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発刊にあたって

立岩 真也 2018/03/30
『立命館生存学研究』1

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*▼▲は傍点(ただし縦書きの時)
発刊にあたって

立岩真也(立命館大学生存学研究センター・センター長)

 こういう文章は短いのがよいのに決まっている。この文章も本体は短い。
 2009年から2016年まで第9号まで刊行された『生存学』(発売:生活書院)がいったん終了した。自讃するが、いずれも価値あるものだった。創刊号以外はまだ在庫がある。購入してください――購入できるものとして刊行するのがこの雑誌の一つの眼目だった。ただ、種々の主題についてまとめたものは、既に『生存学研究センター報告』があるわけだが、今後本にしていく。そして代わりに、もっと「普通の」学術誌を作ろうと考えた。それで本誌『生存学研究』が創刊された。創刊号については(採用された)投稿論文が少なくて、というか最少の数で、それは残念なことだが、査読がとくだん厳しいというわけではない。きっと第2号からはずっと数が増えていくことだろう。そしてすくなくともしばらくは、現在の投稿規定のもとで運営していこうと思う。

 これでいったん終わり。ただ、今回、いずれもこちらのウェブサイトには掲載されているものだが、2007年、2012年、2018年の3つの文書を以下に再録させてもらうことにした。
1つめと3つめは「公」のもの。前者は、このセンターの始まり、グローバルCOEに応募するに際しての書類の冒頭(全文→http://www.arsvi.com/a/c.htm)。それは採択され、「生存学創成拠点」なるものの活動が、その後5年あった。生存学研究センターはその開始と同時に、学内の研究組織として発足、グローバルCOEという制度がなくなってからはこれが活動を継続させている。
 後者は、それから本誌創刊直前の2018年2月、大学内の研究拠点形成支援プログラム成果報告ヒアリングという場に提出したもの――私もよくわかっていない「研究所化」というものはすぐには実現しないそうだ。
 こういう類の文書を、大風呂敷ではあってもできるだけ空疎でないように書くのはなかなかたいへんで、ひどく手間がかかり、頭が疲れる。しかしこんなものをそう人はまともに読みはしない。よって虚しくもある。ただ、2007年の文書は、この類のものとしては珍しくよいものだとある人から誉めていただいたことがあり、それは、他の書類の書きものを評価されるより嬉しいことだった。だから、ではなく、どういうつもりでここをやり始めてそしてやっているか、これからのことをどう考えているか、知っていただくために(再)確認していただくために再掲した。
 他方、2012年の2つめのものは、その冒頭に書いてあるように、楽屋落ち的な愚痴のような文章になる。『生存学』全9号のちょうど真ん中、第5号の巻頭に書いたものだ。それからのことがあり、当時とはいくらか変わった部分もある。ただ、こういうものもあってよいと思い、読んでいただいてよいと思い、その文書のまま再掲する。

 その前に。 2017年12月16日、私たちは渡辺公三をなくした。彼は、生存学創成拠点・生存学研究センターが発足する大きなきっかけの一つであった先端総合学術研究科の発足に深く関わり、その最初の研究科長だった。「生存」という括りでしか括れないような妙な人たち(大学院生たち)が入ってくるような研究科ができるそのきっかけを作ってくれたその渡辺は、ずっとセンターの運営委員を務めてくれた。この大学の研究体制、またとくに大学院の教育体制の整備に力を尽くしてくれた。その死は理不尽なことだが、そうした有限な身体のうちに私たちは生きている。そのうえで、時々渡辺のことを想い、せいぜい、私たちは仕事をしていこう。


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「「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界へ」
2007/02/15提出 生存学創成拠点・趣意書冒頭

[拠点形成の目的]
 人々は身体の様々な異なりのもとで、また自分自身における変化のもとに生きている。それは人々の連帯や贈与の契機であるとともに、人々の敵対の理由ともされる。また、個人の困難であるとともに、現在・将来の社会の危機としても語られる。こうしてそれは、人と社会を形成し変化させている、大きな本質的な部分である。本研究拠点は、様々な身体の状態を有する人、状態の変化を経験して生きていく人たちの生の様式・技法を知り、それと社会との関わりを解析し、人々のこれからの生き方を構想し、あるべき社会・世界を実現する手立てを示す。
 世界中の人が他者との異なりと自らの変容とともに生きているのに、世界のどこにでもあるこの現実を従来の学は十分に掬ってこなかった。もちろん、病人や障害者を対象とする医療や福祉の学はある。ただそれらは治療し援助する学問で、そこから見えるものだけを見る。あるいは、押し付けはもう止めるから自分で決めろと生命倫理学は言う。また、ある型の哲学や宗教は現世への未練を捨てることを薦める。しかしもっと多くのことが実際に起こっている。また理論的にも追究されるべきである。同じ人が身体を厭わしいと思うが大切にも思う。技術に期待しつつ技術を疎ましいとも思う。援助が与えられる前に生きられる過程があり、自ら得てきたものがある。また、援助する人・学・実践・制度と援助される人の生との間に生じた連帯や摩擦や対立がある。それらを学的に、本格的に把握する学が求められている。その上で未来の支援のあり方も構想されるべきである。
 関連する研究は過去も現在も世界中にある。しかしそれらは散在し、研究の拠点はどこにもない。私たちが、これまで人文社会科学系の研究機関において不十分だった組織的な教育・研究の体制を確立し、研究成果を量産し多言語で発信することにより、これから5年の後、その位置に就く。

