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記録をつなげる広げる

何がおもしろうて読むか書くか 第10回

立岩 真也 2019/10/25 『Chio』124:http://japama.jp/chio125/
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■『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』124:127-162 2019年7月25日刊行 特集:「痛み」の医学 こども編 本体価格1,600円
 http://japama.jp/chio124/

■『Chio通信』/『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』/『おそい・はやい・ひくい・たかい』

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『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』
『おそい・はやい・ひくい・たかい』

 テレビもないし新聞もないという生活を、とくに選んでということではないのだが、しばらく続けていて、世の中で何か起こっているのか、ほぼ知らない。だが、参議院議員の選挙があって、「れいわ新選組」という名前的には怪しげなところから二人当選したのは知っている。一人めの千葉のALSの舩後さんは、拙著『ALS』(二〇〇四、医学書院)で二〇〇二年〜四年の文章を引用していて知っている人なのだが、もう一人の木村英子さんに、じつは私たちは、三三年前、一九八六年にインタビューしていて、その記録が残っている。その間、じかにお会いするようなことはなかったが、昨年宮崎で行なったインタビューで一九九〇年代にその人のお世話になったという話が出てきて、へーと思った。こうして、長い時間を経てつながることがある。
 そして九月に福島の障害者運動についての共著の本が出た。この原稿を書いている八月一九日には題名はまだ決まっていない(今日中に決めます)。福島で一九七〇年代はじめに始まる運動を追った。全国組織に関わりまた福島に戻った人もいれば、別のところで活動し生活する人もいる。東日本大震災後の生活の復旧にも関わるし、原発事故後の避難にも関係する。中身は本をどうぞで、ここで言いたいのは、記録し、それがつながること/つなげることの大切さであり、それをさぼってしまったことへの悔恨だ。今回の本の話の発端は、共著者たちが二〇〇〇年頃に行なったインタビューなのだが、それからでも一九年が経った。そしてじつは、やはり三三年前、私たちは一九八六年に白石清春さん他に話を聞いている。そしてその記録が、そのいきさつも忘れているのだが、ない。もったいない。そして二〇一八年、私がインタビューして、本を作ることになって、その年と今年、追加のインタビューが行なわれた。
 それだけといえばそれだけなのだが、率直に、なかなかかんがい深いものがある。長い時間のなかで変わったり変わらなかったりがある。言い方が変わることもあるし、こちらの捉え方が変わることもある。まず約三〇年以上前、私が大学院生だった時の記録をいま見ると、わかってなかったなと思う。何を聞けばよいのかわからないまま話してもらっているのが、今読むとわかる。人の話というだけではない。その時期に起こっていてまったく知らないわけではないはずなのに、、どういうことであるか、気にとめなかったことがある。例えば「障害基礎年金」が八五年に導入されることになり、八六年から始まったのだが、それをどのように捉え、評価すればよいのか、三〇年以上が経ってようやく、こういうふうに言えばよいのだと思った。それで今度の「福島本」にそのことを書いた。そんな具合に、すくなくとも私の場合、時がたってようやく、ということがある。そしてそんな再考・再出発が可能になるためにも、その時の「もと」の記録など残ってないとならないということがある。
 そして、話す人の側にしても、一九八六年にも、二〇〇〇年にも話さなかったことを、二〇一八年には話すといったことがあった。それは八〇年代の出来事なのだが、ようやく今度聞けたということがあった。以前の、何もわからなかった私(たち)の聞き方がまずかったということもあるかもしれないしだろうし、本人的にこのごのになって話す気になったということもあるだろう。そうして以前には書けなかったことを書くことができた。
