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生政治史点描――戦後・国立療養所とその周辺

立岩真也 2019/06/15
福祉社会学会大会,於:明治学院大学
http://www.jws-assoc.jp/taikai.html

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■13:00-15:30 [テーマセッション@] 施設の戦後史 司会:天田城介(中央大学)
明治学院大学:https://www.meijigakuin.ac.jp/access/

1. 「国立ハンセン病療養所の戦後史――多磨全生園の入所者の経験と実践から」 坂田勝彦(東日本国際大学)※
※坂田 勝彦 2012 『ハンセン病者の生活史――隔離経験を生きるということ』,青弓社,238p.

2. 「知的障害者施設の戦後史――施設を経験した人たちのライフストーリーから読み解く」 麦倉泰子(関東学院大学)

3.「生政治史点描――戦後・国立療養所とその周辺」 立岩真也(立命館大学)
 ※題を変えました。
 ※録音しました→[voice] 。それを文字化したものを掲載する予定です。→しました↓
 ※この記録を増補改変して『福祉社会学研究』に依頼された原稿とします。


■T

立岩:立岩と申します。これから20分ぐらいお話しします。遅れて入ってきてすみませんでした。すごい余裕を持って着いたつもりだったんですけど、駅に着いたら雨降っててタクシー乗り場すごい混んでて、大学着いたらなんかいろんな名前の学会とかやってて、3つぐらい間違った所を教えられて彷徨っていたら数分遅れました。ごめんなさい。今日何の話をしようかなっていうことでさっき考えて、麦倉さんが話してる間にホームページを書き換えて今作りました。その話をします。さっき天田さんに紹介してもらったように僕は去年本を2冊書いて、そこにありますけど、僕は大概こういう所では本を売りにくるんで今日も持ってきたんですけど、今日は割と控えめにあまり重くない範囲で持ってきました。あとでよろしかったらどうぞ、ということなんですが、その『病者障害者の戦後』っていう本に書いたことを紹介するというのは一つありなんですけど、ちゃんとやるととっても長い話になるんですよ。なのでそれはですね、悪いけど本を読んでくださいということに致したく存じます。ので、あとで質問あったり議論あったりしたらその時にお話しはしますけれども、中身の話はしたいけどできないという感じです。
 ちなみにこの企画は、最後の終わりの時に少しお話しますけど、割合その実践的なというか話に今結びついてまして、ここにあるのは私の6月15日の今日のためのページですけれども、『こくりょうを&から動かす』っていう。国立療養所、旧国立療養所ですね、に、かなり多くの筋ジストロフィーの人たちが30年、40年という長さで収容されて暮らしている、ということが実はあります。その人たちが病院から出て暮らせるように、あるいはその病院での暮らし向きがなんぼかでもましになるように、という動きがここ1、2年、なんでここ1、2年なのかっていう事情も理由もあるんですけれども、私の近辺で始まっておりまして、特に兵庫県、それから京都ですね、そうしたあたりで今やっておるのです。つい数日前も会議がありましたし、来週の月火、月曜日は仙台でJILですね、自立生活センターの協議会ですけれども、そこでこのテーマで議論があってそれにも私出ます。そうした情報をまとめたページを作ってあります。『こくりょうを&から動かす』っていうので我々のホームページ、生存学研究所には二つのサイトがありますけれども、そのうちの一つの表紙から行けるようにしてありますのでご覧ください。で、この話に引っ掛けて『病者障害者の戦後』っていう本の中で書いた話っていうのは2つのバージョン、去年の12月24日クリスマスイブに京都で話をした時のもの、これは10分で話しました。それの全文が記録になって既にあります★。それからこの間6月の1日西宮でお話したんですが、それは1時間話をしました。それもちょっと6月の、岩永さんというジャーナリストというか新聞記者が、『BuzzFeed』っていうオンラインの新聞にほぼ全文に近い形で載せてくれた★ので、この本に書いたこと、それからそれと特に筋ジストロフィーの人たちの暮らしってことに関わった部分に関してはその10分のバージョンと60分のバージョンをほぼ全部お読みになることができますので、それをもってあとで読んでねということに致したいと思います。
★立岩 真也 2018/12/24 「長い停滞を脱する」,第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから,於:京都テルサ
★岩永 直子 2019/06/08 「「治すことを願って」6、7歳で入った――筋ジストロフィーの人が50年以上病院で暮らしてきた理由(前編)」,『BuzzFeed News』2019-06-08
 岩永 直子 2019/06/08 「「善意の集合体」が維持してきた仕組みを壊す――筋ジストロフィーの人が50年以上病院で暮らしてきた理由(後編)」,『BuzzFeed News』2019-06-08