[拠点形成計画の概要]
 なにより日常の継続的な研究活動に重点を置き、研究成果、とりわけ学生・研究員・PDによる研究成果を生産することを目指す。効率的に成果を産み出し集積し、成果を速やかに他言語にする。そのための研究基盤を確立し、強力な指導・支援体制を敷き、以下の研究を遂行する。
 □T 身体を巡り障老病異を巡り、とくに近代・現代に起こったこと、言われ考えられてきたことを集積し、全容を明らかにし、公開し、考察する。◇蓄積した資料を増補・整理、ウェブ等で公開する。重要なものは英語化。◇各国の政策、国際組織を調査、政策・活動・主張の現況を把握できる情報拠点を確立・運営する。資料も重要なものは英語化。こうして集めるべきものを集めきる。それは学生の基礎研究力をつける教育課程でもある。◇その土台の上に、諸学の成果を整理しつつ、主要な理論的争点について考究する。例:身体のどこまでを変えてよいのか。なおすこと、補うこと、そのままにすることの関係はどうなっているのか。この苦しみの状態から逃れたいことと、その私を肯定したいこととの関係はどうか。本人の意思として示されるものにどう対するのか、等。
 □U 差異と変容を経験している人・その人と共にいる人が研究に参加し、科学を利用し、学問を作る、その場と回路を作る。当事者参加は誰も反対しない標語になったが、実現されていない。また専門家たちも何を求められているかを知ろうとしている。両者を含み繋ぐ機構を作る。◇障害等を有する人の教育研究環境、とくに情報へのアクセシビリティの改善。まず本拠点の教育・研究環境を再検討・再構築し、汎用可能なものとして他に提示する。また、著作権等、社会全体の情報の所有・公開・流通のあり方を検討し、対案を示す。その必要を現に有する学生を中心に研究する。◇自然科学研究・技術開発への貢献。利用者は何が欲しいのか、欲しくないかを伝え、聞き、やりとりし、作られたものを使い、その評価をフィードバックする経路・機構を作る。◇人を相手に調査・実験・研究する社会科学・自然科学のあり方を、研究の対象となる人たちを交えて検討する。さらにより広く研究・開発の優先順位、コストと利益の配分について研究し、将来像を提起する。
 □V このままの世界では生き難い人たちがどうやって生きていくかを考え、示す。政治哲学や経済学の知見をも参照しつつ、またこれらの領域での研究を行い成果を発表しつつ、より具体的な案を提出する。◇民間の活動の強化につながる研究。現に活動に従事する学生を含め、様々な人・組織と協議し、企画を立案し実施する。組織の運営・経営に資するための研究も並行して行い、成果を社会に還元する。◇実地調査を含む歴史と現状の分析を経、基本的・理論的な考察をもとに、資源の分配、社会サービスの仕組み、供給体制・機構を立案し提示する。◇直接的な援助に関わる組織とともに政策の転換・推進を目指す組織に着目。国際医療保険の構想等、国境を越えた機構の可能性を研究、財源論を含め国際的な社会サービス供給システムの提案を行う。


■■
「五年と十年の間で」
立岩 真也 2012/03/20 『生存学』5:8-15

■1
 以下「中身」はほぼいっさい略した「楽屋落ち」的文章になる。外延のあまりはっきりしないたんに一つの――といってよいのだろう――集まり・営みにしばらく関わってきた人の▼感慨▲(▼▲内傍点以下同じ)といったものになる。そしてこの文章は依頼されて書かれ、本来は威勢のよさげな文章が望ましくのだろうが、さほどでもなく、そしてたいしたことも書いてないのに、ずいぶんと手間がかかった。ただ、人文社会科学の研究を、各自勝手なことをするという前提で成り立っている教育機関で、しかしなにかしらの集まり性をもつものとして続け、外に出していくことの難しさと意義について思ってきたことを書くことはまったくの無意味というほどではないかもしれない。
 私個人的には、自分がやっていることを含め「水準」に満足できずにもっとましなことをして世に出さねばと思い、同時に、「素人」がそれ(勉強・研究・学問)を(大学院で)やっちゃわるいか、とも思ってきた。また、一人でする時が一番仕事がはかどると思いながら、そしてその時間をまったく文字通り削られながら、しかし自分は二人(以上)にはなれず、一人ではできないことはやはりあって、やはり人が複数いてやっていくことの意義もわかり、しかし当然やはり一人ひとりは違うわけで、結局やはり手間はかかり、といったところにいてきた。
 絵に描いたような「理系」の研究機関というものにおいてのように、研究者稼業を始めた人がやがてあるある時期からは管理の役に徹し、基本的な目標ははっきりしており、有給や無給の人々にそれぞれ役に振ってというのではない。しかし、一人ひとりが自分の稼業に精を出し、その成果を人々に講ずるというのでもない。さらに一つの共同調査なり研究をいうのでもない。そういういずれでもないような形でここはやってきた。それはたぶん、たいへんだが、わるくはない。そんなことをしようとしているその途上にいるのかどこにいるのか、それはわからない。ただ、するべきことはあり、それは続いていくのだろうと思う。

