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唯の生

立岩 真也 2018/09/24
みやぎアピール大行動 http://blog.canpan.info/miyagidaikoudo/ 於:仙台

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■みやぎアピール大行動 http://blog.canpan.info/miyagidaikoudo/ 於:仙台

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 私も話します。たいしたことは話しません。09/24は行進の日です。→広告[PDF]

>※「立岩真也」で検索してくださいませ。そこで出てくるページが
http://www.arsvi.com/ts/0.htm
 です。そこから「2018/09/24」のところに行くとこのページが出てきます。そこから以下をクリックするといろいろな情報があります。

旧優生保護法・不妊手術 2018
2016.7.26障害者殺傷事件
◆生きてく会 20180801 「衆議院議員 杉田水脈氏の発言は出産できない障害者や患者の人権をも踏みにじるものとして抗議します」

 またそこからこのページがあるHPの表紙に行くと、「arsvi.com 内を検索」というのがあります。どうぞご利用ください。

立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙   『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙   立岩真也『唯の生』表紙   立岩真也『人間の条件――そんなものない 増補新版』表紙   横田弘・立岩真也・>臼井正樹『われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』表紙
[表紙写真クリックで紹介頁へ]

■資料・1

杉田水脈氏の発言は、出産できない障害者や患者の人権をも踏みにじりました。発言の撤回と謝罪を要求いたします。
  平成30年9月7日
  衆議院議員 杉田水脈殿
  「生きてく会」(すべての人が差別されることなく安心して生きていく会)

 初秋の候、いよいよご清栄のことと存じます。
 さて、このたびの『新潮45』における杉田水脈議員の発言、「LGBTへの支援の度が過ぎる」、「生産性がない」は、性的マイノリティであるLGBTの人権を踏みにじるものであるばかりか、「生産」=出産しない人は行政的支援に値しないと断じたものであり、出産を巡り思い悩んでいる人々の心も深く傷つけました。
 津久井やまゆり園事件の犯人、植松聖も「生産性」のなさ=働けないことを根拠に、重度障害者の殺りくを実行に移しましたが、このたびの杉田議員の発言は行為こそ伴わないものの、植松の思想と同じ根を持つものであり、人の価値を「生産性」の有無で評価するものと私たちは考えています。
 このような発言を私たちは放置できません。社会的支援が必要な人びとに、救済の手をさしのべるのが、国会議員としての務めではないでしょうか。社会の偏見・差別に対峙して、生きることさえ難しい人々を守るのが、国会議員なのではないでしょうか。
 杉田水脈議員には、LGBTへの偏見差別を改め、人々の「生産性」を行政支援の根拠に挙げたことを省みて、貴議員の公式ホームページにおいて、同発言の撤回と謝罪をこの9月中に掲載してください。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。

