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ただ一つひとつ応ずればよいではないか・4

「身体の現代」計画補足・490

立岩 真也 2018/04/01
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2036606536606323

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◆2018/02/01「社会科学する(←星加良司『障害とは何か』の3)――連載・142」,『現代思想』46-(2018-02):-
http://www.arsvi.com/ts/20180142.htm
より。目次は
 □大きな話は終わっていない
 □社会(科)学は
 □ただ一つひとつ応ずればよいではないか
 □嘘を言うから「障害」が要ると言われる


 □ただ一つひとつ応ずればよいではないか
 […]
 こうして考えていくなら、どのように必要なのか、また正しいのかに応える必要があるということになる。星加のように「集中」を問題にする立場を採る場合には、計算・比較が求められ、また可能であるということになっている。利益や不利益、幸や不幸が集まっていることはあるだろうが、それをどのように評価するというのかである。このこと自体はなかなかやっかいな問題である。ただ、一つの不利益aがあってそれだけという場合と、それがもう一つの不利益bを引き起こしている場合、aだけとa+bの場合とを比べて後者の方が不利益が大きいとは言えるだろう。集計、集計したものの比較ができるかという問題の全体はやっかいだが、星加が問題にしているのはそれほどのものではないとは言える。
 ただその上でも、集計の必要があるか、またそれはよいことかとは問える。前回に述べたのは、「のちのち」に響いてくるから、という時間における堆積・合計を問題にすることがよいとは必ずしも言えないだろうということだった。例えば「余命ゆくばくもない」人については、これから幸も不幸も堆積していくということはあまりないだろう。としたら後回しにしてよいのか。ある種の倫理学者が好む「救命ボート的状況」において、より長く生きるだろう子どもを優先したり、幸せであったどうかはともかく、既に長くは生きてきた老人を後回しにすることはありうるかもしれない。しかし、すくなくとも可能である限りにおいて、「本来は」、老人も得られてよいと主張することは認められるはずである。
 とすると残るのは資源の有限性という条件である。資源に限りがあるというのはその通りではある。ただそのうえで、実際上の問題はないのだと私は述べてきた。この部分についての認識が異なるのかもしれない。ただこの件について、働き手も含む人間が余っていると今回の冒頭述べた私は、大丈夫であり問題はないと考えるその理由を示してもきた。どうしても仕方がなければ、仕方なく優先順位をつけざるをえないかもしれないが、でなければ供給すればよい、そしてそれは可能だというのが私(たち)の認識だ。だから、そう考えない人には、資源の問題が現実に供給・生活を制約せざるをえない問題として存在することの説明を求めてよいと考える★05。」

「★05 以前から同じことを何度も述べている。昨年のものでは、高額な薬のことをどう考えるのかという主題の特集「がん診療のコスト原論」に掲載されたインタビュー([201707])がある。ただ、それが真面目にまともに受けとられているという気配もない。私はこの話をするのに数字を必要としないと考えているのだが、人々はそうは思わないということもあるのだろう。だから、数字をうまく扱える人といっしょにでも、足りないということはないこと、余っていることについて、長くない本を書ければと思う。」

立岩真也 201707 「高額薬価問題の手前に立ち戻って考えること」、『Cancer Board Square』3-2:81-85(253-257)


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182490.htm
にもある。


UP:2018 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇『現代思想』 
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