■2
 文部科学省が予算を出すプログラムとしてのグローバルCOE「「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」は二〇一一年度で終わる。「事業仕分け」でCOEという仕組み自体がなくなるからである。二〇〇七年度からの五年間、ということになるが、実質的には四年半ほどのものだった。ただもちろん私たちがやっていくことが基本的に変わるわけではない。同時に設立した大学内の組織としての「生存学研究センター」は続いていくことになり、この雑誌『生存学』も――(まがりなりにも商業)出版物として成立する限りはその形態で――続けていく。
 そこが何をめざしで何をしているかについては、昨年三月に出た三号で、天田城介さんが超元気な聞き手のものすごく長いインタビューでへとへとになりながら、ずっと話している(あまり長かったので、同じ年に出た四号にその続きが載っている)――いずれも残部があるから、それを(買って)読んでいただきたい。私としては空虚な宣伝文、よりはましなことを話していると思う。
 予算は多くはなかった。私たちの拠点はCOEとしては全国で最も小規模なもので、いわゆる「科研費」(科学研究費というものもいくつかあるが普通は文部科学省関係のそれを指す)の大きめぐらいものだった。年間三千万円ほどである。それでも多いと納税者のみなさんは思うかもしれない。ただ、具体的な言い訳は省くが、一桁多い予算を使っているところより、つまり相対的には、費用対効果ということでいえば、まず量的に、そしてときに質的にもまともな仕事をやってきたと思う。
 他方わずらわしいこともきわめてたくさんあった。その中にはわざわざその意義を問われ語るという仕事もあった。やっていることを説明し、知っていただくこと自体の意義の必要を私はまったく否定しない。むしろ熱心に行ってきた。また、すこしも高望みをしているわけでもない。私は、話せば結局は誰でもがわかるはずだといった楽観的な立場には立たない(立てない)が、同時に、わかる人には当然にわかるが、そうでない人にはわからなくてかわまわないといった高踏的な、独善的なことを言うつもりもない。目標としまた実際にやってきたことはこのうえなく明確でわかりやすいことであったし、これからもそうだ(→『生存学』第三号、あるいはHP→「趣」)。学者であっても、普通に人文社会科学をやっている人であれば、またいわゆる自然科学の方面についても自らの仕事に対する一定の自意識をもっている人であれば、自明にわかることのはずである。ただ「<学>として(の<体系性>云々)がどうか?」という問いには閉口した――実際には、黙っているわけにもいかない場ではいろいろとしゃべったたのではあるが。生存「学」などと言ってしまったこちらがよくないのかもしれないが、women's studies や gender studies や queer studies や disability studies の「studies」だって――○○について勉強すること・学ぶこと・考えること・調べること、ということだが――訳せば「障害学」というように「学」になる。
 さらに副題に「…と共に暮らす世界の創造」とあるわけで方角も明確だったし、明確であり続けている。ただここでいささかの迷いはあった。つまり、「殺せ」――は不穏当であったとしても――「死なせてあげれば」と言う人々もいてよいと思っていたし、思っている。いろんな意見があった方が議論になる。ただ最初からもっとはっきり繰り返し方角を語った方が、とりわけ「実学」が盛んなこの御時世ではよかったのかもしれない。評価であるとか報告であるのとかの場でも、途中から▼臆面もなく▲そのことを語るようにはなった。(そして加えれば、例えば「生命倫理学(Bioethics)」よりも「体系的」であることはそんなに難しいことではない。ある種の、と加えてもによいが)生命倫理学がたしかに幾つかの原理を有していること、しかしその優先順位を示していないこと、そのことにおいて体系をなしてるとは言えないことは誰の目にも明らかであり、その上で、やはり主流はあって現実と手を携えてやってきた。それに別のものを「対置」することはできるし、私個人としては行おうとは思うし、行ってきたつもりでもある。ただそれは一つのまずは一人の立場であり、勉強・研究がなされる場はもっと広い方がよいと思ってきた。だから)それでも、今でも幅はあった方がよいと思ってもいる。肯定するにせよ否定するにせよいずれでもないにせよ、何かを言うためには▼について▲調べたり考えたりせねばならないわけで、そこでは様々が起こった方がよいと思う。(さらに加えておくと、今年中には刊行されるはずの丸善の生命倫理学のシリーズのものの一巻(最終巻?)で「生命倫理学から生存学へ」という題を与えられた章を――やはり積極的に書く気持ちになれず手間取ったが――書いている。そして、ほとんどすべての催は泡沫のようなもので、私たちはCOEの五年間できるだけイベントをやらないと応募書類にも書いたのだが、そしてならばあくまで逃げて回ればよかったとも思うのだが、同じ年の生命倫理学会の大会は立命館大学で開催されることになる。)

■3
 そんなこんなで余計な手間をとったという思いはあるが、仕事の本体の方は面倒ではあるが、すくなくとも無意味なことをしてはこなかった。
 一つ、いまだこちら側ができたこととして十分とは到底言えない部分も多々あり、なぜこう遅いのだろうという気持ちはありながら、非常に単純な意味で、おそるべく大きな穴が開いている様々についての基礎的な情報をいくらかずつでも積んできた。HPにあるものはある。ないものはない。ないもの、あるいはないに等しいものの方がずっと多い。それでも年にヒットが一千百万ぐらいになっている――検索してやってきた人を失望させることが多いのではないか→おわびせねばならない。その一部として、本を(今年度は予算がなくてほとんど買えなかったのだが)買って、一冊ずつのページを作って、関連する項目のページに関連文献リストを作っていくといったことをしてきた。このごろはオンラインの学術論文検索などはできるようになっている。入手も以前より容易になっている。たいへんけっこうなこと、というか当然のことであり、それはそれとして専門の機関に引き続きやってもらわねばならない。問題はそれで足りるかということだ。足りない。学術論文以外に集めるべきもの、何が書いてあるか知っておくべきことが多々ある。私たちも機関紙やビラの類をいくらか集めているが、これを整理するのにはさらに困難がある。いつ出されたものか、わからない人にしかわからないもの、さらには誰にもわからないものがあったりする。そしてそのわからなさは日々増大している。
 例えば一九五〇年代から七〇年代、振り返れば愚かであったと思えることを含め様々があったのだが、それに関わりそれを知る人がここ二年ほどだけをとっても幾人も亡くなってしまった。私個人の仕事――という水準に達していないのだが、『現代思想』の連載の一部として書かせてもらっている――に即しても、たしかにどうでもよいのかもしれないのだが、単純にわからないこと(がわからないとどうでもよいのかどうかもわからないこと)がいくらも出てくる。私が書いているようなことに関係する方面で名の知れた精神科医だけでも、島成郎の二〇〇〇年は早すぎたとして、小澤勲(二〇〇八)、藤沢敏雄(二〇〇九)、浜田晋(二〇一〇)、広田伊蘇夫(二〇一一)と亡くなっている。
 そして人や人の記憶だけでなく、紙もまた散失し消滅していく。なんら系統立ててでなはいなのだが集められるものを集めている。それらの書誌情報(まれに全文)の入力を始めたものがあるといったところだ。ただここしばらくの間に何件か、ありがたいことに資料・史料の提供をしていただいた。中には存在は知っていたが実物は見たことがなかったといったものもあった。大切にさせていただこうと思う。ただそれを整理し、せめて配列していく必要はある。
 これには時間がいる。そして中断させられない。継続性が必要だ。そしてあまりに私たち(というか、本来そんなことをしてよかった人々)は仕事をしてこなかったから、そして日々起こってほしくないことも含め起こることはあるから、やることがありすぎて、一人でできない。面倒なことだと思いながら組織として研究を進めていくのは、まず、ごく単純に、そんな理由からである。

