02/10松波めぐみ土曜講座講義の前に
立岩 真也 2018/02/10
立命館大学土曜講座,於:立命館大学衣笠キャンパス
※今日は会場にはうかがえませんが、前回もお配りした「質問状」と「回答」を配布していただきますので、その解説をすこし。
◇2018/02/03 尾上浩二土曜講座講義の前に
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/kikou/doyokozakikoh.htm
02/03(土)尾上浩二さん
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/kikou/2017/20180203.html
みなさんこんにちは。今月の3回の企画はこの大学の生存学研究センターの企画ということになっております。私はセンター長の立岩真也と申します。今月の企画やそれに関連する情報も含め、センターの活動については、インターネットを「生存学」で検索すると私たちのサイトが出てまいりますので、ご覧いただければと思います。
さて、今日最初に話させていただくのは、センターからの挨拶というだけではありません。先月末から今月にかけて、仙台(東北)のほうで不妊手術を受けた女性が提訴するという報道がいろいろなメディアで報道されています。優生手術について、私たちはずいぶん前から問題であると考えていたのですが、なかなか、この件で自分みずから提訴する――それ自体が想像すれば困難であることはよくわかりるます――方が現れにくいい中で、なかなか多くの人に知られることはことはなかったのです。この度の提訴があってようやく多くの報道がなされています。
まず、優生保護法下における、まず優生保護法という、不幸な子孫が生まれることを防ぐ法律というものが後になって反省され、否定されるわけだけれども、そのときはその法律があったのだからよかったのか、合法ではあったのかもしれないが、それはよかったのか、ということもあるでしょうし、もう一つには、優生保護法の法律のもとでも、規定にはずれることもなされている。そういったことが歴史的に明らかにならないまま忘れさられようとしている部分もあります。われわれの研究センターは、未来を志向しつつも、過去においてどういったことが行なわれてきたのかということを明らかにしておく、記録しておく、それもまた重要な使命だと思っております。
それに関係して、京都からも遠くない兵庫県神戸市に兵庫県立こども病院というのがあるのですが、そこができた時、そもそものいわれというのが、兵庫県の「不幸な子どもが生まれない運動」というのが1970年代にあった。それが、その運動の移転を期に作られた記念誌に、名誉院長という方が、みずからが、兵庫県がしたことを賛美するという文章(「兵庫県立こども病院誕生当時のこと」
)を書かれていて、それが問題になり、私は障害学会という会長もつとめさせられていて、その立場でその名誉院長という方に「公開質問状」というものを出し、その回答を今日、回答そのものはずいぶん前に出されたようですが、まわりまわってこちらにやってきて、それを今日見て、コピーしてまいりました。今日遅くに入ってこられた方は、私の質問状とその小川恭介という方の回答を受け付けが受け取られたかと思います。この講義が終わった受け付けのテーブルの上に置いてあります。その回答の中味は、解説するまでもない、たいへん残念なものでありました。読んでいただければと思います。
今日の尾上さんのお話もそういったことにも関連するものになると思います。では尾上さん、よろしくお願いいたします。
◇2018/02/10 松波めぐみ土曜講座講義の前に
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/kikou/doyokozakikoh.htm
02/10(土)松波めぐみさん
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/kikou/2017/20180210.html
さらに「解説」を加えようとも思ってみたのですが、やはりむなしいものがあります。「全体を知っているにもかかわらず、その部分にはふれず、しかしその全体を肯定するというのは、事実を不正確に伝えており、また不誠実であるとも思えるのですが、…貴殿はなぜそのような記述をされるのでしょうか。その理由を示してください。またその姿勢についてお考えを示してください。」という私の問いに対して、新聞等で報道された病院側の応答とまったく同じ言い方がされたわけです。つまり、「ユニーク」とは他になかったことを記している(だけである〜肯定的であるというわけではない)というのです。いかにも苦しい。私は、この小川恭一という方が、1930年代の生まれであり、こういう世代の方々はときに自分の言葉をもって語ることがあることを知っていますから、ご自身の言葉で応答されるかれしれないという期待もあったのですが、まったくそうではなかったということです。
それはともかくとして。「全体」とは、「不幸な子どもの生まれない運動」の全体のことです。その運動は、不妊手術や出生前診断〜選択的中絶を重要な一部として含むものでした。それに(全体を「肯定」するかどうかはいったん別としても)まったくふれていない、「それはなぜか」という問いには答えていないのです。こうして歴史は滅却されるというであり、やはりそれはたいへん困る、ということです。そのことを知ってもらいたくもあり、「質問状」と「回答」を今週も用意させていただいた次第です。
では、松波めぐみさんの講義です。