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社会科学する(←星加良司『障害とは何か』の3)――連載・142

立岩 真也 2018/02/01 『現代思想』45-(2018-02):-
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『現代思想』連載・第120回〜『現代思想』連載(2005〜)

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■目次

 ■大きな話は終わっていない
 ■社会(科)学は
 ■ただ一つひとつ応ずればよいではないか
 ■嘘を言うから「障害」が要ると言われる

■引用

 「■大きな話は終わっていない
 前々回と前回から星加[2007]を検討している。その論はかなり入り組んだものなので、面倒ではあるのだが、意義があると考えている。ものごとの捉え方の違いが何を生じさせるかということがある。それをわかってもらえる。自分でも、考えるなかで、言うべきことがより明確になることがある。
 結局、人は生産して消費して生きている。分ければ二つになるその仕組みを、二つのつなぎ方を考えながら、見つけて示していくことは、依然として社会科学の大きな仕事としてあると考える。星加の本から考えるべきことも、結局その二つになる。そしてその本を取り上げてきた理由の一つは、このところの議論の仕方が風呂敷を広げることを制約してしまうことがよくないと考えるからである。
 まず前者、生産・労働・雇用について。それに関わる現在について種々に具体的な、深刻な、腹立たしい事態は記述されてきた。むろんそれは大切だが、これに対して見取り図を示すという仕事は依然としてある。それは退屈な仕事でもあるが、その程度の退屈さには耐えるべきであるとも思うとともに、そんなにへりくだることもないとも思う。大切なものは大切なのだし、考えていくと実はかなりおもしろくもある。星加の論に即するのは次回。以下概略。
 今だから重要なのは、一つに、生産の場面にどのように関わっていくかだと考える。そうして考えると、採るべき立場は、すくなくとも普通にリベラルと呼ばれるものではない。そのことは[200401]――以下著者の文章は著者名略、発行月を表記――他幾度か述べてきた。本連載では、「働いて得ることについて・案」([200801])、「素朴唯物論を支持する」([201301])、等。さらに考えて書くべきことがあると思って、また別の仕事をしてしまって、まだまとめてられていない。続きを続けて、本にしようと思う。
 仕上げるために読んだり確認したりすべきことは多いが、おおまかな構図は単純なものである。技術の水準が上がり、生産力が増大し、生産に要する労働者は少なくなっていく。そのためもあって労働者は余っている。余るようになることは基本的にはよいことである。しかし、この社会においては、仕事がなければ稼げず、稼げないと暮らせないから、それは多くの人に不利益をもたらす。
 そこで人は仕事を得ようとして、なんとか得る人もいる。労働者は、種々の機械・技術があるなかで働き、それらとの関係で条件も変わってくる。労働力・労働者が余っているなかで、賃金は安くされる。余っているはずなのに一人あたりの労働は増え、仕事はきつくなる。そして繰り返すが、それは経済の失敗がもたらすのでなく、成功がもたらすものである。
 労働者、また労働者になれない人たちの手取りが減った分は、経営する側、投資する人たちに渡る。それもまたそこに金を投じた人たちの「才覚」であり「能力」であると言ってのける人はいるだろう。それを全面的に否定する必要はない。ただ、仮にそのように言えるとしても、その才覚がある(かもしれない)人がその益をまるごと受け取ってよいわけではないことは述べてきたとおりだ。
 するとこの部分では、一つに、資本を提供し運営し経営を支配する側を追い出して、別の支配を代置するというやり方がある。
