HOME > BOOK

解説 この時代を生きてきた一人ひとりのことを書いて残す


立岩 真也 2019/07/21 

Tweet


■栗川治 20190721 『愛とユーモアの保育園長――栗川清美 その実践と精神』,新潟日報事業社,400p. ISBN-10: 4861327210 ISBN-13: 978-4861327216 [amazon][kinokuniya] ※
 http://kurikawaosamu.life.coocan.jp/kiyomi.html

 ずいぶん長いこと、研究者として、この時代を生きてきた一人ひとりのことを書こうとほうぼうで言ってまわって来て、繰り返して来て、かえって、私はすこし疲れているのかもしれない。あらゆる人は死ぬから、その死者の数は既に数百億かになっているはずで、その人たちのことをいちいち書こうなどということは、まったく無謀で無理で無駄なことに思える。
 しかし、こんなふうに人は、疲れた時に、間違えるのだ。人は死ぬ。死んだその人には何も伝わらない、と私は思う。しかし周りにいた他の人たちは今しばらく生きていく。そのしばらくの時間、忘れるのをいくらかでも引き延ばすために、記憶に浸りたいために、人は人のことを書いて残す。また読んで残す。長い時間の間には、やはりそれもすっかり消えてなくなってしまうとしても、まったく、それでよいのだ。本書を読んで私はそういう気持ちになれた。△382

 さて、ここに文章を寄せた人たちと異なり、私は栗川清美さんを知らない。どんな人であったか、その多くの人たちが書いてくれていて、それで知ることができた。もちろん私自身は何も加えることはできない。ただたんに私は、栗川治さんが、私の勤め先の大学院に入学され、彼がずっと深く関わってきた視覚障害のある教員の社会運動のことを博士論文にまとめようということになり、それはたいへんよいことだ、是非それで行きましょうという話をしている、という、それだけの関係だ。清美さんが亡くなられたことはメールで知った。お会いすることはなかった。
 加えれば、一つ、治さんが、今年の5月に私が日本保育学会の大会で講演することを聞いたことも、依頼をいただいことに関係はあるようだった。たしかに私は、保育の場と人々にまったく肯定的である。その講演でも、どのように伝わったものかどうか、そのことを言おうとはした。講演では別の話をしたのだが、その時のための資料に、帰宅の途中で豚に追いかけられたとか、私の保育園にまつわる昔話を少し書いた(HP→「立岩真也」→5月4日、でごらんになれます)。

 昔話続き。清美さんは59年の2月生まれつまり早生まれ、治さんは△383 同年10月、私は60年8月。二人は新潟県の長岡市、新潟市、私は佐渡(当時の行政区分は両津市)の生まれ。学年でいうと、清美さんが私の二つ上、治さんは一つ上という具合につながっている。治さんが入った次の年、そういえば私も早稲田の一文(第一文学部)を受けたんだわ、といったことを思い出した。だからどうということはなにもない。なにか同じような時を生きてきたんだなあという感慨に、それ以上の意味も何もいらない、と、そう思う。
 それでも、さらに共通しているのは、私も八五年に結婚していることだ。ただそれからの当方の人生のほうはまったくぐっだぐだで、そこはすこしも似ていない。人生はどのように分かれていくのだろうか、はたまたそのへんで人生は既に、おおむね決まってしまっているのだろうかとか、思った。
 そして、その人生がぐっだぐだであるかないかと別に、人は病を得る。関係なく、というより、直感的には、むしろ悪いやつの方が長生きする、と思うことが私にはある。私より早くに亡くなった私の同輩たちは、私よりよほどよい人たちだった。他方、偉くなって、持ち上げられ、気苦労がなくなってしまって、能天気で自己肯定的なまま、九〇や一〇〇になっていく人たちがいる。めでたいことではあると思いつつ、私は、すこしいらっとすることがある。△384

 では私はどうか。清美さんは二〇一七年にステージWの診断を受けた。私は二〇一八年の終わりに癌があるということになり、「はいよ手術するよ」、と軽く考えていたのだが、年があけてしばらく後、別のところにもあるようだということになり、「とするとステージWですね」とあっさり医師に言われて、しばらくはびびっていた。結果的には、そのもう一つというのが悪性腫瘍でも腫瘍でもなく、私の場合はすんだのだったのだが(このねたは本邦初公開、またどこかに書きます)。そして無駄に能天気な人たちの側の方に行けるのかなということになったのだが。
 つい最近、『白い巨塔』の何回目かのテレビドラマを見た。財前教授はステージWのすい臓癌になるのだが、周囲は隠そうとする。原作の小説のこのあたりは、1967・68年あたりに書かれただろう。それから50年経って、「告知」は当たり前になった。さてそれは「白い巨塔」をどうにかするにあたって有効な手だったのだろうか、そうでもないだろうか。
 なんていうことを考えだすと、歴史から意味を引き出すという仕事になってもいく。しかし、言うまでもなく、しかし繰り返すが、本書は、まず一人の人のこと、そして加えて治さんとの二人のこと、そしていっしょに働かれてきたかたがたの紐帯の事実と記憶のための本だ。その本に、私は余計なことを幾つか書いてしまった。△385



UP:20190727 REV:
病者障害者運動史研究  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)