■U

 今回そういう本を書いたんですけれども、実はっていうお話しをしようかなと思って。2015年に『精神病院体制の終わり』★っていう本を書いて、これはやっぱり病院の話、施設の話なんですよね。これも今回の本とちょっと似たところはあって、要するに具体的にはですね、十全会病院っていう京都にある、一時2000人とかっていう人を収容した大きな病院の話なんです。それが実は1970年代から80年代にかけてマスメディアで、国会で、その他もろもろの所でですね、非常に強い批判を受けたわけです。与党野党を問わずですね。にもかかわらず、この病院は今でも現に存在し機能しています。昔のような悪辣なことはさすがに表立ってなされるってことはなくなった。そういう意味では改善されたんでしょうけど。しかしそれが存続してきたというのはどういうことなのかっていう、そういう問いの立て方ですね。それをどういうふうに考えるのかってことは本に書いてあるわけだけれども。
 ここでお話したいのはですね、そのことプラス私のところの院生だった人で西沢いづみさんっていうのが今年の3月に、これ博士論文が元になってるんですけれども、『住民とともに歩んだ医療 京都・堀川病院の実践から』★っていう、博士論文をもとにした本を書きました。これは同じ京都にあった堀川病院っていう、ご存知の方いらっしゃると思いますけれども早川一光さんっていう、実は西沢さん、彼の娘、次女なんですけれども、そのお父さん達がですね、京都の戦後、非常にいろんな形で苦労され努力されて地域医療というものを掲げですね、堀川病院で実践を行なったって、いい話なんですよ。そういう立派なというか、実践ってものが戦後どういうふうに行われてきたのかってことを書いた本で、なかなか頑張ったなって本なんですが、しかしですね、社会学的にはというか見なきゃいけないのは、堀川病院とそれから十全会病院が同時に京都って街に存続した、それはどういうことなのかっていう問いのほうだと僕は思ってるわけです。
 むしろその堀川病院に比べれば十全会病院というのは少なくとも一時期何十倍、百倍というような量の人たちを収容した。そのことにおいて、簡単に、簡単に言えばですけれども、求められ、そしてそのことにおいてその地域はそれをなくすことができなかった。さんざん言われながらしかし存続した。そしてその良心的な病院であるとこの堀川病院でも面倒見きれなくなったような人達っていうのが、最終的な場所としてそこで一生を終えるというような形で、実はその京都の、京都に限らないと思いますけれども、システムっていうのは作動したんだっていう。そこから例えば十全会のような、あるいは逆の試みでもあった堀川病院の試みっていうのをどういうふうに評価するのか。あるいはそのあとのことをどういうふうに考えたらいいのか。そういう問いを考えるということが僕は社会科学、社会学に求められている一つの仕事であろうと思うわけです。
 そうするとですね、おそらくそのやるべき研究調査といったものは、その現場においてそこに住む人たちのことを、思いを聞き取るということはもちろんだけれども、そこに作動する様々な言論・言説、政策、動きですね、そうしたものの絡まりというか力の交錯あるいは集合ですね、あるいは反発ですね、そうしたものを見ていくという、そういう仕事というものが求められてるんだろうって話が次の話でした。というので『精神病院体制の終わり』っていうのはこういう本で、西沢さんの本はこれは天田さんもかつて指導して下さったんですけれども、こういう本が出ていると。その上でどういうふうに見ていくのか。これは例えばその、僕も、早川さん亡くなられたんですけれども、つい去年の12月に追悼の集会があって、それにも僕は出させていただきました★が、そういう方でもあって、そういう彼自身の思いであるとか経験を聞き取りながら、しかし、なんかこんな立派なお医者さんがいました、おじいさんがいましたっていうんじゃない、ある意味苦い話っていうんですかね、そうしたものが他方では必要だ、両方の仕事が必要だっていうふうに私は思ってるわけです。