■4
 一つ、先端総合学術研究科という研究科(大学院)およびこの拠点・センター(訳せば同じだ)がなかったら書かれ公刊されることがなかっただろう大学院生やその修了者によって書かれた本・他がいくつか出たし――昨年は教員以外による値段のついた本を一ダースほど刊行させていただいた――これからも出るだろう。それを手伝うことができた(HP→「成」等)。(研究科とセンターの関係が外からわかりづらいのは当然だが、簡単で、研究科――二〇〇三年度に開設された――の大学院生・教員のわりと多く+別のところに所属しているいくらかの人たちがこのセンターに浅くなかにはそれなりに深く関わっているということだ。)
 この「教育」について。ほっといても書ける人という人もいないではない。それは試験などすればおおむねその結果に対応したりもする。しかしそういう人については、助力を要しないということなのだから、極言すれば、そもそも大学院などなくてもよいようなものであったりもする。本当にまったく不要な人は少ないのかもしれないが、そういう人たちは、より学費も安い旧帝大の大学院の方が得であることも多い。(私は)そういうところでと競っても仕方がなかろうとも思ってきた。そして、そういった「学府」でいったいどれほどのことがこれまでなされてきただろうかという思いも(私には)あった。それには、こんなことを今さら言ってどうするよと思いながら、そういう大学の百周年を「祝うな」みたいなことを言う、盛り上がりようのない「運動」にいくらか関わったこともわずかに関係ががなくはない。というか、その時も、学問の「犯罪性」とかいったことより、またというだけでなく、▼普通に▲ここは何をしているのだろうという思いがあった。
 ここからは大きく二つの方向に分かれる。というか、組み合わせになる。この大学も授業料の値下げは始めたし――奨学金等の仕組みがわかりにくいために、わかりにくくはあるが、またすべての場合にではないが――実際にはかなり安くなっている。教員がどれだけ仕事をし教えられる人たちであるかという点でも、他にそうひけをとらないだろうと思っている。(けれど私たちは昨年、突然、遠藤彰――心筋梗塞で倒れた――を失ってしまった。)だから普通の、というか――言いたければ――▼高等な▲大学院として、またその一部でもあり、それだけもないこの「センター」としての実質を備えるという方向が一つにあるだろう。この方面についても、繰り返すと相対的には、やれてきている部分はあるし、あと幾分か強化できるだろうとも思う。それはそれでよかろうとは思う。
 ただもう一つ、自覚的・戦術的にというわけではないが、そのような選抜の仕組みであったとしたらはじかれてしまったかもしれない人がやってきている。ふたをあけてみたらそんな人が多かったということがある。とくに自己推薦入試については、そして外国人留学生の入試、また三年次入学(修士・博士と分かれている大学院では博士課程に相当)はこの大学院の場合、書類と面接でよい。何をもって推薦するかといえば、それは自分の経験であったりあるいは自分の身体であったりすることができる。評価の基準は各人によって違うが、おおむね何をしたいかがわかり、それをやる気がありそうだったどうぞ、ことわる理由はない、と(私は)考えている。仕事ができない人はその間はじっとしていればよいのだし、それでもいよいよとなれば去ればよい。こちら(教員・事務側)のコストがかさむことはあるが――手間のかからない人をはじけばかからなくなるのは当然である――、許容できる範囲なら、拒むことはない。「未来はない」ことをはっきりわかっているのであれば――私は「パターナリズム」を原理的に否定する立場に立たないことを幾度も述べてきたが、こうした「さほどのことではないこと」については――未来がなさそうであることを理由に拒むのは、本来は望ましいことではないのだろうし、それを言うなら、そもそも三〇人定員の五年一貫の、というこちらの研究科そのものが、荒唐無稽とは言わないまでも、かなり無理な設定のもとに存在しているということでもある。
 やってきた人たちは様々だが、よい仕事をしてくれた、してくれている人たちがずいぶんいると思う。昨年の一ダースの後には、まず、たぶん、人工透析――これが公費で負担される前、金がない人は死んでいた――の歴史について、韓国の障害者の運動の歴史について、作業療法の(というよりは作業療法学に現れた言論についての)現代史について本が出されるはずである。他にもどうしても本にしてもらいいたいと思う研究がいくつもある。
 中には他の大学院で修士課程を出た――こちらには三年次入学・後期課程(他では博士課程)への入学者が思いのほか多い――人もいる。聞くところではだが(だからそこの先生は本当は違うことを言ったのかもしれないが)、私には(きちんとやれば、本人は他の人たちよりあることをその場にいてよく知っていてそれをうまく生かせば)よい研究になると思うことが研究主題として認知されず、何か別のことをしないと「研究」「論文」にならないといったことを言われて困っていたという人もいる。そんなことで困ることはないだろうと思うので、すなおに、やってもらう。忘れないうちに、いや忘れているのだがまず覚えている限り、書いてもらう。
 そんな人たちにはなにか「学問的な基礎」があるわけでない人がいる。ただ――この号に収録されるシンポジウムでも述べていることだが――ある分野でそれを教える仕事をしようというのならそれではすこし困るが、そんなつもりはなく、なにか一つ仕事(博士論文)をまとめようというのであれば、そんなに知っていなければならないことはたくさんない。そして、もう人生かなり途中まで来ていて、「まず基礎を、その後で応用を」なんて言っていたら死んでしまうかもしれないことだってある。
 そうそう呑気なことは言っていられないのだ。そこで即席でまあなんとかということになる。なかには技術的なこともあるにはある。論文のような形をした文章――きまりでそうしたものが博士論文を書くまでに三本ないといけないことになっている――をまず書いてもらうということがある。その作法の中にはどうでもよいようなきまりごともある。ただ、そのいくらかは合理的なもので、例えば、知っていること、知ったことの出典を(わからなければそのことを)示すといったこともその一つだ。そうした部分は先輩諸氏が――つなぎのその先があるかという問題はありつつ、つなぎの仕事として、そして予算がある限り――ずいぶんやってくれている。で、私たちがすることは、自分(たち)ならどう書いていくか、考え――これはときにけっこうしんどい――伝えながら――これもかなり伝わりにいことはあり、しんどいことがある――その場その場で言えそうなことを言っていくということになる。ただそれは当然手間はかかることになる。それはそれで仕方がないと思う。むしろそのことに意味があると思う。
 そして今分けた両者はそうはっきり分かれているわけではなく連続線の上にあって、結果「多様」になる。それは、うまくいけば、わるいことではない。相乗効果のようなものも生じる、ことがある。ただ「多様なニーズ」に応えねばならない、そして相当に「ベーシック」なところから言わねばならないこちら側は、いくらか難しい。利口な学者はこの世にたくさんいると思うのだが、人々は多くのことを知らないという現象が存在することに気がつかなかったり、どうやらそんなこともあるらしいことを知っていらついたりするかもしれない。そういうできごとに動じず、あるいはあまり動じないふりができて、ものを語ること、とくにその方角を考えることを手伝うのは、利口な人には難儀なことであるかもしれない。