 ここまでは、たんに古くからあった話である。何も加えていない。しかしそうした、かつて普通にあった話が、ある部分から、例えばこの国の社会科学のかなりの部分から消えてしまったかのようであるのはよくないことであると思う。その古典的な構図は、まったく無効になったのではなく、むしろより現実的なものになっているとも捉えられるのに、である。
 ただ、その利口なあるいは小賢しい、あるいはたんに金を持っているという人たちを追い出したとして、代わりにどうするか。これまでの試みのたいがいはあまりうまくいかなかった。とすると、完全に追い出すことまではしないが、その追い出されずにすんだ人たちや組織の手許に残る財を減らそうということになる。いくつかの手がある。一つは、現在においては技術・知識がその重要な部分を占める生産財の所有のあり方を変更すること。例えば特許権の有効期間を調整するといった方法がある(cf.立岩・アフリカ日本協議会編[200712])。また一つ、つまりは税の水準で対応するということになる。ただそれだけのことではある。しかし、このような順番でものごとを見ていくと、まったく新味のないように思われる策も、新味がなく平凡だから捨ててよいというものでなく、結局他にあまりない選択肢として残り、ならばそれを真面目に追求し実現させるしかないということになるかもしれない。
 すると結局企業・資本・資本家はより有利な国に逃げるではないかということになり、実際そのような事態が起こっているのも事実だ。だから、この部分についてどのような手を打つかということになる。実際にさほど機能しているわけではないが、手がなくはない。そんなことを私(たち)は書いてきたのではある([200909]等)。
 そして、人々が労働から離れること(離れても暮らすこと)ができるとともに、労働に(人と場合によったら半端に)参入することを可能にしていくことである。すると、例えばかつての中産階級の衰退とその由縁をいま私たちが記したような線で普通に理解できている人が、にもかかわらず、教育への社会的投資の増強によって事態の改善を計ろうなどという話をしてしまうのはやはり間違っていることもわかってくる。教育への社会的投資はわるいことではない。ただ、人々の性能をよくしていったとして、すでに性能のよい人たちによって混み合っていてそれで困っているその状態がよくなるはずはない★01。労働者(であるはずだった)人が得られなくなってしまっている金を徴収し、使うことによって、労働への圧力を減らすとともに、労働する人の状態をよくすることが可能である。するとここでも、まったく平凡で退屈な、と思われる(徴収したものの)分配のあり方をどう考えるかがやはり大切になる。
 そして、こうした部分を考え、手をいれることは、生産の体制を変更せずに徴収と分配の強さをただ変更するだけということにならないことも理解されるはずだ。述べたように、私たちの社会は、可能性としては種々の働き方、また働かないでいるあり方が可能であるような社会である。「多様な働き方」を支持するために個々の組織やその経営を政治が支援するというやり方もあるが、それをうまく行なうのはそう簡単でない。それだけでなく、そうした働き方をする人や組織が存続可能なように、政治経済の大きな枠組みを設定するという方向があり、さきに述べた徴収・分配のありかたはそれを可能にまた容易にするものでもあるはずなのである。
 こうした水準・局面にまったく現実的な社会科学の主題群があると考える。そうしたところから考えていかないとよくないと私は思う。でないと、これは次回に述べることだが、同じ仕事ができるなら「障害者」を優先して雇用するのがよいだとか、いやそれは「逆差別」だとかいう議論――前者が星加の本では主張される――をしてしまうことにもなる。基本的には、そういう水準で話をしないほうがよい。決まっている席を誰がとるかといった問題として話を立てない方がよい。こうしたことごとをわかった方がよいと思う。