★立岩 真也 2015/11/13 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,433p.
★西沢 いづみ 2019/03/31 『住民とともに歩んだ医療――京都・堀川病院の実践から』,生活書院,352p.
 関連して
・早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 2015/09/10 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,250p.
・立岩 真也 2019/03/31 「ここから、ときに別のものを、受けとる」,西沢 いづみ『住民とともに歩んだ医療――京都・堀川病院の実践から』,生活書院

■V

 さてこの話をいったん終わって、そういうことの研究っていうものを、今さらにやらなきゃいけないって、今さら言わなきゃいけないっていうことが私は何か悲しく思えるんですけれども、社会科学、社会学っていうのがこういう当たり前の仕事をどれだけやってきたのかっていうことに関して、まだまだだなっていうふうにずっと思ってきましたし、そのうちなんとかなるのかなと思ってきましたけれども、なかなかだなっていう感じが続いてるって思うわけです。
 例えば1990年に僕らは『生の技法』っていう本を書いた。そこには1970年に始まった府中療育センター闘争っていうのが日本の障害者運動の一つの画期をなすということを書きました。実際その通りだと思っています。その後も多少のその文献というのはなくはないですけれども、いったん府中療育センターっていうのは何であったのか、そこの闘争っていうものは何であったのかということに関して、90年から、29年ですか、30年近くの時間が経ったにもかかわらず、それ以上のそこを超えた研究というものが残念ながらなされていない、というようなことが一つあるわけです。
 実はこの青いほうの本では、府中療育センター闘争といったものがどういう文脈の中にあったのか、実は書いてあります。書いてみました。一定のことは言えたと私は思っていますけれども、そうした仕事が必要であると、それに関わった人たちであるとか、当時の東京都政の動きであるとか、そうしたものの絡まりの中で、あの時に、あれはもともとですね、重度心身障害の施設であるから、基本的には言葉を発せられない、かつ重度の身体障害の人たちの施設のはずだったのです。しかしそこで新田勲をはじめとする、話ができてしまう。なんか文句が言えてしまう入所者がなぜかそこにいて、であるがゆえにそこで文句を言い、それがその闘争につながる、その対応に東京都当局は苦慮するといった流れですよね。ということも改めて調べるべきこととしてあるんだろうって思います。そういう意味で社会学、社会科学ってものが今までどれほどのことができてきたのか、あるいはむしろできてこなかったかっていうことに関して、自覚というかな、そういうところから始めなきゃいけないっていうようなことを、方々で言ってみたりしてるわけです。
 3月の末に、今司会をなさっている天田さんと対談をさせてもらって、それは『週刊読書人』に掲載され、実はあとで見てみたら、全文が読書人のウェブサイトに載っている★ので、施設っていう問題に限らず障害とか病っていうものに関わることをですね、社会学、社会科学がどういうふうにやっていったらいいのかなっていうような話をしてみているつもりです。それとまたちょっと違うポイントですけれども、名前はご存知の方多いと思いますが、熊谷晋一郎さんと、天田さんとの対談の前の日に東京堂で対談をして、それが来月号、7月号の『現代思想』に載ります★。そのところでも、じゃあどう見ていくのかっていう話をしているつもりです。で、これがどういうことを言わなきゃいけないのかという話の中身っていうよりは、そういう話はどこでしてるっていうことの紹介でしかなかったかもしれませんけれども、でも私が思ってることのその所在っていいますかね、というのは一定伝わったのかなと思います。
★立岩 真也・天田 城介 2019/04/12 「病・障害から社会を描く――『不如意の身体』『病者障害者の戦後』青土社)刊行を機に」(対談),『週刊読書人』3285:1-2 http://www.dokushojin.co.jp/?pid=142167007
★立岩 真也・熊谷 晋一郎 2019/07/01 「「痛いのは困る」から問う障害と社会」(対談),『現代思想』47-09(2019-07):221-229

