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大学は何故この研究機関を有するか(報告)

立命館大学生存学研究センター(文責:立岩 真也) 2018/02/16
研究拠点形成支援プログラム成果報告ヒアリング

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序・総論
 2007年にグローバルCOEに採用されて生存学創生拠点が形成された。そこで大学の組織的継続的な支援が要請され、立命館大学はそれに応え、生存学研究センターを作った。それから10年が経った。センターは、多くの調査研究に関わり、多数の重要な成果をあげてきた。例えば、不幸なこととしては、2011年に東日本大震災があった。私たちは「災害弱者」と呼ばれる人たちに関わる散乱した情報を整理し配信し、催しを企画・実行し、調査し、結果を出版した。また2016年に19人の障害者が施設で殺される事件があった。事件に関連する報道や参照された歴史的事象を整理し、これをどのように論じるべきか、同時にどのように論じてならないのか、考えを発表してきた
 そして今私たちは、第一に、とくに同時代の経験と言論を集め、継続的・恒常的に発信し続けるために、第二に、研究者を育て、研究を生み出し、これからの時代・世界を生きる人たちに伝えるために、第三に、海外と連携し議論を深めていくために、ここを恒常的な安定した研究組織として再構築する必要があると考えている。そこで本センターを研究所とすることを提案する。
 生存学という看板を掲げてはいるが、その「学」は領域(discipline)ではなく、人と人の社会の過去と現在を読み解き、未来を展望する際の視点であり始点である。身体は個別にあり、空間的にも時間的にも有限であり、このまったく個別的なことは普遍的である。つまり、人は身体とともにあり、その身体と外界との間には境界があり、誕生と死の間にあり、そしてその間、否応なくできないことがあり病を得たりもする。そのような存在として人間はあり、それを前提として、制約と成立の条件として、社会は存在する。例えば、人が皆同じだけのことができるなら、社会的な分配の必要は薄れるだろうが、実際には人は異なる。そこから社会を見ていこうというのである。
 それは領域ではないから、各領域の学と競合するものではない。共存し、協力し、交流する。研究する各人は、各々の専門の領域・学会等に属して研究する。同時に、この研究所において、互いを知り、議論し、新たな発想を得て、自ら自身の研究を、そして自らの持ち場を豊かにできる。そうした力を研究所においてさらに増強しようとするのである。

T 蓄積と拡散
 立命館大学は関西でまた全国でも有数の規模の図書館を有し、大学というものを知る人たちは、それで本学を重要な大学と評価している。大学にとって大学図書館は、その存在理由の大きな一つである。私たちの望みはもっと慎ましやかなものだが、独自の意義があると考える。おもに日本で、おもに戦後、人々が身体ととともにどうやって生きてきたか、何を考えそして動いてきたか、それを示す文献や音声記録を集め整理し可能なものを公開する。
 なぜその集積の場がなかったかの理由は単純だ。例えば医療や福祉の領域では、その理論と応用の体系があるとされるなら、それ以外の個別なものは不要とされる。学会等の組織があり資源を有しているが、その資源は多様のものの集積にはあまり向かわない。他方、ときにその利用者でもあり対象でもある当の本人たちは、多く組織をもたず、組織があれば運動と経営に力と時間をとられる。そして早くに亡くなる人たちもいる。そうして記録は残されない。わずかにあった公的機関の幾つかのアーカイブの中には「行政改革」によって縮小あるいは閉鎖を余儀なくされたものもある。情熱と専心、知識と資源を要する収集・整理・発信が進まない。むしろ後退している部分がある。
 第二次大戦後、終戦直後の栄養状態の悪化に伴う結核の流行、その後の公害による健康被害の頻発等もあり、病や障害を巡る社会運動はさかんになったが、そこで中心的に活躍しそして生き延びた人たちも70歳台、80歳台になり、亡くなっている。記録や記憶が失われつつある。それを深く危惧しているのは私たちだけでない。その時代を生きた人たち自身がそのことを痛切に感じている。その人たち、その関係者からこれまで多く資料の提供の申し出を受けており、その頻度は近年増えている。例えば、今月には、38年続いた雑誌(『そよ風のように街に出よう』)の終刊に際し、その編集室に集積された40年分の貴重な資料を戴きに赴くことになっている。既にこちらには他の図書館、資料室にはどこにもないものがかなりある。これからは取捨選択もより必要になり、そのための作業も必要になる。
 これは、数年単位の研究費、「外部資金」を獲得しながら行なうというものではない。むしろ、そうしたその時々の研究の「土台」になるものであり、それがあることはその時々の研究費の獲得にも有利になる。
 書籍があり、さらに雑誌、機関紙・機関誌の類がある。資料の多くは多く文字だが、画像や動画もあり、それらにも紙としてあるものディジタル媒体のものがある。紙は場所をとるが、いくらかは必要だ。人文社会系の研究機関が物理的な空間を有する大きなその理由はそこにある。取捨選択はする。他にないものを残す。そしてただ所蔵するのではない。一つには年に沿って配架・配列し、各年代を「通し」で見られるようにすることである。一覧できることによって、流れが把握され、そこから研究に展開していくことがある。これまでも例えば二泊三日で東京から等、訪れた研究者たちがいた。最近ではアルメニアからの人が資料を漁りに訪れ、英国・米国の人たちは私たちの場と活動を知り、そうした集積の場が自らの国にないことを嘆いた。
 そしてディジタルでの集積、ネット上の公開・発信。サイトには2種類があり、これらサイトへのアクセスは徐々に増え、現在は年間に1600万ヒット超、月平均140万ヒットがある。それは研究機関のサイトとしては他を圧倒する数字である。検索すると多くの語で本サイトが上位にあがる。また、このサイトにしかない情報が多数ある。
 文部省の科学研究費のような外部資金がとれている何年かの間だけというのでは意味がない。やめないこと、続けることに決定的な意義がある。それは、簡単になくならないはずの恒常的な組織、そして「学術」をもって社会に貢献する組織、そしてなにがしかの資金をその貢献に投ずることのできる組織としての大学ができる事業である。