■5
 その上でできないことと、できなくはないが手間のかかることがある。
 できないことは研究者――さきに分けた二種ではおおむね前者、若い人たち――の労働市場の形態を変えることだ。ここはなるべくして供給過多になっている。(他方、市場がまったく別の形をしているのが「専門職(養成)」の一部、あるいはかなりの部分である。)職というか金というか得られるようになるためにできることはしてきたし、する。別の仕事を望む人が「自然に」増えるなら、その分楽にはなるし、私はそれは望ましいことだと思うが、それは結果そういうこともありうるということである。
 一番近い道は学位をとってから看護学校に入って看護師の免許をもらうことかもしれない。するとそういう学校に職を得られる状況がたぶんまだ続いている。それは冗談の類であるとして、この市場がどんな具合になっているか――それは(例えば私)自身があってほしいと思う形ともちろん同じ形のものではない――について、すこし多くのことを知ってはいる。そうしたことは伝える。このことと似てているがすこし違うこと、労多くしてなかなか得るものを得るのが難しい領域・主題とそうでないものとの分布もすこし知っている――この辺になると自身の願望もたしかに混じってはくるのだが、例えば、さきに「大きな穴が開いている」と記したその辺のことを私は思っている(もう少し詳しくはやはり本誌三号)。こうしたことは伝える。ただ、今ここでできることと言えばそんなことぐらいで、それ以上のことはしないしできない。こういうことをわかってもらった上で、金に困るならさきに記した細々としたしかし大切な作業で細々と稼いでもらい、研究を楽しめる人が楽しんでほしいと思う。
 次に、そんなこんなをやっていながら、細々と差配したり調整したりしながら、「グローバル」はかなり厳しい。第三号でも述べたことだが、全体として世界への発信力が足りないのは事実で、「グローバル」COEへの/における宣伝文においてもここを充実させるとは述べたのだった。そしてこの部分は――いくつかの現実的な条件を所与とおけば――個人的な努力でどうにもならず、組織が必要だとすればその部分であるとも考えてきた。今も考えているし、その態勢は整ってきてはいる。ただそれが五年でどうにかなるとは、宣伝文に記したようには、考えておらず、実際そうだった。もちろんそれなりのことはしてきた。雑誌の方も二号まずは出してみた。ホームページ、メールマガジン、等の多言語化も進めてはきた。ただ、本当に見て読んでもらえるものにするにはあと十年ほどかかるだろうと思う。
 その理由の一部は既に(やはり本誌第三号等で)述べた。一つには、こちらにやってきてひと仕事しようという人のその仕事がそのまま「海外向け」にはならないということ。この一つとかなり重なることなのだが、もう一つ、穴が開いているから埋めて置こうというその仕事の相当の部分は、まずはこの国に起こったことを記録することであるなら、それをさらに伝える仕事は、また別途必要になる。単語の一つの訳語を考えるだけでうんざりする。これらをみな足し合わせた仕事の量は相当のものになる。
 できるものなのかどうか。これはかなりの部分、物質的諸条件による。ここでの生産物が売り物になって、それでやっていければ、お金をもっているところの顔色をうかがう度合いも減ってよいと思うことがある。(コリン・バーンズ氏がセンター長をしているリーズ大学の障害学センターでは、自分たちの本を売っている。ディスアビリティ・プレスという、この雑誌がお世話になっている生活書院よりさらに直接的なネーミングの出版社をやっているという。一般書店を通すとそこで差し引かれる額が大きいので、CDなどで自販・自送しているという。その売り上げで次の本を出すのだという。にわかに信じがたい、というか今でも本当には信じていないのだが、通約を介して、そのように聞いた。)まず自営は大学において形式的に可能か。それで昨年問い合わせてみたのだが、私が聞いたことが間違いでなければ、できないようだ。ただ寄付なら問題ないとのことで、その線を考えてみようとは思っている。
 次に実際に可能かと考えてみる。普通に考えてみて無理である。本が売れないことを私たちは嘆いているし、嘆いてよいことだと思うが、嘆いてもそれが現実ではある。そうたいそうなことは望まないとして、どのぐらいだったらできるか。こちらで電子書籍について研究を始めたのは、それが目が見えない他の人にとって便利なものであるようにできるからだが――にもかかわらずほっとくとそうならなそうであるからだが――、本を作る原料と流通に関わる経費を安くするために使うこともできる。そしてそれはさきほど記した「記録」にもかかわる。忘れ去られるほどのものではないと思う本のほとんどが今買えなくなっている。それを電子書籍で再刊してどれだけ売れるだろう? 思っているのはひとまず私であって、そんな人が他に何人いるかわからない。十人ぐらいしかいないような気もする。ただ試してみてもよいかなと思う。しかしそれはさらに仕事を増やすことにもなるわけだ。