■W

 そういうことを調べる仕組みというかあるいは調べることが可能であるための前提というか、そういうことを最後にちょこっと述べてお話したいと思います。
 坂田〔勝彦〕さんはハンセン病施設のことをお話になったわけですけれども、もちろんご存知の方はご存知のように、戦後何十年という年が経って、今どこの施設でも入居者というのは次々に高齢になって亡くなられている。最盛時の10分の1をもう切っている。残られてる方は80、90だっていうような状況ですよね。ここから素朴に、今調べとかないとそのうち何も、少なくとも話を聞く相手はいなくなるよっていう、当たり前と言えば当たり前のことがわかるわけですけれども、そうしたことは象徴的には典型的にはハンセン病の療養施設にあらわれているわけですが、そこだけではないということですね。今、またこれはホームページやツイッターやなんかでお知らせしたいと思いますけれども、全生園は全生園で日本を代表するという言い方はまたちょっと違うんだろうと思いますけども、東京というある意味特殊な場所にあってきた施設ですけれども、と、いろんな場所にある、今回我々の大学院では愛楽園っていう沖縄にあった療育施設、療養所ですね、のことについて調べた人〔鈴木陽子〕が博士論文を書きました。
 それから田中真美という人が、もともとはまた違うところから始まったんですけど、今調べに入っていて、施設っていうのが、全生園はどうやら政府のほうでも何かしら拠点というか、という形で資料館もあそこに既にありますし、そうしたものを残してくわけだけれども、他の所では全てをお取り潰しっていうことにはならないかもしれないけれども、縮小していってっていうふうになってる。それでいいのかって話の中で、これまでの施設の歩みっていうのを我々の大学で展示するというようなことを今考えてる人がいるんですけれども、私はそれにはたいして関わらないと思いますけれども。
 ここから自明に必要なことっていうのは、戦後というものも45年に戦争に負けてからずいぶん時間が経ってるわけで、その間のことっていうのを例えば人に聞くんであれば、もうそろそろ終わりになってしまってるっていう当たり前のことですね。と同時にじゃあ文字資料っていうのは紙でできてるわけだからずっと残るのか、これもそうではないわけです。散失していく、人が亡くなるに伴って例えば遺族がゴミにして捨ててしまう、古紙にして捨ててしまうってことは多々あるわけです。そうしたものを拾って集めて収集するというようなこと、こういうことが基礎にないとですね、その上に建物は建たないというか、これも考えてみれば当たり前のことなんだけれども、それはおそらく一人一人の努力だけでは足りずにですね、一定の組織的な力、端的に言えばお金、そうしたものも必要になってくるだろうってふうに考えています。
 現在私たちがやっているのは文科省の科研の基盤Bってやつで、「病者障害者運動史研究」っていうもので、今年度で終わってしまうんですけれども。今とりあえずこの秋に出るものというのは、福島県における1970年頃からの福島県の障害者運動、当然これまでの間には2011年の震災、震災にどういうふうに応じたのか、対したのかってことは含まれるわけですけれども、そうした本は一冊は出ます★。ですけどそれは福島についてのたった一冊の本でしかないわけです。でもそこそこの手間と力はかかったけれど、と考えると、もっとなされるべきたくさんのことをするためにはそれの何倍とか何十倍の力ってものが必要になってくるっていう、これも当然だと思います。で、我々としてはそうしたことを、お金はないので国にお金をせびりつつですね、今私は大学院の教員であるとともに、立命館大学の生存学研究センターって3月まで言っていて、今度研究所っていうのになりました。何がどう違うのか自分でもわかりませんけれども、そこの所長というのをやってます。そこのひとつの大きな仕事としてアーカイビングですね、ものを集めて整理して発信するという仕事が、組織の仕事として大学に課せられた使命としてですね、あるって考えてます。
★青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子・土屋 葉 2019/09/10 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院,424p. ISBN-10: 4865001042 ISBN-13: 978-4865001044 [amazon][kinokuniya] ※
 こういうことをやる中から、我々の現在、現在を規定する過去というものは何だったんだろうかってことを調べていく、そこからものを言っていく。そしてそれはどうなんだろう、多分なんだかんだ言って例えば障害学っていうのやってる人って障害者好きなんだよね、なんかね。なんか人間好きみたいな人なんですよ。なんかゴチャゴチャしたなんかおっきい話ってそんなに得意じゃない、あんまり好きじゃないんでなんか人間を見るみたいな。そういうスタンスの人が多くて、それはいいことだとは思うんですよ、なんか優しくてね。だけれども、そういうのだけで現実ができてるわけじゃないじゃないですか。そういう意味で言うと、僕はこの頃素朴にとか、当たり前のとか、なんかいろいろ言ってるんだけれども、いろんな、全然難しいことじゃないですよ。例えば今度青い本に書いたことっていうのも、親たちが、医師たちが、政治家が、マスメディアがどういうことを言い、どういうことを訴え、どういうことをやってきて、それが回り回ってというか合わさりに合わさってどういう現実ができ、その時は熱かったけれども、やがて熱が冷めたけれども、でも現実はそのまま残ってきたんだよねっていうそういう類のことを一つ一つ確認する作業というものが必要なんではないか、そのためにはそれを調べて書くことを可能にするような資料の集積、整理というものが必要であり、それを我々はポツポツとこれまでやってきたけれども、今後もやっていく所存でございますっていうそのところを、時々、毎日、そうだな、例えば…。今20分ですね。時間的に大丈夫な気がしてきたので、もうちょっとだけ喋って終わりにします。