以上

 ※私ならすこし違ったように書くとは思うが、載せました。

■資料・2

◆2017/12/31 「公開質問状」
 立岩真也→兵庫県立こども病院名誉院長小川恭一

 貴殿は、兵庫県立こども病院から刊行された『兵庫県立こども病院移転記念誌』(2016年)に収録された「兵庫県立こども病院誕生当時のこと」という文章において、「当時の兵庫県知事金井元彦氏は、小児医療に深い関心を持ち「子供に障害が起こってしまってからでは遅すぎる。予防は治療に勝ることを真剣に考えるべき」という信念を持っておられ、本邦では初めてのユニークな県民運動となった「不幸な子供の生まれない施策」を展開されました」と記されています。
 これは当時の兵庫県知事の信念を紹介した箇所ではありますが、その信念とその施策について肯定的であることは、この文からもまた前後の文脈からも明らかです。さてそのようにとりあげられている「不幸な子供の生まれない施策」(「不幸な子供の生まれない運動」)は、その重要な一部に、優生手術(断種・不妊手術)、出生前診断(当時は羊水診断)を含むものでした。むろん、1965年にこの病院に心臓外科部長として務め始め、その後院長を務め、現在は名誉院長である貴殿が、この運動において、これらが行なわれていたことを知らないはずはありません。しかしそのことにはふれられておらず、そして、その全体が肯定されています。これは不可解に思われます。
 それでも一つ、貴殿にとっては不名誉なことであると思いますが、すっかり忘れたというわずかな可能性はあるのかもしれません。しかし、それは忘れられてよいようなことでないと考えます。▼もし、忘れてしまっていたのであれば、そのことをお知らせください。そして、その忘却についてかつて院長であり現在名誉院長である貴殿がどのようにお考えになるかをお知らせください。…1▲
 ただもちろん、そのようなことは普通にはありえないことだと私も思います。とすると、知っているが書く必要がないと考えた、順序を逆にすれば、書く必要がないとは考えたが、もちろん知っていたということです。まずそのことが不思議に思われます。出生前診断、選択的中絶の是非については種々の議論があります。ここでは貴殿がそれに反対するべきであると言いたいのではありません。優生手術についても、当時の優生保護法において認められていたこともあります。ただ、だからといって積極的に推進すべきだとはなりませんし、全国的にも法の範囲を超えてなされていた事例があることが近年ようやく明らかにされてきたこともあります。だからこそ、この実践が責任ある人々によって、当時どのように理解されていたか、またどのように理解しているのかが問われているのです。これらの実践を肯定するか否定するかという以前に、▼全体を知っているにもかかわらず、その部分にはふれず、しかしその全体を肯定するというのは、事実を不正確に伝えており、また不誠実であるとも思えるのですが、無知であったいうわけではない(はずの)貴殿はなぜそのような記述をされるのでしょうか。その理由を示してください。またその姿勢についてお考えを示してください。…2▲
 そしてさらに、とくに不思議なのは、この「施策(運動)」の全体を「小児医療」として括っていることです。「小児医療」がときに「予防」としてなされ、また機能することがあることは認めましょう。しかし普通、予防にしても、まず人がいて、初めてその人に対して、予防も治療も成立するもののはずです。次に、中絶手術にしても断種手術にしてもそれは医療技術を用いてなされるものではあり、その限りにおいて「医療」と呼ぶことを認めるとしても、この「施策(運動)」の一部であった優生手術・出生前診断の対象とされたのは子どもではありません。それは少なくとも子どもの生命を救ったりしようとする営み――それが普通には小児医療と呼ばれる営みであるはずです――ではない。▼にもかかわらず、貴殿は「小児医療」と書かれています。このことをどのように考えておられるのでしょうか。お示しください。…3▼
 貴殿は兵庫県立こども病院の役職、院長を務めた方であり、名誉院長です。私は2017年から、障害と人間、障害と社会との関係について過去を検証し、現在を調査し、未来を展望すべく研究する人たちの学会である障害学会の会長を務めることになりました。私たちに求められる検証には、重要な立場にあった人が過去そして現在をどのように把握しているのかを確認することも含まれます。より広く、優生手術が実際にどのように行なわれてきたのか、それに関わった人たちが何をどのように考え何を行なったのかは、現在においても様々な壁に阻まれ、明らかになっておらず、ようやくその一部が本学会員を含む研究者らによって明らかにされつつあります。その解明が妨げられないこと促進していくことは、研究者たち、また学会によって求められていくだろうと考えます。ただ、この質問状はまず貴殿個人に宛てた質問でありますから、学会会長からのものといたしました。障害と人間、障害と社会のあり方に関わる重要な問題が、以上に指摘したように扱われていることについて、どうしても公人としての貴殿に説明を求める必要があると考えたのです。
 この文書とそれを収録した記念誌に批判がなされ、質問がなされたことは知っています。それに対する対応が、その機関紙のHP掲載中止というものであったことも、この質問状を出す一つのきっかけでもありました。2017月12月1日付の『毎日新聞』に掲載された私のコメントにもあるように、私は、削除すればよいとは考えません。書かれたものは書かれたのです。その事実は事実として残し、その上での対応がなされるべきものと考えます。しかし病院側の対応は残念と言う以外にないものでした。いったいこのようなできごとを、問題となった文章の著者であり、そして幾度も繰り返しますが、その病院の院長であったそして現在も名誉院長である貴殿はいったいどのように捉えておられるのか。2018年1月20日までに御回答いただきますよう、要請いたします。質問1あるいは2にお答えください。そして質問3にお答えください。送付先は障害学会事務局(〒162-0801東京都新宿区山吹町358-5国際文献社アカデミーセンター内)とさせていただきます。
 なお「小川恭一氏宛て公開質問状」で検索するとこの文章をご覧になることができ、そこから関連する情報も得ることができることを申し添えておきます。