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「大学は何故この研究機関を有するか(報告)」
立命館大学生存学研究センター(文責:立岩 真也) 2018/02/16
研究拠点形成支援プログラム成果報告ヒアリング
※ウェブ上の本文書からは、★は関連する頁にリンクされている。

■序・総論
 2017年にグローバルCOEに採用されて生存学創生拠点が形成された。そこで大学の組織的継続的な支援が要請され、立命館大学はそれに応え、生存学研究センターを作った。それから10年が経った。センターは、多くの調査研究に関わり、多数の重要な成果をあげてきた。例えば、不幸なこととしては、2011年に東日本大震災があった。私たちは「災害弱者」と呼ばれる人たちに関わる散乱した情報を整理し配信し、催しを企画・実行し、調査し、結果を出版した★。また2016年に19人の障害者が施設で殺される事件があった。事件に関連する報道や参照された歴史的事象を整理し、これをどのように論じるべきか、同時にどのように論じてならないのか、考えを発表してきた★。
 そして今私たちは、第一に、とくに同時代の経験と言論を集め、継続的・恒常的に発信し続けるために、第二に、研究者を育て、研究を生み出し、これからの時代・世界を生きる人たちに伝えるために、第三に、海外と連携し議論を深めていくために、ここを恒常的な安定した研究組織として再構築する必要があると考えている。そこで本センターを研究所とすることを提案する。
 生存学という看板を掲げてはいるが、その「学」は領域(discipline)ではなく、人と人の社会の過去と現在を読み解き、未来を展望する際の視点であり始点である。身体は個別にあり、空間的にも時間的にも有限であり、このまったく個別的なことは普遍的である。つまり、人は身体とともにあり、その身体と外界との間には境界があり、誕生と死の間にあり、そしてその間、否応なくできないことがあり病を得たりもする。そのような存在として人間はあり、それを前提として、制約と成立の条件として、社会は存在する。例えば、人が皆同じだけのことができるなら、社会的な分配の必要は薄れるだろうが、実際には人は異なる。そこから社会を見ていこうというのである。
 それは領域ではないから、各領域の学と競合するものではない。共存し、協力し、交流する。研究する各人は、各々の専門の領域・学会等に属して研究する。同時に、この研究所において、互いを知り、議論し、新たな発想を得て、自ら自身の研究を、そして自らの持ち場を豊かにできる。そうした力を研究所においてさらに増強しようとするのである。