■X

 この生存学っていうので検索するともう一つのサイトも出てきますけれども、こっちから、このページが出てくると思います。これの真ん中に、病者障害者運動史研究っていう今科研費でとってるものがあります〔現代は「生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築」〕。そこでどういう仕事をしてるのかっていうのはここに一覧が出ているので、見ていただきたいと思います。そういう地味と言えば地味な仕事をしながら、最初の話に戻りますけれども、やっぱり今やっとかないとっていうことはいっぱいあるわけです。
 で、筋ジストロフィーの人も昔は二十歳前で亡くなる方多かったですけれども、今は40、50という方おられます。ですけれどもその40、50、の人が6歳、7歳から30何年、40年暮らしてきて、今も国立療養所、旧国立療養所から出れない、その間に40、50になるというそういう今時期なんですよ。ということを考えると基本的に後ろにいて、ちまちました仕事をしながらそうしたものを持って、だけれども時には今日どうする、明日どうするっていうそういうところも少しお手伝いする、そういうスタンスで私は仕事をやっているつもりですし、皆さんと一緒にやってきたいなってふうに思っています。
 今2019年ですけど、2017年の10月に、例えば金沢で医王病院っていう病院がありますけれども、そこから初めて、死んで退院するっていうの死亡退院って言いますね、業界ではね。死亡退院ではない形で金沢の医王病院から金沢市に、アパートに移った古込さんっていう方がいらっしゃいました。40代、37年かな、施設に暮らした人です。その人のいわゆる地域移行ということに少し関わったんですけれども、その方がこの3月に亡くなられた。そういうふうにして、ことは動いている、動いてしまってもいるわけです。ですから一方で時間を取って長く見てゆっくり後ろに下がって調べていくってことと同時に、今やっとかないと人は死んでしまう、誰もいなくなってしまうっていうそういうリアルもある。その両方に足をかけてというか考えていったり調べていったり、あるいは運動家たち、民間で活動している本人たちと一緒に動いていくってこともまた求められていくし、そしてそういうことをやってく中で我々はその歴史というものを改めて振り返る、地味に記述する、あるいはその因果について考える、そういった作業の必要性っていうものもまたリアルにわかるだろうし、そこの中でそういう仕事というものが続けていける、そういうことにもなるんだろうというふうに思っております。ということで23分48秒ぐらいお話しました。残りの話、中身に当たる話はだいぶ時間が全体としては残ると思いますので、そこの中で求められればというか、いくらでもお話ししたいと思います。とりあえず以上です。どうもありがとうございました。