 ■社会(科)学は
 こうして、星加の議論の検討の続きをしていく際しての短い前置きのつもりが長くなったのは、本誌の本号の特集のこともある。今述べてきたような普通の仕事から離れて、社会科学、例えば社会学は何をしてきたのだろうと思うからでもある。
 なされてきたことには種々がある。まず、[…]」

■文献→文献表(総合)

星加良司 20070225 『障害とは何か――ディスアビリティの社会理論に向けて』,生活書院,360p.
◆稲場雅紀・立岩真也 2008/11/30 「アフリカ/世界に向かう」,稲場・山田・立岩[2008:14-148]
◆稲場雅紀・山田真・立岩真也 2008/11/30 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』,生活書院,272p.
◆Nussbaum, Martha C. 2006 Frontiers of Justice: Disability, Nationality, Species Membership☆=2012 神島裕子訳,『正義のフロンティア――障碍者・外国人・動物という境界を越えて』,法政大学出版局
◆荻上チキ・立岩真也・岸政彦 2018 「事実への信仰――ディテールで現実に抵抗する」『現代思想』2018-2
◆Pogge, Thomas W. 2008 World Poverty and Human Rights: Cosmopolitan Responsibilities and Reforms, second expanded edition, Cambridge, Polity Press.=20100325 立岩真也監訳/安部彰・池田浩章・石田知恵・岩間優希・齊藤拓・原佑介・的場和子・村上慎司 訳,『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』,生活書院,423p.
◆榊原賢二郎 20161110 『社会的包摂と身体――障害者差別禁止法制後の障害定義と異別処遇を巡って』,生活書院,398p.
◆立岩真也 1997 『私的所有論』、勁草書房16:42:18 [138][139][140]
◆―――― 20000301- 「遠離・遭遇――介助について」,『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[20001023]
◆―――― 20001023 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』、青土社 [138]
◆―――― 20040114 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』、岩波書店
◆―――― 20041231 「社会的――言葉の誤用について」,『社会学評論』55-3(219):331-347→立岩[2016]
◆―――― 20060710 
『希望について』、青土社 [140]
◆―――― 20080101 「働いて得ることについて・案――連載 28」,『現代思想』36-1(2008-1):32-43
◆―――― 20081001 「楽観してよいはずだ」上野・中西編[2008:220-242]
◆―――― 20090310 「「目指すは最低限度」じゃないでしょう?」、立岩・岡本・尾藤[2009:9-47]
◆―――― 20090910 「軸を速く直す――分配のために税を使う」,立岩・村上・橋口[2009]
◆―――― 20100125 "On "Undominated Diversity"",The Second Workshop with Professor Philippe Van Parijs ※[Japanese]
◆―――― 20100325 「思ったこと+あとがき」,Pogge[2008=2010:387-408] [English] ※
◆―――― 20100410 「BIは行けているか?」、立岩・齊藤[2010:11-188]
◆―――― 20100819 「障害者運動/学於日本・4――ダイレクト・ペイメント」、※英語・コリア語・中国語版あり
◆―――― 20120610 「差異とのつきあい方」,立岩・堀田[2012] [142]
◆―――― 20130101 「素朴唯物論を支持する――連載・85」,『現代思想』41-1(2013-1):14-26 [142]
◆―――― 20130520 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版 [139][140][142]
◆―――― 20141024 「そもそも難病って?だが、それでも難病者は(ほぼ)障害者だ」,難病の障害を考える研究集会 [142]
◆―――― 20170715 「高額薬価問題の手前に立ち戻って考えること」,『Cancer Board Square』3-2:81-85(253-257) [142]
◆―――― 20180225 「でも、社会学をしている」,若林・立岩・佐藤編[2018] [142]
◆―――― 20180400 『人間の条件――そんなものない 第2版』,新曜社 [142]
◆立岩真也・堀田義太郎 20120610 『差異と平等――障害とケア/有償と無償』、青土社 [139]
◆立岩真也・村上慎司・橋口昌治 20090910 『税を直す』,青土社.
◆立岩真也・岡本厚・尾藤廣喜 2009 『生存権――いまを生きるあなたに』、同成社
◆立岩真也・齊藤拓 20100410 『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』、青土社 [139]
◆立岩真也・アフリカ日本協議会 編 2007/12/31 『運動・国境――2005年前後のエイズ/南アフリカ+国家と越境を巡る覚書 第2版』,Kyoto Books,100p. MS Word:800円
◆上野千鶴子・中西正司 編 20081001 『ニーズ中心の福祉社会へ――当事者主権の次世代福祉戦略』,医学書院,296p.
◆Van Parijs, Philippe 1995 Real Freedom for All-What (if Anything) Can Justify Capitalism? Oxford University Press=20090610 後藤 玲子・齊藤 拓 訳『ベーシック・インカムの哲学――すべての人にリアルな自由を』、勁草書房
◆若林幹夫・立岩真也・佐藤 俊樹 編 20180225 『社会が現れるとき』、東京大学出版会


UP: REV:20180113, 27
病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa 
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