U 研究と研究者の生産・教育への貢献
 教えることは伝えることである。伝えることの意味と方法についてTで述べた。大学で学ぶ人たちが学ぶべきこと知るべきことを残し、提供することは、大学で学ぶ人への貢献となる。さらに一歩進み、研究するという営みに関心を有するだろう人たちに、私たちが今行なっており、伝えられることをまとめた書籍を作る等してきた。また、種々のメディアからの取材に応え、事実と事実を捉える視点を提供してきた。これからも大学内に対しても学外に対しても、体系的にまた個別に、伝えることを続けていく。
 こうして、本学や本学以外学生たちやもっと多くの人たちに還元するためにも、知は生産され続かれねばならない。研究所は、場を共有しつつ研究していくことによって、研究者が育つ/研究者を育てる場である。これまでもここは、異なる人たちが集まる場であってきた。実践に関わる人、制度・サービスを利用しときにそこで被害に会う人、供給側の人、そして研究・教育に関わる人たちがいてきた。そこには時に摩擦・衝突も起こるが、その多くは起こった方がよい。その経験によって研究を豊かにすることができ、時には新たに始まることがある。そしてここは、若い人と所謂「社会人院生」が交流する場でもあってきた。冒頭述べたように、共通するところのある場所が気にかかる異種の人たちが集い、異なるものを交錯させ衝突させることによって、その場は創造的なものになる。そしてそこでは世代間の知の伝達も行なわれる。教えられ知らされることは、教材や教員からだけ提供されるのではない。ともに研究する多様な人たちの間で、現代のできごとでありながら人によっては生まれる前のできごとも知らされてゆくのでもある。
 関係者の総勢は多い。例えば客員研究員は2017年度75名と本学の研究所・センターで最も多い。その人たちは同じ建物に常にいるわけではまったくない。全国に散らばっているし、海外にもいる。まずウェブサイトは外に発信するものであるとともに、相互に情報を公刊し議論をする媒体でもあってきた。それとメーリングリストを組み合わせて情報交換と意見交換を図ってきた。これまでにやりとりされたメールのこれまでの総数は18000通を超える
 一方でこうした日常的な交流があり、緩い連帯がある。他方、大学院の方では、ときに個別に立ち入った指導がなされる。また、立命館が雇用しセンターが任用している教員がおり(渡辺克典)、専任研究員がいて(櫻井悟史)、個別に相談に乗り、研究を支援している。こうして、ここ10年のあいだに、運営委員が中心的に関わった100余りの博士論文が書かれた。さらに大学院修了者、研究員による博士論文が書籍化された点数は33冊。この数は群を抜いている。そして、そのいくつもが、日本都市社会学会、日本科学史学会、日本生命倫理学会、南山大学社会倫理研究所、日本通訳翻訳学会、日仏社会学会、といった学会・組織――ここからも研究が発表され評価される領域が多様であることがわかる――若手研究者に与えられる賞を得ている
 そして、教員が研究をすること、その一部を書籍にするのは当然のことであり、それはとくに記すべきことでもないが、意識的になされてきたのは、教員が関わり、大学院生や修了者が編者や著者として参加する出版物を多く作ることだった。これまでに29冊が刊行されている「センター報告」は、すべてについて若手研究者が編者として名を連ねているし、他にも多数市販されている学術書かある
 こうして書籍の類の出版はこれからもなされているだろうが、それらの「もと」ともなり、そして学術的評価が担保され学位の取得にも結びつき、そして適時に、より広い範囲に公表され読まれる論文が生産される場を保ち拡大させる。9巻まで刊行した『生存学』を経て、2018年、より学術誌の性格を強め、すべてをオンラインで即時に読むことができるように改変した『生存学研究』を創刊する。またこれもオンラインでアクセスできる英語雑誌としての『ars vivendi』を継続して刊行していく。