立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙 立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙


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■当日のために作った資料

こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす

◆立岩 真也 2018/12/24 「長い停滞を脱する」
 第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから,於:京都テルサ

◆2019/06/08 岩永 直子「「治すことを願って」6、7歳で入った――筋ジストロフィーの人が50年以上病院で暮らしてきた理由(前編)」
 『BuzzFeed News』2019-06-08
◆2019/06/08 岩永 直子「「善意の集合体」が維持してきた仕組みを壊す――筋ジストロフィーの人が50年以上病院で暮らしてきた理由(後編)」
 『BuzzFeed News』2019-06-08
 ※06/01の立岩の講演の記録



◆立岩 真也 2015/11/13 『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』,青土社,433p.

◆西沢 いづみ 2019/03/31 『住民とともに歩んだ医療――京都・堀川病院の実践から』,生活書院,352p.

◆早川 一光・立岩 真也・西沢 いづみ 2015/09/10 『わらじ医者の来た道――民主的医療現代史』,青土社,250p.

○研究・社会学

府中療育センター

◆2019/03/29 熊谷晋一郎さんとの対談
 於:東京堂書店→『現代思想』2019-7

◆2019/04/12 「病・障害から社会を描く――『不如意の身体』『病者障害者の戦後』青土社)刊行を機に」(対談:立岩真也×天田城介)
 『週刊読書人』3285:1-2 http://www.dokushojin.co.jp/?pid=142167007

 仕組み:調べる/集める/加担する

病者障害者運動史研究

◆立岩 真也 2017/03/01 「立命館大学生存学研究センターによるアーカイビング」
 『法政大学原社会問題研究所環境アーカイブズニュレター』2

ハンセン病

◆国立療養所長島愛生園
 [外部リンク]http://www.hosp.go.jp/~aiseien/
 →長島愛生園自治会HP
 [外部リンク]http://ww32.tiki.ne.jp/~jitikai/
 →長島愛生園歴史館図書室 ハンセン病資料データベース(約700点の資料をネット公開)
 [外部リンク]http://www.hansen-dis.jp/bunken/

こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす


□cf.

こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす

◇立岩 真也 2018 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社
◇立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社

立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙 立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙

◇2018/12/24 「長い停滞を脱する」
 第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから,於:京都テルサ
◇2019/01/25 「売れなさそうな本を、それでも、なんで書いているか――何がおもしろうて読むか書くか 第7回」
 『Chio通信』8:12-13(『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』122号別冊)
◇2019/04/12 「病・障害から社会を描く――『不如意の身体』『病者障害者の戦後』青土社)刊行を機に」(対談:立岩真也×天田城介)
 『週刊読書人』3285:1-2 http://www.dokushojin.co.jp/?pid=142167007
◇2019/04/25 「おもしろくなくても書く――何がおもしろうて読むか書くか 第8回」
 『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』123
◇2019/06/01 「病者障害者の戦後」
 筋ジスの自立生活とは?――筋ジス病棟から自立生活へ,1100-12:00,主催:メインストリーム協会,於:西宮市
◇2019/06/15 「生政治史点描――戦後・国立療養所とその周辺」
 福祉社会学会第17回大会自主企画セッション「施設の戦後史」
◇2019/06/24 「動かなかったものを動かす」
 第28回全国自立生活センター協議会協議員総会・全国セミナー
◇2019/06/25 「解説:追悼・筋ジス病棟を出て暮らす――古込和宏さんのこと」
 『季刊福祉労働』163:128-129
◇2019/07/01 「「痛いのは困る」から問う障害と社会」(対談:立岩真也×熊谷晋一郎)
 『現代思想』2019-07
◇2019/07/25 「遺したものを記録する――何がおもしろうて読むか書くか 第9回」
 『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』124

■立岩真也 2018/12/24 「長い停滞を脱する」
 第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから,於:京都テルサ