 そんなこともあるから、記録を残しておいた方がよい。調査する人が手許においておくというだけでなく、本人の了承を得て、なおすならなおしてもらって、公開するのがよいと思って、ぼつぼつとその作業をしている。それを紙の本でというのは多くの場合に難しい。そこでホームページに掲載している。そしてその記録を、話し手の著作物のような扱いで本や論文の文献表にも記載することを始めた。例えば、「白石清春・橋本広芳 i2001 インタビュー 2001/08/07 +:吉田強・佐藤孝男 聞き手:瀬山紀子・土屋葉 於:郡山 ※」というふうに書く。話し手は白石・橋本の二人であり、年だけでなく月日までわかる。それ以外に参席者として二人いた(すこし話している箇所もある)こと、そして聞き手は二人だったこと、そして郡山でインタビューが行なわれたことがわかる。そして※の印のあるものはHPからはその全文のあるページに飛んでいけるといった具合だ。「福島本」を書きながら、また昨年『病者障害者の戦後』(青土社)を出してもらったあたりから、そんな工夫をしてみることになった。
 理由はいくつもある。まず単純にもったいないということがある。論文にしても本にしても使う部分は少ない。紙数の制約があってやむをえないということもあるし、何かを言おうとすれば、ある部分だけを切り取ってくるのは当然だということもある。しかし、そうして仕方なくあるいは当然のこととして切り取ったそれ以外の部分がおもしろいということがある。また記録は記録として残しておけば、そう長く引用せずとも、本人の言ったことをもっと知りたいならそちらを読めばよいということもある。また書き手の捉え方が妥当なものか、検討したり検証したりすることもできる。日本ではあまりそういうことはまだないようだが、ちゃんと本当に調査をしたのか、その使い方は適切なものかを点検するためにデータを公開することが推奨されるということもあるという。
 こういうのは研究者側の都合といったところがあるのだが、そういうことを離れても、記録する、記録を残すことが大切だと思う。前回、以前は国立療養所と呼ばれた病院・施設に暮らす筋ジストロフィーの人たちの暮らし向きをよくする、出たい人は出られるようにするというプロジェクトにすこし関わるようになったと書いた。例えば、その関係で、この六月に、五人の人たちに話をうかがうことができた。そしてその録音記録を文字化してもらって、私のむだな相槌を削るとかすこし整理して、話してくれた人にみてもらい、なおしてもらったものを掲載する。そんなことをしている。「こくりょうを動かす」で検索すると最初に出てくる「こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす」というページにリストがあって、そこから各々を読むことができる。
 まず、それぞれに、こういう人生があったんだと思う。例えば金城太亮さんは国立療養所沖縄病院から出た人だ。琉球大学の学生のサークルの人たちが病院に出入りすることになり、次はその学生といっしょに名護の街で酒を飲むことになって、酒の席で話すねたがないなあと思ったりして、病院を出たいと思うようになったと言う。外出できたのかと聞くと、家族と外出するとか言ってごまかすと出られたたという。しかし酒を飲みに出るのだから門限にはまにあわず、毎回叱られたのだそうだ。その他いろいろとたいへんであったことを聞いた。
 ただ他でも話をいろいろとうかがうと、金城さんがいたところはかなり「まし」であったこともわかる。病院に人がやってくること自体を認めないところもある。外出が極めて困難なところもある。そしてそれがずっと長く続くと、その「内側」では、そうしたものかと思ってしまう。というか、疑問に思うところにまでいかないことがある。けれども、話したり聞いたり、「よそ」のことを知ったりすると、やはりおかしい、変わってほしいと思い、変えられるはずだと思う。実際に変えるため暮らすためにはいろいろなことをやっていかないとならず、それに今各地の組織が取り組んでいる。私は話を聞いてまわるだけだ。それでもやっておいてよい、読んでもらってよいと思って、というのが今回の話だ。その話をどう受けとるか、それを考えて書くのが私の本業だとも思うから、仕事の種類が増えているということでもある。手間はそこそこかかる。でも、たくさんの人たちが関わってほしいと思いながら、まずは私のほうでもぼつぼつとやっていく。


◆立岩 真也 2018 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社
◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社

立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙 立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙 立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙


UP:2019 REV:20190729
『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』  ◇『おそい・はやい・ひくい・たかい』  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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