V 国際連携・連帯のための拠点
 グローバルCOEとして国際的であることが求められたというだけでない。おおきくは同じ身体を有し、抱える問題は普遍的である、とともに、しかし実際には国・地域によって大きな差異もある。それを知ることには実践的な意味がある。差異があるから、同じ問題について使える方策が、別のところに見出せるかもしれないのである。例えば「痛み」「苦痛」に関わる「障害」は日本ではきわめて認定されにくいが、米国そして韓国では認定される。その差異は何か、どちらが望ましいのかと考えていくのである★。そして考えるために知る必要がある。他方、他の国々では見捨てられる人たち――人工呼吸器や胃瘻をつけることによって生きる人たち――――が、比べればかなりの割合でこの国では生き延びているという現実がある。そのことをどのようがどのように評価されるかを考えてもらうためにも、まずその知られていない現実が提示される必要がある。学は国境を超える(べきである)というまったくもっともな認識とともに、境界を超えることは、実際に人々が生きていくために必要なのである。
 とはいえ、実際の連携は、単純に、一つにその土地が遠く、一人ひとりが十分に忙しいという理由によって、困難であり、いくらかの工夫はいる。一つ、例えば大学院での集中講義等と組み合わることによって、実際に時間をかけて協議する場をもってきた。それは2010年、英国リーズ大学の障害学研究所所長Colin Barnes氏の招聘の辺りから始まる。昨年12月にはスペインのFernando Vidal氏を迎え講義とセンター主催の企画を行なうとともに、今後、LIS(Locked-In Syndorome、全身動かず発信も困難になった状態)の人たちに対するヨーロッパ、アジアでの調査につなけようとしている。この1月にはUCバークレーのKaren Nakamura氏が講義を行ない、その際、市民運動等についての膨大なアーカイブを有するUCバークレーとの連携について協議した。
 そしてただ「学」における協働というだけでない部分がある。政策と社会運動が研究と直接に連関しているような領域で、国際的な、アジア、まず東アジアにおける交流の意味を有する場面がある。2010年度に始めた「障害学国際セミナー」(East Asia Disability Studies Forum)は当初韓国との二国、その後、台湾、中国が加わっている。これらの国・地域は、隣接しつつ、政治状況その他においておおいに異なり、それに関わる困難も抱えている。ただ、例えば高齢化といった共通の事態の対応を求められてもいる。冒頭に述べたように、身体と身体の差異・変化、そのことにおける共通性は国・地域を超え、それで人々は利害を共有することもある。そこで協力する。今年は、中国の発案でありながら治的に国内では開催が困難であるとされたLGBTの人たちの国際的な研究集会を本学を会場に開催することになっている。そして共通する主題についての差異が示唆を与えることもある。例えば2016年、いばらきキャンパスで開催したフォーラムでのテーマは「意思決定支援」だったが、日本でその年、導入から15年以上経ってようやく問題性が共有されることになった成年後見制度について、遅くにその制度が導入された韓国では導入の時点で批判がなされたことが報告された。時期が遅れたことで、かえってその時に直接に問題化されることもある。とすると、自然に制度が存在してきたしまった国・地域の制度が問い直されることになる。共同の企画はこのような役割を果たすこともある。
 韓国障害学会が発足したのはセミナー開始の後、2015年のことである。その後、台湾、中国が加わった。そして今年、台湾の障害学会が発足する運びになっている。その始まりに私たちも聊かの協力をすることができている。そして貢献は、「障害学」の内部にいることによってではない。英国・米国流のその学に私たちは限界があると考えている。その限界を示すには、より大きな、冒頭述べたように、「生存」というより「大風呂敷」な始点を有する必要がある。そのことによって、より大きな学的達成をなし、効力のある社会的貢献をなすことができると考えている。
 ただそれは容易なことではない。一つ、言語の問題がある。「在野」で、ずっと自分の国でその言語で活動し研究してきた人たちが多くいるから、すべてを英語に統一すればよいということにはならない。報告をコリア語や中国語に通訳し翻訳する必要がある。実際、ウェブサイトの英語だけでない多言語化を含め、それを実施してきた。当然費用もかかる。各国に経済的な安定した基盤があるわけではない。すくなくとも当面、私たちが、それらのネットワークを支える役割、事務局的な果たすことになる。
 こうした活動・組織も、何年かごとに応募し当たることも外れることもある資金を求めて綱渡りでやっていけるものではない。いま私たちは、長年の国際的な活動によって世界中にネットワークを有する長瀬修――彼は昨年、台湾の障害者権利条約履行状況についての国際審査委員会の委員長を務めた――をセンターの特任教授として雇用することによって、ようやくその活動が可能になっている。国際的な信義のためにも、東アジアへの展開・貢献をめざすの本学のためにも、安定した組織体制が必須であると考える。


UP:20180130 REV:20180215
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