■T 蓄積と拡散
 立命館大学は関西でまた全国でも有数の規模の図書館を有し、大学というものを知る人たちは、それで本学を重要な大学と評価している。大学にとって大学図書館は、その存在理由の大きな一つである。私たちの望みはもっと慎ましやかなものだが、独自の意義があると考える。おもに日本で、おもに戦後、人々が身体ととともにどうやって生きてきたか、何を考えそして動いてきたか、それを示す文献や音声記録を集め整理し可能なものを公開する。
 なぜその集積の場がなかったかの理由は単純だ。例えば医療や福祉の領域では、その理論と応用の体系があるとされるなら、それ以外の個別なものは不要とされる。学会等の組織があり資源を有しているが、その資源は多様のものの集積にはあまり向かわない。他方、ときにその利用者でもあり対象でもある当の本人たちは、多く組織をもたず、組織があれば運動と経営に力と時間をとられる。そして早くに亡くなる人たちもいる。そうして記録は残されない。わずかにあった公的機関の幾つかのアーカイブの中には「行政改革」によって縮小あるいは閉鎖を余儀なくされたものもある。情熱と専心、知識と資源を要する収集・整理・発信が進まない。むしろ後退している部分がある。
 第二次大戦後、終戦直後の栄養状態の悪化に伴う結核の流行、その後の公害による健康被害の頻発等もあり、病や障害を巡る社会運動はさかんになったが、そこで中心的に活躍しそして生き延びた人たちも70歳台、80歳台になり、亡くなっている。記録や記憶が失われつつある。それを深く危惧しているのは私たちだけでない。その時代を生きた人たち自身がそのことを痛切に感じている。その人たち、その関係者からこれまで多く資料の提供の申し出を受けており、その頻度は近年増えている★。例えば、今月には、38年続いた雑誌(『そよ風のように街に出よう』★)の終刊に際し、その編集室に集積された40年分の貴重な資料を戴きに赴くことになっている。既にこちらには他の図書館、資料室にはどこにもないものがかなりある。これからは取捨選択もより必要になり、そのための作業も必要になる。
 これは、数年単位の研究費、「外部資金」を獲得しながら行なうというものではない。むしろ、そうしたその時々の研究の「土台」になるものであり、それがあることはその時々の研究費の獲得にも有利になる。
 書籍があり、さらに雑誌、機関紙・機関誌の類がある。資料の多くは多く文字だが、画像や動画もあり、それらにも紙としてあるものディジタル媒体のものがある。紙は場所をとるが、いくらかは必要だ。人文社会系の研究機関が物理的な空間を有する大きなその理由はそこにある。取捨選択はする。他にないものを残す。そしてただ所蔵するのではない。一つには年に沿って配架・配列し、各年代を「通し」で見られるようにすることである。一覧できることによって、流れが把握され、そこから研究に展開していくことがある。これまでも例えば二泊三日で東京から等、訪れた研究者たちがいた。最近ではアルメニアからの人が資料を漁りに訪れ、英国・米国の人たちは私たちの場と活動を知り、そうした集積の場が自らの国にないことを嘆いた。
 そしてディジタルでの集積、ネット上の公開・発信。サイトには2種類があり、これらサイトへのアクセスは徐々に増え、現在は年間に1600万ヒット超、月平均140万ヒットがある。それは研究機関のサイトとしては他を圧倒する数字である★。検索すると多くの語で本サイトが上位にあがる。また、このサイトにしかない情報が多数ある。
 文部省の科学研究費のような外部資金がとれている何年かの間だけというのでは意味がない。やめないこと、続けることに決定的な意義がある。それは、簡単になくならないはずの恒常的な組織、そして「学術」をもって社会に貢献する組織、そしてなにがしかの資金をその貢献に投ずることのできる組織としての大学ができる事業である。

■U 研究と研究者の生産・教育への貢献
 教えることは伝えることである。伝えることの意味と方法についてTで述べた。大学で学ぶ人たちが学ぶべきこと知るべきことを残し、提供することは、大学で学ぶ人への貢献となる。さらに一歩進み、研究するという営みに関心を有するだろう人たちに、私たちが今行なっており、伝えられることをまとめた書籍を作る★等してきた。また、種々のメディアからの取材に応え、事実と事実を捉える視点を提供してきた。これからも大学内に対しても学外に対しても、体系的にまた個別に、伝えることを続けていく。
 こうして、本学や本学以外学生たちやもっと多くの人たちに還元するためにも、知は生産され続かれねばならない。研究所は、場を共有しつつ研究していくことによって、研究者が育つ/研究者を育てる場である。これまでもここは、異なる人たちが集まる場であってきた。実践に関わる人、制度・サービスを利用しときにそこで被害に会う人、供給側の人、そして研究・教育に関わる人たちがいてきた。そこには時に摩擦・衝突も起こるが、その多くは起こった方がよい。その経験によって研究を豊かにすることができ、時には新たに始まることがある。そしてここは、若い人と所謂「社会人院生」が交流する場でもあってきた。冒頭述べたように、共通するところのある場所が気にかかる異種の人たちが集い、異なるものを交錯させ衝突させることによって、その場は創造的なものになる。そしてそこでは世代間の知の伝達も行なわれる。教えられ知らされることは、教材や教員からだけ提供されるのではない。ともに研究する多様な人たちの間で、現代のできごとでありながら人によっては生まれる前のできごとも知らされてゆくのでもある。
 関係者の総勢は多い。例えば客員研究員は2017年度75名と本学の研究所・センターで最も多い。その人たちは同じ建物に常にいるわけではまったくない。全国に散らばっているし、海外にもいる★。まずウェブサイトは外に発信するものであるとともに、相互に情報を公刊し議論をする媒体でもあってきた。それとメーリングリストを組み合わせて情報交換と意見交換を図ってきた。これまでにやりとりされたメールのこれまでの総数は18000通を超える★。
 一方でこうした日常的な交流があり、緩い連帯がある。他方、大学院の方では、ときに個別に立ち入った指導がなされる。また、立命館が雇用しセンターが任用している教員がおり(渡辺克典★)、専任研究員がいて(櫻井悟史★)、個別に相談に乗り、研究を支援している。こうして、ここ10年のあいだに、運営委員が中心的に関わった100余りの博士論文が書かれた★。さらに大学院修了者、研究員による博士論文が書籍化された点数は33冊★。この数は群を抜いている。そして、そのいくつもが、日本都市社会学会、日本科学史学会、日本生命倫理学会、南山大学社会倫理研究所、日本通訳翻訳学会、日仏社会学会、といった学会・組織――ここからも研究が発表され評価される領域が多様であることがわかる――若手研究者に与えられる賞を得ている★。
 そして、教員が研究をすること、その一部を書籍にするのは当然のことであり、それはとくに記すべきことでもないが、意識的になされてきたのは、教員が関わり、大学院生や修了者が編者や著者として参加する出版物を多く作ることだった。これまでに29冊が刊行されている「センター報告」は、すべてについて若手研究者が編者として名を連ねているし、他にも多数市販されている学術書かある★。
 こうして書籍の類の出版はこれからもなされているだろうが、それらの「もと」ともなり、そして学術的評価が担保され学位の取得にも結びつき、そして適時に、より広い範囲に公表され読まれる論文が生産される場を保ち拡大させる。9巻まで刊行した『生存学』★を経て、2018年、より学術誌の性格を強め、すべてをオンラインで即時に読むことができるように改変した『生存学研究』を創刊する。またこれもオンラインでアクセスできる英語雑誌としての『ars vivendi』★を継続して刊行していく。

