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02/03尾上浩二講義

「身体の現代」計画補足・471

立岩 真也 2018/02/03
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2005817796351864

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立岩真也・小林勇人編『<障害者自立支援法案>関連資料』表紙   立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙   『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

◆立命館大学土曜講座
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/kikou/doyokozakikoh.htm
 02/03(土)尾上浩二さん
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/kikou/2017/20180203.html

 私も顔出すことに。その日学校行ったら公開質問状への回答届いていると思うので、まにあったら印刷して、みなさんにと思います。
→2017/02/01 「兵庫県立こども病院名誉院長小川恭一氏への公開質問状――「身体の現代」計画補足・469」
 http://www.arsvi.com/ts/20182469.htm

※検索したら(新たに)出てきたもの↓→本情報は尾上頁に追加
 http://www.arsvi.com/w/ok09.htm

◆尾上 浩二・熊谷 晋一郎・大野 更紗・小泉 浩子・矢吹 文敏・渡邉 琢・日本自立生活センター(JCIL) 編 20160925 『障害者運動のバトンをつなぐ――いま、あらためて地域で生きていくために』,生活書院,256p.
 http://www.arsvi.com/2000/0504ok.htm

◆島田療育園:http://www.arsvi.com/o/shimada.htm

◇立岩 真也・杉田俊介 2017/01/05 『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』青土社,260p.

 「[…]一つだけあげておく。八二年に島田療育園から出ようという人がいて、それが阻まれることがあった。一月一六日に斉藤秀子(当時三二歳、脳性まひ)が施設を出る。家族は捜索願いを出し連れ戻される。「家出」を支援した職員は懲戒解雇処分になる。それに抗議した職員は訴訟を起こすが、その公判で施設側は斉藤に「意思能力」「同意能力」がないことを主張した。支援者は連れ戻された斉藤に会おうとするが拒絶される。尾上浩二が私たちに寄贈してくれたものの中から出てきたのは八二年一二月一五日付けの「島田療育園を告発する障害者七人委員会」による社会福祉法人日本心身障害児協会太宰博邦(花田の著書等でも肯定的に紹介されている業界では有名な人だった)宛の抗議書であり、そしてこの抗議に加わることを要請するビラだ。そこには斉藤の文章も付されている。その全文はまたHP上に掲載するが、七人は井田博士(神奈川青い芝の会)、宇都宮辰範◇(中野区)、小林敏彦(障害者の地域生活を保障する会)、小山正義◇(神奈川青い芝の会)、千田好夫◇(千書房)、本間康二◇(『月刊障害者問題』)、三井絹子◇(府中療育センター闘争◇)★17。面会は、国会議員の八代英太◇が太宰に談判して、ようやく実現する。その経緯は『同行者たち』(荘田[1983])に詳しく書かれている(がやはり品切れ)。
 私はその時の家出とそれを支援した側に理があったと考えるが、実際がどうであったかをよく知っているわけではない。施設の側にも言い分があるかもしれない。既に何度目かだが、繰り返す。あった場から事実が外されてしまう、結果、ないことになってしまう。
 小林自身の「思想」を問題にすることもできなくはない(そのビラには少しそうした部分もある)★18。ただそんなことをしていけば、自分自身はどうなのだ、小林は自分よりずっと偉く、がんばった人だということにもなる。それは認めよう。だが、起こった出来事はあり、それはその人の立派さ、立派なその人の話には出てこない。
 小林提樹や島田療育園について様々の書きものがある。『愛はすべてをおおう』(日本心身障害児協会島田療育センター編[2003])には九三年までの年譜があるが記述はない。『愛することからはじめよう』(小沢[2011])は七四年に園長を辞任している島田についての本であり当然のことだが出てこない。自伝「障害者に愛と医療を捧げて」(小林[1983])にも当然出てこないが、それでもそれは八三年に書かれたのではある。小林の辞任には労働者の待遇をめぐる労働争議への対応に小林が疲弊したこと、それが辞任に関わったことは複数の本に書いてある。それはその通りだったのだろうし、双方に言い分のあることだっただろう。ただ別の種類の、労働組合からも支持されなかったできごともある。そうした動きがなかったことにされてきた歴史がある。加えておけば、題名に愛が頻出する。その人たちの愛は本書があまり肯定的なものと捉えない(第3章1−3)愛とは異なる――小林も糸賀一雄もキリスト教徒だったという。それでも頻出はしている。」

 『現代思想』連載(書誌事項は後)
 「そして私に限っていえば、もっと単純に知らないこと忘れていることもある。一九七〇年代の終わりから一九八〇年代は私がもう大学生などをしていて障害者運動にもいくらかの関わりはあったはずなのだが、私が知っていたのは宇都宮病院での事件(報道が始まるのは八四年)ぐらいのものだった。加えて文字によっていくらか知ったものが島田療育園(現在の島田療育センター)に起こった八二年の「脱走事件」他のできごとであり、府中療育センター闘争を紹介したのと同じ文章で荘田[1983]等の文献をあげ紹介はしている(立岩[1990→2012:333]註8)が、それ以降、注意を払ってくれた人はいないようだ。そして島田療育園の活動、そしてそこへの公的支援を求める水上勉の公開書簡とその後の動きをもって六〇年代の社会福祉の前進を語るという伝統に大きな変化はない。それで昨年の事件についての本でも再度紹介したのでもある。後述する。」
 「[…]ただ、やはり、それだけのことでもない。事件についての本でも紹介したように(立岩[2017:70-73])、八二年に島田療育園からの「脱走」が起こった。本で全文掲載すると予告したビラはHPに収録した(島田療育園を告発する障害者七人委員会[1982])。それは、共闘して居住の場・同時に職場を護ろうとしてきた日患同盟、全医労といった流れとはいささか異なるものであり、その関係の書きものにも出てこない。そして事件の本にも記したように、経営者の苦労話や経営者を称賛する文献にも出てこない。」
 「次回に紹介する福嶋あき江も「そそのかし」を言われた。一九八二年の島田療育園からの「脱走事件」で施設に連れ戻された斉藤秀子、それを支援した人たちも同じことを言われた(立岩[2017:71-72])。それはひどい言いがかりだと私たちはまずは思う。ただ、脱出を勧めるという契機がいつもまるでないかと言われると、それはないとは言えないだろうと思う。そしてその「勧奨」があること自体は問題ではないはずだ。私たちの本もそのように読まれたことがある。それを本人が受け入れ、自分にとってよいことだと思えばよく、そして実際に出た方がよかったのであれば、さらによい。そしてその勧奨は、勧奨する支援者たちにとっては相当の負荷のかかる動きに自ら巻き込まれようということでもあるのだから、そう軽はずみなものではない。そしてすくなくとも高野の場合、病院で言われたよりは、といっても三年三月という期間ではあったのだが――「死後、解剖された彼の心臓には、ほとんど筋肉組織がなかった、と聞いた」(白江[2002:229])――長く生きた。」

◇20170915 本間康二にインタビュー(263分)
 http://www.arsvi.com/hk09.htm

 なお
◆2005/04/02 「『”障害者自立支援”法案』何が問題なのか」,障害学研究会関東部会 第44回研究会
 は以下に収録。販売しています。
◇立岩 真也・小林 勇人 編 2005.09 『<障害者自立支援法案>関連資料』,Kyoto Books,45字×50行×134p.\1000+送料→終了/MS Word(820k bytes)\500→http://gum.co/ljbva

 講義の後になると思いますが、その日のことなり、別のことなり、書きます。


UP:2018 REV:
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇『現代思想』 
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