                                        2017年12月31日
                                        障害学会会長・立岩真也

■資料・3

◆立岩 真也 2016/09/29 「自らを否定するものには怒りを――横田弘らが訴えたこと」
 『聖教新聞』2016-9-29

□そこで譲ったら終わり
 七月二六日、神奈川県の障害者施設で、一九人が殺され、二六人が負傷する事件が起きた。
 そのときどきのできごとを追うのに忙しいマスコミにはほぼ出てこなくなったが、まだ多くの人たちは記憶しているだろう。そう思いたい。
 事件後、横田弘『障害者殺しの思想』(現代書館)、横塚晃一『母よ!殺すな』(生活書院)がまた読まれている。そして横田と私との対談や臼井正樹の文章を収録した『我らは愛と正義を否定する――脳性マヒ者横田弘と「青い芝」』(生活書院)がこの3月に出た。対談や解説でこれらに関わった私にも原稿の依頼が来た。人が亡くなって依頼があるのを喜べないが、本は読んでほしい。
 横田は重い脳性まひの人で二〇一三年に八〇歳で亡くなった。横塚は一九七八年に四二歳の若さで亡くなった。神奈川県に住んだ彼らは「青い芝の会」という組織で活動した。それが世に知られたのは一九七〇年に横浜で起きた脳性まひの子を親が殺した事件の時だった。親の減刑を嘆願する運動を批判したのだ。
 人を殺してならないのは当たり前のことにはなっている。だが「その上で」様々な事情を勘案するなら、仕方がないこともあるではないか。そんな具合に社会は動く。そして横田たちもその事情を知らないのではない。むしろずっと親を頼って生きてきて親の苦労はよくわかっている。
 けれど、「そこで譲ったら終わりだ、突っ張らねばならなない、自分たちを殺すな」、そう彼らは言った。「愛と正義を否定する」はその青い芝の会の綱領に出て来る。

□深いところで捉える
 たしかにずいぶん乱暴な言葉である。だが私たちの社会では「できること」「できるようになること」が正しいこととされている。その「正義」をそのまま受け入れてしまったら自分たちの存在は否定されてしまう。
 この否定されそうな自分たちを救ってくれるのが「愛」とされる。だが自分たちを愛してくれるのはあくまで相手だ。それは自分たちの生存が相手の気持ちに左右されるということでもある。そんなことでよいのか。
 このように考えてみると、彼らの乱暴な言葉が人間や社会のずいぶん深いところを捉えていることがわかる。
 ある作家*1が高齢者は「適当な時に死ぬ義務」があるが、それが忘れられていると言った。「自業自得」で腎臓病になった人は(公費での)人工透析を受けるべきでないと公言した人*2もいる。
 そこでも「正義」が言われる。緊急の場面で若い方の人に譲るべきだというのも一つの「正義」ではあるだろう。また自分の「せい」で起こったことについては責任があるという「正義」もここにはさまれる。
 しかしそれで何が起こるか。「殺せ」とは言われていない。しかし人工透析を止められたら、透析を必須にしている人は確実に死ぬ。もう一つの高齢者についての話にしても、命に関わる医療を受けるなというのだからやはり確実に人は死ぬ。そして結局のところそれでよいと言っている。

□さまざま知り考えよう
 先の事件では容疑者の異常性が言われたが、その人も正義を実現しようとしていた。実際に殺した殺してないという違いはむろん十分に大きいが、言っていることの中身にはさほど違わないところがある。だからすくなくともその容疑者だけが異常なのではない。まずその「実相」を見すえよ、と横田たちなら言うだろう。そしてそれを正義と言うのか、人の死をもらたすことを正義のもとに言うのか。この青い芝の会の人たちの単純な提起のもつ意味は失われることはない。「直球」を投げることは、今でもあるいは今だから、大切なことだと考える。
 すると今度は「建前」でない「現実」「本音」が持ち出される。つまり、このままでは社会がたいへんだ、きれいごとばかり言っていられないと言われる。あるいは現実と正義が組み合わされる。誰かが退かねばならない状況では長く生きた人が退くのが正しいといった具合にである。
 救命ボート上の極限状況ではそうした正義もありうることを認めてもよい。しかし私たちの社会の現実はどうか。例えば人工透析をしている人たちは三五万人ほどいるという。多くの予算が使われているのは事実だ。しかしその仕事に従事するのに十分な人はおり、機械はあり透析液はある。冷静に見よう。「超高齢化社会」の全体を見回しても、ここでは説明は略さざるをえないが、実はどこにも極限状況など存在していないのである。
 声高に「正義」を語りその論理がおかしいとされると今度は「現実」を持ち出す。おかしなことを言っていることに当の本人たちが気づいていない。だから、異常な人間から社会を護ろうというのではなく、普通にこの社会に存在している価値や現実を捉え、考えることだ。この事件を特集した『現代思想』が発売になった。そこにも読むべき文章が多くある。自らを否定するものにははっきり怒ろう、同時に様々を知り冷静に考えよう。横田たちの本はそう言っている。


※これまでの仙台での講演など
◇2005/10/08 「(講演)」
 ハートインみやぎ2005 於:仙台 http://www.heart-in.org/
◇2014/10/31 「造反有理――精神医療・保健福祉の転換期へ」
 第57回日本病院・地域精神医学会総会記念講演 於:仙台 http://57byochisendai.jp/summary/program

UP:201808 REV:20180920, 21
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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