぬ権利はあるか』は、安楽死のみならず自殺幇助も含めて「患者の死期を早めうるふるまい」の正当化可能性に関する哲学的議論を包括的に検討し、独自の主張を提示する著作として画期的な本である。本書は、各論に対する周到な検討を踏まえて提示される主張も明快であり、今後、安楽死・尊厳死をめぐる生命倫理学の基本文献になることは間違いない。私自身、本書の議論の多くに賛同するし、その主張にも一定の説得力があると考える。  とはいえ、同書の議論には更なる検討を要する論点があると思われる。  おそらく本書の議論で最も議論を呼ぶのは、最終章(第6章)の「合理的本性」に関する主張だろう。そこで有馬はD・ヴェレマンに依拠して人の内在的価値を「合理的本性」に求め、この本性が損なわれると言えるような極度の苦痛がある場合には、例外的に安楽死等も正当化されると論じる。だが、有馬自身も認めるように、すべての人が「合理的本性」を持つわけではない(たとえば「理性的存在とみなすことができない場合」として中絶が言及されている(491))。第一に、では、有馬=ヴェレマンの議論では、合理的本性を持つことを望めないような人を死なせることの条件は、この本性を持つ人よりも緩くなるのだろうか。そうだとすると、その議論は、本書が懸念する「社会的弱者」に対する脅威になるのではないか。また関連することとして、第二に、「合理的本性」は、たとえば理性的な能力のように程度を許容する概念なのかどうか。もしそうだとすると、それに応じて人の内在的価値にも程度があるということになり、死期を早めうる行為の許容条件も変わることになるように思われる。しかし果たしてそれは妥当だろうか。そうではなく、合理的本性または内在的価値が程度を許容しないものだとすると、何がその本性または価値の基盤になるのだろうか。  当日は、以上の論点も含めて、本書の議論についてありうべき疑問点を提示して、宮下氏の調査研究との接点も探りつつ、ディスカッションのための話題提供としたい。



◇立岩 真也 2019/04/25 「おもしろくなくても書く――何がおもしろうて読むか書くか 第8回」,『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』123

◆宮下 洋一 2017/12/18 『安楽死を遂げるまで』,小学館,348p.ISBN-10: 4093897751 ISBN-13: 978-4093897754 1600+ [amazon][kinokuniya]

◆立岩 真也 2013/**/** 報告,生命倫理学会第24回年次大会大会企画シンポジウムU報告,『日本生命倫理学会ニューズレター』

◆立岩 真也 2013/04/** 「飽和と不足の共存について」,日本生命倫理学会・大会長講演要旨,『日本生命倫理学会ニューズレター』

◆立岩 真也 2012/10/20 「対論のために」(大会企画シンポジウムU・発表要旨),『日本生命倫理学会第24回年次大会予稿集』 p.32

◆立岩 真也 2012/10/20 「大会企画シンポジウムU・概要」,『日本生命倫理学会第24回年次大会予稿集』 p.31

◆立岩 真也 2012/10/20 「飽和と不足の共存について」(大会長講演要旨),『日本生命倫理学会第24回年次大会予稿集』 p.26

◆立岩 真也 2012/10/20 「大会長挨拶」,『日本生命倫理学会第24回年次大会予稿集』 p.1


キーワード (5つまで) 例:end of life、家族、社会、生命倫理、
発表形式 PCおよびプロジェクターを 使用する / 使用しない (どちらかを消して下さい)
倫理審査 倫理審査委員会の名称:
承認番号:


UP:20190827 REV:20190902, 20200108
安楽死尊厳死:2019  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇
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