■V 国際連携・連帯のための拠点
 グローバルCOEとして国際的であることが求められたというだけでない。おおきくは同じ身体を有し、抱える問題は普遍的である、とともに、しかし実際には国・地域によって大きな差異もある。それを知ることには実践的な意味がある。差異があるから、同じ問題について使える方策が、別のところに見出せるかもしれないのである。例えば「痛み」「苦痛」に関わる「障害」は日本ではきわめて認定されにくいが、米国そして韓国では認定される。その差異は何か、どちらが望ましいのかと考えていくのである★。そして考えるために知る必要がある。他方、他の国々では見捨てられる人たち――人工呼吸器★や胃瘻★をつけることによって生きる人たち――――が、比べればかなりの割合でこの国では生き延びているという現実がある。そのことをどのようがどのように評価されるかを考えてもらうためにも、まずその知られていない現実が提示される必要がある。学は国境を超える(べきである)というまったくもっともな認識とともに、境界を超えることは、実際に人々が生きていくために必要なのである。
 とはいえ、実際の連携は、単純に、一つにその土地が遠く、一人ひとりが十分に忙しいという理由によって、困難であり、いくらかの工夫はいる。一つ、例えば大学院での集中講義等と組み合わることによって、実際に時間をかけて協議する場をもってきた。それは2010年、英国リーズ大学の障害学研究所所長Colin Barnes氏★の招聘の辺りから始まる。昨年12月にはスペインのFernando Vidal氏★を迎え講義とセンター主催の企画を行なうとともに、今後、LIS(Locked-In Syndorome、全身動かず発信も困難になった状態)の人たちに対するヨーロッパ、アジアでの調査につなけようとしている。この1月にはUCバークレーのKaren Nakamura氏★が講義を行ない、その際、市民運動等についての膨大なアーカイブを有するUCバークレーとの連携について協議した。
 そしてただ「学」における協働というだけでない部分がある。政策と社会運動が研究と直接に連関しているような領域で、国際的な、アジア、まず東アジアにおける交流の意味を有する場面がある。2010年度に始めた「障害学国際セミナー」(East Asia Disability Studies Forum)★は当初韓国との二国、その後、台湾、中国が加わっている。これらの国・地域は、隣接しつつ、政治状況その他においておおいに異なり、それに関わる困難も抱えている。ただ、例えば高齢化といった共通の事態の対応を求められてもいる。冒頭に述べたように、身体と身体の差異・変化、そのことにおける共通性は国・地域を超え、それで人々は利害を共有することもある。そこで協力する。今年は、中国の発案でありながら治的に国内では開催が困難であるとされたLGBTの人たちの国際的な研究集会を本学を会場に開催することになっている。そして共通する主題についての差異が示唆を与えることもある。例えば2016年、いばらきキャンパスで開催したフォーラムでのテーマは「意思決定支援」だったが、日本でその年、導入から15年以上経ってようやく問題性が共有されることになった成年後見制度について、遅くにその制度が導入された韓国では導入の時点で批判がなされたことが報告された★。時期が遅れたことで、かえってその時に直接に問題化されることもある。とすると、自然に制度が存在してきたしまった国・地域の制度が問い直されることになる。共同の企画はこのような役割を果たすこともある。
 韓国障害学会が発足したのはセミナー開始の後、2015年のことである★。その後、台湾、中国が加わった。そして今年、台湾の障害学会が発足する運びになっている。その始まりに私たちも聊かの協力をすることができている。そして貢献は、「障害学」★の内部にいることによってではない。英国・米国流のその学に私たちは限界があると考えている。その限界を示すには、より大きな、冒頭述べたように、「生存」というより「大風呂敷」な始点を有する必要がある。そのことによって、より大きな学的達成をなし、効力のある社会的貢献をなすことができると考えている。
 ただそれは容易なことではない。一つ、言語の問題がある。「在野」で、ずっと自分の国でその言語で活動し研究してきた人たちが多くいるから、すべてを英語に統一すればよいということにはならない。報告をコリア語や中国語に通訳し翻訳する必要がある。実際、ウェブサイトの英語だけでない多言語化を含め、それを実施してきた。当然費用もかかる。各国に経済的な安定した基盤があるわけではない。すくなくとも当面、私たちが、それらのネットワークを支える役割、事務局的な果たすことになる。
 こうした活動・組織も、何年かごとに応募し当たることも外れることもある資金を求めて綱渡りでやっていけるものではない。いま私たちは、長年の国際的な活動によって世界中にネットワークを有する長瀬修★――彼は昨年、台湾の障害者権利条約履行状況についての国際審査委員会の委員長を務めた――をセンターの特任教授として雇用することによって、ようやくその活動が可能になっている。国際的な信義のためにも、東アジアへの展開・貢献をめざすの本学のためにも、安定した組織体制が必須であると考える。


UP:20180330 REV:
立岩 真也 
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