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解説:追悼・筋ジス病棟を出て暮らす――古込和宏さんのこと

立岩 真也 20190625 『季刊福祉労働』163:128-129
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※関連する企画
◆2019/06/02 「渡辺一史さんに聞く」
 於:立命館大学衣笠キャンパス創思館1階カンファレンスホール
◆2019/06/01 「病者障害者の戦後」
 筋ジスの自立生活とは?――筋ジス病棟から自立生活へ,主催:メインストリーム協会,於:西宮市

 古込和宏さんは、一九七二年、石川県輪島の生まれ。この四月二四日に亡くなった。享年四七歳。五歳の時にデュシェンヌ型の筋ジストロフィーと診断、一九八〇年国立療養所(現在は国立病院機構)医王病院に入院。三七年を経て、二〇一七年十月、退院、市内での生活を始めた。その病院で「死亡退院」でなく退院した筋ジストロフィーの人は古込さんが最初だと聞いたことがある。その退院とその後の生活に、京都(日本自立生活センター)、兵庫(メインストリーム協会)、そして「全国ホームヘルパー広域自薦登録協会」の人たちが関わった。それとが一つのきっかけとなって、いま全国で、「国療」(と略す)を出たい人は出て暮らすこと、すくなくとも当座そこに暮らす人たちについては、もっとよい環境で暮らせるようになることを支援する活動が始まっている。
 彼が病院を出たいと思ったのはだいぶ前のことになるが、そのために使える情報・手段をなかなか得ることができなかった。ネットはだいぶ前から使えていたし、例えば、日本筋ジストロフィー協会の機関誌もとってはいたという。しかし、そこで書かれていることはおおむね家族が世話して在宅で暮らす生活だ。川口有美子がフェイスブックで友達になったあたりから状況が変わった。そこから「広域協会」につながる。金沢にも、金沢や富山の支援者たちの集まりができる。そうして退院した。
 私は、二〇一六年の三月に彼の書いたものをメールで送ってもらってHPに掲載した。最初は病院を刺激しないようにということもあって匿名だった。退院してから実名を記した。今回本誌に再録されるのは、その一部だ。他の文章もこちらのHPで読むことができる。「古込和宏」で検索してください。こちらの大学院生の坂野(ばんの)久美が書いた論文も読むことができる。
 私が古込さんに会ったのはたった二度。一度は退院に関する打合せで病院内で。車椅子への移乗のための人員がいないからという理由で、古込さんは病室のままで、私たちは会議室でスカイプで会議ということになって、唖然とした。一度は、二〇一八年一月。坂野さんと一緒にインタビューをした。これも読んでいただけるようにするつもりだ。
 古込さんは文章が上手な人だった。みながそうであるわけではない。文章を書ける人は書く。話す人は話す。笑う人は笑う。怒る人は怒る。私は、当初結核の人たちを収容していた国療がどのように筋ジストロフィーの人たちと重症心身障害児と呼ばれる人たちを収容するようになり、その状態がずっと続いてしまったのか、昨年『病者障害者の戦後――生政治史点描』(青土社)という本に書いた。ちょっとやそっとでは、長く固定しまったこの体制はなかなか変わらない。みなができることをして、それを合せてやっていくしかないのだろうと思う。

 この解説?の後に『季刊福祉労働』に収録される文章

◆古込 和宏 2016/03 「誰にも明かせない胸の内」
 http://www.arsvi.com/2010/20160313a.htm

◆古込 和宏 2016/03 「互いに殺し合う存在」
 http://www.arsvi.com/2010/20160306a.htm

◆古込 和宏 2018/12/24 「地域移行2017年秋於金沢」第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから
 ※報告を加除・修正

■言及

◆立岩 真也 2020/06/22 「制度を使う・3――新書のための連載・7」,『eS』015(更新)


UP:20190522 REV:20190523
古込 和宏  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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