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保育園と私

――当日はこの話はしません――

立岩 真也 2019/05/04
日本保育学会第72回大会,於:大妻女子大学 http://hoiku72.jp/

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 「少子高齢化」というお話は、基本的には、聞き流せばよろしいと言うことにしています。といっても、そのお話の勢力はなかなかに強いので、ほっとけばよろしいと言ってもなかなかその通りには受けとってもらえません。なので少し説明します。この2月から『 バズフィード(Buzz Feed)』というオンラインの媒体で関係する話を連載みたいなかたちでしていますので、ご覧になってください。ぜんぶ足すとちょっとめんどくさくなりますが、一つひとつは単純なとてもわかりやすい話です。

 というわけで、ここでは、当日専門家の方々の前でそんな話をしてもね、という話をします。保育園、といっても親としての保育園でのことですが、は、人生においてそう数多くはないよい経験でした。その頃、1990年から1997年にかけて、私は東京の三鷹に1995年3月まで、その後は長野県の松本に住みました。生まれて半年で保育園にはいれたので、それからずっとです。4つの保育園を体験しました。最初は無認可の「ありんこ」というところ。認可の保育園に比較的早くあきができたので、0〜2歳児までみるという「あかね」という認可の私立の保育園。そこが終わったので、三鷹市立の「上連雀保育園」。そして保育園最後の年度に信州大学医療技術短期大学部(現在は医学部保健学科)で働くことになったので、松本市立の「桐保育園」に1年。つまり無認可/認可、私立/公立、三鷹/松本という各パターンをみな体験したことになります。
 ついでに、無職の時もあり月給取りの時もあり、地域にもよって大きく異なる月々の保育料もかなりの幅を体験したのでもあります。たしか無料の時期もありました、月額7000円とかの時期も、他方でその十倍ぐらいの時期もあったような気がします。そして私らの稼業は、むろん分野や職場によっておおいに異なるのですが、総労働時間は長いけれども毎日定刻出勤ということはなく、かなり送り迎えをするになりました。今はそんなことに時間をとられないし、土日祝日も子どもを連れて遊びにということもなくなり、働けてしまうので、恐ろしい時間、たぶん年間5000時間ぐらい、働いているのだろうと思うのですが、その頃はもうすこし健康健全な生活を送っていたわけです。
 そして、じゃんけんに負けたのだのだったか、記憶は定かではありませんが、二つめの「あかね保育園」では父母会の会長というものをやったりしました。「会報」というものも作成してたようですが、どんな中身だったののかまるきり記憶にございません。記憶に残っているのは、まず夏のビアパーティ――の案内なんかを「会報」に書いたのだろうと思います――で、夜、保育園の屋上で親たちと保母さん(という呼称は今は違うのでしょうけど当時はそういうことでしたので、そのまま)とビールを飲んでいる、その周りをがーっと子どもたちが走り回っているわけです。その保育園は、もともとは自分たちが自分たちの子どもを育てるのに親たちが作ったものが持続し大きくなり、そしてそこに残ってベテランになった保母さんたちがかわりばんこに園長を務めるといった保育園でした。
 そんな成り立ちもあって、秋には年の1度のバザーがありました。ものを近所をまわったりしていただいて、売って、お金を作ってという、まあ普通のバザーでしたが、楽しかったです。1991年〜1993年の頃、「バブル」と言われた時期の終わり頃でしょうか、コム・デ・キャルソンだとかブランドものの服がけっこう出たりして、すると、保母さんたちと親たちが値付けをしていく時に、保母さんから「これどう?」、私が「はい買います」みたいなかんじで、バザーに出る前に自分で買ってしまうわけです。「ずる」ですけど、私はそうして買った何着かの上着やら皮ジャンやら、それから10年ぐらい着てました。
 私の両親という人は田舎(佐渡島)で両方が教員をしていましたから、私自身もそこの保育園に通っていました。たぶん「両津市立上梅津保育園」。建物は残っているようですがもう保育園ではなくなっています――両津市も合併していまは佐渡市。私の記憶力はきわめて微弱ですから、昼寝が得意でなくて、掛け布団のタオルの下でもぞもぞしていたような気がするといったことぐらいしか覚えていません。あとは通園の道に、鎖につながってはいるが近くまで毎日吠えかかってくる犬がいて恐かったりとか、冬、道端の木々にも雪がいくらか積もってそしてばらばらと落ちて、きれいだったりとか。あと一つ、これは今となっては笑ってもらえますが、豚に追いかけられたことが一度ありました。それは恐かったですが、そういうネガティブな経験は犬と、それだけです。そんなことがあってか、なくてもだと私は思っていますが、子ども――一人ですから、少子高齢化に貢献しています――を保育園に通わすことになんのためらいもなかったし、わるいことは何もなかった、よかった、終わり、ということになります。

 こうして終わる話を当日しても仕方ないので、別の話をしようというわけです。よろしくお願いいたします。

 ※プログラムに使っていただくのはここまで。

◆立岩 真也 2019/02/02 「少子高齢化で「人や金が足りない」という不安は本物か? 社会的弱者に不寛容な言葉が広がる日本」
 https://www.buzzfeed.com/jp/shinyatateiwa/tarinaifuan-1
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UP:20190219 REV:
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