立岩 私30分振られていたんですけれども、全体がたいへん押しているので、大幅に短縮して10分バージョンで話します(笑)。長いの、短いの、色々やるので。
 広告になってしまいますけれども、でも真面目に、今日のためにこの本書いたっていうのもほんとはあるので、ほんとに広告させてもらいます。『病者障害者の戦後』っていう、タイトルはちょっと大きいんですけれども、具体的には国立療養所っていうのが、何で筋ジストロフィーの人、それから重症心身障害児って言われている人、そういう人たちを収容する施設になり、この、その状態がずっと長く続き、今ようやくそれが少し変わりつつあるっていうあたりのことを書いた本です。
 誰もが読むかというと…、これ長いんですよね、500ページぐらいある本で、たぶん朗読すると20時間ぐらいかかると思うんですけれども。そういう長いものですが、しかし、特にその支援とかね、そういう仕事をしている人に関して言えば、たぶんほとんど何にも知らないことだと思うんで、読んでいただきたいと、真に、切に願ってる次第です。
 国立療養所、今はちょっと名前違いますけれども、それがどういうふうにっていうのは、そもそも何だったか、っていうとですね、1945年に戦争が終わるわけです。その時に日本の大きな問題っていうのは結核だったんです。結核の人が何十万人っているなかで、国立療養所を作ってそこに収容したってことが戦後すぐにありました。ただ、それが1950年代になってくと、だんだん収まっていく。これは、薬ができたってこともありますけれども、国民の栄養状態が多少良くなってきた。健康状態がそれに反映されて、っていうことで、空きが出てくるんです。では空きができて、その病院はなくなったかっていうと、なくなんなかったんです。これは精神病院も同じで、いったん作ったものってのはなかなかなくならないんだけれども。だけど結核の人たちは現に減ってった。その時何が起こったかっていうと、筋ジストロフィーの人を受け入れたわけです。
 ちなみに最初に筋ジストロフィーを国立療養所が受け入れたのは1960年のことです。今から58年前、僕ちょうど60年生まれなんですけど、その年なんですね。仙台の西多賀病院っていうところに山田三兄弟、とくに富也さんはけっこう有名人なんですけれども、が入った。それが64年、65年ぐらいに国の政策になっていって、以後、国立療養所が受け入れていきます。
 本では、どういうふうにそれが肯定されてきたかを書きました。まず医師たち。それから労働者の組合(02:12:54)です。つまり自分たちの療養所っていうものに働き場がなかったら困るわけですよ。で、労働者、経営者、経営者でもある医師。それから親の会、政治家、世論、そういったものが寄ってたかって、そういう体制をつくった。で、それはみんなにとっていいことだって思われ、思われ続け、それが続きます。[02:13:17]
 特にその経営者たちですね。今日その後輩にあたるお二人が午前中お話しされたわけだけれども、その先輩にあたる人たちがいかにその国立療養所に筋ジストロフィーの人を収容するっていうことが素晴らしいことであるのかってことを異口同音にっていうか、ほとんど同口同音ですね。同じ言葉で同じように肯定し続けるっていう時代が20年も、30年も続くんです。というようなことが、たぶん今の現実を作ってるんです。そのまま。その間、運営し運営に賛同する人たちは自らを肯定し、他の人たちは知らない、忘れる、最初から知らない、っていう状態で何十年も続いた。
 他方、実はそれだけではなくて、私1960年生まれだって言いましたけれども、57年、58年、59年あたりに生まれた人たちが、1980年代の頭、それでももう30年前ってことになりますが、自立を試みたことがあります。高野岳志さんっていう人であったり、福島あき江さんって人であったり。これは千葉の療養所にいた人たちですけれども、その人たちが出る、わけです。ただその人たちは、50年代後半の生まれで、20歳台で亡くなってしまうってことがあります。ていうことで、それがそのままついえてしまった。ちなみに、今度映画が公開されるらしいですけれども、鹿野さんって方が…、『夜バナ』ってご存知かな、あれですよね。彼は59年生まれです。彼はもうだいぶ長く生きたんで映画にもなりました、本にもなりましたけれども、80年代で亡くなってる方もいらっしゃる。
