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大きな話は終わっていない・2

「身体の現代」計画補足・485

立岩 真也 2018/03/16
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2031692397097737


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立岩真也・アフリカ日本協議会編『運動・国境――2005年前後のエイズ/南アフリカ+国家と越境を巡る覚書 第2版』表紙   星加良司『障害とは何か――ディスアビリティの社会理論に向けて』表紙   『税を直す』表紙   『現代思想』2018年2月号 特集:保守とリベラル――ねじれる対立軸・表紙

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◆2018/02/01「社会科学する(←星加良司『障害とは何か』の3)――連載・142」,『現代思想』46-(2018-02):-
http://www.arsvi.com/ts/20180142.htm
より。その目次は
 □大きな話は終わっていない
 □社会(科)学は
 □ただ一つひとつ応ずればよいではないか
 □嘘を言うから「障害」が要ると言われる

文中の立岩・アフリカ日本協議会編[200712]は『運動・国境――2005年前後のエイズ/南アフリカ+国家と越境を巡る覚書 第2版』
http://www.arsvi.com/ts/2007b1.htm
[200909]は『税を直す』。とくにその第4章「流出」。
http://www.arsvi.com/ts/2009b2.htm


 「□大きな話は終わっていない
 […]
 ただ、その利口なあるいは小賢しい、あるいはたんに金を持っているという人たちを追い出したとして、代わりにどうするか。これまでの試みのたいがいはあまりうまくいかなかった。とすると、完全に追い出すことまではしないが、その追い出されずにすんだ人たちや組織の手許に残る財を減らそうということになる。いくつかの手がある。一つは、現在においては技術・知識がその重要な部分を占める生産財の所有のあり方を変更すること。例えば特許権の有効期間を調整するといった方法がある(cf.立岩・アフリカ日本協議会編[200712])。また一つ、つまりは税の水準で対応するということになる。ただそれだけのことではある。しかし、このような順番でものごとを見ていくと、まったく新味のないように思われる策も、新味がなく平凡だから捨ててよいというものでなく、結局他にあまりない選択肢として残り、ならばそれを真面目に追求し実現させるしかないということになるかもしれない。
 すると結局企業・資本・資本家はより有利な国に逃げるではないかということになり、実際そのような事態が起こっているのも事実だ。だから、この部分についてどのような手を打つかということになる。実際にさほど機能しているわけではないが、手がなくはない。そんなことを私(たち)は書いてきたのではある([200909]等)。
 そして、人々が労働から離れること(離れても暮らすこと)ができるとともに、労働に(人と場合によったら半端に)参入することを可能にしていくことである。すると、例えばかつての中産階級の衰退とその由縁をいま私たちが記したような線で普通に理解できている人が、にもかかわらず、教育への社会的投資の増強によって事態の改善を計ろうなどという話をしてしまうのはやはり間違っていることもわかってくる。教育への社会的投資はわるいことではない。ただ、人々の性能をよくしていったとして、すでに性能のよい人たちによって混み合っていてそれで困っているその状態がよくなるはずはない★01。労働者(であるはずだった)人が得られなくなってしまっている金を徴収し、使うことによって、労働への圧力を減らすとともに、労働する人の状態をよくすることが可能である。するとここでも、まったく平凡で退屈な、と思われる(徴収したものの)分配のあり方をどう考えるかがやはり大切になる。
 そして、こうした部分を考え、手をいれることは、生産の体制を変更せずに徴収と分配の強さをただ変更するだけということにならないことも理解されるはずだ。述べたように、私たちの社会は、可能性としては種々の働き方、また働かないでいるあり方が可能であるような社会である。「多様な働き方」を支持するために個々の組織やその経営を政治が支援するというやり方もあるが、それをうまく行なうのはそう簡単でない。それだけでなく、そうした働き方をする人や組織が存続可能なように、政治経済の大きな枠組みを設定するという方向があり、さきに述べた徴収・分配のありかたはそれを可能にまた容易にするものでもあるはずなのである。
 こうした水準・局面にまったく現実的な社会科学の主題群があると考える。そうしたところから考えていかないとよくないと私は思う。でないと、これは次回に述べることだが、同じ仕事ができるなら「障害者」を優先して雇用するのがよいだとか、いやそれは「逆差別」だとかいう議論――前者が星加の本では主張される――をしてしまうことにもなる。基本的には、そういう水準で話をしないほうがよい。決まっている席を誰がとるかといった問題として話を立てない方がよい。こうしたことごとをわかった方がよいと思う。」

★01 「椅子の数が限られた椅子取りゲームで、椅子を取る技能を各自が磨きその成果が上がったとしても、やはり椅子を取れない人は同じ数いるということだけのことである」([201004])。


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182485.htm
にもある。


UP:2018 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇『現代思想』 
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