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陣容を何段にも分けて…:「事実への信仰」より・04

「身体の現代」計画補足・466

立岩 真也 2018/01/31
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2005314833068827

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『現代思想』2018年2月号 特集:保守とリベラル――ねじれる対立軸・表紙   『現代思想』2018年1月号 特集:現代思想の総展望2018・表紙  

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 『現代思想』2018年2月号が発売されている。特集は「保守とリベラル――ねじれる対立軸」。そこに、荻上チキ×立岩真也×岸政彦の「事実への信仰――ディティールで現実に介入する」。
http://www.arsvi.com/ts/20180001.htm
 その私の発言部分より。その第4回。

 「立岩 […]
 そういうふうに、陣容を何段にも分けて、ここが破られても、ここまで引いても、ここでもう一回戦えるとか、そういうことをやっていかないといけないと私は思っています。そういう仕事をしているので、「お前の話はややこしい」とかよく言われるのですが(笑)。でも誰かはいったんやっておかないといけないと思うから、そういうことはする。ただ、今の言論の状況は、そういう丁寧な議論と丁寧な議論が向き合うという状況ではさらさらないので、溜息を吐きたくなる気持ちは一方ではあるのだけれど、それは仕方がない。そういうことも必要だと、依然として言わなきゃいけない。
 ただ、そういうことの中身を書いていくとき、適したメディアとそうではないものがある、テレビに出ても一〇秒くらいしかしゃべらせてくれないし、新聞だと六〇字分くらいのコメントしかさせてもらえない。六〇字で何が言えるかといったら、何も言えないわけです。でも六〇字のコメントしか載らない新聞しか人は見ないのだったら、しょうがないから六〇字で思いっきり考えてまとめて出すけれど、それはそれとして書くと同時に、人は読まないかもしれないけれど長いものを書いたり、自分のところのサイトに載せたりする。
 つまり、いろいろなレベルで戦う・考えるということを重ねてやらないとだめだということです。今はそういう丁寧な、何段にも分けた議論は成立しにくいということもわかっている。でも仕方がないからやらなくてはいけない。そういう状況に対して、一番短く言ったらこうだということと長く言ったらこうだということを同時にやっていく。どういうメディアだったら中くらいのものを拾ってくれるのかということも考えないと仕方がないという状況なんだろうなと思います。」


この号には「社会科学する(←星加良司『障害とは何か』の3)――連載・142」も掲載されている。いっしょに読んでいただけるとありがたい。というか、この号の特集、そして上の討議というか鼎談というかを多少意識してこの第142回を書いたところがある。これは連載の第141回「星加良司『障害とは何か』の2」 http://www.arsvi.com/ts/20180141.htm
の続き、で「身体の現代」計画補足」では前回まで「の2」を分載してきたが、それは中止。雑誌買ってください。立岩真也編『社会モデル』
http://www.arsvi.com/ts/2016m2.htm
の購入者には、「1〜4?」の原稿を収録した増補版を無償で後日提供します。

 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182465.htm
にもある。


UP:2017 REV:
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