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星加良司『障害とは何か』の2の06

「身体の現代」計画補足・462

立岩 真也 2018/01/21
https://www.facebook.com/ritsumeiarsvi/2002885536645090

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星加良司『障害とは何か――ディスアビリティの社会理論に向けて』表紙   『現代思想』2018年1月号 特集:現代思想の総展望2018・表紙   立岩真也編『社会モデル』表紙

[表紙写真クリックで紹介頁へ]

 『現代思想』2018年1月号が発売されている。
http://www.arsvi.com/m/gs2018.htm#01
 そこに載っている私の連載の第141回「星加良司『障害とは何か』の2」 http://www.arsvi.com/ts/20180141.htm
を断片的に分載していく。今回はその第6回。立岩真也編『社会モデル』
http://www.arsvi.com/ts/2016m2.htm
の購入者には、この回の原稿を収録した増補版を無償で後日提供します。

 「■定義としては成立しないが
 […]
 ただ、読んでいくと、星加において、障害はむしろ最初からあって、障害者は既にいて、そのうえで、その人たち(に顕著に見出される、集中された)不利益がディスアビリティであると言いたいように思えてくる。この本は、そのようにして読んだ場合に(のみ)理解可能であるように思える。
 例えば「障害者と高齢者」という言葉が、介助・介護を巡る議論のなかで幾度も現われる。それは、両者について同じ制度を(実質的には高齢者用の公的介護保険の側に「統合」しようという主張にどのように対するかという話(cf.立岩・小林編[2005])の中に現われる。つまり、「障害者」には不利益が集中するが「高齢者」はさほどではないから、よりたいへんな前者により多くの資源が投じられてよいと主張する中でこの対は現われる。この辺りに星加が言いたいことの大きな部分があるから、後でこの主張については別に検討する。ここではまず、星加が、この社会で普通に使われる言葉を――――介助・介護が得られないと不利益・不都合のある人のことを障害者と呼ぶのであれば、高齢の障害者と高齢でない障害者がいるということにもなるはずだが――そのまま使っていることを見ておけばよい。
 では、その社会の言葉として存在し、おおむねその語を星加が普通に使っているようである「障害」とはどんなものか。「「障害者」というカテゴリーが、生産能力を要求する「社会的価値」との関連で創出されたものであり、またその生産能力を要求する「社会的価値」が社会の編成の基底に置かれている」から「不利益の集中」が起こると星加は述べていた。だから星加も認めているように、それはできる/できないに、能力に関わっている。
 次に、それは身体に関わるものだろう。身体は、しばしば「後で」見出されるものである。そして実際にその身体に「損傷(インペアメント)」があるかどうかもわからないことがある。しかし、社会的事象はまずそういうものである。そして、身体への帰属の様相をとり出すこと自体に意義があるのであり、そこを抜け出して「より確かなもの」を見出そうという方向に向かう必要はないと前回に述べた。そして星加においても、ディスアビリティの「もと」として棄却されているとしても、身体的な条件という契機は否定されていない。社会的不利に関わる条件の一つとして「個体的条件」をあげるのでのでもある★05。
 とすると、結局普通のところに落ち着く。つまり身体に関わって(関わらせられて)できないこと(求めることが実現されないという不利益を被ること)という、まったく普通に使われる言葉と同じ、障害という語の用法に帰着することになる。星加が想定している「障害者」はそこから逸脱していない。さらに加えれば、その不利益という事態の軽減・解消について、社会運動は社会的責任(同時に、その人の権利)を言ってきた。
 前回、星加がそれをディスアビリティを規定するものとしては否定したこと、しかし、私(として)はディスアビリティの定義として責任を言う必要はないこと、その上で、障害学、その手前からあった運動は、それと別に責任を負うとする主張の意義があることを述べた。不利益は基本的に――というのも、なかにはそう簡単に軽減・解消できないものもあるからだが――社会的に解消・軽減されるべきであるというのは星加の主張でもある。ここでもこれまでの言われてきたことと変わらない。」

 「★05 「不利益の生成に対して、個人的・環境的諸要素はどのように関わっているのだろうか。まず、社会的状態α、とりわけ「社会的価値」の達成度は、基本的に「社会的価値」と「個体的条件」との関係によって規定されている。[…]「個体的条件」とは、生物としての個人に備わった身体的・知的・精神的な条件conditionである。こうした諸条件は、通常個人に関する「特質」や「差異」として認識されるようなもので、そのような認識作用の結果として浮上した「特質」や「差異」は既に社会的に構築されたものである。しかし、だからといってそうした認識の対象(あるいは素材)となるものが存在すること自体は否定され得ないわけで、そうした個体に内在する要素について表現するのがこの「個体的条件」である」([120-121])。この二つに加えてさらに二つ、「利用可能な社会資源」「個人的働きかけ」があげられている。」


 生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182462.htm
にもある。


UP:2017 REV:
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