 ちなみにですね、JCILは1985年の設立ですが、本に出てくる高野〔岳志〕さんっていう人は、自分が自立生活センターを作りたいっていうことで1981年に千葉市内で「宮崎障害者生活センター」を始めて、志半ばで84年に亡くなる、ということがあるわけです。
 で、そういったことを今誰が覚えてるか、知ってるか、ってことなんです。で、60年代にそういう体制ができ、80年代にそういう勇敢な、しかし途中で挫折してしまった試みが起こり、そして、それからさらに35年も経ってしまった、ってことです。
 で、近年になってようやく、これここでは話すのあえてやめますけれども、そうやってできた体制と全く違う所から出てきたものだけが今回の事態を変えることが現にできてるってことです。その時に作られた医療の体制、それに連なるような福祉業界の人たちっていうのと全く別のところから、70年代以降、自立生活の運動が起こり、そして制度を獲得し、そして自立生活センターを作り、そういうシステムを作ってきた。そのことだけが、ここ数年になって、ようやく、長く…、もうだから始まってから60年ですよ、60年経ってるこの体制っていうものをようやく今変えつつある。それがその、関西で、兵庫、大阪、京都で、今始まってるってことは、我々としては誇るべきことでもあり、そして、同時に、遅きに失したと。50年間、60年間我々は何をしてきたのかってことです。世間は何をしてきたのかってことでもある。そういうことでもあるってことを、だけを、今日お伝えに参りました。[02:16:32]
 ちなみに、じゃあどうするかってことですけれども、どうするかっていうことは色々あるんですけれども。一つ、まずその「病院の許可を得ないと病院出られない」っての、絶対おかしいです、これは。移動の自由、居住の自由っていうのは大きな強い権利ですから、それを制約するには十分な理由がないといけないはずです。だからまず我々としては、そこのところを「出れないはずはない」と。「出るってことを制限するってこと自体が完全に違法である」というふうなところから出発しないといけないということ。それが一つ確認です。
 その上で、じゃあどうやって暮らしていくかっていうことだけれども、簡単で、二つしかないですよね。国立療養所と昔言われたものを良くするってこと。それから、出て暮らせるってこと。出て暮らせるってことは今、JCILをはじめメインストリーム協会もはじめ、そういうところが何十年もかかってその体制を作ってきた。それをさらに発展させることです。
 で、国立療養所をよくしていくことは、なかなか実際には難しい。ただ今日、非常に大きな獲得・成果だったのは、午前中、梶さん〔宇多野病院院長〕がやってきて、「これをします。これをします。これをします。これをしません。」っていうことを何項目にもわたっておっしゃった。これは確実に前進だと思います。
 とはいえ、なかなか難しいでしょう。その時に、もちろんその、国立療養所、病院自体をよくするってこともさることながら、そこに、今日も午前中言いましたけれども、病院じゃない人たち、誰でもいいですけれども、例えば、ここのJCILの人、メインストリームの人、そういう人たちが自分の仕事としてそこで仕事ができるような仕組みを作っていく。その方がたぶん病院をよくしていくよりも手っ取り早いと思うんです。早いと思います。そしてそれは病院をよくしていくことに確実につながりもする。それは大変なことであって、JCILにもメインストリームにも負担をかけると思いますけれども、それでもやった方がよい、そう思います。
 ということで、何分経ったかわかんなかったですけれども、途中から見るの、時計見るのやめたんで。でも十分よりは早かったと思うんで、私の話終わりにします。本買ってください。
 もう一つ、広告があります。石井誠さんっていう筋ジストロフィーで、書を書く人 、すごいかっこいい字を書いた人ですけれども、もう亡くなられましたが、彼の遺作展っていうか、書の展覧会があるんだそうです。1月に大阪難波の方でやります。それの広告のハガキが後ろの僕の本売ってるあたりにありますので、あとで興味のある人はご覧ください。以上です。


UP:20190531 REV:20190605, 11, 12, 14, 20200203
筋ジストロフィー  ◇声と姿の記録  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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